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こんなに向日葵が奇麗だから

2010/10/02 02:19:06
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こんなに向日葵が奇麗だから

Hodumi
「……ん……あれ?」
 それは小さな呟きだった。
「…………無い」
 真っ青な天空と、向日葵を敷き詰めた萌黄の絨毯の狭間で、その呟きはそよ風に消されてしまう。だけど呟いた当人にとって、世の広さに言葉が無力であってもそれはどうでも良い事だ。
 太陽の匂いに包まれた急拵えの寝床からのそっと身体を起こして、風見幽香は寝ぼけ眼で辺りを見回す。その視線の反対方向では手が何かを掴もうとがさがさやっていたが、やがて眼と手の動きは止まっていた。
「傘………………」
 薄ぼんやりとした眼差しがゆっくりと空を見上げ、数回瞬いて、一呼吸。
 失くしたのか盗まれたのか、現実的に考えれば後者だろう。そもそも幽香の私物を花が隠す訳が無い。
 寝起きの頭がそう結論付けるや否や、瞼はしっかりと開かれて。覚醒した幻想郷の甲種危険物はその姿を凛と立ち上がらせていた。
「仕方ない」
 ここからすべき事は全く単純明快である。
 傘盗人を見つけ出し、捻り潰して取り戻せば良い。
 風見幽香には充分それが出来るのだから。
「行ってきまーす」
 太陽の畑の向日葵達に見送られ、手ぶらの幽香は歩きながら考える。
 この足を何処へ向けるのが解決への近道だろうか?
 手がかりを知っていそうなのは誰だろうか?
「……そうね、楽をしましょうか」
 言葉と共に跳躍。そのまま宙を舞うと、幽香は悠々と空を飛んで行った。

          ・

 石畳を掻く竹箒。規則正しいリズムを境内に響かせて、今日も神社は巫女一人。
 慣れたものである。
 博麗霊夢にとってそれが普通で当たり前で日常で、誰にも邪魔されない自分だけの時間というものはかけがえの無いものもので。
 だから孤独が寂しいとかいう事とは全く無縁で、マイペースに安寧に一日を過ごせるというのはとても素晴らしい事だから。
 そう。だから、
「ちょっと良いかしら」
「賽銭箱はあっち」
 参拝者への態度がよろしくないのは実に仕方の無い事だ。参拝者かどうかは実に疑わしいので尚更である。
「私はあなたに用があって来たのに」
「あんたにあっても私に無いし」
「でも私はあるの」
 霊夢は箒の掃く方向を幽香へ向けてやろうかと思ったが、面倒なので止めておいた。そんな事をするよりも、適当にあしらってさっさと帰ってもらった方が有意義だ。
「それで?」
 行儀悪く箒を担ぎ、あからさまに非友好的態度で霊夢は幽香に応じる事にした。
「私の傘が失くなったのよ」
 相手の態度を意に介さず、微笑みながら幽香は続ける。
「探して欲しいとは言わないから、何処にあるか分からないものかしら」
「あぁ……」
 幽香の言葉を聞いて、ようやく霊夢は彼女が傘を持っていない事に気付いた様子だった。
「知らないわよそんなの」
「あら、いつも何かある度にふらふら出て行って、なんとなく解決する癖に」
「広範囲の異変と個人の失せ物をごっちゃにしないでよ」
 溜息を吐く霊夢に幽香は一歩詰め寄る。
「それで、分かるの? 分からないの?」
「……いっそ新しいの買ったら? 傘なら人里に行けばいくらでもあるでしょう。もしくは、山に行って河童に何か凄い傘を作ってもらうとか」
「…………」
「…………」
 幽香の暴君な要求に霊夢はそれなりに誠意を以って答えたつもりだった。
 何せ失くした物を探すのに自力以外を頼った時点で、自分では見つけられないと白状しているようなもの。となれば、そんなのがそう簡単に見つかる訳もなく、また見つかったとしても無事な状態である保証も無いのだし。
 だが幽香はお気に召さなかったようだ。
「ふぅん?」
 微笑みはそのままで、だが大気は歪み、颶風に突き押されているような圧力を霊夢へ向けたのである。
「ちょっと」
 並の妖精ならそれだけで消滅しそうな威圧に晒されて、しかし平然と受け流しながら霊夢は文句を言う。
「私は分かるのか分からないのかと聞いたのよ」
「じゃあ分からない」
「そう。使えない巫女ね」
「専門じゃないもの」
 はいかいいえ、にいいえで応えた霊夢は、拍子抜けする程幽香があっさり引き下がったのを平然と受け止めた。妖怪付き合いが長いからこそだろう。
 もうここに用は無い、とばかりに踵を返し、ふわりと浮かぶ幽香を霊夢は「二度と来るな」という目で見送った。
 もちろんそれは他の妖怪、例えは紫やレミリアにも向けられて来たものであり、すると必然的に効果は全く無い。強いて挙げるとすれば、霊夢の気が多少紛れるという程度のものだろう。
 ともあれ、突然の颶風は訪れた時と同じように去って行ったのだ。
 取り戻す事の出来た普段通りの時間にやれやれと息を吐き、霊夢は何事も無かったかのように掃除を再開したのだった。

          ・

 博麗神社を後にした幽香は考える。巫女は使えないが、役立たずと言う訳では無かった。
 何しろあの巫女の口から人里と山という場所が出たのである。これが他の者の言葉なら聞き流す所だが、あの巫女が言ったとなれば意味が出てくるだろう。
 過去に何かある度にふらふら出て行っては結果的に解決してきた巫女である。無意識だろうと勘だろうと言い逃れに過ぎない言葉であろうと、無意味である筈が無い。違っていたら買い被っていたというだけの事だし。
 という訳で、あらぬ方向へ視線をやった後、幽香はまず人里へ向う事にした。
 山よりは里の方が神社から近いからだ。

          ・

 人だの妖精だの妖怪だの。
 往来を闊歩する者達の何と目に飽きない事だろうか。
 人里において人は襲われないので悠々としたものであり、人ならざる者も人を襲えないので基本的に長閑なものである。それに誰も彼も自分以外に一定の敬意を持ち、誰も彼も弁えて行動しているのだから、平和なのは約束されているようなものだろう。
 不心得者は即刻叩き出されるし。
 自邸の縁側に座布団を敷いて座り、背の低い生垣越しに往来へのんびりと視線を向けて、稗田阿求はゆったりと茶を啜る。
 見飽きぬ風景、美味しい紅茶、穏やかな陽光。
 この世に必要な要素が全く揃っているかのように思われた。
 やはり、日々というものはこうして流れて行ってこそだろう。異変や怪異は耳目を集めるが、そういう変化は一過性であり、日常にはなり得ない。
 繰り返される日、束ねられる週、重なって行く月、折々の四季、そして矢の如き年。
 これらの節を彩る事はあっても、そのものにはなり得ないのだ。
 そんな風にぼんやり詮無い事を考えて、お気に入りの湯飲みから紅茶を一口。
 足る事を知れるとは何と素晴らしいんだろう。
 感動を噛み締めるように瞼を伏せ、息を吐きつつ首をゆるゆる振った阿求である。
 そして瞼を開き、再び日常を目にしようとしたのだが。
「こんにちは」
「あ、はい―――」
 阿求の視界、庭と生垣を挟んだ往来にて、明らかにこちらを見て明らかにこちらに挨拶をする妖怪が一人。
 その見覚えのある風貌からして、阿求自身が縁起に記した風見幽香に他ならなかった。
「ちょっと良いかしら」
 唐突な非日常に目を丸くしていた阿求に幽香は微笑みかける。
「えあ、っと、どうぞ。玄関はあちらですから」
 どもってしまった事を少し恥ずかしく思いつつ、自邸へ入る場所を手で示す。妖怪の方からわざわざ声をかけて来たのだ、対応に礼を失する事があってはならない。
「ええ、上がらせてもらうわ」
 そう応え、幽香は阿求の視界から歩み去る。
 その歩みは至って普通。強いて言えば自己への自信から足取りが非常に安定しているという事だろうか。
 だが阿求は何故か幽香を目で追ってしまっていた。いかに縁起の内容に妖怪からの口添えや要求があったとはいえ、危険度極高だの友好度最悪だのと縁起に書いたのは阿求自身の手である。無意識の内に引け目とか警戒とかがあったのかもしれなかった。
 ともあれ来客(しかも確定的に目上)であるのは間違いないので、いつまでも縁側で紅茶を啜って良い道理は無い。そう思って阿求が座布団から立ち上がったのと、玄関の方から悲鳴めいた使用人の声があがるのはほぼ同時。
「ああしまった」
 軽く自分を小突きつつ、阿求は小走りで悲鳴の元へ向って行った。
 いくら里が多種族共存の地だからと言っても、風見幽香のような力のある妖怪から不用意にこんにちはされては腰を抜かすくらいしてしまうかもしれない。何せそれなりに慣れている筈の阿求自身も、ちょっと驚いてしまっていたのだから。
「お待たせしました」
「あら、急がなくても良かったのに」
 僅かに息を弾ませて阿求が玄関に来た時、幽香は上がり口にゆったりと腰をおろしていた。
 その傍、懸命にもてなしの体裁を取り繕うとしているのだが明らかに腰が抜けてしまっているお手伝いさんが一人。お手伝いさんは当然他にも居るのだが、突然の幽香の来訪に玄関を遠巻きに窺うばかりである。
「そういう訳にも……」
 視線でお手伝いさんに下がるよう促す。助かったような顔で頷くと這うように離れていく彼女を、少し恥ずかしく思ってしまう。
 以前に八雲紫が訪れた時も似たようなものだったが、妖怪に対し畏怖するというのは、彼女等を喜ばせる結果に繋がるので一概に悪いとは言えない。言えないが、それでも客の前で家人が無様を晒すというのは恥ずかしいものだ。
「ではどうぞ、客間の方へ―――」
「ここで良いわ。長居をするつもりはないし」
「そうですか?」
 少し不思議に思いつつ、阿求は幽香の傍へ寄ると腰を下ろす。
「では、どのような用向きで」
「傘を失くしたのよ」
「はぁ」
「で、それがどこにあるか知っているかと思って」
「はぁ?」
 微笑んでそんな事を言う幽香が訳分からない阿求だった。
 なので機嫌を損ねない程度に聞いてみる。
「傘を失くしたそうですが、その心当たりを何故私に聞くのですか?」
「博麗の巫女が里か山で聞けば分かると言ってね」
「あぁ……」
 あの巫女め。何を考えてそんな事を。
「でもそういう用件でしたら、私の所では無く―――」
「留守だったの」
 もっと相応しい者が居る、と阿求が続けようとした所で幽香は先回りする。
 成る程、里の事情に最も明るいであろうあの先生は留守だったのか。
 そういう事なら仕方ないのかもしれない。稗田の家は諸々の情報の集積地でもあるから、何かあった時に頼るのはお門違いでは無いのだ。過去の智慧は現代でも十分な恩恵を与えてくれる事が多いのだから。
「それで?」
 ただし、傘を失くした等と言う極めて個人的な事柄は流石に困る。
 どう返答したものかと考える阿求に、幽香はただ微笑みを向けていた。本当にそれだけなのだが、とんでもないプレッシャーだ。
「ええと……失せ物の相談を、私の所へ持ってこられましても……」
「つまり知らない訳ね」
「……はい。お力になれなくて申し訳ありません」
 そう言って頭を下げる阿求を少しだけ不可解げに見つめ、すぐに幽香は腰を上げる。
「邪魔したわね」
 一言置いて、来た時と同様の足取りで稗田邸から去って行った。
 チェック柄の背を見つめ、阿求は数度瞬く。
「…………珍しい事もあるものです」
 初めての経験に、しばし彼女は呆然とし、それから縁側に残してきた紅茶の事を思い出したのだった。

          ・

 里を後にした道すがら、里での空振りに幽香は考える。
 里の中で幻想郷の諸事情に最も明るそうな獣人は不在で、次に明るそうな小娘は何も知らなかった。早速徒労だった訳だが、さてそれではこのまま山へ向って良いものかどうか。
 いっそスキマ妖怪の所へ行ってあいつの傘を奪った方が早いとすら思えてくる。
 それはそれで手っ取り早いし確実だが、色々本当に面倒だし何より自分でこうと決めた上での行動を覆す事になってしまう。やはり山へ行っておくべきだ。
 そして幽香は宙へ舞った。
「…………」
 が、すぐに地に戻った。
 そうしてやおら明後日の方向へ顔を向けると、空しか見えないそこに声をかける。
「飽きない?」
 独り言とは思えない一言。
 勿論返事は無く、太陽は輝いていて平和な日和である。
「…………」
 だがさも面倒そうに幽香が左足から一歩を踏み出すなり、
「わわ、ちょっと待って下さい」
 何も無い空間がばさりと翻り、射命丸文が現れた。どうやら腕に何かをかけたのは間違いないようだが、その何かについてはまるで見えない。
「久しぶりね」
「お久し振りです」
 鴉天狗の有様に何も言わず、自然に微笑む幽香にへつらうような笑みを文は返す。天狗なりの処世術なのだろう。
「また隠れて観察? 今日は変わった玩具を持っているようだけど」
「ええまぁ。あ、これは河童から光学迷彩スーツを借りて来たんですよ。取材に便利かなぁと思って。……どうやらあまり意味が無かったようですが」
「バレバレだったわね」
 何かを広げているようだったが、一見した所ではそもそも透明なので良く分からない。一応、文の言うとおりそこには光学迷彩スーツがある筈なのだが。
 それでも幽香は平然と微笑みを湛えていた。見える見えないなんていうのはほんの些細に過ぎないのだろう。
「うう、でもこれが貴女以外だったら大抵上手くいくだろうと思うんです。ほら、潜入取材とかに実に打ってつけじゃないですか」
「それで、何で私を観察していたのかしら。いつぞやのように花が山盛りになっている訳では無いでしょう」
 文の言葉を幽香は無視した。自分がしたい話しかするつもりは無いらしい。
「えーっと。例えば、普段傘を持っている人が持っていなかったら、気になるでしょう? 少なくとも私は気にします」
「そう、つまりあなたが犯人ね」
「……は?」
 甚だしい論理の飛躍に、思わず文の目が丸くなる。気になっただけで犯人だなんて聞いた事も無い暴論だ。
「放火犯は現場へ戻ると言う。なら、傘盗人が傘盗まれ人の所へ戻っても何ら不思議は無い」
「ありますよ!?」
「あらそう?」
 文の必死の訴えに、幽香は実に意外そうに首を傾げた。両者の認識の違いと言うか、幽香という妖怪の非常識さというか。力がある者は基本的に他者を慮るとかそういう気遣いとは無縁がちであり、幽香はその最たる存在と言って過言では無い。
 だからと言ってそれを素直に受け入れる訳にはいかないが。
「大体私があなたの傘を盗んでどんな得をするんですか」
「私の傘を代償にそのスーツを借りた、とか」
 これに文は勢い良く首を横に振る。
「河童から物借りるのに一々そんな危険な真似しませんったら。よしんばそうだとしても、のうのうとあなたの前に姿を現す理由がありません」
「あらそうかしら」
「そうですよ」
「河童は私の傘について何か知っていたかしら」
「は?」
 先程までの話の流れがいきなり変わった事に、文は間の抜けた声を出してしまう。だがそれも仕方ないだろう、相手が相手だ。普段通りのように行かなくて当たり前である。
「聞いていたんでしょう?」
 文の疑問に対し幽香はそれだけを言った。
 その一言で、どうやら文は了解したようである。
「えーと、いつからバレてたんですか?」
「神社を出た辺りから」
「……あれはやっぱり見られていましたか」
「それで?」
 文にいつから見られていたのか、という所に幽香は興味が無いようだった。そこの所を突かれると、文としてはぐっすり寝ていた幽香を激写していた手前中々気まずかったりするが。
「河童は知らないと思いますよ。山は基本的に無害ですし、特に力のある妖怪に対しては。というか山社会でほぼ完結してますから、よそにちょっかい出すとかアホのやる事です」
「そのアホがいたんじゃないの?」
「いえいえいえ。えー……幽香さんが傘を失くしたのに気付いた辺り、その近くに河でもあれば話は別になりうるかもしれませんが」
 言葉を選び、太陽の畑で幽香が寝ていた事をさも知らないかのように言う文である。
「無いわね」
 幽香の方も文の言い様に対して気を付けていないせいか、多少回りくどい言い方にさほど疑問は抱かなかったようだ。
「なら河童の関与はありえませんね。河童も水から上がる事はありますが、そういう場合は山童になりますから、結局河か山にしかいませんし」
「となると……」
 幽香は考えるように顎を撫でる。
 里でも無く、山の河童でも無い。博麗の巫女の言葉を信じる事が愚かだったのだろうか。とはいえ山は山、目の前の天狗も山の者。
「じゃあ犯人は天狗?」
「違います」
「という事は、あの巫女は役立たずだった訳ね」
 舌打ちせんばかりに幽香は神社の方角に忌々しげな視線を送る。勝手極まりないが、何せそういうものだから仕方ない。
「一応妖怪絡みだと言うのに、博麗の巫女がてんで役に立たないって言うのは珍しい。これはこれで記事になります」
 対し、さらさらとメモ帳に文字を走らせる文だった。
「まぁ一応、里にも山にも無いだろうというのは分かったけど。となると後は……」
「傘仲間のスキマ妖怪に聞いてみてはどうでしょうか」
 そう言った文は「ひゃあ」と数歩分飛び退いた。
 傘仲間というフレーズが気に入らなかったのか、それともスキマ妖怪が気に入らないのか。何にせよ一瞬凄い目で睨まれたのである。
「聞こうにも、どこにでも出てくるせいでどこにいるか分からないじゃないの、アレ」
 だが静かに言った幽香の表情は、静かな微笑みに戻っていた。先程の一瞬がまるで嘘だったかのようである。
「それはそうですが……ではスキマ妖怪の悪口でも言ってみたらどうです? 割とすぐ出て来るかも知れませんよ」
「年寄りに苦労させるものでは無いわ」
「その通りね」
 幽香の一言に応えたのは八雲紫だった。まだまだ充分明るいと言うのに所々に夜闇を纏い、だと言うのに当然のように傘を差して、幽香の隣にスキマを開いて現れたのである。
 その突然で唐突でまさか来るとは思わせない不意打ち振りから、文はまた目を丸くしていた。幽香の方は実にうさんくさげに視線を横へ向けるのみだったが。
「……待ってたんですか?」
「まさか」
「で、わざわざ来たという事は何か言う事があるのかしら」
 文の問いに肩を竦めた紫に、幽香は静かに言う。
「無いのに顔を見せる程私も暇では無い。単に私は預かり知らないという事を伝えに来ただけの事よ」
「そう。…………面白く無いわね」
「あなたみたいなのに余計な口実は与えたく無いものねぇ。何しろ面倒だから」
 幽香のさりげない小声に対し、くすくすと紫は言う。実際、霊夢の言った事が無意味であったから、この調子なら紫を付け狙ったとしても不思議では無かったのだ。
「……で、知ってるんでしょう」
「あら、何が?」
「しらばっくれないで欲しいわ。傘の行方、分からない訳が無いでしょうに」
 視線をやや強め、幽香は先を促す。
 それに紫はやれやれと言わんばかりに肩を竦めた。
「そうね……では知っていた、としましょう。その場合、私があなたに教える意義というのは何かしら。感謝や貸しなんて私には無用のものだし」
「それなら普通に教えちゃっても良いんじゃないでしょうか」
「それは楽しくないじゃない」
 文の言葉に紫は実にあっさりと言い切ったのであった。
 そしてその点について幽香も同意見なのか、特に文句は出なかったのである。
「そっちは関与していない、ただそれだけな訳ね」
「そう言ったわ」
「あっ、そう」
 紫の笑顔に微笑みで応えた幽香は、もう用は無いとばかりにくるりと踵を返し、飛び去ってしまう。
「あ、待ってくだ」
 その背を追おうとした文だが、胸元でスキマが開くなりそこから現れた掌に押し止められる。
「止めておいた方がいいわ」
「へっ?」
 振り向けば、隙間に片手を突っ込んだ状態の紫が面白そうに幽香の背を目で追っていた。
「いずれ傘は持ち主に戻るけど、その顛末を記事になんか、ましてやあなたに知られたりだなんてしたら殺されるわよ?」
「でしたら遠慮いたしましょう。特ダネの為に命を捨てるほど天狗は馬鹿ではありませんし」
 そう文としては実に真っ当な事を言ったつもりだったのだが、どうも紫にとってはそうでなかったらしく。
「…………」
「……何でそこで意外そうな顔になるんですか」
 実にその通りの感情が思い切り表情に出ていた。
「あら、そんな顔をしていたかしら」
「でも顛末の概要をご存知なら教えて欲しいなーなんて」
 今度は先程と違って実に予想通りというか、先程一応真っ当な事を云ったばかりなせいで余計に、と言うか。
「…………」
「……なんですかその呆れた顔は!?」
 そんな感じの感情が紫の顔に思い切り出ていた。

          ・

 紫と文からさっさと別れた幽香は、一路博麗神社へと向かっていた。
 里からさほど離れた場所では無い所からなので、さして時間がかかる訳でもない。
 鳥居を潜らず、飛び越えて境内に降り立った幽香はざっと辺りを見回す。
 既に掃除は終わったのだろう。
 となれば、今頃は縁側か何処かで安穏と茶でも啜っているに違いない。
 どこか冷めた視線でその思考に至った幽香は、すぅ、と左掌を優雅に神社へ向け。
 巻き起こったのは大光軸と轟音と炸裂と。
 凝縮し放たれた妖力は神社本殿の上半分を吹き飛ばし、瓦を撥ね落とし、見晴らしを随分と良くしたのだった。
「……ふふ」
 少しだけ、いきなり神社を半分吹っ飛ばした幽香の口元に微笑みではない笑みが浮かぶ。
 それは胸がすく、や爽快、と言った類の笑みであり。
 何の事は無い。
 わざわざ落とし前をつけに来たのだ。
 それも言い掛かりに等しい当人の都合によって。
 そして当然、神社に踏み行った挙句この蛮行。
「ちょっと! 何て事してくれるのよ!」
 怒り心頭に発する博麗の巫女が現れない訳が無い。
「あら、そこに居たのね、役立たずの巫女」
「言いたい事はそれだけ?」
 いつの間にか、としか言いようの無い唐突振りで正面に現れた霊夢に幽香は冷笑を向け、霊夢はそれを憤怒の相を見え隠れさせながら受け止めていた。
「私はあなたのヒントを元に行動して、綺麗に空振りだったの。だから、無駄足を踏ませてくれたお礼をしてあげたのよ」
「そんなお礼は是非辞退したかったわ。と言うよりも、ちゃんと自分で探しなさいよ傘くらい。いきなり他人任せにした挙句この始末だなんて冗談じゃないわ!」
「あなたが役立たずなのがいけないのよ?」
「自分の怠慢を他人のせいにする方がどうかしてるわよ!」
 平行線である。
 とはいえ、幽香自身がそれで良いと思っていても、おそらく幻想郷の大半がそれは駄目だと言うだろう。同意するのはせいぜい幽香と似たような位の存在程度に違いない。
「で? 自分の役立たずのせいで神社を壊された巫女は、どうしたいのかしら」
「あんたには私が被った損失を補填する義務があるわ」
 諸々の仕事道具をしっかりと手に持って、今すぐにでも始められる体勢を霊夢は整えていた。
「ふぅん」
 対し、幽香は傲然と相手の言葉に相槌を打っただけ。
 構えらしい構えも無く、ただ片手をちょっと腰に添えるくらいの普通の立ち姿だ。
「それから、人に害を成した妖怪は私に退治されるって決まってるのよ!」
「巫女の分際で、己の奉じる社を破壊された状態で満足な力が出せると思ってるの?」
 小首を傾げた幽香の一言が始まりの合図と双方了解していたかのように、博麗の巫女と花の妖怪は同時に動く。
 霊夢が札や針を投じれば、幽香はそれに花を咲かせ纏わせ地に落とし、幽香が先程の大光軸を放てば霊夢が二重結界でそれを防いでみせる。
 神社の破壊によって怒髪天を衝かんばかりの霊夢だが、そこはやはり博麗の巫女。妖怪を退治するとなれば幻想郷に並ぶ者は無く、妖怪としてはほぼ最強である幽香を相手に一歩も引かず、丁々発止の戦いぶりを見せていた。
 対し幽香は、怒れる巫女を涼やかに見つめ、霊夢が神社をこれ以上破壊されたくないのを分かっている為、防御せざるを得ない大規模な範囲攻撃を繰り返しては不意に接近し、とんでもない力を込めた拳で殴りかかったりしていた。
 当然霊夢としては幽香の拳なんか当たる訳にはいかない。何せかすっただけでも大怪我なのだ。本来なら幽香にとって不利である霊夢の領域、神社の境内での勝負であるにも関わらず、どちらが優勢かと言えば幽香が優勢だった。
 やはり神社を破壊されてしまっていたのが問題なのだろう。天災によってならまだしも、妖怪の仕業、しかもその妖怪がこの場に在っては、場の占領という状況に近い。
「ていうかそもそも! なんで傘失くしてるのよ!」
 接近してきた幽香に対応する形で陰陽鬼神玉を打ち込み、霊夢は言う。そうだ、そもそもそれさえ無ければ色々とこんな事にはならなかったのだ。元を辿れば明らかに幽香が全部悪いのになんで神社破壊されたりとかしなければならないのか。
「失くなったんだもの、仕方ないわ」
 真っ青な宝玉の力を真っ向から両手で受け止めながら、幽香は応える。そう、そもそもあれさえ無ければ色々と面倒な事にはならなかったのだ。元を辿れば傘を失くした程度の事でどうしてここまで面倒な状況になってしまっているのだろう。
「なら、失くす直前までにどこで何やってたかくらい思い出したらどうなのよ」
 もう一言加え、霊夢は鬼神玉をぐっと押しやる。受け止めるとか非常識な事をされた所で、捉えた事実に変化はなく、すべき事もそう変わらない。
「ああ、それは良いアイディアだわ」
「は?」
 だが鬼神玉の向こうからそんな呑気な一言が返って来た事でつい集中力が散ってしまう。
「げ」
 気付いた頃には、押し返された鬼神玉が迫ってきている所だった。
 慌てて改めて押し出そうとするが、既に幽香の姿が視界の右端にあり。
「?幻想郷の開花?」
 霊夢が何かをしようとする前に、幽香によって霊夢は四季の様々な花に包まれ身動きが取れなくなってしまっていた。
「成る程成る程、失くす前の事を思い出す、ね。やってみる事にしましょう」
 花まみれになって境内に転がる霊夢に微笑みかけると、幽香は悠々と飛び立っていく。
 そんな幽香を改めて「二度と来るな」という目で見つめ、霊夢はそれがどれだけ虚しい行為であるかについては無視する事にした。神社の修繕をどうするかという非常に頭の痛い事態は無視できないからだ。

          ・

 神社を後にした幽香が何処へ向っているかと言えば、本日のスタート地点である太陽の畑である。霊夢の言った、失くす直前までの状況と言うのを思い出すという他にも、文に言った犯人は現場に戻る、という言葉を改めて思い出したからだ。
 風を切り、空を往きながら幽香は考える。
 まず太陽の畑、あそこの向日葵の寝床で寝付く前、私はさて何をしていたのか。
 いつ頃まで傘を持っていた記憶があるのか。
 寝る前、そういえば傘を持っていなかった気がする。代わりに片手に籠、片手に肥料を持ってはいたけれど。
 籠と、肥料? 籠の中身は向日葵の種で、肥料は勿論向日葵達の御馳走で。向日葵畑と言えども在来の向日葵だけでは美しさは画一的な物になってしまう為、時々里の花屋に種を買いに行くのだ。肥料はそのついでといったところだろう。
 そして里へ買い物に行く際、そういえば傘は持っていた。
 更に里から帰る際、持っていたのは荷物で傘は無かった。
 以上の時点で、花屋にあるのは明白である。そういえば両手が荷物でうまるから、預かってもらうよう言ったようなそうでないような気がしないでもない。
「……里で合っていたという事?」
 思いもよらず即座に傘を失くしたタイミングが発覚し、しかもそれが博麗の巫女が最初に指摘した場所であるという事に、珍しく幽香は眉を顰める。
 悪い気は全くしないが、自分の手落ちが原因とあっては個人的に沽券にかかわるからだ。全く、里の事を知悉していないだなんて稗田はとんだ役立たずである。巫女を見習うべきだろう。
 ともかく里へ向かおう。あの花屋なら見知った顔、行けばすぐに手に入るだろうし。
 そう幽香は思ったが、その時には太陽の畑に差し掛かっていた所だった。
 眼下に広がりつつある向日葵達につい相好を崩すと、場所がはっきりしたのであればそれでいいか、と幽香は降りていく。
 太陽の匂いに包まれて、向日葵達はその大輪の花を伸び伸びと咲かせている。
 その一つ一つに視線を送りつつ、幽香は畑を進む。まぁ、改めて寝てしまうのも悪くは無い。失せ物の在り処はほぼはっきりしたのだ、そう焦る事もないだろう。
 鼻歌すら混じりそうな顔になりながら、幽香は少し前まで良く寝ていた寝床へと足を運ぶ。
「……あら」
 そして寝床へ辿りついた幽香が見たのは、意外な珍客である。
 珍客とはいえ、見知った相手であるのは間違いない。ただ、何でこんな所に居るのか、という辺りが珍客の珍客たる所以だろう。
 何せ花屋の娘である。
 幽香が寝ていた寝床に大胆にも大の字で幸せそうに熟睡しているのだ。
 はっきり言って、何でここに、としか幽香には言い様がなかった。
 だが次の瞬間には、この事態に対する解答がしっかり明示されている事に気付く。
「傘。……ふぅん」
 花屋の娘の隣には、他ならぬ幽香の傘が置いてあった。
 そこから察するに、花屋で買い物をし、両手が一杯なので傘を一時的に置いて行った幽香が戻って来ない為、花屋もしくは娘自身が気を利かせたのだろう。
 そして、花屋の娘は幽香が居ない事に気付いたのか、それとも単にこの寝床の魔力にあらがえなかったのか、ふてぶてしくも寝て待とうと考えたのか。ともあれ向日葵の寝床でぐっすり。
 幽香としては娘に何か言ってやりたかったが、すぐ取りに戻ると言うも、戻らずに眠っていたのはそもそも自分の方である。自分が堪えられなかった眠りの誘惑に、人間の子供が抗えよう筈も無い。
 これはもう仕方ないか、と眠る娘の傍に屈み、その柔らかな頬をぷにぷにやって軽く苛めながら幽香は微笑む。だって、こんなに向日葵が奇麗だから。多少の事には目を瞑っても良いし、瑣末な事なんかどうでも良くなったのだ。
 そして、欠伸を一つした幽香は、娘を隅の方にやると自分もいそいそと寝床に横になった。
 太陽はまだ高い。だから、まだ眠っていたって良いじゃない。

          ・

 後日。
 大体神社を三回くらい再建できそうな量の財産を手土産に、幽香は神社を訪れていた。
「……え? どういう事」
 これに目を丸くしたのは霊夢である。どうにかして再建する為の費用を賄おうと頭痛を患っていた所にこれなのだ。
「なんとなく」
 対し、当然のように傘を差している幽香はさも何でも無いかのように言いきった。
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1.無評価Luckie削除
Holy cosince data batman. Lol!