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天子警報

2012/10/24 15:15:34
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天子警報

Hodumi
 その日はさして退屈な日ではなかった。
 麗らかな日差し、長閑な天界はいつも通りで、足元に広がるのは累々と転がる半殺しにされた死神達。誰も彼も平等にボッコボコにされたようで、呻きが細波のように辺りから切なく響いている。
「天人が天人足るはまず死神如きに遅れを取らぬ故。それを知って尚向かってくるのは良い根性で、感動的ね。……だけど無意味だわ」
 緋想の剣を片手に、累々たる中一人しっかと立っている比那名居天子は欠伸交じりに呟いた。
 今日はたまにある天人の暇潰しの日。いや、普段なら他の天人は暇だなどと思ってはいないのだが、ともかく死神達が大挙して天人達に「お前らの寿命はとっくに過ぎているのだから神妙に死ね!」と命の刈り取りにやってきたのだ。
 当然死神の意気も虚しく、彼等の一割にも満たない数の天人らによっていつも通り壊滅の憂き目を見た訳だが。ちなみに積極的に返り討ちに走ったのは天子だけであり、他の天人はたまたま自分のテリトリーに死神が侵入してきたので戯れに相手をした程度である。
 おまけで天人になった程度の天子ですら大地を操るような破格の力を持っているのだ。実力で天人と成った者らの実力がどれ程かは推して知れるだろう。
 それに、誰もが〝広範囲に対する絶大な威力の何か〟程度の事は綽然と出来る為、地上の者等からすれば広大で空き地ばかりに見える天界も、天人にとってはいざと言う時手狭だったりする。自分の力を振るう際、その都度自分の力で自分の住まいや隣近所等を破壊してしまうのは、いくら天人でも心穏やかとはいかないものがあろう。
「あー暇。本読むのも飽きたし……なんかないかなあ」
 そしてたった今から今日は退屈な日になった。
 ついさっきまで大変楽しそうに死神をフルボッコにしていた天子なのだが、それが終わるなりこの発言。温室育ちで自分勝手な有頂天娘なので仕方無いは仕方無いが。
「…………死ねば助かるのに」
 天子の足元で程良く死にかけている小町がそんな事を言ったが、生憎それは誰の耳にも届かなかった。
 敗残者達は放っておけば各々勝手に帰って行くから放っておくとして、そうだ、と天子は妙案を思い付いた顔で天界のある一角へと向かう。珍しくも天界で大騒ぎがあったのだ。あれならそれを肴に酒を飲むくらいはしても良いだろうし、してない筈がない。
 そんな期待を胸に、いつぞややってきた図々しい小鬼の宴会場に天子は訪れる。
「あら?」
 だが天子の期待は虚しく空振り、そこには誰もおらず、書置きらしきものが残されているだけだ。
 なんだろうとそれを拾い上げ、一瞥する。内容的にはごく短く、読むまでもなく見ただけで把握する事は容易かった。

『飽いたから返すわ  伊吹』

 これだけである。
 勝手に来て、勝手に場所とって、勝手に騒いで、色々やらかして、勝手に帰って行った訳だ。
「……何の為に天界での仮居留を認めてやったと思ってるのよ!?」
 書置きを握り潰し、思いきり雲に叩きつける。無論向こうとしては認められた覚えもなく、良さそうな場所があるから居付いただけで、飽きたから返す事に何の不思議も存在しない。
 だが天子からすれば恰好の暇潰しという本音があった為に、彼女としては怒りの一つや二つや三つや四つ湧いて当然だ。
「どうしてくれよう……!」
 ぎぎ、と歯軋りするや、さっと身を翻し走り出す。
 こう言う場合何をするかと言えば、意趣晴らしと相場が決まっている。
 とはいえ、表情がやけに楽しげなのは暇で無くなったからだろう。

    §

「ぐららあがあ!」
 晴れ渡る青空の下、守矢の境内に響くのは謎の奇声。
「……何なんですか」
 奇声に誘われて出てきた東風谷早苗は、腰に手をやって仁王立ちをしている天子を見て心底呆れた目を向ける。てっきり何か事が起きたのかと、弾幕ごっこをやる気満々わくわくして出てきた所に天子の笑顔なので、気勢を削がれるのは仕方がない。
「ぐららあがあ?」
 疑問符もろとも首を傾げる天子である。
「…………」
 早苗からしたらそれはもう訳が分からない。
 これはもう挑発と断じて戦闘開始! で良いんだろうか……と早苗が思い始めた辺りでようやく天子が人間の言葉を話しだす。
「外から来た割にノリ悪いなぁ」
「どう答えていいか分かりませんし……また桃の差し入れにでも来て下さったんですか?」
「全然」
「……では、何をしに?」
 首を左右に振る天子に早苗は曖昧な笑みを返す。日本人の得意な愛想笑いに近いが、今の早苗のそれは些か愛想に欠けていた。
「人間は鬼退治に詳しいと言うから、何か無いかなと思って」
「鬼退治ですか?」
 何を突然……と言って首を傾げるものの、早苗にとって心当たりのある鬼と言えば数が限られる。そもそも幻想郷では最近まで地底に引き籠っていたせいで、一匹を除いてとんと見られなくなっていたそうだから、限られていた所で問題はないが。
「そう、鬼退治。仕返しと言うか」
「天人は大層お強いそうですけど」
「一方的に圧倒的にけちょんけちょんにしたいの」
 笑顔である。
 早苗としては苦笑を返す他無かった。
「えーっと……じゃあ、桃太郎に倣って猿と犬と雉を用意したらどうでしょう。本当に節分豆を怖がるような鬼ですから、三つのしもべを揃えられたら怯えちゃうんじゃないですか?」
「犬、猿、雉か……」
 天子はふむむと唸って顎を撫でる。
 まだ撫でる。
 ふと視線が早苗に向けられた。
 早苗は嫌な予感がした。
「まさか」
「猿」
 びし、と指まで差した天子であり、その行為と意味には有無を言わさぬ何かが過剰に込められていた。
「ええと、つまり鬼退治を手伝えと?」
「これも何かの縁よ」
 とんでもないのに引っ掛かってしまった、と冷や汗をかく早苗に天子は満面の笑みを向ける。本来なら好意的な感情を抱くはずの笑顔だが、今の早苗にとってそれは何だか断然別のもののように受け止められた。
 天子に首根っこ掴まれて半ば引きずられる形で守矢神社を後にする早苗だが、妖怪退治に楽しみを見出した彼女である。内心、鬼退治はどんなものなのか楽しみな為に、抵抗は弱く、表情もどこか天子同様楽しげだった。

    §


「ここにいる地獄烏はその通り鳥頭ですけど、でもつまりそういう事なんですよね?」
「ぐららあがあ……」
「……さっきからなんなんですかそれ」
 炉の上で暑そうに奇声で呻く天子に、額の汗を拭いながら早苗は言う。風を起こして涼しくなろうにも、回りは灼熱融解高温ドロドロ地獄なので、風は即ち熱風。暑さは増して死に近づく一方だ。
 天子は何を聞いてもぐららあがあな為、そもそもなんでここに向かっていたのか最初早苗は不思議に思ったが、猿に自分を当てはめた辺りを鑑みるとそう難しい事でも無い。間欠泉地下センターを要石に乗って降りて行く辺りで容易に察する事が出来た。
「……知らないの?」
「知ってたら聞きませんって」
 無知を不思議がる天子に早苗が漫才師よろしく突っ込みを入れた途端、
「異物発見! 核融合炉の異物混入は以下省略! ここからいなくなれー!」
 突如高温を纏って突撃してくるその姿はまさに火の烏、暑苦しい事この上無い。
「あの鳥頭ったらまた忘れてる!」
 突っ込んでくる霊烏路空に思わず眉を顰め文句を言う早苗だが、空に対する天子の行動は果断を極めた。
「天道是非のけぇぇぇえん!」
「ぐはー!?」
 空の突撃よりなお早くすっ飛んで行って、緋想の剣で以て彼女の胸部、やたら目立つ赤い瞳を緋想の剣で正面から貫いたのだ。
「ぇえー!?」
 一瞬の出来事に早苗はただ眼を丸くして、正面から刺し貫かれて痙攣する空をただ見ることしか出来ない。
「フ……安心しなさい、峰打ちよ」
 だが天子は実に得意げにそう言い放つと、空から緋想の剣を引き抜きがてら彼女の身体を早苗の傍に払い落す。どう考えてもぶっ刺していたし、今早苗の傍に落ちた空はどう見ても重傷である。流血も酷い。痙攣も。
「ちょ、これはやり過ぎなんじゃ……」
 天子の目的を大体察していただけに、この行為の意味が理解しかねている早苗だった。
「み、峰打ちじゃなかったら危なかった……!」
「ぇえー!?」
 だが口端から血の筋を垂らしつつも、空がむくりと起き上がったのを見て思わず叫んでしまう。どう考えてもそういう行動は出来そうにないくらい綺麗に胸の真ん中を貫かれていたというのに。なんで? おかしくない? 大ダメージだったのに? 鳥頭だからって?
 そんな風に頭の中が真っ白になっている早苗を余所に、降りてきた天子を見ながら空はあれれぇ? と首を傾げる。
「あんた達誰?」
「私は比那名居天子、こっちは東風谷早苗。そして貴方は私に負けたから、今から私に従い、鬼退治の手伝いをするのよ!」
「あ? そうなの?」
「そうよ。そして貴方は私に協力するとともに、貴方の友達も誘う約束をしていたの!」
「な、なんだってー!?」
 一々大げさなアクションを伴いつつ、すらすらと大ウソを並べ立てる天子と、何故か大げさなアクションを伴って答える空だ。天子は相手を鳥頭と知り、そして見ての通り鳥頭であるが為に、ノリと勢いで一気に押し切ってしまおうと言う腹だろう。で、当然空はそれをそうと知らず素直に全部鵜呑みにしてしまっている訳だ。
「えーっと、つまり私はこれから比那名居天子の鬼退治の手伝いをしに行くんだけど、まずその前にお燐を誘うって事?」
「そういう事!」
 記憶領域が揮発性なだけで、物覚えが悪い訳でも理解力が無い訳でも無い空である。
「んーと。じゃあまずお燐の所行かないと」
「そう。じゃあ早速そうしましょうか」
 立ち上がりスカートの埃を払う空に並ぶと、天子は如何にも楽しそうに彼女の肩に手を置き、微笑む。釣られて空も微笑む。早苗はまだ真っ白だった。
「いつまでそうしてるつもり?」
「ぅあ痛ぁー!?」
 スコーン、と緋想の剣の柄尻で額をやられ、涙目と共に我に帰る早苗である。
「で、でもだって! ……そうだ怪我! 大丈夫なの!?」
「峰打ちって言ってたし。大丈夫だよ!」
 心配に対し腰に片手を当てて自信満々に胸を張る空であり、見れば貫かれたはずの胸の赤い瞳は無傷であり、怪我らしい怪我の痕はもうどこにも認められない。
 多分妖怪だからだろう。人間ならいくら頭からそう信じ込んでいても怪我が塞がったりだなんて出鱈目な事はない。
「幻想郷では常識に囚われてはいけないと理解した筈なのに……!」
 相も変わらず自分の常識が現状の理解を阻んでいる事に、改めて早苗は自分が外から来た人間なんだと言う事を思い知りつつ、何やら楽しげに例の奇声を発する二人を追った。

    §

「ぐららあがあ!」
「……ぐららあがあ?」
「ぐぅららぁーがぁー!」 
 本来静けさが支配する灼熱地獄跡地において、謎の奇声がそれぞれの味を以って響く様はどう考えても変だった。なんにせよ踏ん反り天子は相変わらずであり、項垂れ早苗は取り敢えず空気を読む事にし、万歳空はそもそも理解しようと言う気が無い。
「ぐららーがあ♪」
「返事が!?」
 声の存在に驚き、そちらを向けば猫車をごろごろやりつつ火焔猫燐が現れた所であった。
「やっほーおくう。何だか珍しい人達と一緒みたいだけど、どうしたの?」
「やっほー。それがねお燐。私はこの比那名木」
「比那名居」
 即訂正を入れられて空は首を傾げたが、記憶になくてもこういうのは慣れているのだろう。
「……って人と一緒に鬼退治に行く事になったんだ」
 普通に言葉を繋げていた。
「それでお燐も一緒にどうだいと思って」
「何と。鬼退治だなんて、しかもこの地底で! お姉さんそれは無茶ってもんだよ。鬼っていうのはそれはそれは強いよ、べらぼうだよ?」
 親友の言葉にやや大げさに身震いして見せて、燐は天子へ言葉を向ける。
「大丈夫、鬼退治の定番を連れて行けば私達の優位は揺るがないわ」
「定番?」
「犬と猿と雉を揃えるの」
 それぞれ、燐、早苗、空の順にひょいひょい人差し指を向けて天子は笑う。
「あたいは猫だよ」
「私は現人神です」
「地獄烏ー」
「細かい事はどうでもいい。要は四本足と二本足と鳥を用意すれば代用は利くわ。だって私がそう思ってるんだもの」
 それぞれ否定する三者に対し、自信満々に言い切った後改めて天子は笑って見せた。
 これに燐は変なお姉さんだなぁと思い、早苗はそろそろ諦観を覚え始め、空は素直に感心している。
「うーん。まぁおくうが行くって言うなら私も行くけど。でも退治って言ってもきっかり懲らしめちゃったりとかするのかな」
「いいえ?」
 燐の言葉に天子は笑顔で首を振り、肩を竦めると目を細めた。
「単にムカついたから一方的に打ちのめしたいだけ」
「……ぇえ?」
 これには燐も大丈夫かなぁと心配になったが、親友が既に付いて行く気満々である以上はどうしようもない。思い止まるよう説得しようにもどう言えば良いか分からないし。
 そうやって燐が諦めた頃、早苗がふと諦観を跳ねのけて疑問を口にした。
「て、言うか。……良いんですかあの子達勝手に連れ出そうとしちゃって。誰でしたっけ……この辺りの顔役のペットなんでしょう?」
「そうね」
「分かっててやるのはどうかと……」
「珍禽奇獣国に養わずってあるでしょ」
「……は?」
 天子の言った格言か何かは、早苗にとっては初耳であり、思わず首を傾げている。
「要はレアな鳥獣は飼うより野に放っときなさいって事。ペットなんてやってるあの烏と猫もたまには自由に羽伸ばしたって良いでしょう」
 この有り様に天子は思いっきり馬鹿にした目をしつつ解説を入れたのだった。
「成る程……」
 反感を覚えないでも無かったが、早苗は素直に感心する。
 だが早苗も天子も知らないのだが、空も燐も日頃から自由に過ごしており、また彼女らの飼い主は心を読む為、ペットと言っても飼い主側の強制がある訳でも無い。珍禽奇獣国に養わずとは言うが、この場合珍禽奇獣が好き好んでペットをやっている為天子の論法は甚だ通じそうにないのだ。
 天から見下ろして地底の事が分からない以上、萃香の催した宴会での伝聞でそう言うのがいる、程度にしか知らない天子からすれば仕方のない事である。ただ、真相を知っても別の理屈で押し通るのは目に見えているが。
「ま、ともかく。いざ行かん鬼退治! えい、えい、おーっ!」
「おーっ!」
「ぐららーがぁー!」
「お、お~……」
「そこ! 声小さい!」
「おーっ!」
 天人と妖怪のテンションについていけなかった早苗だが、即座に突っ込まれて半ば自棄で大声を張り上げたのだった。
「あ、でも」
 だが早苗はふと根本的な事に気付く。
「鬼退治と言いますけど、鬼ってどの鬼ですか?」
「そりゃあ、伊吹萃香と言う小さくて生意気で酒腐れな小鬼よ」
 天子の答えた名は早苗も知っている鬼だった。
 が、それならそれで改めて疑問が湧く。
「何処に住んでいるのか知ってます?」
 神出鬼没がモットーのような相手である。宴でもあればそこにいるか、宴の黒幕であったりするが、そうでない時と言うのはどこにいるかと言うのがさっぱりなのだ。
「ぐ……」
 そして天子もまた、指摘されてその事に初めて思い至ったらしく、愕然とした後腕を組んで実に真剣に懊悩し始めた。
「あれあれ?」
 それらを不思議に思ったのが珍禽奇獣組である。それもその筈地底には鬼がおり、退治と言えばその者等を退治するのだとばかり思っていたのだ。
「お姉さんお姉さん、鬼退治って言うんなら別になんでもいいんじゃないかな」
「ねー」
 顔を見合わせそんな風に言ったものだから、早苗がそれはどうだろうと言う前に天子が手を音高く打ち合わせていた。
「それよ! 標的が見つからないのなら他ので代用、種族の誰かの責任は種族全体の……いやこれはやめておくとして」
 流石に自分の事を言われたら色々危うい事に思い至ったのだろう。
 ともかく、萃香の所在が明らかでない以上、では他の鬼でいいやと思うのは不良天人であれば何の不思議も無かった。所謂「むしゃくしゃしてやった。鬼ならば何でも良かった」という奴だろう。
 鬼側からすればふざけるなであるし、他の者等からしてもふざけるなであるのは全くその通りと言う所だが。
「それじゃあ、雉と犬は何かこう、活きのいい鬼誰か知らないかな」
 天子からこう問われれば。
 再び顔を見合わせた空と燐としては一本角の彼女を想起せざるを得ず、すると答えは異口同音となった。
「「知ってるよ」」
「よし、じゃあそいつの所まで案内しなさい。そして本来の目標の代わりに皆でそいつを退治しよう」
 予め想定していたかのように非常に滑らかな口調である。
「せーのっ、えい、えい、おーっ!」
「「「おーっ!」」」
 取り敢えず早苗は深く気にするのは止め、他三名程でないにしろ楽しげに気勢をあげた。

    §

 空と燐の先導の下、早苗を従えた天子は賑々しい旧都に辿り着く。
「わぁ……」
 話には聞いていたが初めて来た早苗は、旧都の町並み、風情にどこか祭りの夜らしきものを感じていた。それはそうだろう、騒ぐのが好きで、酒が好きで、力を崇拝する鬼が楽園と称するほどなのだ。
 それこそ毎日が百鬼夜行で、毎日が宴会で、毎日がお祭りであって当然だろう。
 一方の天子は視線や顔こそまっすぐ前ばかり向いているが、内心はそこらじゅうに気が行っていた。本来なら早苗のようにあちらこちらと目移りし、隙を見ては露店のものを見てみたりとかしてみたいのだ。だがそれをしない。
 何故かと言うと、一応天人としての自覚からか、それとも早苗等の手前強がってみせているのか、或いはその両方か。
 なんにせよ天子は珍禽奇獣組に導かれるまま、とある背の高い酒屋の前までやって来た。
 店に入る戸を開ける前から店内の喧騒がけたたましく響いてくるような店である。そのあまりのうるささに天子も早苗も眉を顰め、早苗は更に耳をふさいだが、空も燐も慣れた風に戸を開けて喧騒を倍加させ、凄まじいアルコール臭を放つ店内へ入って行く。
 それに続くには少なからぬ気合いを必要とした。
 蝋燭の灯りも眩しい店内は、普通の喋り声が聞こえぬほど楽しげな騒ぎで喧しく、また酒に弱ければ店内にいるだけで五分ともたず酔ってしまいそうな酒の匂いが充満しきっており、雰囲気の時点で既に暴力的な何かを持っている。
 やはりここでも早苗は眩暈に足取りが不安定になっていたが、天子は気合で我慢していた。
 燐が半ば叫ぶようにして店員の鬼と意思疎通をし、笑顔で手を振った後天子達に手招きする。
 訪れたのは店の三階。一階の凄まじい喧噪は遠いが、こちらはこちらでやっぱりうるさい。
 そこの一室、座敷への障子を燐が開けると、べろんべろんに酔っぱらった鬼達がそれぞれ気持ちよさそうに大いびきをかいている。
「えーっと……」
 座敷にあがって軽く室内を見回し、目的の顔を探す燐はすぐに探し当てる事が出来た。
 酒徳利やつまみ、お猪口を押し退けて机の上で大の字になって腹を掻いている大柄な一本角の鬼。
 星熊勇儀は実に気持ちよさそうに酔眠を貪っていた。
 同じく座敷にあがった天子らと共に鼻ちょうちんも見事な勇儀を見、さてどうしたものかと顔を見合わせる。
「ともかく退治よ」
「え」
 この有り様を見てまだ気勢を失っていない天子に早苗は驚き、ちょっとした感嘆すら覚えてしまっていた。まだやる気なんですかと思った直後に思い当たる事があったのだ。
 鬼退治において、鬼を泥酔させて油断した所を斬り伏せるなんて言うのは基本中の基本であり、実力で劣る人間側からすればそれこそが常道である、と。
 だが。
「起きなさい」
「ぐはぁっ!?」
 天子が勇儀の腹に要石を落としたのを見て早苗は改めて唖然とし、目を丸くした。
「げほっぐはっ、ぐぐ……な、何事だいこれは!? あー、げほっ」
 流石に飛び起き、腹の要石を片手で易々と退かして何度か咳き込む勇儀である。
「ちょ、ちょっと天子さん、起こしてどうするんですか起こして!?」
「起こさない方がおかしいでしょうに」
「鬼退治の常道だとここで起こす方がおかしいんじゃないですか!?」
「なんで?」
「うっ……」
 鬼が咳き込んでいる隙に猛抗議した早苗だが、まっすぐな瞳で言い返されて口を噤む。
 まだまだ新参である早苗は、相変わらず自分の常識と幻想郷の常識のズレに戸惑う事が少なくなく、常識に囚われてはいけないと悟った割にやっぱりまだまだ常識に囚われている事を自覚する事が多い。
 であるからして、自分にとっておかしくても相手からさも当然のような態度をとられると、どうしても相手の意思を尊重してしまう所があった。後でやっぱり自分の常識で間違いでは無かったと理解する事もそれなりにあるはあるが。
「で、えーっと。取り込んでる所悪いんだけど、何なんだいあんたら。こっちは地霊殿の所の猫と烏なのは分かるけど、そっちの二人は……ん~? かたっぽは人間じゃないか珍しい」
 一方で、要石ショックから我に返った勇儀は机の上で胡坐をかき、自分の周りの四人にざっと目を通している。
「初めまして」
 まずそう言っていつものように偉そうに胸を張ったのが天子だ。
 その声に勇儀は顔を向けるが、視線は胡散臭いものを見るそれだった。無理も無かろう。
「私は比那名居天子、そっちが守矢神社の東風谷早苗」
 どうも、と頭を下げる早苗に、勇儀は神社の名に心当たりがあったらしく、あーあーこないだ山の方に来たって言う、と何やら納得していた。
「私は星熊勇儀だよ。……それで? わざわざ地霊殿の烏と猫まで連れてきて、この私に何の用だい?」
「ちょっと鬼退治なぞしようと思って」
「はぁん?」
「ほら、猿と犬と雉もこの通り用意してきたし」
 言葉と共にそれぞれに指をさし、それぞれがそれなりに不服そうな三者を笑顔で無視して最後に勇儀に指を向ける。
「ほうほうほう。また地上から珍しいお客さんが来たと思ったら、今度は私が目当てかい。良いだろう良いだろうそこまで用意して鬼退治がしたいって言うなら協力しようじゃないか」
 楽しげに言いながら机から降りると、未だに回りで寝こけている他の鬼らを見て溜息を零す。
「しかしこいつらも協力させるのはちょいと骨か」
「ああ、そこは別に気にしなくとも」
「え。何でだい?」
「元々伊吹萃香という小鬼一匹を退治するつもりだったから、元よりそれより多い数を退治しようなんて思ってないもの」
「ほう! 萃香を知ってるのかい!?」
 天子の言葉に首を傾げたが、萃香の名を聞くや途端に瞳を輝かせる勇儀である。
「ええ。あの小鬼が私を怒らせたから、私は鬼退治だなどと言っているの」
 その言葉にへー、と真っ先に納得したのは早苗だった。そう言えば何を思って鬼退治に至ったのかをまるで聞いていなかったのだ。空と燐の方はその辺りを最初から気にしていなかったのか、特にリアクションは無かったが。
「ふーむ、成る程ね。萃香があんたに何やったかは知らないけど……ああ、どうせなら道々話を聞かせておくれよ。ここで暴れると物が壊れるし店も壊れる」
 机の上から杯と適当な酒徳利を手にし、座敷からおりると天子に背を見せ悠々と歩きだす。
 一見隙だらけなその背はやはりその通りなのだろうが、それを特に気にする事なく天子達はその背を追う。唯一早苗だけは大したものだと感心していたが、考えてみればその態度も分からないでは無かった。
 寝ている所を攻めなかった事、他の寝ている鬼らには関心を示さなかった事。その辺りを踏まえれば騙し討ちはしないだろうと踏んだのだ。
 とはいえ、理屈は分かってもそれをそうと納得できるかと言えば、やはり首を傾げざるを得ない早苗であった。どうやったら初対面の、それも自分を退治しようと言う相手の事を信頼できるだろうか、と。

    §

 勇儀が天子達を連れて来たのは、生気に乏しい旧都の外れ、薄暗く荒涼とした草地だ。そこに一対四の形で間をおいて向かい合う。
 多少騒がしくしても問題無いだろうと言う事で勇儀が選んだのだが、当の彼女の表情はどこか浮かないと言うか、やや呆れが混じっていた。
 道すがら天子から萃香への怒りの事情を聞いたからである。
「天人がねぇ……まぁ、何にせよ萃香があんたを怒らせるような事をして、その始末を私が付けるっていう形には文句も無いさ」
 言いながら左手に持つ盃に酒を注いでいく。
「さて。それじゃあ私の方はいつでもいい」
 ちょうど空になった徳利を放り、波々と揺れる盃の酒を軽く啜ると、勇儀は不敵に微笑んだ。
「? 酒は呑まないの?」
 勇儀の姿に天子は思わず首を傾げたが、そこへ燐がちょちょいと説明する。
「勇儀お姉さんは大体ああ言う風だから気にしない方が良いよ?」
「でもあれじゃ酒がこぼれるじゃない」
「そこはほら、そういうのにスリルを求めるタイプだそうだから」
 天子は燐の言葉に何度か目を瞬かせ、その様子を見て勇儀は口端を吊り上げる。
「盃から酒が零れたらあんたらの勝ちってね」
「ふぅん。でもそんなの関係無いわ。今回の私の勝ちと言うのは鬼退治の完了だもの、酒が零れたくらいではいそうですかと帰れない」
「ま、良いから良いから」
 ニヤニヤ笑ったまま勇儀は手招く。
「……仕方ない。良し、行きなさい手下達!」
 相手の動向を伺う為か、天子は早苗、空、燐に号令を下す。
 しかし。
「え?」
「うにゅ?」
「あたい達がやるんですかー?」
 命令一下足並み揃え、には程遠く、それぞれが天子に疑問を呈していた。
「あなた達をこうして従えてるのは、鬼退治に参加させる為。で、こうして鬼退治の場となった以上はあなた達が鬼へ立ち向かうのは当然の事でしょうに」
「それはそうですけど……」
 いきなり捨て駒というか、様子見に使われるのはちょっと……と言った風情の早苗であり、燐もそれに賛同するように頷いていた。
「お姉さんやっぱり誰かを動かすには自分から動かないと」
「そうだけど、私はリーダーだし、最初から動くものでは無いわ。大体私を手伝うからここまで来てるんでしょう?」
「えーっと? それでどうすればいいんだっけ?」
 実に纏まりが無い事甚だしい。
 天子としては早苗の入れ知恵に従って猿犬雉を揃え、いざ鬼退治という所だったのだが、その猿犬雉が言う事を聞かないのには弱ってしまう。
「あはははは! あんた達桃太郎一行を気取ってる割に随分チームワークが悪いねぇ?」
 当然、そんな有り様を見せられては鬼としては笑いを堪える事なんて出来る訳が無い。
「確か猿、犬、雉は桃太郎の言う事を聞くものだと思ってたけど。どうやらちゃんとしたのを揃えてないのがいけなかったかね」
 勇儀の言葉の前半にほらご覧なさいと言う顔になった天子だが、後半にはその顔を早苗と燐からし返されていた。
「あ、そうだそれと、きび団子貰ってません。きび団子」
 天子がばつの悪い思いをした所で、早苗がぽんと柏手を打つ。
「なにそれ」
「知らないのかい?」
 疑問に応じたのは勇儀の方だった。鬼としてはやはり口を挟まざるを得ない所だからだろう。
「きび団子って言うのは、桃太郎が猿、犬、雉のそれぞれに与えた鬼退治の前払いさ。で、それがあったから動物達は桃太郎の意を汲んで良く働いたって訳だ。前払いも無しに私怨の鬼退治じゃあ、猿も犬も雉も言う事聞かなくて当たり前さ」
 何それそんなの聞いてない! と天子は早苗を睨んだが、早苗の方は苦笑いを浮かべて視線を泳がすばかりである。実際言ってなかったんだから仕方がない。
「ま、そっちが来ないんなら私の方から行くまでだよ!」
「え? あ、ちょ」
 地を蹴って大地を飛ぶように駈けてきた勇儀に天子の対応は目に見えて遅れ、壮絶な力が込められているであろう右の鉄拳を勇儀は思いっきり叩き込んだ。
 生物が生物を殴ったにしては些か説得力の欠ける凄まじい音がして、縦回転しながら真後ろへ吹っ飛んだ天子は二度三度と地面に叩きつけられ、その都度轟音と土煙を巻き上げ、六度目辺りでようやく止まっていた。
 これを空と燐はおー飛ぶ飛ぶ、と物見遊山であったが、早苗としては顔を蒼白にし、鬼退治を面白そうかもと思っていたちょっと前の自分を叱ってやりたい気分になっている。もし天子の言うとおりに先遣を担い、あの拳が自分に振るわれたならどれ程の怪我を負っただろうか。
「さーて、こんなもので終了とはなるまいね。先制打がそのまま決定打になってしまっては折角の返り討ちに華が無いってものだ」
 そう言って早苗らの前でからからと笑う勇儀であり、跳ねるような動きをしたにも拘らず、一体どうやったものか、盃から酒が零れた様子は全く無い。少し水面が揺れている程度だ。
 そんな鬼というものの底知れなさを恐ろしさとして早苗がじわじわ実感し始めていると、天子が吹っ飛んだ方向から錐状に形を変化させた要石が一つ、直線状にいる勇儀を抉り込もうと飛んで来る。
 これに勇儀は楽しげな笑みをし、空と燐は当然のように受け止め、早苗は幻想郷に来てから何度目か知れないが、自分の無力さを実感させられていた。
「だけどこんなものじゃなんにもならないよ!」
 言うなり右手を翳すと、楔状弾幕を縦横に発生させ、向かってくる要石をそれらでもって打ち砕く。
 あっさり要石が割れた事を早苗は疑問に思ったが、勇儀は勿論、空も燐も顔は上へと向けられており、珍禽奇獣組に至っては既にこの場を離れようと移動し始めていた。
 何事かと早苗も上を見て、それから慌ててこの場から離れようと風を纏い離脱する。
 上で何事が起きているのか、そして何故早苗達は離脱したのか。
 答えは天子によるものであろう巨大な要石が勇儀を圧さんと落下していたからだ。
「面白い! ならば我が奉ずる大江山の恐るべき颪、それが逆巻く様をとくと見よ!」
 唯一離脱しなかった勇儀は心底嬉しそうになり、勢い良く右腕を振り上げる。
 それに呼応するように巻き上がるのは恐るべき強風と、力業を示すが如き大味な紫の弾幕。本来山の高みから一気に吹き下ろす事でその威を示す颪が、勇儀の言葉通りそっくり逆となり勢いを一切衰えさせる事無く吹き荒れる。
 逆巻く颪は巨大な要石を直撃し、力業の弾幕が容赦無く削り、割り、砕いて行く。
「―――っ!」
 だがいよいよ深刻な亀裂を入れるに至り、要石は自身が砕け散るよりも早く勇儀へと到達していた。颪は無茶苦茶な技の前に敗れ、要石が落着し、砕け、大轟音と巻き上がる粉塵と共に霧散する。
 空はその大翼で粉塵から自身と燐を護り、早苗は風を操って自分への被害を最小限に留めた。
 そして要石落着から僅かの間を置いて、天子が地に足を付ける。何度か地を跳ね転がった事で服は汚れ、綺麗な長髪は些か残念な事になってしまってはいるが、その表情には満足気と楽しげが浮かんでいた。
「私をあんな風に吹っ飛ばしたんだもの、まさかここで立ち上がってこないなんて事は無いでしょうね?」
 粉塵が靄のようになっている中、笑うように言う。
 果たして、応じる答えはあった。それは落着した要石の破片らを残っていた粉塵諸共巻き上げ、四方へ吹き飛ばし、不敵に仁王立ちする勇儀の姿を露わにする。
 その左手には相変わらず盃が載っており、如何なる手段を用いたのか、波々と注がれた酒もまた相変わらずだ。
 これに天子はやや怪訝な顔になるが、間を置かずして盃に音を立てて幾本かの罅が入ったかと思うと、次の瞬間には盃は割れ、酒は勇儀の手を濡らし破片と共に地に落ちた。
 すると天子の表情は見る間に不敵なものとなり、勇儀は意外そうに左手を見る。
 そうしてしばし見上げる視線と見下ろす視線が交錯し、先に動いたのは勇儀の方だ。
「気に入った! 流石萃香を知っていて尚鬼退治だなんて言いだすだけの事はあるね!」
 呵々と笑う彼女に、天子は悠然と笑ってみせる。
「ふん、退治できるから退治しようって思うのよ」
「ふぅむ。まぁしかし私は私の流儀に則ってここはもう負けなんだけど、そっちの気は済んではいなさそうだね?」
「それはもう。大体にして萃香が勝手にいなくなったりするのがいけないんだもの」
「成る程成る程」
 天子の主張に腕を組んだ勇儀は如何にもと言った風情で何度か大きく頷いた。
「ではここは一つ、今からあんたに私の全力を叩き込むから、あんたも私に全力を叩き込むって言うのはどうだろう?」
「何それ?」
 この鬼は話が通じないの? とばかりに天子は首を傾げる。
「いや何、比那名居天子は退屈が嫌だから勝手に出て行った伊吹萃香を怒って、鬼退治だなんて言ったのだろう? じゃあ、その始末として星熊勇儀があんたを退屈にさせなければ、鬼退治の話は水に流れるんじゃあ無いかと思ってね?」
「……は?」
 訳が分からない、と言いたげな顔になる天子だが、勇儀は自信満々であり、また彼女の言葉を聞いていた早苗と燐も言われてみればそれもそうか、と思っていた。空は大体天子と似たような顔をしているが、それは概ねいつもの事と言えなくも無い。
 要は天子の私怨の原因がはっきりしている以上、何も鬼退治でなくてもその私怨を晴らす方法があると言う事だ。それが勇儀の言うあんたを退屈にさせない事、と言う訳である。
 ただ何をもって退屈とさせないかはまだ分からないが。
 尤も、天子当人はその事にまだ思い至ってはいないようだ。
「つまりだね」
 なので勇儀は言葉を連ねる事にした。 
「寂しがりなんだろう、あんた。だから退屈なのが嫌で、ちょっと相手にされなくなったくらいで鬼退治だなんて言い出す訳だ」
 それは容赦のない直球であり、深々と抉り込む強烈な言葉。
 言われた方は数瞬何を言われたか分かっていないような顔をし、先の言葉と併せて自分がどういう扱いをされているか知り、しかもそれを否定するのが難しい事を理解するなり、
「うがーっ!?」
 天子は吠えた。
 同時に緋想の剣を振り翳すや滅多矢鱈に勇儀へと切り込み、それはもうバラバラに引き裂かんばかりに切り込み、とにかく湧き上がる激情のままに切り込んだ。
 彼女が冷静な時であればそれは気炎万丈の剣の強化型と表現されたかも知れないが、現状の場合は何て言うかそんなチャチなものでは無いもっと恐ろしい何かである。
 だが今回は相対する相手が相手。常日頃片腕での勝負事に美学を見出し、その方が楽しめるからと大概の事を盃片手にこなしてしまう勇儀なのだ。
 結果、勢いに押されるように下がりつつも、恐るべき勢いで迫る緋想の刃をフルに使える両の手と怪力でいなし続け、その勢いが衰えたとみるや、楔を打ち込むようにまずは一歩前へ。
 その前進と共に、上段からの打ち下ろしを手首狙いの掌で突き上げる事で跳ね上げさせ、その勢いに押されて相手がやや仰け反るのに合わせて更に一歩。
 不可避の状態の相手を見定め、万全に握り締めた鉄拳を繰り出しがてら最後の距離を詰めるべく一歩。
 都合三歩を歩み、最後の一歩が踏み締められたのと同時に、勇儀の鉄拳は天子を打ち抜かんばかりに突き込まれていた。しかもそれは先制打の時のように相手を吹っ飛ばす事は無く、鉄拳による衝撃全てを相手の内側で爆発させる苛烈無比な一撃だ。
 尚本来なら崩しに一歩、攻撃に一歩、備えで一歩の順だが、一撃必倒が充分に可能な鬼からすれば、備えるよりも一撃を加えるのにより完全な状態を作った方が有益と考えたのだろう。
「お?」
 されど勇儀は意外そうな声を出す。
 それもそうだろう。今まで同族を含めた全ての者が、三歩からなるこの一撃の前に最低でも膝を屈していたのだ。にも拘らず、天子はその細身に鉄拳を受けて尚立ち続け、それどころか跳ね上げられた腕を振り戻し、緋想の剣の一撃を勇儀に加えようとしていたのだ。
 無念無想の境地に至った天子が、その凄まじいまでの気合で鬼の奥義に耐え切ったのである。
 いやはやこれは参った、と素直に観念した勇儀は振り下ろされる緋想の剣を敢えて避けようとはしなかった。
 だが。
「……ありゃ」
 剣を振り下ろす勢いに引っ張られるように前のめりに倒れた天子に、勇儀は先程とはまた微妙に違った意外そうな声を漏らした。
 天子の緋想の剣はついに勇儀を捉える事は無く、彼女の意志に彼女の身体は付いていけなくなっていたのだ。
「まぁしかし……結果は一緒か」
 倒れ、動かなくなった天子を見下ろし、勇儀はやれやれと頭を掻く。
 そして事の決着に早苗らは顔を見合せ、どうしたものかと目配せし合う。
「おーい、そっちの三人」
 だがそうこうしてる間に勇儀の方から声をかけられ、それぞれがびくりと肩を震わせた。何せ目下の所自分達は桃太郎に従う動物達という名目なのだ。桃太郎があの通り倒れたとあっては、鬼の脅威が自分達に向くと考えるのは当然と言えた。
「安心しなよ、何も取って喰いやしない。ただあんた達もいた方がこの子も安心するんじゃないかと思ってね」
 この言葉に改めて顔を見合わせる三人である。
 その様子が余りにおかしかったのか、勇儀は気持ちの良い笑い声をあげ、その笑気を何秒かかけて押し込めると言葉を続けた。
「こういうのはこうでもしないと中々話にならないからさ、ちょいとまぁ乱暴な手段になってしまったけど。……ま、ともかくパーッと呑もうじゃないか。楽しく騒いでいればこの子も目を覚ますだろうし、覚ました後は一緒になって騒いで呑んで呑んで騒げば、鬼退治だなんて言わなくなるだろうさ」
 勇儀という鬼は、力を象徴する割に力比べよりも酒宴を好む性質であるようだ。しかしそれはそれで率直に鬼らしいと言える。そしてだからこそ天子の行動原理に退屈を見た彼女は、無理矢理にでも宴の席に天子を呼び入れようと考えた訳だ。
 その言葉に三者は三度顔を見合わせ、それぞれがそれぞれの勢いで頷いた。

    §

 それはちょっとした浮遊感とでも言うのか。
 無重力とも違う、しかし確実にどこかへと落ちているのか、浮かんでいるのか良く分からない感覚。
 そんなものに苛まれながら、ふと天子は自分が何でこんな事を感じているのか疑問に思った。
 そういえばもう結構長い事こんな感じのまま辺りを気にする事なくふわふわしていたような気がする。
 えーっと。
 だからつまり。
 取り敢えず目を覚ました方が良いって感じ?
「ん……」
 直後、眩しい光に目を手で覆い、それから周囲のとんでもない喧騒と強烈な酒の臭い、そして背中に感じられる畳の感触。
 寝てる?
 何で?
 ……あれ? そういえば鬼退治はどうなったんだっけ。
 そう言った疑問が渦巻く中、天子の耳に届いたのは破天荒さすら感じる勢いの大声だ。
「七十八番東風谷早苗! 歌いっまァす!」
 その声は確かに聞き覚えがある、と言える範疇の物で、その名はどう考えても間違えようが無く、つまりあの守矢の巫女がこんな状況の中大声で歌うと言う訳である。
「どういう事!?」
 状況は理解できたが何でそうなったかが理解できなかった為、天子は思わず声を上げて勢い良く身を起こした。
 その時彼女が目にしたのは、広々とした広間に、長い机。机の上に並べられた料理の山々と、その料理に方々から箸を伸ばし、酒を飲む鬼達の姿。そして奥の方で河童製であろう良く分からない機械の棒を持って何かを大声で歌っているらしい、顔が真っ赤で目が胡乱な早苗の姿。
 宴会であろうと言うのは分かった。分かったが、相変わらず何でこうなってるかはさっぱりである。
「あ、お姉さん起きたねぇ。身体大丈夫? どこか痛いとかないかい?」
 天子が混乱したままでいると、すぐ隣、口端からスルメの足を数本覗かせる燐がどこか焦点の合ってない瞳で見つめていた。その奥では実に美味そうにゆで卵を食べる空の姿があり、鬼のけたたましい宴席の中でちょっとした清涼感のような風情を醸している。
「身体? 別に……」
 そう言おうとして全身に鈍痛が走り、顔を顰めさせた。
 勇儀の奥義をまともに食らったのだからそうなったとて無理も無く、むしろ平気そうにしていられる時点で天子の、いや天人の強さと言うものが良く窺い知れるだろう。
「あー、やっぱり。ほらほら無理しないで、まだ横になってた方がいいんじゃないかな?」
 言いつつ燐は寝るよう手振りでも促すが、天子は首を振ってそれを固辞。鬼退治と言ってきた手前、鬼の宴会で横になっているだなんて事、天子としては許容できる訳無かった。
「そうだ、勇儀は?」
 机に凭れるように座りながら問いかける。
「ああ、勇儀お姉さんならほら、あっち。あそこ」
 指差した方を見てみれば、成る程確かに勇儀がいた。
 相変わらず何かしら歌っている早苗の隣で、他の鬼らと共に大口を開けて笑いながら手拍子している。
 前後の状況が今一思い出せないが、自分が倒れていて相手があの有り様ではどう考えてもこちらの敗北だろう。それで何故宴会に? とも思ったが、その辺りは容易に思いだす事が出来た為、顔を不満げにさせるだけに留められた。
「まぁ大丈夫そうならほら、お姉さんも呑もーよ? 鬼のお酒は美味しいよー♪」
「……何で私が……」
 言われるままに盃を持たされお酌をされて不満を漏らすものの、そう悪い気はしていない。
 何せ萃香の催していた粗野で粗暴で大衆的な宴会の空気は天人らのそれとは全く遠く、良い退屈凌ぎになっていたのだ。天人の宴は上品すぎると言うか、バカ騒ぎというものをしようとしない為、不良天人からしたら拷問のようなものなのだから。
 現状この場の雰囲気は、参加者連中によって萃香の催した宴会のそれを上回っており、知らず天子の口元に楽しげな笑みが浮いていた。
「お、いける口だねぇお姉さん♪」
 雰囲気に呑まれている内に気付かないまま盃を干していたのか、気を良くした燐のお酌ですぐにまた盃に波々と酒が浸っていく。
「ちょっと」
「良いから良いから♪ お酒はたーんまりあるから気にしなくても大丈夫だし」
「良く無いってばーちょっと」
 とは言うが、その頃には既に盃は酒で満たされていた。
 これを呑まなければ良いのだが、天子は盃に口を付けてしまっている。
 天人の嗜む酒は上品で豊潤で口当たりも良く、加減を知らない者が呑めば潰れるまで呑んでしまう代物だが、鬼の酒はそれとは全く違う。粗野でアクが強く、好き嫌いの分かれそうな強烈な強さの酒なのだ。酒の好みはその者の気質を表すと言えるかもしれない、と思いつつ、早苗を胡乱な目にさせた鬼の酒を天子はつるりと呑み干した。
 余りに平然と呑むものだから燐は軽く感嘆の声を上げ、小さく拍手までしてしまう。
「いや、別にこれくらいの酒なら……」
 酒の単純な強さで言えば鬼の酒は天人の酒を上回る。が、今まで長く生きてきた間に呑んできた酒の量が、天子の酒の強さを半端無いものにしていたのだ。
「ほう、言ったね?」
 で、当然迂闊な発言は鬼の耳に入る事になる。それが遠目に天子が起きたのを確認し、様子を見にきた勇儀であったりするものだから、声を聞いた天子はげんなりした感じで溜息を吐く。
「言った、言ったわよ、ええ」
「あはははは、いーい根性だ」
 天子が観念して発言を大筋で認めれば、その隣にどっかと腰を下ろした勇儀が片手を上げる。
 すると予め用意していたのか、二人の鬼が前後に分かれて酒樽を運んで来た。中に波々と酒を湛えた樽は、丸まった空がすっぽり入る程の大きさであり、どしんと天子と勇儀の間に置かれたそれは、二人で呑む分にはどう考えても過剰だ。
 また酒樽がここに運ばれてくると、宴会場の鬼達がこちらへぞろぞろと集まって、これから始まるであろう何かを観るべく鬼垣を形成する。これに燐は楽しそうに天子の背に回り、空もゆで卵を頬張りながら燐の隣に場所を取った。そして早苗は酔い潰れて昏睡している。
「……なんのつもり?」
「我らの酒を〝これくらいの酒〟だって言うんなら、どの程度いけるのか見せて貰おうじゃないかってね?」
「どっちにしろ呑ませるつもりだったでしょ」
 手回しが良過ぎる以上、天子が起きた時点でこの状況に持ち込むのは既定路線と考えるのが自然だろう。
「細かい事は良いのさ」
 軽く睨みすらする天子の抗議を笑顔で無視し、勇儀は樽に自分の盃を突っ込んで酒を掬うと、周りの鬼達が惚れ惚れするような勢いでぐいっと呑み干した。
「酒が旨いんだ。酒があるんだ。呑み相手がいるんだ。それで良いじゃないか」
 盃を机に置いて、勇儀は挑発的な視線を天子へ向ける。
 やや逡巡した後、天子は勇儀に倣うように酒を掬い、劣らぬ勢いで盃を空にした。周囲の鬼から感心するような息が漏れ、燐が笑顔で拍手をする。
「どっちが潰れるのが先か、って言う奴?」
「応とも。呑み込みが早くて助かるねぇ!」
 勇儀は満面の笑みを天子に向けた。子供のような無邪気な笑みだ。
「さあ! やれ者共、囃せ! 歌え! 鬼と天人の一騎打ちだ!」
 声を張り上げ、勇儀の音頭に周りの鬼達は一斉に歓声をあげ、地響きめいたものを響かせる。
「お姉さんここはもう負けてられないよ? 勇儀お姉さんなんかやっつけちゃおうよ!」
「どんどん呑んでどんどん呑んで、もうお酒とフュージョンすれば良いんじゃないかな!?」
 天子の肩に凭れるように圧し掛かり、周りの勇儀優勢の空気に負けじと燐は天子に発破をかけ、ノリと勢いで物を言っている空はよく分からない内容で嗾けた。
 まだ応じると言った覚えのない天子にとって、勝手に話が進んでいる周りの状況というのが何とも鬱陶しい。何せ天人の宴ではこんな事などあり得ないのだから。しかし、その思いとは裏腹に、心の奥から込み上げてくる高揚感を抑えきれずにいた。
 楽しい。
 現状というものが、まさにその一言に集約されている。
 大騒ぎする鬼達、自分を囃す空と燐、酒を挟み不敵に笑う勇儀。
 天界では絶対に味わえない空気。
 このままここにいればずっと退屈とは無縁でいられるんじゃないかという予感。
「……良いわよ、分かった、打ち負かしてやるんだから」
「ぃよっしゃ!」
 承諾の言葉を発し、それにより周りの喧騒は更に大きくなり、巻き起こる手拍子に天子の高揚は高まって行く。それこそ、このままだと有頂天外へ達してしまうんじゃないかと言う程、天井知らずの勢いだ。
「でも条件があるわ」
 対面の勇儀が早速盃を干したのを見、自分もそうしようと酒を掬いながら言う。
「ほう?」
 水でも呑むようにあっさり呑み干した天子に感心しつつ、勇儀は応える。
「何を条件にしようって言うんだい?」
「それは―――」
 問われ、自分から言い出したにも関わらず天子はやや躊躇した。これを言う事は先の勇儀の言葉を認める事になり、正直言えば癪なのだ。
 が、しかし。
 ここで言わないまま天界へ戻ってしまえば、再びここでこのように騒ぐ機会なんて言うのはそうそう訪れはしないだろう。
 決意と覚悟が羞恥を伴って天子の頬をやや紅潮させる。頬の熱に酒呑みの場で良かったと内心思いつつ、そういえば何で皆私の言葉待ちで静まり返っているのよ、と文句も思った。
「……それは、またこの場に私を呼ぶ事。良い?」
 早い話、これは次に遊ぶ約束を予め取り付けようとしたに過ぎない。だが、温室育ちの我が儘娘にとって自分から言うにはどうにも素直に言い難く、言い辛いものなのだ。
 一方で、さてこの天人は何を条件にするのかと固唾を呑んでいた鬼達と珍禽奇獣組は、思いもしなかった天子の要求にどっと沸いた。その雰囲気は天子が予想したような蔑み等では全く無く、歓迎によるものだ。
「あはははは! なんだいそんな事、言われるまでも無いし、いつだって好きな時にくれば良いさ! ……ま、あんたの呑みっぷり次第だがね?」
「ふん。言ったわね? 吠え面かかせてやるんだから!」
「良いねぇよく言った! 忘れるんじゃあ無いよ!?」
 笑顔を向け合い、互いに酒を掬うと、天子と勇儀は盃をがっつとカチ合わせた。

     §

 宴は続く。
 天子は酒を呑み続け、勇儀も酒を呑み続け。
 空と燐は底無しかと思わせる両者の呑みっぷりに笑顔を弾けさせ。
 一人、喧騒から取り残されて酔い潰れている早苗はふとうわ言のように寝言を漏らしていた。
「ぅ……ぐ……ぐららあがあってなん……れふあ……?」
 早苗がその謎を解き明かすには、未だ多くの時間が必要となるだろう。
 そして答えを知った時、鬼退治に出る前の天子がさる短編童話を読んでいたと推測するかも知れない。
 ただ、それは早苗以外にはどうでもいい事だった。

                                     《了》
コメント



1.無評価Bertha削除
Times are chnanigg for the better if I can get this online!
2.無評価Bunny削除
Together Implicit Bias and Stereotype Threat are the left and right hooks against Black job applicants. If there's an objective job evaluation like a civil service exam then disparate impact must be the fault of Stereotype Threat, and if it's subjective then it's all due to Implicit Bias. That's why Claude Steele and Anthony Greenwald are such celebrated social psogcolyhists.