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FLOWERING FEVER

2010/10/02 02:07:02
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FLOWERING FEVER

河瀬 圭
 幻想郷に異変を起こすのは妖怪の役目である。
 紅魔館のワガママ吸血鬼は日光が苦手だから幻想郷を覆ってみた。
 白玉楼のボンヤリ幽霊はただの興味で春を集めてみた。
 永遠亭のヒキコモリ姫は月の使者がこれなくする為だけに偽りの満月を作らせた。
 大なり小なり毎日異変が起きるような幻想郷ではあるが、しかし妖怪である風見幽香の表情は曇っている。
 鬼ヶ島からきた呑んだくれの鬼が終わらない宴会をしてみたり、四季の花全てがいっぺんに狂い咲きしてみたり、変な神様が移り住んできて信仰を集めて見たり。はたまた天界の暮らしに飽きた天人がちょっかいをかけたりもすれば、いきなり吹き出した間欠泉から温泉と一緒に地霊が出てきたり。
 たしかに異変は起きた、それも山ほど。人間の巫女が解決した。おまけの黒い魔法使いはこのさい忘れてもかまわないかもしれないが――
 それでもここ最近の異変は、幻想郷の妖怪が引き起こしたものではなかった。
「やっぱり異変は妖怪が起こすべきものよねぇ」
 しんしんと降る雪を見ながらそんな事を呟く。吐き出された白い吐息の向こうに、一匹の氷精がへーくしょんうぃなんて言いながら鼻をすすっていた。バカだから風邪をひかないのではない。バカだから氷精なのに風邪をひくのだ。
 見るともなしにそれを見ていた幽香の唇がほころぶ。
「ちょっとそこの貴女」
「なんだい……ってアンタは!」
 幽香の姿を認めた氷精であるところのチルノは脱兎の如く逃げ出そうとした。
 たかがちっぽけな氷精と、最強を自負する大妖怪である。関わればロクな事は無い。
「こーら、待ちなさないな。ちょっと考え事するだけよ」
 背中の羽をはばたかせて逃げ出そうとしたその瞬間にむんずと捕まえると、力任せに左右に引っ張る。
「イダダダダ! はぁーなぁーせぇー!」
 チルノの悲鳴を聞きながら思考に没頭する様は大妖怪の貫禄にあふれている、というよりは子供がおもちゃで遊んでいるようにしか見えない。
「そうねー……こういう方向でいいかしら」
 チルノの羽がみしみしと嫌な音をたて始めた頃になってようやく幽香はその手を離した。
 涙目のままここぞとばかりに飛び出す。
「今だっ!」
 足元にいつの間にか絡みついたツタのおかげで地面にビターンと叩きつけられたが、それはもう幽香の預かり知らぬところであった。
 声も出せずにピクピクとやばそうな痙攣をしているチルノを見て満足した幽香はさっと飛び去って行った。

    §

 季節は巡る。
 長い冬が過ぎ、雪解けも終焉を見始めた頃になると、春はまだかまだかと木が芽吹き、花を咲かせる準備を整える。
 開花の早い樹木の中にそれはひっそりと紛れ込んでいた。
 幻想郷の端に位置する博麗神社には、いつもの通りに春っぽい巫女が境内で箒を左右に動かしている。
「はくちっ!」
 可愛らしいくしゃみと、泣きはらしたかのような涙のにじんだ赤い目、ぼうっとしたような表情には朱がさしている。
「うー……風邪かしら……」
 風邪にしては熱がでないのよねぇ、なんてぼやきながら掃除を続けていると、一際強い風が髪を、博麗霊夢を、境内を撫でていった。
 溜めたゴミをまとめて吹き飛ばされて、溜息をつこうとして、くしゃみにとって代わられる。
「元気そうじゃないな」
「アンタは元気そうね」
「憂鬱だよ、年中無休で」
 縁側に腰掛けた霧雨魔理沙が、憂鬱さの欠片もないような明るい声で揶揄する。手にした湯のみをくるくると回して、絵柄を正面にする。
「ほら、私はおしとやかで清楚だから」
「自分でも信じてない言葉は空しいだけよ?」
「やれやれ、具合が悪いくせに口は回るんだな。それ、本当に風邪なのか?」
「そういえば朝夕はまったくもって普通なのに、昼間外に出ると具合が悪くなるのよね、それも結構前から」
「ひきこもりかよ。しかも体調コントロールしてまでなんて、病的だな」
「違うわよ、そもそも引きこもりなら外に出る気力もないでしょ」
「そういえば人里でもそんなようなヤツを見かけたな」
「ひきこもり? 増えてるのかしら……」
「違うっての、ちょうど霊夢みたいなヤツだよ。みんなして涙目で鼻をすすってたぜ」
 ふぅん、と霊夢は気のない返事をすると、境内の掃除を諦めたのか箒を仕舞いこみ、自分用の湯のみを持つ。
「お、掃除は終わりか?」
「この調子じゃ掃除にもならないわ」
 魔理沙の揶揄を軽く受け流しながら奥に入り込む。ぴしゃりと閉じこもると、中からちーんという音が聞こえた。
 やがて鼻を赤くした霊夢が出てくると、
「さて、私は出かけるけど……魔理沙はどうするの?」
 と、なんでもない事のように言った。
 そんな真っ赤な鼻と目の顔な上に、具合悪いんじゃなかったのか、という疑問はあえて口に出さない事にしておく。
「どこに行くんだ?」
「妖怪退治? たぶん?」
「なんだそれ」
「異変よ。勘だけどね」
 霊夢の口から異変という言葉を聞いて、魔理沙は口元を歪ませた。
 不敵な、それでいてどこか楽しそうな顔で腰を上げる。
「よっと……やれやれ、そんな顔でフラフラしてるような人間を一人で外に行かせるわけにはいかないな。仕方ないから私がついて行ってやるとするか」
「ついてくるの?」
「ボディガードって言葉知ってるか?」
「知ってるわよ」
 体調が決して思わしくもないはずの霊夢は、それでも力強く空を蹴った。
 振り返り、笑顔で言う。
「小間使いって事でしょう?」
「その異名はありがたくないな、どこかのメイドみたいだぜ」
 軽やかな笑い声と共に、二人は空の彼方を目指す――

    §

 どこかで呼ばれているような気がする。そんな気がして、紅魔館のメイド長であるところの十六夜咲夜は主の所に顔を出してみた。
 ここ最近は風にのってやってくる粉末のせいで――なにしろ風が黄色く見えるぐらいだ――私室にすっかり引きこもってしまっている。
 案の定、主で吸血鬼なレミリア・スカーレットは私室にいて、
「呼んでないけど呼ぼうとしたところに来るなんて、なかなか優秀ね」
 まるで咲夜が来る事がわかっていたかのような調子で言ってのけた。
 レミリアの私室は、紅魔館の主にふさわしく、広くて豪奢である。
 ちょっとした寄り合いならすぐに開けそうな部屋の、キングサイズはあろうかという天蓋付きベッドにちょこんと腰掛けている小さな少女と、その向かいのテーブルセットに座った少女が振り向く。
「空気を読んでみました。それでご用件は」
「窓がね、キレイじゃないのよ」
「ここ最近、黄色い風が吹いてますからね」
「空気に色なんてない。なんらかの粉末が混じってることは確かなんだけど、その粉末がなんであるかはわからないわ。おそらく花粉ではあると思うけど……」
 ボソボソとした声が割り込む。テーブルセット座っていた方の少女、パチュリー・ノーレッジが喋るが、あまりにもボソボソと口の中で呟くだけな上に早口なのでよく聞き取れない。
「というわけで……風が黄色い理由を調べて、解決してきて」
 未だ喋り続けているパチュリーを差し置いてレミリアは単刀直入に言った。
 五百年も吸血鬼をやっているにしては彼女はワガママである。少女のような見た目につられているのか、そもそも成長する気がないのか、それとも主とはそういう物だと思い込んでるのかはわからないが。
「……具体的にはどうすればよいので?」
「それは貴女が考えるのよ」
 これである。レミリアのワガママは今に始まったことではないが、毎回振り回されるほうの身にもなって欲しいものだ。
 咲夜はしばらく視線を宙に彷徨わせてから、
「それだと、少々お時間を頂く事になりますが……」
 とだけ返事をした。
 とりあえず風上を目指してみるつもりではあるが、何しろ文字通りに風まかせになるため、カンに近い。
 運が良ければ原因に辿りつけるが、そうでなかった場合は一から出直しになるのだ。
 そしてそれを知りながらレミリアは言う。
「なるべく早くね。あと帰ってきたら窓掃除も」
「それぐらいは他のメイドにさせてください……」
 とにもかくにも、咲夜は出かける事になった。お得意の時間を操る程度の能力でその場からパッと消えて見せると、現われた時は赤いマフラーをしていた。
 それを見てとったレミリア思わず目を細める。
「懐かしいわね――そのマフラー」
「貧乏性なものでして」
 ふわりと微笑んで咲夜が返す。口元だけではない、まさに花もほころぶような微笑みとしか形容のしようがない、幸福そうな表情だった。
「であるからしておそらく人里の方にも影響が……」
 今までずっと独りで喋り続けていたパチュリーがあっけに取られるほど見事な表情を残して、
「それでは、行ってまいりますわ」
 左足をわずかにさげ、スカートの端をつまんで持ち上げ、軽く頭を下げて会釈をすると、そのまま消えて見せた。
「…………レミィ、何かした?」
「いつもと同じ事しかしてないわよ?」
 部屋に沈黙が訪れる。
 パチュリーとレミリアはしばらく無言で目を合わせていたが、やがて気まずくなったのかレミリアが視線をそらす。
「…………な、なによその目は」
「べっつにー。レミィって釣った魚にエサをあげすぎて太らせるタイプよね」
「何言ってるの、釣った魚はなるべく早く料理して食べた方が美味しいじゃない?」
「あっそ……」

   §

 魔理沙としてはもう少し理論的な行動をしたかったのだ。
 方角としては確かにこちらの方が魔理沙の思い描いた予定の通りではある。
 しかし、しかしだ。
「どこに行くんだ?」
「てきとーに飛んでれば原因にぶつかるでしょ」
「おいおい……それだったら紅魔館で原因を調べたり、風上に向かってみたりとかの方がいいんじゃないか? 文献とかからなら私やパチュリーが当たれるしな」
「そんなまどろっこしい事してたら日が暮れるわ。さっさと片付けて私は落ち着いて掃除してたいの」
 こう言われるとさすがに魔理沙の立つ瀬がないと言うもの。
 だが、未だフラフラしたりしながら、頻繁に鼻をかんでる様子を見て放り出せるほど、魔理沙は薄情にはなれなかった。
 面白くもないが、さりとて放ってどこかに行くにはしのびない――
 いつもよりもさらにノロノロと飛んでいる霊夢を見ながら、魔理沙はやきもきしていた。
 今現在霊夢は紅魔館の方角に向かって飛んでいる。よほど体調が悪いのならば、紅魔館で無理矢理にでも休ませるか……と魔理沙が密かに決心していると、彼方に映る影があった。
「とりあえず目に付く端から原因にすればいいわよね、アイツとか」
「物騒だな……っておいおい待てよ」
 一気に速度をあげた霊夢は、魔理沙を捨て置いて影に向かって飛んでいく。
 近づいてみれば、その影は勝手見知ったる相手だった。
 風に揺れる銀髪にメイド服、切れ長の瞳は青く澄んだ湖の底のような色合い。
 紅魔館のメイド長の咲夜であった。
「あら二人とも。ウチに何か用?」
「用も何も、またアンタのところの仕業?」
「何のこと? 私はお嬢様の使いでこの黄色い風を止めるために――」
「すっとぼけようったってそうはいかないわよ」
 咲夜の言を無視した霊夢が御札を取り出す。それを見た咲夜の目が細められ、周囲の空気が緊張に凍りついていく。
「人の話を聞かないのね……ところで具合が悪そうだけど、そんなんで私に勝てるの?」
「アンタは悪魔の従者でしょう。いちいち負けてらんないわ」
「そう、なら話は簡単ね」
「そう、いつも通りだわ」
 そこまで言ったところで、咲夜の周囲に銀のナイフが突如として現われる。
 緊張が研ぎ澄まされ、限界まで空気は凍りつき、破裂を待つばかり。
 お互いの距離を確認し、仕掛けるタイミングを計り、呼吸を整え、
「へぇぇぇっっくしょいぃぃ!!」
 最高のタイミングで霊夢がクシャミした。
 それも、あらん限りの大音声で。
「わ」
 慌てて咲夜が離れる。彼我の距離はそこそこ離れていたが、それでも離れたくなるようなクシャミをしてのけた。
 ご丁寧に時間停止までしたのだろう、一瞬にして離れた咲夜が、
「えんがちょ」
 と人差し指と中指を交差させながら言った。
 ようやく追いついてきた魔理沙は咲夜の姿を見て、驚きを見せる。
「ありゃ、お前だったのか」
「もう、なんとかしてよコレ……」
「ちり紙ちり紙……」
 うんざりしたように言う咲夜と好対照に、魔理沙はいつもの笑顔を見せると、霊夢にちり紙を投げてやる。
 後ろ向いて鼻をかむ霊夢をみながら、咲夜は拍子抜けしながら、魔理沙へと視線を転じる。
「いやなに、里でもこんな調子のやつらばっかりだからな」
 霊夢が言うところ、この異変の原因を突き止めて解決しようと、そういう事らしい。
 咲夜としては自分の家まで黄色く染まっているのだ。迷惑この上ないのでお嬢様に言われて原因を探してる、と。
 お互いの事情を説明していると、鼻を赤くした霊夢が振り返った。
「じゃ、やろうか」
「アンタさっきまでの話聞いてなかったでしょ」
「まったくの同感だな、先が思いやられるぜ」
 キョトンとしている霊夢に、二人は同時に溜息をついた。
 改めて霊夢に事情を説明し、ようやく納得してもらったところで、三人は行き先を決めてない事に気がついた。
「さて、どこに行くんだ?」
「咲夜は何も知らないの?」
 問われ、咲夜は腕を組んで唸る。
 風上に行こうと思ったが、どうやらこの二人は風上から来たらしい。
「知ってたらとっくにどうにかしてるわよ。風上に向かって飛んできただけだし」
「なんで風上なんだ?」
「どうやら粉っぽいのよね、窓が黄色くなる原因。そういえばウチの知識人が花粉がどうとか言ってたような……」
 花粉、と聞いて魔理沙がぽんと手を打った。
「あぁわかった……枯草熱だそれ」
「なに、それ?」
「初耳ね」
 知ってたらもう少し対処できたんだがなぁ、と前置きして魔理沙が説明する。
 秋に多く見られる病気で、症状は風邪の諸症状とよく似ているが、風邪とは違う。
 人によって種類は違えど、花粉に反応するという点では変わりがなく、体内に侵入した花粉を排除しようと身体が過剰な反応をするのである。そのため、目のかゆみや鼻詰まり、クシャミなどが主な症状で、呼吸不全により体内の熱がこもり、発熱などもみられる。
 これらの症状は原因となる花粉から離れる事で収まるが、いわゆる病気ではなく、身体の新陳代謝機能の過剰反応が原因であり、根本的な治療は困難である。
 花粉症というと近年の病気に思われるが、昔からある症状であり、花粉症という名前がつくまでは枯草熱と言われていた。理由としてはイネ科の植物に反応する事が多く、イネ科の植物の多くは秋に花粉を飛ばす事が多いためだ。
 ただでさえ秋には稲穂の収穫などがあり、イネ科の植物に触れる機会が多く、秋に見られる病気であった。
「ちょっと待った。それって秋の病気でしょう? 今はまだ春先じゃない」
 説明の途中で霊夢が口を挟む。
 花粉症、というとスギ花粉が思い浮かび、春の病気だと思われる方が多いが、それは現代人が稲に触れる機会が減ったためである。
「この季節に花粉を大量に出す植物……だとおそらく杉じゃないかな」
 そもそも花粉症というのは大量の花粉が体内に侵入し、身体がその花粉を排除すべきである、と判断してから初めて起こる症例であり、去年は何もなかったのに今年はなった、という人もいるだろう。
「ただの季節病ってことかしら?」
「自然の力じゃどうしようもないわね」
「いや、やっぱりこいつは異変だな」
 得心がいった、という顔の霊夢と咲夜に、魔理沙は断定する。
「そもそも春に枯草熱が流行るなんてありえないんだ。なんせ秋の病気だから枯草熱なんて名前がつくぐらいだからな。それに窓が黄色くなるぐらいまで花粉が飛びまくるなんてありえない。花粉を出した植物がどこかにあるぜ、それも大量にな」
 ニヤリと笑って魔理沙が言った。
 それを聞いて霊夢が考え込みながら、
「ここ最近で大量発生した植物なんて聞いた事がないわ。だとしたら、誰かがその植物を生やした……だけどそんなに早く育つ植物はないわね。植物を操らない限り」
「植物っていうと、アイツかしらね?」
 咲夜が首を傾げながら続ける。
 魔理沙が不敵な笑みで締めくくった。
「決まりだな」
 今回の花粉騒ぎの張本人は、四季のフラワーマスター、風見幽香その人である。

    §

 幽香は自ら作り出した花畑の真ん中で眠りについていた。
 同じように自ら作り出した杉林からは離れているが、煙のように黄色い粉末が空に向かって伸びていくのが見てとれる。
 風に揺られて、草花どうしがサラサラと擦れ合う。
 囁きにも似た音が草原を、そして中心の花畑を撫でていく。
――汝は何者か?
 草花の囁きが聞こえる。
――私は風見幽香、四季のフラワーマスターにして最強の妖怪。
 眠りの中で幽香が答える。
――汝我らの王か? 我らの忠節に耐えうる存在か?
 囁きはさらに問う。風に擦れる音で、しゃらしゃらと。
――私は華厳の女王にして久遠の夢を見るヒュプノス。睡眠と覚醒の狭間にいる者よ。
 眠っているはずの幽香が微笑む。自信に満ちた表情ですらあった。
――華厳の女王よ、まどろみのヒュプノスよ。我らの繁栄を約束するか?
 草花の囁きはどこか厳しさを持って問う。
――それは約束できないわ。華厳の女王たりとて、草花とて、自然とて不変の存在はない。
 表情を崩さずに、傲慢さと一抹の寂しさを湛えながら答える。
――ならば汝は我らの王たりえぬ。問う。我らを従える汝は何者なりや?
 最初の問いとまったく同じ言葉を、まったく違う意味で繰り返す。
――私は風見幽香、四季のフラワーマスターにして最強の妖怪。だからこそ従えるのよ。
 傲慢に言い放つ。草花を、自然の力をただの道具だと。
――汝は我らの敵である! 我らの意思を汲まず、使うだけなり。ならば我らは力を貸さぬ!
 草花が声を荒げる。一際強い風が草原を渡った。
――うるさいわ、黙りなさい。
 幽香がそう言った後、草花はピタリと囁くのをやめた。それまでの声がまるで嘘であったかのように、二度と草花は喋らなかった。
 眠っていた目を開き、身体を起こすと、大きく伸びをする。
「ん〜〜……っと」
 傍らに置かれた傘をとり、開く。
 彼方に視線を転じると、そこには三つの影が映った。
「ナイスタイミング、やっと来たわね」
 立ち上がり、草を払う。
 幽香が作り出した花畑は、もうない。
 そこにあるのは、枯れた茶色の元花畑であり、枯草だけだった。


 
「あの杉林――」
 いち早く気がついたのは咲夜だった。メイドというだけあって、目端がきくのだろう。
 霊夢と魔理沙がそれに倣って、目を細くする。
「見たことないな」
「あ、だめ涙で見えないわ」
 どこまでも情けない霊夢は放って置くとして、
「当たりかしら?」
「そのようだな、だとすればアイツが黒幕ってことなんだが……」
 そこで魔理沙が苦い顔をする。
「何か問題でも?」
「いや、正直に言ってしまえばアイツは相手にしたくないんだよ。正面からかかるとなればかなり厄介な相手なんだよな。この人数ならどうにかなると思うんだが……」
 チラリと霊夢を見やる。
「肝心のコイツが役に立たないからな」
「何よ?」
 魔理沙の心配ももっともである。今の霊夢といえば半病人みたいなものだし、クシャミしながら弾幕を避けれるわけもなければ、逆に攻撃に集中できるわけでもない。
 霊夢が弾幕ごっこで負けた、という話は聞かないが、今の状態では彼女を頼ることはできないだろう。
「何か策が欲しいところだな、実際」
「あら、そんなことはさせなくてよ?」
 出し抜けに声がかかると、同時に――
 ザワリ、と草原が変貌していく。
 地面から草花の根が千切られるブツブツとくぐもった音が聞こえると、種も植えられてないと言うのに芽が吹き出し、あっというまに背丈が伸び、大きな葉を広げ、大輪の黄色い華が咲き乱れた――
 わずか数秒で草原は向日葵畑と化し、元からあった草花は消えうせた。
 太陽に向かうはずの花達は魔理沙たちを見つめていた。明らかに自然の状態ではなく、異常な数の視線を感じる。
 その圧倒的な光景に魔理沙は驚愕し、息を飲んだ。
「いるんでしょ、出てきなさいよ」
 傍らから霊夢の声が聞こえた。今の光景を見せられてもまるで動じていないような声に、なんとか魔理沙は落ち着きを取り戻せた。
「ほら、何驚いてるの」
「あ、ああ」
 トン、と背中を叩かれる。咲夜の声も聞こえ、ようやっと声を出す。
 その時だった。
 向日葵畑と化した草原の中央に、別の花が咲いたのは。
 ピンクの花びらかと思ったそれは、くるり、くるりと回りながら昇ってきたのだ。
 よく見ればそれはトレードマークたる傘であり、両手を伸ばしているような格好のまま三人の前に登ってくる。
「ごきげんよう、私の花畑にご用事かしら?」
 軽やかに、見る者を安心させるかのようなふわりとした笑顔で幽香は笑った。
「用も何もないわよ。変な病気振りまいてるクセに」
「アンタのせいで窓の掃除がはかどらないのよ。少ないけど」
「まぁそういう事だ、大人しく縛につけ」
 幽香の笑顔とは、対照的な笑顔で三人がそれぞれ口にする。
 あら、とまるで天気の話でもするかのように幽香は動じない。
「私が何をしたって言うのかしら? ここでお昼寝をしていただけなのに」
 ご丁寧に口まで尖らせてみるが、白々しい事この上ない。
 しかしそれは幽香とてわかっている。
「後ろの杉林は去年はなかったはずだぜ、こんなことできるのはお前しかいないだろう?」
「確かに私しかできないわねぇ。っていうか私だし」
「その杉のせいで、こっちは――っはくちっ!」
「風邪? 私にうつさないでよ」
「まぁ霊夢はこんなんだし、掃除ははかどらないし。さっさとあれをどうにかして欲しいのよ。迷惑ったらないわ」
「せっかく生み出した命を枯らせと?」
「自然の命じゃないでしょう。自然だけど」
 どうやら三人の中では霊夢だけにかかったみたいね、と幽香はみてとった。
 三人の中で決して行動派とは言いがたい彼女が枯草熱にかかったとは、なんとも運がないと言わざるを得ないだろう。
「貴女達にはかからなかったのね、枯草熱」
「残念だな。私はここ最近篭ってたんだ」
「外に出る時に私まで黄色くなったら嫌じゃない」
 とのことだった。
 幽香としては、この三人の内で誰か一人でも残ればいいか、なんて考えて仕掛けた事ではあるので、目論見通りと言えばそうなる。
「で、原因はアンタなんでしょ? 今すぐ元に戻してよ」
 目と鼻を真っ赤にした霊夢が、それでも態度だけはいつもと変わらずに言う。
「私のお願い聞いてくれたら元に戻してもいいわ」
「却下ね」
「却下だな」
「却下ですわ」
「あら残念。ちなみにお願いはみんなに枯草熱になってもらって、樹木や草花の美しさをを堪能してもらうこと」
 異口同音に否定されるが、これとて言葉遊びのようなもの。
 この場にいる四人が四人とも判っているのだ。
 幻想郷の異変は妖怪によって起こされ、人間によって解決されなければならない、と。
 予定調和でありながら、幽香にはある一つの思惑が絡んでいた。
「人間によって解決されるべき異変……もし妖怪がうっかり勝ったらどうなると思う?」
 幽香の問いは霊夢に、それでいて誰に向かうものでもないように響く。
「もしあの吸血鬼が勝って、紅い霧が止まらなかったら? もしあの亡霊嬢が春を集めきって、目的を達成していたら? もしあの永い夜に何事も起こらなかったら? 山の新しい神が信仰を集めきって、神社が潰れたら? その後はどうなっていたと思う? 鬼の宴会が今でも続いて、天人の企みで地震が起きたら? それとも地霊が湧き出るままに任せたら? 調停者気取りの隙間妖怪が何を考えているのかは知らないけれど、何事にも例外はあると思わない?」
 くすくすと幽香が笑いながら疑問を重ねていく。
 それらは今となっては起こりえぬ未来であり、過去の出来事であり、覆せるわけではない。
 ただし、と幽香は続ける。
「今まで失敗例はないわ。全てが成功例で、そういう仕組みの上に成り立っているのではなくて? 例があるものには必ず例外が存在するはずなのに、その例外が存在しない、してはいけないルール……その例外を、ルールの向こう側を、私は見たいのよ」
 少女らしい笑い声で、少女らしい笑顔で、少女らしい興味心で、幽香はこの異変を起こしたと言っても過言ではない。
「残念ね」
 霊夢だけがそう答える。
「例外なんて許さないわよ。例外なんてあっても、許されないから例外なのよ」
 気がつけば、傍らの魔理沙と咲夜も口元にうっすらと笑みを浮かべていた。
 魔理沙が、不敵に笑う。
「例外ってなんで例外か知ってるか? 切り捨てられるから例外なんだぜ」
 咲夜の笑みは、ナイフの輝きを帯びている。
「例外だかなんだか知らないけど、貴女は迷惑ですわ」
 幽香の手にしたピンクの傘が、くるりと回る。
「いいわ……貴女達を倒して例外の向こう側を、『滅んでしまった幻想郷』を見せてもらいましょう。花は落ちる前が美しいから、ね」
 その言葉が皮切りとなった。
幽香から放たれた放射状の弾幕は、その隙間を抜けることは叶わない。
結果的に霊夢達は分断されてしまう。
「さて、三対一はよろしくはないわね……せめてこれぐらいは許されるでしょう?」
 ゆら、と幽香の姿がブレると、同じ姿が二つそこにあった。
顔も、服装も、手にしたピンクの傘まで何もかもが瓜二つである。
「これで三対二。でも、弱くなったわけじゃあなくてよ?」
 まさしく同音異句に言うと、傘を閉じてぐるりと身体を回転させる。先端から放たれた弾幕は、その大きさこそそれ程ではないが、密度が濃い。
「どこかで見たな、それ……相変わらず鬱陶しい弾幕だ」
 魔理沙は箒を上に向け、魔力を込める。
垂直上昇した魔理沙に合わせて咲夜は垂直に落下していた。
「片方は抑えるわ、先にそっちを片付けて」
 咲夜の周囲に浮かんだナイフが銀光を反射させるように回転すると、幽香の弾幕を倍するスピードで最短距離を突き走る。
左右に並んでいた二人の幽香は、互いの距離を取るようにして離れる。
さらに追い打ちのように白い閃光が迸り、幽香の側も分断される形となった。
「合流はさせないぜ、二対一で一人ずつ倒すのはこっちの戦法だ」
「涙で前がボヤけそうだわ……」
 霊夢がボヤけた視界のままで符を中に放る。紅白の巫女らしい赤い光に包まれたは自ら意思を持つように幽香に向かって飛んでいった。
符は大きく迂回し、さらに幽香を分断させようと回り込む。
幽香もそれが判っていながら、従うしかなかった。
「お望み通りニ対一よ」
 霊夢と魔理沙を相手にした幽香がまるで花粉をなぞらえたかのような粒状の弾幕を無数に張り、さらにはお得意の大きな向日葵を飛ばす。
見た目こそ大きな向日葵と暢気ではあるが、猛烈な回転をしている上に幽香の作り出した弾である。触れれば真っ二つと言う事もありえるだろう。
 こちらも大きく動かなければならず、さらに互いの距離が離れる。これで数の優位性による咲夜への援護はできなくなった。
(うまくもたせてくれよ、咲夜!)
内心で魔理沙は歯噛みをしながらその場を離れるしかなかった。


 銀光が空を突き抜ける。
一直線に飛んできたナイフを、幽香は広げた傘で遮る。これが通常の傘であるのならば、ナイフを弾くなどという芸当はできないが、そこは幽香の傘である。力でも込められているのか、容易く弾き落とした。
「まったく……その傘はなんなの、インチキみたいね」
 何度目か数えてこそいないものの、幽香に打ち込むたびに弾かれてはかなわない。
時間を操り、速度を無視したような速度で手にしたナイフを投げる咲夜は、見ようによっては速度重視と言えない事はないだろう。
対する幽香は、速度に関しては決して早いとは言えす、むしろ遅い方である。
咲夜の能力を活かしたトリッキーながらも直線的な弾幕と、幽香の花畑のごとく空間を埋め尽くす弾幕は、まさに対極と言えた。
「ボヤボヤしてると貴女も花粉症になってしまうんじゃなくて?」
 あくまでもふわりふわりと飛び回る幽香が挑発してくるが、安い挑発に乗るほど咲夜も直情ではない。
そして……恐らくはこっちが偽者であると咲夜は目をつけていた。
幽香が二人に分身したとき、わずかに幽香の輪郭がボヤけていたのを咲夜は見逃さなかったので、自らが率先して囮を引きつける役を買って出たのだ。
霊夢達が恐らくは本体である方を落とせばこちらの幽香が消える可能性もあり、またもしその目論見が外れた場合でも、分身を倒した後の三対一という状況に持ち込めた時点で咲夜達の有利は確定だろう。そこまで考えての選択であった。
引き立て役は引き立て役に徹しますか……口の中でそう呟くと、咲夜はスカートのポケットからトランプを取り出した。クラブのエースを抜き取ると、宣言をする。
「幻世……ザ・ワールド」
 咲夜から放射状にゆっくりとナイフが展開される。ナイフはすぐさま火の弾幕となり、交差状に幽香を捕らえようと迫る。
粒状の小さな弾をばら撒いていた幽香は、
「あら」
 と一言を置いて避けだした。
左右、あるいは上下から同時に迫る弾幕に対して一本の傘では防ぎきれない。そう踏んだ咲夜の行動は正しかった。
 幽香は動きが俊敏ではないのは先ほど見て取った通りである。ここで囮を潰して向こうに加わるのも悪くは無い。そう考えた咲夜はトランプから、さらに一枚を取り出す。
スペードのエース。
「メイド秘技、殺人ドール」
 呟く声は幽香には届かない。届かなくてもいいのだ、殺人人形なのだから。
咲夜の身体から力が抜けたように、カクンと上半身が垂れ下がる。まるで操り人形のように肘から腕が持ち上がると、その腕に沿ってナイフが生み出された。
生み出されたナイフの数は決して多くは無い。
だが、それらがキリキリと回転し、幽香に向かって飛び始めると、それは倍化を繰り返したかのように増殖し、スピードを乗せて突撃する。
「畳み掛ける気かしら? でも直線的過ぎない?」
 そう幽香が言った直後だった。
上半身を起こした咲夜が蒼い目を鋭く光らせ、パチンと指を鳴らすと、 まるで手品でも見たかのようにナイフが独自の動きを見せ、左右に広がる。
突如とした軌道変化はゆっくり広がりながら幽香を銀の雨へと誘おうと包み込む。
「ただの……手品にしてはっ……堂が入ってるわねっ」
「ただの手品よ、それで落とされなさい」
 避けながら幽香はまだ軽口を叩く。
しかし、突如としてその動きをピタリと止めた。
「ざぁんねぇんでしたぁ」
 邪悪な、としか表現できないような悪意に満ちた笑顔を見せると、傘の先端を咲夜に向けた。
傘の先端に白い光が灯る。
咲夜が異常を感じた次の瞬間には、そこから爆光が放たれた。
付近一帯を薙ぎ払うかのような極大のレーザーが発射され、幽香を包んだナイフを吹き飛ばしながら咲夜に向かって突き進む!
打ち下ろし気味に放たれた幽香の白光は咲夜の影を飲み込み、地面に激突、爆発させる。
大気がうねり、ようやく光が収まった頃にはその軌道上には草一本、花粉の一粒たりとも残されてはいなかった。
「終わっちゃった? ゲームオーバーかしら?」
 嘲るような声で幽香が高らかに嗤う。
 他愛ないものねぇ……さて向こうはどうなったかしら、と視線を転じる、その瞬間だった。
まるで幽香自身が意識しない動きで首を傾ける。
過ぎ去るは銀光、風に舞う幾筋かの緑の糸は幽香の髪。
「運がいいわね……完全に不意を突いたつもりなのに」
 背後からは凛然とした声。
ゆっくりと幽香が振り向くと、そこには傷一つ無い完全で瀟洒な悪魔の狗。
「生きてたの……そうでなくちゃつまらないけどねぇ」
 幽香は多少の驚きをもって咲夜を認める。こいつは強い――と。
「貴女の時間も私のもの。最強だかフラワーマスターだか知らないけど、時の流れを操る私の前には無意味だわ」
「次の手品は何かしら? ハートのエースは何なのかしらね」
「ハートのエースは永久欠番ですわ。歌にもあるでしょう?」
「最強の札が出てこないなんて、可哀相ねぇ、私は私がハートのエースだけど」
「ハートのエースなんて無くても充分なのよ、貴女の相手ぐらいならね」
 強がってみせてはいたが、咲夜としては暗澹たる気持ちを抱えたのは否めない。
畳みかけようとした弾幕をいなされ、奇襲すら避けられ、これでは膠着状態を維持するのが精一杯といった所だろう。しかも相手は妖怪でこちらは人間なのだから、長期戦の体力勝負に持ち込まれたら彼女に勝ち目は無いと言っても過言ではない。霊夢と魔理沙が駆けつけるのを待つしかないという事実に、咲夜は溜息をつきたい気分であった
一方、幽香としても決して無視はできない存在となった咲夜は、むしろ脅威と言えた。
自ら最強を自負してはいたが過小評価をするほど無能なわけではない。咲夜の弾幕が直線的な分にはいくらでも避けたり防げたりはするのだが、先ほどのようなトリッキーな組み合わせこそが咲夜の本領である事を考えると、いつまで避けきれるのかわかったものではない。
ましてや、相手は奇術師で手品師だ。どれほどの手札を隠しているのか予想できない。先ほどの「ハートのエースは無くても充分」という言葉を信用するのなら、それ以外に強力な鬼札が存在する、という事でもある。
ここにきて両者は時間稼ぎの目的だけが果たされるという、膠着状態に陥った。


 白閃が虚空を薙いだ。
空気が焦げる匂いを残して細い光条がふわりふわりと舞い踊る幽香を追う。
それは花から花へと飛び回る蝶のような動きに見えた。
「くっそ……ふわふわ飛び回りやがって当たらないな」
 魔理沙は苛立ちを隠すことができない。
このままではジリ貧で負ける――そんな黒い想像が打ち消せないでいた。
霧雨魔理沙は普通の人間で、普通の魔女だから、正面からぶつかるようでは最強を自称するような妖怪には勝てない。
彼女のスペルカードの中でも、瞬間的な爆発力を誇るマスタースパークでさえ幽香は軽々と同じような技を使う。
「それに霊夢がヤバいな……」
 先ほどから霊夢の弾幕が無い。薄いということはなく、霊夢はまったくもって弾幕を撃てていなかった。
魔理沙の後方でフラフラと飛ぶ姿はいつもの霊夢ではあるが、その顔は涙に歪み、一つの弾を避けるたびに袖で涙を拭っている。
そして涙を拭き終わると、霊夢へと目掛けて迫る次の弾があるのだ。これではさしもの霊夢もいるだけという方が正しい。
「あらあら、霊夢はどうしたのかしら? ニ対一じゃなかったのかしらね」
「アンタに負けるわけがないでしょ」
 幽香が揶揄する。しかし霊夢は弾幕を掻い潜るので精一杯で返事をするのがやっとである。
不利だな、と魔理沙は冷静な判断を下した。
長引けば長引くだけ霊夢と咲夜が危機に晒される。そしてその二人が落ちてしまえば、残った自分だけでは幽香には勝てないだろう。
「よし、派手にいくか!」
 またがった箒に魔力を注入。爆発的な推進力を得た箒で空を駆け巡る。箒から漏れ出した魔力が細かな粒となり、星となり、ミルキーウェイとなって幽香の弾幕を打ち落としていく。
さらには幽香の弾幕を押し切り、一時的ながらも魔理沙の弾幕で辺り一面を埋め尽くした。
「これはこれは……慎重に避けないとダメね。でも避けられない弾幕じゃなくてよ?」
 ひょいひょいと一つ一つを避けていく幽香。狭い隙間に身を踊らせる。
魔理沙はこの瞬間を狙っていた。ただでさえ動きの遅い幽香がさらに遅くなる瞬間を。
「星へと届け! 想いよ繋がれ! 惹かれ合う二つの心は……! 恋心っ! ダブルッ! スパァークッ!!」
 手にしたミニ八卦炉に魔力を注入。込められたキノコの粉はいつものニ倍。迸るマスタースパークは二つ!
 迸る白き稲妻、純粋なる魔力をそのままぶつける荒業。弾幕こそはパワー。魔理沙の手元から伸びたマスタースパークはそれぞれ幽香の左右を駆け抜ける。
「制御できてないわね、当たってないわよ!」
「閉じろぉー!」
 魔理沙の叫びが二つのマスタースパークを揺り動かす。
互いに惹かれ合ったかのように繋がりあう。
 二つの魔力が一つに重なろうとしている。このままでは幽香に逃げ場は無い。
迫り来る二つの白光を前にして幽香は薄ら笑いを浮かべてさえいた。
「まずは一つ……」
 傘の先に魔理沙のマスタースパークと同じ、純粋な魔力が込められ、発射される。
その傘を右手で持ち、右からくるマスタースパークにぶつけやる。莫大な魔力同士が衝突し、辺りを明るく照らした。
そして左手を突き出す。
「そして二つ!」
 左手からも同じ光が噴き出し、伸びる!
 ぶつかり合う四つの魔力は、離れた位置の咲夜からも見て取れるほどであった。
「この魔理沙さんがそう簡単に……っ!」
「いくらそれが八卦炉とはいえ、人間に負けるわけがないでしょう?」
 幽香の自信を裏付けるように、ジリジリと魔理沙のマスタースパークが押されていく。
魔理沙は大出力の魔力を維持するため、自らに気合を入れなおす。
 指先がドロドロと溶けていくような熱量を感じるが、あえてそれは無視する。ここで押し負けたら、それこそ敗北は決定的だろう。そして――
「大出力の魔力砲の打ち合いで私が負けるわけにもいかないしなっ!」
 魔理沙の魔力が瞬間的に上昇、幽香の魔力砲を押し返す。
周囲の空気すら吹き飛ばすようなぶつかり合うが……両者の表情は対照的ですらあった。
魔理沙は限界近くの魔力量を放出している。その顔は苦しそうというわけではなく、不敵な笑みに彩られていた。
一方の幽香は……退屈そうな表情を見せていた。
「それだけ? やはり人間ね」
 幽香はそう呟くと、ぐっと腕を突き出した。
幽香の魔力量が跳ね上がった。あっという間に押し返された分を押し戻し、さらには魔理沙を飲み込もうと迫る。
「くっそぉぉぉぉ!」
 全身の魔力を総動員して立ち向かうが、
「所詮は人間……妖怪に正面から立ち向かう方が馬鹿なのよ」
 無情にも、魔理沙は光に飲み込まれた。
 光が収まる。魔理沙はまだそこにいた。服のあちこちが裂け、ボロボロになった姿で。
「もうちょい……だったんだけどなぁ……」
 霊夢の涙で滲んだ視界の向こうで、魔理沙がゆっくりと高度を下げていく。やがてそれは重力に捕まり、遥か下方へと落ちていった。
「魔理沙っ!」
 先に口を開いたのは、霊夢ではなく咲夜であった。彼女は魔理沙が落とされたことを遠くからみて、自らの作戦の失敗を認めた。
 認めたところでどうなるというわけでもない。落ち着け、と自らに言い聞かせると、もう一人の幽香の前から姿を消した。
 こうなったら本体を叩き潰すしかない。時間停止を駆使して、咲夜は一気に幽香の本体であるほうに肉迫する。
 横一文字に幽香の首を狙ったナイフは、しかしその手に握られた傘に阻まれる。
「これ以上好きにはさせないわ、この距離なら避けられないでしょ」
 一旦ナイフを引いた咲夜の上半身が屈められる。僅かに尾を引いた眼光は紅く、緋を吹いていた。両手にそれぞれ握られたナイフとともに、殺人鬼が弾ける。
紅い剣閃が至近距離で無数に生まれる。
「っ!」
 幽香が後退を始めるが、間に合わない。紅い剣閃に全身を切り刻まれる――ように見えた。
その姿がボヤける。どちらの幽香が本物であったのかという咲夜の予想は完全に外れていた。
そしてその事を自覚するには完全に遅かったと言える。
「さて……後ろを振り返るには遅かったかしらね?」
 その言葉に咲夜は驚きを隠せない。紅い双眸のまま、首だけを後ろに向ける。
「あ……」
 そこにあるのは一面の白。
爆発的な光が彼女を飲み込もうとしていたのを見て、彼女は無言で時間を止めようとした。喋ってる暇など、まさしく無いに等しい。脊髄反射とも言える速度で時計に手をかける。しかしその視線は正面の幽香に注がれ、固まった。
「はい、二人目……ね」
 こちらに向かって傘を差し出していた。そこに白い光が灯っているのを見て、咲夜は絶望的な状況に追い込まれたのを理解した。
白い光が咲夜を包み込む――
 咲夜の口がおぼろげに開かれ何かを喋ったようだったが、それは轟音に掻き消され、霊夢にも幽香にも聞き取れなかった。
やがて霊夢は先ほどと同じ光景を目にする事になる。
光が収まり、力尽きたかのように落ちる人影。違いがあるとすれば、咲夜の口元が動いていた事だった。
あとはたのんだわよ――
口の動きだけでそう言っているのが、霊夢には手に取るようにわかった。
これまでの自分の醜態はなんだ。いくら花粉症とはいえ、少し酷すぎないか。そんな思いが脳裏をよぎる。
「あとは貴女だけ。人間の希望が断たれた時、幻想郷が滅びる時、あの八雲紫がどう動くのか見させてもらうわね」
「ご生憎ね。紫なんか最初っからアテになんかしてないし、この異変も止めてもらう。その事に変わりは無いわ」
「今まで避けるのが精一杯だった貴女が言うのかしら?」
 つい、と傘の先端を霊夢に向ける。左の手の平からは粒状の多くの弾が吐き出され、さらに大きな向日葵が幽香の背後に浮かび上がると、回転しながらゆっくりと突き進む。
幽香の言葉は至極正しい。冷静に考えればここで霊夢に勝ち目はない。
「くっ!」
苦鳴とともに霞む目のままで粒状の弾の隙間を抜け、向日葵を大きく迂回する。その手に握られた符も、傍らの陰陽玉も、その役目を今だ果たせてはいなかった。
この弾幕を抜けた先に幽香がいる。いつか来るであろう反撃の時に備えて、今は我慢するしかない。
「残念ね。これで終わりよ」
 大きな向日葵二つの隙間を抜けようとした時だった。正面に幽香が立っていた。傘の先には白い光。避けようが無い状況といえた。
 実際、霊夢自身ですら、これは受けるしかないと思えた。防御用の結界を張ろうとした視界が、不意に黒い影に遮られる。
「奥の手っていうのはこういう時に使うもんだぜ」
 力尽き、落とされたはずの魔理沙がそこにいた。ボロボロのままで。
「こいつが正真正銘私の全力だ。もらっていきな」
 手にしたミニ八卦炉には虹色の輝き。魔砲と名付けられた魔法がそこにはあった。
 魔理沙が現れた瞬間は幽香の表情が驚きに彩られるが、それが魔理沙だとわかると、小馬鹿にしたような表情に戻る。
「また吹き飛ばされにきたのね、二人まとめてあげるわ」
 そのまま幽香は自身の魔力砲を発射する。
「こいつは一味違うぜ、吹き飛ばされるのはそっちだな」
 魔理沙のファイナルスパークがミニ八卦炉から溢れ出した。
至近距離で激突しあう二つの大魔力は地上に太陽が現れたかのような輝きを放つ。
魔砲が幽香の魔力砲を蹂躙した。
あっというまに押される自身の魔力砲を、信じられないといった顔つきのまま、幽香はファイナルスパークの奔流に消えた。
荒れ狂う七色の輝きが幽香を貫き、遥か彼方になっていた杉林に突き刺さり、辺り一面を焼け野原にする。
爆風が吹き荒れ、全てを吹き飛ばしてなお、幽香はそこにいた。
丁寧に揃えられた髪はざんばらに、服もあちこちが焼け焦げてボロボロ、満身創痍ながらも幽香はそこにいた。
「今のはおしかったわね……」
「これで落とせるとも思っちゃいないぜ……」
 魔砲によりほぼ全ての魔力が枯渇した魔理沙は、青白い顔をしながらも笑ってみせた。
「これだけサービスしてやったんだ。もうここいら一帯の花粉なんて全部吹き飛んじまったろうよ……咲夜もこれ以上花粉が飛んでこないように、下でお得意の空間操作をしてるんだ……お前の負けだ」
「なっ――!」
驚愕する幽香を尻目に限界を超えた魔力量の放出によりついには飛ぶこともできなくなったのだろう。そのままゆっくりと墜落しながら、それでも魔理沙は叫んだ。
「今だ霊夢、思いっきりやっちまええぇぇぇぇぇぇ!!」
 魔理沙の叫びに声で応える必要は無い。今まで何のために霊夢は避けるのに集中してきたのだ。圧倒的に自分が不利だからこそ、そして相手が強大であればあるほど、針の穴に糸を通すようなチャンスを逃がしてはならない。
 霊夢は言祝ぐ。
 無題『空を飛ぶ不思議な巫女』と――
「ありゃあ……やっぱり無理か」
 立て続けに魔力砲を撃ち、ファイナルスパークの直撃を受けた幽香に霊夢の弾幕を避けきれるはずはなかった。

    §

 幻想郷の端に位置する博麗神社にはいつもの光景がある。
 幽香の起こした異変を解決した翌日。
いつものように霊夢が境内を掃除し、やってきた魔理沙が茶々を入れる。
「しっかし、幽香は結局何がしたかったんだ?」
「さぁね、私に聞かれてもわからないわ」
 ザッ、ザッ、と箒を規則正しく動かしながら、霊夢はまるで興味が無いと言ったように返事をした。
ただ、と霊夢は続ける。
「妖怪によって異変が起きたら、人間によって解決される。それはいつもの事よ」
「まぁあのままだと死人が出てもおかしくはなかったしな。流行病だなんて怖いぜ」
「そう言えば咲夜は掃除終わったのかしらね」
「終わってるわよ」
「あらご当人。素敵な賽銭箱はあっちよ」
「今日は神様にお願いすることなんてありませんわ」
 何の気なしに現れた咲夜に霊夢は賽銭箱を指し示す。誰が来ても霊夢は賽銭箱を指し示すが、あいにくと素直にお賽銭を入れられた事はない。
「結局昨日はあれから窓拭きばっかりだったわ。残った花粉のせいでまた窓が黄色いけど」
「まだ花粉は飛んでるのねぇ、私はもう平気だけど」
「なおったのか?」
「花粉だけ入り込めないように結界を張ったからね。これから桜も咲いてくるし、花粉症のままだとお酒も飲めないわ」
「お花見の季節だな」
「えぇ、お花見の季節ね」
 いい事を思いついた、というように魔理沙がニヤリとわらった。
「何よ?」
「お花見の前夜祭といこうか、まだ咲いてない桜を思えば、きっと酒もうまいに決まってる」
「中秋の名月じゃないんだから……でもまぁ、いいわよ」
 魔理沙の突拍子もない提案に、霊夢はうなずいた。
 季節は廻る。
冬の終わり、春の始まり。その間隙をぬった異変に、長続きなどしようもないのだ。
これから咲きほこる桜を想像するなら、今日のお酒は美味しそうだと顔をほころばせた。

    §

 むくり、と花畑で幽香は身を起こした。
「あーあ、おしかったわねえ」
 誰にともなく言う。しかし一人言に聞こえたその言葉に応える者がいた。
「おはよう、随分と遅いのですね」
「八雲紫……」
 現れたのは境界を操る程度の能力をもつ妖怪、八雲紫である。
「確かに貴女はおしかった。でも幻想郷は滅びませんわ」
 手にした扇で口元を隠して目だけで笑いながら、まるで何かの確信があるかのように言う。何でも見透かしたような紫の態度に、幽香は苛立たしさを覚えた。
「言ってくれるわね……何か覆せない不思議な力でもはたらいているのかしら?」
「とんでもない。そんな予定調和ばかりではつまらないでしょう? 異変を起こした妖怪が必ず退治される、というはそれだけ今の博麗の巫女が優れている、という事なのです。それに……貴女、わざと負けたでしょう?」
 揶揄するような紫の言葉に、幽香は不満を隠そうともしなかった。
頬を膨らませ、口を尖らせる。
「これでいいんでしょう? この結果はあらかじめ『誰もがわかっていた事』だから」
「そうね。幻想郷の妖怪はこうでなければならない、という事はなくても、幻想郷を滅ぼしても妖怪にも、人間にも、そしてこの幻想郷に住む全てに対して、よい事はないのです」
 今さら何をわかりきった事を、と幽香は溜息を一つ吐いた。
 しかし、それでも幽香には納得できないことがある。
「わかってるわよ。ここが楽園で、そして最後の幻想である事ぐらい。ただまぁ……なんでも貴女の手の平っていうのは気にいらないわ」
 ざわ、と幽香の周囲の雑草がうねる。大気が揺さぶられ、風が巻き起こる。
 ただなならぬ気配に紫は扇に隠した口元を歪ませた。
 奇しくも最強を自負する妖怪がここに居る。そして最強とは一人でよい。
「私はそこまで傲慢ではないわ……けれど、試してみる?」
 紫の言葉とともに、彼女の背後には無数の隙間が生まれ、怪しげな瞳がいくつも瞬き幽香をジロリと見つめている。
 幽香はニヤリ、と笑みとも悪意の固まりともつかない表情をしてみせた。
 面白い、実に面白い。普段はぐうたらな事で有名な隙間妖怪が珍しく熱くなっているのか。
「面白そうじゃない」
「えぇ、面白いわ」
 ザッ、っと両者は地を蹴り、間合いを詰め――
「「だから幻想郷は、面白い!」」
 最強の妖怪同士が、幻想郷の片隅で激突した。
コメント



1.無評価Taron削除
It's a relief to find sonmoee who can explain things so well