穂積名堂 Web Novel -既刊公開用-

WEEK END 第三章

2011/03/16 23:45:31
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WEEK END 第三章

床間たろひ
「第三章 SILENT JEALOUSY」







「おとーちゃんのたーめならえーんやーこーら♪」
「おかーちゃんのたーめならえーんやーこーら♪」
 遠くで妖精たちの歌声が聞こえる。
 壊れた聖堂の修理をしているのだろう。昨日も忙しそうに飛び回る妖精たちの姿を見かけたが、二人一組で材木を運び、自然に役割分担が行われ、みなテキパキと働いていた。
「ほらーそこー! サボってないで働けー!」
 美鈴さんの怒鳴り声も聞こえる。黄色いヘルメットを被り、首にタオルを巻いて陣頭指揮を執る姿は、何故か門番をしているよりも板についている気がした。
 みんな忙しそうに働いている。
 姿は見かけないが、きっと咲夜さんも忙しそうにしていることだろう。
 そして私といえば……朝からベッドに転がったまま。
 何もせず、
 無駄に、無為に、天井の染みを数えるだけ。
「昨日は徹夜だったんでしょ? いいから寝てなさいって」
 そんな美鈴さんの言葉に甘え、何もせずベッドに転がっている。
 確かに徹夜明けではあるけれど、ちっとも眠くなんかないってのに。
 溜息が零れる。
 溜息を零すたびに、幸せが逃げていくと言ったのは誰だったか。
 それが本当なら、幸せを使い果たした後は何で購えばいいのだろう。
 そしてまた、溜息ひとつ。
 幸せも、またひとつ逃げていく。
 明け方――地下から戻った私が見たものは、忙しそうに働く妖精たちとそれを指揮する美鈴さんの姿。
 怒鳴られながら、蹴飛ばされながらではあるが、みんな一生懸命働いていた。汗を流し、掛け声も高らかに。
 その中には――あの子たちの姿もあった。
 初日だけ一緒に働いた妖精たち。モップを持ってちゃんばらし、調子はずれの歌を歌い、おもらしをしてびーびー泣いて……最後まで働こうとしなかったあの子たち。
 だけど今は、楽しそうに、
 陽気に笑いながら、一生懸命――働いていた。

「……なによ、私がどれだけ怒鳴っても働かなかったくせに」

 つまらない嫉妬だと解っている。
 つまらない感傷だと悟っている。
 溜息が、またひとつ。
 幸せも、またひとつ。
 相当酷い顔をしていたのだろう。手伝おうと声を掛けた時、振り返った美鈴さんは目を丸くし、そして即座に私を部屋へと戻した。
 それは私を気遣ってのもの。
 だけど体よく追い返されたようなもの。
 おまえなんかいらないと――そう言われたような気がした。
「……役立たず、か」
 妖精たちは自分の身体より大きな荷物を抱え、今もてきぱきと働いている。外国の伝承では一晩で立派なお城を建てた妖精もいるそうで、流石にそこまではないにしてもきっと私の何倍も役に立っていることだろう。
 私と違って。
 私なんかと違って。
「何やってんだろ、私……」
 フランドール・スカーレットの世話係――それが私の仕事。
 彼女を慰め、彼女を癒し、彼女を満たすことが私の使命だというのに。
 
 目を閉じる。
 昨夜の記憶が、じわりと浮かび上がってくる。

 何もない部屋だった。
 寒々とした、色というものに欠ける部屋だった。
 中央には豪華なベッドがあるし、サイドテーブルには花も飾ってある。壁には大判の絵画が掛けてあったし、床には高そうな絨毯もひいてある。
 だけど――これは牢獄だ。
 窓のない、閉じられた部屋。
 隙間なく、がっちり組まれた石の壁。
 外側から鍵の掛けられた、頑丈な鉄の扉。
 よく見れば花瓶に飾られた花は造花で、その花びらに薄く埃が浮いていて。
 絵画には陰気な森が描かれているだけで、生命の躍動とかそういったものとは無縁の、ただ静謐さだけを感じさせるもので。
 時計もなくて。この部屋からは時の経過を伝えるものが病的なまでに廃されていて。
 時の流れに取り残された――停止した空間。
 それがこの部屋だった。
 そんな部屋の真ん中で、
 豪華なベッドと柔らかなシーツの上で、
 赤い少女が――ガラスのような瞳をこちらに向けている。
 何の表情も浮かべず、何の感情も示さないまま、ただじっとこちらを見つめている。
「えと、私は……今日から妹様のお世話を命じられて……」
 慌てて頭を下げ、そこまで言った時点で言葉に詰まる。

 ――これが昨日のあの子?

 そんな疑念が湧き、それ以上何も言えなくなった。
 姿形は……間違いない、昨日のあの子だ。
 金の髪。紅い瞳。一点の穢れもない白い肌。
 仏蘭西人形のように整った顔立ち。そして――背中から伸びる宝石の羽。
 だけどその瞳は、無機質な、人形のようで。
 支配的で、超越的で、魔的な――あの瞳ではなかった。
 少女は何も言わない。
 瞬きもせず、ただじっとこちらを見つめるだけ。
「あの……フランドール様、ですよね?」
 思わず問い掛ける。
 失礼かとも思ったが、そう問い掛けると、少女は不思議そうに私の顔を見つめ――こくん、と小さく頷いた。
 無言ではあるが、意志の疎通が図れたことに安堵する。
「あ、えと、私は坂井原 美里と申します。以後お見知りおきを」
 少女は答えない。
 ただ凝っと、紅い瞳を向けるだけ。
 圧し掛かるような重い沈黙。その重圧に耐えかね、私は急きたてられるように口を開いた。
「あの、私、この館に着たばっかりで、メイドとしても見習いっていうか、えと、正直なところ何をすればいいかもよく解っておりませんので……その、至らぬ点も多々あるかと思いますが今後とも宜しくお願いしますっ!」
 一気に捲し立て、もう一度頭を下げた。
 たっぷり三十秒。おそるおそる顔を上げてみたが、少女の表情は変わらない。人形のように、彫像のように、眉一つ動かすことなくベッドの上で佇んでいる。本当に人形じゃないか――とも思ったが、その胸元は呼吸に合わせて僅かに上下しているし、頬に差す赤みは間違いなく生命のあるもののそれである。
 沈黙に耐えかねて私が身じろぎすると、視線もそれに合わせて僅かに動いた。
 まるで私を観察するように。
 鳥や魚のような――意志の感じられない虚ろな視線。

 突然、その瞳がちきちきと瞬いた。
 まばたきではない。瞳の虹彩そのものが、赤から青へと、星が瞬くように。
 その不思議な輝きに一瞬心を奪われたが、一瞬後にはその輝きも幻のように消えていた。
「――え?」
 瞳が瞬いた直後、少女の瞳に意志が灯る。
 急に大きく目を見開いたかと思うと、傍にあった枕を引っ掴んで胸元に引き寄せ、そこに顔を埋めてしまった。
 肩が震えている。怯えているようにがたがたと震えている。その瞳には警戒の色がありありと映り、枕で身を隠しながらも視線は外そうとしない。
「あ、あの……?」
 その変化に戸惑いながら声を掛けると、少女の身体がびくんと跳ねた。
 一段と警戒の色は強くなり、枕を盾に私の一挙一動を見逃すまいと視線に力を篭めている。
 その様子に……私はなんとなく近所に住んでいた猫を思い出した。
 そいつはノラで、毛並みはぼろぼろで、骨と皮だけのやせっぽっちで。
 いつも傷だらけで、たまにエサを上げても人が見ている前では絶対に手をつけなくて、ただじっと、視線だけは絶対に外そうとしないで。
 そのノラ猫と少女の瞳が重なる。
 少女もまた、目を逸らした瞬間喰われるとでもいうように、絶対に視線を外そうとしない。
 まいった……これじゃ跪いて足を舐めろとか言われた方がまだ気楽だ。
 何か言ってくれないと、何もできない。
 命令されないと何もできないなんて我ながら情けないと思うが、この状況で何をすればいいか、どうすればいいか解らない。解らないから何もできない。何もできないまま、ただ時間だけが過ぎていく。
 それにしても……と改めて少女を眺める。
 本当に綺麗な子だ。
 少し癖のある金の髪。片方だけをリボンで括った子供っぽい髪型だが、それがまた非常に似合っている。まだ幼さの残る顔立ちはやっぱりどこかしらレミリア様に似ていて、二人が姉妹だと確信させられた。肌が白い。病的な白さではなく、滑らかな陶器のような、穢れることが許されないような、それは新雪の白さだった。
 そして――紅の瞳。
 忘れない、忘れられない、あの夜と、遜色なく。
 深く、紅く、吸い込まれるような、惹き込まれるような。
 でも――違う。
 色や形は同じでも、そこに込められた意思が違う。
 これは子供だ。見知らぬ大人を見て怯える子供の瞳だ。
「…………」
 言葉に迷う。
 笑顔も固まる。
 少女は何も言わないし、そして目を逸らしもしない。
 立ち尽くす。何も言えないまま、時間だけが過ぎていく。
 窓もなく、時計もないこの部屋では、沈黙は何より心を責め立てる。きりきりと、ぎりぎりと心臓を針金で縛り上げていくように、そしてそのまま――

「はぁ……」
 ベッドの上に転がり、何度目になるか解らない溜息を吐いた。
 結局、あのまま。
 朝まで、一言も交わさないまま。
 少女は一度も目を逸らさなかった。ずっと私の目を見据え、瞬き一つしなかった。
 朝になり、別れの言葉を告げても何も言ってくれず、私は逃げるように階段を駆け上がった。
「なにやってんだろ、私……」
 もう一度、そう言ってみる。口にするとそれは子供っぽい、甘ったれたべしゃべしゃした声で、同情を求めるような浅ましさが透けていた。
 フランドール・スカーレット――悪魔の妹君。
 あの子がどういった存在なのか、私には解らない。レミリア様がどういった思惑で私をあの子に付けたのか、ひょっとして私は本当にただの餌に過ぎないのか、それとも何か別の……。
 どれだけ考えても答えは出ない。
 答えを知りたければ続けるしかない。
 だけど、
 それでも――
「また、明日……か」
 別れ際に、そう告げた。
 それはただの社交辞令。本心など欠片もない上っ面だけのもの。
 それでも自分で放った言葉が、自身の心を締め上げる。
 また明日、あそこに行くのか。
 また明日、あの子に会うのか。
 気が重い。重くて沈む。天井を見上げたまま、ずぶずぶと沈んでいく。
 柔らかいベッドが私を受け止めて、飲み込んで、どこまでも、どこまでも――
 遠くに聞こえる妖精たちの声。
 てきぱきと指示を飛ばす美鈴さんの声。
 それらのお祭りのような賑やかな声を、扉越しに聞きながら、

「はぁ……」

 私はもう一度――溜息を吐いた。


  §


 夜が来る。
 あれから結局一睡もできないまま、また夜が来てしまう。
 お腹も減らないし、何をする気力もない。またあの沈黙に耐えなければならないのかと思うと泣きたくなってくる。
 日が落ちてからとりあえずお風呂を頂いて――あと二時間で、再びあの地下室へと向かわなくてはならない。
「どうすればいいのかなぁ……」
 とりあえず、お風呂に入ったことで大分気持ちはすっきりした。
 さっきまではうじうじ悩んでいたものの、今はまだ少しだけ前向きな気分だ。
 あくまでも少しだけ。うつ伏せで匍匐前進しているようなものだけど、それでも背中を向けて蹲っているよりはマシだと思う。そう思いたい。
「警戒心を解くことが大事よね。とりあえず笑顔。これは基本として、後は……」
 どうすれば彼女の気を惹けるのか。
 そんな、まるで年頃の男の子みたいなことを考えている自分がちょっとだけおかしい。
 きっと徹夜でハイになっているのだろう。さっきまでの陰鬱な気分は大分薄らぎ、何だかちょっと楽しくなってきたような気さえする。
「食べ物で釣るか、それとも別の……」
 何となく、思考に既視感。
 なんか、こないだもこんなこと考えてたような――そんな風に考えていると、
「や」
 ぱしんと、結構な勢いで背中を叩かれた。
 思わず前につんのめる。何とか体勢を立て直して振り返ると、
「あ、美鈴さん」
「相変わらず難しい顔してるわねぇ。ほーらスマイルスマイル」
 そこにはにかにかと笑う美鈴さんの姿があった。
 部屋着だろうか。いつもの大陸風な装いではなく、白無地のTシャツに細身のジーンズを穿いている。風呂に向かう途中なのだろう、片手に手桶とタオルを抱えており、色気も何もないシンプルな格好だが、そのラフさが実に彼女らしい。
「妹様の専属メイドになったんだって? 大した出世じゃないの」
「いや、その、出世というか、押し付けられたというか」
「あの子の相手は体力使うからねぇ。でもいい子でしょ?」
「え?」

 ――体力を使う?

 はて、そりゃ精神的には疲れているし、そういう意味では体力も必要なんだろうけど。
「や、その、まだお会いしたばかりなんで、あんまり話も……」
「ありゃ、そうなんだ? んじゃまだ人見知りしてるのかもねぇ。なーに、人懐っこい子だからすぐに打ち解けるわよ?」

 ――人懐っこい? 

 ――あの子が?

 何だろう、この違和感。
 そりゃ私が必要以上に警戒されているだけかもしれないが、あの子がそんな風に懐いてくる姿がどうにも想像できない。
 美鈴さんは、いつもどおり朗らかに笑っている。
 とても……嘘を言っているようには見えない。
「あの……」
「ん?」
「フランドール様、ですよね? 今の話」
「そうよ? それがどうかした?」
「えと……私、嫌われてるんでしょうか? その、フランドール様は何も言ってくれなくて、まだまともに挨拶すら……」
「あー」
 その一言で察したのか、美鈴さんは気まずそうに頬を掻く。
「私はほら、この館に来て長いからさ。何度か遊んだこともあるけど……そうね。最初は中々打ち解けなかったかも」
「そうなんですか?」
「ずっと地下暮らしだからねぇ。館の者ともほとんど顔を合わせる事ないし。うん、そりゃいきなり打ち解けろっていっても無理な話だわ」
「その……」
 躊躇う。
 何となく憚られて、誰にも聞けなかった疑問。
 美鈴さんなら、この人になら聞ける気がする。
「フランドール様は……何故閉じ込められているんでしょうか?」
「…………」
 ふいに美鈴さんの顔に影が差す。
 言った瞬間後悔する。
 優しさに甘え、自分の中に差した影を、またこの人にぶつけてしまった。
 沈黙が流れる。
 美鈴さんは、昏い瞳のまま、
「……吸血鬼だから、かな?」
 ようやっと、搾り出すように、そう言った。
「吸血鬼の弱点。貴女も聞いたことあるでしょ?」
「は、はい。日光が苦手とか、十字架が嫌いだとか」
「他にもあるわ。流れる水を渡れないとか、雨の日は外出できないとか、ね」
「でも、レミリア様は……」
 私は拝見したことはないけれど、日中、里でレミリア様を見掛けたという話を聞いたことがある。
 日傘を差して花見をしていたとか、楽しそうに市場を冷やかしていたとか。
 ならばその妹である、あの子だって――
 だがそれを遮るように、
「血が濃すぎる、って聞いているわ」
 寂しそうな目をして、美鈴さんは語る。
「フランドール様の、ですか?」
「そう。吸血鬼としての血が濃すぎるってね。お嬢様にとっては大したことのない日差しも、あの子には致死の毒となる。元々吸血鬼の弱点というのは、その強大すぎる力を制御するための枷と言われているわ。力が強くなるほど掛けられた枷も強くなる。実際にどうなるのかは解らないけど……知りたくもないし、ね?」
 日の光を浴びた時、あの子がどうなってしまうのか。
 平気かもしれない。日傘だけで十分かもしれない。
 でも――試す気にはなれない。
「それで地下室に……」
「勿論それだけじゃないのよ? 外は危険でも、館の中に限れば自由に出歩いたって構わないと思う。でもね、誤解しないで欲しいんだけど……妹様は閉じ込められてるんじゃないわ。自分から閉じ篭ったまま、出てこようとしないのよ」
「――え?」
 でも、
 外から鍵が――
「それもあの子が望んだこと。まぁ、正直言うとさ。私も昔、あの子を外に連れ出そうとしたことあるのよ。外は無理でも、せめて館の中くらいってね?」
「それで……どうなったんですか?」
「フラれた」
 自嘲気味な笑みを浮かべ、美鈴さんは軽く肩を竦める。
 この人に相応しくない、翳りのある表情で。
「いつも笑っていたあの子がさ、火が付いたように泣いて泣いて暴れて……大変だったな、あの時は。それまでは本当に仲が良かったのよ? 一緒に遊んで、沢山話をして……うん、私もあの子を妹みたいに思っていたし、あの子もよく笑っていた。なのに――」
 そう言って。
 乾いた笑みを浮かべて。
「なんであんなに嫌がるのか解らないけど……少なくとも私じゃ、あの子を連れ出すことはできなかった。私じゃ……無理だったんだ」
 深い、溜息を。
 深く、引きずり込まれそうな、そんな溜息を。

 ――ごめんね? つまんない話しちゃってさ。

 そう言って、美鈴さんは笑みを浮かべる。
 強がりですらない、乾いた笑み。傷口を抉られているような、辛そうな顔。
 こんな時、私は――

「私は……いえ、私にも……きっと無理です」

 ――馬鹿。
 ここで必要なのは、そんな言葉じゃないだろう? 
『任せてください。貴女の無念、この私が引き継ぎます!』とかなんとか格好いい台詞を、嘘でもいいから搾り出すべきだろう? 
 この人の心に刺さった棘を、傷を、痛みを和らげるように、口先だけでもいいからそう伝えるべきだろう?
 
 でも私は弱いから。
 他人を救う強さを持っていないから。
 せめて嘘だけは――吐きたくなかった。
 
 それきり、言葉を失う。
 俯く。美鈴さんの顔をまともに見れない。きっと失望しているんだろう。最初から期待なんてしてなかったかもしれないけど、きっと私に呆れているはず。強がりは弱い心を誤魔化すためのものだけど、それができるのも僅かなりと強さを持っているからだ。
 私には……その勇気さえない。
 立ち去ることも、逃げ出すこともできず、ただ黙って俯くだけ。
 ふいに、ぽんと肩に手を置かれる。
 顔を上げると、美鈴さんが柔らかく微笑んでいた。
「ほんとはさ、『貴女ならできる!』って言うべきなんでしょうけど……ごめん。私も、自分にできなかったことを人に押し付けるなんてできないわ。でもね? これは何というか理屈や理由なんてないんだけど……どっかで期待してるんだ。貴女なら……『今』を変えることができるかもしれないって」
「私が……ですか?」
「勘よ。ただの勘。でもね、私の勘って外れたことないんだ」
 そう言って、美鈴さんはにかりと笑う。
 その笑みを見て――私は悟った。
 この人は、本当に強い人だ。
 私の手なんか借りなくても、自分で立ち直れる人だ。
 それが羨ましくって、少しだけ――妬ましい。
「フラン……そう、呼んであげて」
「――え?」
 顔を上げる。
 思いがけず近くにある美鈴さんの顔。夏の空のように力強い青の瞳。
「届かなかった私には……もう、そう呼ぶ資格はない。だけど貴女なら」
「でも……私は……」
「何もしなくていい。ただ側にいてあげればいい。一緒に遊んで、一緒にお菓子を食べて、そして沢山話をしてやって。貴女の話を、外の話を」

 ――あの子と友達になってあげて。

 美鈴さんはそう言って、
 目を細め、私の肩に手を置いたまま、

 母親のように――微笑んだ。


 §


「よしっ!」
 長い階段を降りて、廊下を抜けて、辿り着いた先は一枚の扉。
 ぴしゃりと両手で頬を叩く。気合を入れる。
「失礼します! 美里です! 入ります!」
 礼儀も何もない乱暴な口調。
 でも下手に言葉を選んでいると、自分の中の何かが抜け落ちてしまう気がした。
 返事はない。うん、それも予測通り。
 無言のままポケットから鍵を取り出す。鍵穴に差し込む。扉を押し開く。
「失礼します!」
 踏み込む。手早く一礼して顔を上げる。周囲を見渡す。
 いた。これまた予想通り、少女はベッドの上で枕を抱えている。
 昨日と変わりない、昨日から一秒だって進んでいない、そのまんまの姿。
「おはようございます!」
 枕を抱きしめたまま怯えている少女に向かって、もう一度大きく頭を下げた。
 つむじに視線が突き刺さる。警戒心バリバリの猫のような視線。

 OK――上等だ。

 顔を上げる。無理矢理笑顔を作る。おしとやかさとか慎ましさとか、そんな余計なものを剥ぎ取って顔全体で笑顔を作る。少女が驚いた顔でこちらを見ている。ぽかんと口を開けて、不思議そうにこちらを見ている。
 警戒を解いたわけじゃない。何かあったらすぐに飛び出せるよう全身ぴりぴりしてるし、背中の羽は猫の尻尾のようにぴんと伸びている。
 でも、私の言葉に耳を傾けていた。
 意識をこちらに向けていた。
 見据える。目を逸らした方が負け。怯える心は相手に伝わる。
 ファーストコンタクトはそれで失敗した。考えてみれば当たり前。こっちが怯えていたら相手だって心を開いてくれるはずもない。
『おまえなんか怖くないもんね!』と目で訴える。笑みを崩さず、目を逸らさず、堂々と胸を張って。
 私に何ができるか――解らない、見当も付かない。
 でも、私は私にできることをやろうと思う。
 だからまずは、

「おなか、すいてません?」

 背中に隠し持っていたホットケーキを――両手で捧げて差し出した。


 §


「お味は如何ですか?」
「…………おいし」
 私が摘んだホットケーキを咥え、もぎゅもぎゅと咀嚼する。
 何というか本当に失礼だけど、ノラ猫にエサをやっている気分だ。食べながらも視線はまるで油断していないところも猫そっくり。迂闊に邪魔したら、ばりばりと引っ掛かれそう。
 念のために言っておくと、ナイフやフォークを忘れたわけじゃない。
 刃物の、金属の輝きを見た少女がものすごく怯えたからだ。
 下手に仕舞うと余計に警戒すると思ったので、私は敢えてそれらを部屋の隅へと投げ捨てた。その行為の意味が判ったのか、少女は私が近づいても逃げ出そうとしなかった。
「あらら、クリームが付いてますよ? じっとしててくださいね?」
「ん」
 ハンカチを取り出して、口元を拭ってやっても、少女は逃げ出そうとしない。
 ただじっと、されるがままに顔を突き出している。
「はい。綺麗になりましたよー」
「ん」
「おかわりは如何ですか?」
「ん」
 ホットケーキを千切って摘んで、鼻先に持っていく。
 ひくひくと鼻を鳴らし、くぁーっと大きく口を開いたところにホットケーキを押し込んでみた。ホイップクリーム山盛りにクランベリーソースをたっぷり掛けたホットケーキが、みるみるうちになくなっていく。その見事な喰いっぷりに私の頬も知らずに緩む。

 フラン――そう呼ぶ勇気は、まだない。

 私なんかでいいのだろうか、分不相応じゃなかろうか、そんな想いは残っている。
 だけど、もう決めたから。
 誰かに言われたからじゃなく、自分がそうなりたいと思ったから。
 だから、それでいい。臆する必要はない。身分とか考えなくてもいい。
 一緒に遊んで、
 一緒にお菓子を食べて、
 一緒に色んなお話をして。

 友達になるのに資格はいらない――そんなもんでしょ?
コメント



1.無評価Florence削除
A piece of erotudiin unlike any other!
2.無評価Jodi削除
Paulo / Assisti os dois, tanto o filme como aquele doÃiuentc¡rmo, e recomendo que outras pessoas assistam tambem, pois acredito que será assim…O filme foi muito bem feito, e que possamos tirar para nós foças para que continuamos fiéis a Deus, nem que isso possa nos custar a vida…Que possamos estar sempre em Jesus, Aquele que deu a sua vida por nós. Amém.