※この作品は、Coolier様にある東方創想話の作品集22に投稿されていたものです。
明るい月の光の下、ここには私と彼女しか居ない。
手の者は下がらせたので、焦土には幾つかの死骸と彼女が転がっているだけ。
空気に焦げた匂いがまだ残っているが、これはやがて風に攫われて消えてしまうだろう。
「それにしても……ああ、もう。これで一体何度目になるのかしら」
幾つかある死骸の内、足下に転がる彼女を見下ろしながら苛立ちを込めて零す。
いま少し気骨を見せられないものかと。
僅かでも報いる事が出来ないものかと。
「あなたの悲憤は、慟哭は、復讐は、たかがこの程度で散ってしまうものなの?」
怒りも悲しみも所詮そんなものなのだろうか?
ぴくりとも動かない彼女に吐き捨てる。
「ねぇ、聞こえる? ……聞こえていないかしら。……いないでしょうね」
まぁいいわ、と私は彼女の隣に腰を下した。
「あなたは私を殺すと言ったわ。死のうが死ぬまいがお構い無しのあなたの意気に、私は素直に感動したのよ? この子は永遠を手に入れても、蓬莱になっても、こんなにも熱を保って居られるんだ、って」
彼女の髪を弄りながら、私は言葉を続けていく。
自分でも、何故今彼女にこんな事を言うのか理解出来ないまま。
「私は、ずっとずっと昔にあなたのような熱は失ってしまったわ。それがいつだったかなんて事すら、もうどうでも良いと思えてしまうくらいに。……あなたは信じられないでしょうね。あんなにも熱いあなたには」
唇が自嘲めいた笑みを形作る。
こうした薄い表現だけなら、まだ自然と出はするけれど……。
「ふふ、ねぇ? 私はね、冷たさも失っているのよ。熱くも無く冷たくも無く……そう、喜怒も、哀楽も、すっかり失ってしまったわ。私に対し怒り狂えるあなたのような、そんな精彩さが無いのよ」
……そして、そんな自分にもはや溜息も出ない。
そういえば、溜息自体最後にしたのはいつだったろうか?
……まぁ……いつだって良いか。そんな事。
「あなたもいずれそうなるのでしょうけど……。それにしても、幾百の時を経て尚も怒れるっていうのは、凄い事なのよ? あの永琳が驚く位、ね」
頭を掴み、自分の方へと彼女の顔を向ける。
無理矢理だったので小気味良い音がしたが、少し復活が送れる程度で瑣末な事だ。
私は、光が消えた虚ろな眼を覗き込む。
「ほら、憎い憎い私が居るわよ? あなたの眼の前に。
ほら、今すぐ起きて御覧なさいよ。殺すだけじゃ飽き足らない私がここに居るわよ?」
顔を持つ手に力が篭る。
何故かは……よく……分からない。
「あなたは私を殺すんでしょう?
あなたは私を赦さないんでしょう?
あなたは……」
分からないまま、強く強く彼女の顔を持ち続ける。
「だのにあなたは、何故寝ているの?
そんな場合じゃないでしょう。
……ほら、起きなさいな。ね?」
ふと、今は生きていない顔に話しかけるなど何をしているのか、と疑問が浮かび上がった。
確かにそうだ。
……私は何をしているのか。
よく分からない。
……本当に……分からない。
「…………」
顔から手を離す。
どさり、と音を立てて彼女は焦げた土に落ちた。
……分からない。
何故、手の者を下がらせたのか。
何故、あの様な事を言ったのか。
今ならば、永琳の顔に僅かだけ浮かんだ疑問も分かる。
全く、こんな事をしても意味など全く無いというのに。
立ち上がり、私は彼女を見下ろす。
そこにあるのは、取るに足らない、死にに死んだ死骸。ただそれだけの物。
……そんなものに、何故?
分からない。
「…………少しだけ、退屈じゃなくなりそうね」
疑問があるというのは、良い退屈しのぎになる。特に、答えの見当が付かないなら尚更だ。殺し合いという刹那的な方法以外でなら、本当に久し振りの退屈しのぎになるだろう。
踵を返し、彼女を置いて歩き始める。
さくさくと中身の無い焦げた大地を踏み、さくさくと歩く。
八歩は行ったろう。
「……あら」
俄かに周囲の気温が上昇するのを感じ、私は立ち止まった。
……あらあら、やればできるじゃない?
唇が冷たい笑みに歪む。
もはや振り返る必要は無い。
確認する価値など全く無い。
だって、考えるまでも無い事だから。
それはつまり、刹那の快楽の時が近付こうとしているという事。
そしてそれは、とっても素敵な事。
耳を澄ませば炎の燃える音が聞こえてくる。
炎の音がまるで私を責めているかのよう。
瞼を閉じればあの子の形相が浮かび上がる。
怨嗟と赫怒に満ちた顔貌が手に取るよう。
肌を刺すような威圧は彼女の力を思わせる。
激しいこの威圧だけで焦げてしまいそう。
―――けれども。
哀れな事に、所詮、こんな程度でしかない。
「……まだまだ火遊びね」
思わず漏れた言葉に、さく、という音が重なる。
何とも弱々しく、頼りない一歩。
私は振り返らない。
また音がする。
まだ振り返らない。
さく。
さく。
さく。
―――立ち止まった。
振り返らない私を不審に思って警戒しているのか、それとも、馬鹿にされていると憤慨しているのか。
前者なら、もう彼女に用は無い。終わらない殺し合いの中で冷静さを保てるようになってしまったら、彼女はもう私と同じ蓬莱人。所詮何をしても死なないと言う矛盾など考えずに私を本気で殺そうとしてくれないと、退屈は紛れない。
「っ、と」
左足を引いて半身になり、飛来した燃え盛る炎が目前を通り過ぎて行く様を見る。
充分な殺意の載った塊は空気中を突進し、やがて竹林に新たな火種を齎した。
もっとも、あんな可愛い炎なら五分と経たずに消えてしまうだろう。
死に過ぎた体では、あれが限界か。
つまらなく思う反面、そうでなければと思う。死んだ振りをして私が去るまで息を潜めるなんて、興醒めも甚だしい。
「……おまえぇ……」
少女の見た目から出るとは思えない、恨み辛みが積み重なった声音。その声は、どこか人ならざる何かを思わせた。
……今夜だけでも散々繰り返された闘争と激痛と死と再生により、正気をどこかに忘れてきたのだろう。良くある事だ。
「……何?」
最低限の首の動きと、目線だけで彼女を見る。
そこに居るのは、薄汚い少女。先までの激しさを感じさせるぼろぼろの衣類の上に、音を立てて赤く燃える炎を纏っている。そして表情は最上の憤怒に満ち、血走った目からは文明が感じられない。
「ぉおおおまああああええええっ!!」
私の言葉がいたく気に障ったのだろう。それとも、ただ私だからか。ともかく、震え、悲鳴でも怒号でもない叫び共にきりりと柳眉を逆立てて、彼女は再び炎を私に向けて投げつけてきた。
全身から掌へと瞬時に収束したそれは刹那の内に肥大化し、投げ放たれる頃には先程よりも飛躍的に大きく熱く速い。
けれど、所詮は只の炎。
少し左手を翻して掌を向ければ、それだけで炎は四散し意味を為さなくなる。
「っ!」
息を呑む音。
恐らくは渾身の一撃だったのだろう。四散した先に見た彼女の顔は、怒りよりも悲しみよりも、呆然が強かった。
「ふぅッ、くぅうッ!」
だがすぐさま怒りに任せて全身を燃え上がらせ、片腕を振り上げて炎を纏め上げ、
「がああああああぁあッ!!」
そして、人とはかけ離れた咆哮と共に投げてきた。
―――しかし。
意気は買うが、哀れな事にモノは先程よりも弱い。
従って、炎は彼女の期待に沿う事は出来なかった。
彼女へ向けられた私の左掌。
殺意の炎を触れるまでもなく四散させるそれを、彼女はどう思っているのだろうか? 怒り? 畏れ? それとも……いや、どうでもいいか。今は四の五の考える時ではない。楽しまないと。
「……それで?」
肩で息をしている彼女に言ってやる。先程ので十度目の復活となるのだから、流石に体力の減少を抑え切れないのだろう。
「ふぅッ、ふぅッ、ふうぅッ……ぅううあッ!!」
私の言葉に反応したか、彼女は歯を砕かんばかりに食い縛り、三度炎を噴出させる。
「…………」
彼女の内に熱がある限り、彼女の炎は絶えないだろう。なにしろ、彼女にも私にも、終わりなどという気の効いたものは存在しないのだから。
「……来なさいな」
彼女へ向けていた掌を返し、指を折って招く。
「ああああああッ!!」
咆哮、衝動、そして、拳。
彼女の応えは実に簡潔だった。
理知で動く人間ではなく、本能で動く野獣が炎の拳を繰り出してくる。
私は真っ直ぐに顔面目掛けて伸びてくる彼女の拳を、掌でそっと前(彼女にとっては左だろう)へ逸らしてやる。すると、目標へ当てるつもりで邁進する拳に引っ張られる形で彼女は蹈鞴を踏む。
そこへ、充分に近付いた彼女の頬へ、私は腕を振って手の甲を張ってやった。
快音。
何が起こったのか彼女が理解する前に、腕を返し今度は掌で逆頬を張る。
「……あら」
流石に馬鹿にされ切っていると言う事態が理解出来たのだろう。彼女は素直に張られるのではなく、首に力を入れて私の掌を受け止めていた。
「があッ!」
そしてそのまま、反撃として彼女は左の拳を放ってくる。
踏ん張りこそ足りないが、腰の入った良い一撃。
対し私は再び左足を下げて、今度は身体全体で彼女の攻撃を躱した。これにより、彼女は身体を大きく前方へ泳がせる事になる。
「くッ!」
致命的な有様に彼女は歯を食い縛った。それでも瞼を閉じる事無くこちらを睨みつけたままなのだから、中々感心させられる。
「っ!?」
―――どうしたのだろう?
追撃をしない私に怒りを露にするのならまだしも、目を見開いて驚くと言うのは一体どういう事なのか。あれだけの激情を霧散させてしまうような何かが、私にあるというのだろうか?
疑問の中、私の前で彼女は体勢を立て直す。
だが、まじまじと私を見るばかりで一向に手を出す気配が無い。更には、あの身を焦がすような怒りが本当に失われてしまっているかのように感じられた。
そして、入れ代わるように強く感じられるのは、強い困惑。
訳が分からない。
「…………!」
分からないが―――先程と違って、答えは直ぐに見つかった。
彼女の瞳に映る、私の目。そして私の顔貌。それらが、自分自身見た事もないような悲哀に彩られているのだ。滂沱の涙を流すよりも、絶望に浸かるよりも尚強い悲哀に。
思い掛けない事態に私自身も困惑している、たった今も。
「……お前……」
彼女の声。その声は既に怨嗟のものではなく、理性も文明も感じられる疑問の声。見れば炎も勢いを失いつつある。
私自身訳が分からないのだから、彼女も相応以上に訳が分からないのだろう。憎んでも憎んでも全く足りない相手に突然こんな顔をされては、例え一時的だろうと気勢を殺がれても不思議ではない。彼女も心理的に凪になりやすい蓬莱であるなら、尚の事だろう。
……これは、駄目だ。今回は、もう―――
そう思った矢先。
前方から強烈な熱風が吹いてきた。
沈みかけた思考と共に、顔も俯いていた私はすぐさま顔を上げて前を見る。
そこにあったのは、紅蓮の大火。彼女が自身を憑代に火の神でも呼び込んだような、未だかつてない炎だ。
「……そんな」
眼に映ったものに、つい零してしまう。
私の視線の先、竜巻のように渦巻いて天へ伸びつつある炎の向こう、ちらちらと伺える彼女の顔は、先までの赫怒による野蛮ではない。理性と冷静による蓬莱のものだ。
彼女に必要なのは、怒りや憎しみといった激情ではなかったという事だろうか? 喪失を危惧した永琳の制止も聞かず、彼女の心を圧し折って来たのは誤りだったのだろうか? 激情こそが、蓬莱が彼女に与えた炎の源泉だと思っていたのに。
天をも焦がさんばかりの勢いだった炎だが、不意に勢いを止めると、今度は収束し始める。徐々に密度を濃くしていく炎はやがて橙の光となり、超高熱が焦土を更に焼き滅ぼしていく。
……何と言う炎だろう。確かに蓬莱は不老不死の他に力を与えるが―――例えば私なら須臾だけでなく永遠を操れるようになり、永琳はその天才性を更に高めている―――こうも壮絶な炎を産み出すなんて。
そしてその超高密度の炎は、収束する内に彼女の身体に吸い込まれていき、やがてすっかり炎は消え去った。
「その顔……お前がどれ程私を蔑んでいるのか、良く分かった」
彼女が言う。ただ、その声に蓬莱の冷静さは無い。あるのは、怒りを堪える強引な静けさだ。
おかしい。炎の中に見た彼女の顔、そして今の彼女の顔は間違い無く蓬莱のもの。なのに何故、未だに隠しきれないような熱を抱いていられるのだろう。望まずしてなった者だけに、その辺りもイレギュラーなのだろうか?
「色々言いたいけど、もういい。殺す」
静かな宣言。その宣言と同じくして、彼女の背から炎が噴出し、それらはやがて雄々しい両翼と二本の尾羽の形に安定する。ついさっきまではただの炎でしかなかったものが、今ではまるで鳳凰の如き壮麗さと威厳を孕んでいた。
恐らく、直感的に己の力の扱い方に気付いたのだろう。私も永琳もそうだった。何がきっかけになったかは分からないけれど。
「……殺す? 私を?」
でも安心した。
蓬莱になっても、彼女は彼女のまま―――いや、もっと良い状態になっている。
「ああ、殺すさ。この炎で、すっきりと」
何という怒りでしょう、何という炎でしょう、そして何という威圧感でしょう。
全てにおいて彼女は軽視できない存在になっていた。
「そう……なら、やってみなさいな」
誘いの応えは、炎の怪鳥となって邁進してくる。
この炎が蓬莱による完全な炎なら、掌一つで簡単に霧散できるようなものではない。
だけど私は、躱さなかった。
私に直撃した怪鳥は、衣服を、皮を、肉を、そして骨すらも瞬く間に焼き尽くしていく。
久し振りの死の感覚にどこか恍惚めいたものを感じながら、しかし、彼女と違って私は久し振りなのである。蓬莱はすぐに私を蘇らせた。それに、一度も死ねばもう充分。
「っふ!」
だから、両腕で押し広げるようにして私は全身を舐める炎を全力で以って四散させた。
「……残念ね?」
すっかり衣服を失ってしまった自分を見下ろし、肌に異常が無いか確認しながら言ってやる。豪奢な着物で、そこそこ気に入っていたのに。
「ふん、ならば何度でも焼いてやる!」
髪の毛のチェックに入っていた私に、彼女はまたも炎の怪鳥を飛ばしてきた。
まだ応用までは至っていないのだろう。丸で馬鹿の一つ覚えだ。
「ふぅ」
チェックを続行したまま溜息交じりに片手を上げ、そこに相応の力を込めて突き進んでくる怪鳥に叩き付けてやる。
拮抗した力は停滞を生み、その状態になれば力源から離れている怪鳥が勝る道理は無い。
予想通り、すぐに怪鳥は形を失い大気に消えて行った。
「たかが覚醒めたばかりのあなたが、私を殺そうなどとはおこがましいと思わない?」
再び髪の毛に集中しつつ、ちら、とだけ目線を向ければ、怒りに震える彼女がいる。
「お前がどう思おうと関係ない!」
「そうなの」
「焼き尽くすッ!」
髪の毛のチェックが終わると同時に、今度は彼女自身が突っ込んできた。きっと無駄だろうが、灼熱の抱擁であれば、と思う気持ちは分かる。
ただ、分かるが、それだけだ。
「あら、そう」
言葉で応え、次に、行動で応える。
多分、今夜はとても永くなるだろう。
いいや、今夜だけで終わるかどうかも分からない。
何て素敵。
―――後日。
「…………」
……それにしても分からない。
永琳の出した茶を啜りながら考える。
昨日全裸で帰ってきた私を見ても、眉一つ動かさずすぐに着替えを出してきた彼女はまさしく蓬莱といえるだろう。
ともあれ、死んだ彼女に語りかけた事もそうだが、あの時あんな顔をした事も分からない。
だけど、私は……いや、喪われた在りし日の私は答えを知っているのだろう。だからこそ、あんな表情が出てしまったに違いない。
問題なのは、果たして今の私にそれを理解する日が来るのかどうか、という事だ。
「何にせよ、やっぱり彼女は私の退屈を紛らわせるには一番ね」
彼女が居なければこの疑問は存在しない。彼女が居なければ、この充実も存在しない。
「……ふふふ。なんて、素敵な」
久し振りに、いや、初めてと言っても差し支えない程だけど、私は笑っていた。
明るい月の光の下、ここには私と彼女しか居ない。
手の者は下がらせたので、焦土には幾つかの死骸と彼女が転がっているだけ。
空気に焦げた匂いがまだ残っているが、これはやがて風に攫われて消えてしまうだろう。
「それにしても……ああ、もう。これで一体何度目になるのかしら」
幾つかある死骸の内、足下に転がる彼女を見下ろしながら苛立ちを込めて零す。
いま少し気骨を見せられないものかと。
僅かでも報いる事が出来ないものかと。
「あなたの悲憤は、慟哭は、復讐は、たかがこの程度で散ってしまうものなの?」
怒りも悲しみも所詮そんなものなのだろうか?
ぴくりとも動かない彼女に吐き捨てる。
「ねぇ、聞こえる? ……聞こえていないかしら。……いないでしょうね」
まぁいいわ、と私は彼女の隣に腰を下した。
「あなたは私を殺すと言ったわ。死のうが死ぬまいがお構い無しのあなたの意気に、私は素直に感動したのよ? この子は永遠を手に入れても、蓬莱になっても、こんなにも熱を保って居られるんだ、って」
彼女の髪を弄りながら、私は言葉を続けていく。
自分でも、何故今彼女にこんな事を言うのか理解出来ないまま。
「私は、ずっとずっと昔にあなたのような熱は失ってしまったわ。それがいつだったかなんて事すら、もうどうでも良いと思えてしまうくらいに。……あなたは信じられないでしょうね。あんなにも熱いあなたには」
唇が自嘲めいた笑みを形作る。
こうした薄い表現だけなら、まだ自然と出はするけれど……。
「ふふ、ねぇ? 私はね、冷たさも失っているのよ。熱くも無く冷たくも無く……そう、喜怒も、哀楽も、すっかり失ってしまったわ。私に対し怒り狂えるあなたのような、そんな精彩さが無いのよ」
……そして、そんな自分にもはや溜息も出ない。
そういえば、溜息自体最後にしたのはいつだったろうか?
……まぁ……いつだって良いか。そんな事。
「あなたもいずれそうなるのでしょうけど……。それにしても、幾百の時を経て尚も怒れるっていうのは、凄い事なのよ? あの永琳が驚く位、ね」
頭を掴み、自分の方へと彼女の顔を向ける。
無理矢理だったので小気味良い音がしたが、少し復活が送れる程度で瑣末な事だ。
私は、光が消えた虚ろな眼を覗き込む。
「ほら、憎い憎い私が居るわよ? あなたの眼の前に。
ほら、今すぐ起きて御覧なさいよ。殺すだけじゃ飽き足らない私がここに居るわよ?」
顔を持つ手に力が篭る。
何故かは……よく……分からない。
「あなたは私を殺すんでしょう?
あなたは私を赦さないんでしょう?
あなたは……」
分からないまま、強く強く彼女の顔を持ち続ける。
「だのにあなたは、何故寝ているの?
そんな場合じゃないでしょう。
……ほら、起きなさいな。ね?」
ふと、今は生きていない顔に話しかけるなど何をしているのか、と疑問が浮かび上がった。
確かにそうだ。
……私は何をしているのか。
よく分からない。
……本当に……分からない。
「…………」
顔から手を離す。
どさり、と音を立てて彼女は焦げた土に落ちた。
……分からない。
何故、手の者を下がらせたのか。
何故、あの様な事を言ったのか。
今ならば、永琳の顔に僅かだけ浮かんだ疑問も分かる。
全く、こんな事をしても意味など全く無いというのに。
立ち上がり、私は彼女を見下ろす。
そこにあるのは、取るに足らない、死にに死んだ死骸。ただそれだけの物。
……そんなものに、何故?
分からない。
「…………少しだけ、退屈じゃなくなりそうね」
疑問があるというのは、良い退屈しのぎになる。特に、答えの見当が付かないなら尚更だ。殺し合いという刹那的な方法以外でなら、本当に久し振りの退屈しのぎになるだろう。
踵を返し、彼女を置いて歩き始める。
さくさくと中身の無い焦げた大地を踏み、さくさくと歩く。
八歩は行ったろう。
「……あら」
俄かに周囲の気温が上昇するのを感じ、私は立ち止まった。
……あらあら、やればできるじゃない?
唇が冷たい笑みに歪む。
もはや振り返る必要は無い。
確認する価値など全く無い。
だって、考えるまでも無い事だから。
それはつまり、刹那の快楽の時が近付こうとしているという事。
そしてそれは、とっても素敵な事。
耳を澄ませば炎の燃える音が聞こえてくる。
炎の音がまるで私を責めているかのよう。
瞼を閉じればあの子の形相が浮かび上がる。
怨嗟と赫怒に満ちた顔貌が手に取るよう。
肌を刺すような威圧は彼女の力を思わせる。
激しいこの威圧だけで焦げてしまいそう。
―――けれども。
哀れな事に、所詮、こんな程度でしかない。
「……まだまだ火遊びね」
思わず漏れた言葉に、さく、という音が重なる。
何とも弱々しく、頼りない一歩。
私は振り返らない。
また音がする。
まだ振り返らない。
さく。
さく。
さく。
―――立ち止まった。
振り返らない私を不審に思って警戒しているのか、それとも、馬鹿にされていると憤慨しているのか。
前者なら、もう彼女に用は無い。終わらない殺し合いの中で冷静さを保てるようになってしまったら、彼女はもう私と同じ蓬莱人。所詮何をしても死なないと言う矛盾など考えずに私を本気で殺そうとしてくれないと、退屈は紛れない。
「っ、と」
左足を引いて半身になり、飛来した燃え盛る炎が目前を通り過ぎて行く様を見る。
充分な殺意の載った塊は空気中を突進し、やがて竹林に新たな火種を齎した。
もっとも、あんな可愛い炎なら五分と経たずに消えてしまうだろう。
死に過ぎた体では、あれが限界か。
つまらなく思う反面、そうでなければと思う。死んだ振りをして私が去るまで息を潜めるなんて、興醒めも甚だしい。
「……おまえぇ……」
少女の見た目から出るとは思えない、恨み辛みが積み重なった声音。その声は、どこか人ならざる何かを思わせた。
……今夜だけでも散々繰り返された闘争と激痛と死と再生により、正気をどこかに忘れてきたのだろう。良くある事だ。
「……何?」
最低限の首の動きと、目線だけで彼女を見る。
そこに居るのは、薄汚い少女。先までの激しさを感じさせるぼろぼろの衣類の上に、音を立てて赤く燃える炎を纏っている。そして表情は最上の憤怒に満ち、血走った目からは文明が感じられない。
「ぉおおおまああああええええっ!!」
私の言葉がいたく気に障ったのだろう。それとも、ただ私だからか。ともかく、震え、悲鳴でも怒号でもない叫び共にきりりと柳眉を逆立てて、彼女は再び炎を私に向けて投げつけてきた。
全身から掌へと瞬時に収束したそれは刹那の内に肥大化し、投げ放たれる頃には先程よりも飛躍的に大きく熱く速い。
けれど、所詮は只の炎。
少し左手を翻して掌を向ければ、それだけで炎は四散し意味を為さなくなる。
「っ!」
息を呑む音。
恐らくは渾身の一撃だったのだろう。四散した先に見た彼女の顔は、怒りよりも悲しみよりも、呆然が強かった。
「ふぅッ、くぅうッ!」
だがすぐさま怒りに任せて全身を燃え上がらせ、片腕を振り上げて炎を纏め上げ、
「がああああああぁあッ!!」
そして、人とはかけ離れた咆哮と共に投げてきた。
―――しかし。
意気は買うが、哀れな事にモノは先程よりも弱い。
従って、炎は彼女の期待に沿う事は出来なかった。
彼女へ向けられた私の左掌。
殺意の炎を触れるまでもなく四散させるそれを、彼女はどう思っているのだろうか? 怒り? 畏れ? それとも……いや、どうでもいいか。今は四の五の考える時ではない。楽しまないと。
「……それで?」
肩で息をしている彼女に言ってやる。先程ので十度目の復活となるのだから、流石に体力の減少を抑え切れないのだろう。
「ふぅッ、ふぅッ、ふうぅッ……ぅううあッ!!」
私の言葉に反応したか、彼女は歯を砕かんばかりに食い縛り、三度炎を噴出させる。
「…………」
彼女の内に熱がある限り、彼女の炎は絶えないだろう。なにしろ、彼女にも私にも、終わりなどという気の効いたものは存在しないのだから。
「……来なさいな」
彼女へ向けていた掌を返し、指を折って招く。
「ああああああッ!!」
咆哮、衝動、そして、拳。
彼女の応えは実に簡潔だった。
理知で動く人間ではなく、本能で動く野獣が炎の拳を繰り出してくる。
私は真っ直ぐに顔面目掛けて伸びてくる彼女の拳を、掌でそっと前(彼女にとっては左だろう)へ逸らしてやる。すると、目標へ当てるつもりで邁進する拳に引っ張られる形で彼女は蹈鞴を踏む。
そこへ、充分に近付いた彼女の頬へ、私は腕を振って手の甲を張ってやった。
快音。
何が起こったのか彼女が理解する前に、腕を返し今度は掌で逆頬を張る。
「……あら」
流石に馬鹿にされ切っていると言う事態が理解出来たのだろう。彼女は素直に張られるのではなく、首に力を入れて私の掌を受け止めていた。
「があッ!」
そしてそのまま、反撃として彼女は左の拳を放ってくる。
踏ん張りこそ足りないが、腰の入った良い一撃。
対し私は再び左足を下げて、今度は身体全体で彼女の攻撃を躱した。これにより、彼女は身体を大きく前方へ泳がせる事になる。
「くッ!」
致命的な有様に彼女は歯を食い縛った。それでも瞼を閉じる事無くこちらを睨みつけたままなのだから、中々感心させられる。
「っ!?」
―――どうしたのだろう?
追撃をしない私に怒りを露にするのならまだしも、目を見開いて驚くと言うのは一体どういう事なのか。あれだけの激情を霧散させてしまうような何かが、私にあるというのだろうか?
疑問の中、私の前で彼女は体勢を立て直す。
だが、まじまじと私を見るばかりで一向に手を出す気配が無い。更には、あの身を焦がすような怒りが本当に失われてしまっているかのように感じられた。
そして、入れ代わるように強く感じられるのは、強い困惑。
訳が分からない。
「…………!」
分からないが―――先程と違って、答えは直ぐに見つかった。
彼女の瞳に映る、私の目。そして私の顔貌。それらが、自分自身見た事もないような悲哀に彩られているのだ。滂沱の涙を流すよりも、絶望に浸かるよりも尚強い悲哀に。
思い掛けない事態に私自身も困惑している、たった今も。
「……お前……」
彼女の声。その声は既に怨嗟のものではなく、理性も文明も感じられる疑問の声。見れば炎も勢いを失いつつある。
私自身訳が分からないのだから、彼女も相応以上に訳が分からないのだろう。憎んでも憎んでも全く足りない相手に突然こんな顔をされては、例え一時的だろうと気勢を殺がれても不思議ではない。彼女も心理的に凪になりやすい蓬莱であるなら、尚の事だろう。
……これは、駄目だ。今回は、もう―――
そう思った矢先。
前方から強烈な熱風が吹いてきた。
沈みかけた思考と共に、顔も俯いていた私はすぐさま顔を上げて前を見る。
そこにあったのは、紅蓮の大火。彼女が自身を憑代に火の神でも呼び込んだような、未だかつてない炎だ。
「……そんな」
眼に映ったものに、つい零してしまう。
私の視線の先、竜巻のように渦巻いて天へ伸びつつある炎の向こう、ちらちらと伺える彼女の顔は、先までの赫怒による野蛮ではない。理性と冷静による蓬莱のものだ。
彼女に必要なのは、怒りや憎しみといった激情ではなかったという事だろうか? 喪失を危惧した永琳の制止も聞かず、彼女の心を圧し折って来たのは誤りだったのだろうか? 激情こそが、蓬莱が彼女に与えた炎の源泉だと思っていたのに。
天をも焦がさんばかりの勢いだった炎だが、不意に勢いを止めると、今度は収束し始める。徐々に密度を濃くしていく炎はやがて橙の光となり、超高熱が焦土を更に焼き滅ぼしていく。
……何と言う炎だろう。確かに蓬莱は不老不死の他に力を与えるが―――例えば私なら須臾だけでなく永遠を操れるようになり、永琳はその天才性を更に高めている―――こうも壮絶な炎を産み出すなんて。
そしてその超高密度の炎は、収束する内に彼女の身体に吸い込まれていき、やがてすっかり炎は消え去った。
「その顔……お前がどれ程私を蔑んでいるのか、良く分かった」
彼女が言う。ただ、その声に蓬莱の冷静さは無い。あるのは、怒りを堪える強引な静けさだ。
おかしい。炎の中に見た彼女の顔、そして今の彼女の顔は間違い無く蓬莱のもの。なのに何故、未だに隠しきれないような熱を抱いていられるのだろう。望まずしてなった者だけに、その辺りもイレギュラーなのだろうか?
「色々言いたいけど、もういい。殺す」
静かな宣言。その宣言と同じくして、彼女の背から炎が噴出し、それらはやがて雄々しい両翼と二本の尾羽の形に安定する。ついさっきまではただの炎でしかなかったものが、今ではまるで鳳凰の如き壮麗さと威厳を孕んでいた。
恐らく、直感的に己の力の扱い方に気付いたのだろう。私も永琳もそうだった。何がきっかけになったかは分からないけれど。
「……殺す? 私を?」
でも安心した。
蓬莱になっても、彼女は彼女のまま―――いや、もっと良い状態になっている。
「ああ、殺すさ。この炎で、すっきりと」
何という怒りでしょう、何という炎でしょう、そして何という威圧感でしょう。
全てにおいて彼女は軽視できない存在になっていた。
「そう……なら、やってみなさいな」
誘いの応えは、炎の怪鳥となって邁進してくる。
この炎が蓬莱による完全な炎なら、掌一つで簡単に霧散できるようなものではない。
だけど私は、躱さなかった。
私に直撃した怪鳥は、衣服を、皮を、肉を、そして骨すらも瞬く間に焼き尽くしていく。
久し振りの死の感覚にどこか恍惚めいたものを感じながら、しかし、彼女と違って私は久し振りなのである。蓬莱はすぐに私を蘇らせた。それに、一度も死ねばもう充分。
「っふ!」
だから、両腕で押し広げるようにして私は全身を舐める炎を全力で以って四散させた。
「……残念ね?」
すっかり衣服を失ってしまった自分を見下ろし、肌に異常が無いか確認しながら言ってやる。豪奢な着物で、そこそこ気に入っていたのに。
「ふん、ならば何度でも焼いてやる!」
髪の毛のチェックに入っていた私に、彼女はまたも炎の怪鳥を飛ばしてきた。
まだ応用までは至っていないのだろう。丸で馬鹿の一つ覚えだ。
「ふぅ」
チェックを続行したまま溜息交じりに片手を上げ、そこに相応の力を込めて突き進んでくる怪鳥に叩き付けてやる。
拮抗した力は停滞を生み、その状態になれば力源から離れている怪鳥が勝る道理は無い。
予想通り、すぐに怪鳥は形を失い大気に消えて行った。
「たかが覚醒めたばかりのあなたが、私を殺そうなどとはおこがましいと思わない?」
再び髪の毛に集中しつつ、ちら、とだけ目線を向ければ、怒りに震える彼女がいる。
「お前がどう思おうと関係ない!」
「そうなの」
「焼き尽くすッ!」
髪の毛のチェックが終わると同時に、今度は彼女自身が突っ込んできた。きっと無駄だろうが、灼熱の抱擁であれば、と思う気持ちは分かる。
ただ、分かるが、それだけだ。
「あら、そう」
言葉で応え、次に、行動で応える。
多分、今夜はとても永くなるだろう。
いいや、今夜だけで終わるかどうかも分からない。
何て素敵。
―――後日。
「…………」
……それにしても分からない。
永琳の出した茶を啜りながら考える。
昨日全裸で帰ってきた私を見ても、眉一つ動かさずすぐに着替えを出してきた彼女はまさしく蓬莱といえるだろう。
ともあれ、死んだ彼女に語りかけた事もそうだが、あの時あんな顔をした事も分からない。
だけど、私は……いや、喪われた在りし日の私は答えを知っているのだろう。だからこそ、あんな表情が出てしまったに違いない。
問題なのは、果たして今の私にそれを理解する日が来るのかどうか、という事だ。
「何にせよ、やっぱり彼女は私の退屈を紛らわせるには一番ね」
彼女が居なければこの疑問は存在しない。彼女が居なければ、この充実も存在しない。
「……ふふふ。なんて、素敵な」
久し振りに、いや、初めてと言っても差し支えない程だけど、私は笑っていた。