穂積名堂 Web Novel -既刊公開用-

『守りの森 〜I wish〜』

2009/02/15 14:03:22
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『守りの森 〜I wish〜』

床間たろひ
「ほらほらー四季さま、遅いですよぅ」
「少しは落ち着きなさい。なんですか、子供みたいに」
「いやーだってお祭りなんですよ? たまには童心に返るのもいいじゃないですか。人生息継ぎも必要ですよ?」
「たまになら構いませんが、あなたは息継ぎの合間に人生やってるじゃないですか」
「いやー照れるなぁ」
「褒めてません」
 遠くに見える祭りの灯。
 子犬のようにくるくると回る小町の姿を眺めながら、私は軽く溜息を吐いた。
 平素であれば明かりひとつない夜道。だが今は、大勢の人々が笑いながら歩くことで華やぎ、彼らが手にする提灯が夜を優しく照らしている。その柔らかい光は、ささくれていた私の心を少しばかり和ませてくれた。
「お、やってるねぇ」
 小町の声に顔を上げると、緩やかな風に乗って祭囃子が聞こえてくる。笛や太鼓の軽やかな音。生まれる前から知っていたような、遺伝子に最初から組み込まれているような、軽妙なリズム。
 しばし足を止めて耳を傾けていると、見透かしたような顔で小町が笑っていた。
 いつもの死神装束ではなく、淡い藍色の浴衣。しっとりとした浴衣姿と子供のように無邪気な顔は、相反しながらも調和している。夜目にも目立つ赤い髪と、かなりの長身は、さりげなく周囲の注目を集めていた。
「今日はお忍びなんですから、あまり目立たないようにね?」
「四季さまこそ、誰かれ構わず説教したりしないでくださいよ?」
「……善処します」
 言われるまでもなく、そんな真似をするつもりはない。
 とはいえ思い当たる節は枚挙に暇がなく、自ずと口調は弱いものにならざるを得なかった。
 仕方ないだろう。世の中には目に余るものが多すぎる。
 私とて説教などしたくはない。小町を筆頭に私の説教を趣味と捉えているものが多いが、それは大いなる誤解だ。私は平穏な生活と安寧な日常を求めているだけで、他人の生き様に口を挟むほど傲慢ではない。どうしようもなく目に余る時だけ、仕方なしにやっているのだ。閻魔という職業上、皆から疎まれることに関しては諦めているが、好きでやっていると思われるのは心外である。
「んー? 何か難しそうな顔してますね。はっはーん、早くも禁断症状が出たんですか? 無理しちゃいけませんよ。いざとなったら穴でも掘って、思いっきり説教するといいです。ちったぁ気が晴れますよ?」
「……今、とてつもなく貴女に説教したくなりましたが」
「またまたー。子供じゃないんだし、もう少し我慢してくださいな。なーに、祭りに参加すれば憂さも晴れますって」
「……」
 ぷちりと血管が切れた音がしたが、鋼鉄の意志で自重する。
 華やかな祭りの場で、等活地獄を顕現させるような真似は流石に控えるべきだろうが、血の池地獄に叩き込むくらいは許されるんじゃないだろうか。このお調子者を血の池に蹴り落とし、竿でごすごすと突付くさまを想像して気を沈める。おや? 突付きどころが悪かったせいか浮かんでこない……おそるおそる覗き込むといきなり足首をつかまれて引きずり込まれたっ! なっ、尻子玉を抜くですと! や、どこに手を入れてるんですか、貴女はっ! 
 負け犬のような気分で目を開くと、目の前には呑気に鼻歌を歌いながら歩く小町の背中があった。その後頭部を殴りたい衝動を飲み込み、代わりに大きく溜息を吐く。
 それにしても……背が高い。
 自分自身、背が低い方だという自覚はあるが、小町と並ぶとまるで大人と子供だ。私よりも頭ひとつ抜けている。気分の問題だと解っていても、上司より背の高い部下というものはとても扱いづらい。頭を殴るにも一苦労だ。また小町は休みということもあって、普段はきつく締め上げているさらしを緩めに巻いている。そのため何というか……胸元が凄いことになっており、そちらへ目が行くたび腹の奥に黒いものが湧き上がってきた。
「……あれが特別大きいだけで、別にこっちが劣っているというわけではありません。全く破廉恥な。そもそも胸というものは余分な脂肪であり、職務を果たす上では邪魔以外の何ものでありません。肩が凝ったり、動きを阻害されたりと、百害あって一利なし。私のように日々鍛錬を積んでいればそのような無駄が身に付くことはなく、これはむしろ誇るべきことであって、恥じることであろうはずもなく、そもそも小町はいっつも食っちゃ寝をしているからあんな無駄をぶら下げているわけで全く修行が足りないとしか――これからはもっと厳しくしなければなりませんね? そうだ、今度から舟をこぐ櫂に重りを付けるようにしましょう。二十貫くらい、どーんと。日々是精進――それがあなたに積める善行よ?」
「ん? 何か言いました?」
「いいえ、別に」
 振り向いた小町に、涼しげな笑みを返す。うふふ、贈り物というのは突然渡すことで嬉しさを増すといいます。せめてもの私の心遣い、心ゆくまで味わって頂きましょう。勿論、返品は不可ってことで。
 ともあれ折角の、本当に久しぶりの休日なのだ。

 せめて今この時くらいは嫌なことを忘れて、祭りを楽しむとしよう――
  §

 閻魔参り――一月十六日・七月十六日を『閻魔王の斎日』といい、この日は地獄の獄卒も仕事を休み、地獄の釜の蓋も緩む日といわれている。亡者たちも責苦を免れ、骨休みになるとされていた。
 是非曲直庁が地獄を仕切るようになってからは福利厚生も改善され、閻魔や極卒たちも交代で休みを貰えるようになっている。それでも大量の業務に忙殺され、中々予定通りに休めないのが実情ではあるが、唯一閻魔参りの日だけは一斉に休日となるのが慣例となっていた。
「だというのに貴女のせいで……」
「ははは、済んだことは言いっこなしですよ」
 今日は八月も半ば。盆の真っ只中だ。
 閻魔参りを一区切りとして決算処理を行うのだが、小町がここぞとばかりに大量の領収書を持ち込んだため、正規の閻魔参りの日は休日返上の内勤業務で終わってしまったのである。
「何であんなに溜め込んでたんですか。おかげで休みが一月も遅れて……折角老舗の宿を予約していたのに……私の温泉が……私の懐石料理が……」
「あー、いや、つい忘れてて」
「毎月ちゃんと処理していればあんなに手間が掛かることもなかったのに……本当にもう貴女ときたら……」
「まあまあ。おっと、ほら賑わってますよ?」
 顔を上げると、もう目の前には色とりどりの出店が並んでいた。
 金魚すくいにわたがし屋。焼きとうもろこしにお好み焼き――色と音と匂いで嫌が応にも祭りの雰囲気を盛り上げている。だけどさっきまでは、もっと遠かったはずなのに――
「……小町。距離を弄りましたね?」
「さーて、なんのことやら? それより折角のお祭りなんですし、思いっきり楽しまなきゃ損ですよ?」
「全く……」
 これで何度目になるか数えるのも馬鹿らしくなった溜息を吐いて、もう一度周囲を見渡す。
 多くの人が溢れかえり、その顔には一様に笑顔が浮かんでいる。
 そんな中、自分だけ溜息ばかり吐いているのは確かに損な気分だ。
「ま、ここはあたいに任せてくださいな。祭りの楽しみ方ってやつを、ばっちり教えてさしあげます」
「仕事にもそれくらいやる気を見せてくれればいいんですけどねぇ」
 軽い皮肉を文字通り軽くかわして、というよりも初めから聞いてなかったように小町は駆け出し、早速焼きとうもろこし屋の親父と交渉を始めていた。
 やれやれと肩を竦めて、そちらへと足を向ける。
 甘辛い醤油の匂いに、思わず口元が緩んだ。今更ながらお昼を抜いていたことを思い出した途端、くるるとお腹がなる。
 少しだけ顔が火照るのを誤魔化して、足早に屋台へと向かった。

   §

「ったく、あの親父。もちっと色つけろっての」
「適正な価格だったじゃないですか。それにタレもたくさん塗ってくれましたし」
「何言ってるんです! あーゆー場では目一杯値切るのが礼儀ってもんですよ! 始めに『おいおい、そんな値段通るわけねーだろ?』ってくらいに思いっきり吹っかけておいて、そっから互いの意地と誇りを賭けた戦いが始まるんです! 一円一銭一毛を削りあう、これは勝負なんですよ! その駆け引きが面白いんじゃないですか!」
「あ、美味しい」
 砂糖醤油を満遍なく塗られ、こんがりと焼けたとうもろこし。手が汚れないように根元を藁半紙で巻いたそれを、おそるおそる齧ってみた。
 その瞬間、口の中に幸せが広がる。一粒一粒、弾けるような歯ごたえ。日の光を凝縮したような黄金色の輝きと、濃厚な夏の味。私は頬を緩ませながら、芯を軸にくるくる回して少しずつ齧っていく。まだ熱くて一遍には食べられないが、そのもどかしさすら愛しい。
「んー、焦げすぎじゃないですかねぇ?」
「そう? 私はこれくらいが好みですが」
 うら若き乙女が二人して石段に腰掛け、とうもろこしを齧っている姿というものに少しばかり羞恥を憶えたが、歩きながら食べようとしていた小町よりはマシなはずだし、何よりもくるくる鳴るお腹はこれ以上我慢できそうになかった。まぁ、祭りの会場から僅かに外れた場所であり、人目もないことだし、問題ないだろう。
 小町は文句を言いながら、芯すら残さないような勢いで豪快にかぶりついている。
 はしたないとは思ったが、それはそれで正しい食べ方のような気がした。
 ちょっとだけ大きく口を開いて、思いっきり齧りついてみる。
 僅かに感じる羞恥心。口いっぱいに広がる幸福感。ゆらゆら揺れる理性と衝動。
 今は少しだけ、幸福の方が勝っているみたい。
「……こういうのも悪くないですね」
 半分ほど齧り終え、私は思わず呟いていた。
 とても自然に、するりと出た言葉。そう口にしてしまった自分自身に驚き、同時に少しくすぐったいような気持ちになる。
「ん? 何がです?」
「こういう、外で食べる食事というものですよ。星空や喧騒の下で食べるというのも、なかなか乙なものですね」
「あーそっか。四季さまはこういうの初めてでしたっけ?」
「正直……余り好ましくないと思っていました。食事というものはちゃんとした屋根の下で、味わいながら食べるものだと思っていますから。それが礼儀だと……まぁ、今でもその思いは変わりませんが」
「でも、たまには」
「ですね。それもまた」
「「良し」」
 小町と互いに笑みを交わす。
 星の降ってくるような空。多くの人々の笑い声。タレをいっぱいつけた焼きとうもろこし。
 そういった乙なものを味わえるからこそ――
「乙女っていうんですよねぇ」
「貴女には似合わないわね?」
 酷いですよと涙目になる小町をあやしながら、もう一度自然にほころんだ。

   §

「さーて、まだまだ祭りはこれからです! カキ氷に大判焼き、ヤキソバに林檎飴、綿菓子にたこ焼きにイカの姿焼き! こんな時しか手に入らないんですから!」
「食べ物ばっかりじゃないですか」
「いやいや、型抜きに射的、金魚すくいにヨーヨー釣り。祭りなら何でもこいですよ!」
「子供みたいですね」

 すれ違う人々の顔はみんな笑顔で、親子連れも恋人同士もみな楽しそうにしていた。
 テキ屋の親父の呼び声が響き、甘い匂いが漂ってくる。
 広場の真ん中では大きな篝火が焚かれ、みな楽しそうに踊っている。
 誰もが浮かれて、酒に酔ったように。
 誰もが微笑んで、夢に拠ったように。
 踊って歌って楽しんで。今宵限りの生命を燃やし尽くすように。
 それはとても身近で、そしてとても遠い、そんな情景。
 幻想郷の夜は、深く濃い。
 それこそ夜に出歩くことは、自殺することと同義なほどに。
 明かりはなく、人気もなく、そして何よりも妖怪がいる幻想郷の夜。
 殺されても喰われても文句は言えない、弱肉強食の摂理。
 だからこそ里の者は、日が落ちると家に篭るのが常だ。
 夜雀の声に怯え、蟲のざわめきに震え、不吉な月の輝きに慄き、人々は肩を寄せ合って過ごす――それが幻想郷の夜というものである。
 だけど今日は、今日だけは。
 夜を、暗い夜を、妖怪から一日だけ返してもらい――体中に夜を染み込ませるのだ。
 祭りの日だけは妖怪は絶対に人間に手を出さない。
 そのかわり妖怪だろうと人の祭りに参加してよい。
 それはいつの頃からか交わされた不文律。
 書面で交わした訳ではない口だけの約定。
 だがそれは幻想郷という存在ができてから、いやそのもっと以前、人と神がもっと近かった時代から、交わされ続けた願いなのだ。だからこそ、それは決して破られることはない。
 そんなことを、浴衣の少女たちが楽しそうに駈けていく姿を眺めながら思い出していた。その美しい在り方を、私が、いや私たちが守るべきものを。
「どうしたんです、四季さま? 顔が緩んでますよ?」
「何でもありません。あら、帯が緩んでいるじゃないですか?」
「え、あ、しまった」
「ほら、ちょっと後ろを向きなさい」
「あ、良いですよ。こんくらい自分で――」
「いいから、ほら」
 小町を無理矢理振り向かせて、その帯を直してやる。
 締めすぎないように、緩まないように、絶妙の力加減で。
 調停を司る閻魔に相応しい指さばきで。
「くすぐったいですよぅ」
「ほら、じっとしてなさい」
「ぐぇ! 四季さま、きついきつい!」
「我慢しなさい。女の子でしょう?」
 ちょっとだけきつくしてしまったのは――まぁ、相手が小町だからだろう。

   §

「ちょっとどこかで休みませんか?」
「もう疲れちゃったんですか? はっ、それともまさか誘ってらっしゃる!?」
「馬鹿言わない。ってほら頬を染めない、もじもじしない、上目遣いでこっちを見ない!」
「でも四季さまだったら、あたい……」
「だから上着をはだけさせるんじゃないっ!」
 小町の軽口を流しながら、周囲を見渡した。
 もう夜もかなり更けたというのに、まるで人が減る様子はない。それどころか夜が深まるごとに、人は増えているような気がする。
 人以外、つまり妖怪の姿もちらほらと見かけたのでそれなりに注意していたが、約定を違える気はないようで、大人しく(妖怪の基準による大人しくなので、否応なしに目立っていたが)しているみたいだ。少々羽目を外すくらいなら大目にみるつもりなので、特にこちらから声を掛ける気はない。私だって今日くらいはのんびりしたいと思っているのだ。
「それだけ遊べば満足でしょう? どこかに座って一息つきましょう」
「ふむ。仕方ないですねぇ。そいじゃあっちの方にでも行ってみましょうか」
 小町が指差したのは、屋台の隙間にある暗がり。
 普通ならちょっと躊躇ってしまうような深い闇だが、まぁ閻魔と死神であれば恐れるものなど特にない。小町が軽い足取りでそちらに向かうのを、慌てることなく後を追う。
「それにしても……どうするんです? そんなにとって」
 小町の両手には、ヨーヨーやら袋詰めの金魚が鈴なりになっている。後頭部には射的でせしめた狐の面。懐にも玩具やお菓子が、詰め込めるだけ詰め込まれていた。
「いやー、意地っていうか何ていうか。後でそこらの子供にでも分けますよ」
「店の人たち……みんな泣いてたじゃないですか」
「本気でやらなきゃ失礼ってもんです」
 確かに、そんなものかもしれない。
 それでも商売道具を根こそぎ奪われた店主たちの、悔しそうな顔は忘れられない。金魚が一匹もいなくなった金魚すくい屋は、これから何と呼べばいいのだろう。
「本当、妙なところで器用ですね、貴女は」
「遊びで負けるわけにはいきませんから」
 遊びではなく仕事を頑張れと、もう口が酸っぱくなるほど説教したが、何度言ってものらくらと避わされる。やればできる娘というのは解っているのだが……
「お、四季さま。あそこ座れそうですよ」
「はいはい」
 そこは――小さな祠だった。
 小さな、子供一人がしゃがみこんだら一杯一杯の、とても小さな祠だった。
「ん、お地蔵さまか?」
「ですね」
 祠の中には小さな、真新しい石地蔵。
 暗がりの路地であり、人目につかないような隅っこではあったが、それでもその前には皿に載せられた饅頭と、白い徳利に注がれたお神酒。そして瑞々しい榊が飾ってある。祠そのものもきちんと手入れされており、埃一つない。
「ふーん、ちゃんと祀られてるようですね」
「そのようね」
 振り返ってみれば、屋台越しに祭りの様子が良く見える。決して目立つものではないが、それでも里の者から大事にされているのが良く解る祀られ方だった。
「んーこの岩……座っても大丈夫かな?」
 祠の隣には大きな岩。削られ、磨かれ、腰を下ろすのに相応しい大きさ。自然のものではない。おそらく祠の隣で休めるようにと、どこかから運ばれたものだろう。この地蔵にお参りする人々が、ゆっくり休めるように用意してあるのだ。
「……そうですね。これは腰掛け用みたいです。座っても大丈夫でしょう」
 地蔵と閻魔では格が違う。
 とはいえ、それは礼儀として蔑ろにして良いものではない。
 小町もそれを弁えているからこそ、そう聞いてきたのだろう。
「んじゃ失礼して……」
「お借りします」
 私たちは石地蔵へと一礼し、その岩に腰掛ける。
 硬いはずの岩は、私たちを受け入れるように、柔らかく受け止めてくれた。
「ふぅ」
「あら、溜息? 祭りはまだこれからじゃなかったの?」
「意地悪だなぁ。流石にちょっと疲れましたけど……なーに、ちょっと休めばこれくらい」
「慌てることはありません。今日はのんびりいきましょう」
「んー。ま、そうですねぇ」
 小町は抱えていた荷物を膝の上に置くと、両手をあげて大きく伸びをした。
「ん〜〜〜! 流石に肩凝ったなぁ」
 手にした荷物は置いたものの、特別重そうなモノを胸にぶら下げている小町。
 ぐっと背中を反らし思いっきり胸を突き出している姿は、その、何というか……微妙に腹が立つ。
「ん? どうしたんです? 怖い顔して」
「いえ、何でもありません」
 平常心、平常心。
 冷静に、冷静に。
 …………もいじゃおうかしら?
「おや、何か寒気が」
「夜風が気持ち良いですねぇ」
「いや、冷気というか殺気というか……風邪かな?」
「うふふ、馬鹿は風邪を引きませんよ?」
「……何か怒ってます?」
「いいえぇ、別に?」

 中々、鋭いわね。小町の癖に。

   §

 それから、どれくらい経ったのだろうか。
 私も小町も互いに何も言わず、ただ風に身を任せていた。
 髪を撫でる優しい風。夏の熱気を孕みながらも、それはどこか涼しげで、やがて訪れる秋の匂いも混じっている。廻る季節。廻る生命。それは馴染み深く、それが故に特に意識することもない理。
 だからただ任せるだけ。
 風の流れに揺蕩うだけ。
 背中に残っていた汗も引き、身体が再び祭りの熱を求めている。
 ただとても風が気持ちよいから、遠くに聞こえる祭囃子が心地よいから、いつまでもここに留まりたいという、そんな気もした。
 祠の背後は深い森。
 その森が忍ばせた静寂と、通りから聞こえる軽やかな祭囃子は対であり、ここはその狭間であり境界でもあった。
 森と里。その二つは地続きでありながら明確な区分がある。それは例えるなら、昼と夜の差異。さすれば今この境界は夕闇であり、逢魔ヶ時でもあるということ。
 人でないのに、人を救う。畏れを抱かせ、恐れを拭う。
 そんな矛盾を孕んだ私には、とても相応しい場所――なのかもしれない。
 そう思いながら、傍らの石地蔵に目を向けた。
 彼は何も言わず、ただ祭りの明かりを見守っている。
「さて四季さま。そろそろ行きましょうか」
「そうですね。まだ回りたいところがたくさん――」
 
 ――その時、何かが聞こえた気がした。
 
 それは声ではなく、音ではなく、虫の知らせのような予感めいたものでもなく。
 例えるなら――願いのような、祈りのような。
 私は石地蔵へと目を向ける。
 まだ真新しい、よく磨かれた石地蔵。
 苔むすにも至らず、神通力を持っているわけでもない、ただの石。人々の祈りを、願いを受け止め、意思を持ち、力を持つに至るにはあと五十年は掛かるであろう年若い石仏。だけど、今の『声』は――
「……貴方ですか?」
 石地蔵は何も答えない。
 ただ沈黙したまま、祭りの明かりを眺めている。
「小町」
「はいはい」
「聞こえましたか?」
「へ?」
 小町はぽかんと口を開ける。だけどその顔を見るまでもなく、今の『声』は自分にしか聞こえないと知っていた。聞いたのは、聞こえたのは、きっと――私だから。
「小町」
「はい?」
「ちょっとそこで待っていなさい」
「は? え、ちょ、ちょっと!」
 小町の声を振り切って、私は森の中へ入っていった。
 獣道ですらない、密生した藪。浴衣の袖が小枝に引っ掛かって破れたが、気にせず奥へと進んでいく。羽虫の群れへと顔を突っ込み、むず痒さに顔を顰め、それでも足を止めず真っ暗な森の中を駆け抜けた。
「四季さまー」
 遠くで小町の声が聞こえる。
 闇に対する恐怖など欠片もないが、できれば小町も連れていきたかった。力を貸して欲しかった。だけど――そんな命令するような真似は、したくなかった。
 確信があったわけではないし、ましてや今日は久々の休日なのだ。
 私と小町は上司と部下であって、それ以上でも以下でもない。公私混同はするべきではないし、したくなかった。
「すぐ戻ります! そこで待っていなさい!」
 だけど心配もさせたくなかったので、そう大声で答える。
 小町は、ああ見えて情に厚い。
 多分命令などしなくても、ただ一言「来て欲しい」と言うだけで、何も聞かず、何も問わず、たとえ地獄の果てだろうと付いてきてくれるだろう。
 我が身を省みず、後悔など微塵もなく、ただ力強い笑みを浮かべて、共に歩んでくれるだろう。
 だからこそ――甘えるわけにはいかなかった。上司である私が、その厚意に縋るわけにはいかなかった。
「四季さまー」
「待っていなさいと言ったでしょう! 付いてこないで!」
 だから、切り捨てる。
 その厚意を、行為を、切り捨てなくてはならない。
 
 私は――閻魔なのだから。

「――四季さまー」
 小町の声が遠くなる。
 振り切るように、私は進む。
 私が私であるために。私の在り方を曲げぬために。
 誰一人、道連れにしないと――血のように赤い夕焼けに誓った、あの時の想いを、あの時の願いを守るために――

「小便の時は、蛇に咬まれないよう気を付けてくださいねー」
 
 絶対、あとでしばいてやる。
 そう、固く誓った。

    §

 闇を、斬る。
 明かりのない夜の森は、想像よりも闇が深い。
 覆い被さる木の枝。横たわる朽ち木。不気味な鳥の声。その全てを切り裂くように、私は走る。下ろしたての真新しい浴衣は、枝や木の根に引っ掛けてあちこちほつれていたが、それに構わず私は森を駆け抜けた。
 振り返れば、祭りの明かりが遠くに見える。足元はかなりの斜面になっており、木々の隙間から覗く色とりどりの明かりは、もう夢のように遠くなってしまった。
「この辺だと思うけど……」
 思考を口にしてしまうのは、不安だからか。それとも焦っているのか。
 闇に曇らされるような眼は持っていないが、それでも粘度すら感じるこの深い黒は私の心を曇らせる。闇が身体に纏わり、真昼の太陽によって齎された熱が不快な汗を呼び起こす。
「あっちか」
 私は顔を上げ、闇の深い方、森の奥へと足を向けた。
 粘りつく赤土。年若い橡の群れ。そして急な斜面。おそらくこれは――
「――ここ、か」
 私は足を止め、何もない地面を見つめた。
 そこは密集した森の中で、奇跡のようにぽっかりと空いた空間。草もなく、ただ落ち葉の腐った腐葉土と、赤土の交じり合う何もない場所。私はその場所にしゃがみこんで――

「良かったら手伝って貰えませんか?」
 夜の闇へと問い掛けた。

「――おや、気付いてましたか?」
 闇が答える。
 若い、弾むような、からかうような声。
「私に隠形は通じません。出てきたらどうです?」
「それでは失礼して」
 闇の奥。橡の枝に腰掛けていた彼女が、羽のような軽さで舞い下りる。
 黒い髪に、黒い瞳。だがそれは闇の黒ではなく、例えるなら三年間放ったらかしにしておいて腐ってしまった墨汁のような、あるいは台所に時折現れる口にするのもおぞましいあの理不尽な生命体のような――そんな黒。
「何か失礼なこと考えてませんか?」
 そう言って彼女――射名丸 文は、ぷぅっと頬を膨らませた。
「気のせいでしょう。ところで、何で貴女がここにいるんですか?」
「いやー、閻魔さまが一人でこそこそと森の中に入っていくのを見掛けたんで、何かネタになるかなーと」
「ネタ?」
「ええ、軽犯罪というか猥褻物陳列罪というか」
「よく解りました。まずは歯を食いしばりなさい」
 私の握り締めた拳をみて、「冗談ですよ冗談」とへらへら笑っている。
 この出歯鴉め。どうも性根というか、根っこの部分は小町と同じな気がする。そういえば小町とこの鴉は、よく一緒に飲みに行っているらしい。どうせ碌なことを話していないだろうけど。
「それで閻魔さまこそどうしたんです? こんなところまで」
「……手伝って貰おうかと思いましたが、貴女に用などありません。即刻立ち去りなさい」
「いえいえ、義を見てせざるは勇なき也。何でも言ってくださいな。この射命丸文、貴女の為なら生命だって惜しみません」
「では今すぐ死んでください」
「照れなくてもいいんですよ!? ほらほら、遠慮なく何でも言ってくださいな」
 眼を子供のように輝かせて詰め寄ってくる。いや、近い。近いから。うわ、鼻息まで顔に掛かる。生暖かくて気持ち悪い! 全く、天狗というものは――。
「……解りました。人手が欲しいと思ったのは事実です。手伝って貰いましょう」
「うふふ、ネタのためなら何だってやりますよ! して、何をすればいいんです?」
「ここを掘ってください」
「は?」
 きょとんとした顔で、こちらを見つめてくる。
 だから私はもう一度、今度は解りやすく、はっきりと。
「ここに、穴を、掘ってください」
 目の前の地面を指差して、そう言った。
 
   §

「……ま、まだですか?」
「まだのようですね。もっと深く掘りましょう」
「腕が、腰が、筋肉痛が……」
「生命だって惜しくないのでしょう?」
「それは言葉の綾で……」
「私に腹芸は通じません」
 顕現させた笏で私が地面を掘り、天狗がその土を素手で退ける。穴の大きさはすでに大人数人が座れるくらいの大きさではあるが、未だに何も出てこない。
 薄手の浴衣とはいえ、真夏の熱帯夜での重労働。大量の汗を掻いて、布地が背中に張り付いている。まとわりつく羽虫は結界で防いでいるものの、この暑さだけはどうしようもない。
 天狗の方も同じような状況ではあるが、手で土を掬って退けるという作業により汗と泥に塗れて全身汚れきっていた。少し申し訳ないとは思ったが、先の暴言を思い出し、きつく顔を引き締める。
「もう少しだと思いますので頑張ってください」
「ペンより重いものを持ったことのない、自慢の細腕なのに……」
「労働する姿は美しい。今の貴女はとても素敵だと思いますよ?」
「……おだてにはのりませんよ?」
「私は嘘は申しません」
 実際、滝のような汗を掻き、犬のように舌を出して喘いでいる彼女ではあったが、その姿は本当に美しいと思った。
 細身とはいえ、良く引き締められた身体。その動きはしなやかで、如実に生命を謳いあげている。飄々としている普段の姿よりも、文句を言いながらとはいえ、それでも作業を続ける今の彼女の姿はとても綺麗だと思う。
 指先で土を掻き、掌で掬って穴の外に出す。単純な作業ではあるが、その辛さはやった者にしか解るまい。ネタ探しという彼女なりの理由もあるだろうが、それでも普通なら諦めて帰ってしまってもおかしくないのに。
「好奇心、猫を殺す――それでも貴女は決して後悔しないのでしょうね」
「鴉ですから。猫じゃあるまいし、鴉はとっても頭が良いんですよ?」
「鳥頭というくらいですからね」
 私も笏で地面を掘り返しているが、いい加減腕の感覚がなくなってきた。霊験あらたかな悔悟の棒ではあるが、このような用途に用いる為のものではない。そのため笏を握る指も、突き入れる腕も、もう力が入らない。
 それでも投げ出すわけにはいかなかった。諦めるわけにはいかなかった。
 だって、この底にはきっと――

 暗い森。
 深い森。
 遠くに聞こえる鳥の声。
 近くで鳴いてる虫の声。
 木々の隙間から見える明かりは夢のよう。
 取り残された私たちは彷徨える霊のよう。
 ここは淋しい。
 ここは寂しい。
 こんなところで、ただ明かりを眺めるだけというのは。
 そしてそれすらも許されないというのは、きっと、とても、とても――
「お?」
「どうしました?」
「いや、何か硬いものが」
「――代わってください」
 天狗と入れ替わりにその場所にしゃがみこみ、私は丁寧に土を退ける。爪の間に土が入るが、もうそんなもの気にならなかった。ただ黙々と土を退けていく。
 掘っている時に、いや森に入った瞬間から、すでに気付いていた。
 周囲の木はまだ若く、根を十分に張り巡らせていない。
 笏で簡単に掘り返せるほどに。
 手で簡単に掬い出せるほどに。
 黒々とした腐葉土は表層のみで、その下はただの赤土。粘土質の脆い地盤で、水はけの悪い土。だからきっと――そういうことなのだろう。
 こつん、と。指先に硬い感触が当たった。指を差し込むと滑らかな石の感触。私は少しずつ、少しずつ、丁寧に土を掘り返し、それを掘り起こしていく。
 撫でるように繊細に。急かすように手早く。そしてその石が姿を現していく。
「――! それは……」
「ええ……石地蔵です」
 土を払いのけた後に覗いたのは、穏やかな石地蔵の顔。
 その黒ずんだ色合いは単に土に埋もれていたからというだけではなく、その石地蔵が経た年月を思わせる、そんな深みのある色だった。
「え、え、え? こんな暗い森の中の、土に埋もれたお地蔵さまを探してたんですか!?」
「聞こえたんですよ。私を呼ぶ『声』が」
 そう、それは声なき声。
 私を、誰かを、祈るような、願うような、そんな声で呼んでいた。
 麓の石地蔵は未だ年若く、声を出すことはできない。
 それでもずっと、伝えようとしていたのだろう。年若い石地蔵は私に、閻魔にだけ解るような小さな声で、この森に埋もれた『彼』のことを伝えてくれたのだ。
 地蔵菩薩は如来に次ぐ高い見地を持つ神であるが、『一斉衆生済度の請願を果たさずば、我、菩薩界に戻らじ』との決意でその地位を退したという。六道を自らの足で行脚して、救われない衆生、幼くして散った子供や水子の魂を救う旅に出たそうだ。
 そしてその形を象った石地蔵もまた、衆生を救うために存在する。
 一切衆生――その中には仲間である石地蔵すら含まれる。
 故に『彼』を救おうと、声なき声をあげていたのだ。
 ならば、私はその声に応えなければならない。
 多くの人を救い、己の身を地の底に沈めた『彼』を救わなければならない。
 何故なら――私もまた、かつてはただの石地蔵であり、もっと多くの存在を救いたいと閻魔になったのだから。
「このお地蔵さま……なんだって土の中に?」
「……土砂崩れでしょう。この辺りの地盤は酷く脆い。大雨でも降れば、いつ崩れてもおかしくありません。御覧なさい、周囲の木々はみな年若いでしょう? おそらくここ数十年で育ったものと思われます。まだこの森には木霊がいませんから」
「で、でも、ここって里の目の前じゃないですか! こんなところで土砂崩れなんか起こったら、それこそ大惨事に――」
「だから守っていたのですよ。此処で、土に埋もれたまま、たった独りで」
 天狗が声を失い、目を見開く。
 閻魔帳の履歴を調べてみたが、この地で土砂崩れによって誰かが命を落としたという記録はない。土砂崩れだけなら何度も起きているというのに、命を落とすどころか、怪我した者すらいないのだ。
 運が良かったという言葉では済ませられないほどに。
 それはまるで奇跡のような――
「このお地蔵さまが……」
「土砂崩れを止めるほどの力は『彼』にはありません。だから、叫んだのでしょう。声なき声で、力の限り。起こるはずだった多くの悲しみを、起きる前に防いでいたのです」

 そんな『彼』の在り方に敬意を覚えると共に。
 私は少しだけ――妬ましいと思った。

 私はできなかった。私にはそれができなかった。
 燃え盛る炎は空を焼き、矢が雨のように降り注ぐ。人々の悲鳴は止まず、血のように赤い夕焼けが全てを紅に染める。泣いている子供は、やがて何も語らぬ骸となり、私に縋りついた血塗れの手も、いつしか白い骨へと変わっていった。
 救いたかった。その全てを救いたかった。
 できなかった。何も、何もできなかった。
 その時の私はただの石ころに過ぎず、ただ見ていることしかできなかった。
 戦で焼かれていく村を、大好きだった皆が苦しんでいる姿を、目を閉じることも、耳を塞ぐこともできず、ただ、馬鹿のように突っ立っていることしかできなかった。
 だから、力を求めた。
 全てを救うための力を、悲しみを断ち切る力を。
 弱き者も、悲しき者も、罪なき者も、罪を犯した者すらも救う――閻魔の力を。
 祈りは届き、願いは叶う。閻魔となりて、衆生を救う。
 だけど……私は救えているのだろうか。
 本当に救えているのだろうか。
 私は、私は、私は――

「どうしたんです? 怖い顔してますよ?」
「……何でもありません。さ、手を貸してください」
「猫の手よりは役に立ちますよ。鴉に手はありませんけどね?」
 軽口を叩きながらも、彼女は文句も言わず『彼』を掘り出すのを手伝ってくれた。
 石でできた『彼』は持ち上げるのにも一苦労だったが、私たちは協力して『彼』を穴の底から連れ出した。『彼』を穴の傍に立つ橡に立て掛けて、やっと一息吐く。
「ふぅ、やっぱり重いですねぇ」
「想いが詰まっていますからね」
「で、これからどうするんです?」
 私は何も答えず、『彼』に正面から向き合った。
 問う必要はない。『彼』はすでに答えている。
 何も言わず、ただその穏やかな微笑みだけで、もう答えている。
 今ならその想いがよく解った。『彼』が何を求め、何を願ったのか。

「――閻魔になってみませんか? 貴方にはその資格があります。もっと多くの人を、もっと多くの生命を、救ってみたいと思いませんか?」

 それでも……敢えて問うた。解っていても聞かずにいられなかった。
 思った通り『彼』は何も答えない。ただ穏やかな顔で、笑っている。

 解っていたのに……浅ましいな、私は。

 救うべき者が、誰よりも救いを求めている。
 無様に、見苦しく、だけど心から。
 だから私も……精一杯の強がりで、微笑んでみせた。
『彼』は何も言わず、ただ優しく見守ってくれている。
 ならば私は、己の弱さを抱えたまま、それでも閻魔であり続けようと。
 誰のためでもなく、私が私であるために――もう一度、強く誓った。
「どうしました?」
「いえ、何でもありません」
 ひょうっと、涼しげな風が吹く。
 心の澱みを吹き飛ばすように。暗い闇を薙ぎ払うように。
 風は木々を揺らし、その隙間から祭りの明かりを僅かに覗かせた。
 それは綺麗で、とても綺麗で――
「……このことを記事にすれば、里の者がお地蔵さまのことを思い出すかもしれませんよ? そうすればこんな山の中じゃなく、もっと綺麗に祀ってくれるんじゃないですか?」
「そう思ったから、貴女に手伝ってもらったんですけど……どうやら余計なお世話だったようですね」
『彼』は僅かに見える祭りの灯を眺め、満足そうに笑っていた。

 だからそれで良いのだろう。
 それだけで、良いのだろう――

「そういうもんですかねぇ?」
「そういうものですよ」
 もう、里には『彼』を継ぐ者がいる。
 だからきっと、それはとても、幸せなことなのだろう。
「でも、そうですね。せめてこれくらいは……」

 ――小町

 私はその名を呼んだ。
 決して大きくもなく、だけど確かに。
「――呼ばれるのを待ってましたよ」
 ゆらりと、木々の隙間から姿を現す赤い髪。
 何も問わず、何も聞かず、ただ目を合わせるだけで。
 小町はにたりと笑い、その右手に死神の鎌を招くと、躊躇わず、迷いもなく、私たちに背中を向け、森の木々に向かって、一直線にその大鎌を振るった。
 びょうびょうと風が鳴り、木々がざわめき、目の前の空間が開けていく。
 小町の能力によって距離を、木々の間隔を広げられた森。障害物のなくなった視界は、里の明かりをはっきりと映している。それはどこまでも続く夢のような、幻想的な光景。小さな、でも確かな、人の営み。
 私たちの守るべきもの。守りたいと願ったもの。
 赤い光は情熱を。
 青い光は安息を。
 一つ一つの光に意味があり、意義があり、かけがえのない、大切な。
 光に乗って、祭りの賑やかな声が此処まで届く。
 触れることはできないけれど、それでも確かに其処にある。

「これが――貴方の守った光ですよ」

 そう言うと、『彼』はもう一度、嬉しそうに微笑んだ。

   §

「これからどうします?」
「そりゃもう、祭りの続きですよ! 綿菓子に鼈甲飴、かき氷に岩魚の塩焼き! まだまだ喰い足りないです!」
「太りますよ?」
「ぐっ!?」
 小町のその顔が面白くて、私は思わず微笑んだ。
 まぁ、明日からの重労働を思えば、今のうちに補給をしておくのも悪くないだろう。
 櫂に三十貫の重りを付けて三途の河を渡るのは、いかな死神といえども容易ではあるまい。ちなみに十貫増えたのは、まぁ、暴言に対するおまけということで。
「あのーところで、私は……」
「何だ、まだいたのか?」
「何だ、まだいたんですか?」
「酷っ!?」
 泣きそうな顔をしている天狗。その顔がおかしくて、私は思わず口元を押さえながら笑った。小町は腹を抱えてげらげらと笑っている。
「うー、私も混ぜてくださいよぅ。あんだけ頑張ったんだし……」
「そうですね。二人とも頑張ってくれたことだし……よろしい。今日のところは全額私が持ちましょう」
「え!」
「本当ですか!」
「まぁ、たまには、ね?」
 快哉をあげる二人に肩を竦め、私は森の方へ目を向けた。
 ここからはただの点にしか見えない、森の中にぽつんと開いた穴。
『彼』は今も、その穴から見守っているのだろう。
 里を、人を、そして私のことも。
 祈るように、願うように、微笑みながら。
 今も、そしてこれからも――

「頑張らなくちゃ、ね」

 恥じないように、誇れるように、胸を張って生きられるように。
『彼』の祈りが、願いが、決して間違いではなかったのだと、そう思えるように。
「ほらほらー四季さま。置いて行っちゃいますよー」
「うふふ、今日は朝から取材で何も食べてなかったんですよねぇ……久々に本気を出すとしましょうか……」

 手を振る二人に笑みで応え、私もまた明かりの中へと足を踏み出した――

 翌日、軽くなりすぎた財布を見て、次の給料日までの生活に頭を抱えたというのは、
 まぁ、語るまでもない蛇足というものである。くそぅ。 

        《完》
コメント



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