「取材?」 ひょいぱく
「そうです。いつかの春の異変の詳細、今日こそ聞かせてもらいます」
「でも前に話した事で全部よ?」 ひょいぱく
「あんな有耶無耶な話ではなくてですね」
「あんこもきなこもないわよ? 確かにきな粉餅は美味しいわ。でもやっぱりお餅には醤油よね」
そう言って、貴方も食べれば? と醤油の垂らされた餅が乗った皿を差し出した。
しかし、差し出された側の少女、射命丸文はがっくりと肩を落として、それはもう盛大に、肺が空っぽどころか凹む勢いで息を吐いた。
それでも醤油餅は美味しかった。
なんで夏に餅なんか食べてるんだろうと些細な疑問が頭の中を駆け巡ったが、まぁ美味しいものに罪はない。
白玉楼、西行寺の屋敷。
さっぱりと晴れ渡った青空の下、二人は縁側に腰掛けていた。
美味しいなぁこんちくしょう、と餅を頬張る文を他所に、もう一人の少女、幽々子はずずず、と傾けていた湯飲みを両手で包み込むように持ったままそっと膝の上に下ろすと、伏せていた目をすっと開いて文の方へとその視線を向ける。
「でも、どうしてもというのなら」
言われて驚いたのは文の方である。
やっと話してくれる気になったのかと思って顔を横に向けてみれば、そこには半眼でこちらを睨む亡霊が一人。僅かに俯いた状態から上目遣いにこちらを睨むその瞳には、あからさますぎて隠す気にもなれない殺気が込められていた。
そんな目で見られてしまっては、文がたじろぐのも無理はない事。
「な、なんですか……」
「貴方の、その――」
命をよこせ、とでも言うのだろうか。いや、彼女ならばそれも言いかねない。
聞くところによれば、初めて会った人間をいきなり呪い殺そうとしたとか、呼び出した相手を問答無用で毒殺しようとしたとか。さもなれば私はなんだ? 実はさっきの餅に毒が仕込んであったのか?
そうこう考えている間にも彼女は自分を見つめてくる。
その目はまるで獲物を目の前にした獣のようにぎらぎらと輝き、どこから現れたのか、その周りを何匹もの蝶が飛び交っていた。
あぁ――短い人生だった。
せめて一度くらい新聞大会で優勝してみたかったな……。
「お餅を――頂こうかしら」
あぁ、もう餅でもなんでも持っていってください。私には必要の無いものなのですから。
というか、その餅ってそっちが出してきたんじゃなかっただろうか。
人に差し出した物をやっぱり返せとは、一体どういう教育を受けてきたのだろう。まったく、親の顔が見たいものだ。
――
――
――
――あれ?
またあの閻魔の長ったらしい説教を聞かされるのかといい加減うんざりしてきたところで、いつまで経っても自分の体に変化がない事に疑問を覚え、恐る恐る目を開けた。
これで実はもう三途の川を渡る船の上、なんて事になっていなければいいのだが。
それならそれで、あんなサボタージュの泰斗なんかじゃなくて、黒髪ロングのセーラー服な女の子の方がいいな、とか。
あれ? でもそれって私は地獄行きで決定ですか?
それはいかんと一気に目を見開いた文だったが、しかしその目に映ったのは空になった皿だけだった。
つつつ、と目線を上げていけば、そこにはなんとまぁ、何があったらそんな顔が出来るのかと聞きたくなるような、それはもう満開に咲いた花のように幸せそうな笑顔があった。
さて、射命丸文。貴方も記者だというのならば、今のこの状況を冷静に判断しなければいけません。
さぁLet's thinking timeですよ射命丸。
隣に座る少女、西行寺幽々子の横に置かれた皿はとうの前に空になっていた。よって今の彼女に本来食べれる餅はもう無いはず。にもかかわらず、今もまだもごもごと動かす口の中にあるのは紛れもなく餅だろう。そして空になった自分の分の餅が乗っていたはずの皿。
ふふ、もう謎は解けましたよ。
我ながら素晴らし推理力です。もういっそこのまま探偵業に転職してしまいましょうか。
いや、溢れる才能とは正にこういう事を言うんですね。自分の事ながら恐ろしい!
「――って、私のお餅ーっ!?」
「なによ、いらないって言ったじゃない」
「うぅ、この世には神も仏もいないのですね……」
「神も仏もいないかもしれないけれど、鬼も悪魔も幽霊もいるわよ」
頬張っていた餅も飲み込んでしまったのか、ついでに天狗もね、と幽々子は再び湯飲みを傾けてずずず、と茶を啜っていた。
その様子を恨めしそうに眺めながら、それでも記者の端くれとしてなんとか話題を戻そうと試みる辺りが彼女らしいといえばそうなのだろうか。
「では、お答えしていただけるんですよね」
「嫌よ」
嫌ときましたよ。
理不尽な要求をしておいて、その上で駄目でも無理でもなく嫌ですと。
ほんと、どういう教育を受けてきたのでしょう、この亡霊は。
「そこを何とかなりませんか?」
もうこうなればプライドとかどうとかはこの際言ってられない。
この話が聞けなければ、ネタのストックがそろそろ危ないのだ。
それなに、この亡霊ときたら。
「だって、貴方の新聞面白くないんだもの」
なんて言ってくれちゃってもう。
∽
「それでここまで来た、と」
「はい……『今日この場所で起きたことを記事に出来たなら、今度は話してあげる』なんてまたよく解らない事を言われてしまいまして」
あれから数日、冥界の一角にある小高い丘の上で文は朝からずっと空を見て呆けていた。
上空からたまたまそれを見つけた妖夢が、珍しい場所に珍しい人が珍しい顔をしていると降りてきたところで今に至る。
「幽々子さまがそんな事を……申し訳ないです。幽々子さまも悪気があって言った訳ではないと思うのですが」
主に代わって頭を下げる妖夢に、文はいいんですよと力なく笑った。
自分でも心のどこかで思っていた事なのだ。
天狗の新聞大会で優勝している新聞は毎回ある事ない事をただ面白おかしく書いているだけの物であった。読み物としてはそれは面白いのかもしれないが、文はそれは何か違うのではないかと常々思っていた。
だからこそ自分なりの新聞を書き続け、いつかはそれで――と思っているのだが、毎回結果は散々。気にしていないといえば嘘だった。
「けど、今日のこの場所なんて、幽々子さまも何を考えているのか……」
それは誰にあてたのでもない独り言のようであったが、ただでさえ耳のいい文が聞き逃すはずは無かった。
なにしろ幽々子から言われたのは、この場所で起こった出来事を記事にして見せろ、という一言だけなのだ。
それ以外に一切の情報がない現状では、記事の大まかなあたりを付けることすら叶わない。
引き出せる情報は事前に出せるだけ出しておく。
それが文の取材方だった。
そんな訳で、さっきまでの呆け具合もどこへやら、一気に妖夢へと飛び掛る天狗が一匹。
「今日ここで起きる出来事について何か知っているんですか!?」
「え、あ、いや、まぁ……知っているといえば知っていますが」
いきなり態度を豹変させて、子供のように瞳を輝かせながら詰め寄ってくる文に、妖夢は思わずたじろいだ。
幾千の修羅場を潜り抜けてきた己の感が叫ぶ。このままではヤられてしまう! と。
ならば先手必勝。ヤられるまえに殺ってしまえばいい。
幸いにしてここは冥界。自分のホームグラウンドだ。地の利はこちらにある。
烏はあんまり美味しくなさそうだけど、幽々子さまならきっと気にせず食べてくれるだろう。
後は魂を適当に白楼剣で切り潰して問答無用で天界に送ってしまえば、ほら完全犯罪の出来上がり。
よしやるぞ。やってしまえ魂魄妖夢! 幽々子さま、今日の晩御飯は天狗鍋ですよ!
晩の食卓を彩る献立も決まり、妖夢がカッと目を見開く!
――と、そこにはきらきらと輝く瞳が視界一面を埋め尽くしていた。
鼻先は触れ合いそうなほど……っていうか触れてる。
そしてわくわくと薄く漏らす吐息が妖夢の小さな唇を撫で、なんともこそばゆい感覚が神経を光よりも速く流れて脳へと伝わっていった。
「くぁwせdrftgyふじこlp;@@@@@@@!?」
この世に半分だけ生れ落ちて幾年か。今までに感じた事のないみょんな感覚が一瞬にして頭の中を占拠。妖夢のお子様頭は瞬く間にリミットオーバー。ボンと音を立てて頭のてっぺんから煙が昇った。
その際、びっくりした妖夢が体を震わせた時にうっかり触れてしまったかどうかは本人たちのみぞ知る事実。
「触れてなどいません」
おや妖夢さん。そんな顔を真っ赤にしながら言っても逆効果ですよ?
「触れてないと言ってるじゃないですか!」
まぁまぁ、キスの一つや二つ、いいじゃありませんか。
「キッ! キキキキキキキスなんて! あんなの数に入りません! ノーカンです、ノーカウント!」
あ、やっぱりしたんだ。
「――! ……切り潰しますよ?」
ごめんなさい。
~閑話休題~
「幽々子さまは他に何か言ってなかったのですか?」
なんやかやとやっている内にすっかり日は暮れて、辺りには夜の闇が下りていた。
空には雲はなく、澄んだ空気は星の光をよどみなく地上へと届かせ、輝く月も一層はっきりと、それだけで明かりは十分だった。
小高い丘のてっぺんに鎮座する大岩にもたれかかる妖夢が、少し振り返るようにして丁度頭の辺りに腰掛ける文を見た。
「そうですね……私には何か足りないものがあるらしいです。それが解らないと、一生私の新聞は今のままだと」
夜空にごまんと輝く星を眺めながら、呆けるように文が言った。
結局こうして一日ここに居座ってみたものの、新聞の記事に出来るような事は何一つとして起こらなかった。何かあったと言われれば、妖夢に会ったくらい。まさかこれを記事にしろとは言わないだろう。
そうやって上を眺める文とは対照的に、妖夢は下を向いてなにやら考えていたかと思うと、うーん、と少し自信なさ気にもう一度文を見た。
「私には難しい事はよく解りませんけど、幽々子さまが貴方をここに来させた理由はなんとなく解ります。私も昔同じような事を言われましたから」
「貴方も?」
「はい。私が一度己の進むべき道に迷ったとき、幽々子さまは同じように言って私をここに連れてきました」
でも、と一旦言葉を切って、妖夢は少し困ったようにはにかんだ。
「私は未だに自分に何が足りないのかがよく解っていません。本当はもうとっくに解っているのかもしれないけれど、それでもやっぱり自信がない。だから今でもこうして毎年ここに来ているのですが……」
貴方なら見つけられるかもしれませんね、と妖夢は空を見上げた。
「……教えていただけませんか? ここで一体何が――」
しかし、皆まで言うよりも早く、妖夢が腕を伸ばして文の口に人差し指を当てた。
む、と言い留まる文に向かって、妖夢は今度はにっこりと微笑んで見せた。
「ほら、始まりますよ」
何が、と問い返そうとしたその時、ふいに二人の周りに小さな光の弾のような物が数個、地面から立ち昇るように現れた。
それに気付いた文が慌てて辺りを見渡すと、二人の居る丘を中心に次々と光の弾は増えていった。
やがてそれらは何かに導かれるように、ふよふよと丘へと集まってくる。
「これは……全部霊?」
どこからこれだけの霊が現れたのか。大地を輝かせる光の絨毯は丘の周りだけでなく、見渡せる限りの彼方まで続いているようにも見えた。
「まだまだ、ここからですよ」
そう言って妖夢がばっと上を向くと、丘の周り、比較的近くにいた霊たちがまるでそれを合図にしたかのように、一斉に空に向かって流れるように上っていった。
最初に昇っていった霊を先頭に、幾本もの光の帯となって。それは丘の中心にいる二人の周りを囲むように、巨大な一本の柱と成っていった。
「すご……い……」
柱の中は昼間のように光り輝き、二人は自分達のすぐ周りをものすごい勢いで翔け上がっていく光の壁に、ただただ魅入られていた。
どれほどの時間が流れただろうか、大地を埋め尽くすほどにいた霊の全てが昇りきると、それは遥かな上空で留まり、後から昇ってきた霊たちに押し込まれるようにしながら球体を成していく。
そして常人の目では到底見えないだろうが、天狗である文にはその輝く球体の前に浮かぶ人物がはっきりと見えていた。
「あれは、まさか……」
「あ、やっぱり見えるんですか? 私はあそこにいる時の幽々子さまを見たことがないので……。よかったらどんな感じなのか教えてくれませんか?」
しかし、文は答えなかった。答える事が出来なかった。
今まで様々な新聞を書いてきた。時に大げさに、時にありのままに、多種多様な言葉を、文章を用いてどんな事でも記事にしてきた。
でも、今あの空を飛ぶ幽々子を言い表すには、そのどんな言葉を持ってしても不可能なように思えた。
両手に扇を構え、舞うように上へ下へ、右へ左へと宙を滑っていく。それに合わせて球体をかたどっていた霊たちも再び一本の大きな帯となり、上へ下へ、右へ左へと流れていく。
夜空に踊る一筋の光の帯。
それはまるで空を切り裂く剣のように。空を分かつ大河のように。遥か彼方に輝く彗星のように。いや、何に例えたところで目の前に広がるこの光景の前では霞んでしまう。流れる光、そこから零れ落ちた光の雫は小さな雪となって、夏の空をはらはらと舞い降りて地上へと還っていく。
まるで久しぶりに踊る舞踏会でステップを確かめるように何度か大きくうねっていたかと思うと、光の帯は一気に流星のように流れていった。
そして最後の一欠片が空の彼方に消えていくまで、文は一歩も動く事が出来ずに、ただ呆然と口を開けて空を見上げていた。
「いい写真、撮れましたか?」
妖夢のその一言によって、文ははっと気付いてカメラを空へと向けるがもう遅い。
冥界の空は再び星と月が輝く夏の夜空を取り戻していた。
「……何度も思ったんですよ。こんな特ダネは他にはないって。一枚でも多く写真を撮らなきゃって。なのに……」
先ほど妖夢が文に向けてそうしたように、今度は文が妖夢に向かって、少し困ったようにはにかんでみせた。
「見てたいなって……思っちゃったんです。レンズ越しの世界じゃなくて、自分の目で……」
おかげでネタ帖も真っ白です、と手に持った手帖を開いてびらびらと揺らしてみせた。
「私は記者失格ですね。どんな時も記事にするためのネタを第一に考えなきゃいけないのに、私はそれを放棄してしまった」
もう一度、霊たちが消えていった彼方の空を見る。
すると、遅れた一匹が慌てて追いかけていくかのように、流れ星が一つ、消えていった。
「でも、おかげで少し解ったような気がします。私に何が足りなかったのか」
「そうですか……よかったですね」
「はい。だから……伝えておいてもらえませんか? ありがとうございます……って」
そう言った文の顔には、この夜の空の下、月の輝きにも、星の瞬きにも負けないほどの、昼間の太陽のような満面の笑顔があった。
だから妖夢も負けじと笑う。そんな事をしなくたって、目の前でこんな顔を見せられたら自然と頬は緩んでしまうだろう。
「確かに、伝えておきますよ」
∽
「よーむ、よーむー、帰ったわよ~」
玄関から聞こえてきた声に妖夢が食器を並べていた手を止めてぱたぱたと走っていくと、そこには床に這い蹲るようにのびる幽々子の姿があった。
「お帰りなさいませ。それとお疲れ様でした。幽々子さま」
「ほんと疲れたわ。晩御飯はまだかしら~?」
「もう支度出来ていますよ。先に食卓の方で待っていていただけますか?」
しかし、それを聞いても幽々子は立ち上がろうとしなかった。
妖夢が不思議に思って覗き込むように顔を近づけると。
「もう歩けないー。よーむ、連れてってー」
「あー、はいはい。ほら、肩かしますから。とりあえず起き上がってください――っと」
日頃の鍛錬のおかげか、それとも亡霊に体重なんてものはないのか、妖夢は軽々と幽々子を起き上がらせると、そのまま引きずるように廊下を歩いていった。
「ねぇ妖夢?」
「なんですか?」
「あの子……どうだった?」
言われなくても解る。文の事だろう。
「写真もメモも取れなかったって言ってましたよ」
「あらあら。やっぱりね」
「でも、ありがとうって伝えてくれ、と」
「あら? あらあら?」
「見つけられたかもしれないと……言っていました」
「へぇ……次の新聞が楽しみね」
「……そうですね」
文が最後に見せた笑顔を思い出して、またも顔が自然に綻んだ……が、それも長くは続かなかった。
「ところで妖夢。貴方はいい加減解ったのかしら?」
「え? あ、その、いや……」
「今年で何年目かしらね」
「面目ないです――っ!?」
しゅんとしょげてしまった妖夢に向かって、幽々子がでこぴん一発。
痛くはなかったが、突然の事にびっくりした妖夢は自分の肩に掴まらせていた幽々子の手を離してしまい、両手で額を押さえて顔中を疑問符で埋めてぱくぱくと声にならない声をあげていた。
「そんな事よりお腹が空いたわ。早くご飯にしましょ」
「……あっ? 待ってくださいよ、幽々子さま~」
・ ・ ・ ・ ・ 次の日 ・ ・ ・ ・ ・
「幽々子さま、あの天狗が新聞置いていきましたよ」
「あら? 随分と早いわね。書くネタなんてあったのかしら」
「それが……」
何故かしかめっ面をしている妖夢を他所に、渡された新聞を豪快にばさっと広げて一面に目を通す。
しかし、書かれた内容を読み進める目はすぐに止められる事となった。
「ねぇ妖夢?」
「はい」
「あの天狗、写真撮ってないのよね?」
「確かに」
「じゃあこれは何?」
突きつけるように差し出された新聞。その一面にはでかでかと昨日の様子を写した写真が掲載されていた。
「いえ……あの天狗が言うには、家に帰ってから試しに念写をしてみたら思いのほか成功したので、俄然やる気が沸いてそこから一気に書き上げたとかどうとか……」
「念写って……あの天狗、そんな事できたの?」
「私にもさっぱり。でも実際そうやって写真が載っている訳ですし」
むむむぅ、と今度は幽々子がしかめっ面になる。
「あ、それと、春の異変の話をまた聞きにきますので、その時はよろしく、と」
「……はああぁぁぁぁぁぁ」
庭掃除に戻るという妖夢を見送り、傍らに置かれた新聞をもう一度見てみるが、そこにはやっぱりでかでかと昨日の様子が写された写真があった。
『冥界の神秘!? 夏に花咲く光の幻想!』
「念写はちょっと卑怯じゃないかしらねぇ?」
今日も雲一つない夏の青空を眺めて、幽々子は一層大きな溜息をついた。
「そうです。いつかの春の異変の詳細、今日こそ聞かせてもらいます」
「でも前に話した事で全部よ?」 ひょいぱく
「あんな有耶無耶な話ではなくてですね」
「あんこもきなこもないわよ? 確かにきな粉餅は美味しいわ。でもやっぱりお餅には醤油よね」
そう言って、貴方も食べれば? と醤油の垂らされた餅が乗った皿を差し出した。
しかし、差し出された側の少女、射命丸文はがっくりと肩を落として、それはもう盛大に、肺が空っぽどころか凹む勢いで息を吐いた。
それでも醤油餅は美味しかった。
なんで夏に餅なんか食べてるんだろうと些細な疑問が頭の中を駆け巡ったが、まぁ美味しいものに罪はない。
白玉楼、西行寺の屋敷。
さっぱりと晴れ渡った青空の下、二人は縁側に腰掛けていた。
美味しいなぁこんちくしょう、と餅を頬張る文を他所に、もう一人の少女、幽々子はずずず、と傾けていた湯飲みを両手で包み込むように持ったままそっと膝の上に下ろすと、伏せていた目をすっと開いて文の方へとその視線を向ける。
「でも、どうしてもというのなら」
言われて驚いたのは文の方である。
やっと話してくれる気になったのかと思って顔を横に向けてみれば、そこには半眼でこちらを睨む亡霊が一人。僅かに俯いた状態から上目遣いにこちらを睨むその瞳には、あからさますぎて隠す気にもなれない殺気が込められていた。
そんな目で見られてしまっては、文がたじろぐのも無理はない事。
「な、なんですか……」
「貴方の、その――」
命をよこせ、とでも言うのだろうか。いや、彼女ならばそれも言いかねない。
聞くところによれば、初めて会った人間をいきなり呪い殺そうとしたとか、呼び出した相手を問答無用で毒殺しようとしたとか。さもなれば私はなんだ? 実はさっきの餅に毒が仕込んであったのか?
そうこう考えている間にも彼女は自分を見つめてくる。
その目はまるで獲物を目の前にした獣のようにぎらぎらと輝き、どこから現れたのか、その周りを何匹もの蝶が飛び交っていた。
あぁ――短い人生だった。
せめて一度くらい新聞大会で優勝してみたかったな……。
「お餅を――頂こうかしら」
あぁ、もう餅でもなんでも持っていってください。私には必要の無いものなのですから。
というか、その餅ってそっちが出してきたんじゃなかっただろうか。
人に差し出した物をやっぱり返せとは、一体どういう教育を受けてきたのだろう。まったく、親の顔が見たいものだ。
――
――
――
――あれ?
またあの閻魔の長ったらしい説教を聞かされるのかといい加減うんざりしてきたところで、いつまで経っても自分の体に変化がない事に疑問を覚え、恐る恐る目を開けた。
これで実はもう三途の川を渡る船の上、なんて事になっていなければいいのだが。
それならそれで、あんなサボタージュの泰斗なんかじゃなくて、黒髪ロングのセーラー服な女の子の方がいいな、とか。
あれ? でもそれって私は地獄行きで決定ですか?
それはいかんと一気に目を見開いた文だったが、しかしその目に映ったのは空になった皿だけだった。
つつつ、と目線を上げていけば、そこにはなんとまぁ、何があったらそんな顔が出来るのかと聞きたくなるような、それはもう満開に咲いた花のように幸せそうな笑顔があった。
さて、射命丸文。貴方も記者だというのならば、今のこの状況を冷静に判断しなければいけません。
さぁLet's thinking timeですよ射命丸。
隣に座る少女、西行寺幽々子の横に置かれた皿はとうの前に空になっていた。よって今の彼女に本来食べれる餅はもう無いはず。にもかかわらず、今もまだもごもごと動かす口の中にあるのは紛れもなく餅だろう。そして空になった自分の分の餅が乗っていたはずの皿。
ふふ、もう謎は解けましたよ。
我ながら素晴らし推理力です。もういっそこのまま探偵業に転職してしまいましょうか。
いや、溢れる才能とは正にこういう事を言うんですね。自分の事ながら恐ろしい!
「――って、私のお餅ーっ!?」
「なによ、いらないって言ったじゃない」
「うぅ、この世には神も仏もいないのですね……」
「神も仏もいないかもしれないけれど、鬼も悪魔も幽霊もいるわよ」
頬張っていた餅も飲み込んでしまったのか、ついでに天狗もね、と幽々子は再び湯飲みを傾けてずずず、と茶を啜っていた。
その様子を恨めしそうに眺めながら、それでも記者の端くれとしてなんとか話題を戻そうと試みる辺りが彼女らしいといえばそうなのだろうか。
「では、お答えしていただけるんですよね」
「嫌よ」
嫌ときましたよ。
理不尽な要求をしておいて、その上で駄目でも無理でもなく嫌ですと。
ほんと、どういう教育を受けてきたのでしょう、この亡霊は。
「そこを何とかなりませんか?」
もうこうなればプライドとかどうとかはこの際言ってられない。
この話が聞けなければ、ネタのストックがそろそろ危ないのだ。
それなに、この亡霊ときたら。
「だって、貴方の新聞面白くないんだもの」
なんて言ってくれちゃってもう。
∽
「それでここまで来た、と」
「はい……『今日この場所で起きたことを記事に出来たなら、今度は話してあげる』なんてまたよく解らない事を言われてしまいまして」
あれから数日、冥界の一角にある小高い丘の上で文は朝からずっと空を見て呆けていた。
上空からたまたまそれを見つけた妖夢が、珍しい場所に珍しい人が珍しい顔をしていると降りてきたところで今に至る。
「幽々子さまがそんな事を……申し訳ないです。幽々子さまも悪気があって言った訳ではないと思うのですが」
主に代わって頭を下げる妖夢に、文はいいんですよと力なく笑った。
自分でも心のどこかで思っていた事なのだ。
天狗の新聞大会で優勝している新聞は毎回ある事ない事をただ面白おかしく書いているだけの物であった。読み物としてはそれは面白いのかもしれないが、文はそれは何か違うのではないかと常々思っていた。
だからこそ自分なりの新聞を書き続け、いつかはそれで――と思っているのだが、毎回結果は散々。気にしていないといえば嘘だった。
「けど、今日のこの場所なんて、幽々子さまも何を考えているのか……」
それは誰にあてたのでもない独り言のようであったが、ただでさえ耳のいい文が聞き逃すはずは無かった。
なにしろ幽々子から言われたのは、この場所で起こった出来事を記事にして見せろ、という一言だけなのだ。
それ以外に一切の情報がない現状では、記事の大まかなあたりを付けることすら叶わない。
引き出せる情報は事前に出せるだけ出しておく。
それが文の取材方だった。
そんな訳で、さっきまでの呆け具合もどこへやら、一気に妖夢へと飛び掛る天狗が一匹。
「今日ここで起きる出来事について何か知っているんですか!?」
「え、あ、いや、まぁ……知っているといえば知っていますが」
いきなり態度を豹変させて、子供のように瞳を輝かせながら詰め寄ってくる文に、妖夢は思わずたじろいだ。
幾千の修羅場を潜り抜けてきた己の感が叫ぶ。このままではヤられてしまう! と。
ならば先手必勝。ヤられるまえに殺ってしまえばいい。
幸いにしてここは冥界。自分のホームグラウンドだ。地の利はこちらにある。
烏はあんまり美味しくなさそうだけど、幽々子さまならきっと気にせず食べてくれるだろう。
後は魂を適当に白楼剣で切り潰して問答無用で天界に送ってしまえば、ほら完全犯罪の出来上がり。
よしやるぞ。やってしまえ魂魄妖夢! 幽々子さま、今日の晩御飯は天狗鍋ですよ!
晩の食卓を彩る献立も決まり、妖夢がカッと目を見開く!
――と、そこにはきらきらと輝く瞳が視界一面を埋め尽くしていた。
鼻先は触れ合いそうなほど……っていうか触れてる。
そしてわくわくと薄く漏らす吐息が妖夢の小さな唇を撫で、なんともこそばゆい感覚が神経を光よりも速く流れて脳へと伝わっていった。
「くぁwせdrftgyふじこlp;@@@@@@@!?」
この世に半分だけ生れ落ちて幾年か。今までに感じた事のないみょんな感覚が一瞬にして頭の中を占拠。妖夢のお子様頭は瞬く間にリミットオーバー。ボンと音を立てて頭のてっぺんから煙が昇った。
その際、びっくりした妖夢が体を震わせた時にうっかり触れてしまったかどうかは本人たちのみぞ知る事実。
「触れてなどいません」
おや妖夢さん。そんな顔を真っ赤にしながら言っても逆効果ですよ?
「触れてないと言ってるじゃないですか!」
まぁまぁ、キスの一つや二つ、いいじゃありませんか。
「キッ! キキキキキキキスなんて! あんなの数に入りません! ノーカンです、ノーカウント!」
あ、やっぱりしたんだ。
「――! ……切り潰しますよ?」
ごめんなさい。
~閑話休題~
「幽々子さまは他に何か言ってなかったのですか?」
なんやかやとやっている内にすっかり日は暮れて、辺りには夜の闇が下りていた。
空には雲はなく、澄んだ空気は星の光をよどみなく地上へと届かせ、輝く月も一層はっきりと、それだけで明かりは十分だった。
小高い丘のてっぺんに鎮座する大岩にもたれかかる妖夢が、少し振り返るようにして丁度頭の辺りに腰掛ける文を見た。
「そうですね……私には何か足りないものがあるらしいです。それが解らないと、一生私の新聞は今のままだと」
夜空にごまんと輝く星を眺めながら、呆けるように文が言った。
結局こうして一日ここに居座ってみたものの、新聞の記事に出来るような事は何一つとして起こらなかった。何かあったと言われれば、妖夢に会ったくらい。まさかこれを記事にしろとは言わないだろう。
そうやって上を眺める文とは対照的に、妖夢は下を向いてなにやら考えていたかと思うと、うーん、と少し自信なさ気にもう一度文を見た。
「私には難しい事はよく解りませんけど、幽々子さまが貴方をここに来させた理由はなんとなく解ります。私も昔同じような事を言われましたから」
「貴方も?」
「はい。私が一度己の進むべき道に迷ったとき、幽々子さまは同じように言って私をここに連れてきました」
でも、と一旦言葉を切って、妖夢は少し困ったようにはにかんだ。
「私は未だに自分に何が足りないのかがよく解っていません。本当はもうとっくに解っているのかもしれないけれど、それでもやっぱり自信がない。だから今でもこうして毎年ここに来ているのですが……」
貴方なら見つけられるかもしれませんね、と妖夢は空を見上げた。
「……教えていただけませんか? ここで一体何が――」
しかし、皆まで言うよりも早く、妖夢が腕を伸ばして文の口に人差し指を当てた。
む、と言い留まる文に向かって、妖夢は今度はにっこりと微笑んで見せた。
「ほら、始まりますよ」
何が、と問い返そうとしたその時、ふいに二人の周りに小さな光の弾のような物が数個、地面から立ち昇るように現れた。
それに気付いた文が慌てて辺りを見渡すと、二人の居る丘を中心に次々と光の弾は増えていった。
やがてそれらは何かに導かれるように、ふよふよと丘へと集まってくる。
「これは……全部霊?」
どこからこれだけの霊が現れたのか。大地を輝かせる光の絨毯は丘の周りだけでなく、見渡せる限りの彼方まで続いているようにも見えた。
「まだまだ、ここからですよ」
そう言って妖夢がばっと上を向くと、丘の周り、比較的近くにいた霊たちがまるでそれを合図にしたかのように、一斉に空に向かって流れるように上っていった。
最初に昇っていった霊を先頭に、幾本もの光の帯となって。それは丘の中心にいる二人の周りを囲むように、巨大な一本の柱と成っていった。
「すご……い……」
柱の中は昼間のように光り輝き、二人は自分達のすぐ周りをものすごい勢いで翔け上がっていく光の壁に、ただただ魅入られていた。
どれほどの時間が流れただろうか、大地を埋め尽くすほどにいた霊の全てが昇りきると、それは遥かな上空で留まり、後から昇ってきた霊たちに押し込まれるようにしながら球体を成していく。
そして常人の目では到底見えないだろうが、天狗である文にはその輝く球体の前に浮かぶ人物がはっきりと見えていた。
「あれは、まさか……」
「あ、やっぱり見えるんですか? 私はあそこにいる時の幽々子さまを見たことがないので……。よかったらどんな感じなのか教えてくれませんか?」
しかし、文は答えなかった。答える事が出来なかった。
今まで様々な新聞を書いてきた。時に大げさに、時にありのままに、多種多様な言葉を、文章を用いてどんな事でも記事にしてきた。
でも、今あの空を飛ぶ幽々子を言い表すには、そのどんな言葉を持ってしても不可能なように思えた。
両手に扇を構え、舞うように上へ下へ、右へ左へと宙を滑っていく。それに合わせて球体をかたどっていた霊たちも再び一本の大きな帯となり、上へ下へ、右へ左へと流れていく。
夜空に踊る一筋の光の帯。
それはまるで空を切り裂く剣のように。空を分かつ大河のように。遥か彼方に輝く彗星のように。いや、何に例えたところで目の前に広がるこの光景の前では霞んでしまう。流れる光、そこから零れ落ちた光の雫は小さな雪となって、夏の空をはらはらと舞い降りて地上へと還っていく。
まるで久しぶりに踊る舞踏会でステップを確かめるように何度か大きくうねっていたかと思うと、光の帯は一気に流星のように流れていった。
そして最後の一欠片が空の彼方に消えていくまで、文は一歩も動く事が出来ずに、ただ呆然と口を開けて空を見上げていた。
「いい写真、撮れましたか?」
妖夢のその一言によって、文ははっと気付いてカメラを空へと向けるがもう遅い。
冥界の空は再び星と月が輝く夏の夜空を取り戻していた。
「……何度も思ったんですよ。こんな特ダネは他にはないって。一枚でも多く写真を撮らなきゃって。なのに……」
先ほど妖夢が文に向けてそうしたように、今度は文が妖夢に向かって、少し困ったようにはにかんでみせた。
「見てたいなって……思っちゃったんです。レンズ越しの世界じゃなくて、自分の目で……」
おかげでネタ帖も真っ白です、と手に持った手帖を開いてびらびらと揺らしてみせた。
「私は記者失格ですね。どんな時も記事にするためのネタを第一に考えなきゃいけないのに、私はそれを放棄してしまった」
もう一度、霊たちが消えていった彼方の空を見る。
すると、遅れた一匹が慌てて追いかけていくかのように、流れ星が一つ、消えていった。
「でも、おかげで少し解ったような気がします。私に何が足りなかったのか」
「そうですか……よかったですね」
「はい。だから……伝えておいてもらえませんか? ありがとうございます……って」
そう言った文の顔には、この夜の空の下、月の輝きにも、星の瞬きにも負けないほどの、昼間の太陽のような満面の笑顔があった。
だから妖夢も負けじと笑う。そんな事をしなくたって、目の前でこんな顔を見せられたら自然と頬は緩んでしまうだろう。
「確かに、伝えておきますよ」
∽
「よーむ、よーむー、帰ったわよ~」
玄関から聞こえてきた声に妖夢が食器を並べていた手を止めてぱたぱたと走っていくと、そこには床に這い蹲るようにのびる幽々子の姿があった。
「お帰りなさいませ。それとお疲れ様でした。幽々子さま」
「ほんと疲れたわ。晩御飯はまだかしら~?」
「もう支度出来ていますよ。先に食卓の方で待っていていただけますか?」
しかし、それを聞いても幽々子は立ち上がろうとしなかった。
妖夢が不思議に思って覗き込むように顔を近づけると。
「もう歩けないー。よーむ、連れてってー」
「あー、はいはい。ほら、肩かしますから。とりあえず起き上がってください――っと」
日頃の鍛錬のおかげか、それとも亡霊に体重なんてものはないのか、妖夢は軽々と幽々子を起き上がらせると、そのまま引きずるように廊下を歩いていった。
「ねぇ妖夢?」
「なんですか?」
「あの子……どうだった?」
言われなくても解る。文の事だろう。
「写真もメモも取れなかったって言ってましたよ」
「あらあら。やっぱりね」
「でも、ありがとうって伝えてくれ、と」
「あら? あらあら?」
「見つけられたかもしれないと……言っていました」
「へぇ……次の新聞が楽しみね」
「……そうですね」
文が最後に見せた笑顔を思い出して、またも顔が自然に綻んだ……が、それも長くは続かなかった。
「ところで妖夢。貴方はいい加減解ったのかしら?」
「え? あ、その、いや……」
「今年で何年目かしらね」
「面目ないです――っ!?」
しゅんとしょげてしまった妖夢に向かって、幽々子がでこぴん一発。
痛くはなかったが、突然の事にびっくりした妖夢は自分の肩に掴まらせていた幽々子の手を離してしまい、両手で額を押さえて顔中を疑問符で埋めてぱくぱくと声にならない声をあげていた。
「そんな事よりお腹が空いたわ。早くご飯にしましょ」
「……あっ? 待ってくださいよ、幽々子さま~」
・ ・ ・ ・ ・ 次の日 ・ ・ ・ ・ ・
「幽々子さま、あの天狗が新聞置いていきましたよ」
「あら? 随分と早いわね。書くネタなんてあったのかしら」
「それが……」
何故かしかめっ面をしている妖夢を他所に、渡された新聞を豪快にばさっと広げて一面に目を通す。
しかし、書かれた内容を読み進める目はすぐに止められる事となった。
「ねぇ妖夢?」
「はい」
「あの天狗、写真撮ってないのよね?」
「確かに」
「じゃあこれは何?」
突きつけるように差し出された新聞。その一面にはでかでかと昨日の様子を写した写真が掲載されていた。
「いえ……あの天狗が言うには、家に帰ってから試しに念写をしてみたら思いのほか成功したので、俄然やる気が沸いてそこから一気に書き上げたとかどうとか……」
「念写って……あの天狗、そんな事できたの?」
「私にもさっぱり。でも実際そうやって写真が載っている訳ですし」
むむむぅ、と今度は幽々子がしかめっ面になる。
「あ、それと、春の異変の話をまた聞きにきますので、その時はよろしく、と」
「……はああぁぁぁぁぁぁ」
庭掃除に戻るという妖夢を見送り、傍らに置かれた新聞をもう一度見てみるが、そこにはやっぱりでかでかと昨日の様子が写された写真があった。
『冥界の神秘!? 夏に花咲く光の幻想!』
「念写はちょっと卑怯じゃないかしらねぇ?」
今日も雲一つない夏の青空を眺めて、幽々子は一層大きな溜息をついた。