※この作品は、Coolier様にある東方創想話の作品集23に投稿されていたものです。
太陽の光が中天から燦々と注ぐ中、鈴蘭の丘に風が吹けば、その風に巻かれて花びらが舞い上がる。
そして、花びらと一緒に毒もそれなりに舞い散るのだ。
「コンパロ、コンパロ、おいでよおいで、スーさんの毒~♪」
一面に鈴蘭の花が咲く鈴蘭の丘の中で、メディスン・メランコリーは呪文を歌いながらくるくるとくらくらと回っていた。
見るからに不安定ではらはらするその動きは、本人としては踊っているのかもしれない。だが彼女の肩辺りに浮遊する小人形共々、客観的に見ると糸が半端に切れた操り人形の動きとそう変わらなかったりする。
まぁ、ある種人形らしいといえばらしい動きだろう。何にせよ、呪文によって風に躍っていた鈴蘭の毒が彼女に集っていく事に変わりは無いのだから。
「……わあ、本当に凄いね? スーさんってば」
自分の周りに滞留する如何にも毒々しい紫の瘴気を前に、メディスンは実に嬉しそうに笑った。
そして瘴気の中でくらくらと回りながら、メディスンは肩の小人形の方を見る。
「ねぇねぇあなた? あなたはまだ分からないかしら? どうすれば喋れるか、分からないのかしら?」
その身に瘴気を吸収させながら、メディスンは小人形に問い掛けた。
彼女の視線の先に在る小人形は、その問いにそれなりに残念そうに頷く。
「そう、残念」
小人形の動きを見て、メディスンの表情が曇った。しかし、すぐに明るい表情を取り戻すと、小人形の方へ掌をそっと出した。
「でも凄いわ。前までは返事もしなかったのにね? それどころか、動けるようになってまだそんなに経って無いのに。……やっぱり今年のスーさんは一味違うわ」
自分の掌の上に座る小人形に、メディスンは笑顔を向ける。
彼女の言葉にもある通り、今掌の上で足をぶらぶらさせる小人形は最近まで鈴蘭畑に倒れていたままだったのだ。それが、今年の一味違う毒に晒される事によって、今のように自律した動きと飛行ができるようになったのである。
これは、メディスンの場合に比べると見違えるような速さなのだ。更に言えば、小人形は極僅かな変化とはいえ、表情を変えて感情表現すらやってのけるのである。
ここまでくれば、ともうすぐそこであろう対話の時に向けて、メディスンの期待も否応無く膨らむと言うもの。俄然、コンパロにも力が入る。
「よし、じゃあ今日はもうちょっとやってみようか」
周囲の瘴気がすっかり自分と小人形に吸収されたのを確認し、メディスンは小人形に語りかけた。
小人形は頷くと、ふわりとメディスンの掌から離れる。
「コンパロ、コンパロ、よや、とく来たれ~♪」
再びくるくると、くらくらと、いつ倒れても不思議じゃない動きでメディスンは回り始めた。
小人形もまた、毒を集める事はできないもののくるりらりと回っている。それがただメディスンの真似なのか、いずれ毒を集めるようになろうという考えによるものかは分からない。そこの所は、彼女が口を聞けるようになるまでのお楽しみだろう。
そして、見る見るとメディスンの周りの空気が紫に染まっていく。手を一杯に伸ばせば、指先が霞んでしまうほどだ、
「わー、わー、わあー」
手を戻し、もう片方の手と共に頬に当ててメディスンは感嘆の言葉を洩らす。先程集めたばかりだというのに、この濃度。彼女はとても嬉しくなった。
「凄いったら凄いわ、スーさん♪ もうどうしましょう♪」
言って、メディスンは回り始める。
くるくる、くらくら、ゆらゆらと。
そうしてコンパロも一段落ついた頃。
「……? あれ?」
鈴蘭の中で座って居たメディスンは、丘の中に誰かが入ってきたのを察知した。
人形とはいえ、殆ど妖怪みたいなものであるメディスンの事。己のテリトリーである丘の事であれば、そう苦労する事無く察せられるのだ。
「んー、いつもの二人じゃないなぁ。誰だろう?」
いつもであれば、赤と紺の服で髪の長い正体不明なヒトと、髪と耳が長い兎が連れ立って毒を貰いに来る。しかし今日はどうやら別の誰かが来たらしい。
ただいつもの二人なら、少なくとも片方は丘の敷地の中に入ってこようとしないのだ。加えて、迷い込んだ無知なる者では無いと言うのは、速まりも遅れる事もなく等速で真っ直ぐ歩く様子からすぐに読み取れた。
「誰かしら? 誰だろうねぇ?」
肩に座る小人形に語りかけながら、メディスンは立ち上がる。
「行ってみようか? 行きましょうか」
誰であれ、人形開放へ向けて日々社交術を磨いている以上、会いに行かない理由が無い。メディスンは丘の中心へと歩いてくる誰かを目指して一歩を踏み出した。
―――少しでも風が吹けば、丘中に咲き乱れる鈴蘭の白い花びらが美しく舞い散っていく。
そんな中を、片手に新聞、片手にハンドバッグを持って、アリス・マーガトロイドはたった一人で歩いていた。
何故一人かと言えば、この地に滞在した後の各処理が面倒という理由で、普段一緒にいる人形達は留守番を任されているからだ。
「綺麗は綺麗だけど……」
口をもごもごやりながら一人ごちる。この言葉通り、丘の外見の可憐さに騙されてはいけないという事を、彼女は良く知っていた。
「……これで毒さえなければねぇ。良い所なのに」
溜息を一つ零す。
確かに毒さえ無ければ、この可憐な鈴蘭の中で長時間ぼんやりしていたくもなるだろう。正に残念といったところだ。
ちなみに、そんな中を行く以上、アリスの毒への対策は万全である。
まずは首と両手首、それと両足首のそれぞれに防毒の魔力が込められたアミュレットを装着しているのだ。見た目はお洒落なブレスレット等にしか見えないこれらが、全身の表面に薄い結界を形成し、皮膚呼吸や眼球等から身体に毒が直接進入する事を防ぐのである。
更に口からの呼吸に寄る体内の汚染を防ぐ為に、アリスは解毒の魔力を持つ石として名高いベゾアール石を飴のように舐めていた。お守りのように身に付けているだけでも効果がある魔法の石なのだから、口に含んでいれば一層効果があるだろうと考えての事だ。
尚、実用性一辺倒では今一なので、ベゾアール石にはグレープフルーツ味になるよう魔法がかけてあったりする。
「それにしても、本当にこんな所に居るのかしら?」
新聞へ視線を落とし、呟く。
そこには、〝鈴蘭の丘の怪!? ひとりでに動く人形を見た!〟という、わざわざ胡散臭さを助長させる見出しが躍っていた。
「…………」
目線で溜息を吐く。
意外性や話題性を出したかったのかもしれないが、逆効果もいいところだ。
そんな素敵な見出しの根拠とされるのは、複数の目撃証言と、実際に付き合いがあるという者の談話である。これがなければ、アリスとてわざわざこんなところまで足を運ぶ事も無かったろう。
「まさかヤラセの筈もないだろうし……」
新聞から一面の鈴蘭へと視線を戻し、アリスは進み続ける。
先程から独り言が多いのは、やはり不安だからに違い無い。自分を納得させ続けないと、疑念からすぐに回れ右をしそうなのだ。無駄足の可能性がゼロじゃないという確信が無い為、仕方ないと言えば仕方ない。
それでも尚進むのは、出会えた時のメリットを考えての事である。
「もし記事の人形が昔見たあの人形なら……いいえ、あの人形で無くても、一人で考え一人で動く人形なのは間違い無い様だもの。だとしたら製作者に出会えるかもしれない」
そして出会う事が叶うなら、アリスはその者に弟子入りしたいとさえ考えていた。
一人で魔導書やマジックアイテム等と格闘しながら研鑚に励むのも悪く無いが、手っ取り早い手があればそれを選択するのが魔法使いとして当然である。どれだけ難解な事だろうと、その答えを知っている者が居るのならその者から聞き出せば良い話なのだ。
勿論、プライドと相談する必要はある。それに、時折聞き出す事が結果的に周り道になる事もあったりするが、弟子入りしてでもと考える時点でそうはならないだろうとアリスは考えていた。
となれば、残る心配は一つ。
「うん。……魔理沙みたいなのじゃないと良いんだけど」
出鱈目な代価を要求されたらどうするか、である。それが許容範囲内であれば逡巡の必要も無いのだが。
「……まぁ、その時にならないと分かんないわよねぇ」
杞憂で済みますように、と願いつつ、アリスは歩き続ける。
白い白い一面の可憐な鈴蘭の中を、毒を孕む危険な鈴蘭の中を。
視界に広がる、この、まるで世界に自分しか居ないかのように錯覚させられる鈴蘭の中を。
アリスはたった一人、歩く。
「…………」
ふと、足が止まる。
そういえば随分都合が良い思考をしている事に今更気付き、自己嫌悪に苛まれてアリスは額に手をやりつつ溜息混じりに俯いた。
どんな方向にせよ、考えが一つの方向へ傾倒してしまうのは魔法使いとしてよろしくない。常に多角的で多面的な思考を心がけないと。
「やれやれね。……こんなだから、魔理沙に良いように振り回されるのよ」
ふぅ、と息を吐き、前髪を掻き上げながら顔を上げる。
「……ん?」
気を取り直した視界に、鈴蘭と空以外のものが映った。
「あれは……」
小さいが、人影である。まさか自分のような物好きが他に居るとは思えないから、恐らくは目的の相手だろう。
そして、どうやら向こうも此方に気付いたらしい。やや早足でこちらにやって来る。
「…………えっ、と」
相手に合わせようかどうかで数瞬悩んだ後、アリスは新聞を畳んでバッグに詰めながら普通に歩いて行く事にした。
互いに距離を詰めて行く。
アリスは普通に。
メディスンは少し早く。
さわさわと鈴蘭を掻き分けて。
そして―――
「ああ」
メディスンを目の前にして、アリスは安堵の息を吐いた。今自分の前に居る少女から感じる気配は、生物のそれとは違っていたからだ。強いて言えば、手持ちの人形の中で一番長く活動する者と、そこらに居る妖怪の中間辺りの気配である。
ただ一つ残念なのは、昔に見た人形では無いという事だ。我が侭だが、出来るならあの時見た人形ともう一度出会いたかったからである。
「まぁ、記事は間違っていなかったようね」
そう呟くアリスを、メディスンは不思議そうに見上げ、言った。
「ねぇ、あなたは誰?」
淀みの無い声と、喋った事にアリスは少なからず驚く。自分の産み出した人形よりも明らかに先を行く出来である。そして見た目を裏切らない可愛らしい声音。
人形愛好家として、確実ではないものの生きた人形を前に、身震いしそうな程の感動を覚えるのは自然だろう。
深呼吸をして頬の紅潮やら何やらを無理矢理ねじ伏せる。
「私? 私はアリス。アリス・マーガトロイド。魔法使いよ」
そして、どうにか必死に感情を顔に出さないようにして、不自然にならない程度に優しく応えた。
「でも、他人に名前を聞く時は自分から名乗るのが作法というものよ?」
「へぇーそうなんだ。スーさん、私初めて知ったよ?」
アリスの言葉にメディスンは素直に感銘を受け、辺りに向けて嬉しそうに言う。
「……スーさん?」
当然、メディスンの所作にアリスは不思議そうに辺りを見る。
この場には、アリスとメディスン以外は、名も無い小人形しかいない。だがメディスンは、どう見ても肩に乗っている小人形に語りかけたようには見えなかったのだ。
いかにも不思議そうな顔をするアリスに、メディスンもまた不思議そうな顔をして言った。
「私の周りに、アリスの周りに、ほら、辺り一面に居るじゃない」
メディスンにとっては、鈴蘭の事がスーさんなのである。
しかし、彼女の常識は彼女の常識でしか無い。
両腕を広げてくらりと回るメディスンに言われ、辺りを見て、それからアリスは納得した。言われてみれば、安直なあだ名だろう。
「ああ成る程、鈴蘭の事ね」
自分の言葉にうんうんと頷くメディスンを見て、アリスは微笑みながら改めて納得する。そしてメディスンの方から何の沙汰も無さそうなのを感じ、結局自分から聞く事にした。
「……それで、あなたの名前は?」
問われ、メディスンはああ、とでも言いそうな顔で、ぽんと手を合わせる。
その態度と表情から、失念していたのは誰の目にも明らかだ。
「私はメディスン・メランコリーって言うのよ」
「そう。じゃあ……メディスン。聞きたい事があるんだけど、いいかしら」
屈んで目線の高さを合わせながら、アリスは言う。
普段であれば、礼儀上彼女は初対面の相手を名前で呼び捨てにするような事はしないし、されても良い顔をしない。だが、先にメディスンが呼び捨てにしてきたのを注意し忘れている事からして、何だかどうでも良くなっていた。
何せアリスにとって、メディスンからは邪気とかそういう負の感情が全く感じられないのだ。魔理沙相手の場合のように、対抗心から呼び捨てにし返しているのとは随分な違いである。
これはメディスンが感情表現を苦手としているのか、むしろ感情と呼べる程の意思表示が出来ないのかもしれない。アリスはそう考えた。
「なぁに? アリス」
小首を傾げ、メディスンは瞳に好奇心を載せてアリスを見る。
「―――」
可愛げ満点なメディスンの挙動に、アリスはほんの一瞬だけ彼女を抱き締めて頬擦りして撫で回したい衝動に駆られた。アリスにとって、ただでさえお持ち帰りを我慢していた所にこれなのだ。理性がすっ飛ぶ方が自然である。
「ん、ゴホッ」
だがアリスは目的を見失いはしなかった。背筋を伸ばして咳払いし、強引に自分を取り戻す。こうしてどうにか衝動に駆られただけで済んだのは、偏に彼女のプライドに寄る所が大きいだろう。
所謂、魔理沙じゃあるまいし、という奴だが。
ただし、彼女の魔理沙像は日頃の対立から少々歪んでいる。例え立場をそっくり入れ替えたとしても、魔理沙は抱き付いたりしないだろう。多分。
とにかく、先ほどので感情表現については何ら問題ない事が判明した。そうなると、メディスンはただ単に純粋で素直なのだろう。人形らしいと言えばらしいのだが、少し違和感が残る。
……と、その前に聞かなければならない事があったわね。
「メディスン。あなたは、人形よね」
一先ずは疑問を脇にやり、アリスは不思議そうな目を直向にぶつけてくるメディスンと再び高さを合わせながら確認の為に言った。
「うん。私は人形よ? それがどうしたの? アリス」
果たして確約は得られた。
メディスンの答えに、アリスは鼓動が高まっていくのを感じる。
「じゃああなたは、自分が誰に作ってもらったか、覚えてる?」
落ち着け落ち着け、と内心繰り返しながら質問をした。素直に応えるとは限らないのだから。
「ううん、知らないわ。アリスは、自分が誰に作られたかって、分かるの?」
そしてメディスンの返事は率直で、しかも彼女は心底不思議そうに問い返している。
「分かるけど……」
てっきり、これで目的の答えが得られると思っていたアリスは少し驚いた。教えないのならまだ分かるが、分からないとは。
魔界人であるアリスの場合は、魔界神である神綺に創られたと知っている。人間や妖怪であれば、産みの親もいるだろう。それが同族であったり自然であったりの違いはあるが。
そして人形であれば、ましてメディスンのように生きている人形であれば、製作者の事を覚えていない筈が無いと考えていたのだ。
……何故、分からないのかしら?
アリスの見たところ、確かにメディスンはかなり年季の入ったビスクドールだ。しかし付喪神となる程年月を経た様子は感じられ無い。ひょっとしたら、誰かの気まぐれで命を吹き込まれでもしたのだろうか? 幻想郷はそういう物好きに事欠かないし。
「凄いわ、スーさん。アリスは誰に作ってもらったか知ってるそうよ? あなたも知らないよねぇ?」
アリスが疑問に思う中、メディスンは感心した様子で鈴蘭や小人形に声をかけている。
この声にアリスは我に返り、それから改めて質問した。
「……ねぇ、メディスン。本当に分からないの?」
「うーん。分からないわ」
腕組みしてちょっとだけ考えて、メディスンは返事をする。考えずとも分からないものは分からないと分かっているのだが、問いを無下にするのが良く無い事はいつもの二人を相手に何となく学習していた。
「そうなの」
ふむ、と一呼吸置いて、メディスンの答えにアリスは可能性の高そうな理由を考える。といっても、大別すればたった二種類。もの覚えがあまり良く無いか、何らかの原因で命を得たか、である。そして恐らく後者で、更に言えば偶然的なものだろう。
そうアリスは考えた。
だが、彼女の推論はすぐに覆される事になる。
「だって私、ここに棄てられてたんだもの。誰が私を作ったかなんて、覚えてる筈が無いわ」
「え?」
アリスにとってこれこそ完全に予想外だった。
「どうして……棄てられたって、分かるの?」
「だって、物心付いてから色々出来るようになるまで、ずっとここで寝てたんだもの。人形って人に操られるものなんでしょう? それが誰からも顧みられてないんだから、要は棄てられたって事だと思うわ」
考えようによっては悲惨な境遇を、メディスンは無感動に言う。比較する他の境遇を知らないからだろう。
アリスの瞳に、隠しきれ無い憐憫の情が滲む。
「……それも、そうね」
「だから、誰が私を作ったかは、知らなくても普通よね?」
「……ええ、そうね。ごめんなさい、変な事を聞いてしまったわ」
当然の事を言っているに過ぎないメディスンにとって、何故ここでアリスが申し訳無さそうに謝るのか分からなかった。
「変な事を聞いたら謝るものなの?」
だから、その事を疑問にして率直に言葉にする。
「そういうものよ」
「じゃあ、さっきのは変な事だったの?」
メディスンは更に問う。
「……聞いても分からない事を聞くのは、変な事だと私は思うわ。例えその事を知らなくてもね」
無邪気な問い掛けに、アリスは再び違和感を覚えながらも答えた。
「そうなんだ」
新たな知識を得た事に、メディスンは嬉しそうに微笑む。
「そうなのよ」
アリスも釣られて微笑んだ。
笑顔が交錯し、毒の園に似合わないほんわかして空気が生まれる。
そんな中で、ふと気になったのだろう。メディスンの表情から笑みが薄まった。
「ところで、アリスは私とお話しに来たの?」
「え? ……いいえ、私はメディスンに聞きたい事があって来たのよ」
アリスの答えに、メディスンはかくっと首を傾げる。彼女と一緒に小人形も首を傾げたので、アリスは吹き出すのを堪えるのに苦労した。
「? それって、お話しに来たんじゃないの?」
「うーん……少し、違うわね」
姿勢を戻し軽く腕を組んで考えた後、アリスは右手をひょいと上げて人差し指を空に向ける。
「そうね、聞きに来たっていうのは、主題がはっきりしてるでしょう? ところが、ただお話っていうだけだと、取り留めの無いお喋りなんだもの」
「……へぇ、そうなんだ。じゃあアリスは、さっきみたいな事を私に聞きに来たのね?」
「ええ」
感心した風のメディスンに笑顔を向けながら、アリスは右手を戻した。そして視線にやや興味を上乗せする。人形遣いとして、自律して動き理解力もあるメディスンの思考中枢がどこにあるのか、中々気になるところである。やはり頭か。
「何でかしら?」
アリス笑顔を見ながら、メディスンは尚も問う。用事が済めば早々に引き上げてしまういつもの二人に比べ、今日初めて出会ったアリスは一々色々答えてくれるので、ついつい聞き募ってしまうのだ。
「あなたが人形だからよ。あなたのように、命を得る程の技術で産み出された人形なら、封入される前の魂だとかそういう形で何か覚えてるかもって思ったの」
そして当然のように答えるアリスである。
「……ん、と、それは私を作った誰かの事?」
「そうよ」
「へぇ~。でも、毒を貰いに来る以外の御用事って、初めてだわ」
「毒を……貰いに?」
メディスンの何気ない一言に、アリスは驚いた。周りを見ればそれこそ毒だらけの環境だが、それでも誰かが彼女に毒を貰いに来るというのは意外に思ったのだ。
「そうよ。赤と紺の服で髪の長い不思議なヒトと、耳と髪が長い兎の二人が、良く私に毒を貰いに来るの」
その二人が誰か、アリスは即座に見当がついた。いくら幻想郷とはいえ、そんな奇抜な二人組みは永遠亭の師弟、八意 永琳と鈴仙・優曇華院・イナバの他に居る筈が無い。
しかし、毒とはいえわざわざここまで足を運ぶ程の価値があるのだろうか? アリスがそんな疑問を抱くのも当然だろう。あの師弟、特に師匠の方なら、家庭菜園等とのたまってさまざまな毒草を栽培していそうなものだ。
「……あなたが、毒を持っているの?」
「毒を持っているのはスーさんよ。少し集めて見ましょうか?」
困惑気なアリスに、メディスンは首を左右に振った後言った。
「……集める?」
当然、それが何なのかアリスは分からない。
「ええ。だって私は毒を操れるんだもの」
しかしメディスンは言うが早いが、「コンパロ、コンパロ~」とゆらゆら回り始めた。
すると、鈴蘭の丘のそこかしこから毒がメディスンへと集っていく。
「うわ……」
紫の瘴気を前に、アリスは思わず後退る。だがその量、濃度、純度、どれをとっても驚嘆すべきものだ。成る程、これなら永琳も自ら足を運ぶだろう。
「大丈夫よ? アリス。そっちへは毒を向けないから」
メディスンは瘴気越しにアリスへ不敵な笑顔を向け、鈴蘭の毒を自身と小人形へと集め、吸収していく。
見る間に瘴気が薄まっていき、メディスンの姿がはっきりと見れるようになってから、ようやくアリスは表情に不安を浮かべた。
「メ、メディスン、大丈夫なの?」
心配なものの先程の紫の瘴気を見た後では、直接触れるのは如何にアミュレットで守られていようとも憚られる。だからアリスは、中途半端に手を伸ばし、曖昧に揺らすだけだ。
そんな不思議な手の動きを目で追いながら、メディスンは応える。
「うん。だって、私はスーさんのおかげでこうして動けるんだもの」
「スーさんって……」
辺りを見回し、それから先ほどの現象を思い出し、アリスは一つの答えを見出した。
「まさか、毒で?」
「そうよ。私はスーさんの毒で生きているの」
メディスンは当然とばかりに頷く。それが彼女の当たり前であり、違えようの無い事実だからだ。
「……う~ん……」
そんな彼女を前に、アリスは組んだ腕を直しながら思考の唸りを上げる。
「……鈴蘭の毒が心の毒だとは聞いた事があるけど……」
知識と経験を過不足無く組み合わせ、疑問を解かす為の理論として構築していく。
だがどう考えても、また自分の知るあらゆる事例を当て嵌めても、目の前の少女人形が生きている理由が理解出来なかった。何せ鈴蘭の毒で人形に命を与えるというのは、聞いた事が無い。ひょっとしたら、毒だけじゃなく経年による半付喪神化もあっての事かもしれない。
ただ、まぁ。
結論は一言に集約できる。
「……そんな作用があるなんて、知らなかったわ」
心の中でお手上げをするアリスだった。
「でも現実としてあなたがこうして生きているものねぇ」
「うん。私が私なのはスーさんのおかげよ?」
「うーむ……」
……これは、もっと実験すべき問題ね。見た所、メディスンだけじゃなく肩の人形の方も意思を持っているようだし―――
と、アリスの思考が更なる深みに嵌りそうになった所で、
「ところでね、アリス」
メディスンが上目遣いに問い掛けてきた。
この問いにアリスは思考専心時空から現実へ引き戻される。
「え? あ、何かしら」
「今度は私から聞いても良いかしら」
「ええ良いわよ」
応え、それから腕を解いたアリスは軽く辺りを見回しながら言う。
「……でも、その前に座らない?」
「? どうして?」
「立ちっ放しは疲れるのよ」
心底不思議そうに言うメディスンに、アリスはやや調子が狂う思いをしながら答えた。いずれ来るであろう時の予行練習だと思えば、メディスンの様々な反応はむしろありがたいくらいである。
「そうなんだ」
頷くメディスンに目で応えた後、周囲に適当な空き地が無い事を見たアリスは、ポケットからハンカチを取り出した。そしてそのハンカチの四隅に簡単な魔法を掛ける。
すると、ハンカチはさながら魔法の絨毯のように空中に静止した。
「わぁー」
それを見たメディスンは、まるで初めてサーカスの演目を前にしたように瞳を輝かせている。
「別にそう難しく無いわよ?」
そんなメディスンに苦笑しながら、アリスはハンカチを掴むと膝より少し高い位置に置き、その上に腰を下した。
「そうなんだ」
「あなたも座る?」
「ううん。いらないわ」
「そう」
人形だけに、同じ姿勢を続ける事に苦痛を感じないのだろう。そうアリスは解釈した。
「……あ」
簡単なやり取りの後、メディスンはふと拍手を打つ。表情等から察するに、聞きたい事があったのを思い出したのだろう。
「それでね? アリスは、何で私を作ったヒトを探しているの?」
「私が人形遣いでもあるからよ」
すぐに返された応えに、メディスンは表情を僅かに険しくさせる。
初対面であるアリスはその小さな変化に気付かなかった。自分の言葉がどれだけ危ないかという事にも、もちろん気付く筈が無い。
「だから、あなたのような人形を作れる者が居るのなら、教えを請おうと思って」
気付かないまま、アリスは話し続ける。メディスンと喋る事に夢中になっているのかもしれない。
そんなアリスに向けてメディスンは静かに毒を集中させた。ばれないよう、静かに、また色も匂いも無い厳選した毒でアリスを包んでいく。
……あれ?
しかし、効果は無い。いつかの時に兎に少し嗅がせたら、それだけで兎は倒れて痙攣して暫く来なくなったのだが。
これはアリスの慎重で万全を期す性格が幸いした結果だけれど、その事をメディスンは知らない。
「……アリスは人形遣いなの?」
だから声音にも微妙な変化があった。威圧と不審と警戒という、好ましく無い感情による変化だ。それにも頷けるだろう。何せメディスンは人形開放を目指しているのだ。日頃人間に操られるばかりの人形達を、どうにか救いたいと考えているのだから。
そこへ来て、今彼女の眼の前に座るアリスは、自分を人形遣いと言ったのである。即座に毒に寄る殺害か、毒に寄る心身支配で自由を奪うかして当然だ。
実際はアリスの防毒の前に完全に無効化されてしまっているが。
「ええ。正確には、人形を媒体とした七色の魔法を得意とする魔法使い、かしら」
「へぇ……」
今度こそ、とメディスンはより濃い毒を集めていく。そして寄り集まった毒の塊がまさにアリスへ迫ろうとした時、相変わらず自分の危機に気付かないアリスが口を開いた。
「それで、より精巧で生きている人形を作りたいから、ここに来たの」
「!」
人形を作りたい。
この言葉を聞いた瞬間、メディスンはせっかく集めた毒を拡散させてしまっていた。操るばかりであるなら気にも止めなかったが、作るとなれば話しは変わってくる。何しろ、作り手が居ない事には人形は増えないからだ。
犠牲者を増やすという意味では感心しないが、それ以上の、仲間を増やしてくれるという意味で大いに歓迎すべき存在である。
「アリスは……人形を作れるの?」
先程までの心情はどこへやら、今までに無い興味を瞳に輝かせてメディスンは言う。
「ん? ええ。家に帰れば私の作った人形が沢山あるわよ」
これに、アリスは人形とは言えやっぱり女の子か、と暢気な感想を浮かべていた。
「沢山? 沢山って、スーさんくらい沢山?」
両腕を広げてぐらりと回るメディスンに、アリスは苦笑する。
「うーん……そんなには無いと思うけど、三百はあった筈」
「三百! 凄いわ」
目を見開いて驚くメディスン。もはや、先程までの暗い感情は完全に何処かへ消えていた。
そして膝上に身を乗り出さんばかりな彼女に、アリスはある事を思いつく。
「そうだ。あなたの友達を増やすのもいいかも」
「え?」
きょとんとするメディスンに、アリスは続ける。
「私が作った人形を、ここに置くの。そうすれば、鈴蘭の毒でいずれはあなたのように生きた人形になるんでしょう? それは、私にとってもあなたにとっても素敵な事だと思うわ」
一呼吸置いて、アリスはメディスンの目を見て微笑んだ。
「どうかしら?」
メディスンからすれば願ったり叶ったりである。
「わぁー、凄いわ、凄いわ」
諸手を挙げて喜ばない筈が無い。
「あ」
そしてそんなメディスンの喜びとは別に、アリスは閃きを得ていた。
「そうよ、そうだわ」
先にメディスンがやったように、ぱしんと手を打つ。
「そうすれば、私もあの子の本音を知る事が出来る。私の一方的な思い込みじゃない本当の形で、あの子達を知る事が出来る」
「……え?」
思いもしないアリスの言葉に、メディスンは万歳のまま動きを止めた。
これはアリスが人形をただの物として捉えていないという事であり、また、彼女はメディスンが思う以上に人形寄りの考えをしているという事である。
「だってそうじゃない。今は私の魔法による命令で操っているけれど、あの子達が本当は何をしたいのか分からないもの。そういう事は、常々聞いてみたいと思っていたわ」
「アリスって、人形に理解があるのね」
メディスンは思わず本心から感心した。人は誰でも人形をただの物としか見ていないと思い込んでいたからだ。
「身近な存在……うーん、私は家族だと思ってるから」
「家族……?」
アリスの言った聞き慣れ無い言葉に、メディスンは何度目かの不思議そうな顔をする。
「そうよ。メディスンだって、肩の子は家族も同然でしょう?」
「?」
更に言われ、メディスンは小人形と顔を見合わせ、揃って首を傾げた。
「……あなたは、私の家族なの?」
傾いたままメディスンは小人形に問い掛ける。
小人形からの答えは、首を戻し左右に振る事で返された。
それを受け、視線をアリスに戻したメディスンは、やはり率直に疑問を述べる。
「家族って何かしら? アリス」
「え? ……うーん、と」
問われて初めて以外と答え難いと気付いたアリスは、軽く空へ視線をやりながら指先で下唇をなでた。
「ん……普通は、親や兄弟姉妹の事よ。だから、メディスンの場合だと作ってくれた人と、ここの鈴蘭がそれぞれ親になるかしら」
「へぇ」
「それで、そっちの人形さんもここで意思を得たのなら、メディスンとその子は姉妹という事になるわね」
言われて、メディスンと小人形は視線を交わす。それから、二人はアリスの方へ向き直った。揃って今一良く分かっていない顔である。
それはそうだろう。家族と言う言葉を知らない以上、親や兄弟姉妹という事もちゃんと知っているかどうか。
「……なるの?」
「少なくとも、私はそう思う。そしてそれは、家族が居るというのは、とても素敵な事なのよ?」
「家族が居ると、素敵なの?」
「ええ、素敵よ。でも……こればっかりは、口で言うより実感して貰う方が良いと思うわ」
アリスの答えに、メディスン達の表情が増々混迷に彩られていく。良く理解出来ていないところに加え、実感した方が早いとは。一体どれほど難解なんだろう、家族と言うのは。
「……ふーん。じゃあアリスに家族は居るの?」
「居るわ。私を創ったお母様に、姉妹が沢山。後、家に娘が一杯ね」
「その人達は、アリスにとって素敵?」
嬉しそうに言うアリスに、メディスンは不思議そうに問う。
「……素敵よ」
これにアリスは少し考えた後、優しい笑顔を浮かべて答えた。
「ふぅん……そうなんだ」
曖昧に頷きながら、メディスンは小人形の方を見た。小人形もまたメディスンを見る。軽く見合った体勢のまま、少ししてふとメディスンは気が付いた。
「そういえば、あなたは素敵だわ」
これに小人形はすぐさま頷いて応える。それから、小人形はメディスンを見ながら何度か頷いた。
小人形が何を伝えようとしているか、アリスから見てもすぐに分かる。そんな微笑ましい様子を眺めていたら、メディスンが相好をにへらと崩していた。通じたのだろう。
「そういえば……メディスン?」
そしてそんなメディスンを見ていたら、沸々とある疑問が湧いてきた。というより、今まで付喪神だ何だの思考が邪魔をして気付けなかったのだろう。
「なぁに?」
笑顔のまま、メディスンはアリスの方へ向き直る。
「気になったんだけど、あなた、歳は幾つなの?」
「歳?」
アリスの問いに、くきっ、と首を傾けるメディスンである。何度見ても可愛らしい。
これにはアリスも答えに窮した。家族の事もそうだが、色々知らないにしても程があるだろうに。さてさてどうしよう、と助けを求めるように周囲へ軽く視線を飛ばし、あるものがアリスの目に映った。
「うーん……じゃあ、メディスン? ほら、あの山が緑から紅くなっていく様子を何回見たの?」
今は大分寂しくなっているが、まだちらちらと紅が残る山を指差しながらアリスは言う。
その指差す方向を見て、メディスンは少し考えて答えた。
「……三回くらい」
「じゃあ三歳、か。……かなり最近なのね」
三歳であるならば、また相応にしか物事を知らないのであれば、今までのやりとりや感じた違和感も納得できる。本当にありのままに純粋なだけだったのだ。
「私は三歳なの?」
「ええ」
「あの山の色が変わるのを見た回数と、歳って同じなんだ」
「そうよ。歳っていうのは、今までどれだけ生きてきたかの分かり易い基準ね。そして、どれだけ世界を知っているかの目安にもなる」
「世界……」
この単語に、メディスンは少し表情を曇らせる。
「ええ」
「私は、スーさんの居るここぐらいしか知らないわ。アリスは、沢山知っているの?」
「知っているわ。魔界から魔法の森から、大体幻想郷の半分位はね」
「凄いのね」
メディスンは素直にアリスの事を褒めた。本当に凄いと思ったからだ。
しかしアリスは彼女の賛美に軽く首を振る。
「そうでもないわよ? メディスンだって、ここから出て色々回ってみれば沢山の世界を知る事が出来るもの」
「そっか。……そうよね」
至極尤もなアリスの言葉だが、応えるメディスンの声は少し暗かった。
この鈴蘭の丘しか知らない以上、始めの一歩に対する忌避感が強いのかもしれない。それとも、別の何かがあるのかも。アリスはメディスンの様子からそう考えた。
「そうよ」
だからそっと、メディスンの不安を包むような優しさを一言に込める。
「……でも、外は怖いわ」
返答は、アリスにとって予想通りのものだった。
しかし怖いという事は、興味を持っているという事でもある。
「そうかしら……ああでも、そうかもしれないわね。だけど、怖い以上に良い事が沢山ある筈よ?」
「…………」
無言。けれども、アリスはメディスンの表情に浮かんだ逡巡を見逃さなかった。迷うという事は、リスクを推し量れないという事。ならば、そこを軽減してやればメディスンの世界は瞬く間に広がるだろう。
「そうね……メディスン」
「なぁに?」
「明日は暇かしら?」
「暇?」
アリスはもう慣れていた。
「特にする事は無い、という事よ」
だから、予め用意してあった答えをすぐに言う。
「私は、スーさんの毒を集めないと」
小人形の方に視線をやりつつ、メディスンは申し訳無さそうに応えた。
誘ってくれているという意識があっての上なら、もう焦る必要は無い。
「そっか……じゃあ、その子が喋れるようになったら、暇になるかしら」
「かもしれないわ」
「それなら、その日かその翌日に、一緒にこの鈴蘭の丘の外へ行ってみない?」
「えっ?」
メディスンの目が驚きに見開かれる。まさか外への一歩にアリスが付き合ってくれるとは、思いも無かったのだろう。
そんなメディスンを目で楽しみながら、アリスは続けた。
「そうね、まずは私の家に遊びに来るとかどうかしら? 私の人形達も、きっとあなたに会ってみたいと思う筈よ」
「アリスの家に?」
ますますメディスンの表情が驚きに染まる。
「ええ」
「……良いの?」
頷いたアリスに対し、メディスンはもじもじと言う。嬉しいは嬉しいのだけれど、素直に受けてしまって良いものかと申し訳なくなっていた。
「くすくすくす……」
「? アリス?」
そこへ聞こえてきたのは、口に手をやって忍笑いを洩らすアリスである。
「いえ、メディスンは変な事を言うのね?」
不思議そうなメディスンに対し、アリスは言葉を返した。
「えっ?」
「だって、誘ってるのに駄目だなんて言う筈が無いじゃないの」
「あ、そうか」
「そうよ」
それから、二人は顔を見合わせた後、一緒にくすくすと笑う。
まるで人間で言えば十年来かの友人であるかのような雰囲気で、くすくす、くすくすと。
―――けれどそんな素敵な時間は長続きしなかった。
アリスの左手首に付けられていたアミュレットが、鈴のような音を二回響かせたのだ。その音は、アミュレットの効力の限界が近付いている事の合図である。
「ああ、もうこんな時間」
アリスは適当ないい訳を考えながら、ハンカチの椅子から腰を上げた。
「どうしたの?」
もっと話をしたい、もっと一緒にいたい、そう思い始めていた所にこの無粋である。メディスンとしては不安を隠すのは難しい。
「ごめんなさいね、そろそろ帰らないといけないの」
ハンカチから浮力を抹消し、折り畳んでポケットに入れる。
「そう……残念」
不安が的中し、メディスンは肩を落とししゅんとなった。肩の小人形もそっくり同じ動きをする。
今更ながら、年齢相応に表情がくるくる変わり、正直且つ大げさ気味な感情表現をするメディスンに、アリスは心が温かくなるのを感じた。庇護欲と言っては失礼だろうけど。
「ううん、残念がらなくてもいいわよ?」
「どうして?」
「ここにあなたが居るって私は知ったんだもの。これから、例えば明日にでもまた来て良いかしら」
このアリスの提案にメディスンはぱっと顔を輝かせ、それから満面の笑みで応えた。
「うん、良いよ」
「良かった」
アリスもまた、笑みを浮かべて応えた。
「それじゃあ、メディスン。また明日ね」
一歩下がり、手を振るアリス。
「……うん。アリス、また明日」
初めて使う言葉、動作。そしてそれらの意味を悟りながら、メディスンは手を振り返す。
くるりとアリスは踵を返し、歩き始める。
一拍おいて、メディスンもアリスに倣った。そういうものだと思ったのだろう。
互いに距離を広げて行く。
アリスは普通に。
メディスンはゆっくりと。
さわさわと鈴蘭を掻き分けて。
そして―――
太陽の光が中天から燦々と注ぐ中、鈴蘭の丘に風が吹けば、その風に巻かれて花びらが舞い上がる。
そして、花びらと一緒に毒もそれなりに舞い散るのだ。
「コンパロ、コンパロ、おいでよおいで、スーさんの毒~♪」
一面に鈴蘭の花が咲く鈴蘭の丘の中で、メディスン・メランコリーは呪文を歌いながらくるくるとくらくらと回っていた。
見るからに不安定ではらはらするその動きは、本人としては踊っているのかもしれない。だが彼女の肩辺りに浮遊する小人形共々、客観的に見ると糸が半端に切れた操り人形の動きとそう変わらなかったりする。
まぁ、ある種人形らしいといえばらしい動きだろう。何にせよ、呪文によって風に躍っていた鈴蘭の毒が彼女に集っていく事に変わりは無いのだから。
「……わあ、本当に凄いね? スーさんってば」
自分の周りに滞留する如何にも毒々しい紫の瘴気を前に、メディスンは実に嬉しそうに笑った。
そして瘴気の中でくらくらと回りながら、メディスンは肩の小人形の方を見る。
「ねぇねぇあなた? あなたはまだ分からないかしら? どうすれば喋れるか、分からないのかしら?」
その身に瘴気を吸収させながら、メディスンは小人形に問い掛けた。
彼女の視線の先に在る小人形は、その問いにそれなりに残念そうに頷く。
「そう、残念」
小人形の動きを見て、メディスンの表情が曇った。しかし、すぐに明るい表情を取り戻すと、小人形の方へ掌をそっと出した。
「でも凄いわ。前までは返事もしなかったのにね? それどころか、動けるようになってまだそんなに経って無いのに。……やっぱり今年のスーさんは一味違うわ」
自分の掌の上に座る小人形に、メディスンは笑顔を向ける。
彼女の言葉にもある通り、今掌の上で足をぶらぶらさせる小人形は最近まで鈴蘭畑に倒れていたままだったのだ。それが、今年の一味違う毒に晒される事によって、今のように自律した動きと飛行ができるようになったのである。
これは、メディスンの場合に比べると見違えるような速さなのだ。更に言えば、小人形は極僅かな変化とはいえ、表情を変えて感情表現すらやってのけるのである。
ここまでくれば、ともうすぐそこであろう対話の時に向けて、メディスンの期待も否応無く膨らむと言うもの。俄然、コンパロにも力が入る。
「よし、じゃあ今日はもうちょっとやってみようか」
周囲の瘴気がすっかり自分と小人形に吸収されたのを確認し、メディスンは小人形に語りかけた。
小人形は頷くと、ふわりとメディスンの掌から離れる。
「コンパロ、コンパロ、よや、とく来たれ~♪」
再びくるくると、くらくらと、いつ倒れても不思議じゃない動きでメディスンは回り始めた。
小人形もまた、毒を集める事はできないもののくるりらりと回っている。それがただメディスンの真似なのか、いずれ毒を集めるようになろうという考えによるものかは分からない。そこの所は、彼女が口を聞けるようになるまでのお楽しみだろう。
そして、見る見るとメディスンの周りの空気が紫に染まっていく。手を一杯に伸ばせば、指先が霞んでしまうほどだ、
「わー、わー、わあー」
手を戻し、もう片方の手と共に頬に当ててメディスンは感嘆の言葉を洩らす。先程集めたばかりだというのに、この濃度。彼女はとても嬉しくなった。
「凄いったら凄いわ、スーさん♪ もうどうしましょう♪」
言って、メディスンは回り始める。
くるくる、くらくら、ゆらゆらと。
そうしてコンパロも一段落ついた頃。
「……? あれ?」
鈴蘭の中で座って居たメディスンは、丘の中に誰かが入ってきたのを察知した。
人形とはいえ、殆ど妖怪みたいなものであるメディスンの事。己のテリトリーである丘の事であれば、そう苦労する事無く察せられるのだ。
「んー、いつもの二人じゃないなぁ。誰だろう?」
いつもであれば、赤と紺の服で髪の長い正体不明なヒトと、髪と耳が長い兎が連れ立って毒を貰いに来る。しかし今日はどうやら別の誰かが来たらしい。
ただいつもの二人なら、少なくとも片方は丘の敷地の中に入ってこようとしないのだ。加えて、迷い込んだ無知なる者では無いと言うのは、速まりも遅れる事もなく等速で真っ直ぐ歩く様子からすぐに読み取れた。
「誰かしら? 誰だろうねぇ?」
肩に座る小人形に語りかけながら、メディスンは立ち上がる。
「行ってみようか? 行きましょうか」
誰であれ、人形開放へ向けて日々社交術を磨いている以上、会いに行かない理由が無い。メディスンは丘の中心へと歩いてくる誰かを目指して一歩を踏み出した。
―――少しでも風が吹けば、丘中に咲き乱れる鈴蘭の白い花びらが美しく舞い散っていく。
そんな中を、片手に新聞、片手にハンドバッグを持って、アリス・マーガトロイドはたった一人で歩いていた。
何故一人かと言えば、この地に滞在した後の各処理が面倒という理由で、普段一緒にいる人形達は留守番を任されているからだ。
「綺麗は綺麗だけど……」
口をもごもごやりながら一人ごちる。この言葉通り、丘の外見の可憐さに騙されてはいけないという事を、彼女は良く知っていた。
「……これで毒さえなければねぇ。良い所なのに」
溜息を一つ零す。
確かに毒さえ無ければ、この可憐な鈴蘭の中で長時間ぼんやりしていたくもなるだろう。正に残念といったところだ。
ちなみに、そんな中を行く以上、アリスの毒への対策は万全である。
まずは首と両手首、それと両足首のそれぞれに防毒の魔力が込められたアミュレットを装着しているのだ。見た目はお洒落なブレスレット等にしか見えないこれらが、全身の表面に薄い結界を形成し、皮膚呼吸や眼球等から身体に毒が直接進入する事を防ぐのである。
更に口からの呼吸に寄る体内の汚染を防ぐ為に、アリスは解毒の魔力を持つ石として名高いベゾアール石を飴のように舐めていた。お守りのように身に付けているだけでも効果がある魔法の石なのだから、口に含んでいれば一層効果があるだろうと考えての事だ。
尚、実用性一辺倒では今一なので、ベゾアール石にはグレープフルーツ味になるよう魔法がかけてあったりする。
「それにしても、本当にこんな所に居るのかしら?」
新聞へ視線を落とし、呟く。
そこには、〝鈴蘭の丘の怪!? ひとりでに動く人形を見た!〟という、わざわざ胡散臭さを助長させる見出しが躍っていた。
「…………」
目線で溜息を吐く。
意外性や話題性を出したかったのかもしれないが、逆効果もいいところだ。
そんな素敵な見出しの根拠とされるのは、複数の目撃証言と、実際に付き合いがあるという者の談話である。これがなければ、アリスとてわざわざこんなところまで足を運ぶ事も無かったろう。
「まさかヤラセの筈もないだろうし……」
新聞から一面の鈴蘭へと視線を戻し、アリスは進み続ける。
先程から独り言が多いのは、やはり不安だからに違い無い。自分を納得させ続けないと、疑念からすぐに回れ右をしそうなのだ。無駄足の可能性がゼロじゃないという確信が無い為、仕方ないと言えば仕方ない。
それでも尚進むのは、出会えた時のメリットを考えての事である。
「もし記事の人形が昔見たあの人形なら……いいえ、あの人形で無くても、一人で考え一人で動く人形なのは間違い無い様だもの。だとしたら製作者に出会えるかもしれない」
そして出会う事が叶うなら、アリスはその者に弟子入りしたいとさえ考えていた。
一人で魔導書やマジックアイテム等と格闘しながら研鑚に励むのも悪く無いが、手っ取り早い手があればそれを選択するのが魔法使いとして当然である。どれだけ難解な事だろうと、その答えを知っている者が居るのならその者から聞き出せば良い話なのだ。
勿論、プライドと相談する必要はある。それに、時折聞き出す事が結果的に周り道になる事もあったりするが、弟子入りしてでもと考える時点でそうはならないだろうとアリスは考えていた。
となれば、残る心配は一つ。
「うん。……魔理沙みたいなのじゃないと良いんだけど」
出鱈目な代価を要求されたらどうするか、である。それが許容範囲内であれば逡巡の必要も無いのだが。
「……まぁ、その時にならないと分かんないわよねぇ」
杞憂で済みますように、と願いつつ、アリスは歩き続ける。
白い白い一面の可憐な鈴蘭の中を、毒を孕む危険な鈴蘭の中を。
視界に広がる、この、まるで世界に自分しか居ないかのように錯覚させられる鈴蘭の中を。
アリスはたった一人、歩く。
「…………」
ふと、足が止まる。
そういえば随分都合が良い思考をしている事に今更気付き、自己嫌悪に苛まれてアリスは額に手をやりつつ溜息混じりに俯いた。
どんな方向にせよ、考えが一つの方向へ傾倒してしまうのは魔法使いとしてよろしくない。常に多角的で多面的な思考を心がけないと。
「やれやれね。……こんなだから、魔理沙に良いように振り回されるのよ」
ふぅ、と息を吐き、前髪を掻き上げながら顔を上げる。
「……ん?」
気を取り直した視界に、鈴蘭と空以外のものが映った。
「あれは……」
小さいが、人影である。まさか自分のような物好きが他に居るとは思えないから、恐らくは目的の相手だろう。
そして、どうやら向こうも此方に気付いたらしい。やや早足でこちらにやって来る。
「…………えっ、と」
相手に合わせようかどうかで数瞬悩んだ後、アリスは新聞を畳んでバッグに詰めながら普通に歩いて行く事にした。
互いに距離を詰めて行く。
アリスは普通に。
メディスンは少し早く。
さわさわと鈴蘭を掻き分けて。
そして―――
「ああ」
メディスンを目の前にして、アリスは安堵の息を吐いた。今自分の前に居る少女から感じる気配は、生物のそれとは違っていたからだ。強いて言えば、手持ちの人形の中で一番長く活動する者と、そこらに居る妖怪の中間辺りの気配である。
ただ一つ残念なのは、昔に見た人形では無いという事だ。我が侭だが、出来るならあの時見た人形ともう一度出会いたかったからである。
「まぁ、記事は間違っていなかったようね」
そう呟くアリスを、メディスンは不思議そうに見上げ、言った。
「ねぇ、あなたは誰?」
淀みの無い声と、喋った事にアリスは少なからず驚く。自分の産み出した人形よりも明らかに先を行く出来である。そして見た目を裏切らない可愛らしい声音。
人形愛好家として、確実ではないものの生きた人形を前に、身震いしそうな程の感動を覚えるのは自然だろう。
深呼吸をして頬の紅潮やら何やらを無理矢理ねじ伏せる。
「私? 私はアリス。アリス・マーガトロイド。魔法使いよ」
そして、どうにか必死に感情を顔に出さないようにして、不自然にならない程度に優しく応えた。
「でも、他人に名前を聞く時は自分から名乗るのが作法というものよ?」
「へぇーそうなんだ。スーさん、私初めて知ったよ?」
アリスの言葉にメディスンは素直に感銘を受け、辺りに向けて嬉しそうに言う。
「……スーさん?」
当然、メディスンの所作にアリスは不思議そうに辺りを見る。
この場には、アリスとメディスン以外は、名も無い小人形しかいない。だがメディスンは、どう見ても肩に乗っている小人形に語りかけたようには見えなかったのだ。
いかにも不思議そうな顔をするアリスに、メディスンもまた不思議そうな顔をして言った。
「私の周りに、アリスの周りに、ほら、辺り一面に居るじゃない」
メディスンにとっては、鈴蘭の事がスーさんなのである。
しかし、彼女の常識は彼女の常識でしか無い。
両腕を広げてくらりと回るメディスンに言われ、辺りを見て、それからアリスは納得した。言われてみれば、安直なあだ名だろう。
「ああ成る程、鈴蘭の事ね」
自分の言葉にうんうんと頷くメディスンを見て、アリスは微笑みながら改めて納得する。そしてメディスンの方から何の沙汰も無さそうなのを感じ、結局自分から聞く事にした。
「……それで、あなたの名前は?」
問われ、メディスンはああ、とでも言いそうな顔で、ぽんと手を合わせる。
その態度と表情から、失念していたのは誰の目にも明らかだ。
「私はメディスン・メランコリーって言うのよ」
「そう。じゃあ……メディスン。聞きたい事があるんだけど、いいかしら」
屈んで目線の高さを合わせながら、アリスは言う。
普段であれば、礼儀上彼女は初対面の相手を名前で呼び捨てにするような事はしないし、されても良い顔をしない。だが、先にメディスンが呼び捨てにしてきたのを注意し忘れている事からして、何だかどうでも良くなっていた。
何せアリスにとって、メディスンからは邪気とかそういう負の感情が全く感じられないのだ。魔理沙相手の場合のように、対抗心から呼び捨てにし返しているのとは随分な違いである。
これはメディスンが感情表現を苦手としているのか、むしろ感情と呼べる程の意思表示が出来ないのかもしれない。アリスはそう考えた。
「なぁに? アリス」
小首を傾げ、メディスンは瞳に好奇心を載せてアリスを見る。
「―――」
可愛げ満点なメディスンの挙動に、アリスはほんの一瞬だけ彼女を抱き締めて頬擦りして撫で回したい衝動に駆られた。アリスにとって、ただでさえお持ち帰りを我慢していた所にこれなのだ。理性がすっ飛ぶ方が自然である。
「ん、ゴホッ」
だがアリスは目的を見失いはしなかった。背筋を伸ばして咳払いし、強引に自分を取り戻す。こうしてどうにか衝動に駆られただけで済んだのは、偏に彼女のプライドに寄る所が大きいだろう。
所謂、魔理沙じゃあるまいし、という奴だが。
ただし、彼女の魔理沙像は日頃の対立から少々歪んでいる。例え立場をそっくり入れ替えたとしても、魔理沙は抱き付いたりしないだろう。多分。
とにかく、先ほどので感情表現については何ら問題ない事が判明した。そうなると、メディスンはただ単に純粋で素直なのだろう。人形らしいと言えばらしいのだが、少し違和感が残る。
……と、その前に聞かなければならない事があったわね。
「メディスン。あなたは、人形よね」
一先ずは疑問を脇にやり、アリスは不思議そうな目を直向にぶつけてくるメディスンと再び高さを合わせながら確認の為に言った。
「うん。私は人形よ? それがどうしたの? アリス」
果たして確約は得られた。
メディスンの答えに、アリスは鼓動が高まっていくのを感じる。
「じゃああなたは、自分が誰に作ってもらったか、覚えてる?」
落ち着け落ち着け、と内心繰り返しながら質問をした。素直に応えるとは限らないのだから。
「ううん、知らないわ。アリスは、自分が誰に作られたかって、分かるの?」
そしてメディスンの返事は率直で、しかも彼女は心底不思議そうに問い返している。
「分かるけど……」
てっきり、これで目的の答えが得られると思っていたアリスは少し驚いた。教えないのならまだ分かるが、分からないとは。
魔界人であるアリスの場合は、魔界神である神綺に創られたと知っている。人間や妖怪であれば、産みの親もいるだろう。それが同族であったり自然であったりの違いはあるが。
そして人形であれば、ましてメディスンのように生きている人形であれば、製作者の事を覚えていない筈が無いと考えていたのだ。
……何故、分からないのかしら?
アリスの見たところ、確かにメディスンはかなり年季の入ったビスクドールだ。しかし付喪神となる程年月を経た様子は感じられ無い。ひょっとしたら、誰かの気まぐれで命を吹き込まれでもしたのだろうか? 幻想郷はそういう物好きに事欠かないし。
「凄いわ、スーさん。アリスは誰に作ってもらったか知ってるそうよ? あなたも知らないよねぇ?」
アリスが疑問に思う中、メディスンは感心した様子で鈴蘭や小人形に声をかけている。
この声にアリスは我に返り、それから改めて質問した。
「……ねぇ、メディスン。本当に分からないの?」
「うーん。分からないわ」
腕組みしてちょっとだけ考えて、メディスンは返事をする。考えずとも分からないものは分からないと分かっているのだが、問いを無下にするのが良く無い事はいつもの二人を相手に何となく学習していた。
「そうなの」
ふむ、と一呼吸置いて、メディスンの答えにアリスは可能性の高そうな理由を考える。といっても、大別すればたった二種類。もの覚えがあまり良く無いか、何らかの原因で命を得たか、である。そして恐らく後者で、更に言えば偶然的なものだろう。
そうアリスは考えた。
だが、彼女の推論はすぐに覆される事になる。
「だって私、ここに棄てられてたんだもの。誰が私を作ったかなんて、覚えてる筈が無いわ」
「え?」
アリスにとってこれこそ完全に予想外だった。
「どうして……棄てられたって、分かるの?」
「だって、物心付いてから色々出来るようになるまで、ずっとここで寝てたんだもの。人形って人に操られるものなんでしょう? それが誰からも顧みられてないんだから、要は棄てられたって事だと思うわ」
考えようによっては悲惨な境遇を、メディスンは無感動に言う。比較する他の境遇を知らないからだろう。
アリスの瞳に、隠しきれ無い憐憫の情が滲む。
「……それも、そうね」
「だから、誰が私を作ったかは、知らなくても普通よね?」
「……ええ、そうね。ごめんなさい、変な事を聞いてしまったわ」
当然の事を言っているに過ぎないメディスンにとって、何故ここでアリスが申し訳無さそうに謝るのか分からなかった。
「変な事を聞いたら謝るものなの?」
だから、その事を疑問にして率直に言葉にする。
「そういうものよ」
「じゃあ、さっきのは変な事だったの?」
メディスンは更に問う。
「……聞いても分からない事を聞くのは、変な事だと私は思うわ。例えその事を知らなくてもね」
無邪気な問い掛けに、アリスは再び違和感を覚えながらも答えた。
「そうなんだ」
新たな知識を得た事に、メディスンは嬉しそうに微笑む。
「そうなのよ」
アリスも釣られて微笑んだ。
笑顔が交錯し、毒の園に似合わないほんわかして空気が生まれる。
そんな中で、ふと気になったのだろう。メディスンの表情から笑みが薄まった。
「ところで、アリスは私とお話しに来たの?」
「え? ……いいえ、私はメディスンに聞きたい事があって来たのよ」
アリスの答えに、メディスンはかくっと首を傾げる。彼女と一緒に小人形も首を傾げたので、アリスは吹き出すのを堪えるのに苦労した。
「? それって、お話しに来たんじゃないの?」
「うーん……少し、違うわね」
姿勢を戻し軽く腕を組んで考えた後、アリスは右手をひょいと上げて人差し指を空に向ける。
「そうね、聞きに来たっていうのは、主題がはっきりしてるでしょう? ところが、ただお話っていうだけだと、取り留めの無いお喋りなんだもの」
「……へぇ、そうなんだ。じゃあアリスは、さっきみたいな事を私に聞きに来たのね?」
「ええ」
感心した風のメディスンに笑顔を向けながら、アリスは右手を戻した。そして視線にやや興味を上乗せする。人形遣いとして、自律して動き理解力もあるメディスンの思考中枢がどこにあるのか、中々気になるところである。やはり頭か。
「何でかしら?」
アリス笑顔を見ながら、メディスンは尚も問う。用事が済めば早々に引き上げてしまういつもの二人に比べ、今日初めて出会ったアリスは一々色々答えてくれるので、ついつい聞き募ってしまうのだ。
「あなたが人形だからよ。あなたのように、命を得る程の技術で産み出された人形なら、封入される前の魂だとかそういう形で何か覚えてるかもって思ったの」
そして当然のように答えるアリスである。
「……ん、と、それは私を作った誰かの事?」
「そうよ」
「へぇ~。でも、毒を貰いに来る以外の御用事って、初めてだわ」
「毒を……貰いに?」
メディスンの何気ない一言に、アリスは驚いた。周りを見ればそれこそ毒だらけの環境だが、それでも誰かが彼女に毒を貰いに来るというのは意外に思ったのだ。
「そうよ。赤と紺の服で髪の長い不思議なヒトと、耳と髪が長い兎の二人が、良く私に毒を貰いに来るの」
その二人が誰か、アリスは即座に見当がついた。いくら幻想郷とはいえ、そんな奇抜な二人組みは永遠亭の師弟、八意 永琳と鈴仙・優曇華院・イナバの他に居る筈が無い。
しかし、毒とはいえわざわざここまで足を運ぶ程の価値があるのだろうか? アリスがそんな疑問を抱くのも当然だろう。あの師弟、特に師匠の方なら、家庭菜園等とのたまってさまざまな毒草を栽培していそうなものだ。
「……あなたが、毒を持っているの?」
「毒を持っているのはスーさんよ。少し集めて見ましょうか?」
困惑気なアリスに、メディスンは首を左右に振った後言った。
「……集める?」
当然、それが何なのかアリスは分からない。
「ええ。だって私は毒を操れるんだもの」
しかしメディスンは言うが早いが、「コンパロ、コンパロ~」とゆらゆら回り始めた。
すると、鈴蘭の丘のそこかしこから毒がメディスンへと集っていく。
「うわ……」
紫の瘴気を前に、アリスは思わず後退る。だがその量、濃度、純度、どれをとっても驚嘆すべきものだ。成る程、これなら永琳も自ら足を運ぶだろう。
「大丈夫よ? アリス。そっちへは毒を向けないから」
メディスンは瘴気越しにアリスへ不敵な笑顔を向け、鈴蘭の毒を自身と小人形へと集め、吸収していく。
見る間に瘴気が薄まっていき、メディスンの姿がはっきりと見れるようになってから、ようやくアリスは表情に不安を浮かべた。
「メ、メディスン、大丈夫なの?」
心配なものの先程の紫の瘴気を見た後では、直接触れるのは如何にアミュレットで守られていようとも憚られる。だからアリスは、中途半端に手を伸ばし、曖昧に揺らすだけだ。
そんな不思議な手の動きを目で追いながら、メディスンは応える。
「うん。だって、私はスーさんのおかげでこうして動けるんだもの」
「スーさんって……」
辺りを見回し、それから先ほどの現象を思い出し、アリスは一つの答えを見出した。
「まさか、毒で?」
「そうよ。私はスーさんの毒で生きているの」
メディスンは当然とばかりに頷く。それが彼女の当たり前であり、違えようの無い事実だからだ。
「……う~ん……」
そんな彼女を前に、アリスは組んだ腕を直しながら思考の唸りを上げる。
「……鈴蘭の毒が心の毒だとは聞いた事があるけど……」
知識と経験を過不足無く組み合わせ、疑問を解かす為の理論として構築していく。
だがどう考えても、また自分の知るあらゆる事例を当て嵌めても、目の前の少女人形が生きている理由が理解出来なかった。何せ鈴蘭の毒で人形に命を与えるというのは、聞いた事が無い。ひょっとしたら、毒だけじゃなく経年による半付喪神化もあっての事かもしれない。
ただ、まぁ。
結論は一言に集約できる。
「……そんな作用があるなんて、知らなかったわ」
心の中でお手上げをするアリスだった。
「でも現実としてあなたがこうして生きているものねぇ」
「うん。私が私なのはスーさんのおかげよ?」
「うーむ……」
……これは、もっと実験すべき問題ね。見た所、メディスンだけじゃなく肩の人形の方も意思を持っているようだし―――
と、アリスの思考が更なる深みに嵌りそうになった所で、
「ところでね、アリス」
メディスンが上目遣いに問い掛けてきた。
この問いにアリスは思考専心時空から現実へ引き戻される。
「え? あ、何かしら」
「今度は私から聞いても良いかしら」
「ええ良いわよ」
応え、それから腕を解いたアリスは軽く辺りを見回しながら言う。
「……でも、その前に座らない?」
「? どうして?」
「立ちっ放しは疲れるのよ」
心底不思議そうに言うメディスンに、アリスはやや調子が狂う思いをしながら答えた。いずれ来るであろう時の予行練習だと思えば、メディスンの様々な反応はむしろありがたいくらいである。
「そうなんだ」
頷くメディスンに目で応えた後、周囲に適当な空き地が無い事を見たアリスは、ポケットからハンカチを取り出した。そしてそのハンカチの四隅に簡単な魔法を掛ける。
すると、ハンカチはさながら魔法の絨毯のように空中に静止した。
「わぁー」
それを見たメディスンは、まるで初めてサーカスの演目を前にしたように瞳を輝かせている。
「別にそう難しく無いわよ?」
そんなメディスンに苦笑しながら、アリスはハンカチを掴むと膝より少し高い位置に置き、その上に腰を下した。
「そうなんだ」
「あなたも座る?」
「ううん。いらないわ」
「そう」
人形だけに、同じ姿勢を続ける事に苦痛を感じないのだろう。そうアリスは解釈した。
「……あ」
簡単なやり取りの後、メディスンはふと拍手を打つ。表情等から察するに、聞きたい事があったのを思い出したのだろう。
「それでね? アリスは、何で私を作ったヒトを探しているの?」
「私が人形遣いでもあるからよ」
すぐに返された応えに、メディスンは表情を僅かに険しくさせる。
初対面であるアリスはその小さな変化に気付かなかった。自分の言葉がどれだけ危ないかという事にも、もちろん気付く筈が無い。
「だから、あなたのような人形を作れる者が居るのなら、教えを請おうと思って」
気付かないまま、アリスは話し続ける。メディスンと喋る事に夢中になっているのかもしれない。
そんなアリスに向けてメディスンは静かに毒を集中させた。ばれないよう、静かに、また色も匂いも無い厳選した毒でアリスを包んでいく。
……あれ?
しかし、効果は無い。いつかの時に兎に少し嗅がせたら、それだけで兎は倒れて痙攣して暫く来なくなったのだが。
これはアリスの慎重で万全を期す性格が幸いした結果だけれど、その事をメディスンは知らない。
「……アリスは人形遣いなの?」
だから声音にも微妙な変化があった。威圧と不審と警戒という、好ましく無い感情による変化だ。それにも頷けるだろう。何せメディスンは人形開放を目指しているのだ。日頃人間に操られるばかりの人形達を、どうにか救いたいと考えているのだから。
そこへ来て、今彼女の眼の前に座るアリスは、自分を人形遣いと言ったのである。即座に毒に寄る殺害か、毒に寄る心身支配で自由を奪うかして当然だ。
実際はアリスの防毒の前に完全に無効化されてしまっているが。
「ええ。正確には、人形を媒体とした七色の魔法を得意とする魔法使い、かしら」
「へぇ……」
今度こそ、とメディスンはより濃い毒を集めていく。そして寄り集まった毒の塊がまさにアリスへ迫ろうとした時、相変わらず自分の危機に気付かないアリスが口を開いた。
「それで、より精巧で生きている人形を作りたいから、ここに来たの」
「!」
人形を作りたい。
この言葉を聞いた瞬間、メディスンはせっかく集めた毒を拡散させてしまっていた。操るばかりであるなら気にも止めなかったが、作るとなれば話しは変わってくる。何しろ、作り手が居ない事には人形は増えないからだ。
犠牲者を増やすという意味では感心しないが、それ以上の、仲間を増やしてくれるという意味で大いに歓迎すべき存在である。
「アリスは……人形を作れるの?」
先程までの心情はどこへやら、今までに無い興味を瞳に輝かせてメディスンは言う。
「ん? ええ。家に帰れば私の作った人形が沢山あるわよ」
これに、アリスは人形とは言えやっぱり女の子か、と暢気な感想を浮かべていた。
「沢山? 沢山って、スーさんくらい沢山?」
両腕を広げてぐらりと回るメディスンに、アリスは苦笑する。
「うーん……そんなには無いと思うけど、三百はあった筈」
「三百! 凄いわ」
目を見開いて驚くメディスン。もはや、先程までの暗い感情は完全に何処かへ消えていた。
そして膝上に身を乗り出さんばかりな彼女に、アリスはある事を思いつく。
「そうだ。あなたの友達を増やすのもいいかも」
「え?」
きょとんとするメディスンに、アリスは続ける。
「私が作った人形を、ここに置くの。そうすれば、鈴蘭の毒でいずれはあなたのように生きた人形になるんでしょう? それは、私にとってもあなたにとっても素敵な事だと思うわ」
一呼吸置いて、アリスはメディスンの目を見て微笑んだ。
「どうかしら?」
メディスンからすれば願ったり叶ったりである。
「わぁー、凄いわ、凄いわ」
諸手を挙げて喜ばない筈が無い。
「あ」
そしてそんなメディスンの喜びとは別に、アリスは閃きを得ていた。
「そうよ、そうだわ」
先にメディスンがやったように、ぱしんと手を打つ。
「そうすれば、私もあの子の本音を知る事が出来る。私の一方的な思い込みじゃない本当の形で、あの子達を知る事が出来る」
「……え?」
思いもしないアリスの言葉に、メディスンは万歳のまま動きを止めた。
これはアリスが人形をただの物として捉えていないという事であり、また、彼女はメディスンが思う以上に人形寄りの考えをしているという事である。
「だってそうじゃない。今は私の魔法による命令で操っているけれど、あの子達が本当は何をしたいのか分からないもの。そういう事は、常々聞いてみたいと思っていたわ」
「アリスって、人形に理解があるのね」
メディスンは思わず本心から感心した。人は誰でも人形をただの物としか見ていないと思い込んでいたからだ。
「身近な存在……うーん、私は家族だと思ってるから」
「家族……?」
アリスの言った聞き慣れ無い言葉に、メディスンは何度目かの不思議そうな顔をする。
「そうよ。メディスンだって、肩の子は家族も同然でしょう?」
「?」
更に言われ、メディスンは小人形と顔を見合わせ、揃って首を傾げた。
「……あなたは、私の家族なの?」
傾いたままメディスンは小人形に問い掛ける。
小人形からの答えは、首を戻し左右に振る事で返された。
それを受け、視線をアリスに戻したメディスンは、やはり率直に疑問を述べる。
「家族って何かしら? アリス」
「え? ……うーん、と」
問われて初めて以外と答え難いと気付いたアリスは、軽く空へ視線をやりながら指先で下唇をなでた。
「ん……普通は、親や兄弟姉妹の事よ。だから、メディスンの場合だと作ってくれた人と、ここの鈴蘭がそれぞれ親になるかしら」
「へぇ」
「それで、そっちの人形さんもここで意思を得たのなら、メディスンとその子は姉妹という事になるわね」
言われて、メディスンと小人形は視線を交わす。それから、二人はアリスの方へ向き直った。揃って今一良く分かっていない顔である。
それはそうだろう。家族と言う言葉を知らない以上、親や兄弟姉妹という事もちゃんと知っているかどうか。
「……なるの?」
「少なくとも、私はそう思う。そしてそれは、家族が居るというのは、とても素敵な事なのよ?」
「家族が居ると、素敵なの?」
「ええ、素敵よ。でも……こればっかりは、口で言うより実感して貰う方が良いと思うわ」
アリスの答えに、メディスン達の表情が増々混迷に彩られていく。良く理解出来ていないところに加え、実感した方が早いとは。一体どれほど難解なんだろう、家族と言うのは。
「……ふーん。じゃあアリスに家族は居るの?」
「居るわ。私を創ったお母様に、姉妹が沢山。後、家に娘が一杯ね」
「その人達は、アリスにとって素敵?」
嬉しそうに言うアリスに、メディスンは不思議そうに問う。
「……素敵よ」
これにアリスは少し考えた後、優しい笑顔を浮かべて答えた。
「ふぅん……そうなんだ」
曖昧に頷きながら、メディスンは小人形の方を見た。小人形もまたメディスンを見る。軽く見合った体勢のまま、少ししてふとメディスンは気が付いた。
「そういえば、あなたは素敵だわ」
これに小人形はすぐさま頷いて応える。それから、小人形はメディスンを見ながら何度か頷いた。
小人形が何を伝えようとしているか、アリスから見てもすぐに分かる。そんな微笑ましい様子を眺めていたら、メディスンが相好をにへらと崩していた。通じたのだろう。
「そういえば……メディスン?」
そしてそんなメディスンを見ていたら、沸々とある疑問が湧いてきた。というより、今まで付喪神だ何だの思考が邪魔をして気付けなかったのだろう。
「なぁに?」
笑顔のまま、メディスンはアリスの方へ向き直る。
「気になったんだけど、あなた、歳は幾つなの?」
「歳?」
アリスの問いに、くきっ、と首を傾けるメディスンである。何度見ても可愛らしい。
これにはアリスも答えに窮した。家族の事もそうだが、色々知らないにしても程があるだろうに。さてさてどうしよう、と助けを求めるように周囲へ軽く視線を飛ばし、あるものがアリスの目に映った。
「うーん……じゃあ、メディスン? ほら、あの山が緑から紅くなっていく様子を何回見たの?」
今は大分寂しくなっているが、まだちらちらと紅が残る山を指差しながらアリスは言う。
その指差す方向を見て、メディスンは少し考えて答えた。
「……三回くらい」
「じゃあ三歳、か。……かなり最近なのね」
三歳であるならば、また相応にしか物事を知らないのであれば、今までのやりとりや感じた違和感も納得できる。本当にありのままに純粋なだけだったのだ。
「私は三歳なの?」
「ええ」
「あの山の色が変わるのを見た回数と、歳って同じなんだ」
「そうよ。歳っていうのは、今までどれだけ生きてきたかの分かり易い基準ね。そして、どれだけ世界を知っているかの目安にもなる」
「世界……」
この単語に、メディスンは少し表情を曇らせる。
「ええ」
「私は、スーさんの居るここぐらいしか知らないわ。アリスは、沢山知っているの?」
「知っているわ。魔界から魔法の森から、大体幻想郷の半分位はね」
「凄いのね」
メディスンは素直にアリスの事を褒めた。本当に凄いと思ったからだ。
しかしアリスは彼女の賛美に軽く首を振る。
「そうでもないわよ? メディスンだって、ここから出て色々回ってみれば沢山の世界を知る事が出来るもの」
「そっか。……そうよね」
至極尤もなアリスの言葉だが、応えるメディスンの声は少し暗かった。
この鈴蘭の丘しか知らない以上、始めの一歩に対する忌避感が強いのかもしれない。それとも、別の何かがあるのかも。アリスはメディスンの様子からそう考えた。
「そうよ」
だからそっと、メディスンの不安を包むような優しさを一言に込める。
「……でも、外は怖いわ」
返答は、アリスにとって予想通りのものだった。
しかし怖いという事は、興味を持っているという事でもある。
「そうかしら……ああでも、そうかもしれないわね。だけど、怖い以上に良い事が沢山ある筈よ?」
「…………」
無言。けれども、アリスはメディスンの表情に浮かんだ逡巡を見逃さなかった。迷うという事は、リスクを推し量れないという事。ならば、そこを軽減してやればメディスンの世界は瞬く間に広がるだろう。
「そうね……メディスン」
「なぁに?」
「明日は暇かしら?」
「暇?」
アリスはもう慣れていた。
「特にする事は無い、という事よ」
だから、予め用意してあった答えをすぐに言う。
「私は、スーさんの毒を集めないと」
小人形の方に視線をやりつつ、メディスンは申し訳無さそうに応えた。
誘ってくれているという意識があっての上なら、もう焦る必要は無い。
「そっか……じゃあ、その子が喋れるようになったら、暇になるかしら」
「かもしれないわ」
「それなら、その日かその翌日に、一緒にこの鈴蘭の丘の外へ行ってみない?」
「えっ?」
メディスンの目が驚きに見開かれる。まさか外への一歩にアリスが付き合ってくれるとは、思いも無かったのだろう。
そんなメディスンを目で楽しみながら、アリスは続けた。
「そうね、まずは私の家に遊びに来るとかどうかしら? 私の人形達も、きっとあなたに会ってみたいと思う筈よ」
「アリスの家に?」
ますますメディスンの表情が驚きに染まる。
「ええ」
「……良いの?」
頷いたアリスに対し、メディスンはもじもじと言う。嬉しいは嬉しいのだけれど、素直に受けてしまって良いものかと申し訳なくなっていた。
「くすくすくす……」
「? アリス?」
そこへ聞こえてきたのは、口に手をやって忍笑いを洩らすアリスである。
「いえ、メディスンは変な事を言うのね?」
不思議そうなメディスンに対し、アリスは言葉を返した。
「えっ?」
「だって、誘ってるのに駄目だなんて言う筈が無いじゃないの」
「あ、そうか」
「そうよ」
それから、二人は顔を見合わせた後、一緒にくすくすと笑う。
まるで人間で言えば十年来かの友人であるかのような雰囲気で、くすくす、くすくすと。
―――けれどそんな素敵な時間は長続きしなかった。
アリスの左手首に付けられていたアミュレットが、鈴のような音を二回響かせたのだ。その音は、アミュレットの効力の限界が近付いている事の合図である。
「ああ、もうこんな時間」
アリスは適当ないい訳を考えながら、ハンカチの椅子から腰を上げた。
「どうしたの?」
もっと話をしたい、もっと一緒にいたい、そう思い始めていた所にこの無粋である。メディスンとしては不安を隠すのは難しい。
「ごめんなさいね、そろそろ帰らないといけないの」
ハンカチから浮力を抹消し、折り畳んでポケットに入れる。
「そう……残念」
不安が的中し、メディスンは肩を落とししゅんとなった。肩の小人形もそっくり同じ動きをする。
今更ながら、年齢相応に表情がくるくる変わり、正直且つ大げさ気味な感情表現をするメディスンに、アリスは心が温かくなるのを感じた。庇護欲と言っては失礼だろうけど。
「ううん、残念がらなくてもいいわよ?」
「どうして?」
「ここにあなたが居るって私は知ったんだもの。これから、例えば明日にでもまた来て良いかしら」
このアリスの提案にメディスンはぱっと顔を輝かせ、それから満面の笑みで応えた。
「うん、良いよ」
「良かった」
アリスもまた、笑みを浮かべて応えた。
「それじゃあ、メディスン。また明日ね」
一歩下がり、手を振るアリス。
「……うん。アリス、また明日」
初めて使う言葉、動作。そしてそれらの意味を悟りながら、メディスンは手を振り返す。
くるりとアリスは踵を返し、歩き始める。
一拍おいて、メディスンもアリスに倣った。そういうものだと思ったのだろう。
互いに距離を広げて行く。
アリスは普通に。
メディスンはゆっくりと。
さわさわと鈴蘭を掻き分けて。
そして―――