貴方は運命を信じますか?
僕は……正直なところ信じていませんでした。
そう、あの日までは。
彼女と――出会うまでは。
その日はとても桜が綺麗でしてねぇ。
花霞っていうんですかね? ああいうの。
勿論、学校は家の近所だったってこともあって校庭の桜は毎年目にしてたわけですが、正直桜があんなに綺麗なもんだとは思わなかったんですよ。
ああいや、そりゃ桜が綺麗だってのは知ってましたよ?
でもほら、道端に散らばる桜の花って汚いじゃないですか。
色んな人に踏まれて、泥に塗れて――なまじ白くて綺麗だから、穢れてしまった後は余計に醜くなってしまうでしょ?
そういうのが、ね。
やるせないというか、ゆるせないというか……そう考えると、桜というものは塵を撒き散らしてるだけのように思えてしまって。うん、あんまり好きじゃなかったんですよね。
だけどあの日の桜は綺麗だったなぁ。
それまでずっと寒い日が続いてましたから、急に暖かくなって、一斉にほころんで……なんというか、圧倒されちゃいましたねぇ。
え? はい、そうです。
入学式の時です。
中学の。
入学式っていっても、近所の小学校からそのままスライドするもんですから、顔ぶれが変わるわけでもないし、特に感慨はなかったんですよねぇ。むしろ憂鬱だったかな? だってほら、周りは馬鹿ばっかりでしたもの。
今考えると赤面ものですが、その時はそう思っていたんですよ。どいつもこいつも幼稚で愚劣で、自己のコントロールもできず、未来にも過去にも目を向けないけだものばっかだって。
笑っちゃうでしょ?
僕はクラスメートに対し、そんな思いを抱いていたんです。
ちょっと本や新聞を読んだだけで、それで世界の全てを知った気になってるような、そんな鼻持ちならない子供だったんですよ。お恥ずかしい話です。
そんな時です、彼女と出会ったのは。
腰まで届く黒髪。
瞳を隠す長い睫毛。
陶器のような白い肌。
触れただけで壊れてしまいそうな、そんな儚さを纏った彼女は――桜を見上げて泣いていました。
何がそんなに悲しいのか。
何がそんなに辛いのか。
はらはらと、はらはらと涙を零し、それを拭うこともなく、ただ桜を見上げたまま泣いていました。
ほら、うちの制服って黒いでしょ?
男も女も上から下まで真っ黒ですよ。
だからかな、僕には彼女がまるで喪服を着ているように見えました。黒いセーラー、黒いスカート、黒いストッキングに黒い靴。どこまでも黒い彼女は、まるで自らを飾ることを禁じているように見えたんです。
まるで誰かを偲んでいるように。
まるで誰かを悼んでいるように。
目を離せませんでした。
呆けたように、ただ、ただ彼女を見ていました。
舞い降りる白い花びらと、白に染まることを拒絶しているような少女。そしてそれが悲しいと零れ落ちる涙。それらは一枚の絵として完成していて、僕なんかが触れてはいけないと、そう思えるほどで。
どれくらいそうしていたのかなぁ。
気がつくと、周りには誰もいませんでした。
もう式が始まってしまったんでしょうね。そういえばチャイムの音を聞いたような気もします。
それでも僕たちは、いえ、桜を見上げる彼女と、彼女を見つめる僕は、時の流れに取り残されたように佇んでいました。
その時、ふいに彼女が振り向いたんです。
僕に気付いた彼女は、慌てたように涙を拭って――そして淡雪のように微笑ったんですよ。
目尻に残る涙。
照れたようにはにかむ彼女。
桜の海に溶け込むように、弾かれたように。
その時――僕は何と言ったのか、もう覚えていません。
何も言えなかったのかもしれません。
気がつくと僕は彼女の前に立っていて、その瞳を見つめていました。彼女の方がちょっとだけ背が高くて、それが少し恥ずかしかった気がします。
それから僕たちは何も言わないまま、どちらからともなく手を繋いで、一緒に式へと向かいました。先生に叱られましたけど、その時の僕は碌に耳に入ってなかったと思います。
彼女は隣のクラスでした。
名前は――日向 夕子。
僕も彼女もあまり社交的ではなく、クラスに馴染めないこともあって、よく図書館で会いました。
年齢の割に大人びた彼女は、それでも意外によく笑う子で、僕の下らない馬鹿話を楽しそうに聞いていました。
放課後には一緒に本屋に行って、公園で互いに一言も交わさないまま、黙々と本を読むなんてことをしてました。
なんてことのない穏やかな日々。
だからこそ――涙の訳は聞けないままでした。
それから三年が過ぎ、僕と彼女は同じ学校に進学し、それでも近すぎず遠すぎず、互いの距離を保ったまま――
時折、彼女は泣きました。
僕の視線に気がつくと、恥ずかしそうに涙を拭って笑うので、やっぱり涙の訳は聞けないままでした。
気がつけば僕たちは大人になっていました。
当たり前のように僕と彼女は結婚しました。
僕が勤めに出て、彼女が家を守る――前時代的な在り方ではありましたが、無理に反発するのも僕たちの流儀じゃありません。それが自然だからこそ、僕たちの間には自然に役割分担ができていました。
幸せ――だったと思います。
彼女はまだ、時折泣いていましたが。
子供には恵まれませんでしたけど、それでも上手くやっていたと思いますよ? 仕事は安定していて生活に困るようなこともなかったし、親戚関係もすでにお互い絶えていたから余計な軋轢はなかったし、特に事件に巻き込まれたりすることもなく穏やかな日々を――
ある日、彼女が倒れました。
酷い熱で、すぐに病院に運びましたが、原因は解らないままでした。彼女は苦しそうに顔を歪めながらも、それでも無理に笑顔を作ろうとするのが痛ましかったです。
それからしばらくして彼女の熱は引いたのですが、退院は叶いませんでした。医者の話では脳だか神経だかに問題があるそうで、彼女は二度と起き上がることができないというのです。
信じられませんでした。
信じたくありませんでした。
彼女は笑っています。
彼女は泣いています。
彼女はもう、立つことも、身体を起こすことも、会話することもできません。僕を安心させようと笑顔を浮かべ、ぽろぽろと涙を零します。そんな彼女の姿を――これ以上見ているのは耐えられませんでした。
ある日、僕はいつものように彼女の髪を梳きながら――気がつけばその首に手を回していました。
彼女の細い首を。
笑ったまま泣いている彼女の顔を見つめながら。
指に力を込め、その細い首を絞め上げると、彼女はやっぱり涙を流したまま笑顔を浮かべました。
そして僕は、彼女の涙の訳を知ったのです。
彼女にはこの運命が『視』えていました。
自分の身体のことも僕がこうすることも、初めから全部知っていたのです。
だから彼女は泣いていました。
だからその訳を言えませんでした。
彼女の首を絞めながら、いつしか僕も泣いていました。
生命の燃え尽きるその瞬間、彼女は何かを呟いたように見えました。
ありがとう、か。
ごめんなさい、そのどちらかだと思います。
僕は彼女を殺しました。
それでも――彼女は笑っていました。
§
「だから殺したってのか? ええ?」
「はい。それが運命ですから」
「あの娘がそれを望んでたってのか?」
「望んでは……いなかったでしょうね。でも抗えないと知っていたんですよ。それが運命ですから」
「解らねぇよ。お前さんの言ってるこた、俺にはさっぱり解らねぇ」
「無理もありません。僕だって、その時が来るまでは運命なんて信じていませんでしたから」
「だから入学式で会ったばかりの娘をその手で殺したってのかよ!? イカれてんのかてめぇ!」
「運命ですよ。僕と彼女の――それが運命だったんです。過程などに意味はありません。どのような道を辿ろうとも、僕と彼女はそうなる運命だったんです。だから僕は――」
「ふざけた事抜かすなっ! 運命だかなんだか知らねぇが、そんなもん解るわけねぇだろ!」
「過去を知り、現在を知れば、自ずと未来も確定します。多少の誤差はあるでしょうが、起こるはずの事は起きるべくして起こる。運命とはそういうものですよ?」
「……解らねぇよ。俺にはさっぱり解らねぇ」
年老いた刑事は疲れたように首を振って、同僚へと顎で示す。同じように言葉をなくしていた同僚は、刑事の前に座っている十三歳の少年を、別室へと運んでいった。
部屋に独りとり残された刑事は、胸元に押し込んでいた煙草を取り出した。少年課の取調室であるこの部屋には、壁に大きく禁煙と書かれていたが、吸わずにはいられなかった。
「イカれてるぜ……ったく……」
煙に紛れて言葉を吐き出す。
桜舞い散る校庭で、今日入学したばかりの男子生徒が同級生を殺害したとの通報を受けて急行したが、犯人と目される少年は逃げも隠れもせず大人しく連行された。その落ち着いた物腰に違和感を抱いたのは事実だが、まさかここまでイカれているとは思わなかった。
やり切れない、遣る瀬ない。
これではあの娘も浮かばれまい。
「ああ、徳さん。ここにいたんですか?」
ドアを開けて入ってきたのは、同僚の刑事だ。
最近本庁から転属になったばかりの島流し組で、まだ若いのに頭髪が随分と薄い。名前は――確か島田だったか。
「なんだか大変だったそうですねぇ」
島田は愛想良く笑いながら、少年の座っていた椅子に座る。
「まぁな。んだよ、そっちは片付いたのか?」
「ええ。さっき検察に資料を送ったとこです。それより徳さん、そっちは何だかおかしな事件だったそうですねぇ。山さんもボヤいてましたよ?」
「ああ、運命がどうとか訳解んねぇことばっか抜かしてやがる。最近のガキは知恵つけてやがるからな。精神鑑定にでも持ち込んで不起訴にしようって腹だろ? ったく、やり切れんぜ」
全く気が滅入る。
少年課の刑事として何十年と勤めてきたが、最近はとみに子供というものがわからなくなってきたと感じていた。
「へぇ、何て言ってるんです?」
島田は興味深そうにこっちを見ている。
刑事の目というより、玩具をみつけた子供のような目だ。なんとなく――こいつが本庁を追い出された理由が解ったような気がした。
刑事は教えるべきかどうかしばらく逡巡していたが、結局事件のあらましと少年の語った妄想を教えてやった。島田は相槌を打つこともなく、一心に聞き入っている。
「……まぁ、そんな訳で、あのガキは運命に従ってあの娘を殺したんだとさ。イカれてんだろ?」
最後は茶化すようにして締めたものの、島田は笑うでもなく難しい顔をしている。
なんだよ、どうかしたか? と聞く前に島田は顔を上げた。
「徳さん」
「何だ?」
「殺された女の子の顔を見ましたか?」
「……」
「山さんが言ってましたよ。今まで色んなホトケさんを見てきたが、あんな穏やかな死に顔は拝んだことがないって。まるで笑ってるみたいだって。被疑者は、こう、正面から女の子の首を絞めたんですよね? なのに抵抗するでもなく……これ、どう思います?」
そう、死体は笑っていた。
目尻に涙は浮かべていたが、穏やかに笑っていた。
まるで、ありがとうと。
そう言っているように――
「……解らねぇよ。そんなもん解りたくもねぇ」
退職間近の老刑事は、疲れたように首を振って、
胸に残るわだかまりごと煙を深く吐き出した――
僕は……正直なところ信じていませんでした。
そう、あの日までは。
彼女と――出会うまでは。
その日はとても桜が綺麗でしてねぇ。
花霞っていうんですかね? ああいうの。
勿論、学校は家の近所だったってこともあって校庭の桜は毎年目にしてたわけですが、正直桜があんなに綺麗なもんだとは思わなかったんですよ。
ああいや、そりゃ桜が綺麗だってのは知ってましたよ?
でもほら、道端に散らばる桜の花って汚いじゃないですか。
色んな人に踏まれて、泥に塗れて――なまじ白くて綺麗だから、穢れてしまった後は余計に醜くなってしまうでしょ?
そういうのが、ね。
やるせないというか、ゆるせないというか……そう考えると、桜というものは塵を撒き散らしてるだけのように思えてしまって。うん、あんまり好きじゃなかったんですよね。
だけどあの日の桜は綺麗だったなぁ。
それまでずっと寒い日が続いてましたから、急に暖かくなって、一斉にほころんで……なんというか、圧倒されちゃいましたねぇ。
え? はい、そうです。
入学式の時です。
中学の。
入学式っていっても、近所の小学校からそのままスライドするもんですから、顔ぶれが変わるわけでもないし、特に感慨はなかったんですよねぇ。むしろ憂鬱だったかな? だってほら、周りは馬鹿ばっかりでしたもの。
今考えると赤面ものですが、その時はそう思っていたんですよ。どいつもこいつも幼稚で愚劣で、自己のコントロールもできず、未来にも過去にも目を向けないけだものばっかだって。
笑っちゃうでしょ?
僕はクラスメートに対し、そんな思いを抱いていたんです。
ちょっと本や新聞を読んだだけで、それで世界の全てを知った気になってるような、そんな鼻持ちならない子供だったんですよ。お恥ずかしい話です。
そんな時です、彼女と出会ったのは。
腰まで届く黒髪。
瞳を隠す長い睫毛。
陶器のような白い肌。
触れただけで壊れてしまいそうな、そんな儚さを纏った彼女は――桜を見上げて泣いていました。
何がそんなに悲しいのか。
何がそんなに辛いのか。
はらはらと、はらはらと涙を零し、それを拭うこともなく、ただ桜を見上げたまま泣いていました。
ほら、うちの制服って黒いでしょ?
男も女も上から下まで真っ黒ですよ。
だからかな、僕には彼女がまるで喪服を着ているように見えました。黒いセーラー、黒いスカート、黒いストッキングに黒い靴。どこまでも黒い彼女は、まるで自らを飾ることを禁じているように見えたんです。
まるで誰かを偲んでいるように。
まるで誰かを悼んでいるように。
目を離せませんでした。
呆けたように、ただ、ただ彼女を見ていました。
舞い降りる白い花びらと、白に染まることを拒絶しているような少女。そしてそれが悲しいと零れ落ちる涙。それらは一枚の絵として完成していて、僕なんかが触れてはいけないと、そう思えるほどで。
どれくらいそうしていたのかなぁ。
気がつくと、周りには誰もいませんでした。
もう式が始まってしまったんでしょうね。そういえばチャイムの音を聞いたような気もします。
それでも僕たちは、いえ、桜を見上げる彼女と、彼女を見つめる僕は、時の流れに取り残されたように佇んでいました。
その時、ふいに彼女が振り向いたんです。
僕に気付いた彼女は、慌てたように涙を拭って――そして淡雪のように微笑ったんですよ。
目尻に残る涙。
照れたようにはにかむ彼女。
桜の海に溶け込むように、弾かれたように。
その時――僕は何と言ったのか、もう覚えていません。
何も言えなかったのかもしれません。
気がつくと僕は彼女の前に立っていて、その瞳を見つめていました。彼女の方がちょっとだけ背が高くて、それが少し恥ずかしかった気がします。
それから僕たちは何も言わないまま、どちらからともなく手を繋いで、一緒に式へと向かいました。先生に叱られましたけど、その時の僕は碌に耳に入ってなかったと思います。
彼女は隣のクラスでした。
名前は――日向 夕子。
僕も彼女もあまり社交的ではなく、クラスに馴染めないこともあって、よく図書館で会いました。
年齢の割に大人びた彼女は、それでも意外によく笑う子で、僕の下らない馬鹿話を楽しそうに聞いていました。
放課後には一緒に本屋に行って、公園で互いに一言も交わさないまま、黙々と本を読むなんてことをしてました。
なんてことのない穏やかな日々。
だからこそ――涙の訳は聞けないままでした。
それから三年が過ぎ、僕と彼女は同じ学校に進学し、それでも近すぎず遠すぎず、互いの距離を保ったまま――
時折、彼女は泣きました。
僕の視線に気がつくと、恥ずかしそうに涙を拭って笑うので、やっぱり涙の訳は聞けないままでした。
気がつけば僕たちは大人になっていました。
当たり前のように僕と彼女は結婚しました。
僕が勤めに出て、彼女が家を守る――前時代的な在り方ではありましたが、無理に反発するのも僕たちの流儀じゃありません。それが自然だからこそ、僕たちの間には自然に役割分担ができていました。
幸せ――だったと思います。
彼女はまだ、時折泣いていましたが。
子供には恵まれませんでしたけど、それでも上手くやっていたと思いますよ? 仕事は安定していて生活に困るようなこともなかったし、親戚関係もすでにお互い絶えていたから余計な軋轢はなかったし、特に事件に巻き込まれたりすることもなく穏やかな日々を――
ある日、彼女が倒れました。
酷い熱で、すぐに病院に運びましたが、原因は解らないままでした。彼女は苦しそうに顔を歪めながらも、それでも無理に笑顔を作ろうとするのが痛ましかったです。
それからしばらくして彼女の熱は引いたのですが、退院は叶いませんでした。医者の話では脳だか神経だかに問題があるそうで、彼女は二度と起き上がることができないというのです。
信じられませんでした。
信じたくありませんでした。
彼女は笑っています。
彼女は泣いています。
彼女はもう、立つことも、身体を起こすことも、会話することもできません。僕を安心させようと笑顔を浮かべ、ぽろぽろと涙を零します。そんな彼女の姿を――これ以上見ているのは耐えられませんでした。
ある日、僕はいつものように彼女の髪を梳きながら――気がつけばその首に手を回していました。
彼女の細い首を。
笑ったまま泣いている彼女の顔を見つめながら。
指に力を込め、その細い首を絞め上げると、彼女はやっぱり涙を流したまま笑顔を浮かべました。
そして僕は、彼女の涙の訳を知ったのです。
彼女にはこの運命が『視』えていました。
自分の身体のことも僕がこうすることも、初めから全部知っていたのです。
だから彼女は泣いていました。
だからその訳を言えませんでした。
彼女の首を絞めながら、いつしか僕も泣いていました。
生命の燃え尽きるその瞬間、彼女は何かを呟いたように見えました。
ありがとう、か。
ごめんなさい、そのどちらかだと思います。
僕は彼女を殺しました。
それでも――彼女は笑っていました。
§
「だから殺したってのか? ええ?」
「はい。それが運命ですから」
「あの娘がそれを望んでたってのか?」
「望んでは……いなかったでしょうね。でも抗えないと知っていたんですよ。それが運命ですから」
「解らねぇよ。お前さんの言ってるこた、俺にはさっぱり解らねぇ」
「無理もありません。僕だって、その時が来るまでは運命なんて信じていませんでしたから」
「だから入学式で会ったばかりの娘をその手で殺したってのかよ!? イカれてんのかてめぇ!」
「運命ですよ。僕と彼女の――それが運命だったんです。過程などに意味はありません。どのような道を辿ろうとも、僕と彼女はそうなる運命だったんです。だから僕は――」
「ふざけた事抜かすなっ! 運命だかなんだか知らねぇが、そんなもん解るわけねぇだろ!」
「過去を知り、現在を知れば、自ずと未来も確定します。多少の誤差はあるでしょうが、起こるはずの事は起きるべくして起こる。運命とはそういうものですよ?」
「……解らねぇよ。俺にはさっぱり解らねぇ」
年老いた刑事は疲れたように首を振って、同僚へと顎で示す。同じように言葉をなくしていた同僚は、刑事の前に座っている十三歳の少年を、別室へと運んでいった。
部屋に独りとり残された刑事は、胸元に押し込んでいた煙草を取り出した。少年課の取調室であるこの部屋には、壁に大きく禁煙と書かれていたが、吸わずにはいられなかった。
「イカれてるぜ……ったく……」
煙に紛れて言葉を吐き出す。
桜舞い散る校庭で、今日入学したばかりの男子生徒が同級生を殺害したとの通報を受けて急行したが、犯人と目される少年は逃げも隠れもせず大人しく連行された。その落ち着いた物腰に違和感を抱いたのは事実だが、まさかここまでイカれているとは思わなかった。
やり切れない、遣る瀬ない。
これではあの娘も浮かばれまい。
「ああ、徳さん。ここにいたんですか?」
ドアを開けて入ってきたのは、同僚の刑事だ。
最近本庁から転属になったばかりの島流し組で、まだ若いのに頭髪が随分と薄い。名前は――確か島田だったか。
「なんだか大変だったそうですねぇ」
島田は愛想良く笑いながら、少年の座っていた椅子に座る。
「まぁな。んだよ、そっちは片付いたのか?」
「ええ。さっき検察に資料を送ったとこです。それより徳さん、そっちは何だかおかしな事件だったそうですねぇ。山さんもボヤいてましたよ?」
「ああ、運命がどうとか訳解んねぇことばっか抜かしてやがる。最近のガキは知恵つけてやがるからな。精神鑑定にでも持ち込んで不起訴にしようって腹だろ? ったく、やり切れんぜ」
全く気が滅入る。
少年課の刑事として何十年と勤めてきたが、最近はとみに子供というものがわからなくなってきたと感じていた。
「へぇ、何て言ってるんです?」
島田は興味深そうにこっちを見ている。
刑事の目というより、玩具をみつけた子供のような目だ。なんとなく――こいつが本庁を追い出された理由が解ったような気がした。
刑事は教えるべきかどうかしばらく逡巡していたが、結局事件のあらましと少年の語った妄想を教えてやった。島田は相槌を打つこともなく、一心に聞き入っている。
「……まぁ、そんな訳で、あのガキは運命に従ってあの娘を殺したんだとさ。イカれてんだろ?」
最後は茶化すようにして締めたものの、島田は笑うでもなく難しい顔をしている。
なんだよ、どうかしたか? と聞く前に島田は顔を上げた。
「徳さん」
「何だ?」
「殺された女の子の顔を見ましたか?」
「……」
「山さんが言ってましたよ。今まで色んなホトケさんを見てきたが、あんな穏やかな死に顔は拝んだことがないって。まるで笑ってるみたいだって。被疑者は、こう、正面から女の子の首を絞めたんですよね? なのに抵抗するでもなく……これ、どう思います?」
そう、死体は笑っていた。
目尻に涙は浮かべていたが、穏やかに笑っていた。
まるで、ありがとうと。
そう言っているように――
「……解らねぇよ。そんなもん解りたくもねぇ」
退職間近の老刑事は、疲れたように首を振って、
胸に残るわだかまりごと煙を深く吐き出した――