※空蝉収録の「It's Summer」より、番外編。よって本を読んでないと解らない部分が多々あります。
「いただきましょうか」
『いただきます』
ある昼下がり、少し遅めの昼食となった食卓を囲む鈴仙とてゐ、そして私が姫に続いて手を合わせると、残りのイナバ達も皆続いていった。
いつもとなんら変わらないその光景。
最初の頃は鈴仙もてゐも私達に遠慮してか大人しくしていたが、今では食事中であろうと互いに言い合いを続けて、それがきっかけとなって粗相をしでかす事もしばしば。
私も度々止めるように言っていたのだが、見ていて面白いという姫の意向により今は見て見ぬふりをしている。
不死となり、長い時の中で娯楽を娯楽と思えるような事も少なくなってきた今、食事は数少ない楽しみの一つなのだが、こうも毎日騒がれていては落ち着いて味わう事も出来ない。
やはり止めさせるべきだろうか。
そんな事を考えていると、今日も早速始まったようだ。
食事初めの姫の言葉の時こそ大人しいものの、一度箸を持てばすぐにこれだ。
日を追うごとに大人しくしている時間が短くなっているのは絶対に気のせいではないだろう。
「もらったぁーっ!」
そんな声と共に振りぬかれたてゐの右腕。その先にある箸には一掴みというには余りにも多い素麺。
卓の中央に置かれた巨大なザルに山盛りに盛られた中から各自がそれぞれ自分の取り分を椀に取っていくという形式にしたのが間違いだったのか、てゐの一掴みによって早くも素麺の山はその均衡を崩そうとしていた。
それを皮切りに、残りのイナバ達が一斉にザルへと群がり、すでのその場に何があるのかは外からは全く把握できない。
私と姫は、その様子をただ唖然と見つめる事しか出来なかった。
いや、訂正しよう。姫はもの凄く楽しそうだ。
「ちょっと、てゐ! アンタ何やってんのよ!」
その中で一際高く上げられた声はそんな事を言いながらもちゃっかりと集団の中央、ザルの前のベストポジションを確保していた。
うむ、我が弟子ながら見事な体捌き。金メダルは近いわね。
「何を仰る兎さん! 弱肉強食が大自然の掟。死して屍拾うものなし! 欲しけりゃ鈴仙もぶん盗りなっ!」
「自分ばっか食ってんじゃないっての! ほら姫にも取ってあげないと!」
「あら構わないわよ。こういうのも面白そうじゃない」
言うやいなや、姫は箸と椀を両手に群がるイナバ達を蹴り飛ばしてザルへと猛進していった。
嗚呼――立派になられて。
その姿に私は声も出せずにただただ静観するばかり。
どうも最近の姫は姫としての自覚が薄れていっているような気がしてならない。
こればっかりは気のせいであってほしいものなのだが。
でもそんな姫の顔はとても楽しそうで……。
ここに来てから、姫は笑う事が多くなった。
いつも微笑んではいるけれど、今のように心の底から笑うという事が本当に多くなった。
――と、その時私の脳裏を何かがかすめていった。
今になって気付いたが、私はこの場面を知っているような気がする。
毎日繰り返される食事なのだから似たような場面は数あるはずなのだが、それでも今日この時この瞬間をどこかで見たような気がして。
これがデジャヴというものなのだろうか?
そう、この後はザルの前まで辿り着いたはいいものの、上手く素麺を掴めずに戸惑う姫に鈴仙がよそってあげて――。
一人で大量にせしめていたてゐがこの惨状に加われなかった気の弱いイナバ達にその素麺を分けてあげて――。
その場の何もかもが、私の思い描いた通りになっていく。
いや、そうではない。
これは記憶なのだ。
遥か昔に見た、未来の記憶。
それが今、目の前で起こっている。
つつ、と涙が零れた。
ああ、嗚呼――そうか、私はやっと還ってこれたのか。
いつか還りたかったこの場所に。還りたかったこの時間に。還りたかったこの思い出に。
――ねぇ
私は語りかける。
――貴女も見ているんでしょう?
今、同じくこの情景を見ているであろう、いつかの私に。
――還ってこれたのよ
あの時はそんな事を思いもしなかったけれど。
――やっと……還ってこれたのよ
確かに私はこの場所に還る事が出来たのだ。
幻想だと思った。
叶わない夢なのだと思った。
こんなものは理想郷なのだと、そう思っていた。
でも、あの日求めたものが、あの日夢見た事が、今確かに目の前にある。
「あれー師匠? どうしたんですか?」
いつの間に集団の中から出てきていたのだろうか、目の前に鈴仙が立っていた。
「ほら、早く食べないとなくなっちゃいますよー」
そう言って差し出された右手には、素麺の盛られた椀が一つ。
でも私はそれを受け取る事もできず、ただ箸を持ったまま固まっていた。
「え? うわ、師匠どうしたんですか!? もしかして素麺が嫌いだったとか!?」
私が泣いている事に気付いた鈴仙の叫びで、姫が、てゐが、イナバ達が一斉にこちらを向いた。
それでも私は動く事が出来ない。
懐かしくて、嬉しくて、もうただそれだけだった。
「うわ、えとっ、あと、そのっ、ど、どうしましょうっ!?」
よほど驚いたのか、鈴仙があたふたと手を振り回す。
その際に持っていたお椀がどこかに飛んでいってしまったが、本人はそれどころではないようだった。
何か言わなくてはならない。
頭の中ではそう理解しているのに、口が動いてくれない。溢れる涙を止めることが出来ない。
鈴仙の後ろではてゐまでもが唖然とした表情でこちらを見ていた。
そしてその後ろから、長い黒髪を揺らして姫が歩いてくる。
「鈴仙」
「えっ、あ、ひ、姫! どうしましょう師匠が!」
その時は誰も気付いていなかったけれど、姫が鈴仙の事をその名で呼んだのは恐らくこの時のただ一度きり。
姫は鈴仙の肩をぽんと叩くと、その時ばかりは真面目な顔で、
「いいのよ、永琳なら大丈夫だから」
そう言って、そっと微笑みかけた。
嗚呼、やはり貴女は全てをお見通しなのですね……。
姫の声を聞いて、ようやく私の脳も活動を再開してくれたようだった。
持っていた箸を落として、両手で涙を拭う姿は傍から見れば子供のように見えてしまうだろうか。
でもそんな事は気にもしていないし、気にもならない。
「ありがとう……ございます」
涙を拭いながら、ただそれだけを言うのが精一杯だった。
でも、それだけで十分だった。
ねぇ、見ている?
私はここに還ってこれたのよ。
貴女もきっといつか、この場所に還ってこれる。
あの時は姫さえいればそれでいいと思っていた。
姫以外には何も要らないと、そう思っていた。
でも――
だけど――
この場所は、この家は、この多くの仲間達は、こんなにも――暖かい。
たとえこれが永遠の中の須臾だとしても。
たとえこれが一抹の泡沫だとしても。
これこそが、私があの日からずっと追い求めてやまなかったもの。
だから、守っていこう、これからも。ずっと、永遠に。
私の――いえ、私達の還る、この場所を。
永遠亭。
その名の通り、未来永劫、この場所で笑っていられるように――
「いただきましょうか」
『いただきます』
ある昼下がり、少し遅めの昼食となった食卓を囲む鈴仙とてゐ、そして私が姫に続いて手を合わせると、残りのイナバ達も皆続いていった。
いつもとなんら変わらないその光景。
最初の頃は鈴仙もてゐも私達に遠慮してか大人しくしていたが、今では食事中であろうと互いに言い合いを続けて、それがきっかけとなって粗相をしでかす事もしばしば。
私も度々止めるように言っていたのだが、見ていて面白いという姫の意向により今は見て見ぬふりをしている。
不死となり、長い時の中で娯楽を娯楽と思えるような事も少なくなってきた今、食事は数少ない楽しみの一つなのだが、こうも毎日騒がれていては落ち着いて味わう事も出来ない。
やはり止めさせるべきだろうか。
そんな事を考えていると、今日も早速始まったようだ。
食事初めの姫の言葉の時こそ大人しいものの、一度箸を持てばすぐにこれだ。
日を追うごとに大人しくしている時間が短くなっているのは絶対に気のせいではないだろう。
「もらったぁーっ!」
そんな声と共に振りぬかれたてゐの右腕。その先にある箸には一掴みというには余りにも多い素麺。
卓の中央に置かれた巨大なザルに山盛りに盛られた中から各自がそれぞれ自分の取り分を椀に取っていくという形式にしたのが間違いだったのか、てゐの一掴みによって早くも素麺の山はその均衡を崩そうとしていた。
それを皮切りに、残りのイナバ達が一斉にザルへと群がり、すでのその場に何があるのかは外からは全く把握できない。
私と姫は、その様子をただ唖然と見つめる事しか出来なかった。
いや、訂正しよう。姫はもの凄く楽しそうだ。
「ちょっと、てゐ! アンタ何やってんのよ!」
その中で一際高く上げられた声はそんな事を言いながらもちゃっかりと集団の中央、ザルの前のベストポジションを確保していた。
うむ、我が弟子ながら見事な体捌き。金メダルは近いわね。
「何を仰る兎さん! 弱肉強食が大自然の掟。死して屍拾うものなし! 欲しけりゃ鈴仙もぶん盗りなっ!」
「自分ばっか食ってんじゃないっての! ほら姫にも取ってあげないと!」
「あら構わないわよ。こういうのも面白そうじゃない」
言うやいなや、姫は箸と椀を両手に群がるイナバ達を蹴り飛ばしてザルへと猛進していった。
嗚呼――立派になられて。
その姿に私は声も出せずにただただ静観するばかり。
どうも最近の姫は姫としての自覚が薄れていっているような気がしてならない。
こればっかりは気のせいであってほしいものなのだが。
でもそんな姫の顔はとても楽しそうで……。
ここに来てから、姫は笑う事が多くなった。
いつも微笑んではいるけれど、今のように心の底から笑うという事が本当に多くなった。
――と、その時私の脳裏を何かがかすめていった。
今になって気付いたが、私はこの場面を知っているような気がする。
毎日繰り返される食事なのだから似たような場面は数あるはずなのだが、それでも今日この時この瞬間をどこかで見たような気がして。
これがデジャヴというものなのだろうか?
そう、この後はザルの前まで辿り着いたはいいものの、上手く素麺を掴めずに戸惑う姫に鈴仙がよそってあげて――。
一人で大量にせしめていたてゐがこの惨状に加われなかった気の弱いイナバ達にその素麺を分けてあげて――。
その場の何もかもが、私の思い描いた通りになっていく。
いや、そうではない。
これは記憶なのだ。
遥か昔に見た、未来の記憶。
それが今、目の前で起こっている。
つつ、と涙が零れた。
ああ、嗚呼――そうか、私はやっと還ってこれたのか。
いつか還りたかったこの場所に。還りたかったこの時間に。還りたかったこの思い出に。
――ねぇ
私は語りかける。
――貴女も見ているんでしょう?
今、同じくこの情景を見ているであろう、いつかの私に。
――還ってこれたのよ
あの時はそんな事を思いもしなかったけれど。
――やっと……還ってこれたのよ
確かに私はこの場所に還る事が出来たのだ。
幻想だと思った。
叶わない夢なのだと思った。
こんなものは理想郷なのだと、そう思っていた。
でも、あの日求めたものが、あの日夢見た事が、今確かに目の前にある。
「あれー師匠? どうしたんですか?」
いつの間に集団の中から出てきていたのだろうか、目の前に鈴仙が立っていた。
「ほら、早く食べないとなくなっちゃいますよー」
そう言って差し出された右手には、素麺の盛られた椀が一つ。
でも私はそれを受け取る事もできず、ただ箸を持ったまま固まっていた。
「え? うわ、師匠どうしたんですか!? もしかして素麺が嫌いだったとか!?」
私が泣いている事に気付いた鈴仙の叫びで、姫が、てゐが、イナバ達が一斉にこちらを向いた。
それでも私は動く事が出来ない。
懐かしくて、嬉しくて、もうただそれだけだった。
「うわ、えとっ、あと、そのっ、ど、どうしましょうっ!?」
よほど驚いたのか、鈴仙があたふたと手を振り回す。
その際に持っていたお椀がどこかに飛んでいってしまったが、本人はそれどころではないようだった。
何か言わなくてはならない。
頭の中ではそう理解しているのに、口が動いてくれない。溢れる涙を止めることが出来ない。
鈴仙の後ろではてゐまでもが唖然とした表情でこちらを見ていた。
そしてその後ろから、長い黒髪を揺らして姫が歩いてくる。
「鈴仙」
「えっ、あ、ひ、姫! どうしましょう師匠が!」
その時は誰も気付いていなかったけれど、姫が鈴仙の事をその名で呼んだのは恐らくこの時のただ一度きり。
姫は鈴仙の肩をぽんと叩くと、その時ばかりは真面目な顔で、
「いいのよ、永琳なら大丈夫だから」
そう言って、そっと微笑みかけた。
嗚呼、やはり貴女は全てをお見通しなのですね……。
姫の声を聞いて、ようやく私の脳も活動を再開してくれたようだった。
持っていた箸を落として、両手で涙を拭う姿は傍から見れば子供のように見えてしまうだろうか。
でもそんな事は気にもしていないし、気にもならない。
「ありがとう……ございます」
涙を拭いながら、ただそれだけを言うのが精一杯だった。
でも、それだけで十分だった。
ねぇ、見ている?
私はここに還ってこれたのよ。
貴女もきっといつか、この場所に還ってこれる。
あの時は姫さえいればそれでいいと思っていた。
姫以外には何も要らないと、そう思っていた。
でも――
だけど――
この場所は、この家は、この多くの仲間達は、こんなにも――暖かい。
たとえこれが永遠の中の須臾だとしても。
たとえこれが一抹の泡沫だとしても。
これこそが、私があの日からずっと追い求めてやまなかったもの。
だから、守っていこう、これからも。ずっと、永遠に。
私の――いえ、私達の還る、この場所を。
永遠亭。
その名の通り、未来永劫、この場所で笑っていられるように――