穂積名堂 Web Novel

―巡―

2012/02/29 01:37:36
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―巡―

 我輩は猫である。
 などと、そんなどこかの文豪の家で飼われていた者のような事は言うまい。
 いや、あれは正しくは文豪の書いた作中に出てくる者の言葉だったか。
 ともあれ、今の時代にそのような事を言っていては、田舎者と貶まれるのが精々だろう。
 ならばなんと言えばいいのか。
 私は猫であり、犬でもなければ鳥でもない。ましてや人間などというようなものでもなく、正しく猫であり、猫以外の何者でもない。
 つまるところ「私は猫です」というのがもっとも模範的な解答なのだろう。
 そこで名前の一つでも名乗る事が出来たのであれば、もう少し箔が付いたかもしれないが、残念ながら私にはこれといって名前というべきものが無かった。
 そもそも必要がないのだから、当然といえば当然かもしれない。
 むしろ、私からしてみれば皆それぞれに、誰一人余すことなく名前のある人間の方が、余程どうにかしていると思えてならないのだ。
 まぁ、結局のところ。
 私達にとって、名前というものは勝手に与えられるものであり、必ずしも必要な物ではない。
 だから、どうぞ好きに呼んでくれるといい。
 名前は、まだ無い。


    ∽


 朝。
 頭上に響く、床板の軋む音で私は目を覚ました。
 どうやら今日は私の方が出遅れてしまったようだ。
 だからと言って特に何かがある訳でもないのだが、強いて言うなればここで起きる事を渋っていては、朝飯にありつけないという事だろうか。
 一口に猫と言っても、そこは人間と同じでそれぞれに個人差(個猫差と言った方がいいのだろうか)というものがあり、自分で言うのもなんだが、私は寝起きは弱い。
 頭はしかと覚醒しているにも関わらず、体の方はと言えば、これが中々起きてくれず。それは例え睡眠時間が適正であったとしても変わりはなかった。
 伸び。欠伸。景気付けにぶるりと身を震わせて、眠っていた間に付いた埃を払う。猫でも身だしなみには気をつけなければいけない。
「あら、今日はゆっくりね」
 床下から出て、一日振りに己が身を照らす陽光に目を細めていると、声をかけられた。
 人間の言葉。人間の声。
 私も挨拶を返すが、残念ながら私達猫の声帯はそこまで明確な言葉を発する事は出来ない。
 それでもその人間は満足したのだろうか、よしと言って手に持つ箒を動かす事に専念したようだった。
 猫である自分が言うのもなんではあるが、随分と奇抜な格好をした人間だと思う。
 この人間、人間であるからにはやはり名前があるのだが、それもまた奇抜な名前だった。
 博麗霊夢。
 それがこの人間の名前だと、私は教えられた。
 その出会いが何時であったのか、生憎と思い出す事は出来ない。
 だが、彼女は名乗るだけだった。
『名前はその存在を縛ってしまう。私が博麗霊夢であるが故に博麗霊夢であるように。だから私は貴方に名前を与えない。居たければ居ればいいわ』
 言われた当時は、はてなんの事かと首を傾げていたのだが、私がこの人間、博麗霊夢を見ている内にどことなくではあるが、それが何を言っているのかが解ってきたような気がする。
 彼女の奇抜な格好は、巫女としての装束であり、博麗霊夢は博麗霊夢という名の巫女だった。
 この地において、巫女がいかなる役割を担っているのか。私もまたこの地に生きる者として、朧気ではあるが心得ているつもりだ。
 つまりこの巫女、博麗霊夢はとても自分の役割について蔑ろというか、ずぼらだった。
 言葉は言霊、名はその文字と音によって力となる。
 そういう事なのだろう。
「さて、と。こんなところかしらね」
 そんな事を考えている内に、博麗霊夢は朝の掃除を終えてしまったらしい。
 箒を片手に神社の裏側へと消えていく彼女を追いかけていくと、不意にその歩みが止まった。
「働かざるもの食うべからず。今日のあんたは何もしてないでしょうに」
 振り向きながら、博麗霊夢が言う。
 確かに、いつもであれば及ばずながら掃除の手伝いをしているところなのだが、今日はついぞ物思いに耽ってしまっていたが故に、私は何もしていない。
 しかし、だからといってそう易々と朝飯を取り上げられてしまっては、何のために出てきたのかが解らない。
 こんな時はとりあえず何かを伝えるように鳴けばいいのだ。誠に残念ではあるが、私達の声は人間にはどれも同じにしか聞こえないのだから。嗚呼、誠に残念だとも。
「にゃー」
「誤魔化したって駄目よ」
 バレていた。
 すっかりと失念していたが、この博麗霊夢、時折ではあるがまるで私の言う事が解っているかのような素振りを見せる。
 実際に理解しているのか、それともただの当てずっぽうなのかは私には解らない。
 それでも、ここぞという時は必ず私の意を的確に汲んでくれるのだ。
 猫である私にとって、それは真に面白い事であった。
「まぁ、今日の分はまた明日働いてもらうわ」
 そう言って、博麗霊夢は勝手口の横に箒を立てかけると、家の中へと姿を消した。
 どうやら今日も無事に朝飯にはありつけそうだ。
 窓から漏れてきた、軽やかな包丁の音を聞きながら、私は空を見上げる。
 雲一つない青空。こういう空を蒼穹と言うのだろう。
 今日もまた、暑くなりそうである。


    ∽


 昼。
 神社の裏手に広がる雑木林。その中の一角が最近のお気に入りの場所である。
 私は猫であり、猫以外の何者でもない。即ち猫であるが故に、はたまた猫だからか、これといって日々こなさなければならない役目のようなものが無い。
 これがまた人間ともなると結構なものらしく、ほとんどの者が活動時間の大半を、そういった所謂仕事というものに追われていると聞く。
 それらの事について私は伝聞でしか知らないのだが、今最も身近にいる人間、博麗霊夢を見ていると、それらの信憑性もはたはた怪しくなってくる。
 博麗霊夢は、いつ見ても何をするでもなく、日がな一日のんびりとしている。
 そういう点から見ると、なるほど博麗霊夢は人間というよりも、むしろ私達に近いのかもしれない。
 博麗霊夢は、猫である。
 自分で言うのもなんだが、中々に面白い発想だ。
「あぁ、こんな所にいたのね。探したわ」
 噂をすれば影、とはよく言ったものだと思う。
 軽く目線を向けてみたが、彼女は私の事など気にしていないのか、側まで来るととさり、と私の横に仰向けに倒れこんだ。
「あー、涼しいわー」
 朝方に暑くなるだろうと思ってはいたものの、思いの他気温は上昇を続け、昼を過ぎた今、とてもではないが日向に立っていられるような状態ではなくなっていた。
 人間達は、私達が涼しい場所を知っているなどと言うが、私に言わせてもらえば、それはあちこちを歩き回った結果見つけただけであり、何も最初から知っているというものではないのだ。
 しかし、そんな私達の思いなど人間達は知る由もなく、さもすれば、今私の隣で早くも寝息を立てているこの博麗霊夢も、やはりどこまでも人間だったという事なのだろうか。
 人間とはどこか違っているようで。でもどこまでも人間のようで。
 真にこの博麗霊夢という人間は、私にとって興味の尽きない対象であった。
 このままここで彼女と共に昼寝に興ずるのも、それはそれで心惹かれる選択肢ではあったが、生憎と今日の私はそうも言っていられない。
 人間のように、日々欠かす事なくこなさなければならない役目はなくとも、猫には猫の社会が在り、私も猫であるからにはその一端に属しているのだ。
 真に面倒ではあるが、出向かなければそれはそれでまた別の面倒事を引き起こしかねない。
 そう思っているのは私だけではなく、現に気まぐれに行われる集会の中で顔を合わせる同胞達は、皆口を揃えて愚痴を零していた。
 せめて、嗚呼せめて、私達を率いる猫妖精<ケット・シー>にもう少し素養があれば、また違っていたのだろうか。
「あふぅ……」
 ともあれ、面倒事は事前に回避できるのであれば、それに越した事はない。
 幸いな事にここはまだ神社の内側に属する場所。このまま博麗霊夢を置いていったところで、なんら問題はないだろう。
 いや、それもまた烏滸がましい事か。
 博麗霊夢こそがこの神社の巫女であるのだから。
 自分で言うのもなんだが、私も私でほとほと猫らしからぬ者なのであろう。
 博麗霊夢が私達に近いのであれば、私こそが彼女達に近いのかもしれない。
 故に。
 私は、人間である。
 などと言ってみたところで、私は未だに人間が如何様な者なのかをはっきりとは知らない。
 彼等の視点で見てみれば、この世界には人間がいて、妖怪がいて、私達のような動物と類される者がいて、実に多種多様な者達が息づいている。
 事のつまり、私達は猫として日々を送っているからして、猫であり。
 博麗霊夢は、人間として日々を送っているから、やはり人間であり。
 だから、まぁ。
 私は猫だ、というだけの事なのだけれども。


    ∽


 夜。
 結果だけを言ってしまうと、此度の集会も散々なものだった。
 自由気ままに走り回る同胞達。蹴られ、倒され、踏まれていく妖精猫<ケット・シー>。
 威厳などという言葉からは最も遠い場所にいるであろう彼女。
 人の形を取れるまでに長く生きたにも関わらず、幼すぎる黒猫。
 以前神社で見た事があるが、そんな彼女を使役しているという狐の者。あそこまでとはいかずとも、せめてあの半分ほどでもいいから彼女に資質があればと、思わざるを得ない。
 そのような集会にいつまでも付き合う道理もなく、半ばで切り上げてきた私が神社に戻ってきたのが、辺りが宵闇に包まれてきた頃。
 いつもであればこの時間帯、博麗霊夢が本殿前の階段に何をするでもなく座っているのだが、今日はその姿が見あたらない。
 誰もいない境内は、どこか寂しさを匂わせる。
 新緑を過ぎて青さに深みを増した葉が、温い風に運ばれて私の前を横切っていった。
 耳に届く虫の声も、昼間のそれよりかは幾分耳に優しくなっている。
 このまま今日も何事もなく終わっていくのだろう。
 今までがそうであったように。
 これからがそうであるように。
 本殿前の階段、いつも博麗霊夢が座っている場所に腰を下ろしてみる。
 博麗霊夢がこの場所から何を眺めていたのか、それが解るかもしれないと思ってみたが、私にはただ色の褪せた鳥居と、その向こうに広がる空しか見えなかった。
 ならばと、それらを見て博麗霊夢が何を思っていたのかを考えてみるが、とんと答えが出てこない。
 それもそうだろう。私は猫であって、博麗霊夢ではない。
 ならば、私にも博麗霊夢という名が与えられたのならば、それが解るのだろうか。
 いや、しかし。
 名は体を表すと言う。
 博麗霊夢。考えてみればなんとも因果な名前だ。
 今の私では、たとえその名を与えられたとしても、博麗霊夢となる前に名前に負けてしまうだろう。
 博麗霊夢が、博麗霊夢と名付けられたから博麗霊夢になったのか、それとも博麗霊夢が博麗霊夢であったから博麗霊夢と名付けられたのか。
 それがどちらなのか、私には解らない。
 けれど、彼女が博麗霊夢である限り、博麗霊夢という名の彼女である限り、彼女は彼女で、私は猫で、この世界はこのままなのだろう。
 元来、そういったものは悉くが脆く、儚いもの。ふとした事で簡単に崩れてしまう。
 それでも彼女は博麗霊夢、自由に空を飛ぶ少女。
 なるほど、実によく出来ている。良く出来すぎていて逆に怪しい程だ。
「あー、寝過ぎたわ」
 そも、彼女の存在自体が奇跡のようなものなのだろう。
 どうやら今までずっとあの雑木林の中で寝ていたらしい博麗霊夢が、寝起きのおぼつかない足取りで私の所までやってきた。
 私が何も言わずに場所を譲ると、彼女もまた何も言わずにその場所に腰を下ろす。
 沈黙の時。聞こえてくるのは蜩の声。
 そっと、彼女の横顔を見上げる。
 いつもと同じ、何を見ているのか、何を考えているのかがさっぱりと読み取れない、その表情。
 近くを見ているのか、遠くを見ているのか、それとも見えない何かを見ているのか。揺れる事のない瞳に何を映しているのかを再び考えてみたところで、やはり答えは出てこない。
 でも、何故だか今日だけは、いつもより少しだけ難しい顔をしているような、そんな風にも見えた。
「あー……」
 だからだろうか。
 瞬きをしていたら見逃したであろうほどの、そんな刹那の間。
 今はもう元の平坦な表情に戻ってはいるが、博麗霊夢の表情が僅かに和らいだのを、私は見逃さなかった。
 一体それが何を表しているのか、私にはとんと検討がつかない。
 と、ずっと私が見上げていた事に気がついたのか、不意に博麗霊夢がこちらを向いた。
「そういえばあんた、時々ふらっといなくなるわねぇ」
 何を聞くかと思えば、博麗霊夢らしからぬ言葉。
 故に、どこまでも彼女らしい言葉。
 したり、と尾を一度だけ振ってみせる。彼女であればこれで十分だろう。
「ふぅん? まぁ、いいけど」
 伝わったのか、伝わっていないのか、曖昧な返事。それでも博麗霊夢がそれ以上何かを言う事はなく、さて、と膝を叩いて立ち上がると、ゆっくりと階段を下りた。
 時間も頃合い。ともなれば、彼女の行動が示す答えは一つ。
「晩ご飯の用意でもしようかしらねぇ」
 そういう事なのだ。
 角を曲がって神社の裏手へと消えていく彼女を見送ってから、私もまた立ち上がって四肢を伸ばす。
 すっかりと薄暗くなった中で、前方に見える鳥居の向こうへと目を向けてみれば、遠く、人間達が集う里に何やら見慣れぬ明りが見て取れた。
 そういえば、今日は祭があると集会の時に誰かが言っていたか。
 ひょっとすると、博麗霊夢はあれを見ていたのだろうか。あれを見て、そしてあのような顔をしていたのだろうか。
 しかし、仮にそうであったとしても、里の祭を見た博麗霊夢の反応があの難しい顔だったのか、それとも一瞬だけ見せた和やかな顔だったのか、それは解らない。
 どちらにしても、私に出来る事など何も無いし、何かあったところで、きっと私は何もしないだろう。
 それが、私と彼女の間の距離。
 私に出来る事と言えば、博麗霊夢が晩飯を作るのをこうして待つくらいなもの。
 昼の暑さもお天道様と一緒にあの山の向こうへと沈んでしまったのか、毛並みを揺らす風の涼しさが心地よい。
 一人で(ここもまた一匹と言うべきか)じっとしていれば、弥が上にも周りの音が耳に入る。
 蟋蟀、鈴虫、轡虫、雨蛙に土蛙――嗚呼、流石に梟の種類までは解らないが、実に多種多様な者の声が聞こえてくる。
 それは目を閉じたとしても同じ事。
 むしろ、昼間よりも空気が落ち着いた分、今時の方が煩わしく感じる程だ。
 と。
 俄に彼等の声が乱れた。
 ほんの些細な差ではあったものの、そこには混乱、途惑いといったものが感じられなくもない。
 何事かと思い目を開けた、正にその時だった。
 どん! と。
 空気が震え、大地が揺れ、舞い上がった砂埃。
 嗚呼、博麗霊夢がもう少し丁寧に掃除をしていれば、ここまで砂埃が舞う事もなかっただろうに。
 そんな事を考えていると、境内の中程、砂埃を巻き上げた中心であろう場所から、酷く咳き込む声が聞こえてきた。
「あー、あー、足が痺れるぜ……」
 やはりと言うべきか、一連の事は彼女の仕業だったようだ。
 霧雨魔理沙。
 それが彼女の名。
 時折こうやって神社にやってくるのだが、その度に何かを巻き上げているのは、決して私の気のせいではないだろう。
 一度博麗霊夢の掃除中にやってきた時に、掃き集めた落ち葉を散らして酷く叱られていた事もあったのだが、残念ながら本人に反省の色は見られない。
 こちらへと歩いてくる彼女は、これもまたやはりと言うか、埃に塗れていた。
「おぉ、なんだ出迎えに来てくれたのか?」
 言うなり、霧雨魔理沙は私を抱き上げ、そのまま三角帽子を脱いだ頭の上へと乗せた。
 有無を言わさぬ所行とは正にこの事であり、しかし逆らったところで何があるという訳でもなく、結局私はいつもこうやって彼女の頭に乗ってしまうのだ。
 適当に鳴いてみれば、彼女は「そうかそうか、いやわざわざすまないな」と上機嫌に笑う。
 博麗霊夢と違い、私の言葉を聞いてくれないばかりか、自分のいいようにしか捕らえてくれない。
 人間とは得てしてそういうものであるという事は重々承知しているが、やはり身近に理解してくれる者がいると、ついぞそれが常なのだと考えてしまいがちになってしまう。
 始めの内は私も霧雨魔理沙になんとか理解させようと試みていたのだが、いつしかそれも無駄な事と知り、今では逆に彼女の反応を楽しんでさえいるのだから解らないものだ。
 そうして私を乗せた霧雨魔理沙は神社の裏手へと回っていき、縁側から勝手に上がり込んでしまった。
 と、そこには計ったかのように卓袱台の上を片付ける博麗霊夢の姿があった。
「あぁ、さっきの、やっぱりあんただったのね」
「よぉ霊夢、今日も見事に平仮名尽しだな」
 中々に奇矯な挨拶ではあるが、博麗霊夢と話すのならば、そちらに集中していただきたいと思うのは私の我が儘だろうか。
 諦めたとはいえ、前足を好きに遊ばれるのはなんともこそばゆいものがある。
 試しに尻尾で背中をたしと叩いてみても、霧雨魔理沙にとってはそれは逆効果にしかならない。
「なんだ、楽しいか?」
 実に逆である。
「やめなさいよ、嫌がってるじゃない」
「何を言うんだ霊夢、ほらこんなに大人しいじゃないか。嫌がってるならもっと暴れるだろう?」
「どちらかといえば、諦めの境地に達したような顔ね」
「まぁそう言うな。私の頭の上に乗れるなんて、そう滅多にある事じゃないぞ。光栄に思ってくれ」
「来る度に乗せてるじゃない」
「そうだったか? そんな事より霊夢、今日のメニューはなんだ?」
「働かざる者食うべからず、と言いたいところだけど、猫の毛だらけで手伝ってもらっても邪魔なだけだし、先に流してきたら?」
「おぉ、そうかそうか、相変わらず霊夢は用意がいいなぁ」
「解ってやってるんでしょうに」
 阿吽の呼吸というものは、こういう事を言うのだろうか。
 霧雨魔理沙も手慣れたもので、「ちょっと風呂借りるぜー」などと言って、私を乗せたまま風呂場へ向かっていく。
 だが、生憎と私は猫であるが故にやはり猫であって、どうにもあの風呂というものはいただけない。
 毛並みの手入れは毎日怠った事もなく、必要とあらばそれなりに自分で洗いもしているので、ここはご遠慮願おう。
「お、なんだ? 一緒に入らないのか?」
 ただでさえ、この霧雨魔理沙は私をぞんざいに扱う節がある。共に風呂などとなれば、一体何をされるか解ったものではない。
「そうか、残念だな」
 珍しく私の意を汲み取ってくれたのか、霧雨魔理沙はそのまま一人で風呂場へと入っていった。
 そも、私が入ってしまうとまた風呂場まで毛だらけになってしまう。それでは後から博麗霊夢が困るだろう。
 さて、その博麗霊夢はと言えば、先程と変わらず晩飯の支度を勧めているところだった。
 慣れた手つきで支度を進めていくその姿は、見ようによっては忙しく見えなくもない。そんな博麗霊夢の姿を眺めていた所為だろうか、不意にいつかに伝え聞いた事が頭に浮かんできた。
 それ即ち、猫の手も借りたい、というもの。
 非常に忙しく、働き手が不足している時などに使う比喩表現であるらしいが、果たして私達に何が出来るというのだろうか。
 見ての通り、私達の手(前足と言った方が適当だろうか)は、人間の何かしらを手伝えるような代物ではない。精々掃除の際に落ち葉を掻き集めるのが関の山だ。
 あくまでも例えであって、実際に私達を現場に駆り出すような事はしないのだろうが、ならば何故猫の手も、などという言葉が生まれたのか。
 これは私だけでなく、この地に住まう同胞達もそのほとんどが長年の疑問としている。
 長生きしているのだからそれくらいは知っているだろうと、一度だけ我らが妖精猫<ケット・シー>に尋ねた事があったが、すぐにその事を後悔したのは言うまでもなかろう。
 嗚呼、本当に。私達を纏めるべき存在であるはずの彼女が斯様なものでは先が思いやられる。
 あの狐の者と、更にその上に立つという妖の者。あそこから何故彼女に繋がるのかもまた、私達の……いや、これは私個人の疑問だろうか。
 あの者、中々に気難しいと言うべきか。同胞達に話を聞いてみても、その存在さえをも知らない者の方が圧倒的に多く、どうやらこの神社以外には極希にしか姿を現さないようだ。
 しかし、だからと言って私があの者の何かを知っているかと問われれば、私もまた否と答えざるを得ない。
「なーにを難しい顔してるのよ」
 と、物思いに耽って呆けていたのか、気付けば正しく目と鼻の先に博麗霊夢の顔があった。
 突然、唐突、どんな言葉が今の状況を表すのに適しているか、そんな事が頭のどこか片隅を過ぎったが、体の方はと言えば、反射的に毛並みを振るわせてそのまま固まってしまうという情けなさ。
 自分で言うのもなんだが、本当に私は猫なのだろうかと思ってしまう。
 そんな私を見て、博麗霊夢は何を思ったのだろうか、そのまま顔を引くと、代わりに伸ばした指先で私の額を軽く小突いた。
 そのまま、まるで蝋人形のようにこてん、と横に倒れてしまう。
 気が抜けた、というのが今の私を表すのに一番適しているだろうか。
 横向きになった視界の中、博麗霊夢はいつの間にか戻ってきていた霧雨魔理沙と共に、すっかりと支度の済んだ卓袱台の前に腰を下ろしていた。
 視線を少し上へとずらしてみれば、先程私を小突いた時に置いていったのか、私の下にも椀に盛られた飯が置かれているのが見て取れる。
 まだあれこれと考えを巡らす事も吝かではないが、折角用意してくれた飯とあれば、冷ましてしまっては失礼にあたってしまう。
 人間は、私達が熱い物が苦手だと思っているようだが、実のところを言えば、そのような事はあまり無い。
 これもまた猫の手も借りたいという言葉と同様に、人間達の勝手な思いこみに寄る部分が多いのだろうが、そう考えると人間というものの曖昧さが浮き出るようにも思えてくる。
 確かに、自然の中にこのような湯気の昇るような食物はないため、初めて口にした時には大層驚いたものだが、慣れてしまえばなんという事はないのだ。
 従って、私も今ではすっかりと慣れてしまったという訳だ。
「しかしまぁ、あんたもつくづく暇な奴よねぇ」
 聞こえた声に、思わず耳が反応してしまう。
 この辺り、私もまだ猫でいられているという事なのだろうか。
「その言葉、そっくりそのまま返してやるぜ。お前こそ、行かなくていいのか?」
「なんの話よ」
「なんの話だったかな」
 相変わらず、この二人の会話というものは、中々どうしてよく解らない。
 私が猫だからなのか、それともこの二人が博麗霊夢と霧雨魔理沙だからなのか。
 前者であれば、それもまたやむなし。
 後者であれば、……それもまたやむなし。
 毎度の事なので気にしない事にする。それが賢明な判断というものだろう。
「今やっている祭なんて、それこそ文字通りただのお祭り騒ぎよ。意味なんて無いわ」
「だから、行く必要はない、か?」
「解ってるじゃない」
「なら、私もそういう訳だ」
「どういう訳よ」
「なんだ、言ってほしいのか?」
 霧雨魔理沙が意地悪そうな笑みを浮かべている。あの顔は、どちらかと言えば言いたいから聞いてくれと言っているようにも見えるのだが、それは私の勘違いなのであろうか。
 対する博麗霊夢はと言えば、むぅと眉根に皺を寄せて難しい顔をしているではないか。
 最近に限って言えば、恐らくは誰よりも長くこの博麗霊夢と同じ時を過ごしている私ですらほとんど見る事のない、中々に珍しい顔。
「こんな日に一人寂しく箸をつついている霊夢を哀れに思ってだな、来てやった訳だ」
「なによ、それ」
「魔理沙さんの溢れんばかりの優しさに感謝してくれてもいいんだぞ?」
 一転、今度はからからと楽しげに霧雨魔理沙が笑い声を上げた。
 なんだかんだと言っても、やはり私は猫であって、犬でもなければ鳥でもない。ましてや人間などというようなものでもなく、正しく猫であり、猫以外の何者でもない。
 つまるところ、私には結局解らなかったのだ。
 霧雨魔理沙の言葉を受けた博麗霊夢が、溜息混じりに「そういう事にしといてあげるわ」と言った、その言葉の意味するところを。
 とはいえ、それもまた些末な事に過ぎないのだろう。
 博麗霊夢は博麗霊夢であり、霧雨魔理沙は霧雨魔理沙であり、私は猫なのだから。

 何より、今一番考えなくてはならないのは、なんの嫌がらせか、飯の中に入っていた私の大嫌いな椎茸をどうするかという事だ。
 視線を感じて振り返ってみると、博麗霊夢が言葉に出来ないような目でこちらを見ていた。
 言葉を聞かずとも、言いたい事は手に取るように解ってしまう。
 嗚呼、何故私は猫なのだ。
世はそれを没作品と呼びます。

という訳で、祭夏りに入れようかどうか迷ったエピソードを、
原稿書いてる最中に並行作業でグダグダと書いていたら、
なんぞよく解らない物になっていました。という典型的な例。
一応、時系列的には祭夏りの自分の話の裏側になります。関連性は皆無。
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