※この作品は、Coolier様にある東方創想話の作品集28に投稿されていたものです。
幻想郷最速の風は、すぐに小兎姫の言う里を発見する。
ちゃんと近くに竹林もあるし、そういえば地理的にも先程の堂から一番近い里だ。
「あれですね」
確認を呟いて、文は加速時と同様全力で制動をかけ始める。
己と共に吹いていた超突風を八方へ逸らし、正面からの向かい風を呼んでクッション代わりに停止した。
止まった頃には髪やらスカートの裾やらが乱れてしまったため、誰かに見られない内に文は手早くそれらを直し始める。よっぽど安全な場所でもない限り、自分のような存在がある為に油断は出来ないのだ。
特に他の天狗にスカートの中を激写されて以来、ネガ等は力づくで始末したものの文は極力隙を見せないようにしていた。
念入りに髪に手櫛を梳き入れつつ、念のため眼下に広がる里とその周辺を確認する。
「何事もありませんね、うん」
文によって高空で突如発生した乱気流だが、地上は長閑なままだ。地上に到達するまでに上手く四散出来たようだった。
そして、「さて」と文は考える。
里とは全く交流が無い訳ではないが、鬼が齎した騒ぎによって恐らく人間は過敏になっているだろう。ややもすれば、問答無用で追い返されるかもしれない。
そうでなくとも、この時期に妖怪と会う事をあの半人半獣が承知するだろうか?
人間よりの彼女の事だ。多分会わないだろう。
しかし会わねば小兎姫に頼まれた件を遂行できないし、この報せは里の人間たちも望むものだ。
「……まぁ、私が出向かなくとも済む話ですし」
呟き、使い魔くらいなら問題ないだろうと判断し、文は人差し指と親指を咥え高らかに指笛を鳴らす。
程なくして、音を聞きつけた鴉が一羽、黒翼をしならせ飛んで来た。
文は肩に彼を止まらせると、その嘴を軽く撫でる。
目を細める鴉に微笑み、それから彼に小兎姫から託された紙を咥えさせようとして―――
「いえ」
止めた。
そういえば、ある意味里の彼女は変わり者として妖怪の間では名が知られている。上白沢 慧音という名は怨恨や興味、失笑と共に妖怪達の話題に上っているのだ。
以前取材した事があったが、日頃の行ないはともかくまともな者だった。
「……連載記事用に、もう少し取材しておこうかな」
考えを口にして、文は小兎姫から受け取った紙をポケットに戻す。
代わりに、自分の手帖を取り出して手早く書き込むと、そのページを破いて鴉に咥えさせた。
「これを、下の里に居る慧音さんに見せてください」
言葉を聞き、鴉は頷くと文の肩から飛び立ち、下降して行く。
折角良い材料があるのだから、使わなければ勿体無い。それに、これを使って取材を申し込んでも、結果的に渡しさえすれば問題ないだろう。
「取材、受けてもらえれば良いんだけど」
スカートの上からポケットの中の紙に触れ、文は期待を膨らませた。
何時にもまして、里には緊張が走っていた。
無理もない事だ。ここ数週間に渡り、子供が妖怪に攫われるという事件が連続して発生して居るのだから。
「…………」
里の集会場にて、上白沢 慧音は瞑目し姿勢正しく正座していた。
五十人は収容できる集会場だが、今は慧音の他に十数人程度。殆ど誰もが余裕の無い顔をして、著しく進みの悪い時間にもどかしさを感じているようだ。
他の里でもこの張り詰めた空気は似たようなものだろう、と慧音は考える。
誰もが、交渉役となった小兎姫の帰還を待ち焦がれているのだ。
彼女は日頃何を考えているか今一分からないが、それでも警察官としての仕事は適確であり、また強者でもある。いつ終わるか分からない交渉に慧音が出向く訳にはいかない以上、彼女が最も適任であると里々の投票により選ばれたのだ。
一度目の子攫いが発生して以降、慧音は里々への巡回警備を密にし、警戒を喚起しているにも関わらず、犯人はまさに神出鬼没の行動力で里々に現れては勝負をふっかけまんまと子供を攫っている。勝負を受けなければ済みそうな話ではあるが、拒否した瞬間家が一戸爆散したり井戸が枯れたり等のでたらめな脅しが入るため、受けざるを得ない状況に持ち込まれるのだ。
厄介極まり無いが、勝負を受ければ脅しによる被害はすっかり元通りにする辺り、奇妙な程律儀である。
だが、真に鬼であるならば納得もいくか、と考え、慧音は流れる時間に身を浸す。
待つのは苦手ではない。
「……ん?」
慧音以外の少女の声がし、同時に鳥の羽音が慧音の耳に入る。そして、羽音に反応したのだろう声の主は、動ける口実を得たとばかりに立ち上がった。
並外れて長い白髪を揺らすその少女は、藤原 妹紅である。万一に備え、慧音が里に詰めるよう依頼していたのだ。
普段世話になっている恩を返す意味でも妹紅は快く引き受けたのだが、やって来た里の空気に早くも辟易し始めていた。
……気持ちは分かるんだけど、もう少し何とかならないかなぁ。
羽音がした外へと歩きつつ、集会場に居る者達を横目で盗み見しながら思う。緊迫や緊張が悪いとは言わないが、それにしても些か強過ぎだろう。このままでは今日が終わるまでに何人かが神経衰弱で倒れそうだ。
だが、こんな時どうすれば皆の緊を解く事ができるか、妹紅は知らない。だからこそ余計に、何故現状のまま放置しているのかと、慧音への疑念が深まっていた。
土間で自分の靴を履き、妹紅は外に出る。
緊に縛られた空気が集会場内に比べ薄まったが、それでも里全体がぴりぴりしている事に変わりは無かった。そして、慧音が言うには今やどこも同じ有り様らしい。
「はぁ」
つい、妹紅は溜息を零した。
それから、羽音の出本を探そうと軽く周囲を見渡す。日中だというのに、外に出て遊ぶ子供の姿は無く、道を行き交うまばらな大人達は、誰もが急ぎ足だった。
期せずして目に入った里の様子に妹紅は眉を顰めつつ、居るべきであろう鳥類の姿を探す。
幻想郷では鳥が珍しいという訳では無いが、里回りとなるとやや希少になる。何せ人が獲って食べるからだ。そういう訳で、里内で鳥の羽音が聞こえるというのは稀なのである。ただ、やはり今は、妹紅以外の者はそれどころではない。
「さーて……」
適当に歩きつつ、妹紅は辺りを窺う。
そして、ふと目線を上に上げたところで目的の姿を捉えた。
「鴉、か」
近くの木の高い方の枝に、割と大きくて立派な鴉が止まって居る。ああいった大物であれば、里の者が喜んで狩りそうなものだが―――
「今はそれどころじゃないしなぁ……」
げんなりと呟き、肩を落とし息まで吐く。
しかし、すぐに妹紅は鴉が妙な事に気が付いた。
「…………」
鴉は嘴の先に薄い何かを咥えており、そして、己に気付いた妹紅をじっと見続けているのだ。
明らかに不審である。
だがここは幻想郷であり、魔女とかそういうのが普通に跋扈する場所だ。
従って、
「お前は誰かの使いか?」
という発想に至っても全く不自然では無い。
そして、妹紅の問いに鴉は頷いた。
人の言葉を理解した上で、更に応答までする鴉は普通の鴉ではない。
発想が正解と知り、妹紅は木に近付いて更に問う。
「となると、誰かに用な訳だ」
再び鴉は頷く。
「誰に用なんだ?」
と聞いて、鴉に答えようがない事に妹紅は気が付いた。
鴉の方からも反応は無い。
う~ん、と悩んだ後、妹紅は顔に疑問符を浮かべつつ自分を指差してみる。
鴉は首を左右に振った。
「だよねぇ」
と苦笑し、改めて妹紅は考える。
だがすぐに止めた。自分の知る里の有名人を頭から順に言っていけば済む話だ、と判断したからだ。
「じゃあ慧音?」
妹紅が自身の判断に則って挙げた名前に、鴉は一度目で頷いた。
「わぉ」
小さく妹紅は驚く。
一度目で当たった事も勿論だが、何らかの意思伝達に鴉を使うような者が慧音に用があるという事にも驚いていた。
軽く深呼吸して驚き分を自分から洗い流すと、改めて鴉に言う。
「慧音に、用なんだね?」
確認に対し、鴉は再び頷いた。
これに「成る程」と妹紅は呟き、少し考える。
「呼んできた方が良いかな?」
鴉は頷いた。
「ん。じゃぁちょっと待ってて。呼んでくる」
言って妹紅は踵を返し、集会場へと戻ろうと一歩を踏む。その瞬間、罠かなー、と思ったが、自分が同伴していれば間違いも起こらないだろうとすぐに考え、何事もなかったように二歩目を踏み出した。
鴉は、ただじっと彼女の後姿を見つめている。
「慧音」
外へ出て、戻ってきた妹紅は瞑目したままの慧音に呼びかけた。
呼び声に反応し、閉じたままの瞼に線が生まれ、ゆっくりと開かれて行く。
慧音は、自分から四歩程度離れた位置に立つ妹紅を目にした。
「どうした?」
短い呼びかけに短く応える。
「ちょっと、来てくれる?」
何処とも言わず、ただ妹紅は言った。
「分かった」
思い悩む事無く慧音は応じ、長時間の正座であったにも関わらずすぐに立ち上がる。静からの動きに集会場の者等の視線が集るのを感じつつ、それらを一切無視して回れ右した妹紅の背を追った。
そして、慧音を待っていたのは一羽の鴉である。
賢い事に、鴉は慧音の姿を認めると木から羽ばたいて降りて来ていた。
「妹紅」
「うん。この鴉があなたに用があるって」
「成る程」
嘴に紙を咥えた鴉を前に事情を確認し、慧音は一歩前に出る。
「私に用なのか?」
問い掛けに鴉は頷き、嘴を慧音の方へ突き出した。その先に咥えられる紙を受け取って欲しいのだろう。
「誰かからの伝言か……?」
疑問を零しつつ慧音は屈むと、嘴の下に両掌で受け皿を作る。妹紅がやや警戒する中、鴉は嘴を開き、何事も無く慧音は紙を手にした。
開いて、内容を確認する。
「…………」
つい、首を傾げてしまう。
〝小兎姫さんからの伝言を頼まれてて渡したいのも山々ですが、取材したくなったので取材したいのですが良いですか?
文々。〟
前文に大きな興味があるが、一先ず後文の内容を消化しなければ小兎姫からの伝言は手に入らないのだろう。
慧音は考える。
「何て書いてあるの?」
文々。とは、いつか取材を申し込まれたあの鴉天狗の事か。文とか言ったな。
しかしなぜ彼女が小兎姫からの伝言を預かっている?
小兎姫は鬼との交渉に赴いた筈。予め打ち合わせしたあの点さえ突けば、律儀な鬼の事だから上手くいくだろうと思っているが、彼女がまだ戻らない上に特に狼煙も無いという事はまだ交渉中という事だ。
「慧音? おーい」
であるなら増々この伝言の内容が不可解なものに見えてくる。
鴉天狗は確か嘘を吐く事をあまり厭わない筈だが、益にならない嘘は生命に関わる状況でもなければまず吐かない。ならば、不信と信用を秤に掛ければ信用の方が重くなるだろう。
だが時として秤は望む答えを出さない事がある。何せ、二つの要素しかない秤と違って世界には無限の要素があるからだ。
「慧音ってばー。……慧ー音ー?」
やはり己の秤を過信するのは危険だろう。
とすれば、いやしかし。
どうにも判断材料が足らない。
となれば、やはり、か。
ふむ、と己がどうするべきかを決定した慧音は、今まで伝言を見たままだった視線を鴉へ移す。
「取材は受けよう。ただし、場所は指定させてもらう。……この里の西外れ、境界の一本杉ならば、現状誰も来はしないだろうから」
慧音の言葉に鴉は頷き、終始無言のまま飛び去って行く。
鴉の後姿を少し眺めた後、「さて、」と慧音は妹紅の方を振り返ろうとした。
刹那。
「うぉりゃー!」
「うわぁあ!?」
背後、両脇から伸びた妹紅の手がそれぞれ慧音の両乳房を激しく鷲掴んでいた。
「慧音はどうしてそう考えてると周りの音が耳に入らないかなぁ!」
「待て待て待て何の事だ妹紅!? いやそれよりもまず手を退かせ揉むな蠢かすなぁっ!」
「ええい布越しからでも分かるこの柔らかな感触は結構なものですね!」
「落ち着いて妹紅ー!? というか私が何をした!? っ、捏ねるな上下に動かすな!」
「まだ分からないか分からないのかー! くそぅ二度と私を無視できない身体にしてやるー!」
「いいから先ず離せ! 玩具にしないでくれ……っ」
「ふふふだがそう簡単にこの乳を離すと思うかー!」
「はーなーせー!」
すったもんだの末、慧音は全力で妹紅を引っ剥がす事に成功した。
「な、何を考えているんだ、妹紅」
やや荒くなった息を整え両腕で胸部を防御しつつ、妹紅と微妙な距離を空けて慧音は言う。
「あんたの胸に聞いてみろ、慧音」
対し、右手は慧音を指差しつつ左手は先程までの感触を反芻するようにわきわきさせながら妹紅は応えた。その瞳は色々な想いがごちゃ混ぜになっているが取り敢えず半泣きだ。
すると何を思ったか慧音はやや頬を赤くし、言い難そうに目を逸らす。
「……いや、確かに多少膨れてるのは認めるが―――」
「違ーうっ!」
慧音の誤解っぷりに思わず妹紅は叫んでいた。
「ち、違うのか!?」
「全っ然っ違うっ! 大体ボケなくて良いから!」
「いや、私は本気だぞ?」
「本気でボケないでよ」
「……いや、だとすると本当に分からないんだが」
心底からそうだと言う様子の慧音に、妹紅はぐらりと揺れ動いて背を向ける。
「……妹紅?」
そして、何やらしゃがんで地面に人差し指を這わせてのの字を刻みまくり始めた。
「ふーんだ……」
声も露骨に拗ねている。
「も、妹紅……?」
「……どーせ私なんてさー」
「妹紅ー!?」
諸々の理由が全く分からず、慌てふためく慧音であった。
太陽を背に里を見下ろす文は、鴉が此方に向かって飛んでくるのを見てわくわくした。
「さぁ、どっちでしょうか、どっちでしょうか?」
言葉ではそう言いつつも、相手側に断る理由が存在しない事を文は理解している。ただ何が起こるか分からないのが現実というものなので、敢えて口に出す事で戒めとしているのだろうが、しかし彼女の顔はもう既に緩んでいた。
身体とは正直なものである。
ともあれ、文の下までやってきた鴉は、再び彼女の肩に止まると「カァ」と短く鳴く。
瞬間、
「やったっ! アポゲット!」
文の笑顔が弾けた。
ガッツポーズまでした彼女に構わず、鴉はもう一度短く鳴く。
「……え? ああ、成る程」
場所指定された事と、指定された場所に文は納得する。見られて拙いのは確かなのだから、人目に付かず、それでいて里の範疇から逸れる事のない場所を指定するのは当然の事だ。
「よし、ありがとうございました。私はあの杉へ行きますから、あなたは普段に戻って下さい」
文は鴉の労を労い、鴉はこの程度どうという事は無いとばかりに軽く胸を張り、「カァ」と鳴いた。
「ふふふ。じゃあ、今後も宜しくお願いしますね?」
その様子に頼もしさを感じたのか、文は滅多に人に見せない優しい笑顔で鴉の頭を撫でる。
鴉は暫くの間文のされるがままにしていたが、やがて彼女の手を払うように頭を動かすと、「カァ」と一声上げて飛び去って行った。
照れ隠しが感じられる様子に文は微笑み、それから「さて」と気を入れ替えて西の一本杉を見る。
「どんな話が聞けますかねー」
期待を言葉に載せ、文は見た目雄々しい杉へ向けて下降していった。
里の西の外れ、地形的に小高くなっている場所にその一本杉はあった。
境界を示す役割を持つその杉は、長らく里の者達から大切にされている。そのお陰か、いつしか立派な風格を備えるようになっていた。
そしてその一本杉の下、木陰の中で木に凭れるようにして慧音は座って居る。
拗ねていた妹紅を一先ず宥めて留守番を任せ、色々首を捻りながらもここにやって来たのだ。
……何か非があっただろうか……?
杉の下で慧音は首を捻る。
彼女は未だに根本的に何も分かっていなかった。
これまでも似たような事態に多々なったろうが、その時の相手は妹紅一人ではなく里の者達だ。一人ではなく複数であるという事は、様々な考えがあるという事で、返事をしない慧音に気を使うという判断に至っても不思議ではない。
まして、思考に入った慧音を邪魔してはいけないという流れすら出来ていたとしたら、慧音が妹紅の不満に気付く事はとても難しいだろう。
眉を寄せる慧音だが、風が吹いてきた事に気付いて立ち上がる。
「来たか」
見えぬ相手に声をかけ、
「毎度どーも、文々。新聞ですー」
見えぬ相手が現れた。
黒翼を羽ばたかせ、地面に両足を揃えて着地した文は慧音に営業用の笑顔を見せる。
「この度は取材を快く受けてくださってありがとう御座います」
「受けたら小兎姫からの伝言とやらは渡してくれるんだろうな?」
「御安心を。しっかりここに入ってますから」
「そうか。じゃあ、始めてくれるか? 知っているだろうが、そう長く時間を取る訳にもいかないのでね」
座るよう目線で促しつつ、慧音は腰を下ろした。
文もすすーっと移動し、その隣に腰を下ろす。
「存じてますとも。私、あなたの前に萃香さんに取材してきたところですから」
「何だって?」
思わぬ言葉を聞き、慧音の眉が跳ねた。
中々珍しい反応なのだが、それと知らず文はのほほんと返す。
「言った通りです。それで、まぁ色々ありましてこうして小兎姫さんからの伝言を預かってる訳で」
「……成る程な」
「では取材に入らせて頂きますよ」
「分かった。……そういえば、何を目的とした取材なんだ?」
慧音の疑問に、文はがくーっと肩を落とし俯いた。
「ここにも私の読んでない方がいらっしゃる……」
「まぁそう落ち込むな。大体、私は自分の取材記事が載っている号しか受け取っていないが?」
「そうでしたっけ」
尤もな言い分に文は首を捻る。
「そうだったとも」
間違い無いとばかりに慧音は頷いた。
「では仕方無いですね」
「配達側の怠慢とも言えるが」
「私はちゃんと撒いてますよ?」
明らかに本心からの言葉。
慧音は軽く脱力感を覚えた。
「撒くんじゃなくて配った方が良いと思う」
慧音は配達という意味を文に正しく説く。
「成る程」
「だろう」
納得と頷きに頷いて応え、一時的に間が空く。
「えーと、でですね」
これはいけないと文は慌て、口を開いた。
「うん」
「幻想郷の著名人もしくは時の人等に話を聞いて、日頃何をしているかを記事にして連載してるんですよ」
文の言った内容に興味を覚えつつ、慧音は応える。
「その中に、私の名が連なるかもしれないと?」
「ええ」
となると慧音には当然思う事があった。
「だが私などの事柄を書いたとて、果たして読者が満足するかどうか」
という事である。
ただでさえ日頃から人喰いに多大な興味を持つ妖怪達と反目し敵対してきているのだ。そんな慧音の日々為す事を記事として、果たして部数に影響しないものかどうか。
「大丈夫です。それを判断するのは私達じゃありませんから」
そんな心配に対し、文は何も問題ないとばかりに言い切った。
「……それはそうだが、大丈夫だと言い切って良いのか?」
「拙いですか?」
きょとんとする文は、どう見ても素である。
「まぁ、好きに出来るというのは良い事だな」
慧音はもはや何も言うまいと判断した。
「ええとっても」
「ところで、取材は良いのか」
「良くありませんから始めますね」
「そうか」
こうして取材は始まり、文は咳払いを前置きとして質問を開始する。
「慧音さんと言えば日頃から里を護る奇特な方ですが、その点についてやはり他の妖怪達は興味を持っているようです。そこで単刀直入に聞きますが、何故人を護るのですか?」
人妖問わず、幻想郷の誰もが疑問に思うところだろう。
「私が人を愛しているからだ。そして、こうも言えるだろう。博麗の巫女がその役目を全うしていない現状では、私のような変わり者が出るのは必然だと」
慧音は謡う様に答えた。そして、この答えによってやや場の空気が硬くなる。
「どういう事です?」
「幻想郷が人とそれ以外の者達の住処であるというのなら、それらが過不足無く同居出来ていなければならないだろう? つまり、前も言ったがバランスだ。このバランスを維持する為に、幻想郷に私は居る」
「成る程……」
慧音の答えは筋の通ったものだったが、どこか誰かの干渉を感じずにはいられない答えでもあった。しかし文はそれが何であるか分からないし、杞憂っぽさをひしひしと感じたので忘れる事にする。
「まぁ、私が居るせいで博麗の巫女がぐうたらになってしまったかもしれないがな」
文が手帖へのメモを終えるのを見計らい、慧音はややおどけた風に言った。
空気がほぐれ、文の表情に笑みが浮かぶ。
「それは、でも、あの巫女は多分慧音さんの居る居ないに関わらずああだと思いますよ?」
「実は私もそう思う」
二人とも、悪友同士のような気軽さで微笑み合った。
「ですよねぇ。……それで、慧音さんは里を護る以外に何かしてらっしゃるんですか? たまに、とかでも構いませんが」
「特にこれと言って思い当たらないな」
言われ、はたと文は気付く。
「わぁ。じゃあひょっとしてこれで取材終了ですか?」
「その連載記事の案件通りなら、その通りかもしれない」
「あちゃー。これは思いもしませんでした」
「済まないな、大した記事になりそうも無くて」
肩を落とす文に慧音は適当な慰めを言った。
「う~ん。あ、じゃあ結社については何か分かりましたか? 全容とまではいかないでしょうが、幾らか進展があったかと思いますが」
気を取り直した文の質問に、少し考えてから慧音は返す。
「連中も中々巧妙で、そう簡単に尻尾を掴ませてはくれないよ。……ただ、構成や活動拠点等、ある程度の目星はついている。じきに、彼等と私、いや、融和を望む者達との間で交渉が持たれるだろう」
「またも交渉ですか?」
「力と感情による争いは最後の手段。先ずは言葉と理性のやり取りからだろう」
それが当然だと信じて疑わない慧音の言葉をメモし、文は率直な感想を口にする。
「迂遠だとは思わないんですか?」
その言葉に慧音は頷いた。
「確かに迂遠だ。が、力づくで抑え付けるのは、否応無く相手の反発を呼ぶ事になる。まして恐怖など以ての外だ」
「だから多少時間がかかろうとも、互いの意見主張を擦り合せて合意を導こうと? 今後の為に」
「それが普通だろう。相手を撃ち滅ぼす様な問題でも無いし、他に―――そう、弾幕ごっこも悪くは無いが、あれは些か性急が過ぎる」
「まぁ確かに」
同意しつつ、文は必要事項を高速で手帖に記して行く。
それから、と次の質問を口にしようとした時、慧音が自分を見ていない事に気付いた。
そして、文も彼女の見る方向へ顔を向ける。
「……あれ?」
誰かがこちらへ、顔を向けたうつ伏せ姿勢で低空を滑空してきていた。
「妹紅か……」
接近し続ける誰かの顔を確認する前に、慧音がその誰かの名を口にする。言われて文も理解した。あれは確かに藤原 妹紅だ。
彼女はある程度近くまでくると、進行方向を前から上へと変え、身体が地面と垂直になった所で飛ぶ力を解除する。結果、少し高い所から飛び降りてきた様子で妹紅は地に降りた。
「……今お話し中?」
ポケットに手を入れつつ妹紅は慧音と文を見て言い、
「一応区切りは付いてますから、どうぞ」
文は素直に慧音を譲った。今の状況に微妙に既視感を覚えつつ。
「なら、えーっとさ、慧音」
やや重い足取りで慧音の前まで来ると、言いながら妹紅は腰を下ろした。
「うん?」
「いや、実は今日、輝夜の奴と用事があったのを思い出してさ」
「またか。仕方無いとはいえ、ふむ、そうか。だが、無理を聞いてくれないか?」
申し訳無さそうに頭を掻く妹紅に、慧音は少し困った顔をし言う。
「私もそうしたいけどさ、付け入る隙を与えると今後ロクな事にならないだろうし」
「ぬぅ。だが鬼との交渉がどう終わるか分からない以上、最も近いこの里に可能な限りの力を集めておきたかったが……」
慧音の言葉に、ふと文は気になった事を口にする。
「巫女は来なかったんですか?」
里々一大事とも言うべき状態なのに、博麗の巫女が全く動かないというのは流石に不自然だ。
「声を掛けに行ったら八雲の主従と何やら楽しそうにしていたから、諦めた」
溜息交じりの慧音の言葉を聞き、何かの比喩だろうと妹紅も文も理解した。
八雲の名が出た時点で即ち紫に直結し、その時点であらゆる事柄は無意味になる。関わらない方が良いのだ。
これは知る者同士が共有する一致した見解だろう。
「ともあれ、やはり無理か?」
気を取り直し言った慧音に、妹紅は眉を八字に増々申し訳無さそうになる。
「私としても慧音に恩を返したいと思うけどさ。断りに行っても私が行った時点で無駄だろうし」
またも文は既視感を覚えた。
違うのは自分から言い出そうとしている事だろうか。
「あの」
言った文に、慧音と妹紅の視線が集中する。
「何?」
応えたのは妹紅だ。
「なんでしたら、私が断りに行きましょうか? あなた方はここから離れる訳には行かない様ですし」
この提案に妹紅は始めの内は難色を示すが、
「え? いやでも、あんたが行った所で―――ああいやそれだそうしようそれしかない」
言葉の最中に何か思いついたのか、言いかけた台詞にキャンセルをかけて提案を受け入れた。
「えー……っと。断りを代行して構わないんですよね?」
一瞬ばかり判断を狂わされた事による、文の僅かな混乱も仕方の無い事だろう。
疑問を言葉にも顔にも浮かべる文に、妹紅は笑顔を見せる。
「うんうん、助かるよ。でもどういう風の吹き回し?」
「いやまぁ。冷静になってみると多少後ろめたいというか何と言うか」
「?」
語尾が小さくなっていく上に顔まで逸らした文の言葉は、慧音にも妹紅にもちゃんと聞き取れなかった。ただ伝言を渡すだけの所を色気を出して取材に持ち込んだのだから、如何に鴉天狗とはいえ後ろめたくもなるだろうが。
「ま、まぁともかく、天狗だって人の役に立ってみたくなったりする事もあるんですよ!」
強引である。
妹紅は思わず訝しげな目線を文に向けるが、
「うん、それは良い心がけだ」
慧音は頷き静かな笑みを浮かべて納得した。
これには妹紅も、そして文ですらも物言いたげな視線を彼女に向けてしまったが、
「という訳で、妹紅さん」
一瞬後には何事も無かったように会話が続行している。
「ん?」
「輝夜さんとはどこで待ち合わせを?」
この正常な疑問を聞かされ、妹紅は頭を掻いた。
「さぁ。竹林のどっかだし」
答えが異常なものだからだ。
「また随分広大なアバウト加減ですね……」
「あー、私とあいつなら、特に取り決めて無くても普通に出遭うからなぁ」
「それはまた凄いですね」
呆れた後、驚く文である。凄いと言うかよくそれで今まで大丈夫でしたね、という疑問も強いものがあるが。
「まぁ適当に竹林回遊してればその内見つかるでしょ。あいつも私もいっつも適当に動いてるし」
「う~ん……」
更に聞かされ、腕を組み悩んでしまう文であった。
「ところで文々。の」
そこに慧音から声が掛かる。
「あ、はい」
「つまり取材は終わったのかな」
既に話が別方向へ進んでいる事に対する疑問。
これに文は素直に頷いた。
「ええ。というか、結社については完全に別件ですから、取材に窺った主目的の部分は早々と終わってしまっていたんですよ」
「ああ、そうだったな。……という事はだ」
慧音が頂戴の手を出す。
「ええ、分かってます。これを。小兎姫さん直筆です」
文がポケットから出した紙を受け取り、二つ折りの紙を開いた慧音は、その内容に数瞬驚きの表情を露にする。
妹紅は再び何が書いてあるのか気になったが、あの後集会場にて他の人間から事情を聞いている為に、今度は問い掛けたりはしなかった
「確かに、受け取った」
安堵の息が混じった慧音の言葉。
それを妹紅は意外と共に聞き、文は当然と共に聞く。
「では私はここで。取材協力の程、ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げ、それから、文は黒翼を広げた。
風を纏い、近く竹林へと飛翔して行く。
遠ざかって行く天狗を見送った後、妹紅は慧音に言う。
「それ、何て書いてあったの?」
「ほら」
返事と共に、慧音は妹紅に見えるよう紙面を向ける。
〝女史の言った点を突きつつ話した結果、子供は全員返してもらえる事になった。鬼は信用できそうな相手だ。後は、細々と決めるだけで済みそうだけど、帰るまで油断のないよーに〟
アルファベットをずぼらに筆記体表記した感じに近い、名乗る必要も無い程の独特の筆跡。
慣れていないと判読も難しいが、そこは永年の勘と知識から妹紅は間違い無く読み取った。
「わぉ」
そして驚く。
だが同時に疑問も湧いた。
「ねぇ慧音」
「なに?」
ポケットに紙を仕舞う慧音に妹紅は言う。
「この内容を知っても、まだ私という力が必要と判断したの?」
「小兎姫は油断するなと書いてきている。これは、鬼は信用できるものの何をしでかすか分からないという事だろう」
「言われてみると、そうだね」
「それに、個人的理由もある」
意外な言葉を聞き、妹紅は素直に疑問を口にする。
「個人的?」
「私は、里での事を妹紅に謝っていないんだ」
「いやあれは別に、私がただ慧音の事を良く分かって無かったからで」
「しかし妹紅を無視していたというのは事実なのだろう」
「まぁそうだけど」
「なら悪いのは私だ」
言って、帽子を脱ぐと慧音は腰を折って頭を下げた。
「すまない」
「…………もう」
真面目過ぎるその謝り方に、どうにも言えず妹紅は僅かに身を捩る。
こちらも悪いといえば悪い状況だし、そもそもあんな真似をしてしまったのに、こうも一方的に謝罪をされるというのはどうにももどかしい。
かといって、こうまでした以上慧音は此方の意見を聞き入れ無いだろう。
「許してくれないのか?」
しかも追い討ちまで入れてきた。
本当に何を言っても無駄ね、これは、と妹紅は深い溜息を吐く。
「そうじゃない。そうじゃなくて……ああもう。とにかく、里に戻りましょう? 小兎姫からの伝言を伝えるかどうかはともかく、集会場の空気がかなり悪いからさ」
妹紅の言葉に、慧音はまた自分が頑なになっているな、と思いながらも口にはしなかった。
反省は後に活かせば良い。そしていつか似たような時に、今と違った態度で示せば済む事だ。
「……ああ、それは急がないとな」
だから慧音は頷き応えるだけに留める。
そして二人は並び、里の中心部へと歩き始めた。
遠く、今は静かな人の里。
けれど、遠からず以前のような明るさを取り戻すだろう。
人を愛する少女達の手によって。
幻想郷最速の風は、すぐに小兎姫の言う里を発見する。
ちゃんと近くに竹林もあるし、そういえば地理的にも先程の堂から一番近い里だ。
「あれですね」
確認を呟いて、文は加速時と同様全力で制動をかけ始める。
己と共に吹いていた超突風を八方へ逸らし、正面からの向かい風を呼んでクッション代わりに停止した。
止まった頃には髪やらスカートの裾やらが乱れてしまったため、誰かに見られない内に文は手早くそれらを直し始める。よっぽど安全な場所でもない限り、自分のような存在がある為に油断は出来ないのだ。
特に他の天狗にスカートの中を激写されて以来、ネガ等は力づくで始末したものの文は極力隙を見せないようにしていた。
念入りに髪に手櫛を梳き入れつつ、念のため眼下に広がる里とその周辺を確認する。
「何事もありませんね、うん」
文によって高空で突如発生した乱気流だが、地上は長閑なままだ。地上に到達するまでに上手く四散出来たようだった。
そして、「さて」と文は考える。
里とは全く交流が無い訳ではないが、鬼が齎した騒ぎによって恐らく人間は過敏になっているだろう。ややもすれば、問答無用で追い返されるかもしれない。
そうでなくとも、この時期に妖怪と会う事をあの半人半獣が承知するだろうか?
人間よりの彼女の事だ。多分会わないだろう。
しかし会わねば小兎姫に頼まれた件を遂行できないし、この報せは里の人間たちも望むものだ。
「……まぁ、私が出向かなくとも済む話ですし」
呟き、使い魔くらいなら問題ないだろうと判断し、文は人差し指と親指を咥え高らかに指笛を鳴らす。
程なくして、音を聞きつけた鴉が一羽、黒翼をしならせ飛んで来た。
文は肩に彼を止まらせると、その嘴を軽く撫でる。
目を細める鴉に微笑み、それから彼に小兎姫から託された紙を咥えさせようとして―――
「いえ」
止めた。
そういえば、ある意味里の彼女は変わり者として妖怪の間では名が知られている。上白沢 慧音という名は怨恨や興味、失笑と共に妖怪達の話題に上っているのだ。
以前取材した事があったが、日頃の行ないはともかくまともな者だった。
「……連載記事用に、もう少し取材しておこうかな」
考えを口にして、文は小兎姫から受け取った紙をポケットに戻す。
代わりに、自分の手帖を取り出して手早く書き込むと、そのページを破いて鴉に咥えさせた。
「これを、下の里に居る慧音さんに見せてください」
言葉を聞き、鴉は頷くと文の肩から飛び立ち、下降して行く。
折角良い材料があるのだから、使わなければ勿体無い。それに、これを使って取材を申し込んでも、結果的に渡しさえすれば問題ないだろう。
「取材、受けてもらえれば良いんだけど」
スカートの上からポケットの中の紙に触れ、文は期待を膨らませた。
何時にもまして、里には緊張が走っていた。
無理もない事だ。ここ数週間に渡り、子供が妖怪に攫われるという事件が連続して発生して居るのだから。
「…………」
里の集会場にて、上白沢 慧音は瞑目し姿勢正しく正座していた。
五十人は収容できる集会場だが、今は慧音の他に十数人程度。殆ど誰もが余裕の無い顔をして、著しく進みの悪い時間にもどかしさを感じているようだ。
他の里でもこの張り詰めた空気は似たようなものだろう、と慧音は考える。
誰もが、交渉役となった小兎姫の帰還を待ち焦がれているのだ。
彼女は日頃何を考えているか今一分からないが、それでも警察官としての仕事は適確であり、また強者でもある。いつ終わるか分からない交渉に慧音が出向く訳にはいかない以上、彼女が最も適任であると里々の投票により選ばれたのだ。
一度目の子攫いが発生して以降、慧音は里々への巡回警備を密にし、警戒を喚起しているにも関わらず、犯人はまさに神出鬼没の行動力で里々に現れては勝負をふっかけまんまと子供を攫っている。勝負を受けなければ済みそうな話ではあるが、拒否した瞬間家が一戸爆散したり井戸が枯れたり等のでたらめな脅しが入るため、受けざるを得ない状況に持ち込まれるのだ。
厄介極まり無いが、勝負を受ければ脅しによる被害はすっかり元通りにする辺り、奇妙な程律儀である。
だが、真に鬼であるならば納得もいくか、と考え、慧音は流れる時間に身を浸す。
待つのは苦手ではない。
「……ん?」
慧音以外の少女の声がし、同時に鳥の羽音が慧音の耳に入る。そして、羽音に反応したのだろう声の主は、動ける口実を得たとばかりに立ち上がった。
並外れて長い白髪を揺らすその少女は、藤原 妹紅である。万一に備え、慧音が里に詰めるよう依頼していたのだ。
普段世話になっている恩を返す意味でも妹紅は快く引き受けたのだが、やって来た里の空気に早くも辟易し始めていた。
……気持ちは分かるんだけど、もう少し何とかならないかなぁ。
羽音がした外へと歩きつつ、集会場に居る者達を横目で盗み見しながら思う。緊迫や緊張が悪いとは言わないが、それにしても些か強過ぎだろう。このままでは今日が終わるまでに何人かが神経衰弱で倒れそうだ。
だが、こんな時どうすれば皆の緊を解く事ができるか、妹紅は知らない。だからこそ余計に、何故現状のまま放置しているのかと、慧音への疑念が深まっていた。
土間で自分の靴を履き、妹紅は外に出る。
緊に縛られた空気が集会場内に比べ薄まったが、それでも里全体がぴりぴりしている事に変わりは無かった。そして、慧音が言うには今やどこも同じ有り様らしい。
「はぁ」
つい、妹紅は溜息を零した。
それから、羽音の出本を探そうと軽く周囲を見渡す。日中だというのに、外に出て遊ぶ子供の姿は無く、道を行き交うまばらな大人達は、誰もが急ぎ足だった。
期せずして目に入った里の様子に妹紅は眉を顰めつつ、居るべきであろう鳥類の姿を探す。
幻想郷では鳥が珍しいという訳では無いが、里回りとなるとやや希少になる。何せ人が獲って食べるからだ。そういう訳で、里内で鳥の羽音が聞こえるというのは稀なのである。ただ、やはり今は、妹紅以外の者はそれどころではない。
「さーて……」
適当に歩きつつ、妹紅は辺りを窺う。
そして、ふと目線を上に上げたところで目的の姿を捉えた。
「鴉、か」
近くの木の高い方の枝に、割と大きくて立派な鴉が止まって居る。ああいった大物であれば、里の者が喜んで狩りそうなものだが―――
「今はそれどころじゃないしなぁ……」
げんなりと呟き、肩を落とし息まで吐く。
しかし、すぐに妹紅は鴉が妙な事に気が付いた。
「…………」
鴉は嘴の先に薄い何かを咥えており、そして、己に気付いた妹紅をじっと見続けているのだ。
明らかに不審である。
だがここは幻想郷であり、魔女とかそういうのが普通に跋扈する場所だ。
従って、
「お前は誰かの使いか?」
という発想に至っても全く不自然では無い。
そして、妹紅の問いに鴉は頷いた。
人の言葉を理解した上で、更に応答までする鴉は普通の鴉ではない。
発想が正解と知り、妹紅は木に近付いて更に問う。
「となると、誰かに用な訳だ」
再び鴉は頷く。
「誰に用なんだ?」
と聞いて、鴉に答えようがない事に妹紅は気が付いた。
鴉の方からも反応は無い。
う~ん、と悩んだ後、妹紅は顔に疑問符を浮かべつつ自分を指差してみる。
鴉は首を左右に振った。
「だよねぇ」
と苦笑し、改めて妹紅は考える。
だがすぐに止めた。自分の知る里の有名人を頭から順に言っていけば済む話だ、と判断したからだ。
「じゃあ慧音?」
妹紅が自身の判断に則って挙げた名前に、鴉は一度目で頷いた。
「わぉ」
小さく妹紅は驚く。
一度目で当たった事も勿論だが、何らかの意思伝達に鴉を使うような者が慧音に用があるという事にも驚いていた。
軽く深呼吸して驚き分を自分から洗い流すと、改めて鴉に言う。
「慧音に、用なんだね?」
確認に対し、鴉は再び頷いた。
これに「成る程」と妹紅は呟き、少し考える。
「呼んできた方が良いかな?」
鴉は頷いた。
「ん。じゃぁちょっと待ってて。呼んでくる」
言って妹紅は踵を返し、集会場へと戻ろうと一歩を踏む。その瞬間、罠かなー、と思ったが、自分が同伴していれば間違いも起こらないだろうとすぐに考え、何事もなかったように二歩目を踏み出した。
鴉は、ただじっと彼女の後姿を見つめている。
「慧音」
外へ出て、戻ってきた妹紅は瞑目したままの慧音に呼びかけた。
呼び声に反応し、閉じたままの瞼に線が生まれ、ゆっくりと開かれて行く。
慧音は、自分から四歩程度離れた位置に立つ妹紅を目にした。
「どうした?」
短い呼びかけに短く応える。
「ちょっと、来てくれる?」
何処とも言わず、ただ妹紅は言った。
「分かった」
思い悩む事無く慧音は応じ、長時間の正座であったにも関わらずすぐに立ち上がる。静からの動きに集会場の者等の視線が集るのを感じつつ、それらを一切無視して回れ右した妹紅の背を追った。
そして、慧音を待っていたのは一羽の鴉である。
賢い事に、鴉は慧音の姿を認めると木から羽ばたいて降りて来ていた。
「妹紅」
「うん。この鴉があなたに用があるって」
「成る程」
嘴に紙を咥えた鴉を前に事情を確認し、慧音は一歩前に出る。
「私に用なのか?」
問い掛けに鴉は頷き、嘴を慧音の方へ突き出した。その先に咥えられる紙を受け取って欲しいのだろう。
「誰かからの伝言か……?」
疑問を零しつつ慧音は屈むと、嘴の下に両掌で受け皿を作る。妹紅がやや警戒する中、鴉は嘴を開き、何事も無く慧音は紙を手にした。
開いて、内容を確認する。
「…………」
つい、首を傾げてしまう。
〝小兎姫さんからの伝言を頼まれてて渡したいのも山々ですが、取材したくなったので取材したいのですが良いですか?
文々。〟
前文に大きな興味があるが、一先ず後文の内容を消化しなければ小兎姫からの伝言は手に入らないのだろう。
慧音は考える。
「何て書いてあるの?」
文々。とは、いつか取材を申し込まれたあの鴉天狗の事か。文とか言ったな。
しかしなぜ彼女が小兎姫からの伝言を預かっている?
小兎姫は鬼との交渉に赴いた筈。予め打ち合わせしたあの点さえ突けば、律儀な鬼の事だから上手くいくだろうと思っているが、彼女がまだ戻らない上に特に狼煙も無いという事はまだ交渉中という事だ。
「慧音? おーい」
であるなら増々この伝言の内容が不可解なものに見えてくる。
鴉天狗は確か嘘を吐く事をあまり厭わない筈だが、益にならない嘘は生命に関わる状況でもなければまず吐かない。ならば、不信と信用を秤に掛ければ信用の方が重くなるだろう。
だが時として秤は望む答えを出さない事がある。何せ、二つの要素しかない秤と違って世界には無限の要素があるからだ。
「慧音ってばー。……慧ー音ー?」
やはり己の秤を過信するのは危険だろう。
とすれば、いやしかし。
どうにも判断材料が足らない。
となれば、やはり、か。
ふむ、と己がどうするべきかを決定した慧音は、今まで伝言を見たままだった視線を鴉へ移す。
「取材は受けよう。ただし、場所は指定させてもらう。……この里の西外れ、境界の一本杉ならば、現状誰も来はしないだろうから」
慧音の言葉に鴉は頷き、終始無言のまま飛び去って行く。
鴉の後姿を少し眺めた後、「さて、」と慧音は妹紅の方を振り返ろうとした。
刹那。
「うぉりゃー!」
「うわぁあ!?」
背後、両脇から伸びた妹紅の手がそれぞれ慧音の両乳房を激しく鷲掴んでいた。
「慧音はどうしてそう考えてると周りの音が耳に入らないかなぁ!」
「待て待て待て何の事だ妹紅!? いやそれよりもまず手を退かせ揉むな蠢かすなぁっ!」
「ええい布越しからでも分かるこの柔らかな感触は結構なものですね!」
「落ち着いて妹紅ー!? というか私が何をした!? っ、捏ねるな上下に動かすな!」
「まだ分からないか分からないのかー! くそぅ二度と私を無視できない身体にしてやるー!」
「いいから先ず離せ! 玩具にしないでくれ……っ」
「ふふふだがそう簡単にこの乳を離すと思うかー!」
「はーなーせー!」
すったもんだの末、慧音は全力で妹紅を引っ剥がす事に成功した。
「な、何を考えているんだ、妹紅」
やや荒くなった息を整え両腕で胸部を防御しつつ、妹紅と微妙な距離を空けて慧音は言う。
「あんたの胸に聞いてみろ、慧音」
対し、右手は慧音を指差しつつ左手は先程までの感触を反芻するようにわきわきさせながら妹紅は応えた。その瞳は色々な想いがごちゃ混ぜになっているが取り敢えず半泣きだ。
すると何を思ったか慧音はやや頬を赤くし、言い難そうに目を逸らす。
「……いや、確かに多少膨れてるのは認めるが―――」
「違ーうっ!」
慧音の誤解っぷりに思わず妹紅は叫んでいた。
「ち、違うのか!?」
「全っ然っ違うっ! 大体ボケなくて良いから!」
「いや、私は本気だぞ?」
「本気でボケないでよ」
「……いや、だとすると本当に分からないんだが」
心底からそうだと言う様子の慧音に、妹紅はぐらりと揺れ動いて背を向ける。
「……妹紅?」
そして、何やらしゃがんで地面に人差し指を這わせてのの字を刻みまくり始めた。
「ふーんだ……」
声も露骨に拗ねている。
「も、妹紅……?」
「……どーせ私なんてさー」
「妹紅ー!?」
諸々の理由が全く分からず、慌てふためく慧音であった。
太陽を背に里を見下ろす文は、鴉が此方に向かって飛んでくるのを見てわくわくした。
「さぁ、どっちでしょうか、どっちでしょうか?」
言葉ではそう言いつつも、相手側に断る理由が存在しない事を文は理解している。ただ何が起こるか分からないのが現実というものなので、敢えて口に出す事で戒めとしているのだろうが、しかし彼女の顔はもう既に緩んでいた。
身体とは正直なものである。
ともあれ、文の下までやってきた鴉は、再び彼女の肩に止まると「カァ」と短く鳴く。
瞬間、
「やったっ! アポゲット!」
文の笑顔が弾けた。
ガッツポーズまでした彼女に構わず、鴉はもう一度短く鳴く。
「……え? ああ、成る程」
場所指定された事と、指定された場所に文は納得する。見られて拙いのは確かなのだから、人目に付かず、それでいて里の範疇から逸れる事のない場所を指定するのは当然の事だ。
「よし、ありがとうございました。私はあの杉へ行きますから、あなたは普段に戻って下さい」
文は鴉の労を労い、鴉はこの程度どうという事は無いとばかりに軽く胸を張り、「カァ」と鳴いた。
「ふふふ。じゃあ、今後も宜しくお願いしますね?」
その様子に頼もしさを感じたのか、文は滅多に人に見せない優しい笑顔で鴉の頭を撫でる。
鴉は暫くの間文のされるがままにしていたが、やがて彼女の手を払うように頭を動かすと、「カァ」と一声上げて飛び去って行った。
照れ隠しが感じられる様子に文は微笑み、それから「さて」と気を入れ替えて西の一本杉を見る。
「どんな話が聞けますかねー」
期待を言葉に載せ、文は見た目雄々しい杉へ向けて下降していった。
里の西の外れ、地形的に小高くなっている場所にその一本杉はあった。
境界を示す役割を持つその杉は、長らく里の者達から大切にされている。そのお陰か、いつしか立派な風格を備えるようになっていた。
そしてその一本杉の下、木陰の中で木に凭れるようにして慧音は座って居る。
拗ねていた妹紅を一先ず宥めて留守番を任せ、色々首を捻りながらもここにやって来たのだ。
……何か非があっただろうか……?
杉の下で慧音は首を捻る。
彼女は未だに根本的に何も分かっていなかった。
これまでも似たような事態に多々なったろうが、その時の相手は妹紅一人ではなく里の者達だ。一人ではなく複数であるという事は、様々な考えがあるという事で、返事をしない慧音に気を使うという判断に至っても不思議ではない。
まして、思考に入った慧音を邪魔してはいけないという流れすら出来ていたとしたら、慧音が妹紅の不満に気付く事はとても難しいだろう。
眉を寄せる慧音だが、風が吹いてきた事に気付いて立ち上がる。
「来たか」
見えぬ相手に声をかけ、
「毎度どーも、文々。新聞ですー」
見えぬ相手が現れた。
黒翼を羽ばたかせ、地面に両足を揃えて着地した文は慧音に営業用の笑顔を見せる。
「この度は取材を快く受けてくださってありがとう御座います」
「受けたら小兎姫からの伝言とやらは渡してくれるんだろうな?」
「御安心を。しっかりここに入ってますから」
「そうか。じゃあ、始めてくれるか? 知っているだろうが、そう長く時間を取る訳にもいかないのでね」
座るよう目線で促しつつ、慧音は腰を下ろした。
文もすすーっと移動し、その隣に腰を下ろす。
「存じてますとも。私、あなたの前に萃香さんに取材してきたところですから」
「何だって?」
思わぬ言葉を聞き、慧音の眉が跳ねた。
中々珍しい反応なのだが、それと知らず文はのほほんと返す。
「言った通りです。それで、まぁ色々ありましてこうして小兎姫さんからの伝言を預かってる訳で」
「……成る程な」
「では取材に入らせて頂きますよ」
「分かった。……そういえば、何を目的とした取材なんだ?」
慧音の疑問に、文はがくーっと肩を落とし俯いた。
「ここにも私の読んでない方がいらっしゃる……」
「まぁそう落ち込むな。大体、私は自分の取材記事が載っている号しか受け取っていないが?」
「そうでしたっけ」
尤もな言い分に文は首を捻る。
「そうだったとも」
間違い無いとばかりに慧音は頷いた。
「では仕方無いですね」
「配達側の怠慢とも言えるが」
「私はちゃんと撒いてますよ?」
明らかに本心からの言葉。
慧音は軽く脱力感を覚えた。
「撒くんじゃなくて配った方が良いと思う」
慧音は配達という意味を文に正しく説く。
「成る程」
「だろう」
納得と頷きに頷いて応え、一時的に間が空く。
「えーと、でですね」
これはいけないと文は慌て、口を開いた。
「うん」
「幻想郷の著名人もしくは時の人等に話を聞いて、日頃何をしているかを記事にして連載してるんですよ」
文の言った内容に興味を覚えつつ、慧音は応える。
「その中に、私の名が連なるかもしれないと?」
「ええ」
となると慧音には当然思う事があった。
「だが私などの事柄を書いたとて、果たして読者が満足するかどうか」
という事である。
ただでさえ日頃から人喰いに多大な興味を持つ妖怪達と反目し敵対してきているのだ。そんな慧音の日々為す事を記事として、果たして部数に影響しないものかどうか。
「大丈夫です。それを判断するのは私達じゃありませんから」
そんな心配に対し、文は何も問題ないとばかりに言い切った。
「……それはそうだが、大丈夫だと言い切って良いのか?」
「拙いですか?」
きょとんとする文は、どう見ても素である。
「まぁ、好きに出来るというのは良い事だな」
慧音はもはや何も言うまいと判断した。
「ええとっても」
「ところで、取材は良いのか」
「良くありませんから始めますね」
「そうか」
こうして取材は始まり、文は咳払いを前置きとして質問を開始する。
「慧音さんと言えば日頃から里を護る奇特な方ですが、その点についてやはり他の妖怪達は興味を持っているようです。そこで単刀直入に聞きますが、何故人を護るのですか?」
人妖問わず、幻想郷の誰もが疑問に思うところだろう。
「私が人を愛しているからだ。そして、こうも言えるだろう。博麗の巫女がその役目を全うしていない現状では、私のような変わり者が出るのは必然だと」
慧音は謡う様に答えた。そして、この答えによってやや場の空気が硬くなる。
「どういう事です?」
「幻想郷が人とそれ以外の者達の住処であるというのなら、それらが過不足無く同居出来ていなければならないだろう? つまり、前も言ったがバランスだ。このバランスを維持する為に、幻想郷に私は居る」
「成る程……」
慧音の答えは筋の通ったものだったが、どこか誰かの干渉を感じずにはいられない答えでもあった。しかし文はそれが何であるか分からないし、杞憂っぽさをひしひしと感じたので忘れる事にする。
「まぁ、私が居るせいで博麗の巫女がぐうたらになってしまったかもしれないがな」
文が手帖へのメモを終えるのを見計らい、慧音はややおどけた風に言った。
空気がほぐれ、文の表情に笑みが浮かぶ。
「それは、でも、あの巫女は多分慧音さんの居る居ないに関わらずああだと思いますよ?」
「実は私もそう思う」
二人とも、悪友同士のような気軽さで微笑み合った。
「ですよねぇ。……それで、慧音さんは里を護る以外に何かしてらっしゃるんですか? たまに、とかでも構いませんが」
「特にこれと言って思い当たらないな」
言われ、はたと文は気付く。
「わぁ。じゃあひょっとしてこれで取材終了ですか?」
「その連載記事の案件通りなら、その通りかもしれない」
「あちゃー。これは思いもしませんでした」
「済まないな、大した記事になりそうも無くて」
肩を落とす文に慧音は適当な慰めを言った。
「う~ん。あ、じゃあ結社については何か分かりましたか? 全容とまではいかないでしょうが、幾らか進展があったかと思いますが」
気を取り直した文の質問に、少し考えてから慧音は返す。
「連中も中々巧妙で、そう簡単に尻尾を掴ませてはくれないよ。……ただ、構成や活動拠点等、ある程度の目星はついている。じきに、彼等と私、いや、融和を望む者達との間で交渉が持たれるだろう」
「またも交渉ですか?」
「力と感情による争いは最後の手段。先ずは言葉と理性のやり取りからだろう」
それが当然だと信じて疑わない慧音の言葉をメモし、文は率直な感想を口にする。
「迂遠だとは思わないんですか?」
その言葉に慧音は頷いた。
「確かに迂遠だ。が、力づくで抑え付けるのは、否応無く相手の反発を呼ぶ事になる。まして恐怖など以ての外だ」
「だから多少時間がかかろうとも、互いの意見主張を擦り合せて合意を導こうと? 今後の為に」
「それが普通だろう。相手を撃ち滅ぼす様な問題でも無いし、他に―――そう、弾幕ごっこも悪くは無いが、あれは些か性急が過ぎる」
「まぁ確かに」
同意しつつ、文は必要事項を高速で手帖に記して行く。
それから、と次の質問を口にしようとした時、慧音が自分を見ていない事に気付いた。
そして、文も彼女の見る方向へ顔を向ける。
「……あれ?」
誰かがこちらへ、顔を向けたうつ伏せ姿勢で低空を滑空してきていた。
「妹紅か……」
接近し続ける誰かの顔を確認する前に、慧音がその誰かの名を口にする。言われて文も理解した。あれは確かに藤原 妹紅だ。
彼女はある程度近くまでくると、進行方向を前から上へと変え、身体が地面と垂直になった所で飛ぶ力を解除する。結果、少し高い所から飛び降りてきた様子で妹紅は地に降りた。
「……今お話し中?」
ポケットに手を入れつつ妹紅は慧音と文を見て言い、
「一応区切りは付いてますから、どうぞ」
文は素直に慧音を譲った。今の状況に微妙に既視感を覚えつつ。
「なら、えーっとさ、慧音」
やや重い足取りで慧音の前まで来ると、言いながら妹紅は腰を下ろした。
「うん?」
「いや、実は今日、輝夜の奴と用事があったのを思い出してさ」
「またか。仕方無いとはいえ、ふむ、そうか。だが、無理を聞いてくれないか?」
申し訳無さそうに頭を掻く妹紅に、慧音は少し困った顔をし言う。
「私もそうしたいけどさ、付け入る隙を与えると今後ロクな事にならないだろうし」
「ぬぅ。だが鬼との交渉がどう終わるか分からない以上、最も近いこの里に可能な限りの力を集めておきたかったが……」
慧音の言葉に、ふと文は気になった事を口にする。
「巫女は来なかったんですか?」
里々一大事とも言うべき状態なのに、博麗の巫女が全く動かないというのは流石に不自然だ。
「声を掛けに行ったら八雲の主従と何やら楽しそうにしていたから、諦めた」
溜息交じりの慧音の言葉を聞き、何かの比喩だろうと妹紅も文も理解した。
八雲の名が出た時点で即ち紫に直結し、その時点であらゆる事柄は無意味になる。関わらない方が良いのだ。
これは知る者同士が共有する一致した見解だろう。
「ともあれ、やはり無理か?」
気を取り直し言った慧音に、妹紅は眉を八字に増々申し訳無さそうになる。
「私としても慧音に恩を返したいと思うけどさ。断りに行っても私が行った時点で無駄だろうし」
またも文は既視感を覚えた。
違うのは自分から言い出そうとしている事だろうか。
「あの」
言った文に、慧音と妹紅の視線が集中する。
「何?」
応えたのは妹紅だ。
「なんでしたら、私が断りに行きましょうか? あなた方はここから離れる訳には行かない様ですし」
この提案に妹紅は始めの内は難色を示すが、
「え? いやでも、あんたが行った所で―――ああいやそれだそうしようそれしかない」
言葉の最中に何か思いついたのか、言いかけた台詞にキャンセルをかけて提案を受け入れた。
「えー……っと。断りを代行して構わないんですよね?」
一瞬ばかり判断を狂わされた事による、文の僅かな混乱も仕方の無い事だろう。
疑問を言葉にも顔にも浮かべる文に、妹紅は笑顔を見せる。
「うんうん、助かるよ。でもどういう風の吹き回し?」
「いやまぁ。冷静になってみると多少後ろめたいというか何と言うか」
「?」
語尾が小さくなっていく上に顔まで逸らした文の言葉は、慧音にも妹紅にもちゃんと聞き取れなかった。ただ伝言を渡すだけの所を色気を出して取材に持ち込んだのだから、如何に鴉天狗とはいえ後ろめたくもなるだろうが。
「ま、まぁともかく、天狗だって人の役に立ってみたくなったりする事もあるんですよ!」
強引である。
妹紅は思わず訝しげな目線を文に向けるが、
「うん、それは良い心がけだ」
慧音は頷き静かな笑みを浮かべて納得した。
これには妹紅も、そして文ですらも物言いたげな視線を彼女に向けてしまったが、
「という訳で、妹紅さん」
一瞬後には何事も無かったように会話が続行している。
「ん?」
「輝夜さんとはどこで待ち合わせを?」
この正常な疑問を聞かされ、妹紅は頭を掻いた。
「さぁ。竹林のどっかだし」
答えが異常なものだからだ。
「また随分広大なアバウト加減ですね……」
「あー、私とあいつなら、特に取り決めて無くても普通に出遭うからなぁ」
「それはまた凄いですね」
呆れた後、驚く文である。凄いと言うかよくそれで今まで大丈夫でしたね、という疑問も強いものがあるが。
「まぁ適当に竹林回遊してればその内見つかるでしょ。あいつも私もいっつも適当に動いてるし」
「う~ん……」
更に聞かされ、腕を組み悩んでしまう文であった。
「ところで文々。の」
そこに慧音から声が掛かる。
「あ、はい」
「つまり取材は終わったのかな」
既に話が別方向へ進んでいる事に対する疑問。
これに文は素直に頷いた。
「ええ。というか、結社については完全に別件ですから、取材に窺った主目的の部分は早々と終わってしまっていたんですよ」
「ああ、そうだったな。……という事はだ」
慧音が頂戴の手を出す。
「ええ、分かってます。これを。小兎姫さん直筆です」
文がポケットから出した紙を受け取り、二つ折りの紙を開いた慧音は、その内容に数瞬驚きの表情を露にする。
妹紅は再び何が書いてあるのか気になったが、あの後集会場にて他の人間から事情を聞いている為に、今度は問い掛けたりはしなかった
「確かに、受け取った」
安堵の息が混じった慧音の言葉。
それを妹紅は意外と共に聞き、文は当然と共に聞く。
「では私はここで。取材協力の程、ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げ、それから、文は黒翼を広げた。
風を纏い、近く竹林へと飛翔して行く。
遠ざかって行く天狗を見送った後、妹紅は慧音に言う。
「それ、何て書いてあったの?」
「ほら」
返事と共に、慧音は妹紅に見えるよう紙面を向ける。
〝女史の言った点を突きつつ話した結果、子供は全員返してもらえる事になった。鬼は信用できそうな相手だ。後は、細々と決めるだけで済みそうだけど、帰るまで油断のないよーに〟
アルファベットをずぼらに筆記体表記した感じに近い、名乗る必要も無い程の独特の筆跡。
慣れていないと判読も難しいが、そこは永年の勘と知識から妹紅は間違い無く読み取った。
「わぉ」
そして驚く。
だが同時に疑問も湧いた。
「ねぇ慧音」
「なに?」
ポケットに紙を仕舞う慧音に妹紅は言う。
「この内容を知っても、まだ私という力が必要と判断したの?」
「小兎姫は油断するなと書いてきている。これは、鬼は信用できるものの何をしでかすか分からないという事だろう」
「言われてみると、そうだね」
「それに、個人的理由もある」
意外な言葉を聞き、妹紅は素直に疑問を口にする。
「個人的?」
「私は、里での事を妹紅に謝っていないんだ」
「いやあれは別に、私がただ慧音の事を良く分かって無かったからで」
「しかし妹紅を無視していたというのは事実なのだろう」
「まぁそうだけど」
「なら悪いのは私だ」
言って、帽子を脱ぐと慧音は腰を折って頭を下げた。
「すまない」
「…………もう」
真面目過ぎるその謝り方に、どうにも言えず妹紅は僅かに身を捩る。
こちらも悪いといえば悪い状況だし、そもそもあんな真似をしてしまったのに、こうも一方的に謝罪をされるというのはどうにももどかしい。
かといって、こうまでした以上慧音は此方の意見を聞き入れ無いだろう。
「許してくれないのか?」
しかも追い討ちまで入れてきた。
本当に何を言っても無駄ね、これは、と妹紅は深い溜息を吐く。
「そうじゃない。そうじゃなくて……ああもう。とにかく、里に戻りましょう? 小兎姫からの伝言を伝えるかどうかはともかく、集会場の空気がかなり悪いからさ」
妹紅の言葉に、慧音はまた自分が頑なになっているな、と思いながらも口にはしなかった。
反省は後に活かせば良い。そしていつか似たような時に、今と違った態度で示せば済む事だ。
「……ああ、それは急がないとな」
だから慧音は頷き応えるだけに留める。
そして二人は並び、里の中心部へと歩き始めた。
遠く、今は静かな人の里。
けれど、遠からず以前のような明るさを取り戻すだろう。
人を愛する少女達の手によって。