穂積名堂 Web Novel -既刊公開用-

Go Beyond!!

2012/08/17 18:23:13
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Go Beyond!!

「くぁ……ぁ……」
 盛大な欠伸を隠しもせずに漏らしながら、エイラ・イルマタル・ユーティライネンは一人食堂へと続く廊下を歩いていた。
 午前とはいえ、そろそろ朝と言うには遅い時分。本来であれば寝坊を咎められてもおかしくない時間帯だが、昨晩夜間哨戒に出ていた事を考えれば、まだ充分に早い。事実、共に夜間哨戒に出ていたサーニャ・V・リトヴャクは、まだ部屋で静かに寝息を立てている。
 そんな、普段であれば間違いなく寝ているであろう時間。それでもこうして彼女が寝惚け眼をこすりながらも起きてきたのは、さしたる理由があっての事ではない。
 一つは単純に寝ていられないほど暑かったという事だ。
 第501統合戦闘航空団の再結成と共に、ここロマーニャに移ってから半年近くが経とうとしているが、日に日に強さを増していく日中の日差しと気温は、スオムスで生まれ育ったエイラにとって幾分辛いものになりつつある。
「……私にアフリカは無理だな」
 廊下の側面、石造りの壁をくり抜いただけの窓から見える真っ青な空を眺めながら、ふといつだかに仲間から聞いた遠い地の話を思い出した。
 仮に本国からそんな指令が出たところで、そうそう素直に従う気は無いが、世界の何処を見ても戦力不足は否めない。何時地球の裏側まで行ってこいと言われてもおかしくないのだ。
 ――オラーシャ方面なら、喜んで行くんだけどなー。
 ペンキを塗ったような、そんな作り物めいた空に暫し想いを馳せる。
 今度こそサーニャの両親を捜しに行く。
 ヴェネツィア上空に現れたネウロイの巣を消滅させた今、それこそがエイラにとって最大の目的であり、目標だった。
「……っとっと」
 外を眺めている間に少しばかり通り過ぎてしまったようで、エイラが二、三歩後ろに戻って、食堂のドアに手を掛けた。
「あ、エイラさん。おはようございます」
 中には先客がいたようで、入ったところですぐに声がかけられる。聞き慣れたその声にエイラが台所の方を見ると、案の定見知った顔がこちらに笑みを向けていた。
「なんだ、宮藤か……」
「なんだ、ってひどいじゃないですかぁー」
 拗ねたような声を上げる宮藤芳佳だったが、エイラが「悪い悪い」と片手を上げて謝ると、すぐに機嫌を直したのか、膨らませた頬を引っ込めた。
 先のネウロイとの戦いで、自身の魔法力の全てを使い切った宮藤は、それでもそれまでと変わりなく、あるいは今まで以上に食事や洗濯など、出来る仕事に精を出していた。
 空を飛べなくなる。
 ウィッチならば誰しもにいずれは訪れる運命とはいえ、年齢による魔力の減衰であれば、程度の差はあれその固有魔法まで失う事はない。しかし宮藤の場合は完全なる魔法力の消滅であり、その代名詞ともいえる治癒魔法も、今はもう使えない。
 とはいえ、当の本人は悲観する素振りなど微塵も見せず、むしろ清々しささえ感じさせる程だった。それは同じく魔法力の消滅という運命に見舞われた坂本美緒も同様であり、そしてそんな二人だからこそ、ネウロイの巣、その大元たるコアを破壊する事が出来たのだろうとエイラは思う。
「あれ、でもエイラさんって昨日夜間哨戒に行ってたんじゃ」
「なんだよ、私が早起きしたらダメだっていうのかー?」
 ネウロイの巣を消滅させたとはいえ、それで全ての敵がいなくなったかといえば、そうとは言い切れない。
 ヴェネツィア方面におけるネウロイの殲滅、それも504に委任されるのだが、その引き継ぎが終わるまでの間、これまでと同じように501のメンバーが出動していた。引き継ぎの完了は既に数日後に迫っており、それが終われば完全に501は解散。つまりはこれが最後の仕事だった。
「まぁ、起きたというより起こされたようなもんだけどな」
 独り言のように呟いたエイラの言葉に思い当たる節があったのか、宮藤が「あぁ……」と納得したように窓の外を見た。ここからでは窺えないが、ネウロイの巣を消滅させてからというもの、取材に来た新聞記者であったり、荷物や設備の運び出しであったりと、基地内は俄に人が増えている。
「でもなんだか楽しそうですよね、ああいうの」
「どこがだよ。サーニャが寝てるんだぞ、もっとその辺の事をよく考えて――」
 続けようとしたエイラの言葉は、しかし自分の腹部から響いた音によって遮られてしまった。
「……宮藤、なんか食べる物ないか」
 そういえば、腹が空いていたから食堂に来たのだ。
 危うく何をしに来たのかを忘れるところだったとお腹をさするエイラに、宮藤は少し考えるような素振りを見せた後、
「もうすぐお昼ご飯になっちゃいますけど、どうします? 先に何か食べますか?」
「あー……そんな時間だったのか。どうするかな……」
 今度はエイラが「んー」と考えるように眉根を寄せた。食堂に来るまで、なんだかんだと考え事をしていた時は気にならなかったが、いざ腹が空いていると思うと途端にその度合いが高まってくる。聞けば、もうすぐとはいえまだ昼食までは一、二時間はあるという。それならばとエイラは一つ頷いて、宮藤にお願いする事にした。
「わかりました。じゃあ軽めの物で――あー、サンドイッチとかならすぐに出来ますけど」
「サンドイッチか……そうだな、それでいい。頼むよ」
「中身、何か入れて欲しいものとかありますかー?」
 ぱたぱたと台所の方へ早足で向かいながら、宮藤が肩越しに聞いてくる。
「なんでも……あ、納豆だけはカンベンな!」
「……ダメですか、納豆」
「入れるつもりだったのかよ……」
 絶対にやめてくれと念押しすると、宮藤は渋々といった体で今度こそ台所へと入っていった。最後まで「体にいいのに……」などと零していたが、納豆を入れられるくらいなら、多少腹が空いても昼食まで我慢する。食べずに済むならなるべくそうしたい。
「なんか、余計に疲れた気がするぞ……」
 食堂の中央に置かれたテーブル。いつも自分が座っている椅子に腰掛けて、エイラは一度深く息を吐いた。
 そうして黙ると、周りの音がよく聞こえてくる。
 台所の方から宮藤が何かを切ったり、水を出したりしている。宿舎の外、海の方から吹いてくる風に、時折ぽつりぽつりと人の声が乗ってくる。港の方だろうか。
「……」
 意識を聴覚から視覚へ。基地内の荷出しが少しずつ始まっているものの、ウィッチ達の私物や生活用具は最後まで残される。それでもやはり、食堂の中は少しすっきりした印象を受けた。宿舎にはまだ一切手は入っていないとはいえ、個々人での片付けが進んでいるのだろう。
 ここで皆でテーブルを囲うのも、もう残りは数えるほどになった。
 サーニャと一緒にいられればそれでいい。
 それがエイラにとっての第一ではあるが、今度こそこの501のメンバーが揃うのは最後になるだろうと思うと、幾許か残念だった。なんだかんだで楽しかったのだ。
「お待たせしましたー、って、エイラさんどうかしましたか?」
「ん? あー、いや、なんでもないぞ」
 不意にかけられた声に、エイラは誤魔化すように音を立てて立ち上がった。そのまま、訝しむ宮藤からサンドイッチが載せられた皿を受け取り、先程入ってきたドアへと向かう。
「あ、部屋で食べるんだったら、サーニャちゃんの分も作った方がいいのかな」
 宮藤にしてみれば、エイラの行動はさして珍しいものではなく、だからこそいつも通りの対応をしたのだが、今回に限ればそれは的外れだった。
「いや、外で食べようかと思ってだな」
「あー、いい天気ですもんね。気持ちよさそうだなぁー……」
 エイラの言葉に一切疑問を感じていないようで、宮藤は早速外へと想いを馳せている。
 それを尻目に、エイラはそれ以上何も言わずにそっと食堂を出た。
 閉じたドアの向こうから「お皿、戻しておいてくださいねー」という宮藤の声が飛んでくる。見えていない事を自覚しつつも、その声に背を向けたまま片手を振って応えて、エイラはさてと廊下を歩き出した。

    φ

 とはいえ、行くアテがあるわけではなかった。
 適当にどこか落ち着ける場所で食べようかと思っていたものの、いざ外に出てみると、中々ここだという場所が見あたらない。
「そもそもどうして私は出てきたんだ?」
 しまいにはそんな自問自答まで飛び出す始末。
『なんか気恥ずかしかったから』というのが原因ではあるのだが、エイラ自身がそれに気付く事はなく、また気付いたところで認めないだろう。
 そうしてどれほど彷徨っただろうか。
 宿舎を出て、外を歩き回り、基地の中へ。ここまできたら歩いている間にサンドイッチを食べきってしまう事は避けようと、半分意地になって目的の場所を探していたエイラは、廊下の分かれ道で不意に聞こえてきた音に歩みを止めた。
「話し声? この先はミーティングルーム……誰かいるのか?」
 進路を変えて、ミーティングルームへと向かう先を変える。聞こえてきた音はやはり話し声であり、近付くにつれてその内容も次第に聞き取れるようになっていった。どうやら誰かが取材を受けているようだ。質問に答える知った声と、次の質問をする知らない声。
「やっぱり大尉か」
 辿り着いたミーティングルームの入り口から中を覗くと、対面するように並べられた椅子に、エイラが大尉と呼ぶところのゲルトルート・バルクホルンの姿があった。
 普段、あまり仲間のウィッチ以外と話している所を見た事がない所為か、記者の質問に受け答えするバルクホルンが幾らか新鮮に見える。サンドイッチが残り少ない事も相まって、面白そうだと踏んだエイラがミーティングルームに入っていくのに、躊躇いはなかった。
「……ん、エイラか。どうした、何か用か?」
「いいからいいから、そのまま続けてくれよ。私は邪魔しないから」
 階級的にも年齢的にも上の者に対する言葉遣いではないが、その点は既にバルクホルンも若干は認め、そして残りの全てを諦めている。
 好きにしろ、とだけ言って、バルクホルンが記者の方へと向き直る。突然のエイラの登場で面食らっていた記者も、彼女に促されて質問を続けた。
 そんな二人の様子を、窓辺に腰掛けたエイラが残りのサンドイッチをもふもふと口にしながら眺める。
 記者の質問は至って無難なものばかりだった。
 ある程度の検閲が入る事を見越してというのもあるが、それ以上にバルクホルンという人物がそうさせるのだろう。妹の事など多少の例外はあれど、規則が服を着て歩いているような人間であり、そうなると中々脇道に逸れた質問は難しくなってくる。現に記者もあれこれ試みているようだったが、どれもが不発に終わっている。
 ――もう少し面白い事言ってやってもいいと思うんだけどな。
 新聞はもちろん重要な情報源ではあるが、だからといって堅苦しい記事だけでは見ている方も飽きてしまう。エイラはそんな風に考えているのだが、邪魔をしないと言った手前割ってはいる訳にもいかない。それに、そんな面倒事はゴメンだと自分の中の防衛本能が告げてくる。
 妹の事でからかったりする程度ならどうという事はないが、付き合いの長いハルトマンや、喧嘩するほど仲が良いという言葉の見本であるようなシャーロットのように、面と向かって何かを言えるほど、エイラはバルクホルンに対して慣れていない。
 自分たち以外と話すバルクホルンというのは確かに新鮮ではあったが、だからといって別に何か特別な事がある訳ではない。少し期待外れだったかな、とエイラは部屋の中の二人から窓の外へと視線を流した。
 外の景色を眺めていると、すぐに意識はその向こう側へと飛ばされた。
 空の青と海の青。この青を越えた先に、エイラの目指す場所はある。
 501での生活も残すところ数日となった。夜間哨戒も昨晩行ったのが最後であり、実際エイラの仕事はもう残っていない。数日後、遅くとも一週間後にはスオムスか、それともオラーシャにいる。そんな事を考えても今ひとつ実感が沸かないのは、スオムスとは違う濃密な青空の所為だろうか。
 不安がない訳ではない。
 スオムスからオラーシャにかけては未だネウロイの脅威に晒されており、前回もそれで足止めを喰らってしまったのだ。
 それら半年前の経験を踏まえて、今回はもう少し装備を調えて挑もうかと思っているが、いくらウィッチといえど、たった二人でネウロイの包囲網を突破するのは難しい。いっそ502辺りへ、という思いも浮かび上がるが、サーニャの両親を捜すという目的がある以上、組織に属するのはあまり好ましくない。旧友のよしみで間借りさせてもらう事くらいは出来るかもしれないが、あくまでもその程度だろう。戦況がいくらか好転していたのも半年前の話だ。更に好転したか、あるいはその逆か。どちらにせよ、こちらに手を貸せるほど余裕があるかも疑わしい。
 ――それだけか?
 自問の声が、エイラの中を過ぎる。
 確かにオラーシャへ向かうルートやその道中も気に掛ける点ではあるが、そんなものは言ってしまえばどうにでもなる。上層部になんと言われようとも、だまくらかせば502にだって行けるだろう。行きたいとは思わないが。
 ――私が本当に不安なのは……
「おい、エイラ」
「うおっ!?」
 突然かけられた声に、思わず肩が跳ね上がるのを感じながら、エイラがギギギ、と首を回した。
「大尉か……驚かせるなよなー。あれ、取材終わったのか」
 見れば、何時の間にか部屋の中はにバルクホルンだけになっていた。
「とうに終わっている。部屋を出る際にお前にも挨拶をしていたのに、本当に気付いていなかったのか?」
「挨拶? 私にか?」
 思い返してみるが、全く覚えがない。とはいえバルクホルンが嘘を吐くとは思えず、という事はつまりそういう事なのだろう。
「全く記憶にない、という顔だな」
「そ、そんなことねーぞ。えーっと、ほら、あれだろ? あの――」
 あたふたと両手を動かしてどうにか伝えようとするエイラに、バルクホルンが深い溜息を吐いた。
「以前にも言ったが、そのすぐに取り繕おうとする癖は直した方がいい。覚えていなければ覚えていないでいいんだ。まぁ、客人に対しての無礼は褒められたものではないがな」
「う、うるさいな。考え事してたんだよ、考え事」
「ほう? どんな事だ」
「先のことだよ。大尉には関係ないだろ」
 焦りと、戸惑いと、困惑と、苛立ちと。一つ一つはほんの僅かなものだが、それらが合わさってどうにもぶっきらぼうな言葉になってしまう。
「先のこと……そういえば、お前はまたサーニャのご両親を捜しにいくのか?」
「そうだよ。あー……もういいだろ? 私はもういくからな」
 言って、これもまたいつの間にか空になっていた皿を取って立ち上がる。
 そうしてミーティングルームから出ようと一歩、二歩、三歩進んだところで、後ろから呼び止められた。
「まぁ待て。私も先程の取材で今後について聞かれてな」
「私は別に大尉の将来なんて興味ないぞ」
「そう言うな。これは是非ともお前にも聞いてほしい事なんだ」
「……妹の事なら宮藤にでも話してくれよな。大尉の惚気話は聞いてるこっちが恥ずかしくなってくるんだ」
「わっ、私は別に惚気てなど……! いや、そもそもクリスの事は関係ない!」
 解りやすい狼狽だったが、流石にこの程度はこの一年でバルクホルンも少しは慣れたのか、すぐに気を取り直すように咳払いを一つして「真面目な話だ」とエイラに告げた。
「なんだよ……私は忙しいんだ。手短にしてくれよな」
 歩き出した恰好のままだったエイラが、姿勢を戻して向き直る。それを見たバルクホルンは「ああ」と短く頷いて、
「エイラ、私と一緒にカールスラントに来ないか」
「はへっ?」
 一瞬、何を言われたかが理解できず言葉にならない声が漏れた。
 次いで、今自分の耳に入った言葉が信じられないといった様子で二度、三度と瞬きをする。
 そうしてたっぷりと十秒ほど固まった後、
「悪い大尉、私の聞き間違いかもしれない。もう一度言ってくれないか」
「そんなに難しい言葉は使っていないつもりだが」
 そう言いながら、バルクホルンは再度その力の込められた真っ直ぐな瞳で、エイラを見た。
「何度でも言おう。エイラ、私と一緒にカールスラントに来ないか」
「あぁ……聞き間違いじゃなかったのか」
 一語一句、抑揚まで完璧に再現されたバルクホルンの言葉を聞いて、エイラはがっくりと肩を落として項垂れた。
 こうして、後にエイラ・イルマタル・ユーティライネンが最も長い一日だったと振り返るその日は、いよいよ始まりを告げたのだ。

    φ

「はぁぁぁ…………」
 ミーティングルームから食堂へと戻る道すがら、エイラは一歩進んでは溜息を吐き、また一歩進んでは溜息を吐き。その様は基地内にあちらへこちらへと駆け回る人達も、思わず避けてしまう程だった。
「あっれー、エイラじゃん。どうしたのさ、そんなミーナが私の事で頭悩ませてるみたいな顔して」
 普段の三倍程の時間をかけてエイラが食堂へと戻ってくると、先程と同じように、入ってすぐに声をかけられた。
「ハルトマン中尉か……。ていうか、自分で解ってるなら直してやれよ」
 相手を見ずに聞こえた声だけでエイラが反応すると、台所の方から楽しそうな笑い声が届く。見れば、台所と食堂を繋ぐカウンターに頬杖をついた恰好で、エーリカ・ハルトマンがいたずらっ子のような笑みを浮かべていた。そのまま放っておいてもよかったのだが、どちらにせよ皿を返すためにそちらに行かなければならず、エイラは重い足を引きずって台所へと向かう。
 面倒臭い時に面倒臭いのに会ってしまった。
 そんな空気を感じ取ってか、ハルトマンは何も言わずに、けれど食堂の方ではなくエイラの方を向いたまま。
 皿を洗いながら、最初は黙っていてくれる事に安心したエイラだったが、そこにいるのに、こちらを向いているのに、一切何も言われないというのは逆にプレッシャーになる。そしてそんな我慢比べに耐えられるほど、今のエイラに余裕はなかった。
「中尉はこんな所で何してたんだ?」
 ハルトマンの思う壺であると知りながら、それでもエイラがついに口を開いてしまう。背を向けているためその表情は見えないが、きっと笑っているであろう事は容易く予想出来た。
「ちょっとお腹が空いたから、何か食べる物がないかと思ったんだけど」
「宮藤がもうすぐ昼食だって言ってたぞ」
「あ、そうなの?」
「とはいえ、まだ何も用意してない所を見るともう少しかかりそうだけどな」
 てっきり昼食の準備をしているだろうと思った宮藤の姿はそこにはなく、よって今はエイラとハルトマンの二人だけ。
 ――中尉ってなんか苦手なんだよなぁ。
 同じカールスラント人ではあるものの、先程のバルクホルンとはまるで正反対。空の上での彼女は尊敬に値する人物だと思っているが、ふわふわとして捉え所がなく、何を考えているかさっぱり読めない。エイラ個人としては、規則一辺倒のバルクホルンよりかはよほど好感が持てるのだが、ただ一点許せない所がある。
 ハルトマンとサーニャは、仲が良い。
 時々二人でなにやら長話をしていたりするのだが、正直なところエイラはそれが羨ましかったし、妬ましかった。ようするに嫉妬だった。
 ハルトマンの側もそんなエイラの心情を察しているからか、よくエイラをからかって遊んでいたりする。エイラが彼女の事を苦手に思うのは、この辺りが原因なのだろう。今も何か言われるのではないかと、意識せずとも身構えてしまう。
「そういえば、トゥルーデに」
「私は別に何も言われてないぞ!」
 身構えてしまったからなのか、ハルトマンが呼ぶバルクホルンの愛称が聞こえた瞬間、反射的に叫んでしまった。これでは何か言われたと自白しているようなものであり、エイラも言ってからハっとその事に気付いたが、時は既に遅い。
「へぇー?」
 意地悪く間延びさせた声で、背後にいたハルトマンがエイラの横に並んできた。
 身長はさほど変わらないが、それでもハルトマンが下から覗き込むように、エイラを見る。その目はとても楽しそうに輝いていた。
「何か言われたんだ?」
「な、なななななにも言われてねーよかかか、かかん違いだろ」
「うわっ、流石にそこまで動揺してると逆に芝居かと思えてくるよ」
「そ、そーだろそーだろ。引っかかったな中尉、いつもやられっぱなしだと思ったら大間違いだぞ」
「それで? カールスラントに誘われたりでもしたの?」
「――ッ! げほっ!」
「ありゃ図星」
 油断したところに盛大なストレートを喰らって、エイラが思わず咳き込んだ。
 ひとまず落ち着こうとコップを探すが、手の届く範囲には見つけられず、見れば両手は皿を持っているためそもそも離せず、ならばとエイラはその皿に水を汲んで、そのまま煽るように飲んで――また咽せた。
「いや、皿置いてコップ使いなよ」
 いつの間にか食器棚から取り出したらしいコップをハルトマンから受け取って、今度こそエイラは落ち着こうとゆっくり、ゆっくりと水を口にする。
「……聞いてたのか?」
 どうにか落ち着きを取り戻したエイラが、窺うようにハルトマンを見る。しかしハルトマンは先程と変わらず暢気な笑い声を上げて、
「知らない知らない。エイラが今まで何処にいたのかだって、私全然知らないよ」
「ほんとうかぁー?」
「ま、トゥルーデがそういう事考えてるっていうのは知ってたけどね。まさか本当に言うとは思わなかった」
 そのまま大人しくカールスラントに帰ると思ってたよ、とハルトマンが続ける。
「中尉は……中尉も私じゃサーニャを守れないって、そう思ってるのか?」
 恐る恐るといった様子で尋ねるエイラに、ハルトマンはぱちくりと目を見開いて、そしてまた笑い声を上げた。
「そ、そんなに笑わなくってもいいだろ!」
「あー、ごめんごめん。エイラのことじゃなくって、トゥルーデが、サーニャんの名前まで出して――」
 そこで堪えきれなくなったのか、一度盛大に吹き出した後、それでもどにか我慢しようと、ハルトマンが「クックック」となんだか鶏みたいな声を漏らす。
「むぅー……」

    φ

「私と一緒にカールスラントに来ないか」
 その言葉が間違いでなかったと知って、エイラは瞬間的にどう反応したらいいかを迷い――そしてがっくりと肩を落とすという行動でとりあえずの返事をしてみせた。
「なんだ、不服か?」
「不服とかどうとかじゃなくてだな。話聞いてなかったのかよ、私はサーニャの両親を捜しにオラーシャへ行くんだ。カールスラントとは正反対なんだよ」
 そもそもどうして自分がカールスラントに行かなければならないのか。頭の中でぐるぐると考えを巡らせてみても、エイラにはそれが解らなかった。
「だが、前回は途中でネウロイに阻まれて頓挫したのだろう?」
「うぐっ……。そ、そうだけど、今回はもっとちゃんと準備してだな」
「準備とは、具体的にどうするというのだ。前回もストライカーとそれに伴う一式は持ち込んだのだろう? それでダメなら次はどうする。武器を増やしたところで、二人で消耗戦など自殺行為にしかならんぞ。ルートを変えるにしても、北、南、東、どれもあまり現実的とは言えんな」
「な、なんだよ……嫌味が言いたいのか?」
 目尻に涙を浮かべるエイラに、バルクホルンは「いや」と制するように片手を上げてゆるゆると頭を振った。自分でも言い過ぎたという自覚があったのだろうか。
「すまない。こんな事が言いたかったのではないのだがな……。どうにも慣れない事を言うものではないな……」
 そう言って、バルクホルンが姿勢を正す。
「正直に言おう。このままだと、いずれお前はサーニャを失いかねない。いや、間違いなく墜とすだろう」
 せめて涙は零すまいと堪えていたエイラだったが、サーニャの名前を出されては黙っていられるはずもなく、途端に怒りの色を露わにして、今にも飛び掛からんばかりの勢いでバルクホルンへと詰め寄った。
「な……なんだよそれ! どうしてそこでサーニャが出てくるんだよ!」
「事実……いや、仮定の未来を事実とは言えないな。しかし、現実的な話だ」
「わっけわかんねーよ! 何があっても私がサーニャを守る! 墜とさせるなんてもってのほかだ! ネウロイなんかに指一本触れさせるもんか!」
「以前――春頃だったか。ロケットブースターを使用した高々度での作戦があっただろう」
 高度三〇〇〇〇メートルという桁外れの高さを誇るネウロイが現れた時の事だ。エイラもその時の事はよく覚えている。今でもすぐ昨日の事のように思い出せる、大切な思い出だ。
「あの時だって私はちゃんとサーニャを守った! バルクホルンだって見てただろ!」
「そうだな。命令無視の件はこの際置いておくとして、結果だけを見ればお前はちゃんとシールドを張る事が出来た」
「いちいち勘に障る言い方だな……!」
「事実だ」
 ぴしゃりと言い切って、しかしバルクホルンはつっかえた言葉を解すように、喉をさする。
「正直なところ、私はあれを見て期待したんだ。お前が変わってくれるかもしれない、とな」
「…………」
 先程までの怒気も多少は落ち着いたのか、売り言葉に買い言葉という状況は終わったものの、それでも納得がいかないエイラは一切の遠慮なくバルクホルンを睨み付けている。ほんの僅かにでもバルクホルンが応戦する素振りを見せたならば、即座に手を出していただろう。その点、まだエイラも冷静さが残っていると言えた。
「あの作戦以降、お前と飛ぶ事があればずっと見ていたのだが、確かに少しは変わったように思えた。だが、まだ足りない」
「何がだよ……」
「サーニャを守りたいか、エイラ」
 質問を質問で返されて、エイラが一瞬たじろぐ。だがバルクホルンの問いはエイラにとっては最早愚問ともいえるもので、だから答えは決まっている。
「当たり前だろ。それに守りたいんじゃない、守るんだ」
 完全に落ち着きを取り戻したエイラが、静かな声で言う。サーニャ本人を前にすればおいそれと言えないであろう言葉がこうもすらすらと出てくるのは、なんとなく不思議な気分だった。
「ならばこそ、だ」
「ん?」
「しっかり準備をしたいと言ったな」
「だから、どういうことだよ」
「カールスラントに来い、エイラ。そこで私の全てをお前に託そう」

    φ

「そんなにサーニャの事が心配なら、大尉が自分で守ってやればいいんだよ」
「エイラはそれでいいの?」
「そんな訳ないだろ!?」
 だろうねー、と隣に座るハルトマンが言った。
 先程とは場所を移して、食堂の方へと出てきたのだ。
 時間は一一一五を過ぎた辺り。そろそろ宮藤が戻ってきそうなものだが、未だにその気配は感じられない。
 エイラはどうすればいいのかが解らず、上体をテーブルの上に突っ伏したまま、何やら呻き声を上げている。悩んでいるのだろうか。
「サーニャんは私にとっても大事な友達だから」
「じゃあ中尉が守ってやればいいじゃんかよぉー」
 突っ伏したまま、首だけを横へと向けてなよなよとした声を出すエイラに、ハルトマンが「違うって」と笑って見せる。
「私としては、エイラが付いていてくれるなら安心出来るよって話」
「お……?」
 ハルトマンの言葉に、エイラがその瞳に輝きを取り戻す。そして突っ伏していた上体を起き上がらせると、
「そうだろそうだろ、やっぱり中尉は人を見る目があるよなー。私は前からずっとそう思ってたんだよ。どっかの堅物大尉とは大違いだ」
「ま、トゥルーデの言う事も解るんだけどねー」
「ぐはっ」
 また突っ伏した。
「どっちなんだよぉー……」
 なよなよ声に戻ってしまったエイラが、さめざめと涙を流しながら時折しゃっくりを漏らす。
「エイラはさ、多分単機なら絶対に墜ちないと思うよ。私だって正直なところ勝てるかどうか解らない」
 負けはしないけどね、と付け足すハルトマンに、エイラがスンと鼻を鳴らした。
「そういうことなのか? やっぱり」
「そういうことなんだよ、やっぱり」
 うー、と呻くエイラを横目に、ハルトマンがぎぃと椅子の背もたれを鳴らす。
「それに、前にトゥルーデが言ってたんでしょ? エイラは自分を超えるかもしれないって」
「あー、言ってたような気がするなー、そんなこと」
「そういうのもあるんだと思うよ。あれで本人、結構焦ってるところもあるっぽいし」
「焦る? カールスラントの奪還をか?」
「ん……まぁそんな感じかな。これ以上は私が言う事でもないからね。それに」
 そこで一旦言葉を句切ると、ハルトマンは少しだけ真面目な声色で、
「私からしたら、ふざけるなって言ってやりたい」
 その言葉が何を指しているのかは解らなかったが、少なくとも自分に向けられたのではないだろう事だけはエイラにも理解出来た。
「――」
 いつにも増して強い光を宿した瞳は何時を、何処を、誰を映しているのか。エイラがそれを尋ねようと口を開いた、その時だった。
「ごめんねリーネちゃん、なんか無理矢理手伝わせちゃったみたいで」
「ううん、大丈夫だよ、芳佳ちゃん」
 台所側の入り口が開いたかと思うと、何やら大荷物を抱えた宮藤とリーネが覚束ない足取りで入ってきたのだ。
 それを認めるや、先程までの真面目な顔は何処へ消えたのか、いつもの調子に戻ったハルトマンが「みっやふじー!」と二人の元へと跳ねるように駆けていった。
「あ、おい……」
 一人残されたエイラが縋るように手を伸ばすが、その手が掴むはずだった、あるいは掴んでほしかった相手は既にこちらへ意識を向けていない。単純に腹が空いていたのか、それとも話はこれで終わりという事なのか。ハルトマンに限って後者はないだろうと思いつつ、姦しいという字そのままに騒ぐ三人を眺めていると、不意に彼女と目が合った。
 ――トゥルーデは。
 その声は囁きとも呼べないほどに小さなものだったが、何故かエイラの耳にははっきりと届いた。
 ――心配性なんだよ。サーニャンの事もそうだけど、エイラの事だって同じくらい、ね。
「あれ、ハルトマンさん、今なにか言いました?」
「ん、お昼ご飯まだかなーって。私もうお腹ぺこぺこだよ……」
「あわわわわ、すみませんすぐに支度します!」
「あ、芳佳ちゃん危ない!」
「うわああああ!?」
 一層騒がしさを増した台所を遠巻きにして、エイラは静かに椅子から立ち上がると、その喧騒を背に食堂のドアを開いた。
「あ、エイラさーん、すぐに出来ますから、サーニャちゃんを呼んできてもらえますかー!」
「解ってるって」
 言って、つい数時間前と同じように、今度はちゃんと宮藤に見える所で片手を振って応える。
 ギィ、と。
 その様相から想起されるであろうそのままの音を立てて、ドアがぱたんと閉まる。
 エイラは閉まったばかりのドアにそっと背を預け、
「――解ってるんだよ、そんなこと」
 どうすりゃいいんだよ、と石造りの天井に愚痴を放り投げた。
 返事は、ない。

    φ

 イヤだ、行きたくない、大尉の言うことなんて知らない。
 そう言う事は簡単だ。バルクホルンも恐らくはそれを見越した上でエイラに誘いをかけたのだろう。これがもう一人の大尉、シャーロット辺りであれば、もっとこちらが気楽に流せるように、ジョークの一つも交えてきたかもしれない。
 そう、ジョークなのだ。本来。こんな事は。
「あれが冗談なんて言うようなやつかよ……」
 ゲルトルート・バルクホルン。
 規則が服を着て歩いているような人間。
 実直で、直向きで、真っ直ぐで、それが過ぎて愚直な、そんな人だ。
「あー……わっけわかんねー……」
 ずっと、胸の奥底にもやもやとした黒いものが漂っている。それが何処から来たものなのか、エイラには解らない。ハルトマンと話していた時か、バルクホルンと話していた時か、それともそれより前からずっとあったものなのか。
 ともあれ、こんな姿をサーニャに見せる訳にはいかない。他の誰を差し置いても、サーニャにだけは、絶対。
 それが何故だかは、エイラ自身よく解っていなかった。
「――はぁぁぁぁ」
 自分達の部屋の前で、一度大きく深呼吸。新鮮な空気が肺腑を巡り、茹だった頭を冷やしてくれる。もう一度。冷やす。もう一度。冷やす。もう一度。もやもやは晴れない。
「……よし」
 両手で自分の頬をパンと張って、無理矢理にいつもそうしているであろう表情を作る。
「クールでかっこいいエイラ中尉だぞ、と」
 自分の中の勢いが萎えてしまう前にと、エイラがドアに手をかける。まだ寝ているかもしれないサーニャの邪魔にならないようにと静かに押すが、古い木板と金具はそれでも幾らかの音を立てた。
「おーい、サーニャー、お昼だぞー」
 起こすというよりかは、むしろ起こさないようにしているとしか思えない囁き声と忍び足で、エイラが部屋の中へと入っていく。
 締め切られた厚いカーテンの隙間から零れる日の光が、薄暗い室内を僅かに照らし出している。うっすらと見える部屋の中は、まだそのままで片付けには手を出していない。本来であれば今日の午後から始める予定だったのだが、果たしてそれは可能なのだろうかと、エイラは頭の片隅で考える。
「おはよう、エイラ」
 と、室内の静謐な空気をそのまま音にしたような声が、エイラの耳に届く。それはベッドからではなく、入り口の正面。厚いカーテンが閉め切られた窓の前からだった。
「なんだ、起きてたのか。うん、おはよう、サーニャ」
 薄闇の中にその姿を見た途端、胸の奥のもやもやも、他の何もかも、全てが洗い流されていくような感覚に襲われる。残ったのはただただ穏やかな気持ちだけ。
 エイラがゆっくりと窓の方へと歩いていくと、サーニャが思い出したように窓を覆っていたカーテンをザっと開いた。途端にロマーニャの燦々とした日差しが部屋の中目一杯に広がり、思わず二人ともその眩しさに目を閉じてしまう。
 先に目を開いたのは、エイラの方だった。そして開いたまま固まってしまう。
 天使が、そこにいた。
 何がそうさせているのか、日の光を浴びたサーニャ自身のみならず、その周りもまた星をばらまいたように輝き、煌めいている。
 そんな光景を前に、エイラはただただ見惚れて突っ立ったまま。サーニャもようやく昼の陽光に慣れたのか、まだ若干眩しそうにしながらも、その白い指で窓の鍵を外すと幾らかだけそっと開いた。
「お昼……だっけ?」
「おっ、お? あ、そうそう、そうだよもうすぐ支度が出来るからってさ」
 硬直していた体が、窓からゆるゆると入り込む風に解されるのを感じながら、エイラは取り繕うように笑みを浮かべ、片手で頭を掻いた。
 何も問題はない。上手くやれている。
 そんな事を考えるまでもなく、サーニャの前ではいつもの自分でいられた。いられていると、思う。
「そういえば、カーテンも開けないで何してたんだ?」
 エイラが問うと、サーニャはもう一度窓の方を向いて手に取った物を、これ、と差し出してきた。
「あー、宮藤達が買い出しに行った時の土産か」
「うん。見ていたら、なんだか懐かしくなって」
 この基地に来たばかりの頃、まだ三月だったか四月だったかにローマへ買い出しに出た際、宮藤がサーニャにと買ってきた猫の置物。振り返ってみれば、半年程の間に様々な事があったなと、エイラも想いを馳せる。
 楽しい事、嬉しい事、辛い事、悲しい事、そのどれもが等しく価値ある思い出であり、サーニャと過ごした大切な時間だった。
『いずれお前はサーニャを失いかねない』
 不意に先程のバルクホルンの言葉が思い起こされて、エイラは掻き消すようにぶんぶんと頭を振った。
 サーニャを守れないかもしれない。
 そんな事は考えた事もなかったし、考えるだけ無駄だった。
 とはいえ、面と向かってお前にはその力がないなどと言われれば、エイラの弱い部分がそうかもしれないとひょっこりと顔を出してしまう。それが他でもないバルクホルンであれば、尚更のこと。
 空の上においては充分に尊敬出来る人物であり、だからこそその言葉には重みがある。
 更に、それとは別に心の奥底に残るもやもやが、一層エイラを苛立たせるのだ。
「どうかしたの、エイラ」
 そんな事を考えていると、不意にサーニャが声を掛けてきた。
 その顔に浮かぶのは心配の色であり、同時に回避が不可能である事を、エイラはよく知っていた。
「あー、さっきの事なんだけど、大尉が――」
 サーニャには知られないようにしようと思った先からこれでは、立つ瀬がない。とはいえよくよく考えてみれば、特にサーニャに秘密にする理由も見あたらず、それならばと、エイラは先程のバルクホルン、そしてハルトマンのやり取りを手短にサーニャに伝えたのだ。
 話している間、サーニャは真面目に聞き耳を立てていた。
 カールスラントに誘われた事。
 自分ではサーニャを守れないと言われた事。
 要点だけで言ってしまえば、その二つ。話を聞き終えたサーニャは、暫し考えと纏めるように宙を眺めていたかと思うと、徐に口を開いて、
「とても素敵な事じゃない」
 しかし、その答えはエイラの期待していたものとは少しズレていて、僅かに肩を落としてしまう。
「でも私には、サーニャの両親を捜す手伝いをするっていうのがだな」
「きっと」
 珍しく、サーニャがエイラの言葉を遮るように口を開いた。エイラも思わず言葉を止めて、サーニャの方をまじまじと見てしまう。
「きっと、バルクホルンさんはエイラの事を心配していたのよ」
「……その割には、サーニャの事ばっかりだったけどなー」
 エイラの言葉に、それは、と言いかけて、しかしサーニャはそれ以上口を開かず、顔を俯かせてしまう。その頬が僅かに朱に染まっているのを、エイラは気付かない。
「さっき中尉にも同じ事言われたし、そういう事なんだろうなー、きっと」
 バルクホルンは、真面目な話になればなるほど嘘というものが吐けない人間だ。
 サーニャの事に関しても、確かに彼女の言う通りなのだろう。しかし、バルクホルンの真意はそこではない。
 エイラの事が心配なのだ。
 それは期待の裏返しと言ってもいい。
「サーニャは、私がカールスラントに行った方がいいって思うのか?」
 一応。念のため。とりあえず。
 そんな感じの言葉をあれこれ頭の中で浮かべながら、エイラが問いかける。
「エイラ」
 しかし、帰ってきた声はエイラの想定していたものとは少し違うものだった。
 雪解け水のように透き通っていて、けれどその中に凛々しさも感じさせる、そんな声。
「エイラは、私がもしカールスラントに行ってって言ったら、どうするの?」
「それは……」
 考えてもいなかった。
 自分はサーニャと一緒にいるのが当たり前で。
 サーニャもきっと同じ事を思っていてくれるから。
 だから、こんな質問はなんの意味もない、と。
 しかし、それならどうして自分はこんなに悩んでいるのだろうか。
 イヤだ、行きたくない、大尉の言うことなんて知らない。
 そう伝えれば、こんな話は簡単に終わってしまうのに。
「私は、エイラが一緒にいてくれて、凄く助かってる」
 それに、とサーニャが言葉を紡ぐ。
「凄く、嬉しい……」
 消え入りそうな声で、耳まで真っ赤にしながら、それでもサーニャは言い切った。
「サーニャ……」
「でもっ」
 一転、今度は精一杯振り絞ったような声を上げて、思わずエイラが小さく跳ねる。
「それじゃ、ダメだと思う」
「ダメ?」
 復唱する事しか出来ないエイラに、サーニャはこくりと小さく頷いて、
「私やハルトマンさんに言われたからじゃなくて。バルクホルンさんの言葉を聞いて、エイラがどう感じて、どうしたいと思ったのか。それをちゃんと伝えないと、ダメだと思う」
「…………」
 サーニャの言葉は、エイラの中にすんなりと入り込んで、その指先までじんわりと広がっていく。
 ずっと一緒にいるからこそ、こうして向かい合うのがなんだか気恥ずかしくなってしまうのだが、それでもしっかりとこちらを向いてくれた。それがエイラには嬉しかった。
 今なら、胸の奥底に広がるもやもやとしたものが何なのか、それが解る気がする。そしてこのもやもやは、きっとバルクホルンも同じように持っているのだろう。
 ならばどうするべきか。
 考えるより先に、エイラの身体が動いていた。
「サーニャは先に食堂に行っててくれ。私は……私はちょっと大尉の所に行ってくる」
 答えはきっと、最初から決まっていたのだ。
「うん、行ってらっしゃい、エイラ」
 サーニャの声を背中に受けて、エイラは宿舎の廊下を駆けていく。

    φ

 そんなに広くはない宿舎の中。少し走れば、目当ての部屋にはすぐに辿り着く。
 自分の部屋と同じ作りであるにも拘わらず、何故だかエイラには目の前のドアが強固な門のように思えた。ドアにもそこの住人らしさというものが現れるのだろうか。
「なら半分はずぼらって事か……?」
 そんな事を一人呟いて、エイラがノックをしようとドアの前に手を置く。普段は好き勝手に開けたりしているものの、今回ばかりはそうはいかない。
「もう食堂に行ってたりしないよな」
 時計を見ていなかったので、今が何時かは解らないが、宮藤が昼食の支度に取りかかってからそれなりの時間が経過しているのは間違いない。もしかしたら、既に食堂の方に全員が揃っているという事も考えられる。
 エイラとしては、善は急げというよりもバルクホルンに面と向かって伝えたかったのだが、食堂となるとそれは難しい。昼食が終わった後というのも論外だ。機会は今であり、今以外にない。
 そんなエイラの願いを天が聞き入れてくれたのか、ノックをするより前に、目の前の扉が内側からぎぃと音を立てて開かれた。
「エイラ? どうしたんだこんな所で。いや、そんな事より昼食の時間だ。食堂へ向かうぞ」
 出てきたのは待ち望んだ相手の姿。しかし当のバルクホルンは、そんなエイラの心中などお構いなしに、カツカツと規則正しい音を立てて石畳の廊下を進んでいってしまった。
「ちょ、ちょっと待てよ大尉」
 その背に向かって声を飛ばしてみたものの、聞こえていないのか聞くまでもないと思っているのか、バルクホルンの歩みは止まらない。慌てたエイラが小走りでその隣に追いつくと、
「廊下は走るなといつも言っているだろう」
 言いながら、しかし歩くスピードは一切落とさず、むしろ上がっているようにも感じられた。
「そんな事こそどうでもいいんだよ。ちょっとはこっちの話を聞けって」
「なんだ、用があるなら昼食の後でいくらでも聞いてやるぞ」
「それじゃダメなんだって。今、って大尉歩くのはえーよ」
「私とした事が、少しばかり部屋を出るのが遅れてしまったからな。遅れは取り戻せる場所があるならば積極的にそうするべきだ」
「だからそういう事じゃなくてだな。あー、もう!」
 業を煮やしたエイラが、その場に足を止めて、
「大尉! 私と勝負しろ!」
 答えを叫んだ。
「……ほう?」
 エイラの前方、十メートルほど離れた所で、バルクホルンが足を止めてこちらを振り返る。
 何も前条件が無い状態で勝負しろと言ったところで、バルクホルンは取り合わなかっただろう。だが、今の二人の間には、互いが足を止めるのに充分な理由がある。
「私が負けたら、カールスラントでもどこでもついていく。それでいいだろ」
「……お前はそれでいいのか?」
「うるさいな。今言わないと心変わりしそうなんだよ。それに――」
『負けるつもりはない』
 二人の声が重なる。それは譲るつもりはないという、互いの意思表示。
「面白い、いざ負けてから泣き言を言っても聞かんぞ?」
「だから負けないって言ってるだろ。私を誰だと思ってるんだ」
「ならいい。いいだろう、ミーナには私から話をつけておく。開始は……そうだな、本日一五〇〇でどうだ」
「その辺はなんでもいいよ。好きにしてくれ」
 エイラとしては、バルクホルンとの勝負が全てであって、その他は些事に過ぎない。例えどんな条件下であろうとも負けるつもりはないし、実際負けるとも思っていない。
「解った。ではその方向でいこう。……しかしお前にだけ条件を付けるのもよくないな」
「いいよそんなの。大尉にしてほしいことなんて無いし」
「そうはいかん。なんでもいいぞ、言ってみろ」
 そう言われてもなー、とエイラが逡巡する。
 エイラにしてみれば、カールスラントへの誘いを断る事と、もう一つの事が成せればいいのであって、それ以外はとんと興味がない。
「終わるまでには考えておくよ」
「……まぁいいだろう。では、そういう事でまずは昼食だ。すっかり遅れてしまったからな、ほら急ぐぞ!」
「……なんかしまらないなぁ」

    φ

 空では誰にも負けない。実際に今まではそうだった。破撃墜〇、被弾〇。前者はまだしも、後者はエイラ以外に成し遂げた者も、これから成し遂げられる者もそういないだろう。
 ――シールドを使った回数も〇……いや、一か。
 一度使ってしまった事でその後どうなるかと思っていたが、結局その後今に至るまでシールドを張る事はなかった。ほんの少しだけ意地になっていた面もあるが、なるほどバルクホルンが変わらなかったと言う訳かと、エイラは今はまだ隣を並び飛ぶ彼女の姿を見やる。
 ――人を相手にするのって、久しぶりだな。
 エイラの被撃墜〇、被弾〇という記録は、あくまでもネウロイを相手にして積み上げられたものであり、そこに人を相手取った記録は含まれていない。
 そもそも人類に共通したネウロイという敵がいる以上、人間同士の争いなどはほとんど無縁であり、訓練でもなければ人を相手に撃ったり撃たれたりという事もないだろう。尤も、それもペイント弾を始めとする訓練用の弾を使うのが常であり、今回もエイラ達が手にする武器はその形こそ使い慣れたそれではあるものの、訓練用に用意された物になっている。
 とはいえ、今正に上空へと翔ていく二人を始め、地上でその行方を見守る者の中にもこれが訓練であると思っている者はいない。
 表向きはあくまでも模擬戦として、しかしその実これは正しく決闘だった。
 それにペイント弾というのも些か滑稽ではあるが、以前のハルトマンとマルセイユの私闘と違い、正式な手順を踏んでのものであれば、これが限界だろう。そこに不満はない。元より、どんな条件下でも構わないと言ったのは自分の方だ。
『いい感じに雲が出てきたな』
 インカムから、すぐ隣にいる彼女の声が聞こえる。
 確かに、見れば午前中の雲一つ無い快晴に比べて、いくらかの白があちこちに見て取れる。それほど遠くない位置には厚い雲が流れており、長引けば雲中での戦いも増えるかもしれない。
『501も都合一年ほどになるが、思えばこうしてお前と勝負をするのは初めてだったか』
『なら、私の一戦一勝で終わりだな』
 エイラの返しに、インカムからふっと薄く笑う声が聞こえてくる。
『そろそろ始めようか』
『了解』
 開始の合図はそれだけだった。
 高度四〇〇〇まで上がったところで、併走していた二人は水平飛行に移り、相手に背を向け距離を取る。
 この決闘、エイラはすぐに決着が着くと踏んでいた。
 相手がネウロイであろうが人であろうが関係ない。自分の未来予知の能力は、こと空戦においては絶対的な力になる。僅か数秒先までとはいえ、あらゆるものの未来位置を視る事が出来れば、相手の攻撃を避ける事も、相手に弾をお見舞いする事も造作ないと言える。
 大きめに旋回軌道を取り、速度を殺さないようにまずは相手の位置を確認しようと、前方に目を凝らす。
 いた。前方およそ距離一二〇〇。思ったよりも幾らか余裕がある。
『悪いな大尉、初手で終わらせてもらうぞ!』
 最初の接近、交差。エイラは引き金を引かず、そのまま素通りする形になった。
 バルクホルンの表情は窺えず、インカムでの返答もない。
 エイラの特徴として、被撃墜、被弾の他に一戦辺りの使用弾数の少なさがある。それもまた未来予知の産物であり、無駄弾を使わずに必要最低限の弾数で相手を追い込み、撃ち落とすといった事が可能なのだ。
 風切り音の中から、使い魔と魔法の力により高められた聴力が僅かなプロペラ音を拾い上げる。それを頼りに一瞬にして後方へと流れていった相手の動作を読み取って、合わせるように次の行動を瞬時に判断する。
 旋回、交差だけでは当然どうにもならない。だが、エイラは出来れば格闘戦には持ち込みたくなかった。
 ストライカーの性能だけで見れば、格闘戦はエイラの側に分がある。しかしいくらエイラとてそこまでバルクホルンを過小評価していない。どんな状況下でも被弾しない自信があるが、何も自ら危険に飛び込むような真似はしなくていいだろう。
 先の交差を本当の開始だとすれば、次は何か仕掛けてくるに違いない。仕掛けてこなければ、こちらからいく。
 ――それで、終わりだ。
 瞬く間に違いの距離は零に近付いていく。その最中、エイラはバルクホルンから自分に向かう?線?を見た。それは的確に自分の眉間を通っていて、そのあまりの正確さに感心と呆れが同時に沸き上がる。
 線を認めたエイラが、反射的に回避行動を取る。意識してのものではなく、今までの何百何千という積み重ねから来る本能的なもの。
 躱すと同時にループの軌道からバルクホルンの背後を取れる。そう踏んだエイラだったが、その目論見は次の瞬間に容易く破られた。
「んなっ!?」
 回避した先、そこに既に軌跡は描かれていた。このままいけば、間違いなく自分から弾に突っ込む事になる。
 エイラは無理矢理上体を捻り、背を目一杯逸らした。それと同時に、目の前、僅か数センチの所をバルクホルンが撃ち放った弾が通り過ぎていく。
 髪の毛一本掠っていないとはいえ、エイラにとっては充分に衝撃的な事だった。
 見越し射撃などというレベルの話ではない。どこに避けるかがあらかじめ解っていなければ出来ない芸当だ。それにしても、一瞬でも早蹴れば初段を避ける前に気付くし、また一瞬でも遅ければ再度の回避が間に合う。
『どうした、初手で仕留めてくれるのではなかったのか?』
 天地逆になった体勢を立て直している間に、耳元で得意気な声が響く。
 その声を聞いて、エイラは数時間前に言われた事を思いだしていた。
 ――あの作戦以降、お前と飛ぶ事があればずっと見ていたのだが。
『まったく、とんだストーカーに目を付けられたもんだな』
 未来予知の能力による回避行動は、本能的であるが故に癖もまた出やすい、という事なのだろうか。自分でも気付かなかった事実に、しかしエイラはただ呆れるばかりだった。多少癖があったとしても、いざ実戦であそこまで誤差なく正確な動きが出来るものなのだろうか。
 ――ほんとまったく、そこまで見ててどうして――。
 声に出さずに吐いた愚痴は、小さな雲と一緒に後方へと流れていく。

 そこからは、完全に五分の勝負だった。
 防戦一方になれば危ういと踏んだエイラが、その独自に過ぎる軌道で幾度となくバルクホルンの背後を取るも、こちらでもまた、いや、こちらの方がよほど化け物だった。
 速度差を技術で限りなく埋め、必殺の射程圏内には入れさせない。更に特筆すべきはその回避方法で、まるで背後にも目があるかのように、エイラが引き金を引くその瞬間ばかりを狙うのだ。
 未来予知も万能ではない。見えた未来に対し最終的に実行するのはエイラ自身なのだ。例え全てが見えていたとしても、エイラ本人がそれについていけなければどうにもならない。
「私の技術不足ってことなのか……?」
 回避に関しては、ずば抜けた身体能力と空戦のセンスを持つエイラだが、どうしても攻め手に欠ける。しかしそれはバルクホルンも同じで、こちらの場合は攻撃の能力は充分でも、エイラの回避能力がそれを上回っている所為だ。
 お互いに決め手を欠き、ただ時間だけが過ぎていく。
 疲労はまだそれほどでもない。が、代わりに身体の内側、胸の奥底に沈殿していたものが、もやもやと、それこそすぐ横に連なる雲のように沸き立ってきていた。
 バルクホルンは間違いなく本気だ。元より手を抜くような性格ではないが、それにしてもエイラの癖の把握など、どう考えても行きすぎとしか思えない部分もある。
 そういった一つ一つが、エイラの中の黒い雲を少しずつ大きくしていくのだ。
『長期戦になるとは思っていたが、よもやここまでとはな』
「大尉は」
 久しぶりにインカムに入った音に、思わず声が出る。
「大尉はそんなにサーニャの事が心配なのかよ」
 それは、あのミーティングルームの続きだった。
『…………』
 しかしインカムからは僅かなノイズが聞こえるばかりで、聞きたい言葉は一向に出てこない。
 エイラは業を煮やしたように、身体を横に倒してずっと縁を飛んでいた雲の中へと潜る。
 間髪入れず、バルクホルンがその後を追っていく。
『否定はしない』
 厚い雲の中、ノイズに混ざってバルクホルンの声が飛ぶ。
『だが、それ以上に私はお前が欲しい』
「――っ! な、なにをっ」
 直後、捉えようによってはもの凄い事を言われて、流石にそれは予想していなかったのか、エイラが思わずバランスを崩した。
『私には、戦いしかない』
 相変わらず視界は零に近い。その所為か、呟くようなバルクホルンの声がいやに大きく聞こえた。
『私だけは魔力減衰なんて起こらない。私だけはずっと飛んでいられる。そんな事を思っていないと言えば、嘘になる。気が付けば私ももう十九だ。明日か、一週間後か、一ヶ月後か。いつ魔力減衰が始まってもおかしくない。この戦いの先にこそ平和があるのだとここまで来たが、最早どれだけ渇望しようとも、私に残された先はそうそう長くはないだろう』
 堰を切ったように流れ出るバルクホルンの言葉。それはハルトマンの言っていた、彼女の焦りに他ならない。
『だが、お前は違う』
「…………」
 唐突に自分の方へと話を振られて、しかし咄嗟に言葉が出てこない。
『今日、この勝負の中でも改めて感じた。お前なら私が歩んだ場所など簡単に飛び越えていけるだろう』
 ――やめてくれ。
『だからエイラ、お前には見て欲しいんだ。見つけて欲しいんだ。この先にあるものを。この先に何があるのかを』
「――ちがうだろ」
 胸の内の暗雲は、今にも爆発しそうな程に膨れあがっていた。
 だが、エイラに最早それを抑えるつもりはない。
 どうにかなると思った。どうにか出来ると思った。そうして臨んだバルクホルンとの勝負だった。
 でも、実際こんな事は必要なかったんだ。
 私達が本当にやらないといけない事は――
「わっけわかんねーよ!」
 ミーティングルームで話していた時と同じように、エイラが吠えた。突然に大声に、インカムの向こう側で息を呑むが解る。
「そんなの全部自分の都合じゃねーか! 違うだろ! そうじゃねーだろ! 大尉が本当に言いたいのは!」
 今も目の前、顔にぶつかる雲こそが伝えるべき相手だともいうように、エイラが言葉の拳をぶつけていく。
「――!」
 そして唐突に、その身体が雲から抜け出した。
 雲中でどういう軌道を取っていたのか、目の前、ぶつかりそうな程間近に、一緒に抜け出たのだろうバルクホルンの姿があった。
 腕を伸ばせば届く、そんなお互い距離。如何に相手の行動を見切る事が出来るとはいえ、この距離ではそれも難しいだろう。
 しかし、どちらもその手に持った武器を構えることはない。他にぶつけるものがあるのだとばかりに、エイラは目の前の相手に向かって、再び喉を震わせた。
「大尉は私に言ったよな。すぐに誤魔化そうとするなって。だったら私も言ってやる! 回りくどい事ばっかりするなよ!」
「私がいつそんな事をした!」
「いつだって!? わかんねーのかよ! ずっと! ずっとずっとずっとだ!」
 二人はシザーズのように交錯しながら、変わらず言葉の弾丸を相手に向ける。
「大尉に誘われた時! ほんとはちょっと嬉しかったんだ! けど大尉はちっとも私のことなんて見てなかった!」
「なっ――」
「私だって解ってるんだ。大尉に言われたこと、サーニャのこと」
 二人の軌道は水平飛行から直滑降へ。プロペラから流れていく飛行機雲が、空に螺旋の軌道を残していった。
「でもそんなのは関係ないだろ! ただ私の方を向いて! 私の名前を呼んでくれればそれでよかったのに!」
 直後、エイラがずっと手に持ったままだったMG42をバルクホルンへと向けた。
 どう足掻いたところで避けようのない、完全な零距離射撃。
 ペイント弾が炸裂した胸元が、何故だかバルクホルンは本当に撃たれたように痛かった。

    φ

「それで? 私にしてほしい事というのは決まったのか?」
 ハンガーから外に出た所に並ぶ柱。その一本の前に疲れて座り込むエイラの隣に立ったバルクホルンが言う。
 エイラは疲労でそれどころではなかったのだが、言わなければ立ち退いてくれなさそうなバルクホルンを見て「あー」と天を仰ぎ見た。
「やっぱり何もないな……その内、何か見つかったらその時に、とかじゃダメか?」
「負けは負けだからな。お前がそれでいいならそうしよう」
「おかえり、エイラ」
 バルクホルンの言葉と入れ替えに、サーニャがエイラの元へとやってくる。
 それを見たバルクホルンは、ほんの僅かに瞳を揺らして、二人に背を向けた。
「大尉――」
 そのまま去ろうとする後ろ姿に、エイラが疲れた声を投げかける。
「その、なんだ。悪かったな、色々」
「気にするな。私も今日は一日少々冷静さを欠いていた」
 そう言うバルクホルンは、疲れなどないのかすっかりいつもの調子で、それがエイラには半分嬉しくて、半分もどかしかった。
「もし……もしサーニャの両親が見つかって、私も落ち着いたらさ。その時は――」
「期待せずに待っておこう」
 それだけ言って、バルクホルンは再び歩き出した。
「なぁ、サーニャ」
 隣に座った彼女の肩に頭を預けながら、エイラがその名前を呼ぶ。
「よかったのかな、これで」
「エイラが、そうしようと思った事なんでしょう? だったら、きっと間違ってなんていなと思う」
 柔らかい声に意識がまどろむのを感じながら、そっか、とだけ答える。
 夕焼けに朱く染まる滑走路はどこかもの悲しくて、打ち寄せる波の音が泣いているように聞こえた。

    φ

 石造りの廊下に、どこか落ち着きのない靴音が響いていた。
「ほんとさー、私がなんのためにあんなことしてやったと思ってるんだか」
 それに隠れるように、控えめな靴音がその隣に並んでいる。
「エイラ、嬉しそう」
「ば、ばかっ。何言ってるんだよ。別にそんなんじゃねーって」
 並んで歩くその姿は、エイラとサーニャのものだった。
 変わらずに子供のような笑みを浮かべながらも、以前よりも大人びた印象を抱かせるエイラ。
 肩下まですらりと流れる髪と、表情にも落ち着きの出たサーニャ。
 以前とは少々異なる趣きの二人が、過ぎた時間を感じさせる。
「ま、カールスラントも少しは前進してるみたいだし、解らないでもないけどさぁー」
「新聞に載ってるカールスラントの情報、全部見てたものね」
「だから違うって」
 二人が歩いている場所は、スオムスでもなければオラーシャでもない、カールスラントはJG52の基地内だった。
 数日前、唐突にエイラがカールスラントに行こうと言い出したのだ。その後どうにかあちこちから手を回して?本人?達には内密にしたまま訪問する事が出来たのである。
「それにしても大尉も今年で二十一だっけ? いい加減大人しくしとけってんだ」
「エイラ、今は中佐よ」
「いや、なんかもう大尉ってのに慣れちゃっててさ……」
 二人が向かう先。それは他でもないバルクホルンの元だった。
 二十歳を超えてもなおその魔法力は減衰する事なく前戦に立ち、一時は彼女に減衰などないのではと噂されたほどだった。しかしそれでもやはりウィッチの宿命には抗えず、いよいよ引退かというところまで来たという。
 スオムスの新聞でその記事を見たエイラは、きっと駄々を捏ねているに違いないと思い、次にいつかの約束を思い出し、今こそその時と飛んできたのだ。
 引き留めようとするスオムスの軍上層部は、あらゆる方法で蹴散らしてきた。
「どうせ大尉のことだからな。今でも回りの心配はしても、心配されてる事なんて解ってないんだろ」
 サーニャもやはり大尉の方に馴染みがある所為か、二度目は注意をしなかった。彼女としても、大変な時ではあると思うが、それでもこうして無事にかつての仲間に会えるのは、とても嬉しく思う。
「っと、あの部屋だな」
 先に見えるドアと、貰った基地内の簡易的な見取り図を見比べながら、エイラが確かめる。
 しかし、いざ往かんとしたところで、横からサーニャに服の裾を摘まれて足を止めてしまう。
「部屋の中、バルクホルンさんの他にもう一人、誰かいるわ」
「お?」
 見れば、僅かに隙間の空いたドアから何やら話し声のようなものが漏れてきていた。
 こちらは何も知らせずに来ているのだから、客人が来ているのであれば入るのも悪いかと思ったのだが、近付いてみるとどうにもそうではないらしい。
「この声、中尉か?」
「今は大尉よ」
「一回目はつっこむんだな……」
 そんなやりとりをしながら、気付かれないようにドアの傍まで近付くと、空いた隙間から窺うように中を見る。
「おー、二人ともあんまり変わってないなぁ」
 しかし、その様子は二人の記憶の中とは少々違っていた。
 怒鳴るバルクホルンと、それを受けるハルトマンという図式こそ同じものの、その場に流れる空気はまるで正反対だった。
 ハルトマンが言っている事はあまりよく聞こえないが、バルクホルンの声でおおよそ何を話しているのかの見当は付く。
「ほらみろ、やっぱり駄々捏ねてるじゃないか」
 そうと解れば、タイミングを見て自分も混ざろうとエイラは思ったのだが、それも次のハルトマンの言葉を聞くまでだった。
『じゃあさ、トゥルーデは私がしっかりしたら安心してくれる?』
『お前、何を言って――』
『朝だってちゃんと起きるし、自分と部下の訓練だってちゃんとする。規則……は全部守れるかは解らないけど、それ以外だって、トゥルーデがやってた事、全部私もやるからさ』
『……本気で言っているのか?』
『ほんとはもっと早く言うべきだったんだ。ごめんね、私が――』
 エイラが聞いたのは、そこまでだった。
「エイラ?」
 突然背を向けたエイラに、サーニャが心配そうに声をかけるが、何故だか返事は出来そうになかった。
「……行こう、サーニャ」
 それだけを言って、エイラがドアに背を向けたまま来た道を歩き出す。
 サーニャはほんの一瞬だけ何かを考えた後、何も言わず、何も聞かず、エイラの横へと並んだ。
「フられちゃったね」
「私が先にフったんだよ」
 来た時と同じように、誰もいない廊下に二人の足音が響く。
 しかしそれはどこか寂しそうで、どこか悔しそうで。
 そんな足音に紛れるように呟かれたエイラの言葉は、誰にも届かないまま冷たい石畳へと落ちていった。




「……ばーか」
 
コメント



1.無評価Dayanara削除
The forum is a brtihger place thanks to your posts. Thanks!
2.無評価Kethan削除
I have my clients do the Ex/insaonpContraction game – which is exactly what you’re talking about what you discovered as you got older: “Does this decision give me a sense of Expansion? Does it give me a sensation of Contraction?” – and there you go, Bob’s your uncle! Great conversation here!