穂積名堂 Web Novel -既刊公開用-

traum OVER!

2012/08/17 18:22:05
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traum OVER!

瀬尾系
 第501統合戦闘航空団の基地には風呂がある。
 中でも野外の岩場に設えられたウィッチ専用浴場は、地上から空へと、雲を注ぐように湯気を湧かせていた。
 501の所属ウィッチ全員を収めて余りある浴槽一面からは、白く靄が昇る。
 壁はなく、天井と柱に囲まれた石造りの空間。その一角に、縁石にうつ伏せるようにして、丸めた上半身を湯船から浮かび上がらせる、シャーロット・E・イェーガーの姿があった。
「……ん、ん、ん、んんんっん〜」
 うろ覚えの母国の歌を喉の奥で転がす。
 枕にした腕から窺うように覗かせた瞳には、高くに澄んだ青、低くに深い青、そしてそれらを横一線に切り分けた、対岸の薄い影とが見渡せた。
 ロマーニャの初夏の最高気温は、七月ともなれば三十度を越える。
 日差しも強く乾燥しているため、北欧から来たウィッチたちは辛そうにしているが、近い気温でも遥かに多湿だという扶桑からのウィッチや、この間までアフリカからこの辺りまでを転々としていた自分、そもそもこの国出身の妹分のようなウィッチにすれば至極過ごしやすい部類に入ると思った。
 ふと、皮膚の表面に違和感を覚える。肩口に目を向けると、産毛がチリチリと踊っていた。
 ……うあ、肌がパリパリしてるよ。
 今は空も太陽も高い時刻だ。天井は直上から降り注ぐ日光を防いでくれているが、海からの照り返しに対してはそうもいかない。無論、潮風もある。気分として平気だろうと、決して肌や髪に優しい環境ではない。
 シャーロット、愛称で言うところのシャーリーは体を回して湯船に再び頭まで潜り込むと、浮かび上がるなり縁に頭を乗せ、ふう、と息を吐いた。
 黒々とした影をまとった天井は高く、視界の隅には、塗りたくられたペンキのようにムラのない、濃い青空が見て取れた。
 変わらず飛んでくる照り返しに、頬の熱と水気がたちまち飛んでいくのがわかる。
「いやあ、平和だねえ」
 今日はいつ頃までこうしていようか、とおもむろに思案を始めたとき、
「――だからさー、早く申請出しちゃいなよ」
「くどい。あと、いきなり飛び込むなよ。この湯とてタダじゃないんだ――おいやめろ」
 そんな声と、何かが湯船に飛び込む音が聞こえた。

          ●

「……あん?」
 完全に心身を弛緩させていたこと半分、単純に面倒くささ半分で、シャーリーはごろんと顔だけを横、浴場の入り口に向けた。今日は風が弱く、湯気は変わらず辺りを濃く覆っているが、浸かりながら近づいてくるらしい声は、水音と共に変わらず響いてきた。
「こないだの作戦がけっこー大規模だったじゃん? 昨日の今日だし、ミーナも上手くやってくれるって」
 幼さはないが至極軽く明るい声。それとウチの中佐の呼び方から、シャーリーは今の胡乱な頭でも声の持ち主の察しがついた。合わせて、もう一人についてもだ。
「この間? マルセイユが来たのはもう先週の話だぞ。それに次の作戦も近いと、他ならぬミーナから聞いている。そんな時期にのんびりとブリタニアまで行っていられるものか」
「それじゃあさ、船じゃなくて飛行機にしなよ。ガリアの上をビューンって飛び越えてさ」
 食い下がるなぁ、とシャーリーは思った。
 それだけ入れ込むような意味を含む会話なのだろうと察しを付け、傾注の度合いを強める。
「それこそ馬鹿を言うな。ガリアとロマーニャの国境線付近には未だネウロイの出現報告が出ている。506も、そのために作られたんだ。武装しなければ非常時には対応できない。そして今回は私用だ。よって、不可能だ」
 透徹とした声に、理路整然とした言葉だった。ただ、それはシャーリーの記憶が正しければ、本来のものよりも補足に無駄が多い。目の前の相手を言い含めるというよりも、自分に言い聞かせるためのそれだ。
 ……ていうか、あいつら私に気づいてないのか?
 この浴場に入るに当たって通り抜ける更衣室は一つであり、当然自分の衣服も置いてある。にもかかわらず、会話は一向に自分を探す方向には向いてこない。もし見落としているのだとしたら、よほど意識が他所に向いているのだろうか。
「んじゃさ」
 幾度かの改めを置いて、軽い声が再度アタックをかける。
「足があればいいわけだよね。武器はトゥルーデが持っていけばいいじゃん」
「あくまで私用だと言っただろう。よしんば武装を携行する許可が出たにしても、私の都合に付き合わされる相手のことを考えれば、とてもそんなことは……」
 あ、及び腰になってきた。
「遠慮してていいのかなぁ。クリスに会えるチャンス、ここにいる内はもうないかもよ?」
「……しかしだな……」
「探してみればいいじゃん。案外、近くにいるかもよ?」
 最後の声は、殊更によく響いた気がした。あたかも、こちらに向けたかのようにである。
 ……なるほど。
 気がつけば、頭はすっかり醒めていた。
 シャーリーは音を立てないよう、浴槽の端にあった身を中央へと漂わせていく。行き先からは不審げな声がする。半目になっているだろうことは想像に難くない。
「……ほう。私にそんな奇特な知人がいたとは驚きだな。どこにいるんだ? ハルトマン」
「えっとね――」
 そのうちに、湯霧の中から焦茶色の後頭部と湯に浸かった上半身が覗く。その向こうにこちらを指すハルトマンがいて、
「そこ?」
「よう」
 シャーリーは、自然な調子で声をかける。
「ご機嫌だなぁ。バルクホルン」
 反応は劇的だった。

「……そこで何をやっているんだ、シャーリー……」
 振り向く動作は異様なほど緩慢だった。本当に不意を討たれたなら、反射的に状況確認を脳が求めるため動きも早い。つまり、大体分かっているのだろうとシャーリーは推察し、
「何って、風呂だけど」
 答える。ようやく、ひどい渋面がこちらを向いたのが見えた。
 渋面は更に口元をひきつらせつつ、器用に問いを重ねてくる。
「……哨戒はどうした?」
「朝のシフトだよ。ルッキーニと」
「……ルッキーニ少尉は?」
「さあ。戻ってきてからすぐ見失ったよ」
「……そうか」
 散々回り道をした後、ようやく、最初に思いついたろう言葉が出てきた。
「……何時からここにいた?」
 シャーリーは素直に答えた。
「三十分くらい前かな。まぁ、全部聞いてた」
 そのうちに風向きが変わり、辺りの湯気が潮が引くようにして消えていく。後に残るのは、自然体ながらモデルさながらな立ち姿のシャーリーと、
「ね。いたでしょ」
 笑顔を浮かべ、肩から尻までのラインを湯船に浮かべた姿勢のエーリカ・ハルトマンと、
「……まぁ、そうだな」
 湯船から立ち上がり、シャーリーより僅かに落ちる高さから正対する渋面。ゲルトルート・バルクホルンだ。
「……聞いていたのなら、話は早い。――あのだな、その……」
 ……遅いぞ、話。
 シャーリーは半目になりかかった表情を抑える。
 バルクホルンが言いたいことは分かる。
 先の話やハルトマンの口ぶりからして、自分がまさしく、求められている人材なのだろう。ここで自分が首を縦に振れば、たちまち目の前の妹恋しの大尉殿は目を輝かせるに違いない。加えて、ブリタニア行きの旅路に自分も付き合うことになる。
 どうするかなぁ。
 善意の自分が乗せてやれと告げ、怠惰な自分がほっとけと吐く。
 さしあたり、付いていかない理由を探す。
 ありはしない。
 それを薦める自分が怠惰の表れなのだから、当然といえば当然だった。
 次に、付いていく理由を探す。
 あった。
 真昼の雷鳴のように埃を被っていた意識が閃き、次いで入道雲のごとく感情が湧いた。
 ……サンキュー、ハルトマン!
 そういう感情だ。
 未だまごついているバルクホルンに改めて焦点を合わせると、シャーリーは恐らくこの場において最適だと思う言葉を探し、発する。
「なあバルクホルン。頼みがあるんだが、私とブリタニアに行ってくれないか?」
「なにっ?」
 バルクホルンの顔は、今度こそ不意を討たれたものになった。
 シャーリーは、その隙にハルトマンに視線を送る。
 シャーリーの言葉を理解しかねたのか、ハルトマンは最初きょとんとしていた。しかし、やがて一段と明朗な笑みに変わると、くるりと背中を見せ、
「んじゃ、あとは二人でよろしく〜」
 明後日の方に向けて、湯船の中を泳ぎ始めた。それを見解の一致と判断したシャーリーは、告げる二の句を考えながら視線を戻す。
「いやさぁ、ちょうどブリタニアに行きたい用事あったんだよ。そしたらお前、さっき聞いてたけどブリタニア行きたいみたいじゃん?」
「ああ、それは……いやしかし――」
 バルクホルンは通じの悪い反応を見せる。
 ……素直じゃないなぁ。
 その心理は分かりやすく、また対処しやすい。
 なら、これはどうか。
「いやぁ、助かったよ。私一人じゃ、申請出すのも気が重くってさ。バルクホルンもって言うなら、押し切れそうじゃん?」
「……私を利用するというのか?」
 バルクホルンの視線に、確かに険が宿る。シャーリーは、そ知らぬ顔で続ける。そんな遣り取りを他所に、ハルトマンは浴場の端に向かって所謂犬掻きを続けている。
「いいじゃんいいじゃん。こういうときは持ちつ持たれつだよ。なあ?」
「私の用とお前の趣味を一緒にするな!」
 含み笑いで擦り寄るシャーリーに、バルクホルンは水を蹴立てて反駁する。
「お前の妹好きも趣味の域だよ。なぁ、趣味人同士仲良くしよう」
「できるかぁー!」
 シャーリーはあくまでも無作法に歩み寄る。だからこそ、バルクホルンの返しからも次第に殊勝さともいうべき言葉の鈍りが消えていく。
「お前に一瞬でも期待した私が馬鹿だった!」
 今にも提案そのものを蹴り飛ばして背を向けんというタイミングで、それを追うように投げたシャーリーの言葉とにやけた顔が釘となる。
「お、なんだ。行かないのか?」
「……行かないとは言ってない!」
 バルクホルンの動きが鈍り、波立っていた二人の周囲が平静を取り戻し始める。
「そりゃよかった。けど言っておくが、私の飛行機にストライカーを載せる余裕はないぞ」
「どういう意味だ?」
 シャーリーの言葉には、事実確認以上の色味が含まれていた。上半身を折り、バルクホルンを下から覗き込む挑戦的な瞳も伴わせ、
「装備も大して載せられないからな。操縦する私の代わりに、お前はちゃんと機体を守れるのかって話さ」
「――ふん。侮るなよリベリアン。巣を失い、単機で漂っているようなネウロイ如き、ストライカーなど必要ない」
「そっかそっか。それじゃ、装備の申請頼めるか」
「元よりお前にやらせるつもりなどない」
 ……よっし、仕事がひとつ減った。
 シャーリーは内心でガッツポーズを決めた。
「――と、そうだ。書類には私も署名するからな。幾らかは押しが強くなるだろ」
「どうだかな。それと、後でお前の機体の積載量を確認させろよ。ろくでもないものを積み込んでいたら放り出すぞ」
「ひでぇ! あ、行きがけの飯はどうする?」
「食料品は私が工面してやる。我がカールスラント軍のレーションは絶品だぞ」
「どうだかなぁ。ついでに宮藤に何か作ってもらわないか?」
「……それもいいな」
 気がつけば、会話の質が変わっている。
 感情のみのやり取りから、情報のやり取りへと。表向きには感情を、内側に具体的な打ち合わせのための材料を、紙くずのように丸め込み、勢い任せで投げ合っていく。
「仲良いねぇ」
 乱雑にまとまっていく会話を背中に、ハルトマンは遅々として縁に向かっている。

          ●

 石造りの廊下が、長く続いている。
 昼の熱気を反転させたような冷涼さは、基地内の隅々まで染み渡っていた。
 その中を、足音と共に僅かな熱気が横切っていく。
「二人とも、お疲れ様ですー」
 ミーティングルームの天井に、朗らかな声と陶器の擦れ合う音が響いた。
「あ、リーネちゃん階段あるよ」
「うん。大丈夫だよ」
 四人分、ティーカップの乗ったトレイを持ったリーネより僅かに先行する宮藤が、パタパタと足音を立てて数段の段差を降りる。その姿を、最初の声に遅まきに反応した二人が迎えた。
「……ああ。宮藤たちか」
「差し入れ? 悪いね」
 バルクホルンとシャーリーは、二人ともゆったりした作りの椅子の両端に腰掛け、正面、ギリギリまで近づけた卓上の、はみ出すまでに広がった紙面と前のめりで向き合っている。その紙面を見て、宮藤は目を瞬かせた。
「……旅行の準備をしてるって聞きましたけど、何やってるんです?」
「コース決め」
 シャーリーは答えるなり盛大に顔をしかめ、宮藤に体ごと向き直った。
「なぁ宮藤、信じられるか?」
「はい?」
 宮藤は改めて視線を落とす。
 最初は図面か何かに思えた紙面は、ヨーロッパのみを拡大した地図のようだった。それを、指で弾くように示して、シャーリーは悲鳴じみた声を上げた。
「こいつ、話決めたその次の日にもう出るって言うんだぞ? おかしいだろ!」
「えぇっと……つまり明日……」
 宮藤が即答できなかったのは、シャーリーの剣幕以前の問題として、
「それって大変なんです?」
「……ああ、うん。そうなんだよ。まぁ」
「……えっと、手続きの受理とか、あと燃料の準備とかですよね?」
 トレイを手近な卓に置き、身軽になったリーネのフォローが幾らか遅れて入った。
 そうそう、と頷くシャーリーは既に先ほどの勢いを霧散させ、それ貰うね、とティーカップの一つをつまみに立ち上がる。その傍ら、先ほどから無言を貫くバルクホルンは、走り書きの紙片と地図とを交互に見比べ、また別の、より本格的な体裁の表に数字を書き込んでいく。
 走り書きについては解読を諦めた宮藤ではあったが、数字の意味はおおよそ理解できた。
「これ、時間割りですか?」
「ああ。経路ごとの所要時間を見ているところだ」
 見ろ。と視線で訴える。
 手にしたペンを逆手に持ち替え、バルクホルンは地図を指でなぞった。
「今やっているのは、ここ、ロマーニャからブリタニアのロンドンまで、最短かつ最も効率的に向かえる経路の模索。そして、その上での給油地点の決定だ」
「あのさぁ、もっと海沿い行かないか? そりゃまっすぐ行けば早いけど、いざってとき救援とか望めない場所ばかりだぞ?」
 というのは、横からカップをすすりながら覗き込むシャーリーの言。
 バルクホルンは思案の間すら置かず告げる。恐らく何度目かなのだろう主張はよどみなく、
「一番惜しいのは時間だ。申請した日程こそゆとりを持たせているが、その通りに漫然と過ごすつもりはない」
「これだよ。ま、心配するな。何とかなるさ」
 こちらを覗き込む二人に笑みを浮かべるシャーリー。それに目を向けることなく、バルクホルンが答える。それは気持ち笑みを含んだ声音に、さてはジョークの一つでもいうのかとシャーリーは思う。
「ああそうだ。大船に乗った気でいろ」
「乗せるのは私だけどな――」
 そう苦笑するシャーリーが、ふと前を見た。卓よりもずっと前方、グランドピアノ越しの入り口に、いつの間にか黒い立ち姿があった。
「あれ、サーニャちゃん?」
 最初に声を上げたのは宮藤だった。声をかけられたサーニャはこくり頷き、静かな足取りで部屋の中に歩み入ってくる。
「どうかした? これから哨戒だよね」
 普段通りのからりとした、しかし明確に穏やかな調子でシャーリーは問いかける。同じ年下相手でも、ルッキーニとは違う意味で、無意識に態度を切り替えてしまっているなと自覚する。
「はい。……あの、明日、二人がブリタニアまで飛んでいくって聞いたので」
 これを、とサーニャが取り出したのは、小さい文字で書かれた数字だった。
「ん。これ……何かの周波数?」
「はい。ナイトウィッチ同士が、無線通信に使っているものです」
「あ、そうか」
 夜間哨戒の経験があるためか、いち早く合点がいったように宮藤が言う。
「夜、寂しくなったら話し相手は欲しいもんね!」
「うん……ええっと」
「あの、危ないときは、これで救援をってことだよね?」
 ……リーネが正解。と見せかけて、宮藤に言われたから不安になったクチだな。
 ひとり納得は得たものの、シャーリーは内心で眉根を寄せた。
「……あのさ、サーニャ?」
「はい?」
 サーニャは、しばしばナイトウィッチの、引いては自身の特殊性が意識から抜け落ちているときがある。通常のウィッチはナイトウィッチの要である魔導針も持たないし、サーニャのみが持つ固有魔法である全方位広域探査などにおいては、言うべくもない。
 ……さて、どう言おうかな。
 シャーリーは言葉を綴る一方で適切な言葉を探す。そこに、
「……何をまごついている」
 顔を上げたバルクホルンが、声を挟んだ。続けてサーニャに視線を向け、
「悪いがサーニャ。私たちはどちらもナイトウィッチでもなければ、通信に秀でた固有魔法も持っていない。この周波数帯で通信を試みたところで、うまく交信できそうにない」
「あ……」
 サーニャの瞳が揺れるのを、シャーリーは見た。
 思わず腰が浮く。が、
「だが、頼りにはなる。気休めとは言うまい。……ありがとう」
「……っと」
 上げかけた腰が中空で止まった。
 見ればサーニャの表情に揺らぎはなく、バルクホルンも、穏やかな顔で彼女と相対していた。
 ……やるなぁ。
 素直にそう思った。自分なら、これだけの内容で信頼を得られるだろうか、とも。
 ……日頃の行いか?
 じゃあどうしようもないな、と決着したところに、遠くから届いてくる声がある。
「――おおい。サーニャ、まだかー?」
「……エイラだ」
 共に夜間哨戒に出るのだろう相手の声に、呼ばれた彼女の心は既にこの場を離れている。
 ふと、
「あ、サーニャ!」
 シャーリーは身を起こすと、立ち去るその背に声を投げかけた。上官の急な動作に、何事かと立ち止まるサーニャに、
「こっちでも通信機弄ってみるからさ。きっと役に立ててみせるよ!」
 彼女なりの、安心感と頼もしさを混ぜ合わせたと自負する顔で言う。
 しかし、それに対して頷きを返すのは、クスリ、というおかしみの笑みであった。
 シャーリーは、はてと首を傾げた。また声があったのか、今度は駆けていく姿をただ眺める。
 ……おっかしいな。言い方しくじったか?
 思案する横で、先のサーニャと同様の笑みが二つこぼれた。
 一歩離れてそれを眺めていた宮藤とリーネ、当のサーニャにすれば、バルクホルンの発言にシャーリーが煽られたのは明白だった。しかし、その事実に肝心の二人は気づかないでいる。それが更におかしみを呼ぶのだ。
 未だサーニャを送ったままの背に、再び切れ味を取り戻した声が刺さる。
「おい、何をぼうっとしてる。まだやることは残っているぞ」
 バルクホルンが、仕切り直しの表れとして、紙面の束を角を卓の上で叩いて揃える。
 そう、束なのだ。
 地図の下にも、同様のサイズの紙面が、まだ数枚ほど覗いている。
「確認しておくが、翌朝の起床予定時間は0430、出発予定時刻は0530だ。まあ、お前に寝ながら操縦できる才能があると言うのなら、そのままにしてていいぞ」
「わーかった。わかったよ、ったく」
 遠くで、ストライカーが離陸する音がした。

          ●

 真横から降り注ぐような光に染め上げられた、明け色の雲が見える。
 この時期のロマーニャの日の出時刻は、概ね早朝の五時半といっていい。実際には、月の始まりから終わりにかけてその線をゆっくりと越えていくため、今は既に太陽も覗いている。
 長靴型の半島をなぞる軌道の空、背中から光を浴びる複葉機の上で、声とも音ともつかないうめきが生まれた。
「ふあ……ああ、あああああ〜」
「こら。ちゃんと前を見ているのか」
「見てるよ。そっちから私の鼻は見えないだろ?」
「……まあいい。長旅になるが、よろしく頼む」
「あいよぉ……ふぁあ」
 グラマラス・シャーリー号が立てる絶え間ない微動とプロペラの音に抗して、お互いの声量は自然強くなる。それは会話といっても怒鳴り合いに近い。しかしその勢いを特段珍しくも感じない辺り、自分とこのカールスラント軍人の間柄も大概だと、シャーリーは高空の風に少しずつ浚われていく眠気を惜しみながら思考する。
 あれから結局、日を跨いだ。
 二人で全ての荷の積み込みとスケジューリング、シャーリーに加えてはサーニャと約束した、通信周りの改良を納得のいくまで試みてから、ようやく床に就いた。
 日頃から、誰に言われるでもなく起床時間は早い方だと自負している。しかし、こんな遅寝で早朝などウィッチになってからは数えるほどしかない。
 バルクホルンは無論起こしに来なかったし、自分もあてになどしていなかった。起きられたのは、意地によるところが多分にあったが、それは向こうも一緒だろう。
 一旦空の人となってしまえば、することなど、操縦を除けば幾つもない。
「なあ」
「ん?」
 眠気覚ましも兼ね、シャーリーは頭越しの相手に声を伸ばした。
「お前、ハルトマン相手なら起こしに行ったか?」
「前提がおかしい。そもそもこんな強行軍にあいつを連れたりはしない。それに陸の上のあいつは、出来て車の運転が精々だ」
「柔軟になれよ。過程の話さ」
「……そうだな」
 思案の沈黙があった。
 眼下の町並みが翼の陰に隠れ、また後方に姿を見せるまでの僅かな間の後、
「起こそうとはするだろう。だが、いざとなれば、起きずとも荷詰めして放り込むさ」
「はは。放ってはおかないんだな」
「危なっかしい奴だ」
「それが分かってるなら、最初から起こすのやめて放り込めばいいんじゃん?」
「確かにな。機会があれば検討してみよう」
「はは。楽しみにしてるよ」
 やはり、話していると意識が冴えてくる。
 視界は前方を維持したまま、少々切り込んだ質問も飛ばしてみる。
「私のことは起こしに来なかったよな」
「自己責任だ」
「ごもっとも」
 苦笑が浮かんだ端から流れ去っていく。
 早朝から、朝へと、空気が色と共に移り変わっていく。

          ●

 グラマラス・シャーリー号は、持てる最大限まで燃料を積み、最大限効率的にそれを使った場合なら、無補給でロマーニャからブリタニアまで飛ぶことが出来る。
 といっても、それは最大限効率的な速度を維持し続けるという、風向きや時間といった要素を度外視した場合のみ許される方法だ。更に燃料を限界まで積んでいるわけだから当然身重であり、すわ空戦となればひとたまりもない。そもそも無補給でいけるということ自体がカタログスペック上の推測であり、現実的でないことには、シャーリー、バルクホルンともに見解の一致を見た。一方で、体力的にも非現実的だという主張をしたのは、シャーリーだけだった。
 結局、無理のない範囲で一度給油を行う案が採られることとなる。
「んー……!」
 全身を曲げ伸ばす声が投げ落とされた先に、入り組んだ河川と街がある。
 ガリアとその東、ヘルウェティア連邦との国境を僅かにガリア側に寄った場所であるそこは、平地の多いガリアには珍しく、山間を削り取るようにうねった河川の内縁に作られていた。
 シャーリーは聞いた端から忘れていたが、バルクホルン曰くブザンソンという街らしい。
「……はあ。ようやく背筋が伸びたよ」
「ふむ、ここまでは概ね予定通りだな」
 今度は膝を曲げ、小気味よく関節を鳴らし始めたシャーリーの隣にバルクホルンが立つ。四時間強を空の上で過ごしながら、別段不自由さを感じている様子もなく、手帳にまとめられたスケジュールに目を通していく。
「給油はすぐに済むそうだ。この調子なら、正午を回った頃にはブリタニアだろう」
 二人の姿は丘陵の上にあった。
 ネウロイ襲来以前から遺跡として残っている城砦跡の隅が、臨時の給油施設となっている。
 ブザンソンは、その立地からネウロイの襲撃を受けにくく、ガリアの解放後は復興も早期に終わったらしい。事前に入れた一報だけで、快くこちらを受け入れてくれた。
「そろそろ暑くなってくるなぁ。けど、出発前に飯くらい食わせろよ」
「ああ。先ほど降ろしておいた。ただし、腹八分目だぞ」
「はい、はい」
 日は既に、周囲のどの山よりも高く昇っている。時折涼しさを感じさせる風が起こり、足元の背の低い草原と背後の城壁を撫でていく。
「……ところでだな」
「……はい?」
 並び立ったまま、視線も合わせずにバルクホルンが、
「レーションを降ろす際、隅に詰めてあった荷物の一部が目に入ったんだが……」
「……と、いうと?」
「……白を切るか?」
 服の裾が音を立てそうな勢いで向き直る。同時にシャーリーの鼻先に突き出した手に、銀白色の金属板がある。緩いカーブを描くそれは、
「ストライカーの膝裏カバーだな。もちろん、見つけたのはこれだけではないぞ」
「……あちゃー……」
 給油終わりの報告をしに二人に近づいた現地の作業員は、直後に生じた大声に軽く跳ねた。

「まったく、何をやっているんだお前は!?」
「あー、はいはい。その話はもう済んだろ?」
「あれで済んだわけがないだろう! 食事のために切り上げただけだ!」
 再び空に戻った機体の上で、プロペラ音を物ともしない声が、後方から操縦席に対して一方的にフルオートで放たれている。
 給油が終わってからこっち、降りてる間中はずっとこの調子だった。しかし、離陸後、高度と速度が安定するまでは黙っていたのだから、思いのほか冷静だな、とシャーリーは罵倒の雨に晒される我が身を他所に考える。
「足を頼る手前今まで気にしないようにしていたが、ストライカー改造のための買出しだと? 貴様今の情勢を何と心得ている!」
「お前って言ったり貴様って言ったり落ち着かない奴だなぁ」
「揚げ足を取るなリベリアン!」
「……わかった。わかったよ。まぁ聞いてくれ」
 それだけで声は止んだ。恐らく待っていたのだろう。シャーリーにすれば、待つなら静かに待って欲しかったが、それは彼女にすれば無理な相談なのだろうともまた思う。
「確かに、今のロマーニャの状況を鑑みれば、私的な用事で、ほいほい基地を抜けてはいられない。ごもっともだ」
 返答はない。というより、しようがない言葉だった。今いる自分たちは同罪だ。非難すれば自分に跳ね返ってくる台詞を、分かっていて吐いた自分こそ、冷静ではないと気づかされる。
「けどさ、その先のことも、ちゃんと考えておきたいんだ」
「……先だと?」
 今度は反応があった。つまり、ここから先は彼女の意識とは別の方向を向いている。
 自分の話だ。
「そう。ロマーニャが開放されて、その先さ。私の夢、お前も知ってるよな」
「ああ」
「そのために出来ることは、何でもやっておきたい」
 まず先に、我侭とも取れる台詞を置いた。
「そりゃあ、明日が出撃だって時までそんなことは言いやしないけど、今はまだ余裕がある。なら、ちょっとは自分の夢に目を向けたっていいはずだ」
「……」
 次いで、割り切りと、最後に素直に甘えを口にしたことは存外に効果があったらしい。後方の沈黙は変わらなかったが、こちらへの傾注の気配が、内向きの自問に変わったのが分かる。
「戦いに負けるつもりはないし、夢を諦めつもりもない。それじゃ駄目か?」
「……そうか」
「ん?」
「いや、何でもない。お前の言い分は分かった」
 自問の中でどんな答えが出たのか、シャーリーには知れない。が、事実としてバルクホルンは意外なほどあっさり追及の矛を収めた。一転して、
「……あのストライカー、やはりP-51なのか?」
 シャーリーが自由に話せるよう、水を向けてくる。
「ん、ああ」
 話を膨らませてもいいらしい。
バルクホルンがするにしては珍しいことが続く。心中でそう思考して、
「そうだよ。いつも通りチューンはするけど、ベースはH型さ。前に話したろう」
 シャーリーのストライカーP-51は、決定版とされるD型だ。そこから更に改良を受けたのが、H型と呼ばれる、軽量化及びエンジンの改良を行ったタイプである。そのくらいの知識は、他国のストライカーであれバルクホルンも把握している。
「今までも、あちこちからH型の部品を融通してもらって、それを部屋で弄ってたんだ。けど、やっぱり魔導エンジンやら、一部のものは中々ね」
「ブリタニアでは、既にH型が配備されていたんだったか」
「そうそう。そいつの部品の余りが、そろそろマーケットにも下りてくる頃なんだ。今行けば、きっと手に入る」
「……今、この機体に載っている荷物の大半はそのストライカー絡みのものか?」
「うあ、悪かったよぉ」
「その『マーケット』とやらも、話を聞く限り、表通りに構えられるものではなさそうだな」
「くおお……平に、平に……!」
「いや、いい。今の私は、とやかく言える立場ではない」
「……ほんとか?」
「誓おう」
「……ならいいけどさ」
 それは本心なのだろう。バルクホルンの性格上、後になって進言するともシャーリーには思えない。吐息を一つ。ひとまず、保身については考えなくてもよさそうだと安堵する。
 声は続いた。
「しかし、それだけ堂々と言えるなら、なぜ一人でも休暇を申請しなかった?」
「いやまぁ、そこは昨日風呂で話した通りさ」
 バルクホルンの視線上、頭を掻く。
「それにさ、」
「……ん?」
「これが自分で設計した、初めてのストライカーになるんだ。基地で完成させたとして、そのまま試験飛行で爆発なんかしたら、格好つかないだろ?」
 だから、向こうで完成から調整まで、パーッとね。
 そう自嘲する気配は、バルクホルンの記憶にはないものだった。
 ……こいつでも、不安や恐れというものはあるんだな。
 返答として、声も表情も、何の反応も返せないまま、頭の中で漠然とそう思った。
 自分がいかに、目の前のリベリアンをまともな目で見ていなかったかを再認識する。内心の羞恥を押し隠し、深く息を数度。正面切っての返答は放棄した。
「……正直、羨ましいと思うこともある」
「あん?」
 努めて遠く、霞む地平線を目でなぞりながら、
「私には、この戦いの先と言うものが、よく見えない」
 これは甘えだと感じつつも、会話の歩調を合わせていく。
「お前は常に見えているのだろう。夢という形で。それが、私には羨ましい」
 触発されての物ではある。それでも、本音を言ったつもりだった。
 返事を待つ。
「……夢が見えない、ねぇ」
 今度は、シャーリーが沈思する。暫しの後、
「……あんまり気にしない方がいいと思うぞ」
「じっ、自分の発言に責任を持たんかぁ!」
 これまでで一番の音声が響き、機体がにわかに傾いだ。

          ●

 一年ぶりとなるロンドンの街は、以前と変わらない。
 少なくとも、買出し程度でしか訪れたことのないシャーリーにはそう見えたし、妹の見舞いを除けば外出そのものが稀だったバルクホルンにすれば、差異を感じ取れるほどに覚えがない。
「むしろ、以前よりか人が減ったかな」
 周囲を見回しながら歩くシャーリーが独り言のように言った。その両手には、先ほど馴染みだという店から出てきたときから抱えられた、木枠の箱がある。小ぶりだが、梱包は厳重で、後ろを行くバルクホルンの鼻には見知った機械油の臭いが感じられた。
「なぜそう思う?」
 昨晩のことを思う。
 宿の手配はさせろ、と頑なに主張したのはシャーリーだ。今も、そこ向かって先を行く背を追う形になっているバルクホルンだが、言われてみれば、確かに避けるほどの数もいない。
「ガリアが開放されたからかな。復興も軌道に乗ってるし、こっちに逃げてきてた人たちも、軍人も、そろそろ戻ってるはずだろ」
「確かにな……」
 それを受けてバルクホルンが脳裏に浮かべるのは、ガリアではなく母国、カールスラントだ。
 あれが開放されるのはまだ先になるだろうが、今より大きく前線を進めることが出来れば、後方の土地に人々が戻ることも可能だろう。
 ……カイザーベルクは、最後になるだろうな。
 自分と妹の故郷の名を、心中で地図と共に浮かべる。
 カイザーベルクはカールスラントの東端であり、西から進攻するこちらにすれば、最も後方にあたる。そして隣、第502統合戦闘航空団を中心としたオラーシャ東部の戦線も、依然としてネウロイの勢力は濃く、やはりカイザーベルクは遠い。
 まだ戦いは続く。
 自分にすれば、その道程の遠さが、戦いを続けるモチベーションの中核をなしてもいた。
 しかし、それはイコールとして、妹が故郷に帰れる日がまだ遠いことを意味してもいる。
 先のために戦い、しかし先が遠い現実に安心を覚える。
 怠惰に根ざした熱意。怠慢を薪にした気炎。
 戦いが終わったとき、ゲルトルート・バルクホルンの中に果たして何が残っているのか。
 慌てて、強く目を瞑り思考を閉じた。
 ……クリスは元気にしていた。とりあえず、今日はそれでいい。
 それでいい。

 旅のメインイベントは、至極あっさりと終わった。
 バルクホルンの妹であるクリスティアーネは、春の終わりには軍病院を退院、今はロンドン郊外の療養施設に身を置いている。事前に着陸許可を取った空港はブリタニア空軍が建設中のものだったが、それがちょうど施設の付近だったのは幸運だった。着陸が完了しないうちから飛び出していったバルクホルンとは対照的に、半日近くの操縦を終えたシャーリーは、ひたすらに発着場の待合室で眠りを貪った。太陽が直上を過ぎ始めた頃のことだ。
 西日の中、二人は表通りを歩く。
 高さの揃った街並みは画一的で、こういったものへの造詣の浅いバルクホルンには建物の色以外で違いを判別することはできなかった。石畳に反響する種々の靴音は声と混ざり合い、雑然とした活気となって街に広がっていく。
「そういや、皆への土産がまだだろ。そこらで探してくか?」
「ああ……そうだな。これを見るといい」
「あん?」
 シャーリーが僅かに振り返る。腰周りに視線を落とすバルクホルンは、斜めにしつらえられたポケットから薄手の手帳を取り出し、
「出発までの間に、聞ける範囲で欲しい物資の意見を集めておいた。本人に聞けなかった分は、代理人から参考意見を貰っている」
 めくるページから窺える筆致の細かさに、シャーリーは歩調を合わせつつ、
「ふえー、いつの間に……って、私は聞かれてないぞ?」
 後半には半目で問いかける。それに対し先任大尉は、
「自分の土産くらい、自分で買えばいいだろうと思ってな。そう決めていた」
「事後承諾かよ!」
 反射的なツッコミの後に返すのはしかし、ちぇーっという緩い反発。枕のように首裏で指を組み、のろのろと蛇行しながら、
「人から貰ってこその土産だろー? 仲間外れにすんなよぉ、ほれほれ」
 言うなり、バルクホルンの背から上半身ごと圧し掛かる。「こら、やめろ」と胸の下から声が上がるが、「なぁなぁ。私もなんか買ってやるからさぁ」と猫撫で声の一点張りで、
「……分かった……分かった。いいだろう。……いいからそこをどけ」
「あいよぉー」
 呻き声が僅かに怒気を孕んだ途端、シャーリーはあっけなく身を引いた。それを察しているバルクホルンは渋面を作り、衣服によった皺を延ばすのもそこそこに、
「……希望を言え。私も言おう」
「さっきの店でさ、降りてきたばっかだっていうグリフォンエンジンが――」
「上限価格を決めるぞ。手を出せ」
「ん」
 にべもないなぁ、と思いつつも素直に従い、
 ぱさ、チャリ、チャリンと。
 軽重硬軟の混ざった音が手のひらの上で転がった。乗せた額が幾らかにも目を向けず、バルクホルンは告げる。
「以上だ」
「おい」
 シャーリーは全身を使って表現した。我、大いに不満あり、と。
「これじゃ飯食って終了だろ! そもそも土産じゃないし! 何持って帰ればいいんだよ!」
「土産話でいいだろう。ちなみに私はそれでいい」
 ……こいつ、こんなときだけユーモアのあるセリフを!
 シャーリーは内心で歯噛みしつつも、自分たちでは、ネチネチ交渉し合ってもこの辺が関の山だろうと諦観を決め込む。周囲を適当に見やりつつ、
「ちぇー……。んじゃ、そこのパスタで」
 と、向かう先、十字路の一角にある屋外テーブルの群れを指差す。
 それを同じく見て取ったバルクホルンは、軽い会釈のみで応じる。
「そうか。ならばそうしよう」
 反論があるだろうと踏んでいたシャーリーは目を瞬かせ、
「ん、メニューとか、それでいいのか?」
 うむ。という頷きがあり、足を止めた。数歩遅れて追従した年下の大尉に向けて、
「問題ない。カールスラント軍人たるもの、過度な好き嫌いは持たないようにしている」
 そう告げる姿に、
「……ジャガイモはないぞ?」
 ……そうなのか?
 そうなの。
「……まぁいいや。とにかく座ろう」
 それだけ言って、踵を返す背中は再び歩き始めるのはシャーリーであり、その背を追って、ふむ、とバルクホルンも歩調を速めた。
 ……そういえば、今日はまだ新聞を読んでないな。
 席につくなり、習慣からくるむずがゆさに急かされる。先に注文を済ませたシャーリーから回ってくるメニューを受け取り、腹持ちのよさ優先で数品を注文する。テーブルに乗せられていく前菜もそこそこに、街並みの中から新聞の売り場を探し、やがて腰を上げた。
「食事中読むなよ? 少佐かよ」
「今来てる品は食べ切った」
 それに、情報収集は戦う中では当然のことだ。
 そう告げ、小走りで離れていく背を見送る視線は細められ、
「……当然ねえ」
 ……こういうとき、違い、感じるなぁ。
 そう内心で呟いて、置かれたグラスのストローを咥える。

 バルクホルンは、手近な売り場から夕刊を一部。席に戻るなり、一面から目を通して行く。しばらくして、紙面の一端で視線が止まった。怪訝な顔を向けるシャーリーにそれをかざし、
「――見ろ。ガリア、国境付近でネウロイの出現報告ありだ」
 予感が的中していた。
 国内の巣が消滅して一年が経とうというガリアでも、未だネウロイの脅威が完全に払拭できたわけではない。カールスラント方面からのネウロイの圧力は、西部戦線という形で現実に続いている上、巣を失ってなお活動するネウロイも皆無ではない。それゆえ、ガリアを横切っての空路は未だ灰色の存在だった。
 改めて、今回の旅程がどれほどの無茶を押したものを再認識する。
「……スープ冷めるぞ?」
「冷たい方が好きでな」
「ふうん……出たてが美味いのになぁ、と」
「――こら、自分のがあるだろ!」
 程なくしてシャーリーが、結局一部全てを読破したバルクホルンが完食した。二人は先ほどまでより目に見えて緩やかな歩みで、街路を行った。変わらず先を行くシャーリーは渡された新聞を斜めに見つつ、
「なるほどねぇ……。まあ、まずチェックインしてからだな。あ、その前に土産か……?」
「他に言うことはないのか? 続く記事を見てみろ。出現場所は――」
「いや、前見せろよ……」
 次の瞬間、二人して街灯にぶつかる。

          ●

 ネウロイが出現したのは、昨晩の未明。ガリア北東部ストラスブール近くの空域だという。
 それなりの編隊を組んでいたらしく、あわや都市部への進入を許すかというところで、506のウィッチが現場に到着、迎撃は無事成功、ネウロイは殲滅したとある。
 ……どこまでが本当だろうな。
 特に、殲滅という部分が怪しい。そうバルクホルンは思う。
 無論、根拠はある。
 同様の記事を載せていたどの雑誌も、出現場所や状況についてはそれぞれに僅かな違いがある割に、迎撃成功からの一文だけは抜かりなく強調してあった。夜間の戦闘結果がいかに判別しづらく、曖昧なものであるかを知っていれば、この違和感は明白だった。
 ……幾らかは逃げたな。それも、恐らくはガリアの内側に。
 一通りの関連記事を追い、バルクホルンはようやくそう結論づけた。雑誌の束をソファの脇に重ね、自身も腰を下ろすと、軋む勢いで背を預けた。
 遅まきに眠気が来た。
 あれから到着した宿は、建物の規模こそ特筆するほどのものではなかったが、フロア丸々が貸し切られた贅沢なものだった。よく見つけてきたものだと素直に感心する。
 その上、だ。
 耳を澄ませる。
「……ふっふっふふっふ〜ん。ふっふぅ――――んっん、ん、んん〜」
 うろ覚えらしい。

 土産を揃えに方々を回り、遅まきなチェックインを済ませた、その後。
 入り口と直結した大部屋に入るなり、シャーリーは水を得た魚となった。
 抱えていた箱の中身を床にぶちまけると、先に届けられていた荷物もたちまち同様にした。そして機械油と金属パーツの海を作り出すと、工具と計器のエラで悠々と泳ぎ始めたのだ。
「近くに公園あったからさ、仮組み済んだら、そこでこっそり飛ばしてみよう」
 作業の中、こちらを見ずにそう言っていた。むしろ意欲が窺える姿勢ともいえた。
 その目の輝きようを前に、バルクホルンは渋面を作り「はしゃいで床を抜くんじゃないぞ」と告げるのが精一杯だった。夕食は、こちらで勝手に頼んだ。
 かくしてバルクホルンは隣部屋にいる。
 後頭部が触れる壁からは、忙しなく音と声が漏れ出してくる。定期的な振動が、抑え込んでいた日中の疲れを否が応にも呼び覚ます。先の記事を受け、帰りのコースをまた検討せねばとゆるゆる回る脳の隙間に、高揚感も色濃い声が滑り込む。
 へええ、こんなに軽いのかぁ。個々の部品だけじゃ実感なかったけど、組んでみると形状も含めて全然違うよなぁ……。材質次第ではまだ軽くできそうかな。
 金属板を叩く音がした。
 で、これが新しいスーパーチャージャー、と。確か自動化されてるんだよなぁ、魔力感知でこっちから制御させられるかな……。いや、仕様を信じるか……と、忘れてた。
 木枠を蹴って歩く音がした。包装を破く音が続き、
 そして満を持しての――うひょー! これかぁ、こいつがV-1656-9エンジン! マーリン、また一段と格好よくなったなぁ。会いたかったぞぉ! よおっし――。
 しばらく金属の擦れ合う音と、たまにリベットを打ち込む盛大な通音が続いた。
 ……ふぃー、こんなもんかな。ま、仮組みだし。
 さて、ここから、ここから。
 再び金属の擦れ合う音が続いて、やがて静かになった。
 時間の感覚は既にない。
 一言一言の間は数分以上あるだろう。しかし、今は全てが寄り集まった、一つの言葉のように思えた。
 しばらくして、
 ……さて、と。これでどうなるかな――。
 声が始まった。
 前よりずっと軽くなった。エンジンのパワーもうんと上がった。それでいて、強みの高高度性能もそのままで、犠牲にした耐久性だって大したもんじゃない。
 声は、興奮で低く、それでいて時折上ずっている。あたかも飛び上がる寸前のバネのように、
 ……もっともっと、早く飛べる。
 力みが、弾ける寸前のまま溜め込まれて、
 すごいな。どこまで行けるんだ、私……?
 バルクホルンは、その声の中に夢を見た。
 夢という、一つの言葉がそこにあった。少なくとも、バルクホルンには確かに感じられた。
 ……夢、か。
 自分の脳が、久しぶりに言葉を紡いだ。
 ……夢とは何だ?
 あまりにも原始的な問いが、思考が思考という形を取るより古く深い所から溢れ出す。
 自分の夢とは。
 戦って勝つことだろうか。誰かを守ることだろうか。
 戦うこととは、守ることとイコールだろうか。
 守るとは、どこまでが戦いで。
 戦うことは、どこまで守るためか。
 付き纏うのは『戦う』ことと『守る』こと。ならば、今この世界を覆う災禍との戦いの中に、自分の夢は確かにあった。
 とりとめもなく思う。
 ……自分とあいつは、違うな。
 その違いを、今、『夢』という括りが明確に浮き上がらせた気がした。
 この戦いの先に、彼女は夢を見ている。自分の夢は、この戦いの中にある。
 それは、とても危ういことのように思えた。あらゆる意味で、自分という人間が目の前しか見えていない、と、突きつけられる心地。
 彼女の『先』が常に全てを見越した先にあるのに対して、自分の『先』は常に刹那の鼻先にあった。敵機の軌道の先、放たれる攻撃の先、それを回避した先、撃墜したその先にあった。その『先』が、夢でもなんでもないただの『次の敵』でしかなかったら。
 たまらなく不安に思えた。
 ただ、『先』の在り処を求めた。そのための手段を求めた。求め、探り、記憶の中から浮上したのは、
『そのために出来ることは、何でもやっておきたい』
 目が覚めた。
 跳ね起きる。
「――おい、シャーリー」
 扉は、すぐ傍にあった。開け切らないうちから発した呼びかけに、その向こうにいた彼女は脱力した様子で応じる。手をひらひらと振りながら、
「おおー。随分静かだったな。寝てたのか?」
「ああ。……急ですまないが、頼みがある」
「ふうん?」
 視線の先、シャーリーが腰を下ろす平たい木箱がある。部屋の全容こそ雑然としていたが、その周りだけは片付いており、先ほどまで、作業がその場を中心に行われていたことを物語っている。
「完成したのか」
「ああ。言ったろ、これから外で調整――」
「分かっている、私も付き合おう。その代わり、」
 疑問符が浮いた顔に、なるべく決然とした調子で告げた。
「ここを出よう。今日中に、ブリタニアを発つ」
 シャーリーは数秒ほど止まった。
 木彫りの柱時計が、午後十時を知らせた。

          ●

 ――電波の入り、やっぱ昼間とは全然違うなぁ。
 混信だらけという意味だった。ため息と共に、チューナーのスイッチを切る。
 低空の雲が眼下を流れていくのを眺め、独り言ちた。
「はあー……」
「……なんだ」
「別にぃ……」
 お互いの声は明瞭さを欠く。
 エンジンの放つ低音は行きと変わらない。ただ、声のトーンが落ちている。
「……言いたいことがあるならはっきりと言え」
「馬鹿」
「…………甘んじて受け入れよう」
「大馬鹿」
「うるさい! お前のストライカー持ち込みと相殺だ!」
「それはそっちから不問にしたはずだろ!」
「あれは情報不足だった! 最初にスケジュールに対する認識が統一できてればだな――!」
「後出しかよ! 汚ぇ!」
「……このやり取り、何度目だ?」
「……さぁなー」
 結論から言えば、先に折れたのはシャーリーだった。
 理屈にくるめた感情のぶつけ合いが、宿から出、調整を済ませ戻るまでひたすらに続いた。
 バルクホルンの提示したカードは唯一つ「戦うため」である。
 間違えているはずがない。
 誰の否定も許さない。
「しょうがないなぁ」
 シャーリーは、あっけなく許容した。
 その一方で、「自身の未消化の予定」及び「バルクホルンの羽休め」の必要性を説いた。前者については謝罪の意思を見せ、ストライカーの調整にも積極的に協力したバルクホルンだが、後者に関しては決定的なまでに意見が衝突した。
 そもそも、日程に持たせた余裕はやむを得ず帰途につけない場合のためのものであり、完全に消化しきることを前提としたスケジュールを立てた覚えはない。
 それは『甘え』である。
 そう主張するバルクホルンに対して、そんなものは方便だろうとシャーリーは突っぱねた。
 主張そのものではなく、バルクホルンの思想そのものへの物言いだった。
 そんな『甘え』は許容されてしかる。
 シャーリーのこの考えは、バルクホルンへの配慮を第一義にしたものだった。それは、当事者であるバルクホルンにも容易に察せられた。そして、だからこそ、バルクホルンは『甘え』の一言でそれを拒絶できた。お互いの主張はそこに関しては平行線で、結果、その勢いのままにシャーリーは折れた。
 バルクホルンは、今でも訝っている。機体は既に片道一度の給油を終え、ガリア上を行く進路を半ば以上消化していた。
 シャーリーのカードは一枚ではなかった。
 平行線を行き、相殺されたのはあくまで双方の主張一つずつであり、シャーリーがもう一つのカード、自分の都合を前面に出し続ければ、いずれは折れざるを得ないと考えていた。
 にも関わらず、結果はこうだ。
 何を間違えたわけでもない。願いは達せられた。そのはずだ。
 なら、この自分の中の気勢の衰えは何か。
 拍子抜けと言い換えてもいい。
 こんなものではなかったはずなのだ。
 こちらのぶつけた力に、それと同じかそれ以上の力でぶつけ返してくる。それを互いの気が済むまで繰り返す。繰り返すことができる。繰り返さねば気が済まない。
 バルクホルンは、彼女と自分の関係をそう考えていた。
 それは思い違いだったのか。
 短くない期間、同じ場所で戦った。見知って、程なくして階級が並んだ。それが大尉ということもあり、ロッテを組むことも、共に哨戒につくこともまずなかった。お互いを知る場面は、空よりも陸の上の方が多かった。いや、とバルクホルンは自身の思索に待ったをかけた。
 自分はどれだけ彼女を知っているのか。明け透けな態度を崩さない彼女のそれが、果たして本当に彼女の全てであったのだろうか。
 ……こいつでも、不安や恐れというものはあるんだな。
 この感覚を得たのも、つい最近のことだ。
 理解が不安に濁り始める。
 対して自分はどうだ。生まれもっての頑なさは幾つになろうとも直せず、知人のほとんどは自分を口をそろえて同じ言葉で表現する。曰く、堅物である。
 なるほど、何も間違ってはいない。
 本当に、自分はそれ一つで十分なのだ。無論、それだけではないのだろう。しかし、それらを片端から削ぎ落としたところで、自分の本質に何ら欠損はない。生まれた後から得た諸々は、自身の根本的なところに何も働きかけてはいないと思った。
 つまり、こういうことではないのか。
 自分への、彼女の接し方に間違いはない。
 ただ、自分の彼女への接し方に間違いはなかったか。
 何のことはない。いつものような衝突があり、いつものように終息した。そしてその中に、不完全燃焼な要素が一つ混ざっている。その理由付けに、自分はかくも必死なのだ。
 その理由を内に問おうとして、諦める。状況がそれを許すとは思わなかった。
 そうして意識を外に向けなおしたとき、ふと、思い出したことがあった。
「そういえば、サーニャから教わった周波数は試してみたのか?」
「あー、行きは朝だったし忘れてたな。っと、メモメモ――」
 雲は薄く、機体より低くにのみ広がっているため、前でごそつく姿はジャケットの色まで判別できた。程なくして電波の弾ける音が鳴る。聞こえてきたのは平坦なノイズで、
「……駄目か?」
「んー、交信もするならともかく、受信するだけなら結構いけるはずなんだよなぁ……」
 ナイトウィッチが備える送波能力は、通信に魔導針や魔導波など魔法を用いることもあり、たとえそれが標準的なレベルであったとしても、既に旧世代の雷撃機であるこちらとは比較にならない。サーニャの一件を受けて対策を試みたのだろう。シャーリーの言葉には、疑いの色とは裏腹に確信があった。バルクホルンも、その点については言及しない。
「高度差もあるだろう。あちらの方が相当上を飛んでいるはずだ。こちら視点での地平線より遠くにあっても、通信を拾うくらいなら可能だろうな」
 あくまで自身の見識から言える情報のみを頼りに、意見として組み上げていく。
「だなぁ。聞こえないくらい遠くでやってるなら、こっちは安全なんじゃない?」
「向こうが察知できていないうちに、こちらに何かあった場合は?」
「ないと思いたいけどなぁ……。ああ、そういえばガリアって、確か506以外にもウィッチ隊置いてたろ。そっちは頼れないのか?」
 急角度からの振りがきた。
「B部隊のことか……。あれはリベリオンのウィッチで固められているそうだが、お前の方が詳しいんじゃないのか」
 今現在ガリア防空の任に就く506は、その発足の経緯に、幾つもの『ケチ』を残している。中でも、既にガリアに送り込まれたにもかかわらず、国家間の衝突から506に合流できずにいたリベリオンのウィッチからなし崩し的に作られたB部隊は、その最たるものといっていい。
「詳しいと思うか?」
 いっそ、自信すら感じさせる声音だった。
「……いや」
 はあ、とこれ見よがしな嘆息を一つ、
「どうも、506とB部隊は協同が不十分らしい。そして今回、まず先に506が手を出した。そちらの行動は望めまい」
「ややこしいもんだなぁ……。結局は、神頼みか」
「神の前に頼るべきものがある。装備の点検は済ませておいたろう」
「ま、頼るならまずはそっちだな……」
 訪れた沈黙は、共に同じ思考を取っていることの証左だ。
「……ストライカーは?」
「お前の後ろ。給油の間に本組みも済ませたし、もう多少は乱暴に扱ってもオッケーさ」
 往路の際は気がつかなかったが、グラマラス・シャーリー号は三座式だったらしい。
「基地に帰るときバレバレだけど、バラす余裕もないからな」
 急な出立のことをいっているのだろう。嫌味ではないとわかってはいるが、それについて、念を押したくなる心理をバルクホルンは拭えない。
「やむを得ん。いざとなれば、あれで飛ぶことになる」
「ふうん。ストライカーなんて必要ないんじゃなかったか?」
 ……よく覚えているものだ。
 自然、苦笑が湧く。
 状況など気にも留めない、他愛もない軽口だった。日頃なら、諍いの種でしかない。しかしそれが、今のバルクホルンには無性にありがたく感じられる。なればこそ、素直に感情で返す場面ではない、と声を律した。
「確かに言ったな。しかし、ネウロイがカールスラント側から来たのは間違いない。防衛網を抜け、実際に506の迎撃も抜いてきたんだ。油断はできない」
「まぁねえ……」
 ……いかんな。
 にべもない表現をとってしまったと、言い切ってから悔いた。それでも、シャーリーは軽い応答を挟んだ後、
「……んじゃま、素直に実戦で使える機会が巡ってきたと喜ぶかな」
「安心しろ。じゃじゃ馬を乗りこなすのは慣れている。基地での弁解にも付き合ってやろう」
「言ったな。少佐に正座させられても付き合えよ」
 少しずつ、喉が平時の感覚を取り戻していく。かじかんだ手に血が通うように。
 向こうが調子を変えないのだ。こちらも、殊更に変えることはない。しくじりのないよう、感情をおもむろに言葉に含めていく。その思考の流れに、堰となる思いが差し込まれた。
 ……しくじる?
 何をだ。
 こんなことを考えたのは初めてだった。
 自分たちの会話は、常にしくじりの連続ではなかったか。噛み合わないのが常という様に、何を今更と自問する。その前提を覆すように、えぐみの増した自問が更に心を掘り返す。
 それとも、と。
 そのしくじり『すら』、彼女の譲歩あってのものなのか。その彼女の振る舞いに不安を感じているから、自分がしくじれないと気負うのか。しくじったらどうなるか分からないから。今の関係を失いたくないから。
 自分は思いのほか、依存するタイプなのかと考えた。
 と、
『――――おおい、聞こえるか』
 そこに、声が乗った。

          ●

『……ああそうだ。今哨戒の最中でな。聞いているだろう。昨日――』
 声が遠い。シャーリーは反射的にボリュームを跳ね上げた。合わせて体に青い燐光。使い魔の一部を体表に呼び起こし、鋭敏になった感覚で通信と周囲に意識を広げる。
 ナイトウィッチが飛んでいる。状況としてはそれだけではあるが、それが意味する中には、敵が付近にいる可能性もまた含む。
 背後で軽い軋みが起こる。横から顔を突き込んできた、同じく使い魔の耳を表に出すバルクホルンと一瞬だけ視線を交わした。
『ん、わかっておる。周囲に――ネウロイの反応はない』
「……交信できてるのか?」
 バルクホルンが、念のためという風情で問いかけた。
「まさか。こっちが横から拾ってるだけさ」
 今まで通信が傍受できなかったのは、単に通信を行わなかったというだけとも考えられる。このウィッチが自分たちにどこまで接近しているかは知れないが、その通信の相手の声が拾えないあたり、ナイトウィッチ同士は相当な遠距離であると当たりをつける。
「ならばまだ遠いか」
「今のところは何ともなぁ……」
 通信に聞き耳を立てるシャーリーの傍ら、静かになったと思われたバルクホルンが不意に、
「……今更だが、この傍受は軍規に引っかからないのか?」
 シャーリーは頷きを返す。
「とにかく聴いてみよう」
「どうなんだ!?」
「サーニャに聞けよ!」
『――何? ……あ、ああ。そうかそうか。分かっておる。忘れてはおらんぞ!』
 泡を食った声が続く。
 通信を行うウィッチは、様式を知らない二人から見てもたどたどしい調子で――これは知識不足ではなく、純粋な不慣れによるものだとバルクホルンは読んだ。一方で、これは恥ずかしがってるだけだろうとシャーリーは察しをつけたが――現在位置などの定型文を述べると、
『他の連中は方々に散っておるからの。戦闘隊長といっても、まとめて指揮する機会なぞそうないわ。そちらが羨ましいな』
 ……戦闘隊長。
 バルクホルンは、記憶の中から該当の人物像を引っ張り出す。容姿、戦歴、主武装、人柄。思い出していく順番に見られる偏りを自覚しつつも黙殺し、
「……名前が思い出せん。が、一部の整備班に『姫』とか呼ばれていたやつか?」
「あー、確かにそういう喋りしてるなぁ。面識はないのか?」
「確か、506入りするまでは夜間戦闘航空団にいた人間だ。私もあちらとはそう組まない。ナイトウィッチの知人というと、サーニャを除けば一人くらいだ」
『――何を言う。それは皆お前の指揮能力の賜物だ。つまりお前の戦果だ。もっと自分に自信を持て! 今度休暇でそちらに戻るから――』
「……こいつら任務中だよな?」
「……カールスラントが誤解される……」
 突き出した頭を器用に抱えるバルクホルンを尻目に、シャーリーは苦笑を混ぜた答え。
「や。まあ、あちらにすればそれくらい、警戒する必要のない状況ってことなんだろうな」
 声の窺えない相手からも同様の疑問が飛んだらしい。向かい風とは別に、本来の風向きが緩やかに変わっていくのを感じる中、
『……む。分かっておるわ。今は囲みを狭めている最中でな』
 はっとする。
 意識と連動して、頭上の耳が跳ねた。バルクホルンも、無言で身を立て直す。続く声は常にまとわせる得意げな色を更に濃くし、
『ネウロイ共は緩やかに南下中。我らはその周囲を並行し、しかるべき後に――何、対外秘? 守秘義務?』
 一拍の間の後、
『――あ、当たり前じゃ! 今のは独り言であり、今日はここまで! ここまでじゃからな!  じゃあの!』
 切れた。
 空に、エンジンと風の音が戻ってくる。操縦席の中には平坦なノイズが残る。が、
「……近いぞ」
「……ああ」
 二人の緊張もまた、その場に残されている。
 先の通信の一部始終から、得られた情報は幾つかある。しかし、現状最も優先すべき事象は、通信からもたらされたものではない。
 先ほどから、聞こえ始めた音がある。
 風向きが変わったことで初めて感じ取れたそれは、風上に何か、風の流れを遮る障害の存在を伝えてくる。それはこちらの進行方向と直行する位置。
 雲ではなく、音から逆算される大きさを考えれば航空機でも、ましてやウィッチでもない。
「バルクホルン」
「ああ」
 バルクホルンの顔が視界から消えた。動きは風をものともせず、当初の座席から更に一つ後ろに跳び退る。シャーリーはインカムを耳に押し込み、足元に転がしていたBARの感触を踵で踏んで確かめた。
 風の質が変わり始める。付近を流れる低音が重圧を増していく。
 二人の使い魔は、ウサギとジャーマンポインターだ。先に音に気づいたのは遠くの音を拾うことに長けたウサギを使い魔に持つシャーリーであり、今、先に動いたのもシャーリーだった。
「下からだ!」
 閃光が来た。

          ●

「――って、多いな!」
 言い始めから、シャーリーの腕は動いている。機体は一度両翼を上下に向けると、そのまま落ちるような軌道を描いた。その隙間を、赤く光る雨が抜ける。後方に座すバルクホルンは、頭上を飛び過ぎていくそれをかろうじて数十まで視認した。
「ビームひとつひとつが機銃のように小さい! 一旦距離をとれ! その間に発進する!」
「分かってる! お前はとにかく急いで履いてろ!」
 お互いが全力でがなった。一旦の落下を終え、得た勢いでグラマラス・シャーリー号は一息に伸び上がった。追撃はない。しかし、先の先制は闇雲な狙いではなかった。この程度で振り払えるとも思えない。シャーリーは上昇軌道より転進させた機体から身を乗り出し、
「……見えた!」
 距離は約三百メートル、遠近感による補正を差し引いても、そのシルエットは小さい。大人なら四、五人も乗せれば埋まる胴体に、全幅の大半を占める大ぶりな両翼。背面には、ビームの発射口となる赤い素子が斑のように散っている。
「あの形、見覚えあるな。ローマに来た奴に似てる」
『単機での偵察を目的としたタイプか――』
 肉声と、インカムからの音声、両方が来た。シャーリーは視線を下から外さず、
「いけるか?」
『ああ、偵察型なら装甲も薄い。今の装備でも十分だ。こちらの経験からくる予測を踏まえ、外観だけをそれと似せている可能性もあるが』
「多分その線だ。ビームの出方も違ったし、油断するなよ」
『分かっている。それでは――、』
 そちらに合わせる!
「は?」
 疑問ではなく、不理解からの声が出た。途端、それとは違う音が鳴り、
「んな――」
 音は一瞬でシャーリーの耳横を過ぎ、機体の前面に躍り出た。この風切音、この振動。逆算できる空力特性とシルエット。
 分からいでか。
 V-1656-9エンジンの駆動音だった。
「――だぁからなぁもう!」
 事後承諾はやめろって!
 その叫びが火蓋を切る。

          ●

 バルクホルンが発進の過程を飛ばした意味はすぐ分かった。
 中空に舞うその姿が落ちるより先に、薄雲を貫き昇ってくる輝きがある。それを、バルクホルンが片手で叩きつけるように張ったシールドが受け止めた。数は変わらず数十条。敵の位置も変わらず、この状況が意味する事実は、
「このビーム、減衰しないのか!」
『ユニットチェック、出来てるか?』
「この状況でコントロールやれっての!?」
『ユニットチェック、出来てるか!』
 重ねて問われる。
「――ああもう! 出来てるよ!」
 ビームの照射が収まっていく。その勢いに押されて静止していたバルクホルンの体が、徐々に下がり始める。その姿勢を崩さぬまま、
『発進準備、もうした! 滑走路、なし! 油圧、舵異常なし! MG42、全弾装填済み!』
 カールスラントではなくリベリオンの様式。こちらに気を遣ったのだろう。シャーリーは、自分とルッキーニがよくやる手順を頭の中で反芻し、
「了解、チョークなし! 誘導路もなし! エンジン、ミリタリーへ!」
『エンジン、ミリタリー! ――コントロール! 発進準備完了! このユニットについて、他に何かあるか!』
 水を向けられる。こちらには当然言う用意がある。それを見越しての問いなのだから、向こうも当然、聞く余裕はあるのだろう。そう、構うことなく言葉を吐く。
「いつも乗ってるのと同じに見るなよ! 軽くて早いが打たれ弱い! それと、冷却用の水エタノールも補充済みだから、ガンガン使って軽くしろ! チャージャー使うのも忘れるな!」
『チャージャーを特筆する理由はなんだ!?』
「すっげえ早くなる!」
『なるほどな』
 シャーリーは得意満面を声で示す。バルクホルンは苦笑で応え、
 ビームが完全に消える。それが合図となり、
「ヴァイス・フュンフ、発進しろ! ――私のP-51Hの晴れ舞台だ! 行ってこい!」
 直後、魔法力を得たプロペラ呪符が輝きを増し、
『ヴァイス・フュンフ、了解――!』
 音と光が弾け飛んだ。
『行ってくる!』

          ●

 光はともかくではあるが――。
「――――」
 直滑降の最中。
 事実として、バルクホルンは音を追い越した。
「――――っ!」
 吹き荒れる風の中、強引に身を倒し斜めのベクトルを発生させる。肩に巻いたベルトを引き、MG42を構えたときには既にネウロイは遥か天上にある。周囲を取り巻く綿雲が、くりぬいたように丸く散らされ自分たちを囲っていた。
「――――馬鹿! どんな仕様だ!?」
 飛んだ罵りは半ば以上は自分に向けていた。
 完全な油断だった。無改造の既製品ですら水平飛行で784キロ毎時という速度を叩き出すという機体を、あのスピード馬鹿がチューンしたのだ。更に、それを直滑降で地面に向かって突撃させるなど、自殺に等しい機動だ。
 全身を覆う魔法力がなければ、発声以前に意識が飛ぶ域に自分はいる。それを殺さぬよう、遠大な弧を描きつつ上昇を開始する。ネウロイは、今になってこちらの動きに反応していた。横を過ぎていた間に、上空の複葉機にビームが向かわなかったことに安堵する。
 ……虚を突かれたのはあちらも一緒か!
 そして歯噛みする。今の突撃で満足に射撃ができていれば。勝機を一度逃したといっていい。
 高度を取りながら、ビームをこちらに向け始めたネウロイの裏に向かう。
 ……しかし、
 バルクホルンにすれば、新型ストライカーのテストなど一度や二度の経験ではない。当然、予想外の挙動への備えは心身共にできているつもりだった。それでなお、自身の予想を上回り、判断を遅らせたのは、その性能の高さにのみならない。
 ネウロイの体表が輝く。と同時、片脚を僅かに浮かせる。念じ、出力を浮かせた脚だけ引き上げる。驟雨のごとく走ったビームが、突如スラロームした軌道を追従しきれず空に散る。
 そのままネウロイの頭上まで昇ったバルクホルンは、旋回軌道を維持しつつ、機体の細かな反応を自身の記憶に刷り込んでいく。
 ……やはりこいつ、いやに『合う』な。
 慣れが早い。こちらに追従してくる敵もだが、それ以上に自分とストライカーが。
 P-51Hの性能、特性は、自身が常日頃使用しているFw190D-9とは全くの別物だ。しかも、大よその面で勝っている。口惜しいが、ガリアから今までの戦いを機種転換なしで乗り切った機体の発展型だけのことはある。それが、初めて乗った自分の感覚にこれほどまでに馴染む理由に、バルクホルンは第一射を送る感触で思い至る。
 ……魔力のマッピングか!
 P-51系列は、操縦者の魔力配分の比率をある程度容易に調整できる。それが今、この機体においてはバルクホルンが好むそれと限りなく一致していた。
「おいシャーリー! 私の機体の魔力配分をどこで知った!?」
 ストライカーが引く雲を縦横に引き裂いていく破壊の線を従えながらバルクホルンが叫ぶ。
 上空、恐らく高度を上げこちらを眺めているだろう複葉機から、
『いやまぁ、整備兵とか』
「それも一種の軍機だぞ……?」
 速度がある分、事態の展開も早い。水平飛行でなくとも、安定して800キロ毎時を超えていると体感で悟る。以前履いたジェットストライカーにも迫る勢いだ。視界の中の敵は前方斜め左下方、既に横腹を見せる位置にあった。
 ゆっくりと、軌道の半径を狭めていく。
『固いこと言うなよ。給油の合間に急いで調整したんだ。ちょっとは褒めろって』
 自然、こちらの軌道とビームの交差点が迫り始める。機体が揺れる。ブレを受けて視界も揺れる。暢気そのものの声に煮えたぎる意識を抑えながら、
「お前はどうして――いつもいつも、何か褒めてやろうとするたびに、帳尻合わせのように、何かしら――しでかすんだっ!」
 声を弾かせ、回り切る。
 後ろを取っていた。こちらより僅かに下った位置の敵とは、直線距離にして既に百メートルもない。横腹を見せる隙は最小限に、バルクホルンは総身を反らせ、両脚を宙に投げ上げるように捻りを打つ。天地逆さのまま姿勢を敵に向かって正対させ、
「ここ、だっ!」
 蹴伸びの形で、突撃した。

 日頃は両手に振り回すMG42も、今日は一丁きりだ。
 それは火力の不安と引き換えに、『狙いを定める』余地をバルクホルンに与える。元より編隊による戦闘でもなければ、敵も大型ではない。そんな雑な戦法に身を委ねるつもりはなかった。心地は槍兵に等しい。照準を視線に、銃口を穂先に。今までに得た体感から、敵機の傍をすれ違えるギリギリの距離までを、真正面から真後ろに突き抜けていくビームの縁を滑るように一気に詰め、最接近。
 意識の最先端にある指先が、トリガーを弾く。
「っ!」
 撃音。
 次いで、衝撃音。
 点と点が限りなく近接し連続し、線となった音と弾丸がこちらの軌道に追従しながら僅かに螺旋を描きつつ、視線の先に吸い込まれる。が、
 ……硬い!
 破片が飛ぶ。それでもなお、コアの露出には至らない。撃ち続けねばならない。トリガーは既に引きっぱなしだ。MG42の暴力的な速射性が備弾倉まで貪り始める。皹が広がっていく。
 鉄を裂くような、異形の悲鳴が上がった。
 呼応し、ビームが再び撃ち上がる。その撃ち上げが、今度は高い。歪曲もしないまま、発射だけがただ続く。制御を失ったかとバルクホルン思った矢先、動きが止まる。
 見上げるのは数百メートルの高み、見えない壁に突き立つようにビームの雨は静止して、
 反転。
「――――」
 空に、滝が降った。

          ●

 小山のような雲塊が、一帯を通り過ぎていく。
  それをスクリーンに、空が、赤い輝きに染まっていた。
「おい、バルクホルン? おい!」
『……やかましい!』
 返答は一度、それだけを残して再び沈黙する。
 ヘッドホンが返すのはノイズではない。ただひたすらに続くビームの風切音と、それに伍するマーリンエンジンの駆動音。そして、不定期に混ざる吐息だった。
 ネウロイが、予想以上に硬い。本来のバルクホルンの火力ならば、という仮定は、この場の現実において意味を為さない。そして、この事態を予期していなかった二人ではない。
 シャーリーは、機体を変わらず旋回軌道の中に置きながら思いを巡らす。
 危機は初めからあった。
 それでもなお、と。バルクホルンは、この道を望んだ。戦闘を、自身に一任させることもまた然りだ。シャーリーは、それに乗った。
 その現実が今だ。
 戦闘が響かせる幾多の音の残響が、シャーリーのいる高さまで昇ってくる。
 カールスラント第二位のエースは、未だ健在ではある。少なくとも今は。そして自分は、
「……どうする……!?」
 声と直結して、思考が漏れた。しかし、その声に、確信に裏打ちされた否定が乗る。
 ――こと戦闘において。
 自分が、彼女にどう手が出せるというのか。
 そこには自責も、諦観もない、厳然たる事実がある。
 眼下。
 ビームの滝を大回りで誘導し、一時の下降から底面めがけて上昇軌道を疾駆した。全天から迫らんというビームは遠近が千路に混ざり、密度の判別には困難を極める。その中を、最小限のシールドで突破。ついに撃ち切ったらしい、赤熱した銃身を逆手に握り魔法力で硬度を強化、
『――ずおりゃあああああ!』
 身ごと振り回し、底面からネウロイを盛大に空に打ち上げた。追って上昇、回転する発射口から乱打されるビームをかいくぐって更に上昇、勢いを乗せた振りかぶりで追撃。
 今さっき初めて履いた機体には到底見えない練度。P-51系列の扱いに慣れている自分でも、ぶっつけの戦闘でこうはいかない。だからこその一任だ。
 ……放っておけるか?
 降って湧いた思考を即座に蹴り出し、思案の切り口を変える。こと戦闘において、
 自分がバルクホルンに勝るものは、何だ……?
『――うおおおおあ!』
 バルクホルンが、吼えた。
『――やかましいぞ! 誰じゃ、さっきから!』
 通信機も、吼えた。
「……は?」
『……なに?』
『――おお?』
 目をやる。
 機器が示す周波数は、ナイトウィッチ用のそれを示している。

          ●

 空は、混迷を極めた。
『……はあ、501? 501はロマーニャのはずじゃろう? それにこのチャンネル――』
「いや、まぁ、色々あってね……」
『……ふむ?』
 既に雲海に呑み込まれた下方では、かすかに赤光がちらつくのが窺える。生身の方、片耳にだけ当てたヘッドホンからも、変わらず状況が流れ込んでくる。
『なんだ、どうかしたのか!』
 バルクホルンが、息を吐く間に問うた。
「今506のウィッチと繋がった! こっちに気を回してる暇ないだろ気をつけろ!」
『言われるまでもないっ!』
 向こうの間近を風切音が過ぎ、バルクホルンの意識がそちらに向くのが分かる。
 間を置いて通信機から響いた声は明瞭で、
『……まぁよい。これも何かの縁じゃ。悪いが名は覚え切らんだろうから名乗らぬが――』
 思案の声音を、その一声で納得に変える。
『わらわのことは?姫?とでも呼べ。で、お主ら、ネウロイと遭遇したのか?』
「現在進行形だよ。この際ストレートに訊くけど、今すぐ救援に来れるか?」
『無理じゃな』
 一蹴された。予想はしていたが、それでも表情に苦味が走る。そこに追って、?姫?が言う。
『大分前から、そちらの音声はノイズ混じりに聞こえていた。恐らく、こちらで掃討中の漏れがお主らの前の輩であろう。距離も……察するに通信圏内ギリギリじゃから、仮に今すぐ向かっても間に合うかは危うい』
 耳を澄ませてみると、確かに通信機の向こうからは、声以外にも数多の爆発と射撃、ビームの音が入り乱れたまま流れてきている。その中をこの調子で喋れるのだから、このウィッチも相当なものだと、言わず評する。
「ふうん。こっちのチャンネルをつけっぱで戦えるくらいには余裕なんだろうになぁ」
 敢えての軽口だった。それが叩ける状況なのだから落ち着け、と自身に言い聞かせる術に、
『き、切るのを忘れておっただけじゃ!』
「さっきいっぺん切ってたろ。ほら、誰か相手に情報漏えいしかかってた」
 んな、と?姫?は声を詰まらせ、
『どこから聞いておったお主!? さては貴様も広域探査の魔法が……!?』
 ……反応いいなぁ。
 予想外なレベルまで復調してしまった。これは過剰だとシャーリーは自戒し、生まれた余裕で要の問いを投げた。
「ともかく、だ。それならそっちはあてにしない。ただ、喋るだけの余裕があるなら、こいつの対策を教えてくれ。新聞通りなら、もう二戦目なんだろ?」
『対策、か』
 反応は即座だった。
『一撃必殺、これに尽きる』
 ……この言い切り方。少佐みたいだな。
 内心の呆れの一方で、高説とも言うべき調子の良さで言葉が続く。
『こやつらはとにかく硬い上、戦いを長引かせるほど攻撃が激しくなる典型じゃ。最初の接近の時点で、大火力でもって一気に砕くしかない』
「……ちなみに縁ついでに聞くけど、お前らの装備って何だ?」
『MG151/20と――、』
 返答が、猛烈な爆音で掻き消えた。
『――すまぬ。今使ったが、パンツァーファウストだな』
 ……やっぱりか。
 いずれの装備も、火力特化の重武装だと理解する。
 ナイトウィッチは単機での戦いを強いられる性質上、火力重視の武装が主流だ。そのナイトウィッチが例外的に集められたJFW、それも貴族出ばかりで金周りがいい506の武装なら、こういった類のネウロイの掃討には最適だろう。
 火力。それこそ、バルクホルンが本来部隊の誰よりも勝っている点であり、今この場で独り戦うことができている彼女に唯一欠けているものだった。
 載せるのを渋った私のせいか。そういう意識を、今度は蹴り出すのではなく強い否定で掻き消した。今回全ての用意は、自分とバルクホルン、双方の合意の結果だ。一方のみが責任を背負うことは、自分が許さないし相手も許さない。お互いの認識は、その点においても一致しているはずだった。
『……ええい!』
 雲の中から、インカム越しに舌打ちが聞こえた。既に展開は攻めの一手だが、決めきれないまま少なくない時間が過ぎている。熱くなりやすいバルクホルンの心中は、察するに余った。
「バルクホルン! 今までの流れ、聞こえてたなら分かるよな!」
『火力不足など初めから承知の上だ! 提案があるなら手短に説明しろ! こんな相手一機に手間取るとは――』
 憤懣をためらわずぶつけてくる調子に、面白がるような応答が被さる。
『なんじゃ、相手は一匹か? それで救援を求めるとは……貧弱な武装で苦労するのう』
 ごもっとも。と肩をすくめたのはシャーリーであり、
『やかましい!』
 反応したのは、やはりバルクホルンだった。
『そっちの補給が潤沢に過ぎるんだ! 私が貴様の上官なら、アフリカ戦線に半年送り込んで、その金汚い性根を熱砂の溶鉱炉で溶かし直してやるところだ!』
 再び遠ざかる声。一方の、『……何を荒れとるんじゃ?』とおののきに震えた声は聞き流す。旋回を続ける機体の中で、シャーリーは再び沈思する。
 自分が、戦闘においてバルクホルンに勝るもの。
 彼我のデータを分析、比較してみるに、
 ……ムズいなぁ。やっぱりデッドウェイトが痛いかなー。空気抵抗も大きいし。
 詮無い思考をクッションに、意識を本格的に切り替える。
 この状況を打破するには、唯一、バルクホルンに火力が備わればそれでいい。そして、それはこの際、武装によるものでなくてもいい。宮藤など、ブリタニアでは自身のストライカーが内包する魔法力を用いて、巨大なコアを破壊してみせた。
 ストライカーを使う。
 あるいは、ストライカーの性能そのものを武器とする。
 その経験は、他ならぬシャーリー自身も得ているものだ。
 その記憶を振り返り、しかしシャーリーはその表情に苦味を生む。
 ……でも、あれっきりなんだよなぁ……。
 ブリタニアにいた頃の一件だ。再現性のない現象だが、報告書には『ネウロイに、シールドを張ったまま音速で突撃。そのまま貫通し、撃破した』と残されている。
 シールドの硬度さえ十分であれば、あとは速度がそのまま武器に変わる。
 今ここにあるP-51Hは、恐らく世界で最も速いレシプロストライカーだ。水平飛行での音速到達にはまだ遠いが、直滑降であれば。それは戦端を開いた直後にバルクホルンが証明した。
 ……でも、今の状況からあの速度は取り戻せない。
 空戦の常識だ。航空魔女も航空機も、戦闘は位置エネルギーと運動エネルギーの交換であり、そのリソースは機動の端々で失われていく。
 ……なら、私の固有魔法か。
 自然、思考が向くのは自身の持つ加速の魔法。一度きりとはいえP-51Dを音速の先に導いたのは、再現不能のチューニングと同時にこの力の存在が外せない。
 分かっているのだ。答えは、これほど近くにある。
 自分なら――と。
 しかし、その結論が、たまらなくシャーリーの心に棘を刺す。
 内心に続く思いを、それ以上言葉にするのが憚られる。それはバルクホルンも珍しがった、
 ……怖いな。
 恐れ、不安。シャーロット・E・イェーガーという人格が、紛れもなく持っているそれらが、彼女の心を体を、操縦席から離さない。そんな中、
『……ふむ』
「――あん?」
 意識を外していたのか、沈黙を決め込んでいたのか、どうやら後者だったらしい。
 不意に動きを見せた、依然名も知れない?姫?は、
『お主――ビビっておるな?』
 どうしようもなく的を得た。

          ●

『……はあ?』
 遠く、耳元で声がした。同じく、これは更に遠く、しかし、やはり耳元で声が続く。
『ほうれ。反応が鈍かろう。お主の声は本来、もっと溌剌と発せられるものだと察するが――どうじゃ?』
 ……何を言っている?
 バルクホルンは、幾度目かの打撃の後、そこに感じる異質な空気に気をやった。
 空を無数と駆け下るビームの軌道には、既に大よその見切りがついていた。こちらの攻撃は依然、敵の再生速度を超えられない。それでも、燃料や各部の消耗から察せられる、戦闘可能な時間の見込みも意識に残し、徐々に通信に意識を向ける。
『こちらの戦闘は、実はさっき終わってな。まぁ、そちらが情けないことに戦闘をいつまでも続けておるようじゃから現在向かってやっておるわけじゃが……、ああ、無論単機でな』
 こんなことを言っている。憤りが腹の底で跳ねた。しかし、
『しかしお主――それまでどうする? そこで観衆にでもなり切るか?』
『分かりやすい挑発だなぁ……今、対策を考え中だよ』
 会話が完全に自分を置いて進んでいることに、バルクホルンは疑問を覚える。
 ……シャーリーに何がある?
 この場で、戦っているのは自分だ。ならば、そこに向かっているらしい相手が自分を気にも留めないのは妙ではないか。戦闘は継続している。そこに横槍をして、意識を散らせるまいという配慮とも思えたが、
『……ああ、戦っておる方、厳しいなら、そのまま現状維持でよいぞ。もし倒せたならば話は終わりなので、そのときは言ってくれると助かるがの』
 この言い様だった。こうまで言われて、「片付いた」以外のセリフを先に吐けるほど、バルクホルンは相手の言葉を流せない。そして声は再びこちらから意識を外し、
『お主、既に打つ手があるように見えるのよな。ああ、見えてはおらんぞ。ニュアンスじゃ』
『……具体的には?』
『それは分からん。分かるのは、お主がそれでもなお、別の理由からその手段を拒んでおる。そういう気配よ』
『その理由も、分からないわけ?』
 返す刀は、おかしみを多分に含んだ刃で、
『いや、そっちは大体察しがつく。――遠慮じゃろう』
「!」
 不意に受けた精神の揺れに一瞬、エンジンの動きが弱まった。たちまちに、周囲を取り巻くビームの篭目が締め上がり、避ける難易度が跳ね上がる。バルクホルンは、直前の自分の迂闊さに歯噛みした。スーパーチャージャーが稼動し、速度を引き上げた全身でネウロイに向かう道を探す。やむを得ず、会話から意識を手放す中で、
 ……遠慮? シャーリーが、私に?
 最後に得た疑問が、脳裏をしばらくは反響した。

          ●

 バルクホルンと全く同時、
『っ!』
 声を失ったのはシャーリーもだった。こちらの揺れを察したのか、
『当たり、か。まぁ、わらわも、何も悪戯や遊戯でこんなことを言っているわけではないぞ』
『んじゃ、親切心? ……結構遊ばれた感あるなぁ』
 常日頃ならいざ知らず、実際、自分も参り始めているのだろう。思いのほか、他人の言葉が受け流せない。これじゃバルクホルンと変わらない、と口角を曲げ、苦笑する。
『そうじゃ。……端的に言おう。お主、やれることがあるなら早くやった方がいいぞ』
 放たれたのは、問答を許さぬ調子で、
『……まぁ、ねえ』
 呟き、嘆息と共に観念する。今の自分では、このまま我を張り続けてなお、上手く事を運ぶ自信がない。インカムの向こう、バルクホルンの意識が完全に外界を向いていると分かるのも、その選択の背を押した。今のうちに、弱音は吐き切ろうと息を吸い、
『あー、きっと怒鳴るぞー。お前は――って。私以外にも、大勢心配してやってんのに』
『そうなのか』
『そうなんだよ。やたらめったら背負い込んで、その上それで回りが全員喜ぶと思ってる』
『それはいかんな』
『対応、適当になってないか?』
『そうでもない。知らぬ人間の関係に、何を言えることもない。それだけじゃ』
『……確かに。それじゃ私も、あんたとさっきの話し相手については何も言うまい』
『そ、その発言自体を憚らんかぁ!』
 はは。と軽い笑みが漏れ、次いで、ぎゅっと表情を引き締める。
 舵を久方ぶりに動かした。ゆっくりと、機体が旋回軌道から離れていく。
『まだ、こっちに向かってんの?』
『うむ。この際じゃ、駄賃がてら面は拝みに行ってやろう』
『言葉汚いぞ?』
『お主には負ける』
 機体をゆっくりと傾ける。俯瞰する戦場が次第に近く、
 最後に問うた。
『この際訊いてみるけど――なんで親切する気になったんだ?』
 即答だった。
『お主ら、仲良さそうじゃったからな』

          ●

 台風の目のごとく雲に取り巻かれた空間の中。
 接近する。
 歪曲したビームが迫る。回避する。
 接近。底部を打撃。吹き飛ばす。ビーム。回避。再生。打撃。再生。ビーム。回避。回避。
 退避。
 ひたすらに繰り返した。繰り返したのは自身の愚直さであり、繰り返せたのは、自身の技量以上にストライカーの性能が大きいと感じる。
 しかし、幾度目かの繰り返しの中、MG42の銃身そのものにも限界が迫っているのを悟る。打撃による状況のリセットが、かろうじてこの戦場を保っているといっていい。それを失えばどうなるか。
 そこから『先』が、見えない。
 その暗闇を、バルクホルンは意識的に無視した。
 そして現在、
 回り込みのため潜っていた雲を突き抜け、バルクホルンの身は天上に躍り出た。
 接近までの過程は、これまでと変わらない。むしろ、冷却のために噴射する水エタノールが減っていく分、機動力そのものは常に上がっているといえた。しかし、それを使い切れば内燃機関の加熱は収まらず、やがてエンジンブローを招く。チャージャーによる加速も、今となっては欠かせない。
 自身の集中力、体力、それらとは別の次元で、この戦闘は終わり得る。それに焦りを抱かずにいられるほど、バルクホルンは自身の胆力を評価していない。
 こちらの攻撃頻度が減れば、自然、敵の射撃を許す。
 もはやネウロイの周囲は、常時シールドを張らねばならないビームの豪雨に包まれていた。それがバルクホルンに反応した瞬間、たちどころに志向性を持つ。
 あたかも、空間ごと押し迫るかに見えるそれは威容すら放ち、
 ……壮観だな。
 シールドで防ぐことは免れない。しかし、受け続ければ速度は殺される。即断は軌道を下方に捻じ曲げ、身を上下に翻した。
 着弾。
 ビームの残滓が飛沫となる中、バルクホルンの姿はネウロイの直下にあった。
 頭上にかざしたシールドには、僅かに意識的な傾きがある。それは叩きつけられたビームを表面に滑らせる形で、受けた衝撃を前方向の速度に転化、バルクホルンの体を、一気に波の向こうに押しやっていた。
 状況が直下のそれに映る。
 一瞬前まで上下の豪雨だったビームが、たちまち軌道を湾曲させ渦を巻く。
 バルクホルンの動きは変わらない。
 徹底した愚直さで、数十秒前の自分の動きをトレースする。身を回し、打撃。発生する猛烈な衝撃の中、静止状態から錐揉みに移り、宙空を舞うネウロイに追従。胴体に更に打撃を放ち、重ねた一点から亀裂を発生させる。
 と、
 三打目が、外れた。
 ……打たれ慣れたか!
 素の錐揉みに意識的な回転軌道を加え、ネウロイはバルクホルンの攻撃からなる勢いを利用したのだ。追撃を危険を踏む思考と、これ以上の対策を撃たれる前にと撃破を急ぐ思考の二つがせめぎ合い、
「――こぉのっ!」
 勝った後者が、バルクホルンの身を前に送った。直後、ネウロイの回転が瞬時に早まり、
 ……背面が、こちらを!?
 ピタリ、向く。
 選択肢はなかった。
 無数の衝撃に晒され、いびつに歪む銃身は、魔法力で強引に強化され、更に怪力の固有魔法が持てる最速で振り抜かれた。それは赤い輝きを放つビーム素子との接触と同時、音も立てずに滅削される。
 素子は、七割が衝撃で断裂、残りが依然光を放ち、
「――――」
 空白の表情を、赤光が鈍く照らし出す。その輝きを、
「――あらよっとぉ!」
 ブラウニー・オートマチック・ライフル――BARが、打突した。

          ●

 破砕と爆砕が、同時に起こった。
 残弾を内部に保持したままネウロイに先端を突き立てたBARは、異常ともいえる『加速』で赤い素子の一つに食い込みながら圧壊。熱風と破片を、周囲の空間にぶちまけた。
 そしてその直前、ネウロイの直近を斜めに飛び抜ける機影がある。
 音速には到底及ばない、しかし、エンジンの本来の推力からはあり得ざる速度で夜空に昇るシルエットには、GLAMOROUS SHIRLEYのペイントと、
「よしよーし、よく耐えたな! 偉いぞ、私の愛機第二号!」
 操縦席から身を起こし、不自然に揺れ始めた機体に向かって歓声を上げる、燐光を纏った、ウサギの耳の立ち姿。その手に抱きすくめられていたバルクホルンが、泡が弾けるように意識を取り戻す。両脚の先端に、一時的に切れていたプロペラ呪符が展開する。
「――な、な?」
 周囲の環境の目まぐるしい変化、何より、首筋を押さえ込む妙な弾力に声が上ずる。
「お、起きたか。よかったなー、ストライカー脱げなくて」
 風の中、告げる声音は過剰なほどの攻め気に満ちて、
「見てらんないからな。私も混ぜろ」
 シャーロット・E・イェーガーは強く笑う。

          ●

「まったく、何をやっているんだお前は!?」
「おいおいお、それは言いっこなしだろ? さっき助けなかったらお前――」
「……それはそれだ! こんな機体で飛び込んでくるなど、それこそ死ぬ気か?」
「ちゃんと加速かけてたんだ。攻撃されても抜けきれる自信はあったよ。今はガタが出始めたから無理だけど」
「意味が分からん!」
 まぁ聞けよ。と言葉の頭を押さえ込む。
 既にこちらに併走しているバルクホルンを言い含め、シャーリーは雲の中、上昇を続けた。
 状況は、依然良くはない。
 ネウロイは健在、救援は遠い。接近してから気づいたが、板金の隙間からオイルを滲ませるP-51Hの姿は痛ましく、グラマラス・シャーリー号に至ってはフレームが歪んでいた。
「おい、シャーリー」
 努めて声を落ち着かせているのが分かる。言ったものかとためらいながら、やはり言わねばなるまいと、バルクホルンは面映い表情を僅かに浮かべ、
「……お前、私に遠慮していたのか?」
 ……そこから来るか。
 本心からの問いに、こちらの強気も剥がれかかる。「まぁね」と前置きを挟み、ネウロイが足を止め、再生に注力しているのを確認してから、こちらに向けられた視線を同じく見返す。
「行きに話してたろ。私が羨ましいって。その後お前、先が見えないって言ったよな」
「……それが理由か? それだけじゃないだろう」
「うん」
 上昇が、緩やかに収まっていく。
「私もさ、羨ましかったんだよ」
「……私のことがか?」
「うん」
「……まさかだな」
「ほんとだよ」
 二機揃って、雲を抜ける。
 既に、眼下は雲海だった。
「それで、お前が先が見えないとか言うだろ。そんなこと思いもしなかったからさ、びっくりしたよ。自分で言うのも何だが、夢しか見てないような私だからな」
「……私が急に帰ると言い出したのに、強く反対しなかったのは?」
「嬉しかったんだよ。ああ、見えなかったものを、見つけたのかって」
「……しかし、それは目先の目標に逃げただけだった。真に向かうべき敵が何なのか、どこにいるのか、私には未だに分からない」
「みたいだなぁ」
 シャーリーは、吐露された弱気を否定しなかった。バルクホルンにすれば、強く否定して、道を示して欲しかったのだろう。訝るように向ける視線は、それ以上に不安げに見える。
 答えを求められた二歳年下の大尉は、静かな微笑みと共に肩をすくめ、
「多分さ。お前、ずっと勘違いしてるんだよ。夢だ先だって言うけど、私だって、『音速』っていう夢は目先の目標に過ぎないんだぞ? その『先』なんて、まだ知らない。お前以下さ」
「……そうなのか?」
「そうだよ。お前と私じゃ、夢が違う。なら、目先の位置が違ったって変じゃない。そして、目先は全力で目指すものさ。気持ちこそ逃げてても、方向は間違っちゃいない」
 だろ。と促す。
 バルクホルンは、受けた言葉を噛み締めるように二度、三度と瞬きし、
「なら、仮に、戦うことが目先の目標でよかったとしても、」
 ……私にとっての本当の敵は、目標とは、何だ……?
 初めて言葉を得たかのように、呆然と呟く。シャーリーは、
「そうだなー……。多分、そこが勘違いの始まりじゃないか」
「……始まり?」
 ……疑問系が続くなぁ。
 それは、こちらの振りに身を委ね切っているということでもある。それはありがたくもある。が、それ以上に危険だ。一連の反応を受け、シャーリーは心中で思案する。
 元より、知った風な口が利けるのも、話題からしてここまでだ。後に残された答えは、当人しか見つけ出せない場所にある。夢の第一人者を自負する彼女は、
「――訊いてみるんだけどさ」
「ああ」
 これが最後と、声を送る。
「お前が軍に入ったのって、いつの話だ?」
 声は疑問の形であり、それは相手に、自らの内面を掘り下げることを求める訴えだ。
「……ネウロイ襲来前のことだ」
 バルクホルンは思い出す。
 カイザーベルクにいた頃のことだ。クリスはその頃から元気が過ぎて、よく怪我をしては、泣き腫らした顔で帰ってきた。そんな危なっかしい妹を、両親と共に、自分が守ってやろうと思った。その思いが、常に胸にあった。
 白夜の空の下、遅くまで遊んだ。踏み固めた雪の上を、飽きるまで駆けた。不意に転びそうになる妹を、慌てて抱きとめて、たまらず二人とも転った。寝転がったまま、笑い合った。
 二人して見上げた空に、当時はまだ物々しい装備を背負っていた、航空魔女の姿を見た。
 ただのそれだけ。
 ただのそれだけが、始まりだった。
「――そうか」
 初めて得た言葉が、自分の言葉に置き換わる。それは最初、夢という名で、
「私は初めから、敵など求めていなかった。軍に入ったのも、結果でしかない。私は、」
 次の瞬間には、現実という名に変わり、
「ただ、守るための力でありたかった――」
 現実の自分は、ゲルトルート・バルクホルンは、
「私は、とうに夢を叶えていたのだな――」
 僅かにうつむき、少女の顔で、はにかむように笑んだ。
「……すまんな。もういい」
 そして、一拍の間から表情を切り替え、隣を向く。言われるまで空を見ていたシャーリーは、
「……んじゃま、帰り支度を済ませるか」
 横目にも笑みを含め、手を伸ばす。
「……そうだな」
 バルクホルンが手を取り、強く引く。
 強い横風の中、シャーリーは操縦席の縁を蹴り、浮き上がる。

          ●

 そのネウロイは、殊のほか深かった背面の断裂を完全に消し去ってから、おもむろに上昇を開始する。先ほどまで交戦していた相手の姿は、まだコアの内部にも鮮明に記憶されている。それが消えていった雲間に向けて身を傾けようとした矢先、その視界の果てに点を見る。
 赤の素子がドミノ倒しのように次々と輝き、同じ速度で響いた発射音が、空に数十の軌道を描いて駆け昇った。それまでの学習の表れに、全ての起動が複雑に揺らぎながらも収束し、
 着弾――しない。
 点が、二つに割れたのだ。

          ●

 真横で一点に集まったビームは、以後の制御を失い高空に向け四散した。
 その光景の向こう、緩やかに離れていくグラマラス・シャーリー号を一瞬見やると、その名の本来の持ち主はすぐ傍からの声を聞いた。
「……あの機体は?」
「しばらくは滞空してられるだろうけど、そのうち落ちる。それまでに、ケリをつけて拾わなきゃな」
「ああ」
 両腕を首に回した姿勢は、下半身を完全に放り出す形だ。バルクホルンは、降下軌道の中、それを腰から抱きとめる。でかい尻だ、と内心で毒づきながらシールドの半径以内に収めつつ、
「……もう一度確認するぞ。やれるんだな?」
「丸腰なんだ。やれなきゃジリ貧でおしまいさ。それとも、アイツほっといて逃げ出すか?」
「そんな選択は存在しない。この付近も、少し行けば街がある。よしんばなくても同様だ」
 返答には、迷いもなければ焦りもなく、空いた片手で髪を払う仕草を挟み、
「やるぞ」
「おう」
 直後、ビームの第二波。やはり軌道は乱数じみた無軌道さで迫るが、
「悔しいが、シールドが心もとない。協力しろ」
「あいあい」
 二人は構わない。身を倒す。P-51Hが火を散らし、
「――行くぞ!」
バルクホルンの吼声が、尾を引いて直下に消えた。

スピードが、見る間に上がる。周囲からたちまち湧き立つ雲が、視界の先端から最後方へと吹き飛んでいく。燐光を纏うシャーリーが、
「――まだだ、まだ足りない!」
「分かっている――!」
 重力と魔法力、二つの加速が突き降りる。
 再現するのは、ブリタニアでのシャーリーの突貫だ。水平飛行では、ユニットの状態、魔法力共に不安が残る。それゆえのこの直滑降であり、そのための先の上昇。
 雲海を貫く槍となって、二人は真下を、正確にはビームの根元を目がけた。
 こちらの動きは見えているのだろう、ビームはこちらの速度を殺すように真正面から来る。
 衝突は常に続いている。回避してあらぬ方向に逸らされるより、それを敵へのガイドラインとして利用しようという算段だ。
 バルクホルンの予測は正しく、本来ならば一度に数十というビームと押し合えば、たちまちシールドへの負荷から魔法力が枯渇する。しかし、その更に先に展開されたシャーリーのシールドが、第一波を弾き散らす。そのシールドはバルクホルンのそれよりも遥かに小さく、止めるというよりその周囲へ受け流す役割を果たしていた。
「……この状態は保てるのか!?」
「小さいから疲れないけど、小さくするのは疲れる……あと十秒!」
「最後の一言だけでいい!」
 加速は止まない。
 第三波。間隔が近い。雲の密度は次第に薄まり、
「抜けるぞ!」
 抜けた。
 まず、大地が見えた。山は高く、平地は広く、こちらを結ぶビームの大樹の根元に小さく、
「――見えた!」
 黒点目がけ、
「いっけえええぇ!」
 距離をゼロに。
「!」
 次いで、開く。ネウロイの直近を、ビームを引き裂き交差した。
 交差で、終わった。
「しまっ――」
「まだだろ!」
 シャーリーが吼えた。バルクホルンの腕を取り、手を握り、身を翻して天を向き、
「バルクホルン! 気張れよ!」
「意味が分からんが――気張ってやろう!」
 二人の体を、互いの光が伝播する。それは身体の『強化』と『加速』の魔法の現れであり、
「『加速』を『強化』だ!」
「できるのか!?」
「知らねえ――!」
 かざした腕を、ネウロイへ。それが指針となり、舵となり、速度という槍の穂先となり、

 大地に向けた遷音速を、天に向かって音速がぶち抜けた。


          ●

「――っ!?」
 バルクホルンが意識を取り戻したとき、真っ先に感じたのは寒気だった。
 覚醒に合わせ跳ねようとした四肢が、しかし強張る。そこまで来て、初めて周囲を見渡した。
 ……高過ぎる!
 空の暗さは、既に夜のそれではなかった。激しい星の輝きと、地上の丸みに囲まれた世界にバルクホルンの身はあった。ストライカーがまだ稼動していることを確認し、
「――そうだ、シャーリー!」
 そう言って、外気の中、首筋だけが未だ温かいことに思い至る。息を呑み見れば、
「――くあー」
 ……呻きのような、いびきか、これは?
「……はぁ……」
 大きく、息を吐く。その理由の半分以上が安堵であったことに、むしょうに憤りを催した。無理やりに半目を作ると、僅かに燐光を纏わせた手で首から提がるその頬をつまみ、
「っ痛えぇ!」
「やかましい!」
「誰のせいだよ!?」
 涙声で投げつけられた反駁に、ようやく、真の意味で我に返る。
「……もういい。目が覚めたなら、周りを見ろ」
 ああん? と、こちらの喉元に食らい付かんばかりの剣幕のまま首を左右に振り向け、
「うお、うおおおい? なんだこれ……」
 シャーリーは、間の抜けた声で驚きを示した。バルクホルンは、気がついてから今までの間に立てた推論をこぼした。
「音速が、予想以上に維持されたようだな。もう少し続けば、どうなっていたことか……」
「……ネウロイは? やったのか?」
「あれで生きていたら勲章をやりたいところだ」
 重力が、明らかに弱い。降下は既に始まっていたが、髪のなびきは緩やかで、そのせいか、状況の割に心の中は平静だった。
「いやぁ……やれるもんだなぁ。それに、これも非公式だ。もったいないよ」
 シャーリーの思い出したような言葉に、素直に頷きを返す。
「ああ。もう一度やれと言われても、やれる気がしないな……」
「……なあ」
 追って聞こえた声を、バルクホルンは始め、同意と解釈していた。しかし、
「さっきの話、続きがあったんだ」
「……続き? 夢の話か?」
「そ」
 虚空の中、P-51Hの駆動音だけが空に木霊する。
「私もさ、お前がそうやって悩んでいたのを見てさ。思ったんだ。それじゃあ私は、今の目標の先に何を探すのかって」
「音速を記録して……その先に、か」
「ああ。それで、今決めた。私は――やっぱり、もっと速くなる」
 その答えは、こちらが描いた予測と寸分違わない。その事実に、おかしみが湧く。
「……ふふ」
「なんだよ」
「いや――、で?」
 笑みを強引に噛み殺し、続きを促した。
「ったく……それだけだよ。私は、音速を目指して、音速を達成できたら、次は最速さ」
「ロケットにでも乗る気か?」
 速度というのものは、求めだせばきりがない。ストライカーユニットという機械の次元では、レシプロ機が持つ性能限界は音速の数歩手前がせいぜいだ。だからこそ、目標として『音速』という枠が機能する。その目標の前提となる『使用する道具』を選ばないなら、それこそ目標となる速度は青天井だ。シャーリーはそれを踏まえているのだろう口調で、
「どうだか。とりあえず、あのジェットストライカーに乗り換えて、それからかな」
 バルクホルンが思い起こすのは、いささかの気恥ずかしさも混ざった記憶だ。
 試作機として501基地に届けられた最新型のストライカーであるMe262 V-1は、圧倒的な性能と同時に副作用も持ち合わせていた。暴力的な魔法力の消費。それが改善され、戦地に正式に送り出されるのがいつになるかは、ハルトマンの双子の妹にすら知れないだろうと思う。
「あれが実用化される頃まで、戦いが続いているだろうかな」
「そうだな。終わっていればいい。その方が、安心して飛び回れる」
「……お前は、最初から戦いを、」
 いや、と声を切って、言い直す。
「『ネウロイとの戦い』など、視界に入ってはいなかったんだな」
「そりゃそうだ」
 シャーリーは事も無げに主張する。
「知ってるか? 私がウィッチになった理由、『速そうだから』だぞ?」
「知っていた。しかし、それほどまでとはな」
 呆れの混ざらない、素の嘆息を漏らす。苦笑するシャーリーは決まり悪そうに頬を掻き、
「……でも、お前だって、そうだったんだろ?」
「……ん?」
 そう、問い返される。
「ネウロイを相手に戦うために、軍人になったんじゃない。もっと別の、ウィッチになること自体が手段に過ぎないような、そんな目標があったんだろ?」
「……」
 シャーリーは、一度聞いたはずのバルクホルンの吐露を、敢えて復唱はしなかった。それは、夢というものの重みと大切さを、他人が言葉に乗せることで汚したくないという彼女なりのけじめなのだと、バルクホルンはそう思った。
「……ああ、そうだ」
 そして自分も、敢えては言わない。言わず、新たにした決意を、ただ告げる。
「私にしても、ネウロイなぞは路傍の石だ。確かに当面の目標として、母国カールスラント、そして故郷の奪還、それを掲げてはいる。だが私の夢は、更にその先にある」
「やることは、お互い変わらないな」
「そうだな……。とりあえずは」
 少しずつ、青みを取り戻し始めた空に誓う。
「全てのネウロイを倒す。……その先の全ては、それからだ」
 丸みのある大地が、次第に近づいていく。日の出が近い。大気がにわかに熱を持ち、駆動音以外の音が耳にゆっくりと届き始め――、
 ブルン、と。
 入れ替わるように、駆動音が止んだ。
「――お?」
「……む?」
 止んだ音は戻らない。魔法力が大気中のエーテルを噛むことで現れるプロペラ呪符も、動きを止めると同時に消失する。銀白色だった機体は、いつの間にかオイルにまみれた姿で不規則に震え――直後、無数のパーツに分解した。
「――――」
 パーツから即日組み上げた状態での長期間の戦闘、強引な加速、無茶な軌道によるVターンでの音速突破、それによる加熱、一瞬の後の急速冷却――不安材料は無数にあり、この状況から導かれる結末に二人は同時に辿り着き、
「……やばっ」
「もっと慌てるべきじゃないのか!?」
 当然のように、落下する。そこに、
「――なんじゃ、えらく高いところにおるのう、って」
 落ちとるぞ――――。
 声が、下から上へ流れていった。見上げた先の姿、夜戦仕様に黒く染まったストライカーと制服姿に当たりをつけたバルクホルンが、声そのものから思い至ったシャーリーが、
『助けろ!』
 純粋な本音を同時に叫ぶ。?姫?はその叫びに取り合うでもなく、とりあえずとばかりに速度を合わせて追走し、
「ふむ……ネウロイは無事退けたようじゃな。まあ、それはそれか。で、助けろと?」
『早く!』
「ふむ……まあ、それもそれで良いのじゃが」
 なびく金髪に王冠型の魔導針を浮かべながら、ついと指を側方に向け、
「あっち、複葉機が落下中じゃが、お主らのか?」
『あーっ!』
「……実際、仲良いのう」
 感心するばかりのナイトウィッチに、ようやく別々の反応が返る。まず上がった声は、
「あっちを頼む! 隊の皆の土産物とか詰めてるんだよ! ていうか、あの機体私んだぞ!」
「ふざけるな! 貴様死ぬ気か!? ストライカーがないのにどうやって着地するって――」
「……ふむ、まぁ、先に言った方の望みから聞こうかの。待っておれ」
 行った。
『…………』
 大気の熱が、高まっていく。それはついに姿を見せた太陽以外に理由を持たないはずだった。
 猛烈な風にばさつく髪をそのままに、ひたすら首にしがみつくシャーリーが空笑いをする。
「……いいさ! 待とう! 大丈夫まだ高度は十分だ!」
「抱えて貰ったまま機体に向かってもよかったはずだ! 命と機体とどちらが大事だ!?」
「どっちもだけど、でもあいつは私の名前だからさ――!」
「意味が分からん――!」
 遠く、小さくなっていくナイトウィッチに合わせるように、笑いと憤りの叫び合いもやがて静まっていく。そして始まる会話は、ある種の覚悟も伴って、
「バルクホルン」
「……なんだ?」
 胸の奥の震えをひた隠しに、応じる声はやはり震え、それを相殺するように張り上げられる声もまた震え、差し込み始めた白光の中、二人は風圧によるもの以上に震え上がり、
「夢、叶うといいな。お互いさ」
 無理に剥いた歯で、片手に立てた親指で、ニコリと笑うその顔に、バルクホルンは、
「やかましいわぁ――――!」
 ガリアとロマーニャの国境線上で、怒号が爆発した。


コメント



1.無評価Satchel削除
I feel satifsied after reading that one.