紫の桜が散っていく。
ひらひらと、はらはらと。
咎人の魂を乗せて咲く花が、千々に乱れて散っていく。
風見幽香は桜の根元に腰を下ろし、黒々とした幹に身体を預けて、散っていく桜をぼんやりと眺めていた。
風に乗って舞いゆく花びら。
それはまるで桜が泣いているよう。
はらはらと零れる涙は悔恨によるものか、慙愧の念か。
その流れ落ちる涙を、幽香は表情を消したままただじっと見ていた。
ほぅ――
幽香の吐息も風に乗る。
桜と共に風で運ばれ、空に溶けて消えていく。
それは初めから幻であったかのように、未練すら残さずに。
轟、と強い風が吹いて、地を覆う桜の花びらが一斉に舞い上がり、幽香は少しだけ目を細めた。
緩やかに波打つ緑の髪が、風に嬲られ目元を隠す。
だけど幽香はそれを直す事もなく、ただ風に身を任せていた。
ふ、と。
幽香が顔を上げる。
見上げた視界に、覆い被さるように咲き乱れる桜。
それを見上げる瞳は、何も映していないように茫洋と。
ただ何故か、少しだけ寂しそうに。
どんよりと曇った空。
無縁塚はいつもそう。いつだって雨が降るわけでもなく、太陽が顔を覗かせることもなく、ただ曖昧なまま薄暗い。
罪を負わされた桜の嘆きか。それともそこを訪れる者の心を映すのか。いつだって――ここの空は沈んでいる。
幽香は、紫の桜と沈んだ空を瞳に映したまま、
静かに積もりゆく桜の花びらに埋もれたまま、
「黙って見ているなんて趣味が悪いわね」
と、誰とはなしに声を掛けた。
ひょう、と。
風が桜の花びらを舞い上げ、そしてそれが収まった後に一つの人影を生み出した。
濃紺の詰襟に金の肩当。艶やかな緑の髪。両手で捧げ持つのは咎人を打つ悔悟の棒。
楽園の最高裁判長――四季映姫・ヤマザナドゥが其処にいた。
「失礼。お邪魔でしたか?」
「そうね。割と邪魔かも?」
「偶々、貴女の姿を見かけたものですから」
「あ、そ」
そう答えたものの、幽香は映姫の方を見てはいない。
ただ紫の桜を見上げるだけ。
そんな幽香を、映姫はただうっすらと笑みを浮かべて見ていた。
「何か用なの?」
「いえ、別に」
「……用がないなら消えてくれない? 目障りだわ」
「手厳しいですね。邪魔でしたか?」
「そう言ったじゃない」
はらはらと、ひらひらと舞う紫の桜。
昏い空から降ってくるそれは、投げ出した幽香の足にも少しずつ溜まっていく。
風が渦巻き吹き散らそうとも、降り積もる雪のように少しずつ体を埋めていく。
「花見ですか?」
「そうよ」
「良い身分ですね」
「羨ましい?」
「多少は」
映姫は苦笑しながら答え、
幽香は特に表情を変える事なく。
踊るように散りゆく花びらが、二人の姿を朧に霞ませていく。
桜は人を攫う。
美しき桜に惑わされた人は、花霞に呑まれて帰って来ないという言い伝えがある。
攫われた人は、桜の下で眠るのだと。
桜の花びらが桃色なのは、白い花が血を吸ったからなのだと――
無論、それは戯言で。
彼女たちは人ではないのだけれど。
「桜に攫われたいのですか?」
「まさか」
「そう見えますよ?」
「目が悪いんじゃない?」
「視力には自信があります」
「それじゃ脳が悪いのよ」
幽香は昏い空を眺めたまま。
映姫は彼女を見つめたまま。
「――そのままでは本当に死にますよ?」
映姫の言葉にも耳を貸さず、空を見上げたまま、幽香はへらりと笑った。
今は冬。
雪こそ降っていないものの、風の冷たさは容易に体温を奪っていく。
見渡す限りの冬枯れの景色。ただ幽香が背中を預ける桜を除いて、寒々とした木々が並ぶ無縁の塚。
六十年周期の異変でもない限り咲く事のない罪の桜が――
幽香の罪を、生命を吸って、満開に咲いている――
幽香の顔は、紙のように白い。
血の気のない顔、落ち込んだ瞼。
誰が見ても解る。その顔には――死相が浮かんでいた。
「何のつもりか知りませんが、みすみす生命を捨てるような真似を見過ごす訳には参りません」
「放っておいてくれないかしら?」
「ですから!」
「いいから、ね?」
その時、初めて幽香は映姫へと顔を向けた。
赤い瞳。紅い瞳。朱い瞳。
炎のような、血のような、侵されざる貴きもののような。
死相を浮かべながら、いやそれが故に、その瞳には閻魔を退ける程の圧力があった。
映姫はその瞳に呑まれ声を失う。
恐怖を感じた訳ではない。ただ……言葉ではその瞳に打ち勝てないと、そう解ってしまったから。
幽香は自分の力を絞り尽くすように、紫の桜を咲かせている。
己の罪を浄化するように。生命こそが罪であるかのように。
それは閻魔であろうと阻む事の出来ない、強い意志。
懺悔ではあるまい。そんな弱いものではない。
そうしたいからという――純粋な願い。
だからもう、映姫は何も言う事ができなかった。
幽香は再び空へと目を向ける。
どんよりと曇る昏い空、咲き乱れる罪の桜。
まるでそれらを、自らの瞳が最期に映すものと決めたかのように。
「……何故です?」
幽香は答えない。
無様だ、と映姫は自覚していた。
今更問い掛けなど無意味だというのに。
「……何故、そんな諦めたような顔をしているんです?」
幽香は答えない。
それでも問う事を止められない。
それは自らの生命を断つ行為。生命に対する最大の侮蔑。
それでもそう在る事を自分で決めたのなら、その意志こそを尊重せねばならぬ。
人ならぬ閻魔であれば、その罪を『死後』に裁けば良いだけだというのに――
「……何故、そんな――」
幽香は答えない。
答えない事が、答えであるかのように。
降り積もる紫の桜は幽香の足を埋め尽くし、尚も止む事なく降り続ける。
はらはらと、ひらひらと、際限なく、いつまでも、どこまでも。
罪を背負い、大地へと還るように。
幽香の身体を埋めていく。
「風見幽香! 貴女は――」
堪えきれず発した悲痛な叫び。それは閻魔としてではなく、四季映姫としての叫び。
友人というほど近くもなく、他人というほど無関係でもない。
それでも……弾幕合戦に興じた昼があった。酒を酌み交わした夜があった。
最強を謳う傲慢さを嗜め、それでもその誇りある生き様に憧れすら抱いた時もあったというのに。
だから幽香は、そのこけた頬に優しげな笑みすら浮かべて。
「――私は永く生き過ぎた。そうでしょ?」
「――!」
それはかつて映姫自身が幽香に告げた言葉。
もういつの事だったか判らない程、遠い昔に行った説教。
増長を、傲慢を、戒める為の――詭弁。
それを跳ね除ける強さがあると知っていたからこそ、言えた言葉。
「な、んで……今になって……」
「頃合だったのよ。知り合いも大分減っちゃったし。弱い者虐めも飽きたしね」
「そんな勝手な!」
「知ってるでしょ? 私は好きに生きてきたわ。思うままに、わがままに。死ぬ時も勝手に死ぬだけよ」
「そんな事、見過ごすわけには――」
「邪魔するなら殺すわよ?」
幽香はもう映姫の事を見ていない。
幽鬼のように、ただ空を眺めているだけ。
だけど、その言葉には力があった。
今はまだ――
「貴女は……」
「いいじゃない。咲いた花は散るだけよ。散るべき時に、散りたい時に。それが今だってだけ」
「何処までも勝手な――」
「そうよ。それが私。知っていたでしょう?」
もう幽香は腰まで桜に埋まっていた。
映姫は言葉をなくし、花に埋もれていく彼女を瞬きもせず見守っていた。
こけた頬。窪んだ眼。白すぎる肌。
だけど何故だろう。
今の彼女は――とても美しい。
深々と降り積もる罪の桜は、もう彼女の胸元まで隠し、
あれほど眩しかった瞳の輝きが少しずつ弱まっていき、
映姫は何も言えず、ただ目を逸らさず、沈黙のままに、
そして彼女は、
「――楽しかったわ」
その言葉を最期に、
花に還っていった――
ひょう、と。
強い風が桜を散らす。
幾千、幾万もの花びらが、その罪を風に返していく。
人は死ねば土に還る。
妖は死ねば風に還る。
風の過ぎ去った後には、もう何もない。
寒々とした大地と、黒々とした桜の幹があるだけ。
花を全て散らした桜を見上げて、映姫は一人立ち竦む。
涙を流すのでも、手向けの言葉を贈るのでもなく、ただ曇った冬の空と寂しげな桜の枝を見上げるだけ。
途方もない無力感。言いようもない寂寥感。
空を見上げているのは、涙なんか零したくないから。
死んでまで彼女に振り回されるのは、嫌だったから。
そして――それに気付いた。
黒い枝の先に小さく芽吹いた桜の蕾。
罪を知らぬ――雪のような白。
映姫は息を呑んでその蕾を見つめ、ゆっくりと息を吐いてから、穏やかな微笑みを贈った。
新たな生命に祝福を。
無垢なる魂に幸せを。
そして願わくば、あの賑やかで華やかな日々を、いつかまた――
「また、みんな振り回されるんでしょうね」
ちょっとだけ苦笑して桜に背を向けた時、ふわりと風がその髪を揺らした。
軽く瞳を閉じて、ちょっとだけ上を向いて、風の匂いを嗅ぐ。
その風は少しだけ――春の匂いがした。
《終》
ひらひらと、はらはらと。
咎人の魂を乗せて咲く花が、千々に乱れて散っていく。
風見幽香は桜の根元に腰を下ろし、黒々とした幹に身体を預けて、散っていく桜をぼんやりと眺めていた。
風に乗って舞いゆく花びら。
それはまるで桜が泣いているよう。
はらはらと零れる涙は悔恨によるものか、慙愧の念か。
その流れ落ちる涙を、幽香は表情を消したままただじっと見ていた。
ほぅ――
幽香の吐息も風に乗る。
桜と共に風で運ばれ、空に溶けて消えていく。
それは初めから幻であったかのように、未練すら残さずに。
轟、と強い風が吹いて、地を覆う桜の花びらが一斉に舞い上がり、幽香は少しだけ目を細めた。
緩やかに波打つ緑の髪が、風に嬲られ目元を隠す。
だけど幽香はそれを直す事もなく、ただ風に身を任せていた。
ふ、と。
幽香が顔を上げる。
見上げた視界に、覆い被さるように咲き乱れる桜。
それを見上げる瞳は、何も映していないように茫洋と。
ただ何故か、少しだけ寂しそうに。
どんよりと曇った空。
無縁塚はいつもそう。いつだって雨が降るわけでもなく、太陽が顔を覗かせることもなく、ただ曖昧なまま薄暗い。
罪を負わされた桜の嘆きか。それともそこを訪れる者の心を映すのか。いつだって――ここの空は沈んでいる。
幽香は、紫の桜と沈んだ空を瞳に映したまま、
静かに積もりゆく桜の花びらに埋もれたまま、
「黙って見ているなんて趣味が悪いわね」
と、誰とはなしに声を掛けた。
ひょう、と。
風が桜の花びらを舞い上げ、そしてそれが収まった後に一つの人影を生み出した。
濃紺の詰襟に金の肩当。艶やかな緑の髪。両手で捧げ持つのは咎人を打つ悔悟の棒。
楽園の最高裁判長――四季映姫・ヤマザナドゥが其処にいた。
「失礼。お邪魔でしたか?」
「そうね。割と邪魔かも?」
「偶々、貴女の姿を見かけたものですから」
「あ、そ」
そう答えたものの、幽香は映姫の方を見てはいない。
ただ紫の桜を見上げるだけ。
そんな幽香を、映姫はただうっすらと笑みを浮かべて見ていた。
「何か用なの?」
「いえ、別に」
「……用がないなら消えてくれない? 目障りだわ」
「手厳しいですね。邪魔でしたか?」
「そう言ったじゃない」
はらはらと、ひらひらと舞う紫の桜。
昏い空から降ってくるそれは、投げ出した幽香の足にも少しずつ溜まっていく。
風が渦巻き吹き散らそうとも、降り積もる雪のように少しずつ体を埋めていく。
「花見ですか?」
「そうよ」
「良い身分ですね」
「羨ましい?」
「多少は」
映姫は苦笑しながら答え、
幽香は特に表情を変える事なく。
踊るように散りゆく花びらが、二人の姿を朧に霞ませていく。
桜は人を攫う。
美しき桜に惑わされた人は、花霞に呑まれて帰って来ないという言い伝えがある。
攫われた人は、桜の下で眠るのだと。
桜の花びらが桃色なのは、白い花が血を吸ったからなのだと――
無論、それは戯言で。
彼女たちは人ではないのだけれど。
「桜に攫われたいのですか?」
「まさか」
「そう見えますよ?」
「目が悪いんじゃない?」
「視力には自信があります」
「それじゃ脳が悪いのよ」
幽香は昏い空を眺めたまま。
映姫は彼女を見つめたまま。
「――そのままでは本当に死にますよ?」
映姫の言葉にも耳を貸さず、空を見上げたまま、幽香はへらりと笑った。
今は冬。
雪こそ降っていないものの、風の冷たさは容易に体温を奪っていく。
見渡す限りの冬枯れの景色。ただ幽香が背中を預ける桜を除いて、寒々とした木々が並ぶ無縁の塚。
六十年周期の異変でもない限り咲く事のない罪の桜が――
幽香の罪を、生命を吸って、満開に咲いている――
幽香の顔は、紙のように白い。
血の気のない顔、落ち込んだ瞼。
誰が見ても解る。その顔には――死相が浮かんでいた。
「何のつもりか知りませんが、みすみす生命を捨てるような真似を見過ごす訳には参りません」
「放っておいてくれないかしら?」
「ですから!」
「いいから、ね?」
その時、初めて幽香は映姫へと顔を向けた。
赤い瞳。紅い瞳。朱い瞳。
炎のような、血のような、侵されざる貴きもののような。
死相を浮かべながら、いやそれが故に、その瞳には閻魔を退ける程の圧力があった。
映姫はその瞳に呑まれ声を失う。
恐怖を感じた訳ではない。ただ……言葉ではその瞳に打ち勝てないと、そう解ってしまったから。
幽香は自分の力を絞り尽くすように、紫の桜を咲かせている。
己の罪を浄化するように。生命こそが罪であるかのように。
それは閻魔であろうと阻む事の出来ない、強い意志。
懺悔ではあるまい。そんな弱いものではない。
そうしたいからという――純粋な願い。
だからもう、映姫は何も言う事ができなかった。
幽香は再び空へと目を向ける。
どんよりと曇る昏い空、咲き乱れる罪の桜。
まるでそれらを、自らの瞳が最期に映すものと決めたかのように。
「……何故です?」
幽香は答えない。
無様だ、と映姫は自覚していた。
今更問い掛けなど無意味だというのに。
「……何故、そんな諦めたような顔をしているんです?」
幽香は答えない。
それでも問う事を止められない。
それは自らの生命を断つ行為。生命に対する最大の侮蔑。
それでもそう在る事を自分で決めたのなら、その意志こそを尊重せねばならぬ。
人ならぬ閻魔であれば、その罪を『死後』に裁けば良いだけだというのに――
「……何故、そんな――」
幽香は答えない。
答えない事が、答えであるかのように。
降り積もる紫の桜は幽香の足を埋め尽くし、尚も止む事なく降り続ける。
はらはらと、ひらひらと、際限なく、いつまでも、どこまでも。
罪を背負い、大地へと還るように。
幽香の身体を埋めていく。
「風見幽香! 貴女は――」
堪えきれず発した悲痛な叫び。それは閻魔としてではなく、四季映姫としての叫び。
友人というほど近くもなく、他人というほど無関係でもない。
それでも……弾幕合戦に興じた昼があった。酒を酌み交わした夜があった。
最強を謳う傲慢さを嗜め、それでもその誇りある生き様に憧れすら抱いた時もあったというのに。
だから幽香は、そのこけた頬に優しげな笑みすら浮かべて。
「――私は永く生き過ぎた。そうでしょ?」
「――!」
それはかつて映姫自身が幽香に告げた言葉。
もういつの事だったか判らない程、遠い昔に行った説教。
増長を、傲慢を、戒める為の――詭弁。
それを跳ね除ける強さがあると知っていたからこそ、言えた言葉。
「な、んで……今になって……」
「頃合だったのよ。知り合いも大分減っちゃったし。弱い者虐めも飽きたしね」
「そんな勝手な!」
「知ってるでしょ? 私は好きに生きてきたわ。思うままに、わがままに。死ぬ時も勝手に死ぬだけよ」
「そんな事、見過ごすわけには――」
「邪魔するなら殺すわよ?」
幽香はもう映姫の事を見ていない。
幽鬼のように、ただ空を眺めているだけ。
だけど、その言葉には力があった。
今はまだ――
「貴女は……」
「いいじゃない。咲いた花は散るだけよ。散るべき時に、散りたい時に。それが今だってだけ」
「何処までも勝手な――」
「そうよ。それが私。知っていたでしょう?」
もう幽香は腰まで桜に埋まっていた。
映姫は言葉をなくし、花に埋もれていく彼女を瞬きもせず見守っていた。
こけた頬。窪んだ眼。白すぎる肌。
だけど何故だろう。
今の彼女は――とても美しい。
深々と降り積もる罪の桜は、もう彼女の胸元まで隠し、
あれほど眩しかった瞳の輝きが少しずつ弱まっていき、
映姫は何も言えず、ただ目を逸らさず、沈黙のままに、
そして彼女は、
「――楽しかったわ」
その言葉を最期に、
花に還っていった――
ひょう、と。
強い風が桜を散らす。
幾千、幾万もの花びらが、その罪を風に返していく。
人は死ねば土に還る。
妖は死ねば風に還る。
風の過ぎ去った後には、もう何もない。
寒々とした大地と、黒々とした桜の幹があるだけ。
花を全て散らした桜を見上げて、映姫は一人立ち竦む。
涙を流すのでも、手向けの言葉を贈るのでもなく、ただ曇った冬の空と寂しげな桜の枝を見上げるだけ。
途方もない無力感。言いようもない寂寥感。
空を見上げているのは、涙なんか零したくないから。
死んでまで彼女に振り回されるのは、嫌だったから。
そして――それに気付いた。
黒い枝の先に小さく芽吹いた桜の蕾。
罪を知らぬ――雪のような白。
映姫は息を呑んでその蕾を見つめ、ゆっくりと息を吐いてから、穏やかな微笑みを贈った。
新たな生命に祝福を。
無垢なる魂に幸せを。
そして願わくば、あの賑やかで華やかな日々を、いつかまた――
「また、みんな振り回されるんでしょうね」
ちょっとだけ苦笑して桜に背を向けた時、ふわりと風がその髪を揺らした。
軽く瞳を閉じて、ちょっとだけ上を向いて、風の匂いを嗅ぐ。
その風は少しだけ――春の匂いがした。
《終》