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WEEK END 第七章

2011/03/17 22:58:32
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WEEK END 第七章

床間たろひ
『第七章 WEEK END』












「遅かったじゃない。待ちくたびれたわよ?」
 癖のある蒼い髪。白すぎるほど白い肌。口元から覗く長い牙。
 燃えるように輝く緋の瞳を細めながら――レミリア様はそう言った。
「時間なんてわたしたちには無意味でしょ? 待つことすら楽しめるのが貴族……そう言ったのは誰かしら?」
 緩く波打つ金の髪。僅かに紅潮した白い頬。背中で揺れる虹の羽根。
 万華鏡のように色を変える虹の瞳を見開いて――フランがそう答える。
「ふぅ、ん。今度はそういう人格なんだ? はっ、口だけは達者ってわけね?」
「そうよ。これが今のわたし。そして最後のわたし。口だけかどうか、これから嫌ってほど見せてあげるけどね?」
 フランの歩みが止まる。
 部屋の中央で、迎え撃つように直立する。
「最後、か……そうね、いい加減この茶番にも飽きてきたし、ね」
「そうね。アンタの顔はもう見飽きたわ。今回こそは見ずに済ませたかったんだけど」
「それが運命よ。どのような道を辿ろうとも、最終的に私のところに辿り着く。見飽きたのはこっちだっての。毎度毎度飽きもせず……あんたそれしかすることないの?」
「そういう風に仕向けたのはアンタじゃない!」
 突然、フランが叫んだ。
 毛を逆立てるように羽根を伸ばし、僅かに肩を震わせて。
「わたしの能力を使うためにはアンタの『許可』が必要って……何でアンタなんかに許しを請わなきゃなんないのよ!」
 そう。
 フランと同調することで私が得た知識。
 そしてそれこそが私たちが此処にきた理由。

 あらゆるものを壊すというフランの能力は――レミリア様の許可なしでは使用できない。

 それはストッパー。危険すぎる力を持つが故の枷。
 運命を操る能力による――世界を壊す力の封殺。

 レミリア様が立ち上がる。
 黒い翼をはためかせ、部屋の中央へと歩み寄る。
「妹は姉に従うべきでしょ? それが摂理だわ」
「アンタなんかが姉だなんて……わたしはぜったい認めない」
 睨み合う。
 部屋の中央で、額をぶつける。
 二人の間の空気が撓み、空間が軋みを上げる。
 音が消え、色が消え、時間すらも消失するかと思えた瞬間に、

 ――互いの頭が爆ぜた。
 
 二人同時に放った右の拳。
 頭蓋を砕き、脳髄を撒き散らしながら、互いの身体が弾け飛ぶ。
「かははっ」
「きひひっ」
 二人は笑う。弾け飛んだ頭部を即座に復元し、壊れた顔で笑いあう。
 笑って笑って笑いながら、二人の拳が再び放たれた。レミリア様の胸に穴が開き、フランの腕が千切れ飛ぶ。互いに足を止め、防御や回避など端から考えもせず、魔力を篭めた拳を鋭く伸びた爪を一切の加減抜きで奔らせる。肉が爆ぜ、血煙が舞い、それでも二人は止めようとしない。技術も何もないまま――ぶつかりあう二つの嵐。

 私は二人の戦いを案山子のように見ている。
 空気のように、ただそこに佇むことしか許されない。
「始まったわね」
「――咲夜、さん?」
 気が付けば、隣に銀髪のメイド長が立っていた。
 腕を組み、二人の戦いをじっと見守っている。
 心なしか顔色が悪い。紙のように白い顔で、それでも毅然としたまま、腕を組んで二人を見守っている。
「見てよ。随分と楽しそうじゃない?」
 視線を戻すと、フランがレミリア様を壁に叩き付けたところだった。
「あははっ、何よ、そんなものなわけっ!?」
 フランは笑いながら、崩れた壁の下敷きになったレミリア様へと襲い掛かった。床を踏み割りながらフランが奔る。それは弾丸。自らを一発の銃弾と化し、瓦礫に向かってフランが赤熱した拳を叩き込む。
 だが――それは誘い。
 無防備に飛び込んだフランへと瓦礫が投げ付けられる。空中で身を捻って躱したフランは一瞬体勢を崩し――岩塊を投げると同時に飛び出したレミリア様が、フランの腹部を痛烈に蹴り上げた。
「がっ!?」
「まだまだぁっ!」
 音速に近い速度で天井に叩き付けられたフランに向かって、レミリア様が跳ぶ。そのまま弓のように反り返り、天井の破片と共に落ちてくるフランへと握った両腕をハンマーのように振り下ろした。凄まじい轟音と共にフランの身体が床に叩き付けられ、反動で大きく弾む。
 それでもレミリア様は手を止めなかった。
 空中で翼を、手足を広げ、両の掌に魔力を集めて、
「ほらほらほぅらっ!!」
 紅い爆光が開花する。瀑布のような光の奔流。断続的に撃ち込まれる魔力塊は留まるところを知らず、余りにも密集して叩き込まれる力の渦に周囲の空気が罅割れる。赤熱した空気が焼け爛れた白煙が悲痛な叫びを上げている。

 このままではフランが死ぬ。光に押し潰され、原型も留めず砕け散る。
 なのに――身体が動かない。心が動かない。
 今の私はただの『眼』。
 心を奪われた私にできることは、ただ物語の結末を見届けるだけ。
 視覚を共有し、心を重ねた私の肉体は、いまやただの記録装置に他ならない。

 だからこそ解る。
 戦いは――まだ終わらない。

 目を向けると、一帯は爆炎に包まれていた。
 上空には両手をだらりと垂らし、それでも油断なく炎を見つめるレミリア様の姿。
 フランの姿は見えない。と、炎の中から――白い手が伸びる。
 それに気付いた瞬間、レミリア様が弾かれたように身を躱す。白い手がぎゅっと握られる。

 次の瞬間――周囲の空間ごとレミリア様の右腕が握り潰された。

「あははははっ!」
 炎の中で、フランが笑う。
 立ち上がり、右手を掲げながらフランが笑う。
「世界を壊すことは無理でも……このくらいはできるのよっ!」
 そして再び、右手を握り締めた。
「くっ!」
 再生が追いつかないのか、傷口を押さえたままレミリア様は空を蹴る。そしてそのまま翼をはためかせ、音速を超える速度で部屋中を飛び回った。
 狙いを定めさせないようにして、再生までの時間を稼ごうという腹だろう。
 不規則に方向転換し、床を、壁を、天井を蹴って、稲妻のように跳ね回る。
「無駄よ、無駄無駄っ!」
 だがどれだけ速く飛ぼうと、吸血鬼の動体視力から逃れられるはずもない。
 フランがもう一度右手を握ると、今度はレミリア様の翼が捻じ切られた。
「ぎっ!?」
 超音速での飛行中に、翼を失えばどうなるか。
 当然の帰結として、レミリア様は速度を殺すこともできず地面に激突した。けたたましい破砕音。巻き上げられる絨毯と床板の破片。もうもうと白煙が立ち込め、衝撃の余波か入り口に立っている私たちのところまで突風が吹きつけた。
「どーせまだ生きてんでしょ? ほら、さっさと立ちなさいよ」
 未だ白煙の残る落下地点へと、フランが足を進める。
 焦りもなく、余裕の笑みすら浮かべ、ゆっくりと。
「ぐ……っ」
 レミリア様が立ち上がる。
 消失した右腕の傷口を左手で押さえ、ふらふらと。
 無限の回復力を誇るはずの肉体は無残にも血塗れで、再生の始まらない右腕を訝しげに見つめている。
「その右腕……もう戻らないわよ? なんてったってわたしに『壊され』ちゃったんだもん。いかに夜の王といえど『縁』を絶たれたからには――もう二度と、ね?」
 両手を後ろに回し、愛らしく顎を突き出しながらフランが微笑む。
 無邪気さとは程遠い、邪気溢れる笑み。
 その顔を見て、レミリア様は忌々しげに顔を顰めた。
 頭から血を流し、全身はぼろぼろで、右腕の痕からはとめどなく血が溢れ出している。
 その姿を視界に収めて満足そうに笑うと、フランは再び右手を伸ばした。
 開く。大きく指を広げる。
 まるで勝利を摘むように。
 まるで生命を詰むように。
「さて、と……じゃ、終わらせるね?」
 フランの右手がレミリア様を捉える。握り潰そうと力を篭める。
 レミリア様の身体が強張り、びりびりと、帯電しているような空気が流れ――
「あ、いっけない」
 唐突に――フランがその空気を壊した。
 片目を閉じ、悪戯っぽく舌を出し、にこにこと微笑む。
 からかうような口振りで、傷付き、背を丸めたレミリア様を見下ろしながら。
「わたしったら忘れるとこだったわ。ねぇ、お姉さま? わたしに世界を壊す許可をいただけないかしら? そうすれば……楽に殺してあげるわよ?」
 そう、告げた。
 それは勝利宣言。
 勝者から敗者への一方的な要求。
 俯いたレミリア様の肩が震えている。
 それは怯えているのか、怒っているのか。
 フランの笑みが深くなる。勝者としての余裕に溢れ、それでも油断なく挙動を見据えている。
 レミリア様の性格からいって、自ら敗北を認めることはないだろう。
 圧倒的に不利だとしても、最後の最後まで抵抗を続けるはずだ。
 それが解っているから、フランに油断はない。
 だからレミリア様に――もう勝機はない。
 レミリア様の肩の震えが大きくなる。かたかたと、がたがたと。
 足元には大きな血溜まり。そこに沈み込むように背中を丸め、震えて震えて震えて――

 堪えきれなくなったように高らかと笑った。

 敗北を受け入れた者が上げる開き直りの哄笑ではなく、
 愚かさを咎めるような――そんな見下した笑い声。
「勝者が敗者に請おうってわけ? はっ、馬鹿らしい。欲しければ力で奪いなさいな。身の程も弁えず余裕ぶろうとするから……こんな目に遭うのよっ!」
 その言葉と同時に、血溜まりから赤い筋が奔る。傷口から零れだした血はすでにフランの足元にまで広がっていて、そこから伸びた無数の帯がフランの右手を切断した。
「ちっ!」
 追撃してくる帯を躱しつつ、フランは大きく後ろに飛んだ。
 獲物を逃したと知った帯の群れは、床に転がるフランの右手に向けて殺到する。それは蛇。赤い、無数の蛇がフランの右手を喰っている。そのあまりのおぞましさに、停止したはずの私の心さえ凍りつく。
「血の中に蛇を飼ってるわけ? ったく、なんて悪趣味!」
「あら、慣れると可愛いものよ? でも……子供にはまだ早いかしらね?」
 顔を顰めるフランと、無数の蛇を従えて余裕の笑みを浮かべるレミリア様。
 先程までの構図とはまるで間逆。
 奇しくもフランは右手を失い、レミリア様の右腕は復活の兆しすら見えない。
 そういう意味では――対等か?
「ふん。蛇なんかにわたしの身体を汚せるもんか!」
 フランが手首から先を失った右腕を翳す。
 赤い霧が集まって、徐々に右手の形を成していく。
「わたしの右手は戻るけど、アンタの右腕はもう戻らない。確かに仕切り直しではあるけれど、わたしの方が圧倒的に有利だわ!」
 フランの子供じみた嘲りを前にしても、レミリア様は動じることなく、
「調子に乗ってんじゃないわよ。『縁』を切る? そんなもの――」
 左手を伸ばす。赤い霧が集まって宙に何か棒のようなものを生み出し掴み取る。
 それは右腕。新たに作り上げた自身の右腕を掴み取ると、そのまま傷口に押し当てた。
 レミリア様の瞳が輝きを増す。しゅうしゅうと肉を焦がすような音と臭いがここまで漂ってきて――レミリア様の右腕が元に戻っていた。
「切れた『縁』なんて……何度でも結んでやればいいのよ」
 繋いだばかりの右腕を確かめるようにぐるぐると回し――にたりと笑う。
 自身の右腕を再構築しただけでなく、それを無理矢理繋ぎなおすという荒業に、流石のフランも口をぽかんと開けていた。
 そして我に返ると同時に掴み掛かりそうな勢いで声を上げる。
「な、なによ、それ……デタラメじゃない!?」
「吸血鬼に何を求めてんのよ? 千切れた腕を戻したり、頭を吹き飛ばされても復活したり……おまけに運命操るとか世界をぶっ壊すとかはじめっからデタラメばっかじゃないの。今更何言ってんだか。それに……元々私たちは虚構の存在。人々に望まれて創られた人類の『敵』なんでしょ? この程度の理不尽こなせずして――今時の悪役が務まるかっての!」
 レミリア様は両腕を組み、大きく足を広げたままふんぞり返る。
 その顔には強い笑み。
 思わず見惚れてしまいそうな見事な笑み。
「ばっかにして……!」
 フランの肩が震える。
 虹の瞳が輝きを増し、込み上げる魔力が炎を成す。
「もう、いいわ。世界なんてもうどうでもいい……アンタだけはぜったいに殺してや――」
「あ、ちょっとタンマ」
 フランの足元から噴き上げる炎が頂点に達しようとした矢先に――レミリア様がそれをあっさりと止めた。
 肩透かしを食らったフランが、思わず前につんのめる。
「な、なによ!?」
「このままやっても、どうせ無駄でしょ? お互い吸血鬼なんだし、いつまでもケリなんかつかないわよ。それより……私とゲームをしない?」
「げ、げーむ?」
「そ。今、幻想郷で大ブレイクしているものよ。これ……何だかわかる?」
 そう言ってレミリア様が突き出した右手には、一枚のカードが握られていた。
 ここからではよく見えないが、トランプよりも一回り大きく、不思議な文様が描かれている。あれは……タロットだろうか?
「これは『スペルカード』というものよ。これを使って行われる決闘法で、いまや幻想郷でこれを知らない者はモグリと言われているわ。フランだって……とーぜん知ってるわよね?」
「…………」
「あれあれー? まさか知らないのー? やーだ、フランちゃんったら……おっ・く・れっ・て・るー♪」
 ものすごく素敵な笑顔を浮かべて、レミリア様はそうのたまった。
 うん、あの顔はすんごく腹立つ。いじめっこオーラ全開でものすごく生き生きしている。
 おそるおそるフランの方に顔を向けると、予想通り肩どころか全身をぶるぶると震わせ、あまりの悔しさに涙すら浮かべていた。
「しかたないわねぇ……この優しくて心のひろーいお姉さまが手取り足取り教えてあげましょうか? 『お願いしますお姉さま。無知で哀れなこのわたくしめに、ひとつご教授願えないでしょうか』そう言ってごらんなさい? 三十秒くらいは考える振りをしてあげるわよ?」
 そこまでやっても教えてやらないのかよと、停止した心の中でさえ思わず突っ込む。
 というかいつの間にやら自分の意思と身体の支配権が戻ってきているらしい。
 試しに拳を握るとちゃんと思い通りに動くし、足も普通に動く。
 フランの方は頭に血が昇りすぎて、咄嗟に言葉が出てこないようだ。怒りのあまり私のコントロールも忘れているらしい。
「し、知ってるわよそれくらい! ちょ、ちょっと待ってなさいよっ!」
 ようやく立ち直ったフランの瞳がちかちかと瞬く。
 世界そのものとアクセスしているのだろう。
 程なくして、血で繋がっている私の頭の中にもその知識が流れ込んできた。

『命名決闘法案』

 ひとつ、決闘の美しさに名前と意味を持たせる。
 ひとつ、開始前にカードの回数を提示する。体力に任せて攻撃を繰り返してはならない。
 ひとつ、意味のない攻撃をしてはならない。意味がそのまま力となる。
 ひとつ、命名決闘で敗れた場合は、余力があっても負けを認める。
 ひとつ、決闘の命名を契約者と同じ形式で紙に記す。それにより上記規則は絶対となる。

「ふぅ、ん。面白そうじゃない?」
「でしょ? 私たちにはピッタリの決闘法だわ」
 正直なところ、私の脳みそじゃルールだけ聞かされても今ひとつピンとこない。
 だけどフランはそれだけで全てを理解したようで、ぶつぶつと呟きながら対策を練っているようだ。
「カードそのものは魔力を編めば作れるでしょ? 問題は弾幕のパターンだけど」
「問題ないわ。実際にプレイしている記録もダウンロードしたもの。ふん、抜け道のないスペルは反則ってわけね?」
「そういうこと。『初見殺し』と呼ばれるスペルもあるけど、カード名からそれを推察することも必要ってわけ。まぁ、基本的にはただのパズルよ。当然、反射神経や身のこなしがものを言うけれど……どれだけ華麗な弾幕を生み出せるかがこの戦いの肝となるわ」
「被弾したら負け?」
「そういうこと。残機は……そうね、互いに三つ。つまり三発被弾したら負けよ」
「一方がスペルカードを使用している間、もう片方は躱すだけ?」
「いいえ。躱しながら反撃も可能よ。その場合カード使用者が被弾しても残機は減らないけれど、そこでそのスペルカードは破棄される。つまり攻撃権が相手に移行するって寸法よ。さっき言った『初見殺し』のスペルなんかは発動前に潰すといった判断も必要ね」
「使用カード数は?」
「そうね……七枚ってところかしら。その辺りが妥当と思うけれど」
「いいわ。それでいきましょう。で……肝心なことを聞いておきたいんだけど」
「無論――私が負けたら、貴女に掛けられた制限を解くわ」
「神に誓って?」
「私に誓って」
 二人は向き合ったまま、にたりと笑う。
 改めて見ると、二人の姿は鏡に映したように良く似ていた。
「んじゃ……そろそろヤる?」
「わたしは初心者だしね。先行は譲るわ。まずはお手並み拝見ってところね?」
「安心なさい。最初のうちは隅から隅まで手抜かりなく、手を抜きまくってあげるわよ」
「では――」
「そろそろ――」

「「はじめましょう!!」」

 二人同時に後ろに飛ぶ。
 スペルカードによる決闘では、一定の距離を開ける必要があるのだろう。
 互いに向かい合ったまま壁際まで跳び、おもむろにレミリア様がカードを取り出した。

 ――獄符『千本の針の山』 

 レミリア様の宣言と共に、無数のナイフが虚空に浮かぶ。
 数えるのも馬鹿らしくなる程のナイフが渦を巻き、左右から押し潰すようにフランへと迫る。
 だが迫りくるナイフを前に、フランは涼しげに笑って、
「ふん、交差弾幕ってやつね! こんなものちょっと動くだけで――ほら!」
 綺麗な放物線を描いて飛来するナイフはそれ故に軌道が読みやすい。
 フランが予測交錯地点から一歩足を踏み出しただけで、ナイフの群れは掠りもせず左右に分かれていく。
 だが――
「なっ!?」
 交差地点の隙間に身を投じたフランへと、今度は粒状の弾幕が殺到した。ナイフの壁で動きを制限してからの追尾弾が、フランの身体に直撃する。
「あらあらー、もう被弾しちゃったわけ? はん、これじゃあっさり決着つきそうね? あー期待はずれだわー。まっさかフランちゃんともあろうものが、たかがこの程度の策に引っ掛かるなんて。姉として恥ずかしくなるわー」
「ふ、ふざけんじゃないわよ! 足を止めてからの追尾弾なんて反則じゃない!? 抜け道なしの弾幕はルール違反だったはずよっ!」
 直撃とはいえ、大した威力ではなかったのだろう。
 フランは猛然と抗議している。だが、それは――
「何言ってるのよ。もう少し後ろで躱していれば、ナイフの隙間も大きくなっていたはずだわ。当然狭い範囲とはいえ、追尾弾を躱す余地もできる。だというのに前に踏み出して逃げ場を塞いでしまったのは貴女でしょう? 余裕ぶって舐めてるからそんなことになるのよ?」
 その通りだった。
 離れて見ていた私には、ナイフや弾幕の軌道が手に取るように解った。
 ここはレミリア様の言うとおり、一歩下がって様子を見るべきだったのだ。
 熱くなると考える前に踏み出すのは私の欠点でもあるけれど、今回は見事にそれを突かれた形である。
「く……っ! いいわ。一本目はそちらということで……じゃあ、次はわたしの番ね!」
「ええ、そうよ。さぁ、貴女の弾幕を見せてごらんなさい?」
「魅せてやるわよ――ほぅらっ!」
 ぐっと身を屈めたフランは、その握り締めた拳を高々に空へと突き上げた。
 拳から高密度の魔力が迸り、巨大な魔力塊が天井を突き破って空を昇っていく。
 放たれた魔力塊によって天井に開けられた大穴は広がっていき、やがて轟音と共に天井が崩れ落ちる。
 私の頭上にも瓦礫が落ちてきて、悲鳴と共にしゃがみこもうとした時――ふっ、と身体から重さが消えた。
「大丈夫?」
「あ、咲夜さん……」
 時を止めたのだろう。周囲には無数の瓦礫が落ちているというのに、私の身体には傷ひとつない。
 咲夜さんに抱えられ、瓦礫によって生じた歪なオブジェが立ち並ぶ只中に、ぽつんと佇んでいる。
「あ、その……ありがとうございます……」
「礼はいいわ。それより……ほら」
「え? ……あっ!?」
 天井が綺麗になくなり、その先には煌々と光る月。
 真円を描くその月から、星の光が降ってくる。

 ――禁弾『スターボウブレイク』

 フランの宣言と共に、七色の星が地上へと降り注いだ。
 光速を超えた時に生じると言われる円環の虹。その余波が、衝撃波が、地上へと叩き付けられる。
「ははっ! 中々やるじゃない!」
「そのまま星の光に埋もれるといいわっ!」
 降り注ぐ星を笑いながら回避するレミリア様。星の光は尽きることなく、雨のように降り注ぐ。
 軽やかにステップを踏みながら、踊るように、舞うように。
 だけど――
「……まずいわね」
 咲夜さんがぽつりと呟いた。
 振り向くと、親指の爪を噛みながら眉を顰めている咲夜さんの姿。
「なにが、でしょうか?」
 その剣呑な雰囲気に怯えながらおそるおそる問い掛けると、咲夜さんは爪から口を離し、こちらを向いた。
「正面、或いは側面からの攻撃であれば、比較的に回避は容易いわ。多少の高低差はあれど二次元的に対処することができる……だけど上からの攻撃となると三次元的な回避能力が要求されるのよ。ましてや意志を持って放たれる弾幕と異なり、あの星は重力に引かれて落ちてくる。多少の風で容易く軌道を変え、弾道予測は非常に難しくなるわ……ほら、御覧なさい?」
 振り返ると、降り注ぐ星の数は増しており、それを躱すレミリア様の顔からも余裕が消えていた。
 常に顔を上に向けていなければならず、そのせいか身体のキレがいつもより悪い。おまけに――
「あっ!?」
 足元の瓦礫に足を取られる。それは転倒するには及ばない、ほんの少しバランスを崩しただけに過ぎないもの。
 だが――それで十分だった。バランスを崩したレミリア様へと星々が殺到する。ひとつ、ふたつ、いやみっつ――被弾し、転倒したレミリア様へとなおも星は降り注ぎ、その身を押し潰そうと輝きを増していく。粉塵が、爆音が、周囲を覆いつくす。 
「あははっ、いつも偉そうにふんぞり返ってるから、こうして足元を掬われるのよ!」
 降り注ぐ星をバックに、フランが笑う。
 楽しそうに、牙を剥き出しにして。
「これで一対一よね? 面白くなってきたわ」
 フランは見据える。
 粉塵の中でも翳ることのない紅の瞳を。
 レミリア様が立ち上がる。衣服はぼろぼろで、身体中傷だらけ。吸血鬼の回復力でもおいそれと修復できないほどに傷つきながら、それでも膝を屈することなく。
「それとももうギブアップかしら? ふふん、ひっどい様じゃない。そんなんで次のラウンドなんてできるの?」
 無言で睨むレミリア様に対し、フランは嘲笑を畳み掛けた。
 こういう時にこんな感想は適切ではないと思うけど、にたにたと笑うフランを見ながら、私にもこんな一面があったんだなぁと思い知らされる。
 弱者を嬲るような真似に嫌悪感を抱きながらも、心の奥ではそういうものを望んでいたのだと。それをまざまざと見せ付けられる。
「……ったく。被弾後のプレイヤーに追撃するのはマナー違反だっての。ふん、まぁいいわ。十二発も喰らったけど、ゲームとしては一機落とされただけよ。カウントは一対一。勝負はまだこれからだわ」
 自らを鼓舞するように胸を張り、
 両手を、翼を、広げる。空に浮かぶ。
 全身を紅く染め、真円を描く月を背負いながら、
「そしてアンタの言うとおりよ。面白くなって……きたじゃないっ!」

 ――天罰『スターオブダビデ』

 それは白光によって編まれた鉄格子。
 顕現した光の檻がフランの身体を包み、それと同時に不規則に連なる蒼い光弾が飛来する。
「天罰だなんて……神を気取るか、この悪魔がっ!」 
 笑いながらフランが駆ける。七色の翼をはためかせ、先の愚は犯さぬとばかりに光の途切れた瞬間を見計らって自在に駆け抜ける。
 それは束縛と開放の闘い。どちらの我が強いか、意義と意志の鬩ぎ合い。フランは避けながらも弾幕を放ち、光の檻そのものを貫こうとして――
「拮抗してるわね」
「は、はい」
 私と咲夜さんは光の乱舞を、固唾を呑んで見守っていた。
 弾幕ごっこ――二人の吸血鬼が織り成す絢爛舞踏に魅入られながら。
 戦いは好きじゃない。痛いのも苦しいのも嫌いだ。
 傷つくことも傷つけることも、何が楽しいのか解らない。
 だけど……これほど美しいものだったとは。これほど心躍るものだったとは。
 疼く。私の奥底に眠っていた何かが、ぞわりと沸き立っている。フランが妬ましい。楽しそうに踊るフランが羨ましくって仕方がない。どうして私はあそこにいないのか、どうして私は戦えないのか、ぐつぐつと奥の方から熱いものが込み上げてくる。
「貴女もやってみたい? 弾幕ごっこ」
 ふと我に返ると、咲夜さんがにまにまと笑っていた。
 楽しそうに私の顔を覗きこみ、蒼い瞳の奥に刃を潜ませながら。
「あ、いえ……私は……」
「否定することないわ。血が騒ぐんでしょ? 無理もないわ。あんなの見せられちゃね?」
「あ……その……」 
「それにしても貴女にあんな激しい面が隠れていたなんてねぇ。よっぽど我慢してたのね?」
「あ、あぅ……」
 咲夜さんは楽しそうに飛び交うフランを眺めながら、優しげな笑みを浮かべていた。
 それはまるで――はしゃぐ我が子を見守るような、そんな微笑み。
「咲夜さんは……その、知ってるんですよね?」
「今のあの子が、貴女をベースにしてるってこと? まぁ、一応、ね」
「その……責めないんですか?」
「どうして?」
「だって私……いえ、フランは、その、レミリア様に……」
 レミリア様は全て知った上で、私たちを待ち構えていたのだろう。
 ならば咲夜さんにとっても、私たちは『敵』のはず。
 なのに……こんな呑気に語り合っていてもいいのだろうか。
「気にすることないわ。喧嘩を売ったのも、世界を滅ぼそうとしているのも、あの子であって貴女ではないんだし」
「いえ、でも……」
「それに……邪魔をしたら私が殺されるわよ。私はまだ死にたくないしね? ほら、見てみなさいよ。楽しそうじゃない二人とも」
 今度はフランのターン。四人に分裂したフランが高みから光弾を放っている。
 巨大な月を背に。
 楽しそうに笑いながら――
「人だろうと妖怪だろうと、溜め込むのは身体に良くないわ。どこかで適度に発散させてやらないと」
 お肌にも悪いしね? そう言って、咲夜さんは私を見つめる。
 それは決して責めるような視線ではなく、むしろ見守るような、そんな眼差し。
「私は……」
「貴女は本当に――世界を滅ぼしたいの?」
「…………」
 フランとの意識を共有している私の耳には、今も怨嗟の声が響いている。
 世界の傷が、歪みが、責め立てる。
 早く楽にしてくれと、悲しみを終わらせてくれと。
 抗えない。何より私自身が彼らに同調している。
 この世界はやっぱり間違いで、修復できないほど歪んでいて。
 歪みは私の傷を疼かせ、もう耐え切れないほど重く苦しくて――
「私は……」
「いい。聞かないわ。貴女が自分で決めたのなら、貴女はそれに殉じればいい。私は私を貫くだけよ。そしてあの二人も、ね?」
 咲夜さんは遠くを見るような瞳で、二人の戦いを見守る。
 その瞳には無言の覚悟があって、私もまた口を噤んで二人の戦いに目を向けた。
 いつの間にかレミリア様のターンに移っており、私が振り向いた時には、高速で飛来する紅弾がフランの身体をしたたかに壁に叩き付けたところだった。
「はっはー! これで二対一ね! あと一本獲れば私の勝ちだわ!」
 レミリア様の声に、瓦礫に埋もれていたフランが身を起こす。
 自分を見下ろしている存在を見上げ、血が滲むほど唇を噛み締めて。
「うるさいわねっ! まだこれからよっ!」
 立ち上がろうとする。だが、いかに吸血鬼といえど再生回数にも限界があるのだろう。フランはふらりとよろめいて、そのまま床に膝を付いた。
「あら、もうギブアップ? だらしないわねぇ」
 レミリア様の嘲笑に、フランはぎちりと拳を握る。
 だがそういうレミリア様だって限界が近いのだろう。全身に刻まれた傷は最早修復も侭ならず、衣服はとうにぼろぼろだ。
 満身創痍――そう表現するしかない状態である。
 それでも笑って。
 誇らしげに胸を張り、下界を見下ろす夜の王。
 格の違いを見せ付けるように。
 核の違いを見せ付けるように。
 優越と余裕と威厳を振りまきながら、フランドールを見下ろしている。
「見下ろすなっ、見下すなっ、わたしを――見くびるなっ!」
 フランが立ち上がる。
 それは意地。ただの強がり。
 だからこそ挫けない。だからこそ止められない。
 歯を食いしばり、傷も厭わず、抗おうと立ち上がって――二人の視線が交差する。
 見下ろすものと見上げるもの。二つの視線が刃を交わす。
「さて……次は貴女の番よ? そして宣言する。その次の――私のターンで決着は付くわ。私が持つ最強の手札で、ね?」
「…………」
 レミリア様の、その言葉に嘘はないと気づいたのだろう。
 フランの身体がびくりと震える。
 それはこの戦いが始まってから、初めてフランが感じた恐怖。
 戦いというものは呑まれた方が負けだ。ならば今この時こそ、フランの敗北が決定した瞬間と言えるだろう。
「フラン……」
 そう呟く、私の声にも張りがない。
 これで終わり――そう、思うとどこかほっとしている自分がいる。
 私たちの願いは叶わなかったが、これ以上フランが傷つかずに済むと思えば、それも悪くないように思えた。
 最後のスペルを待つまでもない。ここで降参してしまえば――
 フランが肩を落とす。
 レミリア様の視線から逃れるように俯いている。
 俯いたまま、肩を震わせ、羽根を揺らせて、そして――
「あは、あははははははははっ!」
 笑った。
 高らかに、歌うように笑った。
「負ける? このわたしが? あんなヤツに? ありえないありえないみとめないっ! わたしはアイツを認めない!」
 そしてフランはカードを晒した。
 右手に残る三枚のカードを、レミリア様へと突きつけるように。
「次で終わりというなら、わたしは此処で決着を付ける! アンタなんかに回さない! ここで完膚なきまでに叩き潰してやるわ!」

 ――禁忌『クランベリートラップ』
 ――禁忌『恋の迷路』
 ――禁弾『過去を刻む時計』

 その言葉の意味を図りかねたのか、レミリア様の顔が怪訝に曇る。だがフランはそれに構わず言葉を続けた。
「スペルカードは力を縛る枷じゃない。力は形を与えられることで更なる輝きを示す。そう、最適な形で」
 フランの瞳が輝きを増す。
 虹の翼が光を噴き上げる。
「その上で――私は『壊』す! そう、理をね!」
「なっ!?」
 フランが三枚のカードを握り潰す。
 その途端、カードに封じられた魔力が暴走し、極光と暴嵐が吹き荒れた。
 地を這う蔓がレミリア様を拘束し、捻じ曲げられた空間が悲鳴をを上げ、砕かれた時計は時間の概念と共に虚空に散っていく。
「がああああああああああああ!?」
 拘束され、空間の断絶に身体を捻られ、時の崩壊により再生すら禁じられた夜の王が耐え難き苦鳴の声を漏らす。
 それはもはや被弾するとか言うレベルじゃない。三枚のスペルカードの同時発動による、それは完全なる圧殺。ルールすら破壊された弾幕ごっこは、今再び単なる殺し合いへと成り下がった。クランベリーの蔓は四肢を引き千切ろうと締め上げる力を強め、空間がレミリア様の身体を捻じ切ろうと軋んでいる。
 そして――フランは笑っていた。
 己の勝利を確信したかのように、酔いしれるように。
 事象の崩壊した室内で狂ったように笑い続ける虹の少女が、虚空に生じた超新星のように眩い光を放ちながら、我を認めよと産声を上げている。
 レミリア様の四肢が千切れ、肉体が四散するまであと僅か。瞬きをする間に終わる確定未来。
「ぐぅぅぅぅうううううううう――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ぁぁぁぁああああああああっ!!」
 なのに――レミリア様は『運命』にすら抗った。
 己を縛る蔓を引き千切り、
 空間の迷いを眼光で黙らせ、
 過去を刻む時計を存在から否定して!
「――――え?」
 フランがぽかんと口を開けている。
 それはそうだ。私だってその光景が俄には信じられない。
 事象すら歪んでいた室内は元に戻り、破壊の残滓だけが禍々しい爪痕を残している。
 それほどの大魔力による暴走を、力と視線と意志だけで屈服させるとは……
 だがそれで力尽きたのか、レミリア様の身体がぐらりと傾ぎ――そのまま床に倒れ込む。
「あ……あははっ! なによ、もう限界じゃない! 驚かせるんじゃ――」
 嘲ろうとしたフランの声が途切れる。
 私の呼吸も停止する。
 ただ一人、咲夜さんだけはまるでそうなることを初めから知っていたように、眉ひとつ動かすことなく――
 レミリア様が、立ち上がる。
 そのドレスを紅に染め、瞳から緋を放ちながら。
「これ、で……二対……二ね。次は……私の、ばん……よ……」
 すでに声すらまともに出せない状態にありながら、それでも口元に笑みを浮かべ、
 震える手で――カードを翳す。
「ば、ばっかじゃないの!? わたしはすでにルールを壊したわ! もうゲームは終わっている……そんなカードにもう意味なんて――」
 フランの声が震えていた。
 恐怖ではなく、畏怖によって震えていた。
 レミリア様が、緋の視線をフランに向ける。
 不敵を通り越してふてぶてしいまでの笑みを浮かべ、フランを真っ直ぐに見据えながら。
「アンタが……何をしようと関係ないわ……私は……私の理によってのみ動く。私は……私を貫いてみせる。一度や……二度転んだくらいで……道を曲げようとするような……この世界に絶望するような……そんな弱いヤツと……一緒にしないでよね?」
 切れ切れの、掠れた声で、
 それでも誇りを抱き、己を貫いて、

 ――神槍『スピア・ザ・グングニル』

 その手に持つ、最強のスペルを開放した。
 
 右手に構えしは、神すら殺す紅い槍。
 大きく足を開き、狙いを定めるかのように左手を翳し、射殺すような視線を向ける。
 全身から紅い瘴気を噴き上げ、黒の翼を雄々しく広げて、
「これが……正真正銘最後の攻撃よ。これを躱せば……アンタの勝ち、ね?」
 その言葉に、フランの瞳が輝きを取り戻す。
 怯えを消し、口元を吊り上げ、紅い槍の先端を睨む。
「はっ! そんな使い古したスペルが奥の手ってわけ!? そんな単調な攻撃が今のわたしに当たるわけないじゃない!」
 そう――その槍の記憶はフランにも刻まれている。
 彼女を磔にしていた紅い槍。だがそれは、まだフランが自我を持っていない時だからこそ受けたものだ。
 その軌道も、速さも、全てフランの記憶の中にある。全力を持って放たれる槍の速度がどれほどのものであろうとも――直線にしか飛ばない以上避けるのは容易である。
「フラン!」
 だけど私は叫んでいた。
 嫌な予感が止まらない。心臓がどきどきと荒れ狂っている。
 フランはちらりと私の方を向いて笑みを浮かべると、再びレミリア様へと向き直った。
 あの槍を前に、たとえ一瞬であろうと視線を切るなど自殺行為に他ならない。
 それを知りながら――私を安心させるためだけに笑顔を向けてくれたフランに対し、私にはもう祈ることしかできなかった。
 レミリア様の反り返った背中が、ぎちりと軋む。
 槍を握った手が、白むほどに力を篭める。

 そして――ついに槍が放たれた。

 爪先から、膝、腰、肩、肘と全身の関節を連動させながら槍を解き放つ。
 吸血鬼の、その強大過ぎる力を一点に集約した結果――真紅の槍は光に近い速度で一直線に突き進んだ。
 衝撃で床を、壁を、天井を捲り上げ、目標までの距離を嵐のように駆け抜け、まるでそれが槍の意志であるかのように歓喜の炎を噴き上げながら。
 だが、
「当たるわけないって――言ったでしょう!」
 フランの叫びと共に、世界が一変する。
 色が消える。音も消える。まるでこの部屋そのものが水底に沈んだかのように、その全てが遠くなっていく。
 フランの認識能力――世界の全てを識るフランは、時の流れすらも掌握した。
 嵐のように突き進んでいた槍が、まるで亀の歩みのように遅々として、その破砕音すらも低く、間延びしたようなものへと変わっていく。
 フランと感覚を共有している私もまた、その世界へと引き込まれる。
 それはまるで――時の止まった世界。
 必然的に咲夜さんを連想し、そちらへ顔を向けようとしたが、まるで金縛りにでも遭っているように身体が動かない。
 肉体はそのままに、精神だけが加速している。
 一秒を何百、何千、何万倍にも引き伸ばしたような世界で、認識だけが暴走している。
 だがフランの肉体は、その超加速された世界においてもフランの精神を裏切らなかった。
 ゆっくりと迫りくる槍を、笑みすら浮かべて見つめている。
 狙いは心臓。
 捻りもなく、衒いもなく、真っ直ぐに向かってくる。
 それはほんの少し身体を捩るだけで、或いはほんの一歩横に退くだけで躱せてしまうような、愚直な一撃。
 結局、フランは一歩横に退く方法を選んだ。
 そこでちょっと迷うような素振りを見せ、もう一歩、二歩、三歩離れる。
 すでにその軌道からは外れたとはいえ、あの槍の破壊力は軽視できない。紙一重で躱そうとすれば、衝撃波だけで身体を捻じ切られてしまうかもしれなかった。さっさと叩き落そうかとも思ったが、下手に攻撃して槍が爆散でもしたら堪らない。
 どこまでも理性的に判断し、最適な解を弾き出す。
 それは万分の一秒にも満たない僅かな時間。ここは彼女だけに許された閉じた世界。
 回避と同時に魔力弾を叩き込んでやろうと、
 フランが右手に力を篭めた瞬間に――

 槍が、ブレた。

「――え?」
 目を丸くするフランの前で、槍が二つに分かれていく。
 いや、二つどころではない。二つは四つ、四つは八つと、次々に分裂していき、そして無数の、無数の、無数の、無数の、無数の、無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の無数の槍が――夜空を埋め尽くす星のように。 何十、何百、何千もの槍が、フランの周囲を取り囲む!

「『飽和する世界(デフレーションワールド)』。現在過去未来全ての『可能性』を集約し、因果律すら崩壊させる。こうして見ると……やっぱ反則よね。まぁ、元は私のなんだけど」
 静止した時の中で、咲夜さんが事も無げに語る。
 瞳を――紅く輝かせたまま。
「勘違いしないで? あれは私の力じゃない、私の血を吸ったお嬢様の力よ。そして……そろそろ限界みたいね」
 私は動けない。咲夜さんの声を聞きながら、その光景を目に焼き付けることしかできない。
 何千もの槍に囲まれたフランは、その回避ルートを必死に模索する。軌道計算、弾道予測、重力偏移……それらの計測と演算を同時に行い、驚異的な速度で回避ルートを弾き出す。

 そして出た答えは――回避不能。

「ぐっ!?」
 ついにフランの思考速度に限界が訪れる。
 限界まで引き延ばされていた時間が元に戻り、無数の槍が一斉に解き放たれる。
 それでもフランは身を捩り、導き出された解に必死で抗おうとして――

「無駄よ。すでに運命は完結している。貴女の夢は――ここまでよ」

 レミリア様の声と同時に、

 一本の槍が――フランの心臓を貫いた。


  §


「がっ!?」
 貫かれたフランが、そのまま壁に吹き飛ばされる。
 あの日、あの時と同じく、フランの身体が磔にされる。
 心臓を貫くという『結果』に辿り着いた槍は、その一本を除いて全て消え去った。
 ドヴェルグの鍛冶屋イヴァルディの息子達によって生み出され、大神オーディンが持つと言われた伝説の武具。
 一度放たれれば必ず敵を貫き、その槍を翳すだけで自軍に勝利を齎すと言われた『グングニル』が、フランの心臓を貫いている。
『初見殺し』――放たれてからではもう遅い、必殺必中のラストワード。
 だからこそ、発動前に潰さなければならなかった。『グングニル』の名を聞いた時点で、フランは全力で止めなければならなかったのだ。
 だがフランは見誤った。
 過去に何度もその槍を経験しているが故に油断した。
 槍を躱され、絶望に歪んだ顔が見たいというフランの欲望が――己の夢を穢してしまった。
「ぐっ!? ぐぅぅぅうううううっ!」
 フランの口から、大量の血と一緒に苦しげな嗚咽が漏れる。
 心臓を貫いた槍は未だ赤熱しており、その周囲の肉を焼き続けている。
 それは想像するまでもない――地獄の苦しみ。

 かつん、と。
 かつんかつんかつんと、冷たく靴音が響く。
 グングニルの一撃で剥き出しになった床を、レミリア様が歩いていく。
 それは道。四九五年ものあいだ隔たれていた二人を一直線に繋ぐ道。
 その道をレミリア様は、躊躇いもなく、後悔もなく、真っ直ぐに突き進む。
 そして――かつん、と――一際高く踵を鳴らし、フランの目の前で立ち止まった。
「いいざまね?」
「――!?」
 レミリア様は冷たい視線のまま、磔になったフランを見上げている。
 いつ崩れてもおかしくないほどぼろぼろの癖に、それをおくびにも出さず。
「弾幕ごっこでも真剣勝負でも……私の勝ちね? 流石にもう動けないでしょ?」
 フランは答えない。
 凝っと、恨みがましい目でレミリア様を睨んでいる。
「とはいえ……流石に今回は堪えたわ。咲夜の血を飲んでなかったら、いくら私でも危なかったかもね? これまでアンタとは何百回と戦ったけど――これほど苦戦したのは初めてよ」
 あの娘のおかげかしらね? と、レミリア様が私へと視線を向ける。
 そしてすぐに興味を失くしたように、再びフランへと向き直った。
「さて……遊びは終わりよ。大人しく地下に戻りなさい。貴女は――夢の中でしか生きられないのだから」
 レミリア様の右手が伸びる。
 頭蓋を粉砕しようと頭部を掴む。
 それは正にあの日の再現。
 見飽きた映画の一部のように、同じ結末を繰り返すだけ。
 右手に力が篭る。
 フランの頭蓋がぴしりと軋む。
「世界は……」
 その声に、レミリア様の右手が止まった。
 それはフランの声。フランの口から漏れ出た声。
「世界は……どうなるの?」
 それは険もなく、邪気もなく、酷く透明な、掠れた声。
 どうしようもなく、どうしようもないほどに、弱々しい少女の声。
「……どうって、何がよ?」
 その声の儚さに、レミリア様が顔を顰める。
 それは掌に乗せた小兎を、その手で握り潰すが如き後味の悪さ。
 弱すぎるが故に潰すことを躊躇ってしまうような、そんな哀れな声。
「お姉さまだって知っているでしょう? 世界は歪んでいる、壊れている、間違っている! 知らないとは言わせないわ! お姉さまだって……わたしと同じじゃない!」
「…………」
「間違いは正さなきゃいけないのよ! でも……今更それは不可能だわ。これだけ人が溢れている以上、理では諭せない。法では裁けない。力では抑えることができない。だから……一度、綺麗にしないといけないのよ!」
 身を切るような血の叫び。
 本当に血を吐きながら、世界の痛みをフランは語る。
 それは子供じみた理想論。度し難き潔癖症。誰に聞かせても鼻で笑われるような、それこそ幻想の中にしか残っていない夢物語。
「だから――壊すの。世界の痛みを、わたしたちが止めるのよ!」
 夢見がちな少女にだけ許された、それは破滅の夢。
 滅びと死を貴きものとして――それに憧れる。
 穢れを病的なまでに怖れる少女が、一度は罹る甘き毒。
 だから――
「はん」
 レミリア様は鼻で笑う。
 瞳を細め、酷くつまらなそうな顔で。
「世界に不満があるなら、自分の手で変えればいい。それすらできなかった負け犬が賢しげな口を利くな。間違いを正す? 世界を綺麗にする? はっ、何様のつもりだ、おまえは?」
 とても怒っているような、こわい声。
 決して怒鳴ったわけではない。
 むしろ淡々としているというのに、ひどく危うく、つめたい声。
「お姉さまにだって聞こえているんでしょう!? 世界の痛みが、嘆きが! なんでよっ、なんでそんな平然としてられるの!?」
「世界なんて知ったこっちゃないわ。滅ぶというなら滅べばいいのよ。痛み? 嘆き? そんなもの……鬱陶しいだけだわ」
 大空を舞う鷹が、地を這う虫に気づかないように。
 そんなものは瑣末だと、
 気を留めるにも値しないと、
 
 冷たい瞳で――そう告げる。

 がくり、とフランが俯く。
 絶望したかのように顔を伏せる。
 槍に貫かれたまま、磔にされたまま、その肩が震える。
 まるで泣いているように。
 まるで嘆いているように。
 だけど――

「――言ったね?」

 顔を上げる。
 レミリア様の瞳を見据える。
 そこに浮かぶのは、凶悪なまでに凶った笑み。
「――? がっ!?」
 その笑みの意味を図りかねて怪訝に眉を顰めた瞬間、磔にされたままフランの右足がレミリア様の身体を蹴り飛ばした。
「確かに聞いたわ! 『世界なんて知ったこっちゃない』と! 『滅ぶというなら滅べばいい』と! それは『許可』したということよね!? このわたしの――能力をっ!」
 磔にされたまま、フランが『左手』を翳す。
 何かを掴もうと手を伸ばす。
 そして緩く握られた拳の中に、眩いばかりの蒼い光が――
「咲夜っ!」
 倒れたままレミリア様が叫んだ。
 その途端、隣にいたはずの咲夜さんの姿が掻き消えて――時を止め、一瞬でこの距離を踏破して――フランの左手を切断する!
 切り飛ばされた左手が宙を舞う。血も出ないほど鋭利に切り取られた左手が、きりきりと、きりきりと宙を舞い――部屋の中央に転がっていく。
 何かを掴みかけたまま、
 蒼い光を放ちながら――

「――しまったっ!?」

 咲夜さんが驚きの声を上げる。
 だが、もう遅い。
 フランの左手が飛ばされた瞬間に、すでに私は駆け出している。

 ――これが私たちの策。
 
 どれほど優位に戦いを進めようと、レミリア様が――あの自尊心の塊が――フランに『許可』を出すはずがない。
 たとえ殺されようとも、絶対に自分の負けなど認めようとしないだろう。
 だから――誘導した。
 あのような甘ったれた台詞は、プライドの高いレミリア様が一番嫌うもの。
 そしてそのような台詞を吐けば……レミリア様がどう答えるかも手に取るように解る!
 咲夜さんが隣にいるうちは動けなかった。
 穏やかな顔で会話しながらも、ずっと背中に殺気を感じていた。
 迂闊に動けば殺す――まるで常にナイフを突きつけられているようだった。
 だけどあの状況なら、咲夜さんは動く。
 時を止め、一瞬で移動して、フランがまるで見せびらかすように差し出した左手を切断するだろう。
 そして切断されるその瞬間、フランは自分で左手の角度を変え、切り飛ばされる方向と距離を調整するだけだ。
 
 あらかじめ――打ち合わせしていた通りの位置へと。
 
 駆ける。全力で駆け抜ける。
 レミリア様はもう動けない。フランは笑っている。そして――咲夜さんの目が輝く。
 蒼から紅へ。時を操る能力を発動しようとして。
 転がっていた左手を掴む。そのまま逃げるように反転する。

 背を向けた私へと――咲夜さんの能力が。

 時が止まる。咲夜さんの姿が再び消える。
 フランによる時間遅延とは異なり、完全に停止した時間の中では動くことも、認識することもできない。
 咲夜さんが時間を止めて移動できるのは約十五メートル。この位置はぎりぎり射程外のはずだが、それでもそれは一瞬だけ生命を永らえるだけに過ぎない。一瞬後には咲夜さんのナイフが私の身体を貫くだろう。フランと感覚は共有しているとはいえ、肉体的には私はただの妖精に過ぎない。録に抵抗することもできず、無残に屍を晒すだけだろう。
 だけど――
「――え?」
 動き出した時の中で、咲夜さんの放ったナイフが空しく床に突き刺さる。
 ナイフは、今の今まで私がいた場所を貫いている。
 それは躱すことも防ぐことも許さない、必殺の一撃。
 だがそれは――私が『そこにいれば』の話だ!
「空間転移!?」
 咲夜さんの叫びが遠くに聞こえる。
 空間を渡った私は、部屋の一番奥にある黒塗りの祭壇へと『翔』んでいた。
 これが――私の能力。
 フランと同調することで、初めて明らかになった私の力。
 あの時……この力があれば、ひょっとしておじいさんを救えたのだろうか。
 本当に嫌になる。どうしていつも私が気付くのは手遅れになってからなんだろう。

 咲夜さんが駆けてくる。
 流石に射程が遠すぎるのだろう。それでも私のところに辿り着くまで、あと数秒というところだろうか。
 まぁ、それだけあれば十分だ。人生を振り返るには、それだけあれば事足りる。

 視線を落とす。
 私の右手に握られた、フランの左手。
 その薄く握られた拳の中で、蒼い光が揺れている。
 それは海のように深く、空のように澄んだ蒼い珠。
 それはとても美しい蒼い珠。
 フランの手の中でゆっくり回転し、表面に浮いた大地と、棚引く雲もまたゆったりと。

 それは惑星――無数の生命を乗せて、ゆっくり回る蒼い珠。

 何よりも尊く、突付いただけで割れてしまいそうな、そんな儚い蒼い珠。

「やるのよ、ミサト! この世界を終わらせなさい!」
 愉しそうに、嬉しそうに笑いながら、
 これでやっと己の存在意義を果たせるのだと、
 やっと禁じられていた己の性能を引き出せるのだと、
 フランドールが紅い涙を流し、歓喜の叫びを上げている。

「咲夜! あいつを止めろ!」
 立ち上がることもできないまま、
 血塗れのぼろぼろの身体で、それでも必死にその身を起こし、
 血を吐くような叫びを、レミリア様が上げている。

 咲夜さんは、何も言わない。
 言葉を発する力すら惜しんで、紅い瞳のままこちらへと駆けてくる。

 だけど、もう終わり。
 あとは私がこの珠を壊すだけ。

 ふと、顔を上げる。
 あの激しい戦いの最中、奇跡的に一枚も欠けることもなかったステンドグラス。
 磔にされた聖者が其処にいる。
 全ての罪を背負い、贖罪のために己の生命すら捧げた聖者が、静かに私を見下ろしている。

 私も、そのようになれるのだろうか。
 世界を滅ぼす罪を背負い、救済へと導くことができるのだろうか。

 フランの左手に右手を添える。
 蒼い珠を、美しい珠を、その手に掛ける。 
 時を止めた咲夜さんが目の前に現れる。私を殺そうと、地面を蹴ってナイフを振り被る。
 だけどそれより早く私がその珠を握り潰すのは自明であり、それを最初から悟っていた咲夜さんの顔にはどうしようもない焦りと絶望が滲んでいて。
 そして私はゆっくりと、微笑みすら浮かべて――

「――なんて、できるわけないじゃないですか」

 咲夜さんの目が見開かれる。
 驚いた表情のまま、振りかざしたナイフを放つこともできず、私の前へと降り立つ。
「できるわけありませんよ、そんなこと」
 私は磔の聖者を見上げながら、
「できるわけ……ないじゃないですか……」
 重さに耐えかねたように、がくりと膝を付く。
 別に、世界の滅びを恐れたわけじゃない。
 死ぬことが怖くなったわけでもないし、急に人類愛に目覚めたわけでもない。
 今でもやっぱり世界は滅ぶべきだと思っているし、こんな人生はさっさと終わらせて欲しいと思っている。
 
 ただ――できない、と思った。

 自分の手で世界を壊すということが、
 その責を負うことが、罪を背負うことが、どうしてもできなかった。

 笑うしかない。だから泣きながら笑った。
 蒼の珠を、フランの左手を抱きしめて、子供のように泣いた。
 弱すぎる私には、世界を背負うことなんてできなかった。こんな穢れた私が、それでもその手を穢すことを恐れたなんて、笑うしかなかった。

 咲夜さんが表情を消して見下ろしている。
 呆れているのか、何も言わないまま私を見下ろしている。

 レミリア様が溜息を吐く。
 つまらない結末だと、吐き捨てるように、読み捨てるように。

 そしてフランは――

「……お姉さま」
「ん?」
「この槍を、退けて」
 俯いたまま、前髪に隠れて表情が伺えないまま、フランが呟く。
「負けを認めるわ……だからこの槍を退けて」
 その声に何を感じ取ったのだろう。
 レミリア様がぱちんと指を鳴らすと同時に、紅い槍は霧のように掻き消えた。
 とん、と。
 フランの足が地上に降りる。
 心臓を貫かれた痛みを感じないのか、そのままゆっくりと足を踏み出す。
 ゆっくりと。
 前髪に表情を隠したまま、こちらへと向かってくる。
 私は涙を流したまま、フランを見つめる。
 咲夜さんがすっと身を引いて、フランが目の前に立つ。
 
 跪いた私を――感情のない瞳で見下ろしている。
 それはまるで初めて会った時のような、私に何の関心も持っていない醒めた瞳。

「フラン……」
 媚びるように名前を呼んだ私に答えず、フランがそっと左腕を伸ばす。
 鮮やかな切断面を覗かせていたフランの左腕。
 たちまち私が抱きしめていた左手が消え去って、フランの左腕へと還っていく。
 再生した左手を、確かめるように握る。
 その手には、あの珠は残っていない。フランの夢は――潰えている。
「ミサト」
 フランが名前を呼ぶ。
 冷たい声で、私を呼ぶ。
「わたしたち友達だよね?」
 冷たく見据えたまま、
 何の感情も、感じさせない声で。
「二度と裏切らないって言ったよね?」
 私は答えない。
 答えられる、はずもない。
 私は裏切り者で、卑怯者で、臆病者だ。
 最後の最後に与えられた役目さえ満足に果たせなかった間抜けな道化だ。
「ミサト」
 視界が滲む。
 涙の海に、虹の瞳が揺れている。
「あなたはもう、要らないわ」
 ぽつり、と。
 見捨てるように。
 切り捨てるように。

「だから」

 だけどちょっと、
 どこかちょっと、
 冷たいはずの言葉に色が混じり、感情が混じり、そして――

 ――あなたを自由にしてあげる。

 そう言ったフランの顔が、

 涙で滲んでよく見えないことが――少しだけ心残りだった。
コメント



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