里の喧騒を遥か彼方にして、彼女は独りだった。
里のお祭り騒ぎを放置して、彼女は独りだった。
そこは薄暗く、静謐な部屋。
あるのは天井にぽかりと開いた大きな天窓から差し込む月明かりと、畳が醸すイグサの香り。そして月明かりと香りを囲う四方は、竹林柄の襖で閉ざされた八畳間。
蓬莱山 輝夜はそんな部屋の真ん中で、月明かりを浴びて正座していた。
紫の座布団の上の彼女は特に何をするでもなく、畳に落とされた視線は何を見るでもなく。
過ぎ行く時間から隔絶されるまま、部屋の外の一切から隔絶されるまま。
蓬莱山 輝夜は、月明かりを浴びて座っていた。
僅かに聞こえる規則正しい呼吸音だけを響かせて、彼女はいつもの如く独りである。
焦る事も無く、怯える事も無く、いつもの如く。
何をどうしようとも、こうして存在し続けてしまえるのだから。
何をどうしようもしなくとも、こうして存在し続けるのだから。
何て素敵な事だろう。素晴らしい事だろう。
何と言う悪夢だろう。何と恐るべき奈落か。
ぼんやりと、輝夜はそんな事を思う。
時間から隔絶されているという事は、部屋の外の一切から隔絶されているという事は、自由であり孤独であり、つまり邪魔をする者は何者も存在しないという事。
焦る事も怯える事も無いという事は、余裕と強さであり、つまり自由と孤独を使いこなせるという事。
何せ、何をしようとも何もしなくとも、いつまで経っても死なないのだから。
何せ、何もしなくとも何をしようとも、いつまで経っても死ねないのだから。
「ぁー……」
口から意味の無い単音を漏らし、それから輝夜は、足を崩しながらぐらりと上体を後ろに倒す。
衣擦れの音、畳が細身を受け止める音、長髪が畳に広がる音。
部屋の静謐は簡単に打ち破られ、そして簡単に回復した。
頭から浴びていた月光を今度は正面から浴び、仰向けのままの輝夜は光に眼を細めながら月を見上げていた。
あそこに浮かぶのは本当の月。あれこそが真の月。
それは暗闇に在り、遠く美しく、手の届かないもの。かつてはそこで暮らしていたなどと、さて、そしてよもや今ここで暮らしているなどと、はて、あの時の誰が予想しただろう。
ぼんやりしていた輝夜の口元が静かに弧を描く。
おかしな話。それはとてもおかしな話だ。
月の姫が。月の全ての民から傅かれ、全ての民から愛された月の姫が。なんと大罪を犯し、流刑に処され、流されたこの穢れた地で永らえている。
こんな事が当時の誰であれ予想など出来る訳がない。予想しようにも、そんな発想など生まれる訳がない。何せ、カグヤは月の姫だったのだから。
「……くくく」
おかしさが口から音となって零れ、それに吊られるように目尻が下がる。
それもそうだろう。こんなおかしな話、そうは無い。
幾度思い、考えても、飽きず、褪せず、面白い。
くつくつと笑みは続き、些細なおかしさに対する細波のようだった感情が、揺り返しを続ける内にやがて大きなうねりとなろうというその時。
「―――姫?」
襖の向こうから聞き慣れた声がかけられた。
途端、輝夜の笑気は消え失せ、目尻は戻り、口元は弧から一文字へ。
数秒の沈黙。
「どうかしたの?」
応じた声は、その表情と同様に平坦だった。
襖の向こうの気配は、不機嫌とも取れる輝夜の声音にも何ら動じていない。
「ウドンゲ達は里の祭りへと行きました」
「それで?」
「……どうなさいますか?」
と、聞かれても。
襖の向こうの気配は、輝夜の事を誰よりも知っている。こういう時に一々聞くまでもない程度には、色々と分かっている筈なのだが。
「…………」
返事を渋ろうとして、ふと思い直す。
そうする必要が無いからといって、そうしないままを続けて良い訳ではない。事、永く在るからといってその辺りを疎かにすると心理が病んでしまう。無論そのくらい投薬で簡単に治せるが、薬物に頼るのはそもそも蓬莱一つで充分だ。
「まず入ってきたら?」
取り敢えず、と中に入るよう促す。襖越しである必要も無いし、輝夜としては不躾に入って来られても何ら構わないのだが。
「では、失礼します」
す、と輝夜の視線の先の竹林が割れ、まずその向こうの続き間が薄闇に照らされる。
それから、襖の動くままに続き間にて膝を突いた姿勢の彼女が半分現れた。
「……永琳」
音のした方向へ視線を上げ、輝夜は彼女を見上げる。
「はい」
寝そべる輝夜の頭上に現れる形となった八意 永琳は、俯き加減だった顔を上げ、括られた銀髪を揺らし立ち上がった。
それから一歩分部屋に立ち入り、また膝を突いて襖をゆっくり静かに閉じる。
永琳の緩やかな所作は、客観的には時間をかけ過ぎの行動といえた。
「そう畏まらなくても良いと思うわ。私とあなたの仲なのだし」
その行動に輝夜は軽い苛立ちを覚えたらしく、言葉は僅かに、視線には多めの非難が篭っている。
死なないからといって、時間を無駄にして良いという訳ではない。むしろ、死なないからこそ?今?という時を大事にするべきなのである。
その辺りは二人の共通事項ともいえるのだが。
「これが素です」
永い付き合いだろうに今更何を、と言葉に滲ませながら、永琳は畳を軋ませて仰向けの輝夜の方へと歩き出す。こちらの一挙手一投足を見つめる彼女の視線を浴びつつ、それを特に気にもせずに永琳は彼女の傍に正座した。
「イナバ達相手の時はそうでもないじゃない」
「下々にこのように接するのは危険ですから」
言いながら、永琳は輝夜の頭側とは逆の膝をその方向へずらしつつ立て、足先を外へ向ける。両膝の間がやや開いた片膝立ちの姿勢となった。
「……それはそうだけれど」
示し、というものだろう。それくらいは言われなくとも誰でも分かる。そんな事を敢えて言うからには、素である以上に永琳は輝夜との関係を重要視しているのだろう。
勿論、それくらいは言われなくとも輝夜は分かっている。
何しろ諸々分かっていて、その上で言っているのだから。
「どうにかしない?」
やや前傾になった永琳の手が伸びて自分の首の下に入ってくるのを感じながら、率直に輝夜は言ってみた。
「……姫としては、二人きりの時くらいはもっと砕けていた方が?」
輝夜の首下に差し入れた甲を返し、掌でその部分を優しく支えながら永琳は応える。
当然、そうだと分かっていて言っているのだろう。
輝夜は軽く瞼を閉じて息を吐く。
「……今はそんな気分だわ」
その応えを聞きながら、永琳は右足全体を宙に浮かす瞬間にそのまま自分の重心を左足に移し、更に同時に、空いた方の腕は軽く肘を曲げ、掌は外側に向いた状態で外側へ上げる。
それはほんの一瞬の事。
たん、と輝夜の首に添えられていない方の永琳の手が畳についた時には、なんとも容易く輝夜の上体は起こされていた。
「では、今夜は私の勝ちという事で」
間近に顔を向き合わせ、永琳は笑顔を見せる。
対し、輝夜はあまり面白そうではない。
「今夜は億劫になっただけよ。臍を曲げようと思えば、私もあなたもいつまででもいくらでも曲げられるんだから」
「すると今夜の姫は、少々飽きっぽいようですね?」
ふふ、と含み笑いまでした永琳は、その後輝夜から手を離し、そっと彼女の背後に回る。
どこから取りだしたものか、その手には黄色が鮮やかな鼈甲の櫛が握られていた。
「……ん、まぁそんな気分ね。根比べや勝った負けたがどうでも良いくらいには」
細やかな歯を持つ櫛に、倒れた際に乱れた髪を梳き整えられながら輝夜も笑みを浮かべる。それは月を見上げていた時とは違う笑み。
絹の如き手触りと艶を持つ長い黒髪を整えながら、永琳は口元を彼女と同じ笑みの形に歪めた。
「さて、それで里のお祭りの話だったかしら」
「はい」
「……確か行かないって言っておいたと思うのだけれど」
「ええ」
単調な返事をしつつ、永琳は練達の手付きで黒髪を整え上げていく。
「なら何でまた聞くの」
「気が変わるという事が往々にありますし。それに、そういう時に限って姫は自分から言い出しませんから」
そしてそんな時に限って、後で拗ねるのだ。それは何気ない小さな小さないじめの繰り返しであったり、無視であったり、難題であったり。
「…………」
当然の事ながら、それを指摘される側としてはあまり良い気分ではない。
永く在れば自分がどういう風に出来ているかくらいは、重々承知しているのだから。
「どうなさいますか?」
ああ言われた上で、果たして気が変わった等と言えるものだろうか?
―――勿論、本当に気が変わっていたら、どう言われていようとも輝夜はそう言う。図星を差されたからといって、本気で曲げるような臍は持ち合わせていないし、そもそもそんな気分ではないし。
「行かないわ」
故に答えは変わらない。
「そうですか」
内心の伺えない当たり障りの無い声。
そして永琳は己の主の長髪を整え終える。
聞くべくは聞き、すべきは果たした。
とすれば。
「……では、私はこの辺りで」
故に用は無くなったと判断し、櫛をしまいながら腰を浮かせる。
「待ちなさい」
「はい?」
呼び止められ、中腰のまま応えた。
「折角の水入らずなのだから。たまには長居も結構じゃないかしら」
「そうですね……姫が、そう望むのなら」
少なからぬ愉快さを孕んだ声音。
永琳に背を向ける輝夜にとって、今彼女がどんな顔をしているかは知れない。
背後からの意地悪に、はて日頃の意趣返しだろうか、それとも気紛れだろうかと曖昧に思い……それから、まあどうだろうと構わないわ、と輝夜はなんとなく考えた。
「望むわ」
少なからぬ不愉快さを孕む声音。
輝夜の後頭部を見ている永琳にとっても、表情を推して知る他無いのは同じ。
正面からの不満気に、さて今夜の方針はそうなのか、それとも気紛れだろうかと真剣に考え……それから、どうであれ対応すれば良いか、と永琳はなんとなく思った。
これは、これで。
つまりはそういう事なのだろう。
「では改めて」
「ああそれと、櫛を」
振り返った輝夜は、腰を下ろした永琳に対し手を伸ばした。
その意図は明白である。
「姫の手を煩わせる事も無いように思うんですが」
向けられた掌と輝夜の顔を交互に見、永琳は眉を八字にした。
「いいから」
「……分かりました。痛くしないで下さいよ?」
押され、永琳は懐から取り出した櫛を輝夜に渡す。
「あら、久し振りにあなたの髪を梳るからって、例え痛みを感じなかろうとも痛くするような事はない筈よ?」
櫛を手に、輝夜は敢えて不安を煽る言い方をしながら永琳に背を向けるよう促した。
「過信は危ないですよ?」
「いいからいいから」
「姫〜?」
「いいからいいから」
困った様子の永琳に対し、楽しげな輝夜。
今この時、先程の愉快さに対する不愉快さの返しが為されていた。
永琳にそれを咎める事は出来なくもなかったが、場の趨勢というものがある。ここまで輝夜の方に流れが傾いてしまっていると、とても言える状況では無いのだ。それに、流れを引き寄せてまで固辞するような事でも無い。
結局、永琳は輝夜に言われるまま促されるままに髪を預ける事になった。
「……そういえば、お祭りなのよね」
結ってあった綺麗な銀髪を解き、波打つそれに櫛を通しながら輝夜は言う。
その丁寧な手付き、鼻歌すら混じる慣れた様子は、さて己の技術に自信があるからか、それとも開き直りか。
取り敢えず、輝夜にとっては前者である。むしろ、単に恐れを知らないだけだとも言えた。 なにしろ、例え幾百年振りかの久し振りであろうとも、彼女にとっては気にするような事ではないのだ。
勿論、永琳にとっては全くそうでは無い。是非気にしてもらいたい所だった。
「あ、行かれるんですか?」
「行かないわ」
「そうですか」
「私が言いたいのは、どういった内容なのかしらという事よ」
「……それは実際に見に行くのが一番かと」
普段は自分がやっている事を、輝夜に任せている。その事に複雑で不安で焦燥にも似た想いを覚えながら、永琳は相槌を打っていく。
「見に行くのは億劫だもの。それに、他の者と同じ目線で人ごみの中に居なければならないなんて、あなたやイナバ達はともかく、私はちょっと耐えられそうにないわ」
「成る程。しかしこちらに来てからというものお祭りを備に見た事はありませんから……」
この言葉に、輝夜の手が止まった。
「?」
不意の停止を受け、永琳の表情にささやかな疑問符が浮かぶ。
「永琳」
「何ですか」
「あなた、私をダシにお祭りに行きたかったんじゃないかしら」
「あら」
何を言われるかと思えば、だ。知らず永琳は微笑を浮かべている。
「そして行こうと思えばイナバ達と共に行けたところをこうしてここに居るのは、私を慮っているのかしら? それも、立場故に―――」
「まさかそんな」
不敬だとかいう事は百も承知で、永琳は輝夜の言葉を遮った。
そして、半身振り返ると少し目が丸くなっている主に視線を合わせる。
「……そりゃあ、姫が私の行動を全く束縛していないとは言いませんが、しかしこういう事となれば別です。行きたいと思えば、ウドンゲを置いて私が行きますし」
「本当かしら」
探る眼差し。
「本当です」
流す眼差し。
「証明できる?」
「勿論ですとも」
自信ありげに言った後、永琳はふぅんと小首を傾げる輝夜の方にしっかり向き直る。
この際、梳られるのを中断するのもやむなしだろう。
「まず、先の私の言葉」
右手の人差し指が立つ。
「ふん」
「そして、今私がここに居るという事」
次いで左手の人差し指が立つ。
「ふんふん」
「以上二点で証明は完了です」
最後に、二本の人差し指が交差された。
それを受けて、素直に頷いていた輝夜の肩ががくっと落ちる。普段ならその程度で落ちる肩は無いのだが、これが永琳の顔が酷く自信満々なものだから仕方の無い所か。
「……随分あっさりしたものね。そも、私の疑いをすっかり気にして無いようだわ」
「ですから行きたければウドンゲを置いて行きますし。この私が姫をダシにするなんていうのはありえませんし」
「まあそうなのだけれどね」
「ええ、当たり前です」
少し呆れ気味の輝夜。
自信満々続行の永琳。
片や溜息を吐き、片や軽く胸を張り。
やがて、どちらからともなく小さな笑みが零れた。
お互い口に手をやって、綻んだそこを軽く隠しながら――くすくすくすくすと、楽しそうに肩を揺する。
この程度の瑣末事、二人にとっては今更言うまでもなく分かりきった事なのだ。
だがそうする事により、例え瑣末な事でも敢えて言い合う事で、永きを往く中での退屈を紛らわす事にもなる。
そうでもしなければ、とも取れるが、可能な限り前向きでなければ永遠を生きるのは難しいのだ。下手に悪い方へ思考を重ねてしまうと、考える事すら止めたくなるから。
「それで……お祭りだけど」
笑いが収まって二呼吸程度の後、三度目となる切り出しを輝夜は口にした。
「行くんですか?」
対する永琳の返しはもはや定型となった感があった。
「行かないわ」
よって平静に定型で返す輝夜である。
「お祭りというからには、笑いさざめき歌い踊る他に、色々と店がならぶのよね」
「所謂夜店というものですね。祭りによっては並ばない場合もありますが」
「そうなの?」
手の中で櫛を弄ぶ輝夜に、永琳はえぇと首肯して答える。
「店が介在する余地のないお祭りというのもあるそうですから」
「へぇ。で、今はどうなのかしら」
「あるようですね。ウドンゲからいくらかの無心を受けましたから」
そう言いつつ、永琳の見立てでは、無心は鈴仙自身の意向というよりもてゐに唆された感が強い。
……とはいえ、理由はどうあれ目一杯楽しむには懐が暖かいに越した事は無いだろう。里と交流が生まれる前では、鈴仙が祭りに行く事も無かったのだから。
「ふぅん……手間賃や小遣いは与えていたと思うけれど……?」
弄ぶのに飽きたのか、櫛の歯をカカカ、と爪で弾きながら、輝夜は軽く首を捻った。
「夜店というものは、お祭りに参加して気分の良くなっている者から小銭を巻き上げようと、値段設定が高めになっているそうですから」
「あら、がめついのね」
「経済が金銭で回っている以上は、仕方ないところですね。夜店を出す為に場所代も主催側に払っていますし、売名が主目的でも無い限りは、黒字になる程度には稼いでおかないと」
「結構な事だわ。そうやって流通が活発になるのなら、どんどん値段を吊り上げるべきね」
永琳の言葉に輝夜は、にぃ、と微笑んでみせる。
「やりすぎると痛い目を見ますよ?」
「そこは痛くならない程度にすればいいのよ。搾取のコツと一緒。生かさず殺さず」
「それが一番でしょうね」
永琳が頷き、
「そうよ」
輝夜も頷いた。
どちらも欠片ほどの揺らぎも無く、少しの疑問も無く。
それが最善、それが答えであるかのように。
「……でも夜店って何が売っているのかしら。日頃手に入る物なら、わざわざ高い時に買う必要はないから、それなりに珍奇な品を取り扱っているのよね」
「カラーヒヨコや金魚掬いに、妖怪や滑稽な顔を模ったお面、各種食べ物等、確かに夜店以外では手に入りにくい品が多いと聞きます。どれも相応の胡散臭さやいかがわしさが付き纏いますが……まぁ、買う方も半ば分かっていて買っている節があるでしょうし」
「浮かれているという事?」
言いつつ、輝夜は永琳に向きを変えるよう指で示す。
「お祭りですから」
応え、正座のまま畳に片手を付いた永琳は、そこを力点にずす、ずと向きを変えた。
今更否やなど言い出せる訳が無い。それを口に出して会話の流れを乱すのも憚られる。そして当然の如く、輝夜はそれを見越した上で会話の中、無言の指示と言う手に出たのだろう。
実に、小賢しい事だ。
髪に櫛が入っていくのを感じながら、永琳は密かに苦笑した。
「ところで永琳」
「なんでしょう」
「カラーヒヨコって、なに」
梳る手はそのままに、輝夜は素で言っている。
それも無理からぬ事だろう。強制的な隠遁生活が長かったせいで、彼女は俗な事にはかなり疎いのだから。
「文字通りな代物です。ヒヨコとは黄色いでしょう?」
「ヒヨコ色をしているわね」
「ええ、ヒヨコ色。で、カラーヒヨコは赤かったり青かったり緑だったりします」
「色取り取りね。病気なの?」
予想もしなかった無邪気な例えを受け、永琳は吹き出しそうになった笑気を押し込めるのにちょっとだけ苦労した。
「いいえ、人の手で塗られたのですよ」
「……どうして?」
「少しでも高く売る為です」
「ああ、そうか」
「ええ、そうです。ちなみに、カラーヒヨコを代表とする夜店で売られる畜生の類は、売りに出るまでの飼育環境が劣悪だからすぐ死ぬそうで。大体半月も持てば良い方だとか」
「それはそれは世話の手間が省けるわね」
「情が移るか、移ってもそう深くはないでしょうね」
「実に合理的だわ。どうせ死ぬのだから早死にした方が世話の時間も短くて済むし、命の儚さを知る意味では情操教育にも使えるし」
「生きた教材ですね」
この場に彼女等以外の誰かが居たら眉を顰めそうな会話を平然としながら、輝夜はこっそり波打つ銀髪に苦戦しつつ、永琳は時折の痛みを声にしないようにしつつ。
「全くだわ。……思っていたよりも賢しい場所なのかしらね、夜店というのは」
「かもしれません。……次回の月都万象展には、二度目ですし新しい出し物の他にいくつかの夜店を呼び込んでみては?」
「そうね、考えておくわ。次回開催時の来場者数や、イナバ達の話を聞いてからでも良いでしょうし」
「問い合わせておくべき事も幾つかあるかもしれませんね」
「列整理とかの要員を増やさなきゃならないわね」
「兎ならいくらでもいるでしょう」
「それはそうだけど……足らないなんて事にはなりそうも無い?」
「無いですね」
輝夜の疑問に、永琳は断言で返す。
妖怪化しているとはいえ、何せ兎である。勝手にどんどん増えていく。
とはいえ、所詮兎である。増えた傍から狩られたり寿命だったり不慮の事故だったりで増え過ぎない程度に減っていた。
それでも一勢力として膨大なのは間違いない。
「そう。……ああ、そういえば」
月光の下、輝夜は蠱惑的な笑みを浮かべた。
「月の方でも似たようなモノは出回っていたのかしら。カラーヒヨコだとかいう類の珍奇なのが」
どうも、輝夜はカラーヒヨコが気に入ったらしい。
「そうですね……文化的見地からすれば、あったとしても不思議はありません」
「…………」
輝夜の顔から笑みが失せ、代わりに露骨なまでの疑問が浮く。
「どうしました?」
「祭りに出た事が無いの?」
無論、そういう輝夜は出た事が無い。姫たる者は大衆の前に軽々しく姿を晒す訳にはいかないものだ。だからこそ永琳から聞き出そうと思っていたのに。
「姫」
「なに?」
「子供の頃の話ですよ? 一体何年前だと思ってるんですか」
永琳からすれば、勿論輝夜にとってもそうだろうがとてつもなく前の話である。如何に関連の話題からとはいえ、思い出すには難しい。余程強烈な出来事でもあれば話は別だが、彼女にとってのそれは蓬莱の薬を作った以後に集中し過ぎていた。
「あら、てっきり覚えているものだとばかり思っていたのだけれど」
「天才だの月の頭脳だのと色々な誉れは受けましたが、それは全般に言える事ではありませんし。まぁ……楽しい場であるという認識程度ならありますけど」
「……そう。残念だわ。でも、やはり楽しくはあったのね」
「お祭りですから。姫だって、大祭や記念行事には顔を出していたじゃないですか」
「黙って座ってじっとして手を振ったり振らなかったりしながらずっと正面へ微笑んでいるのが楽しいの?」
「失言でした」
素直に永琳は自らの過ちを認めた。それに、僅かでも考えれば言われるまでもない事だったろう。
どんな場でも賓客だった輝夜の記憶にはそればかりが色濃く残っていて、その時何を見聞きしていたかまでは記憶出来ていないのだ。
「あら、そう?」
「ええ」
永琳の肯定を受け、にやり。まさにそう形容する他ない笑みを輝夜は浮かべた。
「そう。なら、あなたのその失言によって被った私の精神的苦痛はどうやって解消しようかしらね」
「……は?」
彼女は何を言っているのか。
そんな疑問を永琳が覚えた時には、その双肩に輝夜の手が乗っている。
「えい」
「え」
視界が回った。
二人が重なって倒れる音と、銀と黒が畳に広がる音が部屋に響く。
仰向けに倒れている永琳は、頭の下には畳の硬さではなく、人肌の柔らかさがあった事から、今自分がどういう状況であるかを察した。
やがて、永琳の視界を占めていた天井が、上から現れた輝夜の顔に取って代わられる。彼女は自分が後ろへ倒れる勢いを利用して永琳を引き倒したのだろう。
「膝枕〜」
つまりそういう状態だった。
「……姫。あの、どういう」
「どうせ水入らずなんだもの、たまにはあなただって甘えたい時もあるでしょう?」
見上げる軽い困惑、見下ろす満面の笑み。
「甘えられたいんですか?」
「素直じゃないわね」
「それは姫の方こそ」
軽く睨み合う。
双方、すぐに飽きた。
「まぁ良いじゃない。たまには。今ならイナバ達も居ないし」
「それもそうですね、たまには。今ウドンゲは居ませんから」
これで鈴仙が居ようものなら、普段は輝夜のペットである彼女の事。余計な誤解を生むのは必然だ。
「……あ、髪が乱れてしまったわね」
見下ろす銀髪を見て輝夜は言う。それは言った彼女にも言える事である。長髪な上に一度仰向けに寝転べば、ほんの僅かといえども乱れるのは当然だ。
「でしたら、また梳らせて頂きますとも」
永琳は笑顔で輝夜の手の中にある鼈甲の櫛を指し示す。
「じゃあ、私もそうさせてもらうわ」
「…………」
「不安?」
「いえ、そういう訳では」
「あらそう」
「ええ」
「ねぇ永琳?」
「はい」
「イナバ達は祭りを楽しんでいるかしら」
「そうであると思います」
「あの子は後何度、祭りを楽しめるのかしらね」
「…………」
突然何を、と永琳は少しだけ怪訝な表情になる。
「興味深いわ。ヒヨコ程度では無いあの子にその時が来たら、私やあなたはどうするのかしら。どうなるのかしら。時期がくれば覚悟が出来るのかしら?」
その声音、その表情、その挙動。これ以上無い程、心底愉しげに輝夜は言った。
「でもそうすると、不意や不慮の時はどうなるのかしら。ふふ、ああ、一体どうなるのかしらねぇ?」
「……さて、その時になってみない事には」
「ん、それもそうね」
笑う輝夜を見上げ、永琳も応ずる笑みを浮かべる。
しかし笑いつつも、永琳の心は笑っていなかった。
輝夜が兎達をイナバとしか呼ばないのは、単に面倒という側面もあるだろうが、死別の際にさほど悲しまない為である。情が移ってさえいなければ、哀惜の念に堪えないような事にはならない。それこそ物のように認識すれば、数多の死を痛痒も無く受け止める事が出来る。
実際にそうしてきたのだ。
だが鈴仙は違う。
月の兎であり、すわ追っ手かと輝夜を驚かせたが故に優曇華の字を与えられた鈴仙は違う。
何せ輝夜は鈴仙をペットとして可愛がっているのだから。
不死となって以後、月の身内はもとより地上の身内の死に目に立ち会った経験が無い以上、鈴仙にその時が来たらどうなるのか、永琳には分からない。
「……姫」
「なぁに?」
「来年は、ウドンゲ等と一緒に祭りに出てみますか? 勿論、私もご一緒します」
「……ふふ、そうね。それも良いかも」
「カラーヒヨコを買ってみても良いかもしれませんね」
「それは予行練習になってしまうんじゃないかしら」
「心構えがあっても良いのでは?」
そう応えた瞬間、或いはだからこそ輝夜は鈴仙の死を楽しみにしているのではないか、と永琳は閃いた。……きっと、それで間違っていないのだろう。見方を変えれば、これ以上のイベントは無いのだから。
ならば、だ。永琳は姫の従者として、そのイベントを色褪せさせるような事は避けさせねばならない。
つまり輝夜を祭りに行かせる訳にはいかなくなった。
「あら、そういうものかしら?」
「だと思いますよ?」
思考を一切表に出さず、提案しておきながら永琳はその案を永久却下し、可能な限り妨害する事を決意していた。
「ふぅん……」
応じ、輝夜は悩むように顎に手を当てる。
死というものが遺された者にどれだけの影響を及ぼすか。事によっては遺された者のその後全てに影響を及ぼす事もあるという。
……それは、困る。
勿論そうでない可能性もあるが、初体験に楽観を持ち込むのは愚かな事だ。
とするなら、成る程永琳の気遣いも尤もだろう。
「そうね。でもカラーヒヨコ……でなくても良いかしら? ともかく、何かしら見繕ってみましょうか」
来年の祭りには行ってみよう。人いきれは好きではないが、ひょっとしたらそれも楽しいかもしれない。
笑みを浮かべて、輝夜はそう考える。
「承知しました。お供します」
例え何があろうと、その時までは絶対に祭りには行かせてはならない。その後なら構わないだろうけど。
笑みを浮かべて、永琳はそう考える。
それはそれぞれの思惑に則った形。
どうせ、どんな事が起ころうとも、いつまでも生き続けているのだ。
それなら、今ばかりを見て楽しく過ごすべきだろう。
万事万象、その悉皆をあらゆる手段で楽しむべきだ。
「ふふ、楽しみね」
「今からそれでは、疲れてしまいますよ?」
「……あら、それもそうだわ」
「ええ、そうですとも」
そうでもなければ、飽きてしまうから。
そうでもなければ、腐ってしまうから。
永遠の中、二人は蚊帳の中で蚊帳の外の事を思い、考え、そして、それぞれどう楽しもうか思案していた。
輝夜は自身の為に。
永琳は輝夜の為に。
いつもの事だ。
そしてこれからも。
里の喧騒を遥か彼方にして、里のお祭り騒ぎを放置して、彼女達は。
ずぅっと。
里のお祭り騒ぎを放置して、彼女は独りだった。
そこは薄暗く、静謐な部屋。
あるのは天井にぽかりと開いた大きな天窓から差し込む月明かりと、畳が醸すイグサの香り。そして月明かりと香りを囲う四方は、竹林柄の襖で閉ざされた八畳間。
蓬莱山 輝夜はそんな部屋の真ん中で、月明かりを浴びて正座していた。
紫の座布団の上の彼女は特に何をするでもなく、畳に落とされた視線は何を見るでもなく。
過ぎ行く時間から隔絶されるまま、部屋の外の一切から隔絶されるまま。
蓬莱山 輝夜は、月明かりを浴びて座っていた。
僅かに聞こえる規則正しい呼吸音だけを響かせて、彼女はいつもの如く独りである。
焦る事も無く、怯える事も無く、いつもの如く。
何をどうしようとも、こうして存在し続けてしまえるのだから。
何をどうしようもしなくとも、こうして存在し続けるのだから。
何て素敵な事だろう。素晴らしい事だろう。
何と言う悪夢だろう。何と恐るべき奈落か。
ぼんやりと、輝夜はそんな事を思う。
時間から隔絶されているという事は、部屋の外の一切から隔絶されているという事は、自由であり孤独であり、つまり邪魔をする者は何者も存在しないという事。
焦る事も怯える事も無いという事は、余裕と強さであり、つまり自由と孤独を使いこなせるという事。
何せ、何をしようとも何もしなくとも、いつまで経っても死なないのだから。
何せ、何もしなくとも何をしようとも、いつまで経っても死ねないのだから。
「ぁー……」
口から意味の無い単音を漏らし、それから輝夜は、足を崩しながらぐらりと上体を後ろに倒す。
衣擦れの音、畳が細身を受け止める音、長髪が畳に広がる音。
部屋の静謐は簡単に打ち破られ、そして簡単に回復した。
頭から浴びていた月光を今度は正面から浴び、仰向けのままの輝夜は光に眼を細めながら月を見上げていた。
あそこに浮かぶのは本当の月。あれこそが真の月。
それは暗闇に在り、遠く美しく、手の届かないもの。かつてはそこで暮らしていたなどと、さて、そしてよもや今ここで暮らしているなどと、はて、あの時の誰が予想しただろう。
ぼんやりしていた輝夜の口元が静かに弧を描く。
おかしな話。それはとてもおかしな話だ。
月の姫が。月の全ての民から傅かれ、全ての民から愛された月の姫が。なんと大罪を犯し、流刑に処され、流されたこの穢れた地で永らえている。
こんな事が当時の誰であれ予想など出来る訳がない。予想しようにも、そんな発想など生まれる訳がない。何せ、カグヤは月の姫だったのだから。
「……くくく」
おかしさが口から音となって零れ、それに吊られるように目尻が下がる。
それもそうだろう。こんなおかしな話、そうは無い。
幾度思い、考えても、飽きず、褪せず、面白い。
くつくつと笑みは続き、些細なおかしさに対する細波のようだった感情が、揺り返しを続ける内にやがて大きなうねりとなろうというその時。
「―――姫?」
襖の向こうから聞き慣れた声がかけられた。
途端、輝夜の笑気は消え失せ、目尻は戻り、口元は弧から一文字へ。
数秒の沈黙。
「どうかしたの?」
応じた声は、その表情と同様に平坦だった。
襖の向こうの気配は、不機嫌とも取れる輝夜の声音にも何ら動じていない。
「ウドンゲ達は里の祭りへと行きました」
「それで?」
「……どうなさいますか?」
と、聞かれても。
襖の向こうの気配は、輝夜の事を誰よりも知っている。こういう時に一々聞くまでもない程度には、色々と分かっている筈なのだが。
「…………」
返事を渋ろうとして、ふと思い直す。
そうする必要が無いからといって、そうしないままを続けて良い訳ではない。事、永く在るからといってその辺りを疎かにすると心理が病んでしまう。無論そのくらい投薬で簡単に治せるが、薬物に頼るのはそもそも蓬莱一つで充分だ。
「まず入ってきたら?」
取り敢えず、と中に入るよう促す。襖越しである必要も無いし、輝夜としては不躾に入って来られても何ら構わないのだが。
「では、失礼します」
す、と輝夜の視線の先の竹林が割れ、まずその向こうの続き間が薄闇に照らされる。
それから、襖の動くままに続き間にて膝を突いた姿勢の彼女が半分現れた。
「……永琳」
音のした方向へ視線を上げ、輝夜は彼女を見上げる。
「はい」
寝そべる輝夜の頭上に現れる形となった八意 永琳は、俯き加減だった顔を上げ、括られた銀髪を揺らし立ち上がった。
それから一歩分部屋に立ち入り、また膝を突いて襖をゆっくり静かに閉じる。
永琳の緩やかな所作は、客観的には時間をかけ過ぎの行動といえた。
「そう畏まらなくても良いと思うわ。私とあなたの仲なのだし」
その行動に輝夜は軽い苛立ちを覚えたらしく、言葉は僅かに、視線には多めの非難が篭っている。
死なないからといって、時間を無駄にして良いという訳ではない。むしろ、死なないからこそ?今?という時を大事にするべきなのである。
その辺りは二人の共通事項ともいえるのだが。
「これが素です」
永い付き合いだろうに今更何を、と言葉に滲ませながら、永琳は畳を軋ませて仰向けの輝夜の方へと歩き出す。こちらの一挙手一投足を見つめる彼女の視線を浴びつつ、それを特に気にもせずに永琳は彼女の傍に正座した。
「イナバ達相手の時はそうでもないじゃない」
「下々にこのように接するのは危険ですから」
言いながら、永琳は輝夜の頭側とは逆の膝をその方向へずらしつつ立て、足先を外へ向ける。両膝の間がやや開いた片膝立ちの姿勢となった。
「……それはそうだけれど」
示し、というものだろう。それくらいは言われなくとも誰でも分かる。そんな事を敢えて言うからには、素である以上に永琳は輝夜との関係を重要視しているのだろう。
勿論、それくらいは言われなくとも輝夜は分かっている。
何しろ諸々分かっていて、その上で言っているのだから。
「どうにかしない?」
やや前傾になった永琳の手が伸びて自分の首の下に入ってくるのを感じながら、率直に輝夜は言ってみた。
「……姫としては、二人きりの時くらいはもっと砕けていた方が?」
輝夜の首下に差し入れた甲を返し、掌でその部分を優しく支えながら永琳は応える。
当然、そうだと分かっていて言っているのだろう。
輝夜は軽く瞼を閉じて息を吐く。
「……今はそんな気分だわ」
その応えを聞きながら、永琳は右足全体を宙に浮かす瞬間にそのまま自分の重心を左足に移し、更に同時に、空いた方の腕は軽く肘を曲げ、掌は外側に向いた状態で外側へ上げる。
それはほんの一瞬の事。
たん、と輝夜の首に添えられていない方の永琳の手が畳についた時には、なんとも容易く輝夜の上体は起こされていた。
「では、今夜は私の勝ちという事で」
間近に顔を向き合わせ、永琳は笑顔を見せる。
対し、輝夜はあまり面白そうではない。
「今夜は億劫になっただけよ。臍を曲げようと思えば、私もあなたもいつまででもいくらでも曲げられるんだから」
「すると今夜の姫は、少々飽きっぽいようですね?」
ふふ、と含み笑いまでした永琳は、その後輝夜から手を離し、そっと彼女の背後に回る。
どこから取りだしたものか、その手には黄色が鮮やかな鼈甲の櫛が握られていた。
「……ん、まぁそんな気分ね。根比べや勝った負けたがどうでも良いくらいには」
細やかな歯を持つ櫛に、倒れた際に乱れた髪を梳き整えられながら輝夜も笑みを浮かべる。それは月を見上げていた時とは違う笑み。
絹の如き手触りと艶を持つ長い黒髪を整えながら、永琳は口元を彼女と同じ笑みの形に歪めた。
「さて、それで里のお祭りの話だったかしら」
「はい」
「……確か行かないって言っておいたと思うのだけれど」
「ええ」
単調な返事をしつつ、永琳は練達の手付きで黒髪を整え上げていく。
「なら何でまた聞くの」
「気が変わるという事が往々にありますし。それに、そういう時に限って姫は自分から言い出しませんから」
そしてそんな時に限って、後で拗ねるのだ。それは何気ない小さな小さないじめの繰り返しであったり、無視であったり、難題であったり。
「…………」
当然の事ながら、それを指摘される側としてはあまり良い気分ではない。
永く在れば自分がどういう風に出来ているかくらいは、重々承知しているのだから。
「どうなさいますか?」
ああ言われた上で、果たして気が変わった等と言えるものだろうか?
―――勿論、本当に気が変わっていたら、どう言われていようとも輝夜はそう言う。図星を差されたからといって、本気で曲げるような臍は持ち合わせていないし、そもそもそんな気分ではないし。
「行かないわ」
故に答えは変わらない。
「そうですか」
内心の伺えない当たり障りの無い声。
そして永琳は己の主の長髪を整え終える。
聞くべくは聞き、すべきは果たした。
とすれば。
「……では、私はこの辺りで」
故に用は無くなったと判断し、櫛をしまいながら腰を浮かせる。
「待ちなさい」
「はい?」
呼び止められ、中腰のまま応えた。
「折角の水入らずなのだから。たまには長居も結構じゃないかしら」
「そうですね……姫が、そう望むのなら」
少なからぬ愉快さを孕んだ声音。
永琳に背を向ける輝夜にとって、今彼女がどんな顔をしているかは知れない。
背後からの意地悪に、はて日頃の意趣返しだろうか、それとも気紛れだろうかと曖昧に思い……それから、まあどうだろうと構わないわ、と輝夜はなんとなく考えた。
「望むわ」
少なからぬ不愉快さを孕む声音。
輝夜の後頭部を見ている永琳にとっても、表情を推して知る他無いのは同じ。
正面からの不満気に、さて今夜の方針はそうなのか、それとも気紛れだろうかと真剣に考え……それから、どうであれ対応すれば良いか、と永琳はなんとなく思った。
これは、これで。
つまりはそういう事なのだろう。
「では改めて」
「ああそれと、櫛を」
振り返った輝夜は、腰を下ろした永琳に対し手を伸ばした。
その意図は明白である。
「姫の手を煩わせる事も無いように思うんですが」
向けられた掌と輝夜の顔を交互に見、永琳は眉を八字にした。
「いいから」
「……分かりました。痛くしないで下さいよ?」
押され、永琳は懐から取り出した櫛を輝夜に渡す。
「あら、久し振りにあなたの髪を梳るからって、例え痛みを感じなかろうとも痛くするような事はない筈よ?」
櫛を手に、輝夜は敢えて不安を煽る言い方をしながら永琳に背を向けるよう促した。
「過信は危ないですよ?」
「いいからいいから」
「姫〜?」
「いいからいいから」
困った様子の永琳に対し、楽しげな輝夜。
今この時、先程の愉快さに対する不愉快さの返しが為されていた。
永琳にそれを咎める事は出来なくもなかったが、場の趨勢というものがある。ここまで輝夜の方に流れが傾いてしまっていると、とても言える状況では無いのだ。それに、流れを引き寄せてまで固辞するような事でも無い。
結局、永琳は輝夜に言われるまま促されるままに髪を預ける事になった。
「……そういえば、お祭りなのよね」
結ってあった綺麗な銀髪を解き、波打つそれに櫛を通しながら輝夜は言う。
その丁寧な手付き、鼻歌すら混じる慣れた様子は、さて己の技術に自信があるからか、それとも開き直りか。
取り敢えず、輝夜にとっては前者である。むしろ、単に恐れを知らないだけだとも言えた。 なにしろ、例え幾百年振りかの久し振りであろうとも、彼女にとっては気にするような事ではないのだ。
勿論、永琳にとっては全くそうでは無い。是非気にしてもらいたい所だった。
「あ、行かれるんですか?」
「行かないわ」
「そうですか」
「私が言いたいのは、どういった内容なのかしらという事よ」
「……それは実際に見に行くのが一番かと」
普段は自分がやっている事を、輝夜に任せている。その事に複雑で不安で焦燥にも似た想いを覚えながら、永琳は相槌を打っていく。
「見に行くのは億劫だもの。それに、他の者と同じ目線で人ごみの中に居なければならないなんて、あなたやイナバ達はともかく、私はちょっと耐えられそうにないわ」
「成る程。しかしこちらに来てからというものお祭りを備に見た事はありませんから……」
この言葉に、輝夜の手が止まった。
「?」
不意の停止を受け、永琳の表情にささやかな疑問符が浮かぶ。
「永琳」
「何ですか」
「あなた、私をダシにお祭りに行きたかったんじゃないかしら」
「あら」
何を言われるかと思えば、だ。知らず永琳は微笑を浮かべている。
「そして行こうと思えばイナバ達と共に行けたところをこうしてここに居るのは、私を慮っているのかしら? それも、立場故に―――」
「まさかそんな」
不敬だとかいう事は百も承知で、永琳は輝夜の言葉を遮った。
そして、半身振り返ると少し目が丸くなっている主に視線を合わせる。
「……そりゃあ、姫が私の行動を全く束縛していないとは言いませんが、しかしこういう事となれば別です。行きたいと思えば、ウドンゲを置いて私が行きますし」
「本当かしら」
探る眼差し。
「本当です」
流す眼差し。
「証明できる?」
「勿論ですとも」
自信ありげに言った後、永琳はふぅんと小首を傾げる輝夜の方にしっかり向き直る。
この際、梳られるのを中断するのもやむなしだろう。
「まず、先の私の言葉」
右手の人差し指が立つ。
「ふん」
「そして、今私がここに居るという事」
次いで左手の人差し指が立つ。
「ふんふん」
「以上二点で証明は完了です」
最後に、二本の人差し指が交差された。
それを受けて、素直に頷いていた輝夜の肩ががくっと落ちる。普段ならその程度で落ちる肩は無いのだが、これが永琳の顔が酷く自信満々なものだから仕方の無い所か。
「……随分あっさりしたものね。そも、私の疑いをすっかり気にして無いようだわ」
「ですから行きたければウドンゲを置いて行きますし。この私が姫をダシにするなんていうのはありえませんし」
「まあそうなのだけれどね」
「ええ、当たり前です」
少し呆れ気味の輝夜。
自信満々続行の永琳。
片や溜息を吐き、片や軽く胸を張り。
やがて、どちらからともなく小さな笑みが零れた。
お互い口に手をやって、綻んだそこを軽く隠しながら――くすくすくすくすと、楽しそうに肩を揺する。
この程度の瑣末事、二人にとっては今更言うまでもなく分かりきった事なのだ。
だがそうする事により、例え瑣末な事でも敢えて言い合う事で、永きを往く中での退屈を紛らわす事にもなる。
そうでもしなければ、とも取れるが、可能な限り前向きでなければ永遠を生きるのは難しいのだ。下手に悪い方へ思考を重ねてしまうと、考える事すら止めたくなるから。
「それで……お祭りだけど」
笑いが収まって二呼吸程度の後、三度目となる切り出しを輝夜は口にした。
「行くんですか?」
対する永琳の返しはもはや定型となった感があった。
「行かないわ」
よって平静に定型で返す輝夜である。
「お祭りというからには、笑いさざめき歌い踊る他に、色々と店がならぶのよね」
「所謂夜店というものですね。祭りによっては並ばない場合もありますが」
「そうなの?」
手の中で櫛を弄ぶ輝夜に、永琳はえぇと首肯して答える。
「店が介在する余地のないお祭りというのもあるそうですから」
「へぇ。で、今はどうなのかしら」
「あるようですね。ウドンゲからいくらかの無心を受けましたから」
そう言いつつ、永琳の見立てでは、無心は鈴仙自身の意向というよりもてゐに唆された感が強い。
……とはいえ、理由はどうあれ目一杯楽しむには懐が暖かいに越した事は無いだろう。里と交流が生まれる前では、鈴仙が祭りに行く事も無かったのだから。
「ふぅん……手間賃や小遣いは与えていたと思うけれど……?」
弄ぶのに飽きたのか、櫛の歯をカカカ、と爪で弾きながら、輝夜は軽く首を捻った。
「夜店というものは、お祭りに参加して気分の良くなっている者から小銭を巻き上げようと、値段設定が高めになっているそうですから」
「あら、がめついのね」
「経済が金銭で回っている以上は、仕方ないところですね。夜店を出す為に場所代も主催側に払っていますし、売名が主目的でも無い限りは、黒字になる程度には稼いでおかないと」
「結構な事だわ。そうやって流通が活発になるのなら、どんどん値段を吊り上げるべきね」
永琳の言葉に輝夜は、にぃ、と微笑んでみせる。
「やりすぎると痛い目を見ますよ?」
「そこは痛くならない程度にすればいいのよ。搾取のコツと一緒。生かさず殺さず」
「それが一番でしょうね」
永琳が頷き、
「そうよ」
輝夜も頷いた。
どちらも欠片ほどの揺らぎも無く、少しの疑問も無く。
それが最善、それが答えであるかのように。
「……でも夜店って何が売っているのかしら。日頃手に入る物なら、わざわざ高い時に買う必要はないから、それなりに珍奇な品を取り扱っているのよね」
「カラーヒヨコや金魚掬いに、妖怪や滑稽な顔を模ったお面、各種食べ物等、確かに夜店以外では手に入りにくい品が多いと聞きます。どれも相応の胡散臭さやいかがわしさが付き纏いますが……まぁ、買う方も半ば分かっていて買っている節があるでしょうし」
「浮かれているという事?」
言いつつ、輝夜は永琳に向きを変えるよう指で示す。
「お祭りですから」
応え、正座のまま畳に片手を付いた永琳は、そこを力点にずす、ずと向きを変えた。
今更否やなど言い出せる訳が無い。それを口に出して会話の流れを乱すのも憚られる。そして当然の如く、輝夜はそれを見越した上で会話の中、無言の指示と言う手に出たのだろう。
実に、小賢しい事だ。
髪に櫛が入っていくのを感じながら、永琳は密かに苦笑した。
「ところで永琳」
「なんでしょう」
「カラーヒヨコって、なに」
梳る手はそのままに、輝夜は素で言っている。
それも無理からぬ事だろう。強制的な隠遁生活が長かったせいで、彼女は俗な事にはかなり疎いのだから。
「文字通りな代物です。ヒヨコとは黄色いでしょう?」
「ヒヨコ色をしているわね」
「ええ、ヒヨコ色。で、カラーヒヨコは赤かったり青かったり緑だったりします」
「色取り取りね。病気なの?」
予想もしなかった無邪気な例えを受け、永琳は吹き出しそうになった笑気を押し込めるのにちょっとだけ苦労した。
「いいえ、人の手で塗られたのですよ」
「……どうして?」
「少しでも高く売る為です」
「ああ、そうか」
「ええ、そうです。ちなみに、カラーヒヨコを代表とする夜店で売られる畜生の類は、売りに出るまでの飼育環境が劣悪だからすぐ死ぬそうで。大体半月も持てば良い方だとか」
「それはそれは世話の手間が省けるわね」
「情が移るか、移ってもそう深くはないでしょうね」
「実に合理的だわ。どうせ死ぬのだから早死にした方が世話の時間も短くて済むし、命の儚さを知る意味では情操教育にも使えるし」
「生きた教材ですね」
この場に彼女等以外の誰かが居たら眉を顰めそうな会話を平然としながら、輝夜はこっそり波打つ銀髪に苦戦しつつ、永琳は時折の痛みを声にしないようにしつつ。
「全くだわ。……思っていたよりも賢しい場所なのかしらね、夜店というのは」
「かもしれません。……次回の月都万象展には、二度目ですし新しい出し物の他にいくつかの夜店を呼び込んでみては?」
「そうね、考えておくわ。次回開催時の来場者数や、イナバ達の話を聞いてからでも良いでしょうし」
「問い合わせておくべき事も幾つかあるかもしれませんね」
「列整理とかの要員を増やさなきゃならないわね」
「兎ならいくらでもいるでしょう」
「それはそうだけど……足らないなんて事にはなりそうも無い?」
「無いですね」
輝夜の疑問に、永琳は断言で返す。
妖怪化しているとはいえ、何せ兎である。勝手にどんどん増えていく。
とはいえ、所詮兎である。増えた傍から狩られたり寿命だったり不慮の事故だったりで増え過ぎない程度に減っていた。
それでも一勢力として膨大なのは間違いない。
「そう。……ああ、そういえば」
月光の下、輝夜は蠱惑的な笑みを浮かべた。
「月の方でも似たようなモノは出回っていたのかしら。カラーヒヨコだとかいう類の珍奇なのが」
どうも、輝夜はカラーヒヨコが気に入ったらしい。
「そうですね……文化的見地からすれば、あったとしても不思議はありません」
「…………」
輝夜の顔から笑みが失せ、代わりに露骨なまでの疑問が浮く。
「どうしました?」
「祭りに出た事が無いの?」
無論、そういう輝夜は出た事が無い。姫たる者は大衆の前に軽々しく姿を晒す訳にはいかないものだ。だからこそ永琳から聞き出そうと思っていたのに。
「姫」
「なに?」
「子供の頃の話ですよ? 一体何年前だと思ってるんですか」
永琳からすれば、勿論輝夜にとってもそうだろうがとてつもなく前の話である。如何に関連の話題からとはいえ、思い出すには難しい。余程強烈な出来事でもあれば話は別だが、彼女にとってのそれは蓬莱の薬を作った以後に集中し過ぎていた。
「あら、てっきり覚えているものだとばかり思っていたのだけれど」
「天才だの月の頭脳だのと色々な誉れは受けましたが、それは全般に言える事ではありませんし。まぁ……楽しい場であるという認識程度ならありますけど」
「……そう。残念だわ。でも、やはり楽しくはあったのね」
「お祭りですから。姫だって、大祭や記念行事には顔を出していたじゃないですか」
「黙って座ってじっとして手を振ったり振らなかったりしながらずっと正面へ微笑んでいるのが楽しいの?」
「失言でした」
素直に永琳は自らの過ちを認めた。それに、僅かでも考えれば言われるまでもない事だったろう。
どんな場でも賓客だった輝夜の記憶にはそればかりが色濃く残っていて、その時何を見聞きしていたかまでは記憶出来ていないのだ。
「あら、そう?」
「ええ」
永琳の肯定を受け、にやり。まさにそう形容する他ない笑みを輝夜は浮かべた。
「そう。なら、あなたのその失言によって被った私の精神的苦痛はどうやって解消しようかしらね」
「……は?」
彼女は何を言っているのか。
そんな疑問を永琳が覚えた時には、その双肩に輝夜の手が乗っている。
「えい」
「え」
視界が回った。
二人が重なって倒れる音と、銀と黒が畳に広がる音が部屋に響く。
仰向けに倒れている永琳は、頭の下には畳の硬さではなく、人肌の柔らかさがあった事から、今自分がどういう状況であるかを察した。
やがて、永琳の視界を占めていた天井が、上から現れた輝夜の顔に取って代わられる。彼女は自分が後ろへ倒れる勢いを利用して永琳を引き倒したのだろう。
「膝枕〜」
つまりそういう状態だった。
「……姫。あの、どういう」
「どうせ水入らずなんだもの、たまにはあなただって甘えたい時もあるでしょう?」
見上げる軽い困惑、見下ろす満面の笑み。
「甘えられたいんですか?」
「素直じゃないわね」
「それは姫の方こそ」
軽く睨み合う。
双方、すぐに飽きた。
「まぁ良いじゃない。たまには。今ならイナバ達も居ないし」
「それもそうですね、たまには。今ウドンゲは居ませんから」
これで鈴仙が居ようものなら、普段は輝夜のペットである彼女の事。余計な誤解を生むのは必然だ。
「……あ、髪が乱れてしまったわね」
見下ろす銀髪を見て輝夜は言う。それは言った彼女にも言える事である。長髪な上に一度仰向けに寝転べば、ほんの僅かといえども乱れるのは当然だ。
「でしたら、また梳らせて頂きますとも」
永琳は笑顔で輝夜の手の中にある鼈甲の櫛を指し示す。
「じゃあ、私もそうさせてもらうわ」
「…………」
「不安?」
「いえ、そういう訳では」
「あらそう」
「ええ」
「ねぇ永琳?」
「はい」
「イナバ達は祭りを楽しんでいるかしら」
「そうであると思います」
「あの子は後何度、祭りを楽しめるのかしらね」
「…………」
突然何を、と永琳は少しだけ怪訝な表情になる。
「興味深いわ。ヒヨコ程度では無いあの子にその時が来たら、私やあなたはどうするのかしら。どうなるのかしら。時期がくれば覚悟が出来るのかしら?」
その声音、その表情、その挙動。これ以上無い程、心底愉しげに輝夜は言った。
「でもそうすると、不意や不慮の時はどうなるのかしら。ふふ、ああ、一体どうなるのかしらねぇ?」
「……さて、その時になってみない事には」
「ん、それもそうね」
笑う輝夜を見上げ、永琳も応ずる笑みを浮かべる。
しかし笑いつつも、永琳の心は笑っていなかった。
輝夜が兎達をイナバとしか呼ばないのは、単に面倒という側面もあるだろうが、死別の際にさほど悲しまない為である。情が移ってさえいなければ、哀惜の念に堪えないような事にはならない。それこそ物のように認識すれば、数多の死を痛痒も無く受け止める事が出来る。
実際にそうしてきたのだ。
だが鈴仙は違う。
月の兎であり、すわ追っ手かと輝夜を驚かせたが故に優曇華の字を与えられた鈴仙は違う。
何せ輝夜は鈴仙をペットとして可愛がっているのだから。
不死となって以後、月の身内はもとより地上の身内の死に目に立ち会った経験が無い以上、鈴仙にその時が来たらどうなるのか、永琳には分からない。
「……姫」
「なぁに?」
「来年は、ウドンゲ等と一緒に祭りに出てみますか? 勿論、私もご一緒します」
「……ふふ、そうね。それも良いかも」
「カラーヒヨコを買ってみても良いかもしれませんね」
「それは予行練習になってしまうんじゃないかしら」
「心構えがあっても良いのでは?」
そう応えた瞬間、或いはだからこそ輝夜は鈴仙の死を楽しみにしているのではないか、と永琳は閃いた。……きっと、それで間違っていないのだろう。見方を変えれば、これ以上のイベントは無いのだから。
ならば、だ。永琳は姫の従者として、そのイベントを色褪せさせるような事は避けさせねばならない。
つまり輝夜を祭りに行かせる訳にはいかなくなった。
「あら、そういうものかしら?」
「だと思いますよ?」
思考を一切表に出さず、提案しておきながら永琳はその案を永久却下し、可能な限り妨害する事を決意していた。
「ふぅん……」
応じ、輝夜は悩むように顎に手を当てる。
死というものが遺された者にどれだけの影響を及ぼすか。事によっては遺された者のその後全てに影響を及ぼす事もあるという。
……それは、困る。
勿論そうでない可能性もあるが、初体験に楽観を持ち込むのは愚かな事だ。
とするなら、成る程永琳の気遣いも尤もだろう。
「そうね。でもカラーヒヨコ……でなくても良いかしら? ともかく、何かしら見繕ってみましょうか」
来年の祭りには行ってみよう。人いきれは好きではないが、ひょっとしたらそれも楽しいかもしれない。
笑みを浮かべて、輝夜はそう考える。
「承知しました。お供します」
例え何があろうと、その時までは絶対に祭りには行かせてはならない。その後なら構わないだろうけど。
笑みを浮かべて、永琳はそう考える。
それはそれぞれの思惑に則った形。
どうせ、どんな事が起ころうとも、いつまでも生き続けているのだ。
それなら、今ばかりを見て楽しく過ごすべきだろう。
万事万象、その悉皆をあらゆる手段で楽しむべきだ。
「ふふ、楽しみね」
「今からそれでは、疲れてしまいますよ?」
「……あら、それもそうだわ」
「ええ、そうですとも」
そうでもなければ、飽きてしまうから。
そうでもなければ、腐ってしまうから。
永遠の中、二人は蚊帳の中で蚊帳の外の事を思い、考え、そして、それぞれどう楽しもうか思案していた。
輝夜は自身の為に。
永琳は輝夜の為に。
いつもの事だ。
そしてこれからも。
里の喧騒を遥か彼方にして、里のお祭り騒ぎを放置して、彼女達は。
ずぅっと。