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「……」
「いい加減決めたらどう?」
「うるさいな、今この瞬間こそが戦況の分かれ目なんだよ。急いては事を仕損じる。ただ前に突き進むだけではいけない事を、私は学んだわ」
「それはまた、殊勝なことで」
「ええそう、そうよ。あいつに――霊夢に勝つためならば、私は己の矜持を捨てることも厭わない。それくらいの覚悟で挑まなければ、あいつには勝てっこないからね」
そうなのよ、ともう一度自分を納得させるように呟いたレミリアが、腕を組んだ姿勢のまま押し黙る。盤台を前に、敷いた座布団の上に胡座を組み、開いていた扇子をぱちんと閉じる姿は、行儀こそ悪いものの、正しく棋士のそれ。しかし、如何せん身に纏うロリータファッションが全てをぶち壊していた。
――はてさて。
盤台の横に並べられた、ままごとにでも使うような小さなテーブル。その上に置いていたティーカップを手にとって、ほうと一息。
一分の隙もない完全な洋室で、豪奢なベッドや、それだけでもアンティークとして価値がありそうな額縁に入れられた絵画を横目に、真っ赤な絨毯の上に若草色の座布団を敷いて、紅茶を啜りながら盤台を挟んで相対する。
片や全身が埋もれそうなほどのフリルがあしらわれたロリータ服に、見事な筆文字で『麗美理亜』と書かれた扇子。
片や流水を模した蒼の着物に、真っ赤な紅茶の入ったティーカップ。
この節操のない和洋折衷。最初こそ随分とチグハグなものだと思っていたが、レミリアの突き抜け過ぎたあれこれのセンスも含めて、最近ではすっかりと慣れてしまった。
『麗しく美しく、理知的でなおかつ理性的、そしてロシアだとかアジアだとか、とりあえずでっかいものに使われている「亜」は私の雄大さを表しているのよ』
初めて聞いた時は、それはひょっとしてギャグのつもりなのかと思ったけれど、残念な事にこの幼女はどこまでも本気だった。そしてその後ろでは、彼女の一番の従者が涙を流して感激していた。
ほんと、どこまでも突き抜けてる連中だわ。
『軍人将棋は知っているか?』
珍しい生き物が冥界に来たと思ったら、突然そんな事を言われたのが一月余り前の事。
聞き馴れない言葉にはてと首を傾げていると、傍らに控えていた妖夢が勢いよく身を乗り出して、
『軍人将棋だって!?』
『知っているのか妖夢!』
『軍人将棋……その源流は中国宋代、時の武将達が戦場にて自軍と敵軍の位置関係を示すのにチャトランガの駒を用いた事に発する。訓練された軍隊は指し示された盤上の駒の如き進軍で敵陣を潜りぬけ、必ず自軍を勝利に導いたという……。戦乱の世が鳴りを潜めた後も、シャンチーの駒の裏面を使い、かつての功績を振り返る者は少なくなかった。しかしそこでの記憶の食い違い、誇張などから反発する者が現れるのも必須。ならばと駒に用いたシャンチーに倣い、盤上にて決着をつけようとしたのが軍人将棋の始まりなのである。一説では度重なる戦を収めるために、戦いを模した遊戯を高僧が作って時の権力者に献上したのが始まりとも言われるが、定かではない――と、民明書房刊「盤上遊戯」からですが』
『長ったらしい説明台詞をありがとう。でもこれって、字面でやると今一つ迫力が無いのが、なんとも残念なところよねぇ』
『ですね』
『……楽しそうだな、お前達』
『で、その将棋もどきがどうしたの?』
『…………』
『お嬢様、私が話しましょうか?』
『いやいい、自分で言う』
これまた珍しく神妙な顔付きで語り出した彼女曰く、三年ほど前に香霖堂で軍人将棋の一式を見つけ、珍しいという理由だけで買ってみたのはいいものの、勝負を挑んだ霊夢に完膚無きまでに叩きのめされたらしい。
『当時その所為で不貞寝をしていたら、妹が暴れたり小悪魔が下らない事をしでかしたり、おかげで咲夜がボロボロになったりと大変だったわ』
ねぇ、とレミリアが後ろに視線を投げると、控えていた咲夜も『酷い目に遭いましたわ』とでも言うように肩を竦めてみせた。
そんな無駄話を交えつつ彼女が語った内容を纏めると、なんてことはない、単純なことだった。
――三年間で霊夢に九九九連敗している。
――もうこれ以上負けられない。
――誠に遺憾ではあるが、特訓の相手をしろ。
そういう事だ。
自分の所に話を持ってきた理由は解らないが、春にどこぞの傍若無人な花妖怪の相手をして以来、暇な日々を過ごしていたのも事実。軍人将棋という物も気になるところではあるし、まぁ一時の退屈しのぎにはなるでしょう。
「幽々子はそう考えたのであった」
「何か言った?」
「いえ、待ち時間が長いので、少々考え事を」
「あ、そ」
カヤの木から作られた盤台を睨んで、レミリアが再び押し黙る。視線が忙しなく動いているのは、どうにかしてこちらの駒を読もうとしているのだろうか。
――ここから引っ繰り返すのも、ねぇ。
ルールを知ってしまえば、なるほど霊夢が強いというのも納得がいく。その点、霊夢との対戦を想定するのであれば、自分よりも紫の方が適任な気もするが、気まぐれな彼女を捜し出すのも困難か。なにせ正確な住居の位置は、私でさえ解らないのだから。
「今日はまた、随分と長考ですね」
横合いからかけられた声に振り向くと、丁度部屋に入ってきたところだったのか、扉を閉める咲夜の後ろ姿。そういった細かい部分の身のこなしといい、音を立てる事なく閉まる扉といい、本当によくできていると感心する。育ちがいいのか、躾がいいのか。後者はまずないか、こんな小娘だし。ならば育ち……もそんなによろしそうには見えない。むしろそういった点であれば、妖夢の方が格段に上だろう。ならば残るは、思想、信念――それもそうか。考え過ぎてそんな単純な答えを見失うのは、少し悪い癖かもしれない。
まぁだからこそ彼女は悪魔の狗で、うちのちびっ娘は冥界の庭いじりなのだろう。これ以上は鶏が先か卵が先か。そんな部分。
ともあれ。
「ウチの子にも見習わせたいわねぇ」
「何か?」
「いえ、こちらの話」
特に気にするようでもなく「そうですか」と興味無さ気に言って、咲夜が持ってきた小皿をミニマムサイズのテーブルに置く。
「似た者主従」
「狗ですから」
「あら、あらあら」
つんと澄ました顔と、ナイフの切っ先のように尖った声。
音速が遅いのか、それとも地上のそれに合わせたつもりが早すぎたのか、はてさて。音速鑑定士の白黒が居ればいいのだけれど、人材というのは必要な時にこそ居ないもの。ほんと、だからいつまで経っても三流なのよ。
閑話休題。
気を取り直すように、空になったカップをミニマムテーブルに戻して、小皿に盛られた狐色のクッキーを早速一枚。この一カ月、飽きる事なくこの紅い館に通い詰めている理由の一つがこれだった。普段和菓子の方が多い所為か、口に広がる洋菓子特有の甘さに頬が緩む。家でももう少し洋菓子の割合を増やすべきだろうか。
「どう思う?」
「ありがとうございます」
「やっぱりそうよねぇ」
「企業秘密ですわ」
「……それ、通じてるの?」
二人の会話に、悩めるお年頃を現在進行形で体言する五〇〇歳が口を挟む。口の前に手を動かしてほしいところではあるものの、希望というものは得てして叶わないものらしい。
ようやく動いたと思った手は、盤上の駒ではなく皿の上のクッキーを取って、そのまま口に放りこむ。
自家製の味には慣れてしまったのか、あるいはそれどころではないのか、むぐむぐと咀嚼する顔は難しいまま。
しばらくその様子を眺めて、空のカップに紅茶を注ぐ咲夜の顔を見て、もう一度レミリアを見て、咲夜を見て。はて、ところでこのポットはいつの間に、そしてどこから取り出したのだろうか。
「ふーむ……?」
ほんの一瞬。頭の中か胸の内か、何かが何処かを掠めていった。確かめようにもそれは既に去った後で、影も形も残っていない。
「……むーふ」
ともあれ、うちはうち。他所は他所。
あまり首を突っ込むのも野暮かもしれないけれど、だからといって大人しくしている理由もない。何よりも、このままではこちらの息が詰まってしまいそうだもの。過去とは何よりも強力な現在へのダメージ源なのよ。ほんと、余計なところばっかり似ているのよね。
でもそれ以上に、面白そうという気持ちが強いのは確かなこと。いつでも素直に。自分を偽ってばかりいては、疲れてしまいますもの。
そう思って考えてみれば、暦も丁度頃合い。遠慮ばかりしていては、安穏とした生活に逆戻りしてしまう。潤いは、なければ自分で作ればいいのだ。
――退屈は人を殺すのよ。
まぁ、私はもう死んでいるのだけれど。
無茶を通して道理を蹴っ倒す、なんて言うほどの事でもないし、これならば別に誰にも迷惑にならないでしょう。前回みたく無駄に事を広げてもいいのだけれど、あまりやりすぎると閻魔様に怒られてしまいますもの。これでも弁えているつもりです。
はて、誰に向かって弁明しているのやら。
ともあれ、そうと決まれば後は行動に移すだけ。さてさて、あの娘はきちんと役割を果たしてくれるのか。
下準備はそれなりに。敷いたレールの上を走らせるだけでは面白くないものね。
「これだぁっ!」
こちらもようやく決心がついたのか、摘んだ駒を勢いよく盤上に叩きつける。ミニテーブルとは反対側、退屈のあまり盛大に欠伸を漏らしていた審判役の妖精が、ようやく回ってきた仕事にさも面倒そうな面を見せたのも一瞬の事。レミリアに睨まれて、震える手で重なった二つの駒を手に取った。
「……」
審判による駒の勝敗を待つ、軍人将棋の最も緊張する瞬間。
けれども今この場面で言うのならば、緊張しているのは彼女だけであって。
「お嬢様の駒の勝ちですね」
「いよっし!」
「じゃあこれで」
すかさずこちらが次の一手。たった今彼女が打った駒に、自分の駒をぶつけにいく。
「……幽々子さんの駒の勝ちですね」
「少佐あああああああああああああああ!?」
計画通り、って言うべきなのだろうか。
ミレニアムだなんだと言っても、所詮少佐はは少佐。タンクにすら勝てないようでは、お株が知れるというものよ。
「ところで――」
そう、こんな事ばかりしていてはいけない。ただ遊びにきた訳ではないのだから。
いや、遊びにきただけなのだけれども。
ともあれ、下準備はほどほどに。
難易度は高い方が面白いでしょう?
1
幻想郷の里は平和である。
どこから現れるか解らない妖怪に怯えていたのも昔の事。定められた規律の中で、妖怪達は満足に己の力を振るうことも出来ず、今では彼等の平和ボケとストレスこそが最大の問題になっているほどだ。
人間の側からすれば、それは諸手を上げて歓迎するところなのだろうけれど、当事者にとってみれば、中々に死活問題だったりもする。その問題に当人が気付いていなかったりする辺りが特に。
力は使わなければ衰えるもの。
あの八雲紫とて、例外ではない。
今でこそ散々好きに使っている彼女の能力も、昔は奥の手といった感じで、使わない事の方が自然だったのだ。
いつからあのように、ぽんぽんスキマを開くようになったのか、付き合いが長すぎる所為でまったくもって思い出せないが、昔は確かにそうだった。そうだった気がする。……そうだったっけ?
「年寄り連中は、誰も彼も大人しくなってしまって面白くないわ」
とりあえずあれこれを余所様に放り投げて、はふぅ、とそんな独り言。
八雲紫は確かに昔から賢人たり得る妖怪だった。が、酷い荒くれ賢人だった。などと言ってみたところで、一体どこの誰が信じてくれようか。
生き証人たる私の言葉であっても、妄言扱いされるのが関の山。はて、この場合は死に証人なのだろうか。
まぁそんな妖怪達の社会問題も、こちらには何も関係ない。
こうやって日の高い内から里に出向いたところで、精々何人かが怪訝な顔をする程度で済むのだから、むしろ感謝したいくらい。別に里の人間が全員裸足で逃げ出しても構わないのだけれど、騒ぎばかり起こしていてはまた霊夢が飛んできてしまいますもの。えぇ、弁えているつもりです。
「おう、西行寺の嬢ちゃんじゃねぇか」
「あら」
私をそんな気さくに呼び止めるだなんて、一体どこの恥知らずか。前言撤回、やっぱり人と人外が共存するだなんて無理なのよ。共に在るということは、互いを認め、許し、尊重し合うことでこそ成せるもの。だというのに、連中ときたらちょっとこちらが歩み寄ってみたりしたら、それだけで同じ舞台に上がったと勘違いする始末。貴方達が舞台に上がったのではなくて、こちらが舞台から降りたという事にすら気付かない。本当に、あぁ本当に。ちょっと蝶でも飛ばしてみようかしら。ほらいい天気だし。まぁ全部ひっくるめて嘘だけど。で使い方は大丈夫?
「……所詮コピーはコピーね」
いや、この場合はコピーのコピーだろうか。どちらにしても本物には到底及ばず、そして扱いきれない事に変わりはない。そもそも一朝一夕の付け焼き刃でどうにかなる代物でもないのだ。というより、これはどちらかと言えば紫の方が似合いそう。ほら、彼女とか見た目からしてそんな感じじゃない。嘘っぽいというか。特に年――おっと、これ以上は言えないわ。私もまだ死にたくないもの。死んでいるけど。これは概ね本当のこと。
「どうかしたか?」
「日米貿易摩擦について少々考え事を」
こちらの意図が伝わらなかったのか、すっかり放置していた源五郎が小首を傾げている。名字は東海道。十人兄弟の五番目で、何故か上から順に源十郎、源九郎、と数字が下がっていく不思議な家系……何を説明しているのだろうか。今日は疲れているのかしらね。それとも憑かれている? 亡霊が憑かれるなんて、笑い話にもならないわ。
しかし、小首を傾げる――妖夢であれば可愛げもあるだろうに、こんなガタイのいい親父がやっても非常に似合わない。むしろ謝ってほしいくらいだ。これは小首を傾げるという行為に対する侮辱よ、侮辱。
試しに妖夢が小首を傾げた所を想像してみる。
……なんだか微妙にむかっ腹が立ったわ。
「おぉそうだ、ちょうど昼からの分が出来たところなんだ。よかったら持っていきな」
「あら、あらあらあらあらまぁまぁまぁまぁ」
それならそうと早く言えばいいのに。危うく貴方の寿命はここまでですと宣告するところだったわ。テンカウントの猶予も無しの即死亡。魂の一欠片だって残してやるものですか。まぁ嘘だけど。あ、今度はなんだかそれっぽい。
と、こちらの様子を承諾の意と取ったのか、源五郎が住居兼店の中に入っていく。何を隠そうこの東海道家五男源五郎、羊羹職人なのだ。ちなみに長男は焼き鳥屋で、次男から四男は酒蔵、六番目以降も何かしらを創っていた気がするが、生憎と覚えがない。
とはいえ、それも幻想郷では珍しくもない話。
外の世界と違ってサラリーマンなんて職業はないものだから、自然と自分の腕一つで生きていくようになるのだ。って紫が言ってた。
「ほら、今日一押しの芋だ。持っていきな」
そんな声と共に出てきた源五郎が、次から次へと私の手の上に包みを乗せていく。
よかったのか、そんなホイホイ乗せちまって。私は大皿だってかまわないで食っちまう女なんだぜ。
……言っておいてなんだけど、大食いキャラにされるのはどうにもこう、なんというかあまりよろしくないのよねぇ。多食と大食いは違うという事が、世間一般にはそれほど知られていないのだろうか。というかそもそも亡霊に食事なんていうものは本来必要なくて、言うなれば趣味のようなもの。贅沢の極みね。
「これはまた、なかなか」
気を取り直して山と積まれた包みに目を向けてみれば、確かに彼の言う通り、これならばそこまで推してくるのも納得出来るというもの。中身を見ずとも、仄かに届く香りだけで口の中に広がる甘さ、瑞々しさが伝わってくる。クッキーやケーキなんていった洋菓子のそれに比べれば随分と慎ましやかではあるものの、逆に言えばこれこそが和菓子としての在り方。あの吸血鬼も、こういう事が解るようになれば、もう少し可愛げも出るだろうに。実に勿体ない。
「……どうよ?」
先程とは打って変わって、少し強ばった源五郎の声。
そう、何故か私が監修というか味見役というか、そういう類のものになっているのよねぇ。ここだけに限らず、あちこちで。まったくもって、誰が言い出したのやら。こちらとしては、こうして色々貰えるからいいのだけれど。もっと美味しくなるのであれば、尚更のこと。
「及第点以上、合格点未満といったところかしらね」
売り物としては十分だけれど、その上はまだ少し厳しそう。
「おぉ……そうか……」
喜んでいいのか解らない曖昧な答えに、源五郎の顔も曖昧なものになる。
「相手が悪いのよねぇ」
「む……う……」
「まだ時間はあるから、精進なさいな」
それを合図に、ひらひらと手を振って別れを告げる。
アドバイスの一つや二つくらいしてあげてもいいのだけれど、生憎と今日は先約が入っているのよ。とはいっても、アポイントも取っていない、極めて一方的なものだけれど。
どうするべきかと悩む源五郎を置いて通りを進む。
少し予定は狂ったけれど、この程度は想定の範囲内。消費した時間は少なくないけれど、まだ彼女が――、
「西行寺さんじゃないですか!」
用事を――、
「幽々子ちゃん、柏餅食べるかい?」
済ませるには――、
「ゆゆ様!」
もう少し――、
「先生!」
時間が――、
「お師さん!」
――あれ、私死亡フラグ?
亡霊が死ぬとどうなるのか。
完全なる消滅です。
一行で説明が終わってしまった。
本来であれば、こういったところでもっと長々と、或いはぐだぐだと思考という名の説明、もとい与太を垂れ流すべきなのに。このままでは私のアイデンティティーに関わってくるわね。さてどうしたものかしら。
まぁそれならそれで、本来の目的を果たしましょうか。目的だなんて大層なことを言ったところで、実際はそう大した事でもないのだけれど。こうして語る事だって、ご遠慮願いたいところなのよ、ほんと。一人遊びを事細かに説明するのは、誰だって恥ずかしいでしょう? 例外は……紫くらいかしらね。
訂正するわ。一人遊びを事細かに説明されても、反応に困るでしょう?
なんとなく、で済ませる事が出来るのであれば、それはそれで楽なのだけれど。たまにはいい人ぶってみろと、過去の私がせっついてくるのよ。そういう事にしておきましょう。
「よっとっと」
通行人とのすれ違いざまに、抱えた荷物が落ちそうになる。
それにしても人が多い。こっちの理由は簡単で明確だけど、それにしてももう少しどうにかならないものか。風の噂で聞いた話だと、少し前にあの月のお姫様が里を訪れた時は、皆が自然と道を譲ったというのに。私と彼女の間にどんな差があるというのか、皆目検討もつかないわ。えぇ、本当に。悔しくなんてないんだから。えぇほんとうに。いやマジで。
しかしこれ以上一人語りを続けていたら、本当に何か失態を見せかねない。早急に待遇の改善を求めたいところだけれど、その結果として主人公を降ろされたらどうしましょう。まぁ元々私は主人公になるようなものでもないのだけれど。もひとつ元々、そういえば今の私はただの語り部でした。
でもそう考えると、妖夢の主人公適性は目を見張るものがあるわねぇ。なんであの子、脇役なんてやっているのかしら。
主人公とは未熟であるべき――と誰かが言っていたような気もするけれど、その点から見てもあの子は満点よね。あら、別に私が完璧だと言っているのではないのよ? おほほのほ。
さて、いい加減次に行きましょうか。これ以上職務を怠慢していたら、本当に役職を降ろされてしまいますわ。すわすわ。うーん、似合わない。
人が多いとはいっても、その気になれば捜し物、失敬、捜し者はすぐに見つけられるのよ。どこかの囚人みたいな格好をした眼鏡を見つけるのとは訳が違う。ミヤマクワガタの群れの中に、一匹だけローゼンベルグオウゴンオニクワガタがいたとしたら、それは紛れるとは言わないものね。もっとも、彼女の場合は金というより銀だけど。
そんな訳で、まだまだ私の格好が自然に見えるようなこの場所では、彼女は容易く見つけられるのでした。
自分で言っておいてなんだけど、本当に目立つわね、メイド服。最近は外の世界でも街中でメイド服を来ている人の姿が増えていると聞くけれど、日本もいつの間にか富裕層が増えたのかしら。或いは西洋かぶれが増えたのか。どちらにしても、そんな所に行くと逆に私の方が異物になってしまいそう。
でも彼女を異物たらしめているのは、何もその格好だけという訳でもないのよ。本人はそのどちらにも気付いていないのだろうけれど。気付こうともしていないのだから当然よね。
もう一つの理由については、概ねこちらの思った通りというべきか。でもそんな彼女を見ていると、いい人ぶってみるというのが本当に建前でしかないという事を嫌というほど自覚させられるわ。ハリボテというのもおこがましい、風が吹けば容易く倒れてしまうような、そんな代物。早急にどうにかしないと、このままでは私の寿命がストレスでマッハなのよ。日本語って難しいわね。
しかし、見つけたのはいいけれど、二人の間にはまだ人込みという名の障害が残っている。ここから声を掛けるのも、お嬢様キャラで通っている私としては控えておきたいところです。嘘です。
「あら」
ところでこの鍵括弧、私が言った事にならないかしら。ほら、どうせ字面だとこんな一言なんて誰が言ったのか解らないのだし。
自業自得の不測の事態。
そうなる事を期待していたのだから、ここは諸手を上げて喜ぶべきなのかもしれないけれど、こんな小さなことで一々喜んでいては、手が何本あっても足りなくなってしまう。それにこれは、どちらかといえば喜ぶ場面ではなくて悔しがる場面。予想外というよりも期待外れの方が正しい、そんな心情。そんな現状。後手を取るのは好きだけれど、後手を踏むのはあまり好きではないのです。ぐぬぬ。
早い話が、声を掛ける前に見つかってしまったというだけのこと。
「珍しいわね、こんな所で」
こちらに振り向いた彼女の――咲夜の言葉も声もどこまでも普通で、どこまでも当たり障りのない、既知の相手に向けるには過不足のない、そんなもの。なのにその視線だけは、まるで宇宙人を目撃してしまったとでもいうような、見てはいけないものを見てしまったとかいう感じのそれだった。本当に器用よねぇ、とそんな感想。
でも、だからといって別に宇宙人が見てはいけないものだという訳でもなくて。むしろ見られるのであれば是非とも見てみたいわ。やっぱりUFOに乗ってくるのかしら。赤とか青とか緑とか。
うーん、この話をするのはまだ少し早い気がするわね。丁度いいのかもしれないけれど、あまりよろしくないのかもしれない。
さて、そろそろ閑話休題。
あまり紙面を黒々と彩ってもいけないもの。はて、紙面って何かしら。
ともあれ。
「珍しいわね、こんな所で」
「亡霊やめてオウムにでもなったの?」
「いやいや」
間が空き過ぎて、会話の始まりを忘れられていては困るから。決して後手を踏んだ事が悔しかったとか、そんなことはないのよ。いやほんと。ほんとだってば。
「というより、なに? それ」
指も顎も指さずに、視線だけで疑問をぶつけてくる。しかし「それ」と言われたところで、こちらとしては何か尋ねられるようなことなどとんと覚えがない。ならばとぶつけられた視線の先を辿ってみれば、行き着いたのは私の手元。なんだろう、この白くて細くて長い指に嫉妬でもしているのだろうか。彼女がどこまで任されているのかは知らないけれど、メイドなんて手先が荒れそうな仕事だものねぇ、と思ったりすることもなく。
話を戻して。
まぁ普通に考えてこの大荷物のことなのだろう。互いに珍しいとは言ったものの、やっぱりその度合いでいえばこちらの方が上だろうから、これが私の里での普通であっても、あちら側にとってはさも珍しく映ったのかもしれない。
「食べる?」
手近な所にあった串団子を一つ取り出して、今度は普通に言葉のキャッチボール。予想外の事が予想以上に多かったから、この辺りで少し調整しておかないと。
「……遠慮しておくわ」
小さく首を振って、やんわりと断られてしまった。まだ余裕はあると思ったのだけれど。
「そう? 美味しいのに」
出した物を戻すのも憚られるので、そのままはむりと一口。うん、美味しい。
ふむ、ひょっとするとダイエット中なのだろうか。見た感じではその必要性は窺えないけれど、自分で思う以上に周りから完璧を求められる彼女の事。期待に応え続けるというのも、中々に大変そう。そういう点においては、亡霊だとか妖怪だとかは便利よねぇ。紫なんて身体年齢まで自在だもの。あれは私から見てもちょっと羨ましい。嘘だけど。うーそーだーけーどー。
まだまだ少女でございます。
「で?」
なんとも簡素な一言。
ただ面倒なだけなのか、それとも相手が私だからなのか。前者であれば、やっぱり彼女は彼女で、後者であれば、まぁその評価はありがたく頂いておきましょう。どちらでもいいという、そういう類の話。
「夏祭りが」
「?」
言葉を切って、残った最後の団子を咥えて横にした串から滑らせる。普通に食べようと思ったら、串が喉に刺さる位置にあるというのも如何なものなのか。
さておき。噛んで、味わって、ごっくんと。
うん、美味しい。
「もうすぐあるでしょう?」
裸になった串を振って、話の続き。
釣られるように周りを見た咲夜が、あぁ、と納得したように呟いた。
「そういえば、そんなものもあったわね」
あまり興味がないような、そんな素振り。もうそれほど間もない当日に向けて、商店が多く並ぶこの通りも、いつも以上に賑わっているというのに。気付かなかったのだろうか。いや、そもそも周りに対して興味がない、と言った方が正しいか。妖夢と似ているようで、正反対。あの子はどちらかと言えば、自分の事で手一杯で周りが見えないタイプだものね。
「で?」
振り出しに戻ってしまった。
出た目が悪かったのか、それとも選択肢を間違えたのか。しかし間違えたと思ったそれこそが、一番正しいという可能性も無きにしもあらず。
「夏祭りが」
「で?」
睨まれた。
すっごい睨まれた。
面倒だというのであれば、そもそも声なんて掛けなければいいのに。まぁ掛けられなければこちらから掛けていたし、それが解っているからこそのこの対応なんでしょうねぇ。つくづく嫌われたものだわ。
まぁでも。
「だからよ」
「……」
怒りが三割、呆れが三割、訳が解らないが三割の、そんな顔を返してくれる。残りの一割は想像にお任せしましょう。
理由を伝える義務もなければ権利もなく。「今はまだ時ではない」とか、それっぽい言葉で場を濁しておくべきか。あぁいや、これ以上濁してはまた遠回りになってしまうわ。前方をよく確認してから右左折ばかりいていては、目指す場所には辿り着けない。それはそれで心惹かれるものがあるのだけれど、それはまたの機会にしておかないと、この話もいつまで経っても終わらなくなってしまうもの。ズバっと参上、ズバっと解決。たまにはそんな私もいいでしょう?
……既に崩れている気がするのは何故かしら。
「それじゃあ行きましょうか」
「下手くそな誘拐ねぇ」
「誘惑なら得意よ?」
何を言っているんだ、とでも言いたげな顔が値引きなしの定価で示された。そこまで純粋に一つの感情だけを表すというのも、中々に凄い事だと思うのだけれど。それは私の周りがそんな連中ばかりだからなのかしらね。半人と半匹を除いて。
まぁでも。だからこそ。
こんな事を、しているのだけれど。
「それで、どこに誘っていただけるのかしら?」
「あら、素直」
悪魔の狗とかなんとか言われようと自称しようと、結局のところ、彼女が収まるべきは人間という分類であって。夏祭りに向けて人通りも多くて。私に声を掛けたのも、きっとそんな理由だったからであって。
まぁ要約すると、
「いい加減暑いのよ」
そんな一言で済むものを、こうしてだらだらと引き伸ばすのは、やっぱり私の悪い癖。とはいえ、基本的に一人でいることが多いと、どうしても無駄なことばかり考えてしまうのよ。大昔の哲学者たちも、さぞや毎日退屈だったことでしょう。
2
「それにしても、あのお嬢様の我儘にもほとほと困ったものねぇ」
「どうして貴女がそれを知っているのよ」
「ふふふ、世の中に不思議なことなど何もないのよ」
「使い所を間違えている上に、自分が犯人だと自白しているようなものよね、それって」
「あら、あらあら」
つまり、このままでは私が彼女にバットで殴り殺されてしまうという訳か。彼女って誰だ、紫か。……ないわ。いやでも、うーん。悩ましいわね。
訂正。訂正。
「物語とは円滑に、かつ解りやすく進んだ方がいいでしょう?」
「結局解っているのは貴女だけじゃないの」
ごもっとも。とばかりも言っていられないので、どうにかしないといけないのだけれど。
説明すると、私は今咲夜を連れて里の外れに向かって歩いている最中。中心こそ賑わっているものの、この辺りまで来るとその喧噪も遠く彼方。そんな静けさに耐えかねるだなんて事はないのだけれど、さっきも言った通りどうにかしないといけないようなので、どうにかしてみた次第。
というより、これこそ自業自得と言われれば、その通りですとしか答えられないのよねぇ。ゲームと違って、選択肢を間違えてもやり直しがきかないものだから、こうして後から無理やり帳尻合わせをやっているのよ。どこの選択肢を間違えたのかは、プライベートの観点から黙秘させていただきますわ。添削出来るのであれば、是非ともそうしていただきたいものね。
そんな訳で、どうにかしてみました……とは言い切れないので、もう少し続けましょうか。
「まぁ、貴女が仕向けたのだろうとは思っていたのだけれど」
「あら、光栄ね」
「今の何処に誉める要素があったのかが知りたいわ」
「そうね、でもこれは言うなれば一種の遊びであって、でも貴方のためでもあるのよ?」
「だから、一人で勝手に話を進めないで……と、私のため?」
「広義的にはね」
「狭義的には?」
「私のため」
「相変わらずというか、人のことを考えないわよねぇ、貴女たちって」
「誰と一緒にされているのかが気になるところだけれど、今この状況だけを考えれば、貴方にとってもこれがベストでしょう?」
「そういうところ、嫌いだわ」
「あらあら」
ふむ、まぁこんなところなのかしら。
これだけのことで全てを理解しろというのも、なんとも投げっぱなしな感じが否めないのだけれど、そもそもこれについて明確な理由なんてものは無いのだから、仕方のないことなのよねぇ。
そんなにいい人でもないし、ましてや毎度何かを企むほど飢えてもいない。それでもやっぱり哲学でお腹を膨らませる研究を始めてしまいそうになる程度には退屈している訳で。開けてはいけないと書かれた箱があれば、開けたくなるのが人の性というもの。ただどうやって開ければ一番面白いかという事を考えているだけなのよ、実際。
世はそれを暇人と言うわ。
えぇまぁ、否定はしないわよ。暇だもの。
あぁ……そういえば、肝心な事を言い忘れているわね……ふむ、同じ事を二度も三度も言うのも面倒だから、後に回しましょう。どうせすぐそこにあの二人への説明という新たなお役目が待っているのだし。
「ところで、いつまで歩いていればいいのかしら」
「食後の運動にはちょうどいいでしょう?」
「……お気遣い、痛み入りますわ」
「いえいえ、どういたしまして」
嘘なんて一つも無いわ、お互いに。
かくいう私も、歩くふりをして浮いているから歩き疲れはしないけれど、荷物を抱えた腕は少々ダルい。ほんと、仕方の無いこととはいえ、どうしてこんな所に店を構えているのかしら。私のお墨付きも出たのだし、もう少し堂々と出張ってもいいのにねぇ。
まぁ目的地はもう見えているのだし、そちらから聞こえてくるやかましい声は留守ではない証。あぁ、なんだか咲夜が怪訝な顔をしているわ。そういうところは妖夢にそっくりね。立場が人を作るのかしら、なんてどうでもいい事を考えて、からかい癖を喉元辺りで押さえ込む。ちゃんと進行しますとも。でもそうすると、今度は手とか足とかから出ていくのよねぇ。それこそが弾幕の成り立ちであり、本質だったりするのだけれど。つまり最も純粋な弾幕というものは、口から出されるものなのよ。嘘なのよ。
「おや」
そんな事を考えていたら「あにゃあああああああああああああ!」なにか物体が飛んできたわ。具体的には白が二分に緑が四分、残りは肌色とその他の物体X――一々説明するのも面倒だから、略して妖夢が何か紫のところのチビっ娘みたいな声を上げて、こちらにきりもみ回転しながら突っ込んできた。最近流行りのギャップ萌えとかいうやつかしら。妖夢も必死ねぇ。
しかし飛んできたからといって、当たる義務もなければ受け止める義務もないのよ。つまりは御愁傷様ということで、それはどうやら咲夜も同じよう。
「ぺぷしっ!」
私はラムネの方が好きよ。
漫画みたいに頭から地面に突き刺さった妖夢を一瞥して飛んできた方に目を向けると、ここにはケーキなんていう軟弱な物はねぇぜ! と高らかに主張するかはともかく『だんご』と描かれた暖簾を分けて、一人の少女が姿を表した。
「死ねばいいのに」
そしていきなり罵倒された。でも残念ながら私はもう死んでいるのよ。のよのよ。というよりこれはきっと妖夢に向けられたものよね。まぁその妖夢にしても、既に半分は死んでいるのだけれど。
「……なにあれ」
怪訝な顔を維持した咲夜がこちらを向いて呟いた。ひょっとしなくてもそれは私に聞いているのだろうか。ボス、どうしますか。やっぱりくろかみはいいな。死ねばいいのに。
どうしてどいつもこいつも黒髪なのよ。いいじゃない桜色。素敵じゃない薄桃色。ゆるやかウェーブはお嫌いですか? そもそも姫カットなんて言うけれど、本当にお姫様がそんな髪形をしていると思っているのかしら。というかなによ姫カットって。そのネーミングからして全てを疑うわ。……あぁでも、そういえば実際にいわたね。黒髪長髪姫カットで、職業お姫様なのが一人。
「あ……」
と、こちらに気付いた少女が、何か見てはいけないものを見てしまったという感じの顔を向けてきた。あら、なんだかデジャビュ。ちょっとだけ傷付くわね。ちょっとだけ嘘だけど。
「説明が後になったけど、少女は見た感じ妖夢よりも幾分幼そうな顔立ちで、真っすぐに切り揃えられた黒髪と相俟って、お人形さんみたいね、なんて褒め言葉がよく似合いそうな、そんな姿。あれは将来綺麗になるわよ。将来があれば、だけど」
「ご説明ありがとう、と言えばいいのかしら……?」
咲夜が怪訝な顔を困った顔に変えていた。思っていたより表情豊かね、この娘。これだとここに連れてきた意味もあんまりなかったかも。
「地の文では貴方に伝わらないと思った上での配慮ですわ」
「地の文……?」
「ああいえ、こちらの話」
語り部は語り部であるという事を悟られてはいけないのよ。いえ、どうなのかは知らないけれど。どうなのかしら。
「うーん……」
背後から謎のうめき声が聞こえてきた。振り向くとそこにはゾンビの群れが……! なんて事があれば面白いのだけれど、こんな炎天下ではゾンビも出てきたくはないわよねぇ。土の下って案外冷たいらしいし。でも仮にゾンビの群れが出てきたらどうすればいいのかしら。どちらかと言えば私もそちら側なのだし、この間冥界にやってきた彼に教えてもらったみたいに、一緒に踊ってみるのもいいかもしれない。でもあれ、私がやると凄く滑稽に見えるのよ。私はもっと日本的な舞の方が好きだわ。
「あれ……幽々子さま?」
ゾンビに声を掛けられたので、この辺りで閑話休題。すぐに話が脱線するのも悪い癖かしら。少なくとも主人公には不向きよねぇ、やっぱり。
「妖夢、そんな無様な着地では金メダルは遠いわよ」
「別に体操をやっている訳では……って、あれ」
頭をさすりながら上体を起こした妖夢が、私の隣に立つ人物を見て軽く疑問符を飛ばしてきた。ちゃんと口で言葉に出して言いなさいな。
「お久しぶりね。一月ほど前にそちらを訪ねて以来かしら」
「あ……えーと、御無沙汰しております……?」
手慣れた様子の咲夜と違って、どこまでもぎこちない。それは別に今まで地面に突き刺さっていたからだとか、そういうのは関係なくて、単純にこういう事が苦手なのよね、妖夢って。
昔はそうでもなかったのだけれど。
「……」
「……」
しかし、二人の会話はそれだけで終わってしまった。会話というより、挨拶しかしていないわね。
お互い似たような立ち位置なのだから、色々と話の種もあるでしょうに。まぁそんな話が出来るような間柄でもないか。それぞれ私とあの小娘の付き人として顔を合わせるくらいだものねぇ。
「心配しなくても、今回も妖夢は脇役だから」
「なんかいきなりのけ者扱いに!?」
「そういう訳で、着いたわよ。ここが目的地」
何か喚く妖夢を背景にして、咲夜に到着を知らせる。すっかりと忘れられていそうだけれど、そんな話だったのよ。言われた彼女も、そういえばそんな話だったか、なんて顔をしているけれど、まぁ見なかった事にしておきましょう。
「へぇ」
取り繕うように、私が示した先を見て咲夜が一声。
そこではいつの間にか見てはいけないものを見てしまったというような顔から、何かとても嫌そうな顔へと表情を変えた少女が、先程と同じ場所に立っていた。
「ついでに、先に紹介しておくわ」
そんな少女の元へ近づいて、肘の高さくらいにある頭にぽんと手を乗せる。このくらいの高さって、ついつい手を置きたくなるのよ。これもひととしてのさがか。だからこう、ぐしゃぐしゃーっと撫で回してしまうのも仕方のない事なのよ。別にさらさらですとーんと流れ落ちる真っ直ぐな髪が妬ましいとか、そんなのじゃないのよ。ほんとなのよ。あら、なんだか手の下から嫌々オーラが沸き出てきているわ。
「この子がここの店主の櫛枝葉月。私の可愛い妹分みたいなものよ」
「……」
「なんだか凄く嫌がっているように見えるのは気の所為かしら」
「……私の可愛い妹分みたいなものよ」
撫で回していた手に少し力を込めてギリギリギリと締め上げると、あぅあぅあぅと唸ってくれた。まだまだ躾が足りないようね。躾なんてしたことないけれど。この場合の躾担当は妖夢なのかしら。でもどちらかといえば、妖夢の方が躾られていそうよねぇ。
「いきなりなんですか。私はまだそちらの御厄介になるつもりはありませんよ」
私の手から逃れた葉月が、両手で頭を押さえて涙目で訴えてきた。なにこの可愛いの。妖夢と入れ替わらないかしら。
「別に、来たければいつでも来ていいのよ?」
「だから、行かないって言ってるじゃないですか」
「あら残念」
「それで、そちらの方はどなたでしょう。里でもあまり見かけない顔ですが」
あっさり話を変える辺り、妖夢よりよっぽどしっかりしてるわね。まぁあれよりも年は上なのだから、当然なのかもしれないけれど。それでも、大体において性格やら人格なんていうものは、己の外見に強く影響を受けるものなのに、ねぇ。特に元が人間であれば尚のこと。
「初めまして。十六夜咲夜と申します。普段は紅魔館でメイドとして働いておりますので、あまり里には出てきませんの」
両手でスカートの裾を摘まんで、脚を交差させて綺麗な会釈。今更だけど、対外向けというのかしら、そういう事も出来たのね。なんだかちょっと新鮮だわ。なにせ私の場合、初対面からしていきなり喧嘩腰だったから。
「あぇ……いえ、御丁寧にどうも、櫛枝葉月、と申しますです……です?」
でもそんな対応は葉月も慣れていなかったのか、なんだかしどろもどろ。これはこれで可愛いのだけれど、放っておいたらまた滞ってしまいそう。折角流れに乗り始めたのだから、乗れる内にどんどん乗っていかないと。どこに辿り着くかは、風のみぞ知る。その先こそが風の辿り着く場所という訳よ。だからどうしたと言われれば、返す言葉もございませんわ。
「まぁ立ち話もなんだから、そろそろ中に入りましょうか。私と葉月は大丈夫だけれど、貴方もいい加減暑いでしょう?」
「そうね、お言葉に甘えさせていただきますわ」
「いや、ここ私の家なのですが……」
「あの、私も入ってもいいですか……?」
「あら、いたの妖夢」
「ずっといましたよ!?」
そう言われても、字面だと背景に回されたら、途端にその存在すら認識出来なくなるのよねぇ。本当にそこに居たのかどうかも曖昧になってしまう。「経験談ですか?」死ねばいいのに。
「……という訳なのよ」
「それだけ言われても、解りませんよ……」
あら心外。私と葉月の間柄を考慮すれば、この程度は読み取れても不思議ではないと思ったのに。見込み違いだったかしら。それとも見当違い? 私の所為にしないでほしいわね。
「残念ね。背景の妖夢は解った?」
「どうしてそれで一つの単語みたいになっているんですか」
「あら、格好いいじゃない。二つ名みたいで」
「そうですよ、背泳の妖夢さん。そんな風に我儘ばかり言っていては、大きくなれませんよ」
「いや、それこそ二つ名っぽいけど、別に私は競泳選手になるつもりはありませんし。というか名前じゃなくてそっちを間違われると、微妙にリアクションに困るじゃないですか」
「失礼。噛みました」
「違う。わざとだ」
「はにかみました。えへっ!」
「可愛い!?」
確かに可愛いのだけれど、自分でやっておいて中々に辛そうね、葉月も。この辺りがまだまだ徹し切れていないということなのかしら。
あぁでもやっぱり可愛いわよねぇ。妖夢もやってくれないかしら。なんて考えるのはもちろん嘘で。
「ねぇねぇ妖夢、あれ、貴方もちょっとやってみてくれないかしら」
嘘だから聞いてみた。
「え……いや、勘弁してくださいよ」
「背景――」
「はにかみました。えへっ!」
「うざっ!」
私がそんな言葉遣いをするはずはないから、これは葉月の台詞にしておきましょう、そうしましょう。語り部って便利よねぇ。
でもやっぱり、所詮コピーはコピーか。あら、またしてもデジャビュ。
まぁ言ってしまえば葉月だってコピーみたいなもので、ひいては私も妖夢も大体そんな感じ。嘘だと言い切れないのが世の中です。
「幽々子さまがやれって言ったんじゃないですか!」
「貴方は口を挟まないで、バルセロナ」
「ドロッセル!?」
今日もエクスクラメーションマークが大活躍ね。
「それで、それはいつまで続くのかしら」
そうしてオシャレユニットの是非について話していると、横合いから呆れるとはこういう事だと言わんばかりの呆れ声が飛んできた。この場合は救済の声になるのかしら。なにせ止められなかったら、このまま規定枚数を超えてもずっとこの意味の無い掛け合いを続けていそうだもの。
「そうね、いい加減収拾もつかなくなりそうだし。妖夢、説明してあげなさい」
「いや、そう言われても、私は何も聞かされていないのですけれど……」
「死ねばいいのに」
本来であれば、ここでの妖夢のリアクションを私は伝えるべきなのだろうけれど、最早背景と化した者にそのような心遣いは無用と判断するわ。精々行間で頑張ってサブリミナル効果を狙ってちょうだい。
「役立たずには消えてもらうとして、端的に説明するわ。葉月、貴方は紅魔館の小娘――もとい、当主の事は知っているかしら」
少し咲夜の方を警戒してみたけれど、特に反応がないということはそういう事なのかしら。風評と違って結構いい性格してるわね、この子。
「ああ、はい。風の噂程度ですが、一応は。吸血鬼でしたっけ」
「そう、これがまた随分と我儘なお嬢様なのだけれど、突然最高の和菓子を持ってこいとか言い出したらしいのよ。それで、彼女はお使いの真っ最中」
「改めて言うけれど、どうして私が一言も説明していないのに、そこまで知っているのか、とても興味がありますわ」
と、咲夜の横槍。
細かい事ばかり気にしていては、その綺麗な顔に皺が出来るわよ――っと、こちらの胸の内を読んでナイフを投げないでほしいわね。
「真実はいつも一つなのよ」
「それも使い所を間違えている上に、自分が犯人だと自白しているようなものよね」
「よく解りませんが、それでうちを選んでくれたという事には感謝します。で、何をお出ししましょうか。といっても基本的に団子屋ですが」
「いやいや葉月」
「ほぇ?」
なんだか媚び媚びな返事が返ってきた。この思わず二重表現が飛び出てしまう程度の驚きを、果たして理解してもらえるかしら。妖夢もこの辺りをもう少し見習うべきよね。まぁあの子が同じことをやったとしたら、三途の川の向こう岸まで打ち飛ばす自信があるけれど。船頭いらずの船いらず。是非曲直庁の人件費削減に大いに貢献するチャンスだわ。嘘だわ。
ともあれ。
「さっき私命名の菓子通りで聞いたのだけれど、貴方、最近芳しくないらしいじゃない?」
「うぐっ」
「源五郎の所にも寄ったけれど、今年はいよいよ危ないかもしれないわねぇ」
「ぬぐっ」
源五郎には発破を掛けておいたから、尚のこと。
一応、何の事かと言っておくと。毎年里で行われる夏祭り。そこにはあれこれ屋台が出るのだけれど、それこそいつから、そして誰が言い始めたのか、その年の最も優秀な屋台を選ぶという、よく解らないコンテストのようなものが開かれているのよ。大雑把に分けると食品部門と遊戯部門。遊戯部門にそこまでの影響はないとしても、食品部門は元々里で店を構える人が屋台を出している事が多いものだから、その後の営業に大きく響いてくるらしいわ。言わば一年の集大成であり、その後一年の指針ともなる大事な機会。誰もが一位の座を狙っているといっても過言ではない、熾烈な争いなのよ。ちなみに、葉月は初登場から二年連続でその王座に君臨していたりするのよねぇ。まぁ一年目は私たちの屋台を乗っ取って、だけど。私が味見役のようなものになっているのも、どうやらその辺りが関係しているらしいわね。説明終わり。
「確かに、ここ最近迷いがあるのは事実ですが」派生元が迷子だものねぇ。「では、何故私のところへ?」
「つい親切心溢れる普段の姿勢を発揮してしまったのよ。癖とは怖いものね」
「……」
あら、なんだか訝しげな視線を頂戴したわ。今ならもれなく同じ物がもう一つ! 三つ目は放っておきましょう。背景には人権も人格も無いのよ。
「そうね、理由は色々あるけれど、まぁただの消去法だから気にしなくていいのよ。咲夜が里の菓子屋の商品を全部試食して満腹そうだったから、運動がてらここまで連れてきた、なんていうのは、大した理由でもないわ」
「……見ていたの?」
「ふふふ、さてどうかしら」
なんだか、字面だとこれも私が凄い含み笑いをしているように取られそうね。三人称的な書き方をすると、ころころと鈴を転がすような声で、口元を袖で隠した幽々子が目を細めて笑っていた、とかそんな感じなのよ。なんだかこの辺りも怪しくなってきた気がするわ。次に行きましょう。
「まぁでも、なんにしても選択肢はそう多くはないのよ。葉月は本番当日に向けて新しい物を作らなくてはいけなくて、咲夜はお嬢様のために新しい何かを手に入れなくてはいけなくて」
そして私は、円滑な物語の進行を。すでに出来ていない気がするけれど、きっと気の所為ね。
「利害は一致するでしょう?」
「ということは……えーっと、十六夜さんも?」
「咲夜でいいわよ。そうね、洋菓子ならそれなりに自前でどうにか出来るのだけれど、和菓子は残念ながら専門外だから、そう大してお役には立てないと思いますわ」
いいわねぇ、こういう主語を省いても繋がる会話って。手間いらずの紙いらず。
「なるほど洋菓子……それなら、いやでも……あるいは……」
ぶつぶつと、一人の世界に入ってしまった葉月を見て、咲夜が区切るように一息。
「それで、どちらが……いえ、一体どれが本命なのかしら」
「あら、あらあら」
果たしてどこまでバレているのか。まぁ今回は語り部という役もあって、大分表にあれこれと向けていたから仕方のないことではあるのだけれど。ついでに、そんな大層な裏がある訳でもないから、仮にどれだけバレたところで、別に構わないと言えば嘘ではないのよね。
「二兎を見かけたら、三兎を捕まえてみたくなるものでしょう?」
「……三兎で済むのかしら」
「それは買い被りというものよ」
「そういう所、やっぱり嫌いだわ」
3
少し前にも話したと思うけれど、やっぱり誰にでも自分に見合った役というものがあるのよ。与えられた役割とはまた別の、純粋に個としての立ち位置が。
例えば霊夢なんかは、この幻想郷では並ぶ者のない純粋な主人公ではあるけれど、果たしてそれは個としても変わりない、揺るぎないものなのかと問えば、中々に揺らぐところでしょう。本当に、彼女は主人公という役割を与えられてはいるものの、主人公という役には成り得ない、そんな最たる例よね。これほど解り易いものも珍しいくらい。
何が言いたいのかといえば、結局はただの繰り返し。私もまた個としてそのような立ち位置に収まるには役不足。おっと、これは誤用だったかしら。言葉というものはなんとも不思議なものね。どこから生まれて誰が育てたのかも解らないのに、誰もが平然と、なんら思うことなくそれを使っている。それを認識している。そして認識しているにも関わらず、確たる形も無いまま一人で自由気儘に己を変えていく。
視点を変えてみると、言葉こそが人を、時代を、世界を作り上げているのではないかと思えるくらい。とは言っても、これもまた鶏が先か卵が先かという部分になってしまうのだけれど。
人が時代に合わせて言葉を変えていくのではなく、変わった言葉が人を通じて時代を変えていく。ロボットの反逆よりもよっぽど恐ろしいわね。なにせ相手が見えないのだもの。
そしてそんな私の現状はといえば。
「やっぱり私には主人公適性ってないのよねぇ」
おかげで見事に蚊帳の外。最初から妖夢に頼めばよかったのかしら。でもそれだとまた無駄に話が伸びた上に、なんだかよく解らない事になりそう。というかなるわよね、きっと。私の場合とどちらがより話が間延びするかという点につきましては、黙秘する次第。なにより、あの子に任せると私の出番が減るのよ。
そんな妖夢も、増えた背景仲間と一緒に、向こうで何やら楽しそうな声を上げている。こうなると逆に背景は私の方になるのかしら。
すったもんだの末に新商品を開発しようと息巻いた二人と半人と半分を暖簾の向こうに眺めながら、つらつらとどうでもいい事に想いを馳せる。
過去、現在、これから。
重要な事など何一つ無く、それでも平穏無事という病魔は確実にこの身を蝕んでいく。飢えている訳ではないのだけれど、ここのところ面白い事が多かった所為かしらね。自分の中の許容量が思っている以上に下がってしまった気がするわ。なんとも凡俗になってしまったものだこと。これでは西行寺家の跡取りとして如何なものなのか。まぁ西行寺の家なんて、もう滅亡して久しいのだけれど。でも滅亡しても消滅はしていないのよね、現にこうして私がいる訳だし。死んでますけどー。なんだかノイズが混ざったわ。
まぁでも。
死んだからといって暇になるかといえばそうでもなくて、死して尚働き続ける私は日本人の鏡よね。周りからはなんだか悠々自適にソクラテスごっこをしていると思われがちだけど、実際は結構やる事が多いのよ。特にこの時期は、お盆も近いから尚のこと。でも、人生の勝利者が如何に有意義に寿命を食い潰したかという一点で決まるとするならば、果たして死生の勝利者というのは一体何をすればそう認められるのか。まぁこの人生の勝利者という図式も、今回の元から譲り受けたもの故、きっと色々と間違っているのでしょうね。
飽きた。
いつまでも一人遊びをしていても仕方のないこと。少しあちらの様子を見に行きましょうか。という訳で、しばらく少女達の会話をお楽しみください。もちろん私も混ざるわよ、少女ですから。本当ですから。
「へぇ……貴女って亡霊だったの」
おや、どうやら葉月の話のよう。ボス、どうしますか。ようすをみろ。了解です。
「えぇまぁ、一応」
「一応?」
「いえ、私の事を知っている人なんてそうはいないでしょうし、そうなると新たな読者にとってはぽっと出もいいところの小娘がいきなりそんな設定を持っていたとしても、混乱を招くだけでしょうから」
「……」
なにやら訳の解らない発言を始めた。ほら、咲夜が困った顔をしているじゃないの。隣の妖夢は、もう慣れたものなのか涼しい顔、というよりかは諦めの境地かしらね。呆れ顔。
「でもそう考えると、むしろ今回は妖夢さんの方が私なんかよりよっぽどぽっと出ですよね。出オチもいいところというか。何しに来たんですか?」
「手伝えって言われて来たのに酷い言い草だ!?」
と思ったけど、やっぱり妖夢がそんな達観できるはずもないか。
「というか、あの登場の仕方だとまるで私が吹っ飛ばしたみたいじゃないですか。今回はか弱いキャラでいこうと思っているんですから、余計な演出は控えてくださいよ」
「いや、間違いなく葉月が吹き飛ばしたから! 演出じゃないから!」
ついでに第三者視点から付け足すのなら、初登場でいきなり「死ねばいいのに」とか言っちゃう時点で、キャラ設定に無理があるわよね。
「ちゃんとレフティのベースも用意したんですよ?」
「幻想郷にベースって……ああでも、キーボード持ってる騒霊もいるからなぁ」
「ならば世界観に合わせて、宝刀獅子王などいかがでしょう」
「いや、そのネタは多分解る人少ないから。というか黒髪ロングの姫カット繋がりという事すら普通の人は気付かないから」
「では地獄少女辺りで」
「具体名出しちゃった! ついでに黙っていたけどそれって結局どれも用意してないよね!?」
「相変わらず注文が多いですねぇ、妖夢さんは。ならばもうここは現世に転生した羽衣狐ということにしておきましょう」
「これを書いている時期がバレるよ! 確かにあれも黒髪だけど! ロングだけど! 姫カットといえばそうだけど! 世界観もそこそこ合ってるけど!」
「……仲がいいのね」
どこまで続くのかと思っていたけれど、咲夜の呟きで二人がはっと我に返る。いや、返ったのは妖夢だけか。二年経ってもまだ弄ばれているのねぇ、あの子。
「えぇ……私が相手をしないと、妖夢さんが里の人達を八つ裂きにすると言うので……」
「誰がそんな事を!?」
「よく森の魔法使いばかりが友達いないキャラにされていますけど、妖夢さんも実は友達いないですよね」
「い、いるもん! 友達くらいいるもん――って、咲夜もそんな可哀相な人を見るような目で見ないでくださいよ!?」
「人? 貴女は自分を人だと思っているの?」
「人だよ! ……半分だけど」
「そう。じゃぁ残りの八割はさしずめミジンコといった辺りかしら」
「違う、もう半分は――って、私の人要素がいつの間にか二割に!? 返せ! 私の三割を返せ!」
「まぁそれはどうでもいいのだけれど」
「流された!」
うーん、面白そうだから混ざろうかと思ったのだけれど、ここはもう少し様子を見るべきなのかしら。空気の読める美少女って素敵だものね。美少女。
「別に亡霊だから、という訳でもなさそうね」
咲夜の一言。それは果たして妖夢と葉月の関係か。それとも葉月単体に向けたものなのか。はたまた亡霊という存在そのものに対するものなのか。
「と言いますと?」
聞いたのは妖夢。散々鍛えられたのかしら。変わり身が早くなったわねぇ。
一方の葉月はといえば、あまりこの手の話は乗り気ではないのか、一人作業に戻っている。
まぁ解らないでもないけれど。
最初の一応というのも、誤魔化してはいたものの限りなく本音というか本心というか。気にし過ぎといえば気にし過ぎなのよ。幻想郷の人間たちなんて、害が無いと解ればもうそれだけで打ち解けられるものなのに。想えば遠く、望めば近く。目を閉じてばかりいては、目の前にあるものすら見ることは叶わない。それは彼女の側にも言える事だけど。
「向こうにいるアレばかりが例外だと思っていたのだけれど、案外多いのかしら、貴女みたいなのも」
「……」
一層黙る葉月。ここで動くことが出来るか否か、よね。ターニングポイントっていうのかしら。
はて、ところでこれは葉月の話だったかしら。まぁその辺りの辻褄合わせはまた後でやっておきましょう。これはこれで必要なのよ、お互いに。そして私にも。
「まぁ葉月も、というより葉月こそ例外中の例外みたいなものですし」
おっと、空気の読めないダメな子がいたわ。
「普通亡霊というのは、死を纏った存在ですから、程度の差はあれあまり生者に対していい影響というのはないのですが、葉月の場合はその辺りの、亡霊としての特徴というか、そういうのがまるっと抜け落ちているというか、消されたというか……まぁそんな感じなので」
「そうなの?」
妖夢の言葉を受けて、咲夜が葉月に向かって訊ねる。うーん、結果オーライかしら。過程に点数を付けるのであれば、限りなく赤点だけど。
「まぁ……概ねそんなところです」
「えぇ、なにしろその一端を担ったのが私ですから」
ほんと空気が読めないわね、この役立たずは。
「……そうなの?」
「えぇ、まぁ……」
再度訊ねた咲夜に、葉月も苦笑い。だというのにうちのミジンコときたら、そんな二人には気付かないのか朗々と、
「いやぁ、あの時の私の活躍は是非とも咲夜にも見せてあげたかったです」
あら、何やらおかしな方向になってきたわね。ボス、どうしますか。ばっくあたっくだ。任されよ。
「葉月という存在を救うためには、悲しいことに彼女と相対するしか道はありませんでした」
「合ってるの?」
「えーっと」
「二人の間を走る緊張、包む静寂。私は楼観剣を構え、そして迫る最後の時――」
「……本当に合ってるの?」
「……えーっと」
「その場に私が来なければ、その前に葉月にコテンパンにやられていたのよね」
と、ここでネタばらし。嘘は言っていないわよ。
「え!? あっ、ゆ、ゆゆ幽々子さま!?」
ゆが三つほど多いわよ。
「あぁ、なるほど」
咲夜が納得いったという風にぽんと手を叩いた。その隣では、葉月もうんうんと頷いている。でも、本当の事を言われて驚くという事は、自覚はあるのかしら。あるのでしょうね。いつぞやの落とし物の一件で何を学んだのかしら、このミジンコは。
「いや、そのですね? 確かにそうかもしれませんが、でも!」
「ところで作業は順調なのかしら」
「また流された!」
「方向性は大体定まってきたので、あとは形にしていくだけですかね。咲夜さんにはとても助けてもらっています」
喚くミジンコを背景にして、葉月の答えに咲夜を見やると、そんな大した事はしていないとでもいう風に肩を竦められた。
まぁアイディアなんていうものは、部外者であるほど突飛なものが出てきたりするものだから、葉月がそう言う以上はそうなのでしょう。概ね予定通りで何より。予想以上に使えないのも若干半人ほどいたけれど。
「そう、じゃあ続き、頑張って」
と、退散宣言。そもそもこの辺りは私が関わらない方がいいのよ。内部的にも、外部的にも。
「幽々子さまが手伝ってくれたら、もっと早いと思うのですが」
と思ったら妖夢に引き留められた。
「あくまでも葉月の店だもの。私が口添えをしたら不公平でしょう?」
例の祭のコンテストに関わっていたりするので、尚のこと。
そうでなくとも、ここで私が入ったら色々と台無しになりかねない。簡単に言うとあれよ、後は若い人達に任せて云々。失礼ね、誰が若くないのよ。
まぁ結局のところ、最初に言ったとおり、私の役ではないということなのか。餅は餅屋。適材適所。使える人材がいるのであれば、事が上手く運ぶようにそれらを配置することこそが、今回の私の役目。司会進行とは言わないわ。進行出来ていない、というより元からするつもりがない事は自分でもよく解っていますもの。ものもの。
4
そんな訳で、再び暖簾のこちら側。
結局何がしたかったのかしら、私は。
揃えた歯車をいざ回してみたら、一つも噛み合っていなかったような、そんな感じ。最初の計画からして既に無理があったのよ。まぁそれは私の所為ではないのだけれど。
「はぁ……」
そうそう、そんな感じで溜息の一つも吐きたくなるような場面よね――と、辻褄合わせのご登場だわ。
「なんだかお疲れのようね」
無難な言葉を選んでみる。とはいえ実際疲れているようで、咲夜が彼女にしては少し粗雑に、私の隣に腰掛けた。急須はあれど湯飲みは一つ。なので自分が手に持っていた物を勧めてみると、案の定断られた。はてさて、どうしたものかしら。生憎とどこかの紅白や黒白のように、他人の家の物を勝手にどうにかしようという気概はないのよね。というよりも、そもそもどこに何があるのかなんて全然知らないのよ。
葉月に聞こうにも、暖簾の向こうでは、先程から半時ほど経ったというのに、まだまだ元気そうな二人の声。一体何を喋っているのやら。
「どうせ葉月のことだから、また読者を狙って云々とか言い出すのかもしれませんが、毎度そうそう突飛な発言をされてもですね、反応に困る訳ですよ」
「いやいや妖夢さん。何か私のキャラを勘違いしていませんかね? 言えませんよ、そんなメタな事。はっ、もしかしてそうして私にメタ発言をさせて、これを見た人達に『メタ()笑』などと思わせて私の評判を下げるという、そんな狡猾な罠な訳ですか。汚いな流石妖夢さん汚い。でも汚いのは萃夢想の2P側だけにしておいてくださいよ。それともあれですか。緋想天で修正パッチが出る度に弱体化していく事に対する鬱憤を私に向けて放っている訳ですか。いえいいんです。妖夢さんは強キャラであることだけが存在価値。それが崩れてしまっては、そもそも存在する意味すらなくなってしまいますから、憤るのも無理はありません」
「なんだかよく解りませんが、とりあえず酷い事を言われたという事だけは理解出来ました」
「失礼、噛みました」
「いや、物凄く流暢に喋ってたよ!?」
「かみまみた」
「後から!?」
「いい加減この辺りのネタは控えていかないと、私の今後に関わってきそうです……」
などなど。
ところで葉月に今後ってあるのかしら。え、ない?
そりゃそうよねぇ。可哀想に。割と嘘だけど。
「相変わらず騒がしいわねぇ、あの二人」
「……いつもあんな感じなの?」
「ああいうのは嫌い?」
「別に、好きとか嫌いとか、そういうのはないのだけれど」
「けれど?」
「どうにも、勝手が解らないわね。慣れていないと言えばそうなのだけれど」
「そうよねぇ。いきなりあんな中に放り込まれても、困るわよねぇ」
「……」
なんだか凄い目付きで睨まれたわ。何故かしら。
でもまぁ。
騒がしい連中なんて、この幻想郷にはそれこそ掃いて捨てるくらいには有り余っている。近しいところでは、博麗神社の宴会なんて正にその代表格と言ってもいいくらい。なのに彼女は勝手が解らないと言う。
何故かしら。かしらかしら。
結局、今回はそれだけの話なのよ。大層な事のように語ってきたけれど、根っこにあるのはただそれだけ。
他にもあるといえばあるのだけれど、それは語ったところで蛇足にしかならない、そんな事。
物語は簡潔に、円滑に。過不足なく……は少し実践出来ていないかもしれないわね。全体的に不足。でも蛇足。采配が難しいわ。
「妖夢」
そんな事を考えて、独り言のように呟いた。別に聞こえていなくてもよかったのだけれど、彼女は律義に反応してくれる。そっくりね、本当に。
「面白いでしょう、あの子」
「……まぁ、そうね」
「でも、少し前まではあんな子じゃなかったのよ。課せられた役目と務めで自分を雁字搦めにして、言いたいことも言わないような……いえ、言いたいことなんてそもそも持っていないような、そんな子だったわ。あの頃はまだ妖忌がいたから、殊更そんな感じだったわね」
「妖忌?」
「あの子の祖父で剣の師匠。今は何処で何をしているのか解らないけど」
「へぇ……でもちょっと想像出来ないわね、今の彼女を見ていると」
まぁそうでしょうねぇ。紫ですらビックリしていたくらいだもの。どうしてこうなった、って。
「あの頃は毎日が退屈で仕方がなかったわ。色褪せていた、とも言えるかもしれない」
「……」
「まぁ人それぞれなのでしょうけれどね。静かな時、場所は好きだけれど、それは求めるものであって、与えられるものではない、ということかしら」
「何が言いたいの?」
「別に、ただの昔話よ」
「……そう」
どこか納得がいかないとでもいう風に、咲夜が訝しげな顔をする。思っていたよりも表情の移り変わりは多いけれど、やっぱり無表情かこの表情が多いのよね。
里では結構垢抜けているというのも、一体どこまでが彼女なのか。演技も上手そうだものねぇ。まぁそこまでいかずとも、処世術という言葉で事足りるか。
本当に、それだけなのよ。
かつての妖夢を重ねている訳ではないと言えば、嘘になる程度には。
ただ、私はそんなにお人好しではないから。
本当に。
でもね?
「貴方、綺麗なものは好きかしら」
「? 突然何を……」
「あら、難しい質問でもないでしょう?」
「まぁ、好きか嫌いかということでしたなら、好きだけど」
「そう……私も好きよ。綺麗だもの」
「?」
「だからよ」
だから。
それだけだから。
それだけだからこそ、こうして手を出してみようと思えるのよ。
空になった湯飲みに急須の残りを注いで、再度勧めてみるも、再度断られてしまった。気にする方なのかしら。そういうの。
「冥界の物を摂取したら、貴女の所に連れて行かれるのでしょう?」
あぁ、そっちか。
「これは葉月の……と、彼女も亡霊だったわね。でも顕界の物だから、そんな事にはならないわよ」
というよりも、今時そんな伝承のようなものを信じている人も少ないものだけれど。黒白なんて冥界に来るなりお茶菓子を要求してきたというのに。
まぁでも、それも環境の差、というよりかは近しい者の差か。
吸血鬼。
悪魔の狗。
でもそう考えると、黒白の近くには巫女がいるはずなのだけれどもねぇ。まぁあの紅白も似たようなものだから、やっぱり環境の差か。
「本当に?」
「疑り深いわねぇ」
でも、そう訊ねてくる咲夜はどこか少し子供っぽいようにも見えて、その普段とのギャップに私の胸も思わず高鳴った。嘘だった。
解らないでもないわ。私もどこかの姫カットにいきなり酒の席に誘われたりしたら、それはもう底の底まで疑うでしょうから。あぁ怖い。恐ろしい。
結局最後まで疑いの眼差しのまま、けれど湯飲みは空にして、咲夜がほうと一息。
「まぁなんにせよ、今回はこのまま乗せさせてもらいますわ」
「あら、どういう風の吹き回し?」
「吹き回しも何も、貴女の言った通りよ」
お嬢様の為だもの――そう言って、咲夜は立ち上がると控えめに伸びをして、また暖簾の向こうへと消えていった。
その口元が少しだけ笑っていた、というのは言っておくべきなのだろうか。まぁ予定ではもう少し先だから、今は流しておいてもいいわよね。
「……あれで案外、バランスはいいのかしら」
再び背景となって、独り言。
妖夢と、葉月と、そして咲夜と。
そう思ったからこそここに連れてきたのだけれど、でも正直予想以上だわ。本当に。私が入る隙間もないくらい。
紫に作ってもらおうかしら、隙間。
ともあれ。
これ以上は、余計な事はすべきではない。
若者に任せて云々という訳ではないけれど、あの調子なら大丈夫でしょうし、しがない語り部は、こうして一人、お茶を啜っているのがお似合いなのよ。決して職務を放棄して楽をしようだとか、そういう事ではないのよ? 少し巻いていけと、よく解らない所からそんなお便りが寄せられたという事にしておいてちょうだいな。
それに、これこそ私が関わったら不公平というか、反則だものね。
流れるままに。赴くままに。
暖簾の向こうから響く喧噪に耳を傾けながら。
後は綺麗な花が咲くのを、待ちましょうか。
5
時は流れ、遠き山に日は落ちて。
只今準備中を知らせるという大役を任された看板の後ろ姿を眺めて早数時。西向きの店の入り口から中に伸びていた影が、闇の中に溶け込んだ頃。
「もう少し早く終わると思っていたのだけれど。いい加減待ちくたびれたわ」
「それは葉月が!」
「それは妖夢さんが!」
「二人とも反省しなさい」
「「あにゃああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ――」」
さて、きりもみ大回転しながら表の通りまで飛んでいった二人は放置するとして。
「ごめんなさいね、そろそろ戻らなくてはいけない時間でしょう?」
「別に構わないわよ。お嬢様も私がいないと何も出来ないという訳でもないのだし。仕事は……まぁ、少し溜まっているかもしれないけれど」
先程とは違って、それほど疲れた様子も見せず、手を拭いていたハンカチを仕舞う咲夜。片付けまで全部終わったということかしらね。
さてさて、ならば私も仕事を再開しましょうか。
「それで、どうだったかしら」
「おかげさまで、と返せば満足?」
そんなに深い意味を込めた訳ではないのだけれど。
優秀すぎるというのも問題なのかしらね。なんでも答えを見つけてしまう。そこに余裕があればいいのだけれど、生きている人間にそれを求めるのも酷か。
かといって、死ねば余裕が生まれるという訳でもなくて。この辺りはどうしようもないのかしらね。時間の問題。それでも、個として存在し続ける私たちのように、種として時間を重ねていけば、いつかは人間も私たちのようになれるのだろうか。
と、ここまで言っておいてなんだけど、これだとまるで私が人間ではないみたいじゃない。失礼ね、私もれっきとした人間よ。元だけど。
「いやいや、十分な物が出来ましたよ」
後ろから声をかけられて、振り返るとそこにはゾンビ――同じネタを何度も使うのは止めておきましょうか。という訳で早々と復帰してきた葉月の姿。妖夢はその向こうでまだ頭から地面に突き刺さったまま。ほんとコミカルな人生よね、あの子は。スカートが捲れたままよ、はしたない。
「そういえば、結局何を作っていたのかしら。ずっと看板を眺めていたから、知らないのよ」
「えとですね、最初は和洋折衷ということで色々と試行錯誤していたのですが、なんと言いましょうか」
「あれは大失敗だったわね」
一体何を混ぜてしまったのか。
「まさか爆発するとは思いませんでした……」
「咄嗟の判断で妖夢の半霊で押さえこんでいなければ、流石に危なかったわ」
そういえば半霊の姿が見えないけれど、なるほど納得……していいのかしら。まぁいいわよね、妖夢だし。
「最終的には、洋菓子のアイディアを取り入れつつ、和菓子本来の味を踏襲するということで」
言いつつ、葉月が暖簾の向こうへぱたぱたと駆けていって、すぐに戻ってきた。
「なるほど、和風クレープ……生地は抹茶かしら」
茶団子とかも作っていたみたいだし。それにおよそ和菓子らしくはない、それこそ洋菓子のような、華やかな見た目も中々に高得点。多分だけど、綺麗な方は咲夜で、少し整い切れていない方が葉月と妖夢か。
「おひとつ頂いても?」
返事を待って、差し出された皿に手を伸ばす。さて、これはどれを手に取るべきなのか。それぞれ一つしか作っていないというのであれば、咲夜のを取る訳にはいかないでしょうし、ならば残りは二択。けれどどちらが葉月か妖夢かなどという事は、およそ見た目では推し量れないのだから、考えるだけ無駄かしら。
「では」
結局、無作為に片方を選んでそのまま一口。反応を見るに、どうやらこちらが葉月の物だったようね。
クレープという単語だけだと、あのそこそこに大きさのある三角形を思い浮かべそうだけれど、一口サイズで包んだり花だったり、中々遊び心に溢れている。好きよ、こういうの。
「……あら」
口に入れる前からある程度の予想はついていたとはいえ、やはり実際食べてみないと解らないという事もある。
「これ、このまま店に出してみたら?」
「ほんとですか!?」
「……」
喜色満面で目を輝かせる葉月と、対照的にどこまでも興味なさげな咲夜。ううん、これもまた慣れていないの一言で済ませられるのかしらね。でも必要な事なのよ。もう一押し、最後のイベントが。
「実はそんな事もあろうかと、大量に作っておいたのです!」
時間がかかった一番の原因はそれか。葉月に暖簾の奥へと誘われて見てみれば、確かに十分な量。しかもそれらを見るに、一番多いのは咲夜の作ったものか。
「解っていて作っていたのではないの?」
「納得のいく形にならなかっただけですわ」
「貴方がそう言うのであれば、そういう事にしておきましょうか」
くすくすと、そんな風に笑うこちらが気に食わないのか、少し拗ねたような、そんな顔。案外子供っぽいというのは、それほど嘘でもないのよね。
「まぁでも、これだけを全部持って帰る訳にもいかないでしょう?」
「好きにしていただいて構いませんわ。私はこの辺りでお暇させていただきますから」
「あら、ダメよ」
遅くなって申し訳ないと謝ったのはあくまでも社交辞令というやつよ。まだまだ帰ってもらっては困るの。
「貴女ねぇ……」
そうは言いつつも、観念したかのように溜息を吐いているのは、果たして本心かしら。それとも演技?
時間を止めれば、私から逃げる事なんて容易いはずなのにね。おかしいわよね。
「自分の創った物の行く末くらい、見届けていっても罰は当たらないでしょう?」
だから、ここは尤もらしい理由を付けておく。
改めて言うけれど、まだ帰られては困りますもの。
「葉月、開店の準備よ」
「でも、今日は他に何も作っていませんよ?」
「十分よ。これだけで」
「――って、今から店を開けるの?」
おや、咲夜は知らなかったのだろうか。
「うちは、どちらかといえば夜に開ける方が多いのですよ」
葉月に言われてもまだよく解っていなさそうな辺り、やっぱり知らなかったのかしらね。
幻想郷の里にある店は、案外夜遅くまで開いている所が多い。というのも、夜は妖怪が多く訪れるためであり、夜行性の者が多い彼らに合わせているのよ。中には昼と夜で商売を替えたり、葉月のように夜だけ店を開く所も少なくない。葉月の場合は、また別の意味もあるのだけれど。その辺りは個人の問題だから、こちらからとやかく言うものでもない。本音を言えば、まぁ気にし過ぎよね。
「そんな訳で、すみませんが品出しを手伝っていただけますか? 数が多いので……」
「……仕方ないわねぇ」
二人連れだって、店内をぱたぱたと駆け回る。邪魔になるといけないから、私はまた蚊帳の外にでも行きましょうか。蚊帳の外というか、店の外。
「ほら妖夢、いつまで突き刺さっているの。ずり上げるわよ、ドロワーズを」
逆さを向いているから、用法は間違っておりません。
恥じらいというものが無いのかしらね、この子は。
「えいっ」
しかし言っても起きないので、とりあえず片足を掴んでそのまま引き上げてみた。あら、目を回したままだわ。そんなに強く吹き飛ばしたつもりはなかったのだけれど、やりすぎたかしらね。
「起きないと、戸棚のひよこ饅頭食べちゃうわよ」
「いけません幽々子さま! あれは毒です!」
おや、起きた。
「毒なの?」
「紫さまが面白そうだからと混入していました」
「紫のやりそうな事ねぇ」
でも食べちゃったわよ、四日ほど前に。というか、それはどのひよこ饅頭なのかしら。よくよく思い返してみれば、なんだか舌が痺れた物があったような、なかったような……なかったようなあったような……。
「ところで、これはどういう状況なのでしょうか」
「あら」
「ふわっ!?」
「ふわ時間?」
掴んでいた足を離したら、また頭から地面に激突したわ。まぁ当然よね。
「……いたいです」
「痛みを伴わないと構造改革は成せないのよ」
「いつから幽々子さまが首相になったんですか」
「あら、冥界では私がルールよ」
「確かにそうですけど……」
実際そうなのよね。まぁだからといって何かをする訳でもないけれど。変な事をしたら、閻魔様に土地を取り上げられかねないのだもの。おぉ怖い。世の中は怖いものだらけだわ。締切とか。おっとノイズが。
「ともあれ、一応言っておこうかしら。お疲れ様妖夢。とりあえず今回はこれで終わりよ」
「はぁ……私は何もしていませんが」
「そうね、何もしてないわね。むしろ役立たずだったわね。まぁそれもいつもの事だから、気にしなくていいわよ」
「いや、そんな言われ方をしたら、誰でも気にしますよ……」
「なら気にしなさい」
「いや、そう言われましても……」
気付けば、いつの間にか準備も終わったのか、店に灯りが灯っている。早速その光に誘われたのか、人間だか妖怪だかがふらふらと。流石に二年連続の覇者だけあって、人気はあるのよね、あの店。ほんと、昼にも開けば人間相手にはもっと優しい商売になるでしょうに。いつまで過去の事を引き摺っているのやら。
「あー……私も手伝いに行った方がいいですかね」
「今日はいいわよ。放っておきなさい」
別に、手伝いにいきたければ勝手にいけばいいのに、そうやってなんでも一々私に窺い立てている内は、妖夢もまだまだ成長は見込めないか。
はて、ところで私はこの子に成長というものを期待しているのかしら。確かに紫のところの式神みたいになれば、それはそれで色々と便利でしょうけど。
うーん、でも何かが違うのよねぇ、それは。
下手をすると、昔に逆戻りしそうだし。
「まぁでも、もう少しだけ役に立つようにはなってほしいかも」
「はい?」
「なんでもないわよ」
今になって気付いたけれど、ひょっとして私は咲いた花は見られないのではないだろうか。うーん、とんだ誤算だわ。覗きにいこうかしら。
6
「お疲れ様」
「疲れました……」
「疲れたわ……」
すっかりと夜も更けて、時間で言えばそろそろ日付が変わった頃だろうか。
――あれから。
あれから人妖が店を訪れては新商品を褒めちぎり、それが口コミで広がって、ひっきりなしに客が訪れて、目出度く完売、ようやく一息ついたというところ。
普段から働き者の咲夜とはいえ、接客業というものは初めてだったのか、慣れない仕事に珍しく気苦労以外の疲れを素直に見せている。
一方の葉月も、慣れているとはいえ今日の来客は予想外だったのか、後半は息を吐く間もなかったようで。
私と妖夢は、まぁ、星と月とそんな店の様子をずっと眺めていただけなのだけれど。
でも、これで葉月の三連覇はほぼ間違いなくなったのかしら。源五郎がどこまで迫ってくるかにもよるけれど、今の彼では少し荷が重そう。あとなんだっけ、鈴饅頭だったかしら。どこかのが美味しいという話を風の噂で聞いたけれど、それも確かめてみないと。
「それで、どうだったかしら」
あえて同じ事を聞いてみる。はてさて。
「……何が」
しかし、面白い答えは返ってこなかった。本当に疲れているみたい。
「中々良いものでしょう。自分が創った物を人が手に取ってくれるというのは」
家族や近しい人ではなく、全くの他人が自分の物を求めてくれる。それは食べ物だけでなく、他の物でも同じ事。そうして得られる物は、きっと他の何にも替えられない、掛け替えのない何か。
「まぁ……そうね」
そして咲夜にも、それはきちんとあったようで。
まぁこれは最初にも言ったとおり、おまけのようなものなのだけれど。本当に得たものは、さて、目を閉じずに見ることが出来ているのやら。お互いに。
「そういえば咲夜さん、これ……」
「あぁ、ありがとう。忘れるところだったわ」
どこかギクシャクとした素振りで、葉月が咲夜になにやら包みを渡す。考えるまでもなく、中身は咲夜が持ち帰る分だろう。
それにしても、こうも見事に解りやすいというか。咲夜はそうでもないのでしょうけど、葉月が素面で接する事が出来る相手って、いないものねぇ。妖夢とはあんな感じだし、あれはあれで両人とも楽しんでいるのでしょうけれど。
「いや、私は別に楽しんでは……」
「背景は黙りなさい」
でもやっぱり、咲夜は咲夜か。
うーん、少し残念。やっぱり覗きにいこうかしら。
「では今度こそ、私はこの辺りでお暇させていただきますわ」
「えぇ、今日はお疲れ様。気に入ってくれるといいわね、それ」
そう、彼女はあくまでもレミリアに頼まれた物を探しに来たのであって、こちらの用事も粗方済んだことだし、これ以上は流石に引き留めるつもりもない。
「あのっ」
と、背中を向けた咲夜に、葉月の声。
「なに?」
でも次の言葉が出てこないのか、言おうとして、言えなくて。
「あぁそうだ。貴女にはお礼を言わないといけないわね。ありがとう、おかげで助かったわ」
「あぇ……いえ、こちらこそ、ありがとう……ございました」
「そうね……また寄らせてもらってもいいかしら。今日はあまり私の腕を披露出来なかったから、次は特製のクッキーを焼いてくるわ」
まぁ覗きにいきたいのは山々だけど、それもまた野暮というもの。残念だけどそれはまたの機会にするとして、
「――はい!」
今日はこれでよしとしておきましょう。
「では、私達も帰るわ。いい加減眠いし」
咲夜の背中を見送って、その姿が見えなくなったところで葉月に告げる。幽霊が皆夜行性だと思ったら大間違いよ。規則正しい生活こそが長寿の秘訣。まぁ全体的に嘘だけど。私死んでるし。幽霊じゃなくて亡霊だし。
「はい、今日はありがとうございました。おかげさまで今年もなんとかなりそうです」
「私は何もしていないわよ。貴方が頑張った結果……が出るのはもう少し先だったわね」
じゃあね、と手を振って、妖夢と共に帰路につく。
これを機に、葉月ももう少し変われるといいのだけれど。というのももう杞憂かしらね。
夏場にしては、珍しく心地よいくらいの涼しい風。
まだ灯りが灯っている家もあるものの、流石に夜店も数を減らし、喧噪が懐かしくなるような静けさに包まれている。
「どうしてまた、あの人を?」
そんな道中、隣を歩く妖夢が不意にそんな事を聞いてきた。そういえばいつの間にか半霊が復活している。
「妖夢はあの娘を見ていて、何も感じなかった?」
「私がですか? うーん、相変わらず綺麗な人だなぁ、と思ったくらいでしょうか」
「あら、妖夢はああいうのがいいの?」
これは新発見だわ。
「どうしてそうなるんですか……。別にそういう意味ではなくてですね……というか、私も彼女も女の子なんですけど」
「自分で自分の事を女の子って言うのも、中々大したものよねぇ」
「……仕草だとかが一つ一つ丁寧で綺麗だということです。私も少し見習わないといけません。生憎といつも近くにいる人は反面教師にしかなりませんので」
「回避能力が上がったわね。でも、それだけ?」
「そうですね……」
絶対あの人には言わないでくださいよ、と念を押して、妖夢が歩いてきた道を振り返る。もう葉月の店は見えないけれど、見ているのはもっと先の紅い館かしら。でもそう言われると、逆に言いたくなるのが人の性というものよねぇ。とはいえ、茶化すのはやめておきましょうか。空気の読める美少女ですから。美少女。
「思っていたのと違って、なんだか少し子供っぽい部分もあるんだなぁ、って。いやまぁ、私が言えたものでもないのですけれど」
「そうね、妖夢もまだまだ子供だものね」
「……むぅ」
おや、今の妖夢なら気付くと思ったのだけれど、見込み違いだったかしら。たった一文字。されど一文字。日本語は難しいわね。
「でも、なんとなく昔を思い出しました」
「ふむ」
私からすれば昨日の事のようだけれど、これが感性の違いというやつかしら。単純に生きた年数が違い過ぎるというだけのような気もするわね。私は死んでいるけど。
「……半分正解、といったところかしら」
「半分、ですか」
「えぇ半分。でも残りの半分は、正直なところ私にも解らないのよねぇ」
改めて考えてみたけれど、やっぱり解らないものは解らない。蛇足になるからと語らなかったけれど、解らなかったから語らなかったと言う方がよっぽど正解かしら。
妖夢に倣って、歩いてきた道を振り返る。人の、妖怪の喧噪はなくなっても、夏の盛りを謳う虫の声はより一層強まっていくばかり。風はそよと髪を揺らし、私と妖夢の存在さえもどこかへ連れ去っていこうとする。それに早速運ばれてしまったのか、つい先程の事だったはずの彼女たちとの別れが、随分と前のようにも思えた。
あー。
不意に、己の内を何かが過ぎる。
最初に紅魔館で感じたものと同じ、何か。
攫われたものの替わりに風が運んできたのか、それとも攫われて隙間が空いたから、また己の奥底から浮かび上がってきたのか。
どちらかと考える間もなく、それはまたどこかへ去ろうとする。けれど、今度は逃がすことなく捕まえた。しっかりと、がっしりと。
「なるほど、そういう事か」
声にならないほどの呟きは、どうやら隣の妖夢には伝わっていないよう。
それで構わない。
元よりこれは私のもので。私だけのもので。
切っ掛けは、きっと去り際に見せた咲夜の顔。
考えても解らなかった、解答の残り半分。
どうりで、今回はやたらとあの人の事ばかりを例に出していた訳だわ。兆候はあったのね、自分でも気付いていないだけで。
そうね。あの時もこんな風によく晴れた、星の綺麗な夏の夜だったわ。
昔の妖夢を重ねていたなんてとんでもない。そう思えば、残り半分というよりかはこちらが全てか。
重ねていたのは、私自身。
恐らく、多分――いえ、きっと、まだ人だった頃の、私自身。
『お一人かしら?』
『……誰?』
『貴女のお友達』
『……うさんくさい』
『よく言われるわ』
綺麗なものが綺麗である事は、何も悪いことではない。私も彼女にそう言うべきだったか。でもまぁ、今回に限れば、それもまた私の役ではないのかしらね。
「……」
「……」
「……」
「……えい」
右手を突っ込んだ。
「もがががが」
見事に噛まれた。
「痛いじゃないの」
しかし噛まれてしまったということは、私は嘘つきだったということだろうか。失礼ね、今回は私が伝えるのであろう相手に、どうせなら楽しんでもらおうと思ってやったことなのだから、数に入れないでほしいものだわ。あぁでも、自分を偽っているという点が嘘に分類されるのであれば、それも致し方ないことか。
ふむ、優秀ね、この口は。
「幽々子さまがいきなり手を突っ込んでくるからじゃないですか」
「あまりにも馬鹿みたいに口を開いていたものだから、ちょっと試してみたくなったのよ」
「何をですか……」
「それで、ただでさえ締まらない顔をそんなに呆けさせて、どうしたの」
「……いえ、別に大したことじゃないですよ」
「ほう」
右手をわきわきと動かしてみたら、妖夢が一歩後ずさったわ。何故かしら。
「あー、本当に大したことじゃないんです。ただ」
「ただ?」
「幽々子さまにも、解らない事ってあるんだなぁ、と。そんなことをですね」
「あら、あらあら」
それは買い被りというものよ、とはあえて口に出さず、とりあえず笑っておいた。
確かに、答えが見つかったというのも、本当に偶然でしかないのだから、それがなければ、きっと解らないままだったのかもしれない。いえ、きっと解らないままだったわね。でも私もたかだか千年程度世の中を見てきただけの身。全能という訳でもないし、もしそうなれたとしても、こちらから願い下げだわ。だって、面白味が薄れてしまうでしょう?
紫だってそう。閻魔様だってそう。人も妖怪も、そして神様でさえも、全能たり得る者なんて、この世にもあの世にも存在していないのよ。
だから世界は、面白い。
幻想郷は――面白い。
でもまぁ、そろそろ私の役目も終わりそうだから、ここは一つ、締めておきましょうか。使いどころは間違えているけれど、それもまた間違いだらけだった今回の最後には相応しい。それに、私の役どころとしてはやっぱりこちらの方が性に合っている。慣れないことは、そうそうするものではないわ。
それでは。
「なんでもは知らないわよ。知っている事だけ」
妖夢が怪訝そうな顔をして、はぁ、とあまり解っていなさそうな相槌を打った。それでいいのよ。今の貴方は、それでいい。考えなえればいけない事は、後からいくらでも増えていくのだから。
たとえばそう、この場所に、幻想郷にいる限り知ることの出来ない、そんな事。
予想は出来ても、真実は永遠に知ることの出来ない、そんな事。
幻想郷は、全ての幻想が辿り着く場所。全ての幻想の、行き着く先。
故に。
故に。
「ねぇ妖夢」
呼ばれて、先を行こうとしていた妖夢がこちらに視線を向ける。
きょとんとした、でもやっぱり生真面目さの抜け切らない、そんな顔で。
「……いえ、なんでもないわ」
先程はああ言ったものの、やっぱりこれは私達が考えるべき事ではないのだろう。疑問に思う事はあっても、手を出すべきではない。だって、どうしようもないのだから。
それこそ、紫辺りに任せておけばいい類の話。
それに、今回の私はあくまでも語り部で。どこまでも語り部で。ならばそんな脇役は、そろそろ身を引くべきなのだ。後のことは誰かに任せるとして、この今という一時を。
場というものが、与えられるものではなく、求めるものならば。今この時、私は求めましょう。
どうしようもない身内と共に歩く、この夏を。
――それでは皆様、ごきげんよう。
7
レミリアは困っていた。
正直和菓子とかどうでもいいのだ。
あの女の真意は解っていたから、それならばと容易く口車に乗せられてみたものの、やっぱり和菓子とかどうでもいいのだ。
煎餅などはバリバリと囓っていられるから割と好きだが、餅とかあーいうのはほんとダメだ。
なのに、そんな物を持ってこられてしまった。
どうするべきか。
自室の執務机に肘を付いて、出された皿を睨むこと早数分。咲夜はいつも通りの澄ました表情だが、レミリアには解る。
――私に対して、まだ緊張するような心が残っていたのか。
完璧を求め、完璧を望み、そしてそれらを全て体現せしめた少女が、緊張している。
レミリアとて、人の心が解らない訳ではない。むしろ幻想郷に来てからは、すっかりと人間臭くなってしまった気さえする。
――我儘ばかりも言っていられないか。
なんにしても、自分が望んだ結果なのだ。手を出さない訳にはいかない。おのれあの亡霊女め、冥界ごと滅ぼしてくれようか、などと思ったところで後の祭だ。
「……」
腹を括って、手を伸ばす。
彼女の性格がよく表れている、綺麗に細工された菓子。クレープだというのは、せめてものこちらへの配慮の結果か。
しかし、見れば食べる事を躊躇いそうな繊細さ。
それでもレミリアが口に運ぶ手を止める事はない。
彼女が、咲夜が見ているのだから。
「――おや」
「どうかされましたか?」
「意外と美味いな」
「……」
予想外。
食わず嫌いといえばそうだが、しかし食わず嫌いというのは得てして本能的に避けているものであるからして、実際に手を出すとやはりという結果になることが大体なのだ。
しかし。
けれど。
これは、レミリアにとっては、そうでなかった。
自分好みに味付けされている訳でもない、見た目こそ洋菓子のようなそれを模しているものの、どこまでも純粋な和菓子。
殊更ゆっくりと、味わうように咀嚼して、飲み込む。
酒でもワインでもない。お茶が飲みたくなるような、けれど口に残った甘さを流すのも躊躇われるような。
とはいえ、結論は一つ。
「うん、美味い」
時間はとうに真夜中。けれど紅魔館にとって、それはもっとも活動が活発になる時間帯でもある。言うなれば、彼女たちの一日は今、これから始まるのだ。
その始まりに。
一日のスタートに。
「……当然ですわ」
太陽のような、とは形容しない。
レミリア=スカーレットは吸血鬼なのだ。
吸血鬼だから。
夜の王だから。
彼女は、こう思ったのだ。
――あぁ、満月のようだ。
と。
レミリア=スカーレットは、そう思ったのだ。
それから。
「失礼しました」
「……」
音もなく戸を閉めて退室した咲夜を見送って、レミリアは深く椅子の背もたれに身を預けた。
外を見なくても天気は解る。きっと今日は、雲一つない快晴だ。月もさぞ綺麗に見える事だろう。
けれど、どうにも外へ出る気にはなれなかった。
きっと今は、どんなに見事な月であったとしても、霞んで見えるだろうから。
「……あんな顔も出来たんだな」
閉じられた扉に向けていた視線を、目の前に置かれた小皿に落として、ほぅと一息。
「歳を取ると、世話焼きになるのかねぇ」
次にまたあの亡霊が訪ねて来た時には、対局ではなくお茶に誘ってやろうか、と考えて。
「らしくない」
レミリアは、残っていたもう一つのクレープを、粗雑に口へと放りこんだ。
「うん、美味い」
「……」
「いい加減決めたらどう?」
「うるさいな、今この瞬間こそが戦況の分かれ目なんだよ。急いては事を仕損じる。ただ前に突き進むだけではいけない事を、私は学んだわ」
「それはまた、殊勝なことで」
「ええそう、そうよ。あいつに――霊夢に勝つためならば、私は己の矜持を捨てることも厭わない。それくらいの覚悟で挑まなければ、あいつには勝てっこないからね」
そうなのよ、ともう一度自分を納得させるように呟いたレミリアが、腕を組んだ姿勢のまま押し黙る。盤台を前に、敷いた座布団の上に胡座を組み、開いていた扇子をぱちんと閉じる姿は、行儀こそ悪いものの、正しく棋士のそれ。しかし、如何せん身に纏うロリータファッションが全てをぶち壊していた。
――はてさて。
盤台の横に並べられた、ままごとにでも使うような小さなテーブル。その上に置いていたティーカップを手にとって、ほうと一息。
一分の隙もない完全な洋室で、豪奢なベッドや、それだけでもアンティークとして価値がありそうな額縁に入れられた絵画を横目に、真っ赤な絨毯の上に若草色の座布団を敷いて、紅茶を啜りながら盤台を挟んで相対する。
片や全身が埋もれそうなほどのフリルがあしらわれたロリータ服に、見事な筆文字で『麗美理亜』と書かれた扇子。
片や流水を模した蒼の着物に、真っ赤な紅茶の入ったティーカップ。
この節操のない和洋折衷。最初こそ随分とチグハグなものだと思っていたが、レミリアの突き抜け過ぎたあれこれのセンスも含めて、最近ではすっかりと慣れてしまった。
『麗しく美しく、理知的でなおかつ理性的、そしてロシアだとかアジアだとか、とりあえずでっかいものに使われている「亜」は私の雄大さを表しているのよ』
初めて聞いた時は、それはひょっとしてギャグのつもりなのかと思ったけれど、残念な事にこの幼女はどこまでも本気だった。そしてその後ろでは、彼女の一番の従者が涙を流して感激していた。
ほんと、どこまでも突き抜けてる連中だわ。
『軍人将棋は知っているか?』
珍しい生き物が冥界に来たと思ったら、突然そんな事を言われたのが一月余り前の事。
聞き馴れない言葉にはてと首を傾げていると、傍らに控えていた妖夢が勢いよく身を乗り出して、
『軍人将棋だって!?』
『知っているのか妖夢!』
『軍人将棋……その源流は中国宋代、時の武将達が戦場にて自軍と敵軍の位置関係を示すのにチャトランガの駒を用いた事に発する。訓練された軍隊は指し示された盤上の駒の如き進軍で敵陣を潜りぬけ、必ず自軍を勝利に導いたという……。戦乱の世が鳴りを潜めた後も、シャンチーの駒の裏面を使い、かつての功績を振り返る者は少なくなかった。しかしそこでの記憶の食い違い、誇張などから反発する者が現れるのも必須。ならばと駒に用いたシャンチーに倣い、盤上にて決着をつけようとしたのが軍人将棋の始まりなのである。一説では度重なる戦を収めるために、戦いを模した遊戯を高僧が作って時の権力者に献上したのが始まりとも言われるが、定かではない――と、民明書房刊「盤上遊戯」からですが』
『長ったらしい説明台詞をありがとう。でもこれって、字面でやると今一つ迫力が無いのが、なんとも残念なところよねぇ』
『ですね』
『……楽しそうだな、お前達』
『で、その将棋もどきがどうしたの?』
『…………』
『お嬢様、私が話しましょうか?』
『いやいい、自分で言う』
これまた珍しく神妙な顔付きで語り出した彼女曰く、三年ほど前に香霖堂で軍人将棋の一式を見つけ、珍しいという理由だけで買ってみたのはいいものの、勝負を挑んだ霊夢に完膚無きまでに叩きのめされたらしい。
『当時その所為で不貞寝をしていたら、妹が暴れたり小悪魔が下らない事をしでかしたり、おかげで咲夜がボロボロになったりと大変だったわ』
ねぇ、とレミリアが後ろに視線を投げると、控えていた咲夜も『酷い目に遭いましたわ』とでも言うように肩を竦めてみせた。
そんな無駄話を交えつつ彼女が語った内容を纏めると、なんてことはない、単純なことだった。
――三年間で霊夢に九九九連敗している。
――もうこれ以上負けられない。
――誠に遺憾ではあるが、特訓の相手をしろ。
そういう事だ。
自分の所に話を持ってきた理由は解らないが、春にどこぞの傍若無人な花妖怪の相手をして以来、暇な日々を過ごしていたのも事実。軍人将棋という物も気になるところではあるし、まぁ一時の退屈しのぎにはなるでしょう。
「幽々子はそう考えたのであった」
「何か言った?」
「いえ、待ち時間が長いので、少々考え事を」
「あ、そ」
カヤの木から作られた盤台を睨んで、レミリアが再び押し黙る。視線が忙しなく動いているのは、どうにかしてこちらの駒を読もうとしているのだろうか。
――ここから引っ繰り返すのも、ねぇ。
ルールを知ってしまえば、なるほど霊夢が強いというのも納得がいく。その点、霊夢との対戦を想定するのであれば、自分よりも紫の方が適任な気もするが、気まぐれな彼女を捜し出すのも困難か。なにせ正確な住居の位置は、私でさえ解らないのだから。
「今日はまた、随分と長考ですね」
横合いからかけられた声に振り向くと、丁度部屋に入ってきたところだったのか、扉を閉める咲夜の後ろ姿。そういった細かい部分の身のこなしといい、音を立てる事なく閉まる扉といい、本当によくできていると感心する。育ちがいいのか、躾がいいのか。後者はまずないか、こんな小娘だし。ならば育ち……もそんなによろしそうには見えない。むしろそういった点であれば、妖夢の方が格段に上だろう。ならば残るは、思想、信念――それもそうか。考え過ぎてそんな単純な答えを見失うのは、少し悪い癖かもしれない。
まぁだからこそ彼女は悪魔の狗で、うちのちびっ娘は冥界の庭いじりなのだろう。これ以上は鶏が先か卵が先か。そんな部分。
ともあれ。
「ウチの子にも見習わせたいわねぇ」
「何か?」
「いえ、こちらの話」
特に気にするようでもなく「そうですか」と興味無さ気に言って、咲夜が持ってきた小皿をミニマムサイズのテーブルに置く。
「似た者主従」
「狗ですから」
「あら、あらあら」
つんと澄ました顔と、ナイフの切っ先のように尖った声。
音速が遅いのか、それとも地上のそれに合わせたつもりが早すぎたのか、はてさて。音速鑑定士の白黒が居ればいいのだけれど、人材というのは必要な時にこそ居ないもの。ほんと、だからいつまで経っても三流なのよ。
閑話休題。
気を取り直すように、空になったカップをミニマムテーブルに戻して、小皿に盛られた狐色のクッキーを早速一枚。この一カ月、飽きる事なくこの紅い館に通い詰めている理由の一つがこれだった。普段和菓子の方が多い所為か、口に広がる洋菓子特有の甘さに頬が緩む。家でももう少し洋菓子の割合を増やすべきだろうか。
「どう思う?」
「ありがとうございます」
「やっぱりそうよねぇ」
「企業秘密ですわ」
「……それ、通じてるの?」
二人の会話に、悩めるお年頃を現在進行形で体言する五〇〇歳が口を挟む。口の前に手を動かしてほしいところではあるものの、希望というものは得てして叶わないものらしい。
ようやく動いたと思った手は、盤上の駒ではなく皿の上のクッキーを取って、そのまま口に放りこむ。
自家製の味には慣れてしまったのか、あるいはそれどころではないのか、むぐむぐと咀嚼する顔は難しいまま。
しばらくその様子を眺めて、空のカップに紅茶を注ぐ咲夜の顔を見て、もう一度レミリアを見て、咲夜を見て。はて、ところでこのポットはいつの間に、そしてどこから取り出したのだろうか。
「ふーむ……?」
ほんの一瞬。頭の中か胸の内か、何かが何処かを掠めていった。確かめようにもそれは既に去った後で、影も形も残っていない。
「……むーふ」
ともあれ、うちはうち。他所は他所。
あまり首を突っ込むのも野暮かもしれないけれど、だからといって大人しくしている理由もない。何よりも、このままではこちらの息が詰まってしまいそうだもの。過去とは何よりも強力な現在へのダメージ源なのよ。ほんと、余計なところばっかり似ているのよね。
でもそれ以上に、面白そうという気持ちが強いのは確かなこと。いつでも素直に。自分を偽ってばかりいては、疲れてしまいますもの。
そう思って考えてみれば、暦も丁度頃合い。遠慮ばかりしていては、安穏とした生活に逆戻りしてしまう。潤いは、なければ自分で作ればいいのだ。
――退屈は人を殺すのよ。
まぁ、私はもう死んでいるのだけれど。
無茶を通して道理を蹴っ倒す、なんて言うほどの事でもないし、これならば別に誰にも迷惑にならないでしょう。前回みたく無駄に事を広げてもいいのだけれど、あまりやりすぎると閻魔様に怒られてしまいますもの。これでも弁えているつもりです。
はて、誰に向かって弁明しているのやら。
ともあれ、そうと決まれば後は行動に移すだけ。さてさて、あの娘はきちんと役割を果たしてくれるのか。
下準備はそれなりに。敷いたレールの上を走らせるだけでは面白くないものね。
「これだぁっ!」
こちらもようやく決心がついたのか、摘んだ駒を勢いよく盤上に叩きつける。ミニテーブルとは反対側、退屈のあまり盛大に欠伸を漏らしていた審判役の妖精が、ようやく回ってきた仕事にさも面倒そうな面を見せたのも一瞬の事。レミリアに睨まれて、震える手で重なった二つの駒を手に取った。
「……」
審判による駒の勝敗を待つ、軍人将棋の最も緊張する瞬間。
けれども今この場面で言うのならば、緊張しているのは彼女だけであって。
「お嬢様の駒の勝ちですね」
「いよっし!」
「じゃあこれで」
すかさずこちらが次の一手。たった今彼女が打った駒に、自分の駒をぶつけにいく。
「……幽々子さんの駒の勝ちですね」
「少佐あああああああああああああああ!?」
計画通り、って言うべきなのだろうか。
ミレニアムだなんだと言っても、所詮少佐はは少佐。タンクにすら勝てないようでは、お株が知れるというものよ。
「ところで――」
そう、こんな事ばかりしていてはいけない。ただ遊びにきた訳ではないのだから。
いや、遊びにきただけなのだけれども。
ともあれ、下準備はほどほどに。
難易度は高い方が面白いでしょう?
1
幻想郷の里は平和である。
どこから現れるか解らない妖怪に怯えていたのも昔の事。定められた規律の中で、妖怪達は満足に己の力を振るうことも出来ず、今では彼等の平和ボケとストレスこそが最大の問題になっているほどだ。
人間の側からすれば、それは諸手を上げて歓迎するところなのだろうけれど、当事者にとってみれば、中々に死活問題だったりもする。その問題に当人が気付いていなかったりする辺りが特に。
力は使わなければ衰えるもの。
あの八雲紫とて、例外ではない。
今でこそ散々好きに使っている彼女の能力も、昔は奥の手といった感じで、使わない事の方が自然だったのだ。
いつからあのように、ぽんぽんスキマを開くようになったのか、付き合いが長すぎる所為でまったくもって思い出せないが、昔は確かにそうだった。そうだった気がする。……そうだったっけ?
「年寄り連中は、誰も彼も大人しくなってしまって面白くないわ」
とりあえずあれこれを余所様に放り投げて、はふぅ、とそんな独り言。
八雲紫は確かに昔から賢人たり得る妖怪だった。が、酷い荒くれ賢人だった。などと言ってみたところで、一体どこの誰が信じてくれようか。
生き証人たる私の言葉であっても、妄言扱いされるのが関の山。はて、この場合は死に証人なのだろうか。
まぁそんな妖怪達の社会問題も、こちらには何も関係ない。
こうやって日の高い内から里に出向いたところで、精々何人かが怪訝な顔をする程度で済むのだから、むしろ感謝したいくらい。別に里の人間が全員裸足で逃げ出しても構わないのだけれど、騒ぎばかり起こしていてはまた霊夢が飛んできてしまいますもの。えぇ、弁えているつもりです。
「おう、西行寺の嬢ちゃんじゃねぇか」
「あら」
私をそんな気さくに呼び止めるだなんて、一体どこの恥知らずか。前言撤回、やっぱり人と人外が共存するだなんて無理なのよ。共に在るということは、互いを認め、許し、尊重し合うことでこそ成せるもの。だというのに、連中ときたらちょっとこちらが歩み寄ってみたりしたら、それだけで同じ舞台に上がったと勘違いする始末。貴方達が舞台に上がったのではなくて、こちらが舞台から降りたという事にすら気付かない。本当に、あぁ本当に。ちょっと蝶でも飛ばしてみようかしら。ほらいい天気だし。まぁ全部ひっくるめて嘘だけど。で使い方は大丈夫?
「……所詮コピーはコピーね」
いや、この場合はコピーのコピーだろうか。どちらにしても本物には到底及ばず、そして扱いきれない事に変わりはない。そもそも一朝一夕の付け焼き刃でどうにかなる代物でもないのだ。というより、これはどちらかと言えば紫の方が似合いそう。ほら、彼女とか見た目からしてそんな感じじゃない。嘘っぽいというか。特に年――おっと、これ以上は言えないわ。私もまだ死にたくないもの。死んでいるけど。これは概ね本当のこと。
「どうかしたか?」
「日米貿易摩擦について少々考え事を」
こちらの意図が伝わらなかったのか、すっかり放置していた源五郎が小首を傾げている。名字は東海道。十人兄弟の五番目で、何故か上から順に源十郎、源九郎、と数字が下がっていく不思議な家系……何を説明しているのだろうか。今日は疲れているのかしらね。それとも憑かれている? 亡霊が憑かれるなんて、笑い話にもならないわ。
しかし、小首を傾げる――妖夢であれば可愛げもあるだろうに、こんなガタイのいい親父がやっても非常に似合わない。むしろ謝ってほしいくらいだ。これは小首を傾げるという行為に対する侮辱よ、侮辱。
試しに妖夢が小首を傾げた所を想像してみる。
……なんだか微妙にむかっ腹が立ったわ。
「おぉそうだ、ちょうど昼からの分が出来たところなんだ。よかったら持っていきな」
「あら、あらあらあらあらまぁまぁまぁまぁ」
それならそうと早く言えばいいのに。危うく貴方の寿命はここまでですと宣告するところだったわ。テンカウントの猶予も無しの即死亡。魂の一欠片だって残してやるものですか。まぁ嘘だけど。あ、今度はなんだかそれっぽい。
と、こちらの様子を承諾の意と取ったのか、源五郎が住居兼店の中に入っていく。何を隠そうこの東海道家五男源五郎、羊羹職人なのだ。ちなみに長男は焼き鳥屋で、次男から四男は酒蔵、六番目以降も何かしらを創っていた気がするが、生憎と覚えがない。
とはいえ、それも幻想郷では珍しくもない話。
外の世界と違ってサラリーマンなんて職業はないものだから、自然と自分の腕一つで生きていくようになるのだ。って紫が言ってた。
「ほら、今日一押しの芋だ。持っていきな」
そんな声と共に出てきた源五郎が、次から次へと私の手の上に包みを乗せていく。
よかったのか、そんなホイホイ乗せちまって。私は大皿だってかまわないで食っちまう女なんだぜ。
……言っておいてなんだけど、大食いキャラにされるのはどうにもこう、なんというかあまりよろしくないのよねぇ。多食と大食いは違うという事が、世間一般にはそれほど知られていないのだろうか。というかそもそも亡霊に食事なんていうものは本来必要なくて、言うなれば趣味のようなもの。贅沢の極みね。
「これはまた、なかなか」
気を取り直して山と積まれた包みに目を向けてみれば、確かに彼の言う通り、これならばそこまで推してくるのも納得出来るというもの。中身を見ずとも、仄かに届く香りだけで口の中に広がる甘さ、瑞々しさが伝わってくる。クッキーやケーキなんていった洋菓子のそれに比べれば随分と慎ましやかではあるものの、逆に言えばこれこそが和菓子としての在り方。あの吸血鬼も、こういう事が解るようになれば、もう少し可愛げも出るだろうに。実に勿体ない。
「……どうよ?」
先程とは打って変わって、少し強ばった源五郎の声。
そう、何故か私が監修というか味見役というか、そういう類のものになっているのよねぇ。ここだけに限らず、あちこちで。まったくもって、誰が言い出したのやら。こちらとしては、こうして色々貰えるからいいのだけれど。もっと美味しくなるのであれば、尚更のこと。
「及第点以上、合格点未満といったところかしらね」
売り物としては十分だけれど、その上はまだ少し厳しそう。
「おぉ……そうか……」
喜んでいいのか解らない曖昧な答えに、源五郎の顔も曖昧なものになる。
「相手が悪いのよねぇ」
「む……う……」
「まだ時間はあるから、精進なさいな」
それを合図に、ひらひらと手を振って別れを告げる。
アドバイスの一つや二つくらいしてあげてもいいのだけれど、生憎と今日は先約が入っているのよ。とはいっても、アポイントも取っていない、極めて一方的なものだけれど。
どうするべきかと悩む源五郎を置いて通りを進む。
少し予定は狂ったけれど、この程度は想定の範囲内。消費した時間は少なくないけれど、まだ彼女が――、
「西行寺さんじゃないですか!」
用事を――、
「幽々子ちゃん、柏餅食べるかい?」
済ませるには――、
「ゆゆ様!」
もう少し――、
「先生!」
時間が――、
「お師さん!」
――あれ、私死亡フラグ?
亡霊が死ぬとどうなるのか。
完全なる消滅です。
一行で説明が終わってしまった。
本来であれば、こういったところでもっと長々と、或いはぐだぐだと思考という名の説明、もとい与太を垂れ流すべきなのに。このままでは私のアイデンティティーに関わってくるわね。さてどうしたものかしら。
まぁそれならそれで、本来の目的を果たしましょうか。目的だなんて大層なことを言ったところで、実際はそう大した事でもないのだけれど。こうして語る事だって、ご遠慮願いたいところなのよ、ほんと。一人遊びを事細かに説明するのは、誰だって恥ずかしいでしょう? 例外は……紫くらいかしらね。
訂正するわ。一人遊びを事細かに説明されても、反応に困るでしょう?
なんとなく、で済ませる事が出来るのであれば、それはそれで楽なのだけれど。たまにはいい人ぶってみろと、過去の私がせっついてくるのよ。そういう事にしておきましょう。
「よっとっと」
通行人とのすれ違いざまに、抱えた荷物が落ちそうになる。
それにしても人が多い。こっちの理由は簡単で明確だけど、それにしてももう少しどうにかならないものか。風の噂で聞いた話だと、少し前にあの月のお姫様が里を訪れた時は、皆が自然と道を譲ったというのに。私と彼女の間にどんな差があるというのか、皆目検討もつかないわ。えぇ、本当に。悔しくなんてないんだから。えぇほんとうに。いやマジで。
しかしこれ以上一人語りを続けていたら、本当に何か失態を見せかねない。早急に待遇の改善を求めたいところだけれど、その結果として主人公を降ろされたらどうしましょう。まぁ元々私は主人公になるようなものでもないのだけれど。もひとつ元々、そういえば今の私はただの語り部でした。
でもそう考えると、妖夢の主人公適性は目を見張るものがあるわねぇ。なんであの子、脇役なんてやっているのかしら。
主人公とは未熟であるべき――と誰かが言っていたような気もするけれど、その点から見てもあの子は満点よね。あら、別に私が完璧だと言っているのではないのよ? おほほのほ。
さて、いい加減次に行きましょうか。これ以上職務を怠慢していたら、本当に役職を降ろされてしまいますわ。すわすわ。うーん、似合わない。
人が多いとはいっても、その気になれば捜し物、失敬、捜し者はすぐに見つけられるのよ。どこかの囚人みたいな格好をした眼鏡を見つけるのとは訳が違う。ミヤマクワガタの群れの中に、一匹だけローゼンベルグオウゴンオニクワガタがいたとしたら、それは紛れるとは言わないものね。もっとも、彼女の場合は金というより銀だけど。
そんな訳で、まだまだ私の格好が自然に見えるようなこの場所では、彼女は容易く見つけられるのでした。
自分で言っておいてなんだけど、本当に目立つわね、メイド服。最近は外の世界でも街中でメイド服を来ている人の姿が増えていると聞くけれど、日本もいつの間にか富裕層が増えたのかしら。或いは西洋かぶれが増えたのか。どちらにしても、そんな所に行くと逆に私の方が異物になってしまいそう。
でも彼女を異物たらしめているのは、何もその格好だけという訳でもないのよ。本人はそのどちらにも気付いていないのだろうけれど。気付こうともしていないのだから当然よね。
もう一つの理由については、概ねこちらの思った通りというべきか。でもそんな彼女を見ていると、いい人ぶってみるというのが本当に建前でしかないという事を嫌というほど自覚させられるわ。ハリボテというのもおこがましい、風が吹けば容易く倒れてしまうような、そんな代物。早急にどうにかしないと、このままでは私の寿命がストレスでマッハなのよ。日本語って難しいわね。
しかし、見つけたのはいいけれど、二人の間にはまだ人込みという名の障害が残っている。ここから声を掛けるのも、お嬢様キャラで通っている私としては控えておきたいところです。嘘です。
「あら」
ところでこの鍵括弧、私が言った事にならないかしら。ほら、どうせ字面だとこんな一言なんて誰が言ったのか解らないのだし。
自業自得の不測の事態。
そうなる事を期待していたのだから、ここは諸手を上げて喜ぶべきなのかもしれないけれど、こんな小さなことで一々喜んでいては、手が何本あっても足りなくなってしまう。それにこれは、どちらかといえば喜ぶ場面ではなくて悔しがる場面。予想外というよりも期待外れの方が正しい、そんな心情。そんな現状。後手を取るのは好きだけれど、後手を踏むのはあまり好きではないのです。ぐぬぬ。
早い話が、声を掛ける前に見つかってしまったというだけのこと。
「珍しいわね、こんな所で」
こちらに振り向いた彼女の――咲夜の言葉も声もどこまでも普通で、どこまでも当たり障りのない、既知の相手に向けるには過不足のない、そんなもの。なのにその視線だけは、まるで宇宙人を目撃してしまったとでもいうような、見てはいけないものを見てしまったとかいう感じのそれだった。本当に器用よねぇ、とそんな感想。
でも、だからといって別に宇宙人が見てはいけないものだという訳でもなくて。むしろ見られるのであれば是非とも見てみたいわ。やっぱりUFOに乗ってくるのかしら。赤とか青とか緑とか。
うーん、この話をするのはまだ少し早い気がするわね。丁度いいのかもしれないけれど、あまりよろしくないのかもしれない。
さて、そろそろ閑話休題。
あまり紙面を黒々と彩ってもいけないもの。はて、紙面って何かしら。
ともあれ。
「珍しいわね、こんな所で」
「亡霊やめてオウムにでもなったの?」
「いやいや」
間が空き過ぎて、会話の始まりを忘れられていては困るから。決して後手を踏んだ事が悔しかったとか、そんなことはないのよ。いやほんと。ほんとだってば。
「というより、なに? それ」
指も顎も指さずに、視線だけで疑問をぶつけてくる。しかし「それ」と言われたところで、こちらとしては何か尋ねられるようなことなどとんと覚えがない。ならばとぶつけられた視線の先を辿ってみれば、行き着いたのは私の手元。なんだろう、この白くて細くて長い指に嫉妬でもしているのだろうか。彼女がどこまで任されているのかは知らないけれど、メイドなんて手先が荒れそうな仕事だものねぇ、と思ったりすることもなく。
話を戻して。
まぁ普通に考えてこの大荷物のことなのだろう。互いに珍しいとは言ったものの、やっぱりその度合いでいえばこちらの方が上だろうから、これが私の里での普通であっても、あちら側にとってはさも珍しく映ったのかもしれない。
「食べる?」
手近な所にあった串団子を一つ取り出して、今度は普通に言葉のキャッチボール。予想外の事が予想以上に多かったから、この辺りで少し調整しておかないと。
「……遠慮しておくわ」
小さく首を振って、やんわりと断られてしまった。まだ余裕はあると思ったのだけれど。
「そう? 美味しいのに」
出した物を戻すのも憚られるので、そのままはむりと一口。うん、美味しい。
ふむ、ひょっとするとダイエット中なのだろうか。見た感じではその必要性は窺えないけれど、自分で思う以上に周りから完璧を求められる彼女の事。期待に応え続けるというのも、中々に大変そう。そういう点においては、亡霊だとか妖怪だとかは便利よねぇ。紫なんて身体年齢まで自在だもの。あれは私から見てもちょっと羨ましい。嘘だけど。うーそーだーけーどー。
まだまだ少女でございます。
「で?」
なんとも簡素な一言。
ただ面倒なだけなのか、それとも相手が私だからなのか。前者であれば、やっぱり彼女は彼女で、後者であれば、まぁその評価はありがたく頂いておきましょう。どちらでもいいという、そういう類の話。
「夏祭りが」
「?」
言葉を切って、残った最後の団子を咥えて横にした串から滑らせる。普通に食べようと思ったら、串が喉に刺さる位置にあるというのも如何なものなのか。
さておき。噛んで、味わって、ごっくんと。
うん、美味しい。
「もうすぐあるでしょう?」
裸になった串を振って、話の続き。
釣られるように周りを見た咲夜が、あぁ、と納得したように呟いた。
「そういえば、そんなものもあったわね」
あまり興味がないような、そんな素振り。もうそれほど間もない当日に向けて、商店が多く並ぶこの通りも、いつも以上に賑わっているというのに。気付かなかったのだろうか。いや、そもそも周りに対して興味がない、と言った方が正しいか。妖夢と似ているようで、正反対。あの子はどちらかと言えば、自分の事で手一杯で周りが見えないタイプだものね。
「で?」
振り出しに戻ってしまった。
出た目が悪かったのか、それとも選択肢を間違えたのか。しかし間違えたと思ったそれこそが、一番正しいという可能性も無きにしもあらず。
「夏祭りが」
「で?」
睨まれた。
すっごい睨まれた。
面倒だというのであれば、そもそも声なんて掛けなければいいのに。まぁ掛けられなければこちらから掛けていたし、それが解っているからこそのこの対応なんでしょうねぇ。つくづく嫌われたものだわ。
まぁでも。
「だからよ」
「……」
怒りが三割、呆れが三割、訳が解らないが三割の、そんな顔を返してくれる。残りの一割は想像にお任せしましょう。
理由を伝える義務もなければ権利もなく。「今はまだ時ではない」とか、それっぽい言葉で場を濁しておくべきか。あぁいや、これ以上濁してはまた遠回りになってしまうわ。前方をよく確認してから右左折ばかりいていては、目指す場所には辿り着けない。それはそれで心惹かれるものがあるのだけれど、それはまたの機会にしておかないと、この話もいつまで経っても終わらなくなってしまうもの。ズバっと参上、ズバっと解決。たまにはそんな私もいいでしょう?
……既に崩れている気がするのは何故かしら。
「それじゃあ行きましょうか」
「下手くそな誘拐ねぇ」
「誘惑なら得意よ?」
何を言っているんだ、とでも言いたげな顔が値引きなしの定価で示された。そこまで純粋に一つの感情だけを表すというのも、中々に凄い事だと思うのだけれど。それは私の周りがそんな連中ばかりだからなのかしらね。半人と半匹を除いて。
まぁでも。だからこそ。
こんな事を、しているのだけれど。
「それで、どこに誘っていただけるのかしら?」
「あら、素直」
悪魔の狗とかなんとか言われようと自称しようと、結局のところ、彼女が収まるべきは人間という分類であって。夏祭りに向けて人通りも多くて。私に声を掛けたのも、きっとそんな理由だったからであって。
まぁ要約すると、
「いい加減暑いのよ」
そんな一言で済むものを、こうしてだらだらと引き伸ばすのは、やっぱり私の悪い癖。とはいえ、基本的に一人でいることが多いと、どうしても無駄なことばかり考えてしまうのよ。大昔の哲学者たちも、さぞや毎日退屈だったことでしょう。
2
「それにしても、あのお嬢様の我儘にもほとほと困ったものねぇ」
「どうして貴女がそれを知っているのよ」
「ふふふ、世の中に不思議なことなど何もないのよ」
「使い所を間違えている上に、自分が犯人だと自白しているようなものよね、それって」
「あら、あらあら」
つまり、このままでは私が彼女にバットで殴り殺されてしまうという訳か。彼女って誰だ、紫か。……ないわ。いやでも、うーん。悩ましいわね。
訂正。訂正。
「物語とは円滑に、かつ解りやすく進んだ方がいいでしょう?」
「結局解っているのは貴女だけじゃないの」
ごもっとも。とばかりも言っていられないので、どうにかしないといけないのだけれど。
説明すると、私は今咲夜を連れて里の外れに向かって歩いている最中。中心こそ賑わっているものの、この辺りまで来るとその喧噪も遠く彼方。そんな静けさに耐えかねるだなんて事はないのだけれど、さっきも言った通りどうにかしないといけないようなので、どうにかしてみた次第。
というより、これこそ自業自得と言われれば、その通りですとしか答えられないのよねぇ。ゲームと違って、選択肢を間違えてもやり直しがきかないものだから、こうして後から無理やり帳尻合わせをやっているのよ。どこの選択肢を間違えたのかは、プライベートの観点から黙秘させていただきますわ。添削出来るのであれば、是非ともそうしていただきたいものね。
そんな訳で、どうにかしてみました……とは言い切れないので、もう少し続けましょうか。
「まぁ、貴女が仕向けたのだろうとは思っていたのだけれど」
「あら、光栄ね」
「今の何処に誉める要素があったのかが知りたいわ」
「そうね、でもこれは言うなれば一種の遊びであって、でも貴方のためでもあるのよ?」
「だから、一人で勝手に話を進めないで……と、私のため?」
「広義的にはね」
「狭義的には?」
「私のため」
「相変わらずというか、人のことを考えないわよねぇ、貴女たちって」
「誰と一緒にされているのかが気になるところだけれど、今この状況だけを考えれば、貴方にとってもこれがベストでしょう?」
「そういうところ、嫌いだわ」
「あらあら」
ふむ、まぁこんなところなのかしら。
これだけのことで全てを理解しろというのも、なんとも投げっぱなしな感じが否めないのだけれど、そもそもこれについて明確な理由なんてものは無いのだから、仕方のないことなのよねぇ。
そんなにいい人でもないし、ましてや毎度何かを企むほど飢えてもいない。それでもやっぱり哲学でお腹を膨らませる研究を始めてしまいそうになる程度には退屈している訳で。開けてはいけないと書かれた箱があれば、開けたくなるのが人の性というもの。ただどうやって開ければ一番面白いかという事を考えているだけなのよ、実際。
世はそれを暇人と言うわ。
えぇまぁ、否定はしないわよ。暇だもの。
あぁ……そういえば、肝心な事を言い忘れているわね……ふむ、同じ事を二度も三度も言うのも面倒だから、後に回しましょう。どうせすぐそこにあの二人への説明という新たなお役目が待っているのだし。
「ところで、いつまで歩いていればいいのかしら」
「食後の運動にはちょうどいいでしょう?」
「……お気遣い、痛み入りますわ」
「いえいえ、どういたしまして」
嘘なんて一つも無いわ、お互いに。
かくいう私も、歩くふりをして浮いているから歩き疲れはしないけれど、荷物を抱えた腕は少々ダルい。ほんと、仕方の無いこととはいえ、どうしてこんな所に店を構えているのかしら。私のお墨付きも出たのだし、もう少し堂々と出張ってもいいのにねぇ。
まぁ目的地はもう見えているのだし、そちらから聞こえてくるやかましい声は留守ではない証。あぁ、なんだか咲夜が怪訝な顔をしているわ。そういうところは妖夢にそっくりね。立場が人を作るのかしら、なんてどうでもいい事を考えて、からかい癖を喉元辺りで押さえ込む。ちゃんと進行しますとも。でもそうすると、今度は手とか足とかから出ていくのよねぇ。それこそが弾幕の成り立ちであり、本質だったりするのだけれど。つまり最も純粋な弾幕というものは、口から出されるものなのよ。嘘なのよ。
「おや」
そんな事を考えていたら「あにゃあああああああああああああ!」なにか物体が飛んできたわ。具体的には白が二分に緑が四分、残りは肌色とその他の物体X――一々説明するのも面倒だから、略して妖夢が何か紫のところのチビっ娘みたいな声を上げて、こちらにきりもみ回転しながら突っ込んできた。最近流行りのギャップ萌えとかいうやつかしら。妖夢も必死ねぇ。
しかし飛んできたからといって、当たる義務もなければ受け止める義務もないのよ。つまりは御愁傷様ということで、それはどうやら咲夜も同じよう。
「ぺぷしっ!」
私はラムネの方が好きよ。
漫画みたいに頭から地面に突き刺さった妖夢を一瞥して飛んできた方に目を向けると、ここにはケーキなんていう軟弱な物はねぇぜ! と高らかに主張するかはともかく『だんご』と描かれた暖簾を分けて、一人の少女が姿を表した。
「死ねばいいのに」
そしていきなり罵倒された。でも残念ながら私はもう死んでいるのよ。のよのよ。というよりこれはきっと妖夢に向けられたものよね。まぁその妖夢にしても、既に半分は死んでいるのだけれど。
「……なにあれ」
怪訝な顔を維持した咲夜がこちらを向いて呟いた。ひょっとしなくてもそれは私に聞いているのだろうか。ボス、どうしますか。やっぱりくろかみはいいな。死ねばいいのに。
どうしてどいつもこいつも黒髪なのよ。いいじゃない桜色。素敵じゃない薄桃色。ゆるやかウェーブはお嫌いですか? そもそも姫カットなんて言うけれど、本当にお姫様がそんな髪形をしていると思っているのかしら。というかなによ姫カットって。そのネーミングからして全てを疑うわ。……あぁでも、そういえば実際にいわたね。黒髪長髪姫カットで、職業お姫様なのが一人。
「あ……」
と、こちらに気付いた少女が、何か見てはいけないものを見てしまったという感じの顔を向けてきた。あら、なんだかデジャビュ。ちょっとだけ傷付くわね。ちょっとだけ嘘だけど。
「説明が後になったけど、少女は見た感じ妖夢よりも幾分幼そうな顔立ちで、真っすぐに切り揃えられた黒髪と相俟って、お人形さんみたいね、なんて褒め言葉がよく似合いそうな、そんな姿。あれは将来綺麗になるわよ。将来があれば、だけど」
「ご説明ありがとう、と言えばいいのかしら……?」
咲夜が怪訝な顔を困った顔に変えていた。思っていたより表情豊かね、この娘。これだとここに連れてきた意味もあんまりなかったかも。
「地の文では貴方に伝わらないと思った上での配慮ですわ」
「地の文……?」
「ああいえ、こちらの話」
語り部は語り部であるという事を悟られてはいけないのよ。いえ、どうなのかは知らないけれど。どうなのかしら。
「うーん……」
背後から謎のうめき声が聞こえてきた。振り向くとそこにはゾンビの群れが……! なんて事があれば面白いのだけれど、こんな炎天下ではゾンビも出てきたくはないわよねぇ。土の下って案外冷たいらしいし。でも仮にゾンビの群れが出てきたらどうすればいいのかしら。どちらかと言えば私もそちら側なのだし、この間冥界にやってきた彼に教えてもらったみたいに、一緒に踊ってみるのもいいかもしれない。でもあれ、私がやると凄く滑稽に見えるのよ。私はもっと日本的な舞の方が好きだわ。
「あれ……幽々子さま?」
ゾンビに声を掛けられたので、この辺りで閑話休題。すぐに話が脱線するのも悪い癖かしら。少なくとも主人公には不向きよねぇ、やっぱり。
「妖夢、そんな無様な着地では金メダルは遠いわよ」
「別に体操をやっている訳では……って、あれ」
頭をさすりながら上体を起こした妖夢が、私の隣に立つ人物を見て軽く疑問符を飛ばしてきた。ちゃんと口で言葉に出して言いなさいな。
「お久しぶりね。一月ほど前にそちらを訪ねて以来かしら」
「あ……えーと、御無沙汰しております……?」
手慣れた様子の咲夜と違って、どこまでもぎこちない。それは別に今まで地面に突き刺さっていたからだとか、そういうのは関係なくて、単純にこういう事が苦手なのよね、妖夢って。
昔はそうでもなかったのだけれど。
「……」
「……」
しかし、二人の会話はそれだけで終わってしまった。会話というより、挨拶しかしていないわね。
お互い似たような立ち位置なのだから、色々と話の種もあるでしょうに。まぁそんな話が出来るような間柄でもないか。それぞれ私とあの小娘の付き人として顔を合わせるくらいだものねぇ。
「心配しなくても、今回も妖夢は脇役だから」
「なんかいきなりのけ者扱いに!?」
「そういう訳で、着いたわよ。ここが目的地」
何か喚く妖夢を背景にして、咲夜に到着を知らせる。すっかりと忘れられていそうだけれど、そんな話だったのよ。言われた彼女も、そういえばそんな話だったか、なんて顔をしているけれど、まぁ見なかった事にしておきましょう。
「へぇ」
取り繕うように、私が示した先を見て咲夜が一声。
そこではいつの間にか見てはいけないものを見てしまったというような顔から、何かとても嫌そうな顔へと表情を変えた少女が、先程と同じ場所に立っていた。
「ついでに、先に紹介しておくわ」
そんな少女の元へ近づいて、肘の高さくらいにある頭にぽんと手を乗せる。このくらいの高さって、ついつい手を置きたくなるのよ。これもひととしてのさがか。だからこう、ぐしゃぐしゃーっと撫で回してしまうのも仕方のない事なのよ。別にさらさらですとーんと流れ落ちる真っ直ぐな髪が妬ましいとか、そんなのじゃないのよ。ほんとなのよ。あら、なんだか手の下から嫌々オーラが沸き出てきているわ。
「この子がここの店主の櫛枝葉月。私の可愛い妹分みたいなものよ」
「……」
「なんだか凄く嫌がっているように見えるのは気の所為かしら」
「……私の可愛い妹分みたいなものよ」
撫で回していた手に少し力を込めてギリギリギリと締め上げると、あぅあぅあぅと唸ってくれた。まだまだ躾が足りないようね。躾なんてしたことないけれど。この場合の躾担当は妖夢なのかしら。でもどちらかといえば、妖夢の方が躾られていそうよねぇ。
「いきなりなんですか。私はまだそちらの御厄介になるつもりはありませんよ」
私の手から逃れた葉月が、両手で頭を押さえて涙目で訴えてきた。なにこの可愛いの。妖夢と入れ替わらないかしら。
「別に、来たければいつでも来ていいのよ?」
「だから、行かないって言ってるじゃないですか」
「あら残念」
「それで、そちらの方はどなたでしょう。里でもあまり見かけない顔ですが」
あっさり話を変える辺り、妖夢よりよっぽどしっかりしてるわね。まぁあれよりも年は上なのだから、当然なのかもしれないけれど。それでも、大体において性格やら人格なんていうものは、己の外見に強く影響を受けるものなのに、ねぇ。特に元が人間であれば尚のこと。
「初めまして。十六夜咲夜と申します。普段は紅魔館でメイドとして働いておりますので、あまり里には出てきませんの」
両手でスカートの裾を摘まんで、脚を交差させて綺麗な会釈。今更だけど、対外向けというのかしら、そういう事も出来たのね。なんだかちょっと新鮮だわ。なにせ私の場合、初対面からしていきなり喧嘩腰だったから。
「あぇ……いえ、御丁寧にどうも、櫛枝葉月、と申しますです……です?」
でもそんな対応は葉月も慣れていなかったのか、なんだかしどろもどろ。これはこれで可愛いのだけれど、放っておいたらまた滞ってしまいそう。折角流れに乗り始めたのだから、乗れる内にどんどん乗っていかないと。どこに辿り着くかは、風のみぞ知る。その先こそが風の辿り着く場所という訳よ。だからどうしたと言われれば、返す言葉もございませんわ。
「まぁ立ち話もなんだから、そろそろ中に入りましょうか。私と葉月は大丈夫だけれど、貴方もいい加減暑いでしょう?」
「そうね、お言葉に甘えさせていただきますわ」
「いや、ここ私の家なのですが……」
「あの、私も入ってもいいですか……?」
「あら、いたの妖夢」
「ずっといましたよ!?」
そう言われても、字面だと背景に回されたら、途端にその存在すら認識出来なくなるのよねぇ。本当にそこに居たのかどうかも曖昧になってしまう。「経験談ですか?」死ねばいいのに。
「……という訳なのよ」
「それだけ言われても、解りませんよ……」
あら心外。私と葉月の間柄を考慮すれば、この程度は読み取れても不思議ではないと思ったのに。見込み違いだったかしら。それとも見当違い? 私の所為にしないでほしいわね。
「残念ね。背景の妖夢は解った?」
「どうしてそれで一つの単語みたいになっているんですか」
「あら、格好いいじゃない。二つ名みたいで」
「そうですよ、背泳の妖夢さん。そんな風に我儘ばかり言っていては、大きくなれませんよ」
「いや、それこそ二つ名っぽいけど、別に私は競泳選手になるつもりはありませんし。というか名前じゃなくてそっちを間違われると、微妙にリアクションに困るじゃないですか」
「失礼。噛みました」
「違う。わざとだ」
「はにかみました。えへっ!」
「可愛い!?」
確かに可愛いのだけれど、自分でやっておいて中々に辛そうね、葉月も。この辺りがまだまだ徹し切れていないということなのかしら。
あぁでもやっぱり可愛いわよねぇ。妖夢もやってくれないかしら。なんて考えるのはもちろん嘘で。
「ねぇねぇ妖夢、あれ、貴方もちょっとやってみてくれないかしら」
嘘だから聞いてみた。
「え……いや、勘弁してくださいよ」
「背景――」
「はにかみました。えへっ!」
「うざっ!」
私がそんな言葉遣いをするはずはないから、これは葉月の台詞にしておきましょう、そうしましょう。語り部って便利よねぇ。
でもやっぱり、所詮コピーはコピーか。あら、またしてもデジャビュ。
まぁ言ってしまえば葉月だってコピーみたいなもので、ひいては私も妖夢も大体そんな感じ。嘘だと言い切れないのが世の中です。
「幽々子さまがやれって言ったんじゃないですか!」
「貴方は口を挟まないで、バルセロナ」
「ドロッセル!?」
今日もエクスクラメーションマークが大活躍ね。
「それで、それはいつまで続くのかしら」
そうしてオシャレユニットの是非について話していると、横合いから呆れるとはこういう事だと言わんばかりの呆れ声が飛んできた。この場合は救済の声になるのかしら。なにせ止められなかったら、このまま規定枚数を超えてもずっとこの意味の無い掛け合いを続けていそうだもの。
「そうね、いい加減収拾もつかなくなりそうだし。妖夢、説明してあげなさい」
「いや、そう言われても、私は何も聞かされていないのですけれど……」
「死ねばいいのに」
本来であれば、ここでの妖夢のリアクションを私は伝えるべきなのだろうけれど、最早背景と化した者にそのような心遣いは無用と判断するわ。精々行間で頑張ってサブリミナル効果を狙ってちょうだい。
「役立たずには消えてもらうとして、端的に説明するわ。葉月、貴方は紅魔館の小娘――もとい、当主の事は知っているかしら」
少し咲夜の方を警戒してみたけれど、特に反応がないということはそういう事なのかしら。風評と違って結構いい性格してるわね、この子。
「ああ、はい。風の噂程度ですが、一応は。吸血鬼でしたっけ」
「そう、これがまた随分と我儘なお嬢様なのだけれど、突然最高の和菓子を持ってこいとか言い出したらしいのよ。それで、彼女はお使いの真っ最中」
「改めて言うけれど、どうして私が一言も説明していないのに、そこまで知っているのか、とても興味がありますわ」
と、咲夜の横槍。
細かい事ばかり気にしていては、その綺麗な顔に皺が出来るわよ――っと、こちらの胸の内を読んでナイフを投げないでほしいわね。
「真実はいつも一つなのよ」
「それも使い所を間違えている上に、自分が犯人だと自白しているようなものよね」
「よく解りませんが、それでうちを選んでくれたという事には感謝します。で、何をお出ししましょうか。といっても基本的に団子屋ですが」
「いやいや葉月」
「ほぇ?」
なんだか媚び媚びな返事が返ってきた。この思わず二重表現が飛び出てしまう程度の驚きを、果たして理解してもらえるかしら。妖夢もこの辺りをもう少し見習うべきよね。まぁあの子が同じことをやったとしたら、三途の川の向こう岸まで打ち飛ばす自信があるけれど。船頭いらずの船いらず。是非曲直庁の人件費削減に大いに貢献するチャンスだわ。嘘だわ。
ともあれ。
「さっき私命名の菓子通りで聞いたのだけれど、貴方、最近芳しくないらしいじゃない?」
「うぐっ」
「源五郎の所にも寄ったけれど、今年はいよいよ危ないかもしれないわねぇ」
「ぬぐっ」
源五郎には発破を掛けておいたから、尚のこと。
一応、何の事かと言っておくと。毎年里で行われる夏祭り。そこにはあれこれ屋台が出るのだけれど、それこそいつから、そして誰が言い始めたのか、その年の最も優秀な屋台を選ぶという、よく解らないコンテストのようなものが開かれているのよ。大雑把に分けると食品部門と遊戯部門。遊戯部門にそこまでの影響はないとしても、食品部門は元々里で店を構える人が屋台を出している事が多いものだから、その後の営業に大きく響いてくるらしいわ。言わば一年の集大成であり、その後一年の指針ともなる大事な機会。誰もが一位の座を狙っているといっても過言ではない、熾烈な争いなのよ。ちなみに、葉月は初登場から二年連続でその王座に君臨していたりするのよねぇ。まぁ一年目は私たちの屋台を乗っ取って、だけど。私が味見役のようなものになっているのも、どうやらその辺りが関係しているらしいわね。説明終わり。
「確かに、ここ最近迷いがあるのは事実ですが」派生元が迷子だものねぇ。「では、何故私のところへ?」
「つい親切心溢れる普段の姿勢を発揮してしまったのよ。癖とは怖いものね」
「……」
あら、なんだか訝しげな視線を頂戴したわ。今ならもれなく同じ物がもう一つ! 三つ目は放っておきましょう。背景には人権も人格も無いのよ。
「そうね、理由は色々あるけれど、まぁただの消去法だから気にしなくていいのよ。咲夜が里の菓子屋の商品を全部試食して満腹そうだったから、運動がてらここまで連れてきた、なんていうのは、大した理由でもないわ」
「……見ていたの?」
「ふふふ、さてどうかしら」
なんだか、字面だとこれも私が凄い含み笑いをしているように取られそうね。三人称的な書き方をすると、ころころと鈴を転がすような声で、口元を袖で隠した幽々子が目を細めて笑っていた、とかそんな感じなのよ。なんだかこの辺りも怪しくなってきた気がするわ。次に行きましょう。
「まぁでも、なんにしても選択肢はそう多くはないのよ。葉月は本番当日に向けて新しい物を作らなくてはいけなくて、咲夜はお嬢様のために新しい何かを手に入れなくてはいけなくて」
そして私は、円滑な物語の進行を。すでに出来ていない気がするけれど、きっと気の所為ね。
「利害は一致するでしょう?」
「ということは……えーっと、十六夜さんも?」
「咲夜でいいわよ。そうね、洋菓子ならそれなりに自前でどうにか出来るのだけれど、和菓子は残念ながら専門外だから、そう大してお役には立てないと思いますわ」
いいわねぇ、こういう主語を省いても繋がる会話って。手間いらずの紙いらず。
「なるほど洋菓子……それなら、いやでも……あるいは……」
ぶつぶつと、一人の世界に入ってしまった葉月を見て、咲夜が区切るように一息。
「それで、どちらが……いえ、一体どれが本命なのかしら」
「あら、あらあら」
果たしてどこまでバレているのか。まぁ今回は語り部という役もあって、大分表にあれこれと向けていたから仕方のないことではあるのだけれど。ついでに、そんな大層な裏がある訳でもないから、仮にどれだけバレたところで、別に構わないと言えば嘘ではないのよね。
「二兎を見かけたら、三兎を捕まえてみたくなるものでしょう?」
「……三兎で済むのかしら」
「それは買い被りというものよ」
「そういう所、やっぱり嫌いだわ」
3
少し前にも話したと思うけれど、やっぱり誰にでも自分に見合った役というものがあるのよ。与えられた役割とはまた別の、純粋に個としての立ち位置が。
例えば霊夢なんかは、この幻想郷では並ぶ者のない純粋な主人公ではあるけれど、果たしてそれは個としても変わりない、揺るぎないものなのかと問えば、中々に揺らぐところでしょう。本当に、彼女は主人公という役割を与えられてはいるものの、主人公という役には成り得ない、そんな最たる例よね。これほど解り易いものも珍しいくらい。
何が言いたいのかといえば、結局はただの繰り返し。私もまた個としてそのような立ち位置に収まるには役不足。おっと、これは誤用だったかしら。言葉というものはなんとも不思議なものね。どこから生まれて誰が育てたのかも解らないのに、誰もが平然と、なんら思うことなくそれを使っている。それを認識している。そして認識しているにも関わらず、確たる形も無いまま一人で自由気儘に己を変えていく。
視点を変えてみると、言葉こそが人を、時代を、世界を作り上げているのではないかと思えるくらい。とは言っても、これもまた鶏が先か卵が先かという部分になってしまうのだけれど。
人が時代に合わせて言葉を変えていくのではなく、変わった言葉が人を通じて時代を変えていく。ロボットの反逆よりもよっぽど恐ろしいわね。なにせ相手が見えないのだもの。
そしてそんな私の現状はといえば。
「やっぱり私には主人公適性ってないのよねぇ」
おかげで見事に蚊帳の外。最初から妖夢に頼めばよかったのかしら。でもそれだとまた無駄に話が伸びた上に、なんだかよく解らない事になりそう。というかなるわよね、きっと。私の場合とどちらがより話が間延びするかという点につきましては、黙秘する次第。なにより、あの子に任せると私の出番が減るのよ。
そんな妖夢も、増えた背景仲間と一緒に、向こうで何やら楽しそうな声を上げている。こうなると逆に背景は私の方になるのかしら。
すったもんだの末に新商品を開発しようと息巻いた二人と半人と半分を暖簾の向こうに眺めながら、つらつらとどうでもいい事に想いを馳せる。
過去、現在、これから。
重要な事など何一つ無く、それでも平穏無事という病魔は確実にこの身を蝕んでいく。飢えている訳ではないのだけれど、ここのところ面白い事が多かった所為かしらね。自分の中の許容量が思っている以上に下がってしまった気がするわ。なんとも凡俗になってしまったものだこと。これでは西行寺家の跡取りとして如何なものなのか。まぁ西行寺の家なんて、もう滅亡して久しいのだけれど。でも滅亡しても消滅はしていないのよね、現にこうして私がいる訳だし。死んでますけどー。なんだかノイズが混ざったわ。
まぁでも。
死んだからといって暇になるかといえばそうでもなくて、死して尚働き続ける私は日本人の鏡よね。周りからはなんだか悠々自適にソクラテスごっこをしていると思われがちだけど、実際は結構やる事が多いのよ。特にこの時期は、お盆も近いから尚のこと。でも、人生の勝利者が如何に有意義に寿命を食い潰したかという一点で決まるとするならば、果たして死生の勝利者というのは一体何をすればそう認められるのか。まぁこの人生の勝利者という図式も、今回の元から譲り受けたもの故、きっと色々と間違っているのでしょうね。
飽きた。
いつまでも一人遊びをしていても仕方のないこと。少しあちらの様子を見に行きましょうか。という訳で、しばらく少女達の会話をお楽しみください。もちろん私も混ざるわよ、少女ですから。本当ですから。
「へぇ……貴女って亡霊だったの」
おや、どうやら葉月の話のよう。ボス、どうしますか。ようすをみろ。了解です。
「えぇまぁ、一応」
「一応?」
「いえ、私の事を知っている人なんてそうはいないでしょうし、そうなると新たな読者にとってはぽっと出もいいところの小娘がいきなりそんな設定を持っていたとしても、混乱を招くだけでしょうから」
「……」
なにやら訳の解らない発言を始めた。ほら、咲夜が困った顔をしているじゃないの。隣の妖夢は、もう慣れたものなのか涼しい顔、というよりかは諦めの境地かしらね。呆れ顔。
「でもそう考えると、むしろ今回は妖夢さんの方が私なんかよりよっぽどぽっと出ですよね。出オチもいいところというか。何しに来たんですか?」
「手伝えって言われて来たのに酷い言い草だ!?」
と思ったけど、やっぱり妖夢がそんな達観できるはずもないか。
「というか、あの登場の仕方だとまるで私が吹っ飛ばしたみたいじゃないですか。今回はか弱いキャラでいこうと思っているんですから、余計な演出は控えてくださいよ」
「いや、間違いなく葉月が吹き飛ばしたから! 演出じゃないから!」
ついでに第三者視点から付け足すのなら、初登場でいきなり「死ねばいいのに」とか言っちゃう時点で、キャラ設定に無理があるわよね。
「ちゃんとレフティのベースも用意したんですよ?」
「幻想郷にベースって……ああでも、キーボード持ってる騒霊もいるからなぁ」
「ならば世界観に合わせて、宝刀獅子王などいかがでしょう」
「いや、そのネタは多分解る人少ないから。というか黒髪ロングの姫カット繋がりという事すら普通の人は気付かないから」
「では地獄少女辺りで」
「具体名出しちゃった! ついでに黙っていたけどそれって結局どれも用意してないよね!?」
「相変わらず注文が多いですねぇ、妖夢さんは。ならばもうここは現世に転生した羽衣狐ということにしておきましょう」
「これを書いている時期がバレるよ! 確かにあれも黒髪だけど! ロングだけど! 姫カットといえばそうだけど! 世界観もそこそこ合ってるけど!」
「……仲がいいのね」
どこまで続くのかと思っていたけれど、咲夜の呟きで二人がはっと我に返る。いや、返ったのは妖夢だけか。二年経ってもまだ弄ばれているのねぇ、あの子。
「えぇ……私が相手をしないと、妖夢さんが里の人達を八つ裂きにすると言うので……」
「誰がそんな事を!?」
「よく森の魔法使いばかりが友達いないキャラにされていますけど、妖夢さんも実は友達いないですよね」
「い、いるもん! 友達くらいいるもん――って、咲夜もそんな可哀相な人を見るような目で見ないでくださいよ!?」
「人? 貴女は自分を人だと思っているの?」
「人だよ! ……半分だけど」
「そう。じゃぁ残りの八割はさしずめミジンコといった辺りかしら」
「違う、もう半分は――って、私の人要素がいつの間にか二割に!? 返せ! 私の三割を返せ!」
「まぁそれはどうでもいいのだけれど」
「流された!」
うーん、面白そうだから混ざろうかと思ったのだけれど、ここはもう少し様子を見るべきなのかしら。空気の読める美少女って素敵だものね。美少女。
「別に亡霊だから、という訳でもなさそうね」
咲夜の一言。それは果たして妖夢と葉月の関係か。それとも葉月単体に向けたものなのか。はたまた亡霊という存在そのものに対するものなのか。
「と言いますと?」
聞いたのは妖夢。散々鍛えられたのかしら。変わり身が早くなったわねぇ。
一方の葉月はといえば、あまりこの手の話は乗り気ではないのか、一人作業に戻っている。
まぁ解らないでもないけれど。
最初の一応というのも、誤魔化してはいたものの限りなく本音というか本心というか。気にし過ぎといえば気にし過ぎなのよ。幻想郷の人間たちなんて、害が無いと解ればもうそれだけで打ち解けられるものなのに。想えば遠く、望めば近く。目を閉じてばかりいては、目の前にあるものすら見ることは叶わない。それは彼女の側にも言える事だけど。
「向こうにいるアレばかりが例外だと思っていたのだけれど、案外多いのかしら、貴女みたいなのも」
「……」
一層黙る葉月。ここで動くことが出来るか否か、よね。ターニングポイントっていうのかしら。
はて、ところでこれは葉月の話だったかしら。まぁその辺りの辻褄合わせはまた後でやっておきましょう。これはこれで必要なのよ、お互いに。そして私にも。
「まぁ葉月も、というより葉月こそ例外中の例外みたいなものですし」
おっと、空気の読めないダメな子がいたわ。
「普通亡霊というのは、死を纏った存在ですから、程度の差はあれあまり生者に対していい影響というのはないのですが、葉月の場合はその辺りの、亡霊としての特徴というか、そういうのがまるっと抜け落ちているというか、消されたというか……まぁそんな感じなので」
「そうなの?」
妖夢の言葉を受けて、咲夜が葉月に向かって訊ねる。うーん、結果オーライかしら。過程に点数を付けるのであれば、限りなく赤点だけど。
「まぁ……概ねそんなところです」
「えぇ、なにしろその一端を担ったのが私ですから」
ほんと空気が読めないわね、この役立たずは。
「……そうなの?」
「えぇ、まぁ……」
再度訊ねた咲夜に、葉月も苦笑い。だというのにうちのミジンコときたら、そんな二人には気付かないのか朗々と、
「いやぁ、あの時の私の活躍は是非とも咲夜にも見せてあげたかったです」
あら、何やらおかしな方向になってきたわね。ボス、どうしますか。ばっくあたっくだ。任されよ。
「葉月という存在を救うためには、悲しいことに彼女と相対するしか道はありませんでした」
「合ってるの?」
「えーっと」
「二人の間を走る緊張、包む静寂。私は楼観剣を構え、そして迫る最後の時――」
「……本当に合ってるの?」
「……えーっと」
「その場に私が来なければ、その前に葉月にコテンパンにやられていたのよね」
と、ここでネタばらし。嘘は言っていないわよ。
「え!? あっ、ゆ、ゆゆ幽々子さま!?」
ゆが三つほど多いわよ。
「あぁ、なるほど」
咲夜が納得いったという風にぽんと手を叩いた。その隣では、葉月もうんうんと頷いている。でも、本当の事を言われて驚くという事は、自覚はあるのかしら。あるのでしょうね。いつぞやの落とし物の一件で何を学んだのかしら、このミジンコは。
「いや、そのですね? 確かにそうかもしれませんが、でも!」
「ところで作業は順調なのかしら」
「また流された!」
「方向性は大体定まってきたので、あとは形にしていくだけですかね。咲夜さんにはとても助けてもらっています」
喚くミジンコを背景にして、葉月の答えに咲夜を見やると、そんな大した事はしていないとでもいう風に肩を竦められた。
まぁアイディアなんていうものは、部外者であるほど突飛なものが出てきたりするものだから、葉月がそう言う以上はそうなのでしょう。概ね予定通りで何より。予想以上に使えないのも若干半人ほどいたけれど。
「そう、じゃあ続き、頑張って」
と、退散宣言。そもそもこの辺りは私が関わらない方がいいのよ。内部的にも、外部的にも。
「幽々子さまが手伝ってくれたら、もっと早いと思うのですが」
と思ったら妖夢に引き留められた。
「あくまでも葉月の店だもの。私が口添えをしたら不公平でしょう?」
例の祭のコンテストに関わっていたりするので、尚のこと。
そうでなくとも、ここで私が入ったら色々と台無しになりかねない。簡単に言うとあれよ、後は若い人達に任せて云々。失礼ね、誰が若くないのよ。
まぁ結局のところ、最初に言ったとおり、私の役ではないということなのか。餅は餅屋。適材適所。使える人材がいるのであれば、事が上手く運ぶようにそれらを配置することこそが、今回の私の役目。司会進行とは言わないわ。進行出来ていない、というより元からするつもりがない事は自分でもよく解っていますもの。ものもの。
4
そんな訳で、再び暖簾のこちら側。
結局何がしたかったのかしら、私は。
揃えた歯車をいざ回してみたら、一つも噛み合っていなかったような、そんな感じ。最初の計画からして既に無理があったのよ。まぁそれは私の所為ではないのだけれど。
「はぁ……」
そうそう、そんな感じで溜息の一つも吐きたくなるような場面よね――と、辻褄合わせのご登場だわ。
「なんだかお疲れのようね」
無難な言葉を選んでみる。とはいえ実際疲れているようで、咲夜が彼女にしては少し粗雑に、私の隣に腰掛けた。急須はあれど湯飲みは一つ。なので自分が手に持っていた物を勧めてみると、案の定断られた。はてさて、どうしたものかしら。生憎とどこかの紅白や黒白のように、他人の家の物を勝手にどうにかしようという気概はないのよね。というよりも、そもそもどこに何があるのかなんて全然知らないのよ。
葉月に聞こうにも、暖簾の向こうでは、先程から半時ほど経ったというのに、まだまだ元気そうな二人の声。一体何を喋っているのやら。
「どうせ葉月のことだから、また読者を狙って云々とか言い出すのかもしれませんが、毎度そうそう突飛な発言をされてもですね、反応に困る訳ですよ」
「いやいや妖夢さん。何か私のキャラを勘違いしていませんかね? 言えませんよ、そんなメタな事。はっ、もしかしてそうして私にメタ発言をさせて、これを見た人達に『メタ()笑』などと思わせて私の評判を下げるという、そんな狡猾な罠な訳ですか。汚いな流石妖夢さん汚い。でも汚いのは萃夢想の2P側だけにしておいてくださいよ。それともあれですか。緋想天で修正パッチが出る度に弱体化していく事に対する鬱憤を私に向けて放っている訳ですか。いえいいんです。妖夢さんは強キャラであることだけが存在価値。それが崩れてしまっては、そもそも存在する意味すらなくなってしまいますから、憤るのも無理はありません」
「なんだかよく解りませんが、とりあえず酷い事を言われたという事だけは理解出来ました」
「失礼、噛みました」
「いや、物凄く流暢に喋ってたよ!?」
「かみまみた」
「後から!?」
「いい加減この辺りのネタは控えていかないと、私の今後に関わってきそうです……」
などなど。
ところで葉月に今後ってあるのかしら。え、ない?
そりゃそうよねぇ。可哀想に。割と嘘だけど。
「相変わらず騒がしいわねぇ、あの二人」
「……いつもあんな感じなの?」
「ああいうのは嫌い?」
「別に、好きとか嫌いとか、そういうのはないのだけれど」
「けれど?」
「どうにも、勝手が解らないわね。慣れていないと言えばそうなのだけれど」
「そうよねぇ。いきなりあんな中に放り込まれても、困るわよねぇ」
「……」
なんだか凄い目付きで睨まれたわ。何故かしら。
でもまぁ。
騒がしい連中なんて、この幻想郷にはそれこそ掃いて捨てるくらいには有り余っている。近しいところでは、博麗神社の宴会なんて正にその代表格と言ってもいいくらい。なのに彼女は勝手が解らないと言う。
何故かしら。かしらかしら。
結局、今回はそれだけの話なのよ。大層な事のように語ってきたけれど、根っこにあるのはただそれだけ。
他にもあるといえばあるのだけれど、それは語ったところで蛇足にしかならない、そんな事。
物語は簡潔に、円滑に。過不足なく……は少し実践出来ていないかもしれないわね。全体的に不足。でも蛇足。采配が難しいわ。
「妖夢」
そんな事を考えて、独り言のように呟いた。別に聞こえていなくてもよかったのだけれど、彼女は律義に反応してくれる。そっくりね、本当に。
「面白いでしょう、あの子」
「……まぁ、そうね」
「でも、少し前まではあんな子じゃなかったのよ。課せられた役目と務めで自分を雁字搦めにして、言いたいことも言わないような……いえ、言いたいことなんてそもそも持っていないような、そんな子だったわ。あの頃はまだ妖忌がいたから、殊更そんな感じだったわね」
「妖忌?」
「あの子の祖父で剣の師匠。今は何処で何をしているのか解らないけど」
「へぇ……でもちょっと想像出来ないわね、今の彼女を見ていると」
まぁそうでしょうねぇ。紫ですらビックリしていたくらいだもの。どうしてこうなった、って。
「あの頃は毎日が退屈で仕方がなかったわ。色褪せていた、とも言えるかもしれない」
「……」
「まぁ人それぞれなのでしょうけれどね。静かな時、場所は好きだけれど、それは求めるものであって、与えられるものではない、ということかしら」
「何が言いたいの?」
「別に、ただの昔話よ」
「……そう」
どこか納得がいかないとでもいう風に、咲夜が訝しげな顔をする。思っていたよりも表情の移り変わりは多いけれど、やっぱり無表情かこの表情が多いのよね。
里では結構垢抜けているというのも、一体どこまでが彼女なのか。演技も上手そうだものねぇ。まぁそこまでいかずとも、処世術という言葉で事足りるか。
本当に、それだけなのよ。
かつての妖夢を重ねている訳ではないと言えば、嘘になる程度には。
ただ、私はそんなにお人好しではないから。
本当に。
でもね?
「貴方、綺麗なものは好きかしら」
「? 突然何を……」
「あら、難しい質問でもないでしょう?」
「まぁ、好きか嫌いかということでしたなら、好きだけど」
「そう……私も好きよ。綺麗だもの」
「?」
「だからよ」
だから。
それだけだから。
それだけだからこそ、こうして手を出してみようと思えるのよ。
空になった湯飲みに急須の残りを注いで、再度勧めてみるも、再度断られてしまった。気にする方なのかしら。そういうの。
「冥界の物を摂取したら、貴女の所に連れて行かれるのでしょう?」
あぁ、そっちか。
「これは葉月の……と、彼女も亡霊だったわね。でも顕界の物だから、そんな事にはならないわよ」
というよりも、今時そんな伝承のようなものを信じている人も少ないものだけれど。黒白なんて冥界に来るなりお茶菓子を要求してきたというのに。
まぁでも、それも環境の差、というよりかは近しい者の差か。
吸血鬼。
悪魔の狗。
でもそう考えると、黒白の近くには巫女がいるはずなのだけれどもねぇ。まぁあの紅白も似たようなものだから、やっぱり環境の差か。
「本当に?」
「疑り深いわねぇ」
でも、そう訊ねてくる咲夜はどこか少し子供っぽいようにも見えて、その普段とのギャップに私の胸も思わず高鳴った。嘘だった。
解らないでもないわ。私もどこかの姫カットにいきなり酒の席に誘われたりしたら、それはもう底の底まで疑うでしょうから。あぁ怖い。恐ろしい。
結局最後まで疑いの眼差しのまま、けれど湯飲みは空にして、咲夜がほうと一息。
「まぁなんにせよ、今回はこのまま乗せさせてもらいますわ」
「あら、どういう風の吹き回し?」
「吹き回しも何も、貴女の言った通りよ」
お嬢様の為だもの――そう言って、咲夜は立ち上がると控えめに伸びをして、また暖簾の向こうへと消えていった。
その口元が少しだけ笑っていた、というのは言っておくべきなのだろうか。まぁ予定ではもう少し先だから、今は流しておいてもいいわよね。
「……あれで案外、バランスはいいのかしら」
再び背景となって、独り言。
妖夢と、葉月と、そして咲夜と。
そう思ったからこそここに連れてきたのだけれど、でも正直予想以上だわ。本当に。私が入る隙間もないくらい。
紫に作ってもらおうかしら、隙間。
ともあれ。
これ以上は、余計な事はすべきではない。
若者に任せて云々という訳ではないけれど、あの調子なら大丈夫でしょうし、しがない語り部は、こうして一人、お茶を啜っているのがお似合いなのよ。決して職務を放棄して楽をしようだとか、そういう事ではないのよ? 少し巻いていけと、よく解らない所からそんなお便りが寄せられたという事にしておいてちょうだいな。
それに、これこそ私が関わったら不公平というか、反則だものね。
流れるままに。赴くままに。
暖簾の向こうから響く喧噪に耳を傾けながら。
後は綺麗な花が咲くのを、待ちましょうか。
5
時は流れ、遠き山に日は落ちて。
只今準備中を知らせるという大役を任された看板の後ろ姿を眺めて早数時。西向きの店の入り口から中に伸びていた影が、闇の中に溶け込んだ頃。
「もう少し早く終わると思っていたのだけれど。いい加減待ちくたびれたわ」
「それは葉月が!」
「それは妖夢さんが!」
「二人とも反省しなさい」
「「あにゃああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ――」」
さて、きりもみ大回転しながら表の通りまで飛んでいった二人は放置するとして。
「ごめんなさいね、そろそろ戻らなくてはいけない時間でしょう?」
「別に構わないわよ。お嬢様も私がいないと何も出来ないという訳でもないのだし。仕事は……まぁ、少し溜まっているかもしれないけれど」
先程とは違って、それほど疲れた様子も見せず、手を拭いていたハンカチを仕舞う咲夜。片付けまで全部終わったということかしらね。
さてさて、ならば私も仕事を再開しましょうか。
「それで、どうだったかしら」
「おかげさまで、と返せば満足?」
そんなに深い意味を込めた訳ではないのだけれど。
優秀すぎるというのも問題なのかしらね。なんでも答えを見つけてしまう。そこに余裕があればいいのだけれど、生きている人間にそれを求めるのも酷か。
かといって、死ねば余裕が生まれるという訳でもなくて。この辺りはどうしようもないのかしらね。時間の問題。それでも、個として存在し続ける私たちのように、種として時間を重ねていけば、いつかは人間も私たちのようになれるのだろうか。
と、ここまで言っておいてなんだけど、これだとまるで私が人間ではないみたいじゃない。失礼ね、私もれっきとした人間よ。元だけど。
「いやいや、十分な物が出来ましたよ」
後ろから声をかけられて、振り返るとそこにはゾンビ――同じネタを何度も使うのは止めておきましょうか。という訳で早々と復帰してきた葉月の姿。妖夢はその向こうでまだ頭から地面に突き刺さったまま。ほんとコミカルな人生よね、あの子は。スカートが捲れたままよ、はしたない。
「そういえば、結局何を作っていたのかしら。ずっと看板を眺めていたから、知らないのよ」
「えとですね、最初は和洋折衷ということで色々と試行錯誤していたのですが、なんと言いましょうか」
「あれは大失敗だったわね」
一体何を混ぜてしまったのか。
「まさか爆発するとは思いませんでした……」
「咄嗟の判断で妖夢の半霊で押さえこんでいなければ、流石に危なかったわ」
そういえば半霊の姿が見えないけれど、なるほど納得……していいのかしら。まぁいいわよね、妖夢だし。
「最終的には、洋菓子のアイディアを取り入れつつ、和菓子本来の味を踏襲するということで」
言いつつ、葉月が暖簾の向こうへぱたぱたと駆けていって、すぐに戻ってきた。
「なるほど、和風クレープ……生地は抹茶かしら」
茶団子とかも作っていたみたいだし。それにおよそ和菓子らしくはない、それこそ洋菓子のような、華やかな見た目も中々に高得点。多分だけど、綺麗な方は咲夜で、少し整い切れていない方が葉月と妖夢か。
「おひとつ頂いても?」
返事を待って、差し出された皿に手を伸ばす。さて、これはどれを手に取るべきなのか。それぞれ一つしか作っていないというのであれば、咲夜のを取る訳にはいかないでしょうし、ならば残りは二択。けれどどちらが葉月か妖夢かなどという事は、およそ見た目では推し量れないのだから、考えるだけ無駄かしら。
「では」
結局、無作為に片方を選んでそのまま一口。反応を見るに、どうやらこちらが葉月の物だったようね。
クレープという単語だけだと、あのそこそこに大きさのある三角形を思い浮かべそうだけれど、一口サイズで包んだり花だったり、中々遊び心に溢れている。好きよ、こういうの。
「……あら」
口に入れる前からある程度の予想はついていたとはいえ、やはり実際食べてみないと解らないという事もある。
「これ、このまま店に出してみたら?」
「ほんとですか!?」
「……」
喜色満面で目を輝かせる葉月と、対照的にどこまでも興味なさげな咲夜。ううん、これもまた慣れていないの一言で済ませられるのかしらね。でも必要な事なのよ。もう一押し、最後のイベントが。
「実はそんな事もあろうかと、大量に作っておいたのです!」
時間がかかった一番の原因はそれか。葉月に暖簾の奥へと誘われて見てみれば、確かに十分な量。しかもそれらを見るに、一番多いのは咲夜の作ったものか。
「解っていて作っていたのではないの?」
「納得のいく形にならなかっただけですわ」
「貴方がそう言うのであれば、そういう事にしておきましょうか」
くすくすと、そんな風に笑うこちらが気に食わないのか、少し拗ねたような、そんな顔。案外子供っぽいというのは、それほど嘘でもないのよね。
「まぁでも、これだけを全部持って帰る訳にもいかないでしょう?」
「好きにしていただいて構いませんわ。私はこの辺りでお暇させていただきますから」
「あら、ダメよ」
遅くなって申し訳ないと謝ったのはあくまでも社交辞令というやつよ。まだまだ帰ってもらっては困るの。
「貴女ねぇ……」
そうは言いつつも、観念したかのように溜息を吐いているのは、果たして本心かしら。それとも演技?
時間を止めれば、私から逃げる事なんて容易いはずなのにね。おかしいわよね。
「自分の創った物の行く末くらい、見届けていっても罰は当たらないでしょう?」
だから、ここは尤もらしい理由を付けておく。
改めて言うけれど、まだ帰られては困りますもの。
「葉月、開店の準備よ」
「でも、今日は他に何も作っていませんよ?」
「十分よ。これだけで」
「――って、今から店を開けるの?」
おや、咲夜は知らなかったのだろうか。
「うちは、どちらかといえば夜に開ける方が多いのですよ」
葉月に言われてもまだよく解っていなさそうな辺り、やっぱり知らなかったのかしらね。
幻想郷の里にある店は、案外夜遅くまで開いている所が多い。というのも、夜は妖怪が多く訪れるためであり、夜行性の者が多い彼らに合わせているのよ。中には昼と夜で商売を替えたり、葉月のように夜だけ店を開く所も少なくない。葉月の場合は、また別の意味もあるのだけれど。その辺りは個人の問題だから、こちらからとやかく言うものでもない。本音を言えば、まぁ気にし過ぎよね。
「そんな訳で、すみませんが品出しを手伝っていただけますか? 数が多いので……」
「……仕方ないわねぇ」
二人連れだって、店内をぱたぱたと駆け回る。邪魔になるといけないから、私はまた蚊帳の外にでも行きましょうか。蚊帳の外というか、店の外。
「ほら妖夢、いつまで突き刺さっているの。ずり上げるわよ、ドロワーズを」
逆さを向いているから、用法は間違っておりません。
恥じらいというものが無いのかしらね、この子は。
「えいっ」
しかし言っても起きないので、とりあえず片足を掴んでそのまま引き上げてみた。あら、目を回したままだわ。そんなに強く吹き飛ばしたつもりはなかったのだけれど、やりすぎたかしらね。
「起きないと、戸棚のひよこ饅頭食べちゃうわよ」
「いけません幽々子さま! あれは毒です!」
おや、起きた。
「毒なの?」
「紫さまが面白そうだからと混入していました」
「紫のやりそうな事ねぇ」
でも食べちゃったわよ、四日ほど前に。というか、それはどのひよこ饅頭なのかしら。よくよく思い返してみれば、なんだか舌が痺れた物があったような、なかったような……なかったようなあったような……。
「ところで、これはどういう状況なのでしょうか」
「あら」
「ふわっ!?」
「ふわ時間?」
掴んでいた足を離したら、また頭から地面に激突したわ。まぁ当然よね。
「……いたいです」
「痛みを伴わないと構造改革は成せないのよ」
「いつから幽々子さまが首相になったんですか」
「あら、冥界では私がルールよ」
「確かにそうですけど……」
実際そうなのよね。まぁだからといって何かをする訳でもないけれど。変な事をしたら、閻魔様に土地を取り上げられかねないのだもの。おぉ怖い。世の中は怖いものだらけだわ。締切とか。おっとノイズが。
「ともあれ、一応言っておこうかしら。お疲れ様妖夢。とりあえず今回はこれで終わりよ」
「はぁ……私は何もしていませんが」
「そうね、何もしてないわね。むしろ役立たずだったわね。まぁそれもいつもの事だから、気にしなくていいわよ」
「いや、そんな言われ方をしたら、誰でも気にしますよ……」
「なら気にしなさい」
「いや、そう言われましても……」
気付けば、いつの間にか準備も終わったのか、店に灯りが灯っている。早速その光に誘われたのか、人間だか妖怪だかがふらふらと。流石に二年連続の覇者だけあって、人気はあるのよね、あの店。ほんと、昼にも開けば人間相手にはもっと優しい商売になるでしょうに。いつまで過去の事を引き摺っているのやら。
「あー……私も手伝いに行った方がいいですかね」
「今日はいいわよ。放っておきなさい」
別に、手伝いにいきたければ勝手にいけばいいのに、そうやってなんでも一々私に窺い立てている内は、妖夢もまだまだ成長は見込めないか。
はて、ところで私はこの子に成長というものを期待しているのかしら。確かに紫のところの式神みたいになれば、それはそれで色々と便利でしょうけど。
うーん、でも何かが違うのよねぇ、それは。
下手をすると、昔に逆戻りしそうだし。
「まぁでも、もう少しだけ役に立つようにはなってほしいかも」
「はい?」
「なんでもないわよ」
今になって気付いたけれど、ひょっとして私は咲いた花は見られないのではないだろうか。うーん、とんだ誤算だわ。覗きにいこうかしら。
6
「お疲れ様」
「疲れました……」
「疲れたわ……」
すっかりと夜も更けて、時間で言えばそろそろ日付が変わった頃だろうか。
――あれから。
あれから人妖が店を訪れては新商品を褒めちぎり、それが口コミで広がって、ひっきりなしに客が訪れて、目出度く完売、ようやく一息ついたというところ。
普段から働き者の咲夜とはいえ、接客業というものは初めてだったのか、慣れない仕事に珍しく気苦労以外の疲れを素直に見せている。
一方の葉月も、慣れているとはいえ今日の来客は予想外だったのか、後半は息を吐く間もなかったようで。
私と妖夢は、まぁ、星と月とそんな店の様子をずっと眺めていただけなのだけれど。
でも、これで葉月の三連覇はほぼ間違いなくなったのかしら。源五郎がどこまで迫ってくるかにもよるけれど、今の彼では少し荷が重そう。あとなんだっけ、鈴饅頭だったかしら。どこかのが美味しいという話を風の噂で聞いたけれど、それも確かめてみないと。
「それで、どうだったかしら」
あえて同じ事を聞いてみる。はてさて。
「……何が」
しかし、面白い答えは返ってこなかった。本当に疲れているみたい。
「中々良いものでしょう。自分が創った物を人が手に取ってくれるというのは」
家族や近しい人ではなく、全くの他人が自分の物を求めてくれる。それは食べ物だけでなく、他の物でも同じ事。そうして得られる物は、きっと他の何にも替えられない、掛け替えのない何か。
「まぁ……そうね」
そして咲夜にも、それはきちんとあったようで。
まぁこれは最初にも言ったとおり、おまけのようなものなのだけれど。本当に得たものは、さて、目を閉じずに見ることが出来ているのやら。お互いに。
「そういえば咲夜さん、これ……」
「あぁ、ありがとう。忘れるところだったわ」
どこかギクシャクとした素振りで、葉月が咲夜になにやら包みを渡す。考えるまでもなく、中身は咲夜が持ち帰る分だろう。
それにしても、こうも見事に解りやすいというか。咲夜はそうでもないのでしょうけど、葉月が素面で接する事が出来る相手って、いないものねぇ。妖夢とはあんな感じだし、あれはあれで両人とも楽しんでいるのでしょうけれど。
「いや、私は別に楽しんでは……」
「背景は黙りなさい」
でもやっぱり、咲夜は咲夜か。
うーん、少し残念。やっぱり覗きにいこうかしら。
「では今度こそ、私はこの辺りでお暇させていただきますわ」
「えぇ、今日はお疲れ様。気に入ってくれるといいわね、それ」
そう、彼女はあくまでもレミリアに頼まれた物を探しに来たのであって、こちらの用事も粗方済んだことだし、これ以上は流石に引き留めるつもりもない。
「あのっ」
と、背中を向けた咲夜に、葉月の声。
「なに?」
でも次の言葉が出てこないのか、言おうとして、言えなくて。
「あぁそうだ。貴女にはお礼を言わないといけないわね。ありがとう、おかげで助かったわ」
「あぇ……いえ、こちらこそ、ありがとう……ございました」
「そうね……また寄らせてもらってもいいかしら。今日はあまり私の腕を披露出来なかったから、次は特製のクッキーを焼いてくるわ」
まぁ覗きにいきたいのは山々だけど、それもまた野暮というもの。残念だけどそれはまたの機会にするとして、
「――はい!」
今日はこれでよしとしておきましょう。
「では、私達も帰るわ。いい加減眠いし」
咲夜の背中を見送って、その姿が見えなくなったところで葉月に告げる。幽霊が皆夜行性だと思ったら大間違いよ。規則正しい生活こそが長寿の秘訣。まぁ全体的に嘘だけど。私死んでるし。幽霊じゃなくて亡霊だし。
「はい、今日はありがとうございました。おかげさまで今年もなんとかなりそうです」
「私は何もしていないわよ。貴方が頑張った結果……が出るのはもう少し先だったわね」
じゃあね、と手を振って、妖夢と共に帰路につく。
これを機に、葉月ももう少し変われるといいのだけれど。というのももう杞憂かしらね。
夏場にしては、珍しく心地よいくらいの涼しい風。
まだ灯りが灯っている家もあるものの、流石に夜店も数を減らし、喧噪が懐かしくなるような静けさに包まれている。
「どうしてまた、あの人を?」
そんな道中、隣を歩く妖夢が不意にそんな事を聞いてきた。そういえばいつの間にか半霊が復活している。
「妖夢はあの娘を見ていて、何も感じなかった?」
「私がですか? うーん、相変わらず綺麗な人だなぁ、と思ったくらいでしょうか」
「あら、妖夢はああいうのがいいの?」
これは新発見だわ。
「どうしてそうなるんですか……。別にそういう意味ではなくてですね……というか、私も彼女も女の子なんですけど」
「自分で自分の事を女の子って言うのも、中々大したものよねぇ」
「……仕草だとかが一つ一つ丁寧で綺麗だということです。私も少し見習わないといけません。生憎といつも近くにいる人は反面教師にしかなりませんので」
「回避能力が上がったわね。でも、それだけ?」
「そうですね……」
絶対あの人には言わないでくださいよ、と念を押して、妖夢が歩いてきた道を振り返る。もう葉月の店は見えないけれど、見ているのはもっと先の紅い館かしら。でもそう言われると、逆に言いたくなるのが人の性というものよねぇ。とはいえ、茶化すのはやめておきましょうか。空気の読める美少女ですから。美少女。
「思っていたのと違って、なんだか少し子供っぽい部分もあるんだなぁ、って。いやまぁ、私が言えたものでもないのですけれど」
「そうね、妖夢もまだまだ子供だものね」
「……むぅ」
おや、今の妖夢なら気付くと思ったのだけれど、見込み違いだったかしら。たった一文字。されど一文字。日本語は難しいわね。
「でも、なんとなく昔を思い出しました」
「ふむ」
私からすれば昨日の事のようだけれど、これが感性の違いというやつかしら。単純に生きた年数が違い過ぎるというだけのような気もするわね。私は死んでいるけど。
「……半分正解、といったところかしら」
「半分、ですか」
「えぇ半分。でも残りの半分は、正直なところ私にも解らないのよねぇ」
改めて考えてみたけれど、やっぱり解らないものは解らない。蛇足になるからと語らなかったけれど、解らなかったから語らなかったと言う方がよっぽど正解かしら。
妖夢に倣って、歩いてきた道を振り返る。人の、妖怪の喧噪はなくなっても、夏の盛りを謳う虫の声はより一層強まっていくばかり。風はそよと髪を揺らし、私と妖夢の存在さえもどこかへ連れ去っていこうとする。それに早速運ばれてしまったのか、つい先程の事だったはずの彼女たちとの別れが、随分と前のようにも思えた。
あー。
不意に、己の内を何かが過ぎる。
最初に紅魔館で感じたものと同じ、何か。
攫われたものの替わりに風が運んできたのか、それとも攫われて隙間が空いたから、また己の奥底から浮かび上がってきたのか。
どちらかと考える間もなく、それはまたどこかへ去ろうとする。けれど、今度は逃がすことなく捕まえた。しっかりと、がっしりと。
「なるほど、そういう事か」
声にならないほどの呟きは、どうやら隣の妖夢には伝わっていないよう。
それで構わない。
元よりこれは私のもので。私だけのもので。
切っ掛けは、きっと去り際に見せた咲夜の顔。
考えても解らなかった、解答の残り半分。
どうりで、今回はやたらとあの人の事ばかりを例に出していた訳だわ。兆候はあったのね、自分でも気付いていないだけで。
そうね。あの時もこんな風によく晴れた、星の綺麗な夏の夜だったわ。
昔の妖夢を重ねていたなんてとんでもない。そう思えば、残り半分というよりかはこちらが全てか。
重ねていたのは、私自身。
恐らく、多分――いえ、きっと、まだ人だった頃の、私自身。
『お一人かしら?』
『……誰?』
『貴女のお友達』
『……うさんくさい』
『よく言われるわ』
綺麗なものが綺麗である事は、何も悪いことではない。私も彼女にそう言うべきだったか。でもまぁ、今回に限れば、それもまた私の役ではないのかしらね。
「……」
「……」
「……」
「……えい」
右手を突っ込んだ。
「もがががが」
見事に噛まれた。
「痛いじゃないの」
しかし噛まれてしまったということは、私は嘘つきだったということだろうか。失礼ね、今回は私が伝えるのであろう相手に、どうせなら楽しんでもらおうと思ってやったことなのだから、数に入れないでほしいものだわ。あぁでも、自分を偽っているという点が嘘に分類されるのであれば、それも致し方ないことか。
ふむ、優秀ね、この口は。
「幽々子さまがいきなり手を突っ込んでくるからじゃないですか」
「あまりにも馬鹿みたいに口を開いていたものだから、ちょっと試してみたくなったのよ」
「何をですか……」
「それで、ただでさえ締まらない顔をそんなに呆けさせて、どうしたの」
「……いえ、別に大したことじゃないですよ」
「ほう」
右手をわきわきと動かしてみたら、妖夢が一歩後ずさったわ。何故かしら。
「あー、本当に大したことじゃないんです。ただ」
「ただ?」
「幽々子さまにも、解らない事ってあるんだなぁ、と。そんなことをですね」
「あら、あらあら」
それは買い被りというものよ、とはあえて口に出さず、とりあえず笑っておいた。
確かに、答えが見つかったというのも、本当に偶然でしかないのだから、それがなければ、きっと解らないままだったのかもしれない。いえ、きっと解らないままだったわね。でも私もたかだか千年程度世の中を見てきただけの身。全能という訳でもないし、もしそうなれたとしても、こちらから願い下げだわ。だって、面白味が薄れてしまうでしょう?
紫だってそう。閻魔様だってそう。人も妖怪も、そして神様でさえも、全能たり得る者なんて、この世にもあの世にも存在していないのよ。
だから世界は、面白い。
幻想郷は――面白い。
でもまぁ、そろそろ私の役目も終わりそうだから、ここは一つ、締めておきましょうか。使いどころは間違えているけれど、それもまた間違いだらけだった今回の最後には相応しい。それに、私の役どころとしてはやっぱりこちらの方が性に合っている。慣れないことは、そうそうするものではないわ。
それでは。
「なんでもは知らないわよ。知っている事だけ」
妖夢が怪訝そうな顔をして、はぁ、とあまり解っていなさそうな相槌を打った。それでいいのよ。今の貴方は、それでいい。考えなえればいけない事は、後からいくらでも増えていくのだから。
たとえばそう、この場所に、幻想郷にいる限り知ることの出来ない、そんな事。
予想は出来ても、真実は永遠に知ることの出来ない、そんな事。
幻想郷は、全ての幻想が辿り着く場所。全ての幻想の、行き着く先。
故に。
故に。
「ねぇ妖夢」
呼ばれて、先を行こうとしていた妖夢がこちらに視線を向ける。
きょとんとした、でもやっぱり生真面目さの抜け切らない、そんな顔で。
「……いえ、なんでもないわ」
先程はああ言ったものの、やっぱりこれは私達が考えるべき事ではないのだろう。疑問に思う事はあっても、手を出すべきではない。だって、どうしようもないのだから。
それこそ、紫辺りに任せておけばいい類の話。
それに、今回の私はあくまでも語り部で。どこまでも語り部で。ならばそんな脇役は、そろそろ身を引くべきなのだ。後のことは誰かに任せるとして、この今という一時を。
場というものが、与えられるものではなく、求めるものならば。今この時、私は求めましょう。
どうしようもない身内と共に歩く、この夏を。
――それでは皆様、ごきげんよう。
7
レミリアは困っていた。
正直和菓子とかどうでもいいのだ。
あの女の真意は解っていたから、それならばと容易く口車に乗せられてみたものの、やっぱり和菓子とかどうでもいいのだ。
煎餅などはバリバリと囓っていられるから割と好きだが、餅とかあーいうのはほんとダメだ。
なのに、そんな物を持ってこられてしまった。
どうするべきか。
自室の執務机に肘を付いて、出された皿を睨むこと早数分。咲夜はいつも通りの澄ました表情だが、レミリアには解る。
――私に対して、まだ緊張するような心が残っていたのか。
完璧を求め、完璧を望み、そしてそれらを全て体現せしめた少女が、緊張している。
レミリアとて、人の心が解らない訳ではない。むしろ幻想郷に来てからは、すっかりと人間臭くなってしまった気さえする。
――我儘ばかりも言っていられないか。
なんにしても、自分が望んだ結果なのだ。手を出さない訳にはいかない。おのれあの亡霊女め、冥界ごと滅ぼしてくれようか、などと思ったところで後の祭だ。
「……」
腹を括って、手を伸ばす。
彼女の性格がよく表れている、綺麗に細工された菓子。クレープだというのは、せめてものこちらへの配慮の結果か。
しかし、見れば食べる事を躊躇いそうな繊細さ。
それでもレミリアが口に運ぶ手を止める事はない。
彼女が、咲夜が見ているのだから。
「――おや」
「どうかされましたか?」
「意外と美味いな」
「……」
予想外。
食わず嫌いといえばそうだが、しかし食わず嫌いというのは得てして本能的に避けているものであるからして、実際に手を出すとやはりという結果になることが大体なのだ。
しかし。
けれど。
これは、レミリアにとっては、そうでなかった。
自分好みに味付けされている訳でもない、見た目こそ洋菓子のようなそれを模しているものの、どこまでも純粋な和菓子。
殊更ゆっくりと、味わうように咀嚼して、飲み込む。
酒でもワインでもない。お茶が飲みたくなるような、けれど口に残った甘さを流すのも躊躇われるような。
とはいえ、結論は一つ。
「うん、美味い」
時間はとうに真夜中。けれど紅魔館にとって、それはもっとも活動が活発になる時間帯でもある。言うなれば、彼女たちの一日は今、これから始まるのだ。
その始まりに。
一日のスタートに。
「……当然ですわ」
太陽のような、とは形容しない。
レミリア=スカーレットは吸血鬼なのだ。
吸血鬼だから。
夜の王だから。
彼女は、こう思ったのだ。
――あぁ、満月のようだ。
と。
レミリア=スカーレットは、そう思ったのだ。
それから。
「失礼しました」
「……」
音もなく戸を閉めて退室した咲夜を見送って、レミリアは深く椅子の背もたれに身を預けた。
外を見なくても天気は解る。きっと今日は、雲一つない快晴だ。月もさぞ綺麗に見える事だろう。
けれど、どうにも外へ出る気にはなれなかった。
きっと今は、どんなに見事な月であったとしても、霞んで見えるだろうから。
「……あんな顔も出来たんだな」
閉じられた扉に向けていた視線を、目の前に置かれた小皿に落として、ほぅと一息。
「歳を取ると、世話焼きになるのかねぇ」
次にまたあの亡霊が訪ねて来た時には、対局ではなくお茶に誘ってやろうか、と考えて。
「らしくない」
レミリアは、残っていたもう一つのクレープを、粗雑に口へと放りこんだ。
「うん、美味い」