――博麗の巫女。
法無き幻想郷において、唯一その不安定な均衡を支える者。
だが、彼女がどこから来て、そしてどこへ行くのか。人も、妖も、それを知る者はほとんどいない。
誰にも知られる事なく、誰かが気づいた時には彼女は既に存在していて、誰かが気づいた時には彼女は既に消えていた。
中にはその事を疑問に思う者もいたのだが、人の噂が七十五日なら、さしずめ妖怪の噂は六十年といったところで。
思い出した頃には、もう遅い。
長い年月。繰り返される歴史。
これはそんな知られざる幻想郷の裏側――なのかもしれない。
∽
荒れ果てた神社がそこにはあった。
草に覆われた石畳の境内、剪定される事のなくなった枝葉に隠された社は、もう長い間この場所を訪れた者がいないという事を示すには十分すぎた。
周りを見れば、鮮やかな緑一色。
自然に侵食された博麗神社は、それこそ山奥にひっそりと佇む遺跡のようで。
「はぁ……」
じゃり、と石畳だったはずの場所を踏みしめる二本の足元で、突然の侵入者に驚いたのか、バッタが一匹キチキチと音を鳴らして飛び立った。だがその人物はそれには意も介さず、廃屋となった社に向けて歩み出す。
赤い袴に花柄の着物。一見派手さが際立つような衣装を纏うのは、まだ年端もいかぬ少女であった。
少女は一歩、また一歩、その場の状況を確認するようにゆっくりと歩いていく。そして新たな一歩を踏み出す毎に、その幼い顔は困惑し、憤慨し、最後には心底呆れたように深く両肩を落として嘆いていた。
一つ呼吸をすれば、鼻腔を満たすのは土と草木の匂いが混ざった夏のそれで。
ゆるりと吹く風は肩口で切りそろえられた髪を僅かに揺らし、その間から垣間見えた首筋にはうっすらと汗が浮かんでいた。
「もうちょっと涼しくなってからでもいいと、私は思うんだけど」
ねぇ? と訊ねたところで、返ってくるのは逃げ惑うバッタの羽音のみ。
その後もどうして私が――とか、そもそも――などと一人愚痴を零している間に、気づけばこれまた立派な廃屋となった母屋の前。
だが少女はその戸口には目もくれず、左に向くと伸び放題の草を掻き分けて母屋を回りこみ、辿り着いたのは縁側から広がる庭だった。
しかしそこも既に庭と呼ぶにはあまりにも惨めな状況で、少女はまたしても困惑し、憤慨し、最後には、
「なんで! こんな! 状況! なんですか!」
もう一度憤慨していた。
「阿求か。遅かったじゃないか、待っていたぞ」
だが、今度はしっかりとした返事があった。
それは返事というよりも挨拶のようでもあったが、ともあれ少女は庭であった場所に向けていた怒りそのままに振り向くと、声の主へと猛然と駆けていったのだ。
「慧音さん! なんですかこの庭は! というよりこの神社は! これじゃあまるで廃墟じゃないですか!」
「いやそのなんだ、私も中々忙しくてな? 中々こちらの方にまで様子を見に来る事が出来なくてだな」
怒涛の勢いで詰め寄られて慧音が思わずたじろいでしまったが、阿求はそれを聞いているのかいないのか、よよよと朽ち果てかけた縁側に倒れこみ――
「わぁぅ!?」
訂正。朽ちていた縁側もろとも頭から地面に突っ込んでいた。
「嗚呼、前回あれだけ綺麗にしてから逝ったというのに、もうこんなになっているなんて――」
最早立ち上がる気力も失せてしまったのか、先ほどまで縁側を形成していた、今はただの腐った木片を抱いて稗田阿求は泣いた。さめざめと泣いた。
「仕方がないじゃない。貴方が還ってくるのが遅いからこうなるのよ」
と、慧音ではないもう一つの声が聞こえるや否や、阿求は勢いよく立ち上がると抱いていた腐った木片を慧音の方へとぶん投げて「うわぁ!?」ぺこりと、丁寧にお辞儀を一つ。
「お久しぶりです、紫様。しかしですね、私の転生など不規則なもの。せめてこう、建物の管理くらいはしておいて頂きたいのですが――」
「いいじゃない、その遅れのおかげでこうして今回の『選定』に立ち会えるのだから」
「はぁ、それは有難い事ではあるのですが」
「最早この事を知るのも私達だけになってしまったからな。三人揃うのは芽出度い事じゃないか」
と、二人の間に慧音が入ってくる。
赤くなった鼻をさすっているあたり、どうやら先ほどの木片は見事に命中してしまったらしい。
「そういえば、前にこうしてこの場所で三人が揃ったのはいつだったかしら」
特にどちらに聞いたでもない、そんな紫の疑問に阿求ははて、と空を仰ぎ見た。
一度見た物は忘れない。確かに前回ここで会った時のその様子は覚えている。
だが、それが果たしていつの出来事だったのか。
その時の自分は何代目だったのか、なまじ目の前の二人の外見が全く変わっていないだけに、そこから年月を察する事も出来そうにない。
「まぁいいわ。それがいつの事であろうと、私達のやるべき事は変わらない。今までも。そしてこれからも」
いつの間に取り出したのか、紫は手に持った扇をばさりと開くと、口元を隠し、目だけで二人に向かい合う。
見られた二人が姿勢を正すと、場の空気はぴんと張り詰め、三人の間に暫しの沈黙が下りた。
「貴方達には先日の内に今回の候補一覧を届けておいたと思うけれど、目は通してくれたかしら?」
開いた扇をぱちんと閉じて、紫はどこからか一冊の薄い本を取り出した。
次いで、慧音と阿求も同じものなのであろう本を取り出す。
「それにしても、今回はまた少なかったな。基準はあるのか?」
「貴方も変な事を聞くのね。基準なんてものはただの一つ。『務められる者』よ」
「……それもそうか」
「じゃあ改めて。阿求、貴方は誰を選んだの?」
言われて、阿求はぱらりと本の頁を捲ってみせる。
そして開かれた頁。そこには墨で見開きいっぱいに大きく丸が書かれていた。
「僭越ながら、私はこの者を」
「なるほど、ではそちらは?」
そして慧音も同じように本の頁を捲る。
しかし、開いてみせたのは、阿求とは違う頁であった。
「私はこちらの者を推そう。何よりも博麗の巫女。真面目に務めてくれそうな者にするに越した事はない」
「なるほど、貴方らしいわね」
「ちょっと待ってください。慧音さん、一つ言わせてもらいます」
「ん?」
「私は今回も幻想郷縁起を作る訳ですが、正直なところ真面目一辺倒な巫女なんて書いていて面白くないのです」
「な――っ」
横槍の内容が余程想定外だったのか、絶句した慧音がわなわなと握りこんだ拳を振るわせるが、それも一瞬の事。どだい長生きしていないのだ。この程度で我を忘れてしまっては大人気ないにも程がある。
「何を言っているんだ! 博麗の巫女だぞ? 遊び半分で選んでいいものではない事は貴方も解っているだろう!」
しかし慧音は大人気なかったようだ。
「だからって私に微塵も面白くない記事を書けというのですか、この白澤は!」
そして阿求も大人気なかったようだ。
やはり、精神年齢というものはある程度外見に左右されてしまうものらしく。
見た目は子供、頭脳は大人、なんてものはどだい無理があるという事なのか。
「まぁ二人とも落ち着きなさいな。なんのために三人揃ったのか、もう一度考えてごらんなさい」
紫の言葉に、今にもキャットファイトに発展しそうだった二人のメンチ合戦は一時の休戦を迎えた。
それでも互いを睨む眼光が鋭さを増すばかりなのは如何なものか。
片や記憶の少女。
片や歴史の少女。
同属嫌悪――そんな言葉が過ぎっていったのは、きっと気のせいではないのだろう。
「では紫、貴方は誰を推すというのだ」
ただ、どちらかと言えば慧音の方が若干大人だったようだ。
いくら互いにもう数えるのも馬鹿らしくなるような年月を生きてきているとはいえ、今回の阿求はまだ生まれてから十年足らず。
たとえ中身がどうであれ、そのような幼子に対して怒りを見せる事自体、気が引けるのだろう。
そして阿求の方も、いざ紫が三冊目となる本を開けようとした時には、先程までの怒りもどこ吹く風か。
「……」
「なんですか、その目は」
「いやなに、どうしてそうも露骨に態度を変えるのかと思ってな。そんな調子だと、その内里の者からも嫌われるぞ?」
「大丈夫ですよ、ぞんざいなのは貴方だけですから」
「そうはっきりと言われても、なぁ……」
「さぁ紫様。お教えください、此度貴方が選ぶ『博麗の巫女』を」
慧音の言葉に覆いかぶさるように、阿求が紫を促した。
それでも紫は薄く笑うだけで、慌てる素振りも見せずにゆっくりと本の頁を開いていく。
そして、開かれたその場所は――
「紫様」
「なにかしら?」
「これでは決まらないではないですか」
「えぇ、そうね」
そう、紫が開いたのもまた二人とは違った少女の事が書かれた頁だったのだ。
阿求と慧音は互いに顔を向け合い、そして同時にその首を勢いよく紫の方へと向ける。
それでも紫は薄く笑うだけで、慌てる素振りも見せず――
(わざとだ)
(わざとだな)
結局、一番真面目に選ぶ気が無かったのは紫という事なのか。
だがこれでは埒があかない。
三人はそれぞれがそれぞれに目配せし、無言のままに頷いた。
静寂は一瞬。されど永遠。
幻想郷にはなくてはならない『博麗の巫女』
それを決めるは人と妖、そしてその中間たるワーハクタク。
いつの時代からか、彼女たちはこの儀式を行うようになっていた。
長い年月、数え切れぬほどの繰り返し。
その中で願うことは、祈ることは、いつの時代も変わらず一つ。
幻想郷が、いつまでも幻想郷で在れるように――
「譲る気は?」
「まさか」
「あるとでも?」
「よろしい、ならば今回もこの方法しかないようね……」
ごくり、と誰かの喉がなった。
夏風がさやと枝葉を揺らしていくものの、そこに夏の匂いは感じ取れず。
阿求の首筋を冷たい汗が一筋流れ。
慧音はただ静かに瞼を閉じて。
紫は不適な笑みを浮かべる。
「さぁ、始めましょうか――」
「じゃんけんほい!」
「いよっしゃあああああああああああああ!」
法無き幻想郷において、唯一その不安定な均衡を支える者。
だが、彼女がどこから来て、そしてどこへ行くのか。人も、妖も、それを知る者はほとんどいない。
誰にも知られる事なく、誰かが気づいた時には彼女は既に存在していて、誰かが気づいた時には彼女は既に消えていた。
中にはその事を疑問に思う者もいたのだが、人の噂が七十五日なら、さしずめ妖怪の噂は六十年といったところで。
思い出した頃には、もう遅い。
長い年月。繰り返される歴史。
これはそんな知られざる幻想郷の裏側――なのかもしれない。
∽
荒れ果てた神社がそこにはあった。
草に覆われた石畳の境内、剪定される事のなくなった枝葉に隠された社は、もう長い間この場所を訪れた者がいないという事を示すには十分すぎた。
周りを見れば、鮮やかな緑一色。
自然に侵食された博麗神社は、それこそ山奥にひっそりと佇む遺跡のようで。
「はぁ……」
じゃり、と石畳だったはずの場所を踏みしめる二本の足元で、突然の侵入者に驚いたのか、バッタが一匹キチキチと音を鳴らして飛び立った。だがその人物はそれには意も介さず、廃屋となった社に向けて歩み出す。
赤い袴に花柄の着物。一見派手さが際立つような衣装を纏うのは、まだ年端もいかぬ少女であった。
少女は一歩、また一歩、その場の状況を確認するようにゆっくりと歩いていく。そして新たな一歩を踏み出す毎に、その幼い顔は困惑し、憤慨し、最後には心底呆れたように深く両肩を落として嘆いていた。
一つ呼吸をすれば、鼻腔を満たすのは土と草木の匂いが混ざった夏のそれで。
ゆるりと吹く風は肩口で切りそろえられた髪を僅かに揺らし、その間から垣間見えた首筋にはうっすらと汗が浮かんでいた。
「もうちょっと涼しくなってからでもいいと、私は思うんだけど」
ねぇ? と訊ねたところで、返ってくるのは逃げ惑うバッタの羽音のみ。
その後もどうして私が――とか、そもそも――などと一人愚痴を零している間に、気づけばこれまた立派な廃屋となった母屋の前。
だが少女はその戸口には目もくれず、左に向くと伸び放題の草を掻き分けて母屋を回りこみ、辿り着いたのは縁側から広がる庭だった。
しかしそこも既に庭と呼ぶにはあまりにも惨めな状況で、少女はまたしても困惑し、憤慨し、最後には、
「なんで! こんな! 状況! なんですか!」
もう一度憤慨していた。
「阿求か。遅かったじゃないか、待っていたぞ」
だが、今度はしっかりとした返事があった。
それは返事というよりも挨拶のようでもあったが、ともあれ少女は庭であった場所に向けていた怒りそのままに振り向くと、声の主へと猛然と駆けていったのだ。
「慧音さん! なんですかこの庭は! というよりこの神社は! これじゃあまるで廃墟じゃないですか!」
「いやそのなんだ、私も中々忙しくてな? 中々こちらの方にまで様子を見に来る事が出来なくてだな」
怒涛の勢いで詰め寄られて慧音が思わずたじろいでしまったが、阿求はそれを聞いているのかいないのか、よよよと朽ち果てかけた縁側に倒れこみ――
「わぁぅ!?」
訂正。朽ちていた縁側もろとも頭から地面に突っ込んでいた。
「嗚呼、前回あれだけ綺麗にしてから逝ったというのに、もうこんなになっているなんて――」
最早立ち上がる気力も失せてしまったのか、先ほどまで縁側を形成していた、今はただの腐った木片を抱いて稗田阿求は泣いた。さめざめと泣いた。
「仕方がないじゃない。貴方が還ってくるのが遅いからこうなるのよ」
と、慧音ではないもう一つの声が聞こえるや否や、阿求は勢いよく立ち上がると抱いていた腐った木片を慧音の方へとぶん投げて「うわぁ!?」ぺこりと、丁寧にお辞儀を一つ。
「お久しぶりです、紫様。しかしですね、私の転生など不規則なもの。せめてこう、建物の管理くらいはしておいて頂きたいのですが――」
「いいじゃない、その遅れのおかげでこうして今回の『選定』に立ち会えるのだから」
「はぁ、それは有難い事ではあるのですが」
「最早この事を知るのも私達だけになってしまったからな。三人揃うのは芽出度い事じゃないか」
と、二人の間に慧音が入ってくる。
赤くなった鼻をさすっているあたり、どうやら先ほどの木片は見事に命中してしまったらしい。
「そういえば、前にこうしてこの場所で三人が揃ったのはいつだったかしら」
特にどちらに聞いたでもない、そんな紫の疑問に阿求ははて、と空を仰ぎ見た。
一度見た物は忘れない。確かに前回ここで会った時のその様子は覚えている。
だが、それが果たしていつの出来事だったのか。
その時の自分は何代目だったのか、なまじ目の前の二人の外見が全く変わっていないだけに、そこから年月を察する事も出来そうにない。
「まぁいいわ。それがいつの事であろうと、私達のやるべき事は変わらない。今までも。そしてこれからも」
いつの間に取り出したのか、紫は手に持った扇をばさりと開くと、口元を隠し、目だけで二人に向かい合う。
見られた二人が姿勢を正すと、場の空気はぴんと張り詰め、三人の間に暫しの沈黙が下りた。
「貴方達には先日の内に今回の候補一覧を届けておいたと思うけれど、目は通してくれたかしら?」
開いた扇をぱちんと閉じて、紫はどこからか一冊の薄い本を取り出した。
次いで、慧音と阿求も同じものなのであろう本を取り出す。
「それにしても、今回はまた少なかったな。基準はあるのか?」
「貴方も変な事を聞くのね。基準なんてものはただの一つ。『務められる者』よ」
「……それもそうか」
「じゃあ改めて。阿求、貴方は誰を選んだの?」
言われて、阿求はぱらりと本の頁を捲ってみせる。
そして開かれた頁。そこには墨で見開きいっぱいに大きく丸が書かれていた。
「僭越ながら、私はこの者を」
「なるほど、ではそちらは?」
そして慧音も同じように本の頁を捲る。
しかし、開いてみせたのは、阿求とは違う頁であった。
「私はこちらの者を推そう。何よりも博麗の巫女。真面目に務めてくれそうな者にするに越した事はない」
「なるほど、貴方らしいわね」
「ちょっと待ってください。慧音さん、一つ言わせてもらいます」
「ん?」
「私は今回も幻想郷縁起を作る訳ですが、正直なところ真面目一辺倒な巫女なんて書いていて面白くないのです」
「な――っ」
横槍の内容が余程想定外だったのか、絶句した慧音がわなわなと握りこんだ拳を振るわせるが、それも一瞬の事。どだい長生きしていないのだ。この程度で我を忘れてしまっては大人気ないにも程がある。
「何を言っているんだ! 博麗の巫女だぞ? 遊び半分で選んでいいものではない事は貴方も解っているだろう!」
しかし慧音は大人気なかったようだ。
「だからって私に微塵も面白くない記事を書けというのですか、この白澤は!」
そして阿求も大人気なかったようだ。
やはり、精神年齢というものはある程度外見に左右されてしまうものらしく。
見た目は子供、頭脳は大人、なんてものはどだい無理があるという事なのか。
「まぁ二人とも落ち着きなさいな。なんのために三人揃ったのか、もう一度考えてごらんなさい」
紫の言葉に、今にもキャットファイトに発展しそうだった二人のメンチ合戦は一時の休戦を迎えた。
それでも互いを睨む眼光が鋭さを増すばかりなのは如何なものか。
片や記憶の少女。
片や歴史の少女。
同属嫌悪――そんな言葉が過ぎっていったのは、きっと気のせいではないのだろう。
「では紫、貴方は誰を推すというのだ」
ただ、どちらかと言えば慧音の方が若干大人だったようだ。
いくら互いにもう数えるのも馬鹿らしくなるような年月を生きてきているとはいえ、今回の阿求はまだ生まれてから十年足らず。
たとえ中身がどうであれ、そのような幼子に対して怒りを見せる事自体、気が引けるのだろう。
そして阿求の方も、いざ紫が三冊目となる本を開けようとした時には、先程までの怒りもどこ吹く風か。
「……」
「なんですか、その目は」
「いやなに、どうしてそうも露骨に態度を変えるのかと思ってな。そんな調子だと、その内里の者からも嫌われるぞ?」
「大丈夫ですよ、ぞんざいなのは貴方だけですから」
「そうはっきりと言われても、なぁ……」
「さぁ紫様。お教えください、此度貴方が選ぶ『博麗の巫女』を」
慧音の言葉に覆いかぶさるように、阿求が紫を促した。
それでも紫は薄く笑うだけで、慌てる素振りも見せずにゆっくりと本の頁を開いていく。
そして、開かれたその場所は――
「紫様」
「なにかしら?」
「これでは決まらないではないですか」
「えぇ、そうね」
そう、紫が開いたのもまた二人とは違った少女の事が書かれた頁だったのだ。
阿求と慧音は互いに顔を向け合い、そして同時にその首を勢いよく紫の方へと向ける。
それでも紫は薄く笑うだけで、慌てる素振りも見せず――
(わざとだ)
(わざとだな)
結局、一番真面目に選ぶ気が無かったのは紫という事なのか。
だがこれでは埒があかない。
三人はそれぞれがそれぞれに目配せし、無言のままに頷いた。
静寂は一瞬。されど永遠。
幻想郷にはなくてはならない『博麗の巫女』
それを決めるは人と妖、そしてその中間たるワーハクタク。
いつの時代からか、彼女たちはこの儀式を行うようになっていた。
長い年月、数え切れぬほどの繰り返し。
その中で願うことは、祈ることは、いつの時代も変わらず一つ。
幻想郷が、いつまでも幻想郷で在れるように――
「譲る気は?」
「まさか」
「あるとでも?」
「よろしい、ならば今回もこの方法しかないようね……」
ごくり、と誰かの喉がなった。
夏風がさやと枝葉を揺らしていくものの、そこに夏の匂いは感じ取れず。
阿求の首筋を冷たい汗が一筋流れ。
慧音はただ静かに瞼を閉じて。
紫は不適な笑みを浮かべる。
「さぁ、始めましょうか――」
「じゃんけんほい!」
「いよっしゃあああああああああああああ!」