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蒼天、紅蓮に燃ゆ

2012/10/24 15:13:36
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蒼天、紅蓮に燃ゆ

河瀬 圭
 空が泣いている。
 空が鳴いている。
 そらがないている。
 なんでこんなことになったのかわからない。
 何を間違えたのかもわからない。
 ただ思えるのは一つだけで。
 それも単純で、シンプルで、わかりやすい後悔の言葉。
 血を吐くように、天を、地を呪うように。
 叫ぶでもなく、怒鳴るでもなく。
 喉の奥から絞りだすように、たった一言を。
「こんなはずじゃなかった……」
 天人はそう呟いた。
 瓦礫の山と化した紅魔館、轟く雷鳴、そして降りしきる雨のなかで――




    §


 現実から忘れ去られ、幻想が集まる場所がある。
 幻想郷と名付けられたその地は、現実と幻想の結界に隔てられた箱庭の世界。
 日本の原風景とも見れる和風な光景の中に、一つだけ異彩を放つ洋館があった。
 真っ赤な薔薇に囲まれたその屋敷を紅魔館という。
 住まうのは名にふさわしい貴族にして吸血鬼、レミリア・スカーレット。五百年を生きた貫禄をまったく感じさせない幼い少女である。
 彼女の性格は我侭という一点に集約されていると言っても過言ではない。
 太陽の日差しが嫌いだから、という理由で幻想郷を紅い霧で覆った事がある、と言えばその説明には充分だろう。
 そのレミリアの最近のブームはといえば、食客を招く事である。彼女自身が気まぐれで気に入った者を招いて食事を振舞うといったもので、もちろんレミリアが料理を作るわけではない。貴族とはそういうものなのだ。
 そんなわけで紅魔館には一人の食客が迎えられていた。
 比那名居天子。
 空色の長い髪の毛と目の彼女はレミリアに誘われるまま紅魔館のテラスにいた。
 一族全員が天人に召し上げられた比那名居の中でも、一番若い彼女は天人たる自覚に欠けていると言っても過言ではない。
 天人の生活を暇だとばっさり切って捨て、地上にちょっかいを出してみたという結果が博麗神社倒壊事件の始まりだったのだ。
 結果としてその目論見は失敗に終わったものの、それまであまり無かった下界との交流を持てたことは彼女自身に対してプラスとなったようである。
 交友関係が増えた、と素直に彼女は思っている。
 しかし当の博麗霊夢としては厄介なヤツが増えた、ぐらいの認識でしかなかった。天人と言えども彼女の前ではすべての評価は無になると考えてよい。
 どうでもいいのだ、ようは。
 ともあれ、レミリアに招かれた天子は紅魔館のテラスに降り立つと、帽子を取って優雅に会釈をしてみせる。
「お招きいただいてありがとう。素晴らしいお茶会になることを期待しているわ」
「よく来たわ。ご期待に添えるようにおもてなしさせていただきますわ」
 テラスに立たされた日傘の下でレミリアもまた優雅に会釈してみせた。
 すすめられた椅子に腰をおろすとすぐさま紅茶が差し出された。
「本日はクランベリーをお茶にいれてみました」
 レミリアの傍らに控えた人間のメイド、十六夜咲夜がにっこりと笑って説明していく。
「やや甘めな味と香りなので、英国風にスコーンと一緒にお召し上がりください。スコーンのトッピングも各種用意させて頂いておりますわ」
 十六夜咲夜の時間を操る程度の能力は天子も把握している。しかしながらなんの準備も用意されていないところからいきなり出てくるような様は、まるで手品のように思えた。
「それにしても、吸血鬼がこんな日当たりのいい場所にいていいのかしら……? うわっなにこれ美味しいし!」
「私は鍛えているからね、日傘ぐらいがあればこの程度は平気なのよ」
 咲夜の淹れた紅茶に舌鼓を打つ天子。
 くるくると表情を変える彼女を見ながら、レミリアは目を細める。
「さて、今日呼んだのは他でもない……聞きたいことがあるのよ」
「えっ……ああうんなるほど、そのために私は呼ばれたのね」
 キョトンとした表情にまた笑みが浮かんでしまう。
 それを何とかこらえながら、レミリアは真剣な表情を作った。
 その射竦めるような眼光にただならぬ物を感じた天子が居住まいを正す。
 ゆっくりとレミリアが口を開き――
「天人って桃しか食べないって本当?」
「えっ」
 あまりに意外な質問に鳩が豆鉄砲をくらったような表情になる。
「いやほら、ウチの役に立たない知識人が言ってたんだけど、天人って桃ばっかり食べてるっていうじゃない? もしそれが本当なら、桃ばっかり毎日毎日食べてたら飽きるんじゃないかなぁって思ってさ、なんだったらウチの食事でも振舞ってあげよーかなー、なんて」
「えっ」
「えっ」
「なにそれこわい」
「やっぱり桃じゃないものも食べるの?」
「はあぁぁぁぁぁぁぁぁ」
 興味深そうなレミリアを尻目に天子は盛大なため息をついた。
 なんて子供なのだ、この我侭お嬢様は。
 いくら天人とはいえ四六時中桃を食べているわけでもないし、そもそも食事自体がいらないのだから霞だけあれば生きていける。それでも桃を食べるのは純粋に食事という習慣を忘れないために食べるのだ。もちろん飲酒という習慣も忘れないために酒類も呑む。むしろ毎日が宴会状態である。天人は尊いのだ。いくらでも酒を飲めるし。
「へぇ~、天人って凄いのね」
「もちろん! だから私は偉い」
 感心しているレミリアを尻目に胸を張る天子であった。
「でも……毎日が暇なのが玉に瑕なのよねぇ」
「桃食べてお酒のんで食っちゃ寝生活じゃ確かにそうだねえ、太っちゃいそうだ」
「ふふん、その点私はスリムでしょ?」
「体型維持に何かしてるの?」
「めんどくさい事は嫌いだから、ちょっと意識的に動いて運動してるぐらいかな」
「なるほど、私と同じね」
「そうそう。ねぇところでさ、私も貴女に聞きたい事があるんだけど……」
 そろそろ幻想郷も冬支度というのにも関わらず広がる青空と白い雲。ほんのりと暖かい日差しは冬であるという事を忘れさせるような気温だった。
 雪が降るよりは今日は降っても雨程度だろうと、咲夜は胸の内で確認する。
 傍らには楽しく談笑を続ける二人がいる。
 主の我侭に付き合うのも大変だな、と彼女はこっそりため息を吐いたのだった。


    §


 それは紅い色同士の衝突だった。
 それぞれが手にした得物は剣と槍。
 緋想の剣と神槍スピア・ザ・グングニル。
 ともに固定した姿をもたない、神器とも言うべき幻想同士が激しくぶつかり合う。
 緋色と紅色。比那名居天子とレミリア・スカーレット。
 それぞれの獲物から刃こぼれしたした飛沫が紅魔館を覆い尽くし、弾幕となって雨あられと降り注ぐ。
 これが吸血鬼の住まう館なのかと思うほどあっさりと壁を穿ち、時計台に突き刺さり、ありとあらゆる所に両者の神器からの余波が降り注いでいた。
 それを器用に避けながら見守る咲夜に、いつもと変わらないボソボソとした声が届く。
「やってるわね……」
「パチュリー様」
 幾つもの穴が穿たれてぼろぼろになり、もはや原型を留めていない紅魔館のテラスにパチュリー・ノーレッジが現れた。
「紅魔館は……」
「もたないでしょう。いくら特別な防護魔法もかかった建物でも、あんな神格クラスのスペルカードがぶつかり合えばその余波ですらこの有様よ。ウチのメイドの避難は?」
「すでに美鈴にやらせてます。念には念をいれておりますので……」
「そう、ならいいわ」
 レミリアの友人であるところの七曜の魔法使いであるこの少女は、いつもどこか達観した口調で話す。その事が今は幸いした。
「レミィが心配?」
「そうですね……心配ではないと言えば嘘になります。紅魔館もこの様子では大幅な改修が必要ですし……妹様はどうされてます?」
「おそらく大丈夫でしょう。この時間なら地下にいるでしょうし。騒音にはなってもあそこなら紅魔館よりはるかに頑丈だもの」
 二人の上空では二つの紅い光が衝突しては離れ、花火のような閃光と飛沫をあげる。その度に紅魔館に無数の穴が穿たれ、亀裂が走る。
「雨が降るよ」
「雨……ですか」
 咲夜の言葉が終わらぬ内に、ぽつりと水滴が落ちる。
 近くにあったレミリアの日傘を、今だけはパチュリーのためにと開くと、すぐにざぁざぁと音がする豪雨に取って代わる。
「あんなに晴れ渡っていたというのに……」
「おそらくあの剣の力でしょう。あの子自身は大地を操る程度の能力だけど、あの剣は気象を操るわ。吸血鬼にとっての大敵である流れ水を呼び出したのよ」
「それではお嬢様は……」
「多少の打撃にはなるはずね。とはいえこれでほぼ互角といったところかしら。あの子は能力と剣を引き出せても、それを上手く扱える、というほどではないみたい」
「見ておられたんですか?」
「えぇ、窓から良く見えたから、図書館にだけ追加で魔法をかけてきた」
「図書館だけですか」
「そう、図書館だけ」
 いつも通りと言えばいつも通り過ぎるパチュリーに知らずに苦笑してしまう。
 紅魔館の門番を務めていたはずの紅美鈴が、すぐにでも崩れてしまいそうな外壁を越えて飛び込んできたのはちょうどその時だった。
 上空で飛び回る二つの紅い光を見て、眉をひそめる。
「咲夜さん、メイド達の避難終わりました。あとは私達だけです」
「ご苦労様」
「パチュリー様……避難しなくてもよろしいんですか?」
「えぇ、私は避難しないわ」
「もちろん、私もね」
 パチュリーの言葉には面倒そうな声音とは裏腹な力が込められていた。
 ここにいる二人は避難しないだろう、たとえ何があろうとも。それは紅魔館という場所に愛着があるわけではなく、レミリアという存在に愛着があるから、見届けたいとここにいるのだ。そしてそれは美鈴自身もまったく同じであった。
「やれやれ……本当は私は怖いんですけどね」
 瓦礫と化したテラスに座り込むと、目の前に紅茶が置かれた。
 見上げればそこに咲夜が微笑んでいる。
「あら、怖いなら貴女も避難していていいのよ?」
「無理に付き合う必要は全くないわ」
 ちゃっかりレミリアの座っていた椅子に腰掛けたパチュリーまでもがそう揶揄する。
「冗談ですよ。いまさらここまで来て除け者は酷いじゃないですか。こんな楽しそうな物を私に内緒で見届けるなんてズルいですよ」
 ぺろっと舌を出して美鈴が返す。
 この場にいる三人の意思は初めから一つであった。
 齢五百を超える吸血鬼を、我侭で、永遠に幼い紅い月を、自らの友を、主を。 
 レミリア・スカーレットという彼女自身を見届けたいのだ。



    §


 少女同士の会話は他愛もなく、際限なく続いていく。
 蒼天はどこまでも続いており、暖かな陽光を遮る冷たい雲もない。まるで今日一日が一足飛びに春になったような錯覚を思わせる日であった。
 いつもなら寒風でも吹きそうなものだが、まるで今日は山の天狗も風起こしを忘れたように凪いでいる。
「それでさ、私は教会のやつらをばしーんとやっつけたのよ、その時のヤツらの顔ったらないわ、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしちゃってさ、教会の異端審問官が二、三十人も雁首揃えて『た、ただの子供がなんで……』とか言っちゃって、みんな硬直してるのよ」
 笑顔たっぷりにレミリアが話し続ける。
 悪魔の思い出話と言えば聞こえは悪いが、それを天子は興味深く聞いていた。
「そりゃ見た目は子供だもんねぇ、そりゃ一気に半分以上の人間が首を飛ばされたら驚きもするでしよ」
「異端審問官って言っても一つの宗教にかぶれた狂信者なだけで、単一的な見方しかできないんだろうね。いきなり襲い掛かってくるもんだからさ、こっちも穏便に済ませることができなくってねぇ。そこで私は残りの連中に言ったワケよ」
「なんて言ったの?」
「『たぁべぇちゃぁうぞ~』って」
「あはははははははは、何それ! 日本古来の妖怪みたいじゃない」
「ちょうどパチェに日本の妖怪の本を借りててね、ちょっと真似してみたら泡くってみんな逃げ出しちゃってさ」
「いきなり襲ってくる方が悪いもんねぇ、ただ単に自分達の認めた神様だけが真実で、あとは認めないから殺しちゃうっていうのも平和的じゃないよね」
「そうそう、いくらパチェに派手に暴れるなって言われてもあれはしょうがなかったよ。その時にせっかく続けてた貴族経営も、領地経営もみんなおじゃんになっちゃってさぁ」
「あらー、それは面倒くさいことになったんだねぇ」
「まぁその時は結構貯蓄に凝っててさ、普通に暮らしてたら吸血鬼が一生かかっても使い切れない資産までできちゃったのよね」
「吸血鬼の一生ってめっちゃ長そうなのに、そんなに稼いだの?」
「ざっとあと千年分ぐらいは余裕で今の生活続けられるぐらいだよ、そうだよねぇ? 咲夜」
「派手に使い込まなければもう二百年は追加してもよろしいかと」
「ほら、ね?」
「すごいなーあこがれちゃうなー……私なんて一族ごと天人に召し抱えられて、ずっと桃ばっかり食べて暮らしてたなぁ」
 レミリアの過去の武勇伝を聞き、自分には誇れたりする過去がない事を少し恥ずかしく思ったが、それも仕方のない話である、
 比那名居の一族は他の天人とは異なり、改めて修行を経て徳を積み重ねて天人となったわけではない。大地の神の一柱である名居守に遣えていた所を、一族まとめて召し抱えられただけであり、天人としての格が不充分だったのである。その事からいつまで経っても天界では不良天人と呼ばれていた。
「それでも仕事みたいなのはなかったの? 神様に仕えるなんて神社の巫女みたいじゃない。もっとも――どこかの神社に神様がいるのかどうかは知らないけどさ」
 レミリアにそう聞かれ、天子は内心でギクっとした。
「あー……うーん、ないことはないんだけどね。名居守さまのお世話が私達の一族の仕事なんだけど、あんまり仕事が多いわけじゃないのよね」
 なんとかごまかし笑いを浮かべながら、そう前置いて天子は語りだす。
 名居守は推古天皇七年の頃(西暦五九九年)に東海地方において大地震が起きた後に諸国に祀られるようになった神である。「地震神」と書いて「なゐのかみ」と読むが、このなゐとは地震の事であるので、神の名ではない。どちらかというと「海の神」や「山の神」といった神格を表す表現であると言えよう。なお、日本書紀における推古天皇紀には神名、由来のどちらも記されてはいない。
 またこれは天子も知らないことだが、後に鹿島神宮にある要石が地震をおさえているとの伝承から、鹿島神宮の祭神である建御雷神が地震を防ぐ神とされるようになったが、『記紀』には建御雷神と地震を関連づけるような記述はない。また、地主神系の神や陰陽道系の神とする説もある。
 完全な余談ではあるが、現在には三重県名張市に式内社の名居神社があり、これが伊賀国における「なゐの神」を祀る神社であったとする説がある。現在は国作大己貴命(大国主神)を主祭神としているようだ。
「……とまぁようは地震の神様なんだけど、普段は寝てるのよね」
「なんで寝てるの? 神様からして職務怠慢、なんてーことはないんだろうけどさ」
「うん、たまに起きてなんとかプレートっていうの? を動かして小規模の地震をわざと起こさせて、大きな地震を防ぐのが役割だけど、そうそう滅多にあるものじゃないからね」
「基本的には暇、と」
「そうなっちゃうかなー」
「だから幻想郷でちょっかいかけたと」
「まぁ……ね。もうやらないと思うよ、さんざんみんなに怒られたし」
 少しだけばつの悪そうな笑顔を浮かべて天子が言う。
 それを見てレミリアは眉をひそめた。
「ふぅん。最近は幻想郷も暇だし、何か一緒に企めたらなぁ、なんて思ったけど……残念ね」
「さすがにそうそう続けてやったら本格的に怒られちゃうわよ。これでも天人なんだし」
「でもいいじゃん、不良天人なんでしょ?」
 その言葉は、あまりにもさらりとレミリアの口から発せられた。
 今まで凪いでいたはずの風が、ひょうと一陣だけ通り過ぎていく。
 咲夜は何も言わない。
 レミリアはニコニコとした笑顔のまま。
 そして天子の表情もまた笑顔のまま凍りついていた。
 ややあってから、天子が切り出す。
「それはちょっと聞き捨てならないわねー……確かに他の自力で天人になった仲間達とは違うけれども、私達だって天人としてのプライドはあるんだから」
 笑顔のまま声色がやや低くなった天子は不機嫌を隠そうと努力をしているようだった。
 なんとか穏便に済ませたい、という彼女の意向はあっさりと突き崩される。
「いやでもこないだの異変は楽しかったよ、実に楽しかった。それぞれの気性が気象に反映されるなんてなかなかなかったじゃないか。それに関しては実に興味深い。自分の気性を客観的に見れるなんてなかなか無い体験だったからね。博麗神社を倒壊させるなんていうのも実に良く出来ている。賢者気取りの八雲なんかは後で苦労したらしいけど、そう言った意味じゃあ痛快だったよ」
「…………」
 天子は黙したままである。傍らの咲夜にこれはどういう事なのかと視線を飛ばして見るが、彼女は目を伏せたまま主を止める様子はない。
 確かにあの異変は自分の起こした異変だ。しかしそれは解決された。博麗神社にこっそりと仕掛けた要石も撤去されてしまった今となっては全て解決された事である。
 一つだけ大きく深呼吸した天子は、笑顔をしまうと眦をやや吊り上げながら、
「……何をさせたいの?」
 声音に含まれる刺は充分な鋭さを持ってレミリアに突きつけられている。
 やや直情傾向ではあるが、比那名居天子とて天人である。充分な知性や教養を身につけ、さらには礼儀正しさも失わない。
 レミリアの狙いとする所がわからず、警戒心を持ち直した天子ではあったが、すでに遅かったのだ。彼女はすでにレミリアの術中に囚われていた。


    §


 天子の怒号が天を轟かせる。
 いまや豪雨は雷鳴を伴っており上空にいるのは危険である。
 もし龍神がこの戦いを見ているのだとしたら、果たして今の天子の姿をなんと捉えるか。
「さぁおいで、天人くずれ!」
「妖怪風情のくせに、ちょこまかと!」
 グングニルを片手にあざ笑うレミリアを天子が執拗に追い掛け回していた。
 レミリアは手にしたグングニルを消し去ると、さらに速度を上げながら無数のコウモリをばら撒きつつ上昇していく。
 緋想の剣を構えたままそれを追う天子。二人は螺旋を描きながらどこまでも上昇していくように思えた。
 レミリアのばら撒いたコウモリが一斉に弾け飛ぶと、周囲に弾幕をばら撒いて追撃されるのを阻止。一瞬たたらを踏むようにたじろいだ天子は意を決すると弾幕の中に飛び込んでいく。
 次々と襲い掛かるコウモリと弾幕を緋想の剣でなぎ払い、打ち落とし、深く切り込んでいく天子の様はまるで巨大な黒い翼に立ち向かう勇壮な戦士を思い浮かばせる。
 しかしその表情はどうだ、その鬼気迫る空気はどうだ。
 風に逆巻く髪こそは怒髪天を突き、硬く食いしばる口元は、眦を吊り上げた目は、まるで羅刹の如くと言えよう。
 勢いに任せ、コウモリの群れを突き抜ける天子。やっと捕らえたレミリアは満月のような笑みを浮かべている。
 本能的にまずいと悟った天子は両腕で顔をかばう。
 レミリアが紅く、どこまでも紅く笑い、光の中に消える。
 閃光となった速度でレミリアから放たれた鮮血の色をしたナイフの間にかろうじて身を滑り込ませるとさらに距離を詰めようと両手で掴んだ緋想の剣を突き出し、突撃体勢を取る。
「これで終わりじゃないぞ、天人! 紅き運命を辿れ、そして消えろっ!」
 レミリアがナイフの軌道を正確に、波打つように左右に振り出すと、さすがの天子もこれでは距離を詰めるのを諦める。
 しばらくレミリアに翻弄されるが、やがて緋想の剣を逆手に持ち直すと、気合とともに遥か地上へと投げ打った。
 何事かとレミリアが剣に注視する。その間に天子は再び――今度は無手の状態で――突撃を再開する。
「跳ねろ!」
 緋想の剣が地面に突き刺さり、周囲の地面を急激に伸び上がらせる。
 大地はまるで何かに突き上げられるように持ち上がり、遥か空中のレミリアを地面に叩きつけようと伸び上がる。
 慌てて再上昇する彼女に突撃してきた天子がついに追いすがる。持ち上がった地面に突き刺さった緋想の剣を全く失速せずに手にとり、ついに悪魔を射程圏内へと捕らえる。
 今や二人の対決は有頂天にまで達しようとしていた――





    §


「私達比那名居の一族はそれは確かに思し召し、という扱いで天人になったわ。でもそれも名居守さまのお世話するためには必要な措置だった。私はそう思っているし、一族としての誇りもある。それを貶めるような事は言わないでもらえるかしら?」
「事実は事実でしょう? 私とて教会に追われはしたがその気になればヤツらを相手に一人でも戦争は起こせた。それをしなかったのは私には貴族の誇りがあるから。いたずらに領民を、自らの側付きを危険に晒すことはあるまいという考えの元からなの。それがどう? お前達は必要な人員だからとついでのように天人に『してもらった』んでしょう? そんなやつらはいつまで経っても徳なんか積めやしない」
 二人の雰囲気はすでに最悪である。
 今やテラスのテーブルを挟んだ二人の間には何人たりとも入れる隙間は無い。お互いの視線の鋭さだけは秒速で跳ね上がっていく。
 眼光の鋭さが鋭利な刃物の如く研ぎ澄まされていくのを咲夜は肌で感じていた。
「今さら何を言いたいのか解からないけれど、所詮貴女のような吸血鬼風情が何を言うのよ。領地? 領民? 全部貴女の傲慢さと我侭に付き合わされているだけの人でしょう。その結果が何もかもを失い、幻想郷に流れ着いた……違って?」
「あぁ違うね、私は貴族だから近しい物を守らねばならない。その守るべき物を厳選した結果がこれなのよ。傲慢? 我侭? 望む所だよ。私は全てを手に入れるのではなくて、全てを紅にする存在だ。私が欲しいと思ったものはすでに私の手の中にある。咲夜もパチェも美鈴もだ。誰も彼も私の側にあれと命令したことはあるが、彼女らは全て私の側に居たいと思っているからこそ私の側にいるのさ」
 天子の言葉はレミリアに届かない。
 天人と悪魔という立場の違いではない、経験に裏打ちされた自信が違うのだ。
 押し黙る天子にさらにレミリアが追い討ちをかける。
「その点お前はどうなんだ。一族まとめて天人にしてもらったあげくにやることは基本的に何もない、だと? 天界もよほど暇らしいな、ましてやその不良天人の中でも温室育ちでのうのうと無駄な時間ばかり過ごしてきたお前とは違う。私は私の物を全て守るがお前は守るべきものすら持てないただの天人くずれだろう。お前がこの間の異変で何を企んだのか私が知らないとでも思ったのか? 危うく幻想郷自体が滅びかねなかったのよ? 八雲になんと言われようが私の持ち物に手を出そうとしたその心意気が気に入らないわ」
 レミリアの言葉はまるで断罪のように響き渡るが、決してこれは断罪ではない。純粋にレミリアは個人の怒りをぶつけているだけに過ぎない。我侭で、傲慢で、どこまでも幼い理由からであった。
 しかしながら、そんな主を愛しく思えるからこそ咲夜もパチュリーも美鈴も好んでレミリアの側にいるのだ。
 天子は喋らない。レミリアの一方的な言い分を聞き、長い沈黙が訪れる。
 気が付けば二人の心境を表すように暗雲が訪れている。気温自体は暖かいから雪は降らないだろう、と頭の片隅で咲夜がそんな事を考え始めたときに、ようやく天子が沈黙を振り払い、口を開いた。
「……ようはそこなのね。極めて単純で個人的で視野の狭い話だわ」
「へぇ、私は貴女より物事を見失ってはいないよ。少なくとも私は私の大事な物を見続けているからね」
 レミリアの言葉を聞きながら天子は立ち上がる。
「そこよ、貴女は所詮自分の大切な物しか見ていない。この世界がどうなろうと、幻想郷がどうなろうと本当はどうでもいいんでしょ? それが視野が狭い、単純だと言っているのよ。私達比那名居の一族は名居守さまのお世話をし、お守りするのが役目」
「たかが暇潰しでその神様の力を悪用したのは何処のどなたでしたっけねぇ」
「そこも視野が狭いわ。名居守さまは地震の神。幻想郷如きが潰れたところでどうということもないわ。この世界全体のことをお救いしている。私はその比那名居の一族だわ。貴女みたいな一介の妖怪風情のクレームなんかいちいち受け付けてられないのよ」
「天人くずれの箱入り娘が何を言う。私の我侭とお前の我侭は質が違うんだよ」
「えぇ、貴女みたいな下賎な妖怪と一緒にされたくないわ」
 レミリアもまた立ち上がる。
 ひゅっと天子が腕を振るうと、そこには黄色の刀身が伸びている。
「これなるは緋想の剣……気質を集め、輝きを増す剣よ。なぜこれを私が持てるのか貴女は知らないでしょ?」
「フン、くだらないな。私がその程度の瑣末なものに興味があるわけがないだろう。最高の幻想で出来た槍を持つ私にはな」
 レミリアの右手に紅い閃光が迸り、刹那の内に現れる。
「神話の中でもとびきりの槍だ。神でも一撃で屠り、獲物が絶命するまでその狙いが外れることはないぞ……」
「有頂天。存在する全ての頂きにして三界の内でも最上の無色界。その中でもさらに最上の天があるわ。非想非非想天――私はそこの力を使えるのよ。だからこそ私にこの剣が与えられている。私は全人類の頂点に君臨するものよ。知ってる? 『神様も悪魔も人間には敵わない』のよ。だから神も悪魔も忘れられたモノが萃まる幻想郷に集う。逆立ちしたって貴女では私は倒せない」
 天子が刀身を一撫ですると、黄色の刀身はみるみる内に緋色に染まっていく。
「貴女の理由はわかったわ……確かに私としたことが軽率な行動だった。だけどね、今さら終わったことに難癖つけられても迷惑なのよ。それに――」
 緋想の剣はその名の如く緋色に染まりきった。
「貴女は私を怒らせた。私どころか比那名居の一族を侮辱した。その責任はとってもらうわ」
「天人くずれが……身に余るオモチャで遊んでる癖に」
 期は熟した。
 スペルカードルールでもない、すでにお互いの矜持を、守るべき物を賭けあったのだ。

「有頂天の怒りを思い知りなさい、下賎な吸血鬼風情!」
「私の世界は誰にも邪魔させない、傲慢な天人にもな!」






    §


 二人の戦いはすでに佳境に近づいている。
 今や雷鳴まで轟き始めた空は暗雲が二つの光を反射し、赤光の世界を作り上げている。
 明らかにレミリアの動きが鈍ってきている。
「チッ……雨が……」
 当初こそ有利に展開していたレミリアだが、持久戦のような長時間の戦闘を雨中で強いられれば疲労も溜まる。何しろ身体修復のほとんどを流水の対策に割り当てているのだ、今さら疲労や傷の修復に回せる余裕はない。
 息切れを隠せない彼女に対し、天子の方はまだまだ体力が有り余っているようだ。
「所詮貴女もただの五百年を生きた吸血鬼でしかない。そろそろ貴女を叩きのめして帰らせてもらうとするわ」
 気質を無限に吸い上げ、使用者に転化する緋想の剣は長期戦においても絶大な効果を発揮しているようだ。
 対するレミリアもまだまだニヤリと笑ってみせる。
「こっちこそ手間が省けるってもんだ。いい加減お前のタフさ加減に嫌気が差してたところなんでね。そろそろその有頂天とやらも近そうだし、帰ってもらうことにしよう」
 レミリアとしては短期決戦を挑み、余力のある内に天子を倒してしまいたい。天子としては相手の疲労が見えてきた今こそが好機と踏んだ互いの利害が一致した結果だった。
 最大火力で一気に決着をつける。
 互いの手から緋想の剣が、スピア・ザ・グングニルが消失し、姿を変えていく。
 その時点でお互いの手の内は読めている。互いの所有する神器を純粋エネルギーに変え、相手に叩きつける。
 単純にして最大の火力を誇るスペルカードで。
 天子が頭上に両腕を掲げ、緋想の光を束ねると、全人類の有頂天の力が。
 レミリアが聖女のように両手を胸の前で抱くと、その身にグングニルが宿る。
 天子の体が弓なりに反ると、その両腕の緋色の光を放出しようと。
 レミリアが体を捻り、全身の力を使って紅色の光を体ごと叩きつけようと。
 その直後、蒼天は紅蓮の光に包まれた。




 からん、と紅いナイフが落ちる。
 たったそれだけの事で紅魔館に残った三人は理解した。
 今にも崩れ落ちそうなほどにボロボロになってしまった紅魔館ではあるが、まだ修繕は可能な範囲だろう。
 もっとも、それを誰もしようとはしないだろうが。
 ナイフに続いて降りてきたのは、比那名居天子ただ一人だけ。
「すまない……ここまでするつもりはなかった――」
 彼女ははなんと言ったものか迷い、結局はただそれだけしか言葉を発せられなかった。
 その紅いナイフを大事そうに拾い、胸に抱きしめたのは十六夜咲夜だった。
「あーあ」
 出し抜けに明るい声が聞こえる。
 紅の燃え上がるような髪をした少女、紅美鈴だ。
「まーた根無し草に戻っちゃったわね……まぁ今の世界を見て周るのもアリかな」
 かつて紅魔館の門番だった少女は、じゃあね、と明るい挨拶を残して去っていってしまった。
 彼女にとって主のいない紅魔館は守るべき対象ではないのだろう。
 天子は歩き去る美鈴に声をかけようとしたが、何を言えばいいのか判らずに、振り向くことなく真っ直ぐに新天地を目指す彼女には何も言えなかった。
「小悪魔、図書館の移設準備は出来てる?」
 ボソボソとした声が自らの従者に命令を告げる。
 小悪魔と呼ばれた少女が元気よく、はい! と返事をする。
「そう、ならいいわ。レミィが消えた今、妹様もまた――栓の無い話ね。いくわよ。まだまだ知識は足りないし。読むべき本も記すべき本もある。レミィ、楽しかったわよ」
 パチュリー・ノーレッジの足元が七色に輝き、次の瞬間には消えてしまった。
 レミリアの親友であるパチュリーはそれでも一言で全てを振り返り、自身の所有する図書館ごと何処かへ消えてしまった。
「あ……」
 声は出た。手も伸ばした。しかしその空間には誰も残っていない。
 とてつもない無力感と激しい後悔が天子を包み込む。
 重たい疲労感にも似た悲しみが襲う。さっきまで、ほんのさっきまであんなに楽しく話し、笑いあい、尊敬すらした相手だったではないか――
「私はお嬢様と共にある人間です」
 最後に残った十六夜咲夜が涼やか、どこか吹っ切れた表情を浮かべていた。
「そして人間というには少々長く生き過ぎました。時計の針は同じ文字盤の上を周り続けます。ですが……その時計を動かし続ける動力がなくなれば時計は止まり、その存在は役目を終えましたわ。つまり――」
 その続きの言葉は永遠に聞こえない。その時点で彼女の時は止まり、役目を終えたのだ。
 そこには残されたレミリアの紅いナイフと、決して動くことは無い銀鎖の懐中時計だけが残されただけだった。
 全員が消えてしまった。
 たった一人の妖怪が消えてしまっただけで、あんなに楽しかった、幻想郷に紅い館ありと言われた紅魔館が消えてしまったのだ。
 そしてその引き金を引いたのは、レミリア自身であり、また比那名居天子自身でもあった。
 雷鳴は遠ざかったが、未だに雨は降り続いている。
 かろうじて原型を留めた紅魔館で、天子の涙が地に落ちた。
「あ……ご、ごめ……」
 決壊した涙腺は留まることなく水滴を流し続ける。まるで雨のように。
 取り返しのつかない事をしてしまった。
 天子の脳裏にはその言葉だけが駆け抜けている。
「ごめん……なさい」
 その泣き声を聞くものは、もう誰もいない。



    §


「はーい、お疲れ様」
 泣き崩れた天子にぱちぱちと拍手とともに声がかけられる。
 振り返るとそこには緋想の光の中に消えたはずの幼い吸血鬼の姿があった。
「え……………………………………………………………………………………?」
 絶句する天子を他所に、レミリアは服のあちこちを絞って水を滴らせる。
 傍らにはつい先ほど消えたはずの十六夜咲夜がレミリアのために傘をさして立っている。
「まったく。ちょっとは後悔してくれたかしら? おかげでこっちは雨の中飛び回るハメになるし――あーあ、下着までびっちょびちょだわ」
「あ? え…………なんで?」
 混乱したままの天子は流れる涙もそのままに問う。
 レミリアは咲夜の元から離れ、つかつかと天子に詰め寄ると、
「いい? 前回の貴女の行動はこうなる危険……ううん、これと同じ事が幻想郷全体で起こってもおかしくなかったの! 八雲に本気でフルボッコされてもアナタいまいち判ってなかったでしょう? そこで私達紅魔館が一肌脱いでやったのよ。実体験を伴えばいくら箱入り娘のアナタでも痛いほど理解できたでしょ! これに懲りたら二度とあんなような事するんじゃないわよ! わ・かっ・た・?」
 その鼻先に指を突きつけながら一気に捲くし立てた。
「あ……」
 天子はようやく得心がいったようにコクンとうなずく。
「それにしても派手に壊れましたねー、これは改修っていうよりもう建て直さなきゃって感じですよね」
 その背後から明るいというよりは間抜けな声がする。
 どこかに歩き去ったはずの美鈴が雨にも負けない太陽のような笑顔であちこちを覗いている。
「もうちょっと建物に強固な防御魔法をかけるべきだったわね。咲夜が内部をあちこち弄り回すから無理だったけど……建て直したら真っ先にそちらを優先させてもらうわよ」
 雨音に消されてしまいそうなパチュリーの声もする。まるで消えたときと同じような現れ方をした彼女とその従者は軽い笑みを浮かべていた。
「もちろん今のは光の屈折を利用した魔法ね。熟練した相手なら気配でばれるけど、単純に視界に映らない分こういう時には便利ね。もっとも、使い道があんまりなさそうだし、どこぞの黒ネズミに覚えられても大変だから見せないようにしとかないと……」
 ぶつぶつと呟くパチュリーをぼうっとしたまま眺めていると、不意に雨が遮られた。
 すっかりしてやったり顔のレミリアの隣に並んだ咲夜が傘を差し出してくれている。
「ありがと……」
「簡単に言うと、みんなで貴女を引っ掛けたのですわ。貴女は少し危険すぎる手段で異変を起こしたので、少々懲りて頂こうと。つまりはそういう事ですわ」
 咲夜の優しい声音に、再び天子の涙が溢れてくる。
 その後、彼女は咲夜に抱きついて泣きじゃくり続けた。



 ごめんなさい、と謝りながら。





 天子が泣き止んだ頃だろうか。崩壊寸前の紅魔館の地下が開かれた。
「うるっさい!」
 フランドール・スカーレットのその声と共に紅魔館は完全に爆発、瓦礫の山となった。
 もちろん紅魔館の再建の手伝いを約束していた天子を含めた全員を巻き込んでの事である。
 完全に瓦礫と化した紅魔館の再建にはかなりの時間がかかりそうである。
「こんなはずじゃなかった……!」
 天子の咆哮が雨天に轟いた。
「どうしてこうなったの!」
 レミリアの怒声も続いたのは言うまでもない。

                                     《了》
コメント



1.無評価Chuckles削除
How neat! Is it really this sielpm? You make it look easy.
2.無評価Indian削除
And I thought I was the sensible one. Thanks for setting me stihtgar.