※この作品は、Coolier様にあるプチ東方創想話ミニの作品集11に投稿されていたものです。
ある日ある場所あるお部屋。
橙は窓から見える風景をぼんやり眺めていた。
空の雲の形が魚に見えてきた訳でも無いし、綺麗な蝶々がひらひら舞っていた訳でも無い。
そもそも橙は風景の方へ意識を向けていなかったのだ。
「ん~~……」
二本の尻尾をゆらゆらと揺らし、書机に頬杖を突いて橙は考え事をしていたのである。
ぽかぽかのお日様が照っているのにマヨヒガの自室に篭るとは、果たして彼女に何があったのか?
橙の部屋をこそりと覗く金の瞳と金の瞳は、揃って同じ事を考えていた。
言うまでも無く天狐とスキマである。
(紫様)
超小声で天狐が囁く。
(何よ)
超小声でスキマが返す。
(橙に何かあったんでしょうか? どうすれば良いんでしょうか?)
声に篭る心配気な感情から分かる通り、藍の表情は見る方が逆に心配したくなるくらい気が気ではなかった。
藍の知る橙は上天気であればテンションも天高く遊びに遊んで遊びまくるのが普通であり、雨ならばともかく晴れの日に橙が部屋に篭るというのは、彼女を式にして以降一度も無かった事である。
橙が見せる常とは違う行動。それに対する藍の心情というのは、親が初めて授かった子供に対するそれに等しい。だから心配で更に心当たりもなくてどうすれば良いか皆目さっぱり分からない。
(私は何でも知ってるけど、何でも教える訳じゃないのよ?)
対し紫は涼しいものである。それに、彼女からしたら橙より藍の方がずっと心配だった。
式は道具。その事をしっかり言い聞かせた筈なのだが、どうも藍は橙を過保護にする傾向が強い。
かといって―――そう、例えば藍が同種の行動をとったらどうするか。
そう仮定してみたが、そんな程度の事で自分が藍を心配したり落ち着きを失ったりする筈が無い、という結論が刹那で出た。
……うん、やっぱり式は道具だものねぇ。言う事聞いたり聞かなかったりするけど、聞かなかったら聞くまで折檻すれば良いだけの事だし。
(じゃあ何故一緒になって覗いてるんですか)
視線を一瞬だけ紫に向けて即座に橙に戻した藍は、何故自分の主がへいちゃらな顔をしていられるのか理解出来なかった。橙が心配ではないのだろうか?
(見てて飽きないからよ)
一瞬だけ感じた藍の視線から、己の式の想いを大体察し、紫は心で溜息を吐いた。
……まぁ後百年もすれば改善するでしょうけれど。
(……あの、紫様)
主の言葉にふと違和感を覚え、藍は橙を注視しつつ言った。
(何かしら?)
同じく橙を注視したまま紫は応える。
(念の為……そう、あくまで念の為ですが)
暗闇に足を踏み入れるように慎重な藍の声。
(うんうん)
対し、非常識なまでの期待を孕んだ紫の声。
(…………)
違和感が嫌な予感に変わったのを実感しつつ、藍は意を決するのに数秒の時間を要した。
そして数秒が経過する。
藍は息を吸った。
(見てて飽きないのは、どちらですか?)
(知りたい?)
つぃーんっ、と紫の目線が藍へと向けられる。
その眼差しの動きに残像が付いて見えたのは、多分気のせいでもなんでもなく、本当に残像を付けたのだろう。何せスキマ妖怪は誰も見ていない所にこそ手が込んでいるからだ。反対に、誰もが見ている所では手を抜きまくるが。
(……っ)
藍が感じたのは、嗜虐と喜悦に満ちた悪の塊のような眼差し。緊張に背筋が張り、指先から尻尾の先端に到るまで一挙にぴきっとなる。次いでじわりと嫌な汗が背中を湿らせた。
ただ一概に悪といっても程度は軽く、悪戯レベルのものである。大体紫が本心からの悪意を露にしたら、多分それだけで彼女の周囲50平米程度に居る生物は皆逃げるだろう。だって多分死ぬから。
(……いえ、結構です……)
沈黙を挟み、藍は耳を伏せた。
天狐が全くいつも通りスキマに精神的大敗を喫した辺りで、橙の方に動きがあった。
外を眺めるのを止め、橙は書机の前に座ったまま手近な本棚へと手を伸ばし、選び取ったのは日記帳。
彼女はそれを書机の上に置き、ぱらりと捲る。
そこに記されているのは当然ながらその日の日記。
朝。
藍様がご飯の用意をしてくれた。
とっても美味しかった。
紫様は寝てた。
昼。
外で遊んでた。
とっても楽しかった。
紫様は寝てた。
夜。
藍様がご飯の用意をしてくれた。
とっても美味しかった。
紫様は寝てた。
「…………あれ?」
風がそろそろ肌に冷たくて、座布団の上にきちんと正座している橙は首を捻った。
机に置かれているのは日記帳。
記されているのはその日の事。
割といつも通りな内容なのだが、それでも橙は首を捻っていた。
耳がぴこぴこと上下し、尻尾がゆらゆらと揺れる。
「ん」
改めて何か思い至ったように、橙は首を戻すと日記帳を過去へと捲っていく。
書いてある事と言えば、
紫様は寝てた。
紫様は寝てた。
紫様は寝てた。
紫様は寝てた。
紫様は寝てた。
紫様は寝てた―――
「…………寝てばっかりだ」
何を今更と藍が突っ込んでスキマに呑まれて無残な事になりそうな言葉を、橙は感心した風に言う。
そのまま「ふーん」とか「へー」とか言って日記帳を矯めつ眇めつした後、日記帳を棚に戻した橙は再び首を捻った。
「紫様は、起きてもすぐに藍様がお世話をするから寝てるのかな?」
この場合のお世話とは食事とか着替えとか湯浴みの世話とかである。
寝起きの紫の不精振りは幻想郷内でもトップクラスであり、所謂〝要介護5〟に相当する程だ。
つまり一から十まで藍に手伝って貰う訳である。
では。
「……藍様が居なかったら紫様はしょっちゅう起きてるって事に?」
橙の経験上、完全に目が覚めさえすれば紫とて藍の世話を必要としないのだ。食事以外は。
しかし紫は寝るのである。
それはもうすやすやと。
世界一の幸せ者のような顔をして。
そしてそもそも寝入るタイミングが掴めない。
一週間ばかり起き詰めでも平然としている場合もあれば、起きて一時間もしない内にまた眠るという二度寝三度寝もお手の物なのだ。突然寝だってやってのける。
取り敢えず橙から見た紫様は、色んな意味で凄い妖怪であった。
「……どうなるのかな」
首の捻りに加え腕を組んで、橙はうーんと唸る。
耳がぴこぴこと上下し、尻尾がゆらゆらと揺れる。
やがて、捻りが戻り、耳と尻尾の動きも止まった。
何かしら考えがまとまった様子の橙を見る二つの双眸。
それらは、橙が立ち上がるなり個々の手段で瞬く間に居なくなった。
―――翌朝。
「藍様ー」
「どうした橙」
「藍様ー」
「どうしわぁああああああああああああああああっ!?」
「……よいしょっ、と」
という訳で、橙は藍様を落とし穴に誘い込んだ後、蓋をして封印してみた。
以前、霊夢が面白半分で橙に妖怪封じの強烈な札を横流しした事があったのである。
霊夢としては紫が封印されたら儲けものだったのだが、まぁ現実は往々にして理不尽だ。特に被害者にとって。
そして幻想郷は終焉を迎えた。
ある日ある場所あるお部屋。
橙は窓から見える風景をぼんやり眺めていた。
空の雲の形が魚に見えてきた訳でも無いし、綺麗な蝶々がひらひら舞っていた訳でも無い。
そもそも橙は風景の方へ意識を向けていなかったのだ。
「ん~~……」
二本の尻尾をゆらゆらと揺らし、書机に頬杖を突いて橙は考え事をしていたのである。
ぽかぽかのお日様が照っているのにマヨヒガの自室に篭るとは、果たして彼女に何があったのか?
橙の部屋をこそりと覗く金の瞳と金の瞳は、揃って同じ事を考えていた。
言うまでも無く天狐とスキマである。
(紫様)
超小声で天狐が囁く。
(何よ)
超小声でスキマが返す。
(橙に何かあったんでしょうか? どうすれば良いんでしょうか?)
声に篭る心配気な感情から分かる通り、藍の表情は見る方が逆に心配したくなるくらい気が気ではなかった。
藍の知る橙は上天気であればテンションも天高く遊びに遊んで遊びまくるのが普通であり、雨ならばともかく晴れの日に橙が部屋に篭るというのは、彼女を式にして以降一度も無かった事である。
橙が見せる常とは違う行動。それに対する藍の心情というのは、親が初めて授かった子供に対するそれに等しい。だから心配で更に心当たりもなくてどうすれば良いか皆目さっぱり分からない。
(私は何でも知ってるけど、何でも教える訳じゃないのよ?)
対し紫は涼しいものである。それに、彼女からしたら橙より藍の方がずっと心配だった。
式は道具。その事をしっかり言い聞かせた筈なのだが、どうも藍は橙を過保護にする傾向が強い。
かといって―――そう、例えば藍が同種の行動をとったらどうするか。
そう仮定してみたが、そんな程度の事で自分が藍を心配したり落ち着きを失ったりする筈が無い、という結論が刹那で出た。
……うん、やっぱり式は道具だものねぇ。言う事聞いたり聞かなかったりするけど、聞かなかったら聞くまで折檻すれば良いだけの事だし。
(じゃあ何故一緒になって覗いてるんですか)
視線を一瞬だけ紫に向けて即座に橙に戻した藍は、何故自分の主がへいちゃらな顔をしていられるのか理解出来なかった。橙が心配ではないのだろうか?
(見てて飽きないからよ)
一瞬だけ感じた藍の視線から、己の式の想いを大体察し、紫は心で溜息を吐いた。
……まぁ後百年もすれば改善するでしょうけれど。
(……あの、紫様)
主の言葉にふと違和感を覚え、藍は橙を注視しつつ言った。
(何かしら?)
同じく橙を注視したまま紫は応える。
(念の為……そう、あくまで念の為ですが)
暗闇に足を踏み入れるように慎重な藍の声。
(うんうん)
対し、非常識なまでの期待を孕んだ紫の声。
(…………)
違和感が嫌な予感に変わったのを実感しつつ、藍は意を決するのに数秒の時間を要した。
そして数秒が経過する。
藍は息を吸った。
(見てて飽きないのは、どちらですか?)
(知りたい?)
つぃーんっ、と紫の目線が藍へと向けられる。
その眼差しの動きに残像が付いて見えたのは、多分気のせいでもなんでもなく、本当に残像を付けたのだろう。何せスキマ妖怪は誰も見ていない所にこそ手が込んでいるからだ。反対に、誰もが見ている所では手を抜きまくるが。
(……っ)
藍が感じたのは、嗜虐と喜悦に満ちた悪の塊のような眼差し。緊張に背筋が張り、指先から尻尾の先端に到るまで一挙にぴきっとなる。次いでじわりと嫌な汗が背中を湿らせた。
ただ一概に悪といっても程度は軽く、悪戯レベルのものである。大体紫が本心からの悪意を露にしたら、多分それだけで彼女の周囲50平米程度に居る生物は皆逃げるだろう。だって多分死ぬから。
(……いえ、結構です……)
沈黙を挟み、藍は耳を伏せた。
天狐が全くいつも通りスキマに精神的大敗を喫した辺りで、橙の方に動きがあった。
外を眺めるのを止め、橙は書机の前に座ったまま手近な本棚へと手を伸ばし、選び取ったのは日記帳。
彼女はそれを書机の上に置き、ぱらりと捲る。
そこに記されているのは当然ながらその日の日記。
朝。
藍様がご飯の用意をしてくれた。
とっても美味しかった。
紫様は寝てた。
昼。
外で遊んでた。
とっても楽しかった。
紫様は寝てた。
夜。
藍様がご飯の用意をしてくれた。
とっても美味しかった。
紫様は寝てた。
「…………あれ?」
風がそろそろ肌に冷たくて、座布団の上にきちんと正座している橙は首を捻った。
机に置かれているのは日記帳。
記されているのはその日の事。
割といつも通りな内容なのだが、それでも橙は首を捻っていた。
耳がぴこぴこと上下し、尻尾がゆらゆらと揺れる。
「ん」
改めて何か思い至ったように、橙は首を戻すと日記帳を過去へと捲っていく。
書いてある事と言えば、
紫様は寝てた。
紫様は寝てた。
紫様は寝てた。
紫様は寝てた。
紫様は寝てた。
紫様は寝てた―――
「…………寝てばっかりだ」
何を今更と藍が突っ込んでスキマに呑まれて無残な事になりそうな言葉を、橙は感心した風に言う。
そのまま「ふーん」とか「へー」とか言って日記帳を矯めつ眇めつした後、日記帳を棚に戻した橙は再び首を捻った。
「紫様は、起きてもすぐに藍様がお世話をするから寝てるのかな?」
この場合のお世話とは食事とか着替えとか湯浴みの世話とかである。
寝起きの紫の不精振りは幻想郷内でもトップクラスであり、所謂〝要介護5〟に相当する程だ。
つまり一から十まで藍に手伝って貰う訳である。
では。
「……藍様が居なかったら紫様はしょっちゅう起きてるって事に?」
橙の経験上、完全に目が覚めさえすれば紫とて藍の世話を必要としないのだ。食事以外は。
しかし紫は寝るのである。
それはもうすやすやと。
世界一の幸せ者のような顔をして。
そしてそもそも寝入るタイミングが掴めない。
一週間ばかり起き詰めでも平然としている場合もあれば、起きて一時間もしない内にまた眠るという二度寝三度寝もお手の物なのだ。突然寝だってやってのける。
取り敢えず橙から見た紫様は、色んな意味で凄い妖怪であった。
「……どうなるのかな」
首の捻りに加え腕を組んで、橙はうーんと唸る。
耳がぴこぴこと上下し、尻尾がゆらゆらと揺れる。
やがて、捻りが戻り、耳と尻尾の動きも止まった。
何かしら考えがまとまった様子の橙を見る二つの双眸。
それらは、橙が立ち上がるなり個々の手段で瞬く間に居なくなった。
―――翌朝。
「藍様ー」
「どうした橙」
「藍様ー」
「どうしわぁああああああああああああああああっ!?」
「……よいしょっ、と」
という訳で、橙は藍様を落とし穴に誘い込んだ後、蓋をして封印してみた。
以前、霊夢が面白半分で橙に妖怪封じの強烈な札を横流しした事があったのである。
霊夢としては紫が封印されたら儲けものだったのだが、まぁ現実は往々にして理不尽だ。特に被害者にとって。
そして幻想郷は終焉を迎えた。